2014年8月7日木曜日
おはようさん 2014.8.6.
今日の外来で・・・
数ヶ月前に白内障の手術をしたおじいさんがブツブツ文句を・・・
手術したら良く見えるようになるって言われたのに、全然、良くなってない 云々・・・
「そんなん 手術した眼科の先生に言わんとアカンがな。ここで文句言っててもしゃぁないやろ」
「そんなん よう言わんわっ」
そもそもこの患者さん、当院へは糖尿病と高血圧で通院しています。
糖尿病性網膜症があることが、当の眼科ドクターから知らされています。
「糖尿病 最近 悪くなってたやろう。そやから目ん玉のレンズを入れ替えたって、目の神経が糖尿でダメになってるから、見えやせえへんのやで」
「そんなん、眼科の医者 最初に言ってへんかったし・・・。手術したら良く見えるようになるって言ったんやからな・・・」
実はこのケース 10年前くらいからよく起こるようになりました。
白内障の手術がまだ大病院や大学病院でしか受けられなかった頃は、手術まで1年 2年待ちなんて話がよくありました。
コネで横入りする人が多いので、予約の最後尾の患者さんは何年経っても最後尾のまま なんてジョークもありましたっけ。
白内障の手術は儲かります。
だから、民間病院も個人の眼科クリニックも競って白内障手術をするようになって・・・患者さんの取り合いが激化していきました。
そして、糖尿病性網膜症や黄斑変性症を合併している白内障まで、奪い合うように手術をするようになったのです。
眼科の先生だから、白内障の手術をして、見えるようになるのかダメなのか? は手術前から分かっているはずです。
昔は「私は糖尿病が進んでいるから、白内障の手術をしても見えるようにはならない、と言われました」と肩を落とした患者さんもいましたが、最近は・・・ひとりもいません。
それどころか、「え~~~~! あんたに白内障の手術をするって!」と叫んでしまうことがしばしばあります。
そんな患者さんに限って、手術後、「見えない」とブツブツ文句を言います・・・なぜか私の外来で。
今日はこの患者さんが午前診最後、もう午後1時を過ぎてしまっていて・・・つい口が滑ってしまって本当のことをしゃべってしまいました。
「眼科の先生もノルマがあるのよ。月に何人 白内障の手術をしなさい!ってね。民間病院だけじゃないよ、大学病院だってあるんだから。だからね、眼科の先生は最初から分かっていたと思うよ。あなたの目は良くならないってことを」
「わたしゃぁ ノルマのひとつやったんかぁ・・・」
そんなやりとりをしながら、目のまわりの経穴を調べました。
糖尿病性網膜症は悪血だから、目の経穴に圧痛や邪気があれば、そこに鍼や刺絡や灸をすれば、もしかして・・・と思ったのです。
でも・・・残念ながら、このおじいさんの目の経穴には反応はありませんでした。
「今、押さえてみたところのどこかに反応があれば、何とかなったかもしれへんけどなぁ・・・アカンわ」
「もうええわ、あきらめたわ。新聞を読めんだけやから・・・まだ見えてるからええわ」
白内障 心臓ペースメーカー 透析
外科的手技で「儲かりまっさ」の御三家です。
ほら みなさんのまわりにもいっぱい広告があるでしょう!
それくらい日本では多いのです。
ちなみに内科的に「儲かりまっさ」は 抗ガン剤 免疫抑制剤(リウマチ&皮膚病)
痴呆薬に抗生物質&鎮痛剤 ・・・かな?
そして、「全然、儲かりましぇ~ん」の筆頭が 外来で東洋医学的に診察&治療すること・・・つまり 私の外来でございます(;^^)ヘ..
3分診療しても30分診ても、心療報酬は同じやもんね。
ブツブツ ブツブツ・・・
ということで、今日のおじいさんは私にブツブツ言い、私は今夜、みなさんにブツブツ言ってしまったわけです。ごめんなさい!
? みなさんは誰にブツブツ言えばええのか?って・・・
しゃぁないなぁ もう一度、私にブツブツを投げ返してもええですよ。
この世は陰陽の循環で。陰は転じて陽となる やから大丈夫やわ。
前世物語
これは私の体験談でもあります。私も先生に『今』の大切さを教わってから、このプロセスをどうにか自分の足で歩んで来れました。ですから、この患者さんのお手紙の内容が本当によくわかります。思い出の地からの絵はがきを見せていただいたような感じがしました。
このワークで見た過去生の女性は、自分を責めて自分から心を閉ざしてしまった結果、約束されていた幸せな家庭を失ったのでした。光はこう言いました。
『自分を責め過ぎています。仕方のないことは仕方のないことなのです。自分が思ってるほどまわりは責めていないし、共に悲しんだりすればいいだけのことであって、自分ひとりが苦しむ必要はありません』
しかしこの世の中を生きていく上で、『仕方がないこと』で済ませれないことだってたくさんあります。「仕方がないよ」と手放せれば、生きていくのがとても楽になることがわかっていても、どうしても手放せないのが人間の業なのです。私も夫が突然の事故で亡くなった時に、みなさんからたくさんの励ましの言葉をいただきました。
「自分を責めちゃいけないよ」
「あなたが彼の分まで幸せになりなさいね」
「一緒に神様にお祈りしましょう」
みなさんの愛は感じられましたが、どの言葉も固く閉ざされた私の心の中には届きませんでした。あのどん底で「仕方ないよ」と手放すことなど出来るわけがありません。もしかしたら私だって、この女性のような一生を送っていたかもしれないのです。
そうです、同じなのです。雷鳴を轟かせながら突然襲ってきた暗黒の世界が恐ろしくて悲しくて、固く閉じてしまった心の窓はそう易々とは開くことが出来ませんでした。閉ざされた窓の内側で、私は確かに膝を抱えて脅えていました。泣くことさえ恐くて出来ませんでした。雷鳴が聞こえなくなっても、たた真っ暗な中で奮えているだけでした。立ち上がることさえ出来なかったのです。黒雲が去り、お日さまが輝く光の世界が戻ってきていても、例え小鳥の平和な囀さえずりが聞こえてきたとしても、心を閉ざした私の耳には雷鳴がずっと鳴り響き続けていたのです。
ただ幸運にも私には先生がいただけなのです。先生と再会して、私もようやく自分を許すことが出来たのです。私の『今』を取り戻すことが出来たのです。先生は私の心の扉を開いてくれました。今の私には「あれは仕方がなかったのよ」と言える心の余裕があります。自分に向き合い、あの暗黒の中で膝を抱えてうずくまっていた私の存在を認めて、抱きしめてあげることが出来るのです。彼女はまだ私の心の中で膝を抱えてはいますが、もう脅えてはいません。私は彼女を愛しています。時々、彼女のもとに降りていって彼女を抱きしめてあげます。彼女はまだ窓の外に出ようとはしませんが、でも窓の外は青空の広がる光の世界だ、ということを知っています。