2014年8月17日日曜日

おはようさん 2014.8.16.

僕の夏休み 第5日目 大阪は朝から雨が降り出しそうな曇り空でした。 今朝で梅干しの土用干しも三日目 今夜はそのまま干しておいて夜風に当てます。 例年だったら熱風なんだけど、今年は湿気が多すぎますよね。 お日さまが顔を出さないので、梅干しさんたちもまだまだ水気たっぷりです。 う~ん・・・まぁ 何とかなるでしょう(;^^)ヘ.. 今日も万博公園の国立民族博物館へ。 昨日のリベンジです。 館内の暗い照明下で、如何にしたら撮れるかしら? いろいろ考えて、写真の師匠さまや詳しい方にお伺いして・・・ それでも今日のお出かけ直前まで、どのカメラにするのか? 迷いました。 まるで遠足のおやつを買いに行って、どれにしようかな?って迷ってる子供のようでした。 趣味があると、こういう楽しみもGETできますよ。 これが趣味でなく仕事だったら、カメラの選定を間違うって一大事ですからね。 心身症の中高年の患者さんたち(特に男性)は、これといった趣味を持っていないか、今はやっていない人が多いです。 そんな人たちに、写真の話やバイクの話や園芸の話や能の話や・・・いろいろ振ってきてあげるのですが、返ってくる答えは「でも・・・・」「まだ・・・」「今は・・・・」 結末はどれも「ムリです」か「考えときます」 ともかく一歩を踏み出せば、道はおのずと開けて、生きがいに繋がっていくのにね。 国立民族博物館のお宝物の中でも、私が惹かれるのはやっぱり「神&祈り」です。 民博には世界中の神と祈りが集められています。 それをすべて撮り歩いたわけではありません。 自然と目が釘付けになるお宝ものがあるのです。 例えば、神道系とかインド系とかチベット系とか・・・これは今生からもうなずけます。 アフリカの神々&祈りにも、今回、ゾクゾクと鳥肌が立ちました。 きっとアフリカ系のDNAも色濃く入っているのでしょう。 その反面、ヨーロッパ系 キリスト教の神と祈りには、あまり血が騒ぎませんでした。 なんだか嫌悪感を血が感じているようで・・・きっと昔々、さんざん痛い目にあったのでしょう。 そう、キリスト教だけでなく仏教とかイスラム教とか・・・大きな宗教組織そのものが嫌いなんです。 血が騒ぐのは、土着の祈りと神々に。 そんなドキドキするようなお宝ものを撮っていると、フッとそこで生きていたビジョンが浮かんでくることもありました。 そして、次の生活コーナーに展示してある衣食住の道具の・・・使い方が何となくわかったりもして。 昨日今日と続けて民博に腰を据えて向き合ったからでしょうか? ものすごい量の過去の知恵と思い出が解凍されたように感じています。 あとは・・・リセット&再起動するだけかな? 民博の中で「光の前世療法」グループワークをしたら・・・ものすごいことになるやろうね。 過去生云々じゃぁなくって、世界中の「今」の人たちを愛して、許して、ありのままを認めて、素直に信じてあげられると思う。 そして、宗教や政治や経済支配を越えて、世界中の誰とも笑顔なお友だちになれる・・・民博のすべてのお宝ものたちの集合意識がそう言っているように思いました。 さまざまな武器や支配道具も展示してあります。 槍やこん棒は原始的かしら? 最新鋭な武器や軍艦や飛行機 核爆弾に生物兵器・・・人が人を殺す・・・昔と同じやんかって。 私は数年前、ワンコを飼って、自分の中に潜んでいた残虐性と怒りを知って、恐れおののきました。 これが人間の残虐性だ! 暗黒面だ!って。 すべての人間の中には、もちろん私の中にも、どんな獣よりも怖ろしい残虐性と暗黒面があるのです。 だから、人間はダメなんだ・・・と宗教は言い続けてきました。 それを乗り越えて、解脱しろだとか、天国に行けないぞとか・・・それはムリなんです。 自分の中にとっても怖ろしい一面が潜んでいて、怒りや恐怖に駆られると、一気にその怖ろしい残虐性が暴れ出してしまうってことを知っていればいいのです。 無知の知を越えるのです。 人間はこの世のすべての生きものの中で最も怖ろしく残虐です。 でも、人間は知恵を授かっています。 自分の中には怖ろしい残虐性があるという知恵。 それは恐怖や怒りがスイッチを入れるという知恵。 その恐怖や怒りは人間が自分で創ってしまう妄想だという知恵。 そして、人間はその恐怖や怒りを認めて、許して、手放せる勇気があると信じることができる知恵も授かっているのです。 民博のお宝ものたちを見ながら、確かに、そんな知恵が人間にはあるぞ!ということがわかりました。 なんだか強い勇気と信念を授かった夏休みとなりました。 前世物語 先生は女神に聞きました。 「人間は何のために生きているのですか?」 「それぞれの目的が違います。けれども目的のないものはいません。目的は明確じゃなくても構いません。その過程で変化するのです」 「私はこれから先、どうなるのですか?」  女神が答えました。 「それは言うべきことではありません。それを探しながら、探すために生きるのです。見つけなさい。見つかるから」 「素晴らしい人生を送るためには、どうしたらいいのですか?」 「悪意を取り払うことです。そうすれば心が病気になりません」  先生は女神にお願いしました。 「私の今回の人生の目的をクリアーできた、未来の私の姿をちょっと見せてください」 「四十五歳で、ユニフォームを来た子供たちと野球をしています。俺が投げて子供が打っています。俺は笑ってるけど子供は歯をくいしばって真剣です」  先生は未来の彼に聞ました。 「何をしてるの?」 「子供たちと甲子園へ行くのです。この子たちの中からプロになる子がきっと出ます。だけど厳しい練習は絶対しません。楽しく遊ぶ。遊んで勝つ。自分に出来なかった夢を話したら、子供たちがそれに興味を持ってついてきてくれました」 「あなたは今、幸せですか?」 「幸せです。充実しています」 「未来のあなたに何かアドバイスを貰ってください」 「選択枝は多いけど、全てが正解です。でも選べるのは一つだけです。本当に幸か不幸かは自分が感じ取るものだから、どれが正解かはありません。どれを選んでもいいのです。選ぶのは自分です。あまり迷っていても何にも変化は起こりません。どれかを選ばなければ変化は起こらないのです。立ち止まるな!」 「あなたも今の私を応援してくれますか?」 「応援してなきゃ今、ピッチャーしてないよ」  先生は女神に聞きました。 「今回の人生はここまで順調ですか?」  女神が答えました。 「あなたは恵まれてる方です」 「あなたも私を応援してくれますか?」 「私はすべての人をサポートしています。だから私が応援してくれるかどうか、という不安は必要ないのです」  先生は女神の下の白いフワフワした人たちにも尋ねました。 「みなさんも私を応援してくれますか」  白いフワフワした人たちが、おしくら饅頭みたいに動き出して答えました。 「がんばれよ。逆に俺がそうなった時には応援してくれよな。がんばれ!」