2011年8月30日火曜日

おはようさん 201.8.30.

お日さまもちょっぴり寝坊助になってきた晩夏の朝。
とっても涼しい風の中に、冬の息吹を感じました。
夏の花たちも小柄になって、
実をつけるものは、せかされるように小さく実らせています。
桜公園も黄色に染まりはじめてきて、
落ち葉が秋を呼んでいました。
だから大きく深呼吸して、移ろいゆく8月の終わりに、おはようさん!


植物状態と言われる患者さんに、本当は意識があるの? って聞かれることがあります。
植物状態といっても、ふたつに分かれると思います。

ひとつは、脳幹出血や酸素欠乏で意識が戻らない患者さんたち。
脳幹出血は脳死とは逆で、脳幹が強く圧迫されたり破壊されたりして、血圧や体温、胃腸の動き、免疫力などの生命維持装置がズタズタにされます。
一酸化炭素中毒や麻酔事故などで脳全体の酸素欠乏に至った場合は、脳全体が萎縮して脳機能が大幅に低下してしまいます。

もうひとつは、脳挫傷、くも膜下出血、脳内出血などで意識不明に至った患者さんたち。
これは、頭蓋内圧が致命的に亢進して脳ヘルニアを起こし、いはゆる脳死状態に近づいている人たちです。
こちらの場合、植物状態は一過性で、数日〜1週間内に亡くなってしまいます。
この脳死に近い状態の肉体には、もう意識は宿っておらず、ちょっと上から肉体を眺めている(最初は何が起こったかわからないため)というのがスピリチュアルな定説です。
だから、この急性期〜亜急性期の脳卒中や脳損傷(事故など)の場合は、意識は肉体には宿っていないと言えます。
(詳しく言えば、まれな例外やさまざまな説もありますが、ここは概論ということで)

脳幹出血や酸欠で、とりあえず急性期〜亜急性期を乗り越えてきた患者さんたちの場合、スピリチュアルケアの目で接しない限り、遷延性意識障害のまま予後不良だし、MRIや脳波を見ると、ますます予後不良だと説明されるでしょう。
だって脳幹に大穴あいてたり、大脳がシワシワに萎縮しちゃってるから・・・
金魚すくいのポイが大きく破れてしまって、さてこれで金魚がすくえますかいな?って諦め感です。
(例えが気に障ったら、ごめんなさい)
でも待って!
金魚好きの達人なら、ポイの輪っかだけでもすくいますよね。
そう! お祭りの金魚すくいで無邪気にすくってる子供も、輪っかに引っかけてすくったりしてますよ。
ポイが破れたから、もうダメだ・・・これは目からの情報と経験値&常識の判断。
そして、ムリだ、ダメだと思いながらやっても、結果はダメ。
なんだ、やっぱりダメかぁとか、ほら見てごらん、なんて自嘲感で the END の幕引きします。
特に大人になるほど、子供がポイを振り回して、一生懸命に金魚を追い回していると、もうやめなさいってポイを取り上げてしまいますよね。
子供の感性には、ポイの中に目に見えない紙がまだ残ってるかもしれないのに。

昔、私がニューフェースでスピリチュアルなんて言葉さえこの国になかった頃、私の同級生:Rさんのご主人が車の事故で遷延性意識障害になりました。
緊急手術で一命はとりとめたものの・・・植物状態でした。
慢性期に入って、先輩医師たちが誰も見向きもしなくなった時、私が主治医になりました。
気管切開、鼻注栄養で、意識は完全昏睡。
毎日の診察は、患者さんを診るというよりは、Rさんのケアーを目的にしていました。
ニューフェイスの脳外科医ですから、教科書通りに「望みなし」で診てましたから。
Rさんは、毎日、片時も離れずに夫の世話をされていました。
だから患者さんの身体、手足の指一本一本にいたるまで、やわらかいままでした。
そして月日が流れていくほどに、Rさんが強くなっていくのを感じていました。
木の幹がどんどん太くなっていくように、とても生命力に満ちて、強く生きておられました。
それなまるで、愛する夫からの生命のプレゼントのように・・・今だからわかります。
Rさんは、植物状態の夫が涙を流したとか、ちょっとほほえんだとか・・・そばにいて夫の回復を祈り続けているからこそわかる小さな発見を語ってくれていたように覚えています。
でも、私もRさんも医師国試通りたてのバリバリの左脳人間でもありました。
私はRさんの精神状態を心配していましたが、きっとRさんは、左脳知識&医者の常識と愛&希望と祈りの谷底でもがき苦しんでいたのだと思います。
今、本当にあの時、わかってあげられなくて、ごめんなさい、と悔やまれます。

最近、お散歩写真を撮るようになって、いつもの同じ道、同じ景色の中に、日々のちっちゃな幸せ&美を見つけられるようになりました。
音楽聞きながらわんこと歩いていても、そんな幸せ&美は目に入りませんでした。
写真を撮ろうっていう想いが、顔を上げ、視野を広げ、感性を目覚めさせてくれたのですね。
それはどうでもいいような写真ばかり。
誰かに見てもらってほめてもらいたい!なんて気持ちはさらさらなくって、ただ、どこかのだれかがいつかたまたま見てくれて、ホッとしてくれたら、最高です。

植物状態といわれている患者さんたちに意識はあるの?
そう、あると思います。
スピリチュアルケアから言えば、ありますよ。
ただ、必要条件もあります。
伴侶や家族の愛と祈りがあること。
信じる気持ちが患者さんの意識と肉体を繋ぎとめているのでしょう。
そして、愛して、信じて、許して、あるがままに生かされている喜びを認めれば、周囲の雑音など瞑想中のようにどこかへ消えていって、患者さんの小さな変化に気づけるようになります。
それは小さな変化でも、意識とつながっている大きな絆です。

脳科学が発展しても、脳はまだまだ大宇宙と同じくらい神秘的です。
植物状態で意識があるなんて、宇宙人を信じるようなものだよ?
いいじゃないですか、信じましょう。
それがスピリチュアルケアなんだから。
10年後、実はあの頃、宇宙人がいっぱい降りてきていたんだよ、なんて笑い話になっているかもしれないでしょう・・・光の世界では。

小さな変化を見つける目。
それは小さな幸せ&美しい生命力を見つめる感性となって、
愛する人の肉体と意識をどんどん結びつけ再構築していきます。
話しかけて
見つめて
手をとって
寄り添って
愛する人のボディラングエッジとひとつになれますよ。

2011年8月26日金曜日

おはようさん 2011.8.26.

我が家のわんこは、超ハイパーなブリタニースパニエル。
朝から晩まで目がキラキラ、ともかくじっとしていません。
オスワリ、フセ・・なんてコマンドを聞く気なし。
典型的な自己中で、コマンド聞くのはエサか散歩か自由時間をもらえるときのみ。
怒られた時だけトイレでオシッコ&うんちするけど、普段は気ままに、好きなときに、どこででも。
いたずら大好きというよりも、ともかく好奇心がいつも爆発だぁ!してます。
アホ犬でないことは十分わかります。
詰めは甘いけど、けっこう悪知恵働くかしこいわんこです。

そもそもわんこを飼おうと思ったのは、今年の初めのある朝、天から「このまま運動しなければ命はないぞ」と神託があったから。
あれよあれよとシンクロが続いて、2月中旬に3ヶ月の子犬が北海道からやってきました。
3月中旬からは医院までの往復12Kmをお散歩で通院するようになって、体調も改善!

超ハイパーで好奇心爆発!自己中で我が道突き進んで、じっとしてられない前向きさ・・・
なんだか自分の姿を見ているようです。
わんこを見れば飼い主がわかる と言いますが、わんこと暮らすことになったら、それは神さまが「おいお前、ちょっと鏡を見て反省しいやぁ」って言ってるのかもしれませんね。
わんこは神さまのスピリチュアルな使い・・・そう思うと、いたずらも笑って許せるかもしれませんね(私は許せないけど!笑)

そんなわんこが最近、私の怒りのツボをドンピシャリと刺激してくれます。
一生懸命にわんこのことを思って(愛情込めて)やったことを、見事に裏切って、想像以上のレベルでぶち壊してくれます。
当然、私の血圧はMAXへ!
でも・・・
この怒りのパターンは、今生の大きな節目に必ず現れることには気づいていましたが、まさかここに来て、もう一度これでもかっ!というほど、あからさまにされるとは・・・ちょっとショックです。
この怒りを手放し、その意味を感じて、どの道を進めばいいのか・・・
大きな節目の度に、少しはスピリチュアルに成長しながら? 選んだ道を進んできたつもりでした。
その結果は、まぁ、それなりの道で、大満足!ではないけど「まぁね、人生、こんなものだよ」でやってきました。
今回のわんこへの怒りは、これまでと違って光さんの伏線がありました。
先日の天満満天堂Gワークで、光のパートナーと暮らす光の世界のビジョンの中に、我が家の超ハイパーわんこがパパになって子犬たちと幸せそうにじゃれあっているシーンがありました。
その翌日から勃発したわんこへの怒り事件で、いつものパターンだと、わんこはやっぱり去勢手術だ!でした。
去勢するかどうか、ずっと前から迷っていたから、今回の怒り事件こそ、天からの後押しだ! シンクロだよ!って判断したわけです。
今日は動物病院へ連れて行くぞ!の朝、ふっと先日のビジョンを思い出しました。
ここでわんこを去勢してしまうと、光の世界のビジョンも消えてしまう。
さぁ、どっちにする? って神さま、光さんが笑っているように感じました。

スピリチュアルの恐ろしさを見せつけられた思いです。
わんこへの怒りは「愛」に関わる怒りでした。

スピリチュアルな感性が豊かになってくると、愛も高まってきます。
アルプス マッターホルンに登ってまわりを見渡すと、凛々しくそびえ立つ山々が肩を並べて見えるように、認め・許し・信じ・愛することができたスピリチュアルな人たちには、同じように光り輝く愛に満ちた人たちやその仕事が見えてきます。
頂上にいる時は同じ愛を共感できていますが、この世で生きていくためには下界で暮らさなければなりません。そんな下界の日々の暮らしの中でも、もちろんスピリチュアルな愛をこころに持ち続けていますが、どんな人でも必ずこころのどこかに怒りのツボがあることを忘れてしまいます。
スピリチュアルな怒りを手放す魔法は使えるから、怒りのエネルギーを昇華し、怒りの意味やシンクロしているメッセージを感じ取り、今生を前進させる、魂を輝かせる糧にできます。
だから、怒りは怖くなくなります。
怒りなんか、怖くないよって。怒りの意味がわかればいいんだ、光からの大切なメッセージが隠されているんだよって。
でも、そこに落とし穴があったわけです。
左脳的に感性を創造しちゃう(でも本人は光からのいつものメッセージだと信じてる)スピリチュアルなワナです。
このワナに気づかないと、いつまでたっても左脳支配の古い世界に足を取られて、光の世界へと抜け出せません。
もう古い世界でいつまでも霊感ある人を輪廻転生したくないものね。

光の前世療法の前説で「過去生が見える人と感じる人がいます。・・(略)・・感じるってことは、創っちゃってください。創るのと感じるのは同じ感覚です。誘導する方の人は、その差がしっかりとわかっていないとダメですが、やられる方の人(クライアント)は、同じと思ってかまいません。飛行機に乗る時、パイロットや整備士さんは飛行力学や地形、気候、緊急対応をしっかりわかっていないと困るけど、乗る人には必要ないですよね。それと同じです。創っちゃえ!って思ってください」と言いますが、今回の「感性のワナ」も同じです。
自分のこころの穴、感性のツボを知っていれば、何か起こった時に降りてきたメッセージが本物かな? ワナかな? とちょっと立ち止まって、感性のアンテナの感度を上げて、光さんに聞き直すことができます。
左脳が光さんを巧妙にまねて作ったワナかもしれないぞ?
光さんを疑うのではなく(左脳はそう仕向けてきますから)、光さんを信じるのではなく、自分自身を光のこころで信じ切る勇気が試されているのです。
神さまや光さんに剣を向ける勇気。
光の世界への道を切り開いていって、最後に切り倒さなければならないのは、もしかしたら、神さま、光さんの姿をして立ちふさがってくる「スピリチュアルな感性」なのかもしれません。
自分をここまで引き上げてきてくれた、自分の一番大切なパワーを自ら断ち切る・・・
そんな時だからこそ、光のパートナーが必要なのでしょう。

今回の「光のパートナー」のなぞが、ちょっと解けてきた爽やかな気分の週末です。
(でも、わんこは・・・・まだ許さないぞ!ワン!)



2011年8月25日木曜日

おはようさん 2011.8.25.

アップルのジョブズ氏がCEOを後任へ譲りました。
30年前、マックはあこがれのPCでした。あの頃からのおつきあい。長いですねぇ。
初めて買ったPC(5年ローンで!)はPC9801。とてもマックには手が出ませんでした。
マックを使い始めたのは、OS6の頃だったかなぁ。パワーマックの前でした。
以後、ずっとマックと共に・・・
だから、iPodもiPhoneもiPadも、自然と使っています。
ミーハーなのか、単細胞なのか・・・
お盆明けから、こうやって医院でブログを書くのも、首振りiMac君から新型Mac Book Air君へバトンタッチしました。
HP作成、音楽、写真&ビデオ・・・ものすごいことが簡単にできるようになりました。
でも昨夜、寝る前の歯磨きしながら、一昔前はこの時間に何をしていたんだろう? って思い出してみました。
静かに本を読んでいた、好きな音楽を聴いていた、いろんなアイデアを夢想してた・・・かな。
生活様式がどんどん新しくなっていく、便利になっていく、さまざまな人たちとのネットワークが広がっていく・・・進化はすばらしいことです。
でも!!
自分の本当に大切なものは、しっかりと守り通していきましょう。
世の中の流行やネットの「友達」たちの声に流されながら、新しいモノを手に入れるために、古いけど大切なモノ、本当は自分が好きなモノを捨て去ってしまうと、
「私って何なの?」
「何のために生きてるの?」
「何のために生まれてきたの?」
「私の人生の目的って何?」
「何? 何? 何?」・・・に陥ってしまいます。
進歩してる雰囲気に飲まれているだけで、知恵も感性も曇り空のままです。
自分を装いたくって好きになっているモノと、本当に好きなモノとの違いが感じられるようになりたいですね。
私も今まで、子供の頃、やってみたかったことをやりなおしてきました。
大型バイクしかり、コンサート通いしかり、茶道も生け花も・・・
親のまね、友だちのまね、先生のまね、ヒーローのまね。
そんなまねをひとつひとつ大人になって現実化していくのは、とても快感です。
自己実現してる!   I am!
そんな我の快感です。
それはそれで、とても大切なプロセスだと思います。
でも、それで終わり・・・ではなかった。
自分の意識下&潜在意識下で抱いている「なりたい自分」のイメージに現実的に近づいていけば、自己実現の実感快感が強まっていきます。
そんな「なりたい自分」のイメージに近づくと、イメージの中の自分が問いかけてきます。
「この自分が本当に好きですか?」
そして、その「なりたい自分」のイメージを抱いた時の出来事が蘇ってきます。
「誰のまね?」
「誰のため?」
忘れていた「あの頃」をそのまま受け入れてもいいし、手放してもいい。
「あの頃」の自分もみんなも、あるがままに認めて、素直に許して感謝して、愛して、信じてあげます。
すると、ふっとこころが楽になります。
なにかシールがはがれたような、自由な爽快感。
そんな青空のような自由さの中で、もう一度「なりたい自分」を振り返って見ると、本当に好きかどうかが見えてきます。

あなたの本当に好きなことって何ですか?

2011年8月20日土曜日

おはようさん 2011.8.20.

猛暑だったお盆休みが終わると、ちゃんとベランダ菜園の鈴虫さんたちが鳴き始めました。
日の長さ、風の匂いで、秋が一歩近づいたことがわかるのでしょうか?
昨年夏に10匹ほどを放した鈴虫さんたちが、菜園ポットのどこかで生命を繋いでいてくれました。
餌をもらえるわけでもなく、冬はカラカラに乾いたどこかのプランターの中で、たくましく生き続けた生命たちが奏でる鈴の音は、とても力強く、情熱的で前向きで、元気とヤル気を奮い立たせてくれます。
冬という命がけの試練を乗り越えてきた、はんぶん天然な鈴の音を楽しみながら・・・
311大震災後のことを思いました。
リーダーの不在、責任感の欠如、事なかれ主義、隠蔽体質・・・
我欲とエゴのオンパレードです。
それらが8月の原爆と終戦に見事なまでに重なって、影の中からこの世の闇のすべてがくっきりと見えてきました。
この国の体質はどこに原因があるのでしょうか?
先の戦中戦前に求めると、さらに日露戦争へと繋がり、幕末維新の争乱にまで行き着きます。
徳川幕府時代にもこの本質を打破しようと何度も改革が試みられ、挫折していきました。
戦国時代、平安時代、そう奈良時代だって、同じでした。
闇を見ながら歴史を遡って、諸行無常の溜め息を吐いた後、
夜空に輝く星のような歴史の流れの大転換機を見つめてみれば、
この世の終わりのような状況の中から必ずヒーローが飛び出してきています。
世の中が闇に飲みこまれていって、最後の光が消えかかった時に、ヒーローが現れて、この世に光を取り戻す。
映画の典型的なストーリーですが、いつの時代も、多くの人たちが共感共鳴するストーリーです。
そして、これまでは二元性の世界だったから、必ず闇の中に悪者がいました。
悪者を倒すヒーロー!にみんなが憧れるように闇が仕掛けていたわけです。
悪者がいくら倒されても、闇の本質は痛くも痒くもありません。
時間が過ぎれば、すぐにこの世は我欲とエゴで充たされますから。
ヒーローだって、長生きすれば闇に飲み込まれしまって、トホホで終わってしまいます。

でも、今この転換期はちょっと違うぞ! と叫びたくなります。
ひとりひとりの叫び声がグローバルにみんなに届きますから。
吉田松陰の松下村塾がUst Liveされていたら、どうなっていたことでしょうか?
黒船来襲での幕府のあたふたがWikileaksされていたら?
信長がTwitterしていたら?
そんなことが世界中いたるところで起こっています。
もちろん闇だって存分にグローバルを使いこなしています。
闇の発する声は半端じゃありません。
それは世界中を真っ暗な夜にしてしまっているかのように、今のこの時を厚く深く包み込んでいます。
でも、大丈夫。
こころの目を開けば、真っ暗夜空に輝く星が見えてきます。
真っ暗だからこそ、星の輝きがよくわかります。
311ですべての明かりが消えた夜空を見上げて、星の美しさに感動した人がとてもたくさんおられます。
町の明かりは、闇が我々にくれた快楽我欲の明かりでもあります。
なくてはならない、必要不可欠だ、と闇に洗脳されていたわけです。
でも、これからは違います。
今までと同じじゃいけないよ。
今までとは次元の違う、まったく新しい価値観の社会生活を創り出していかなきゃならないよ。
原発の問題も経済の行き詰まりも、新しい世界を創造させようと仕組まれているように感じます。
これでもか、これでもかって。

原発廃止。いいじゃないですか。思い切って、やってみましょうよ。
日本は背水の陣に追い込まれると、必ずヒーローを輩出します。
そして、新しい世界を創造し、一気に現実化してしまう不思議なパワーを秘めています。
ダイエットや糖尿治療のように、思い切った何かをしようと決心すると、翌日には「できない理由」「ムリの言い訳」が100個浮かんできて、頭の中を占拠してしまいます。
自分を信じる、日本のパワーと創造力を信じましょうよ。
せっかく今、このときを日本人として生きているのだから。
グダグダ責任感のない議論をしていても、何も始まりません。
首相でも党首でも誰でもいいから、日本はただちに原発廃止します!とぶち上がれば、世界中の前向きな目が日本に向かいます。
ムリだといわれていたことが、どんどん可能になっていきます。
そんなはずはない!ことが、当たり前にできるようになっていきます。
日本が新しい光の世界への入り口になれます。
でも、ムリだったら・・・首相や党首が腹を切ればいいのです。
首をすげ替えるのではなく、腹を切る。
生死を天に預けて、我欲もエゴも二の次で惑わされずに、ただ目の前に降りてきた使命に奔走する。
腹を切る覚悟ですべてを投げ打って働くべき時です。
そんなヒーローなんて、どこにもいないよ・・・確かに今日は見当たりませんでした。
でも、きっとどこかにいます。いると信じています。
なぜなら、日本はまだ滅んでいないから。
闇に完全に飲み込まれてしまってはいないから。
それはまるで「光のパートナー」のように、あてもない、信じきれない人ですが、
光のヒーローもパートナーもいるぞ!って信じられなくなった時こそ、我欲とエゴの闇の世界に引きずり込まれて終わってしまいますから。
また何千何万回の輪廻転生と因果応報を繰り返す闇の世界へ戻ってしまいますから。

もし最後の審判があるとそれば、それは今、この時に始まっているのかもしれません。
自分をみんなを認め、許し、愛して、信じる。
和・輪・笑の光の世界を創造する。
我欲とエゴの闇の世界を感じ取り、できるだけ手放していく。自分を掃除する。
そんな光の世界を素直に信じている自分を信じる。
今年になって光さんは、自分を信じようとがんばっている人たちに、さまざまな形で「信じる勇気」を与えてくれています。
「私に自分を信じる勇気をお与えください」
天に向かって祈れば、必ず何かが降ってきます。
信じることは創造することです。
何を信じるのか? どんなヴィジョンを描いているのか?
最後の審判とは、誰かに選択されるのではなく、自分が光の世界か闇の世界のどちらを選ぶかの分かれ道なのでしょう。








2011年8月14日日曜日

天満満天堂Live「光のパートナー」記録

「光のパートナーと私(あなた)の光の世界へ」
光のパートナーとあなたの光の世界へ飛び立ちましょう

・階段を降りる。広場に出る。広場に円を描いて回る。左回りに3回。右回りに3回。
・目の前に上へと登る階段が見える。

* 光のパートナーの子供の頃の最も幸せな場面

* 光のパートナーのこれまでで最も大切な場面

* 光のパートナーが光と繋がった場面:何が起こったのか? 誰がサポートしたのか? どんな光と繋がったのか?

* 光のパートナーを理解するための場面:光のパートナーの身体のこと。こころのこと。これまでの人生での学びと傷つき。

* 光のパートナーの今がわかる場面:今の葛藤、今の喜び悲しみ、今の夢と希望、今何を感じているのか? 今あなたが知るべきヴィジョンと繋がります。

* 光のパートナーとあなたとの出会いの場面

* 光のパートナーとあなたが歩む光の世界の場面

* 光のパートナーと出会うためのあなたの今生の節目の場面:何が起こっていますか? どんな決断を求められていますか? 何を迷っていますか? 何が邪魔をしていますか?
 * その節目から、光の世界とは違う方へ伸びる道が見えます。その別の道を見ます。
   その別の世界はどうなっていきますか? 
   その別の世界でどのように暮らしていますか?
   その別の世界であなたが死ぬ場面へと進みます。
   「死のワーク」

* 死後のワーク:あなたの死後、その世界はどうなっていきましたか?
 * あなたの今生を高い上から見て。今生の節目がいくつも見えてくる。小さい時からひとつひとつ振り返って見て。ひとつひとつの節目は何を意味していたのか? 何に気づき、何を学んだのか? 何の、どんなチャンスだったのか? その節目から伸びるそれぞれの道の終着点のビジョンが見える。 
光さんが尋ねます。「幸せとは何ですか?」
 * あなたの今生を高い上から見ながら。今生での出会いと別れが見えてくる。ひとつひとつの出会いと別れは何を意味していたのか? 何に気づき、何を学んだのか? ふたりで何を成したのか? お互いは何だったのか? その出会いと別れは何の、どんなチャンスだったのか? その出会いと別れから伸びるそれぞれの道の終着点のビジョンが見える。
光さんが尋ねます。「愛とは何ですか?」

* 光の中へ
* 光との対話

* 今、私に最も必要なメッセージをください。

* 今、私が必要としている情報とビジョンを全てください。

* 光の世界とは何ですか?
* 光の世界のビジョンを見せてください。

* 光のパートナーとは何ですか?

* なぜ光の世界に入る時に、光のパートナーが必要なのですか?

* どうしたら光の道を歩みながら、光のパートナーと出会えますか?

* 私の光のパートナーはどんな人ですか? 誰ですか?

* 古い世界の伴侶、ソウルメイト、ツインソウルと光のパートナーの関係は何ですか?

* これから光のパートナーと共に歩んでいくために、何が必要ですか?

* 私のこれまでの経験と知恵、私が今持っているものの中で、光のパートナーと共有できるものは何ですか?

* 私の光のパートナーについて、もっと教えてください。

* 私が光のパートナーと出会うビジョンを見せてください。

* 私が古い世界から光の世界へと踏み出す節目のビジョンを見せてください。

* 光のパートナーと暮らす光の世界のビジョンを見せてください。

・・・・・

*すべての光の源、大いなる光さんの中へ
*大いなる光さんからのメッセージを受け取ります。


*あなたの光さんが、人類のすべての知恵と歴史をたくわえていたアカシックの殿堂があった場所へと案内してくれます。
聖なる泉があったところから小川が流れています。その水をいただきましょう。あなたの身体のどこかに異変があれば、知らせてくれます。
アカシックの廃墟を散策しましょう。あなたを呼ぶもの、あなたが共鳴するもの、あなたの懐かしいもの、そんなあなたの宝物を見つけましょう。

大いなる光さんがアカシックの廃墟を祝福してくれます。すると大いなる光に充ちて、アカシックの廃墟にたくさんの木が芽生えます。
あなたの光さんが腕をぐるぐる回すと、木々が育って光の森が現れます。
光の森の木々は、アカシックの英知を糧としながら、大いなる光をいっぱい受け取って、育っています。
光の森の中を散策しましょう。
あなたを呼んでいる木、あなたが共鳴する木、目にとまった、何かを感じた木に触れてみましょう。抱きついてみましょう。
あなたへのメッセージが伝わってきます。

あなたの光のパートナーも、この森を散策しています。
出会いを信じて。木々が導いてくれます。
風を感じて。光のパートナーの薫りを運んでくれます。
光の森の中での出会いのビジョンをみましょう。
何をお話していますか?
いくつもの日が昇り、日が沈み、光の森の中での暮らしが見えてきます。
あなたは何をしていて、光のパートナーは何をしていますか?
どんな人が訪れてきて、どんな人たちとのつながりができあがっていますか?
光の森の暮らしを記念写真に残しましょう。
準備をして。パチリ! その写真を持って帰ります。


* 大いなる光さんがあなたへメッセージと祝福をくれます。

* あなたの光さんもあなたへのメッセージと祝福をくれます。

* そして、あなたに会いたがっている魂さんが、あなたがちゃんと見えるように、誰だかわかるように、あなたの前に現れて、メッセージと祝福をくれます。

* あなたの光のパートナーさんへ、あなたのメッセージと祝福を届けましょう。
* あなたの光のパートナーさんから、あなたへのメッセージと祝福が返ってきます。


2011年8月9日火曜日

おはようさん 2011.8.9.

8月に入ると、お盆に備えて早めに診察&お薬を取りこられる方々が多くなります。
いやぁ、忙しい毎日でした。
朝、8時半に診療を始めると、お昼過ぎまでノンストップ!
夏風邪の人も増えています。
普通の抗生物質や治療では、なかなか治らない風邪が増えているように感じています。
と言っても、MRSAが増えたわけではなく、どの抗生物質でも効く → この薬しか効かない な普通の風邪ばかりです。
病原菌が進化した以上に、私たちの免疫力や感受性がおかしくなってきているんじゃないかな?
エビデンスも論文もない直感だけど、臨床最前線ではこの直感が役立つんですよ。
すべてがデジタルな世の中になっていく中で、人間って身体もこころもアナログだよねって、打ち水しながらつぶやいています。

陸前高田松原の松を京都五山の送り火にするというアイデアを知ったとき、とてもすばらしいことだと思いました。
天地自然の流れに静かに慈愛に輝きながら乗っている業です。
松の護摩木に祈りと愛を書く人たちも、集配手配に追われる人たちも、みんな我欲もエゴもない仏心でひとつになれます。
初盆を迎える魂さんたち、生き残った魂さんも逝ってしまった魂さんたちも、みんな光と愛で浄化される天業でした。
しかし結果は・・・・。
人は死んだ時、恨みや悲しみ、苦悩や懺悔などの想いを、着古した着物を脱ぎ捨てるように、この世の亜空間に残して逝きます。
いつもはそんな重いエネルギーは、雨が大地に染み込むように、母なるこの星が浄化してくれます。
でも、911の時もそうだったけど、一度にたくさんの人たちが急死した時には、重いエネルギーは盆地にたなびく雲のように、長い間、この世のそばに漂っています。
だから気になっていたけど、大文字焼きの護摩木になる話や東北各地で夏祭りが開催される話を聞いて、これで大丈夫だと思っていました。

結局、我欲とエゴに負けてしまった世界をチョイスしてしまったこの世です。
光の世界がまた遠のいてしまいましたね。
でも、大丈夫。
もっと状況は追い込まれてくるでしょうが、まだまだ目覚めるチャンスは巡ってきます。
明日を信じて、光の世界に行く仲間たちを信じて、日々を美しく楽しんで生きましょう。

P.S.
京都・・・大好きな町です。
大文字焼きに幸せと感謝を祈るのを楽しみにしていましたが、今年はやめました。
京都のスピリチュアルなみなさんへ、もし天変地異が起こったら、高いビルの上に逃げた方がいいかも。
普通の地震の避難とは逆だから、自分の直感を信じてもらうのが一番だけど・・・
何の根拠も確証もないことだけど・・・
京都は大きな湖の上にあります。(これは実証されています。だから水がおいしいわけ)
以下削除・・・(風評云々で逮捕されちゃうから、お後は8月のグループワークでの雑談ですね)

2011年8月2日火曜日

おはようさん 2011.8.2.

甲子園出場校が決まりました。
小さいときからすべてを注ぎ込んできた若者たちに、
勝敗を超えた「清々しさ」と「美」を感じ取れるからこそ、
プロ野球には興味がない老若男女まで引きつけるのでしょう。
ギリシャ時代から、勇者はあこがれでした。
イーリアースもオディッセイアも、
勝敗ではなく、いかに戦ったか、
生死を超えて、何を見つめていたか・・・が問われました。
高校球児も同じ。
それまでの人生を賭けて、ある意味、生死を賭けてグラウンドに臨みます。
ただ白球を追う、その今の中に「美」があり「生」が沸き上がっています。
高校野球を観ていると、そんな「生」のエネルギーをおすそわけしてもらえます。
疲れたバッテリーがリフレッシュするように、元気が出てきます。
甲子園に出られる選手はわずかです。
負けた選手、補欠だった選手、応援にまわった選手、
みんな美しい。ただ、美しい。そして「今」を生きてきた勇者たちです。
だから、ほめましょう。祝福しましょう。賞賛しましょう。
負けたらダメ、スタンド応援だったからダメ・・・そんな大人の価値観なんてクソ食らえです。
もっと自信を持たせてあげたい。
負けても、出られなくっても、それまでの「生」は光り輝く生きざまなんだと、みんなで賞賛してあげましょう。
生死を超えて何かに打ち込めるのが青春時代です。
青春まっただ中の若者たちに、自信と勇気と誉れを与えることが、大人の務めであり、老人の喜びです。
この国を光の国として蘇らせるための大切な若者たちです。
大震災でさえ乗り越えてきた若者たちです。
今年の夏は、そんな美しい勇者たちに最大の賛辞と拍手を贈りたいと思います。

2011年8月1日月曜日

おはようさん 2011.8.1.

今年は夜風が涼しいなぁ。
毎晩、ベランダ菜園で水やりしながら実感しています。
ミニトマトさんも上にどんどん伸びて緑いっぱいだけど、下の方から枯れていって、もう今年の実りは終わりですよって教えてくれています。
胡瓜さんも新芽を伸ばしながら、花をぽろぽろ落としています。さようならの涙かな?
昨夜、トマトや胡瓜さんの葉っぱが枯れて見渡しがよくなったなぁ、とのぞき込んでみると、たわわに実をつけたブドウさんが収穫時期ですよって笑っていました。
トマトや胡瓜さんは盛暑のがんばるぞ!の味がします。
ブドウさんは盛夏の疲れを癒してくれる味です。
今年は天候不順だなぁ、何かどこか変だよなぁ、と感じながらも、
天地自然はちゃんと巡っているから、大丈夫だよって、ちょっと胸をはりました。
自然の懐はとっても深く大きく、何より慈愛に満ちています。
見捨てられれば、一瞬ですべて無くなってしまうけど、
自然さんも、かなり怒ってるんじゃないかな、と申し訳なく思うけど、
まだまだ大丈夫、目覚めるチャンスをくれているよ、と夜風が囁いてくれます。
幕末、黒船が来て、右往左往な煮え切らない、決断できない、責任者は誰?な幕府に空砲で脅しをかけた「その時」が今に重なります。
そう言えば、尊皇攘夷って原発促進に似てるかな?
既得権益を守るためなら、都を火の海にしても・・・政権、議員バッチ、天下り、エゴと我欲の満艦飾の人たちが居て。
どこかまだエゴを捨てきれないまま走り回っている開国派のゲリラの人たちも居て。
でも、この国に暮らすほとんどの人たちが望んでいることは平和に暮らしたい・・・でしょう。
放射能を心配せずに(だから知らせない、なんて傲慢そのものだよね)、
電気は節約するけど、ちゃんと使えて、
そりゃぁ、多少の我慢も負担も仕方ないよね、お互いさまだから、
今日も笑って、感謝して、ホッとして、愛して愛されての一日をおくりたい。
そんな思いに共感して奔走するヒーローがきっともう、いたるところで動き始めている・・・そう信じています。
和・輪・笑な光の世界。もうじきですね。