2013年12月31日火曜日

おはようさん 2013.12.31.

実父の四十九日の法要が無事終わりました。 四十九日というのは、チベット死者の書でその云われが有名になりました。 亡くなると四十九日間、魂はバルドと呼ばれる中間層?を彷徨います。 さまざまな因果や誘惑に負けて極楽への道をあやまると、虫になったり動物になったり・・・で人間に転生できないから、お坊さんが毎日、死者のもとに来て「そっちはダメだよ、迷わずあっちへ進みなさい」とお経を唱えます。四十九日目にやっとバルドを抜けて極楽へ入れる・・・というお話だったかな? 前世療法:光との対話では、過去生で亡くなった魂さんを私はグイッと光まで昇らせてしまうので、そんな中間生はないけれど、もしかすると、私の手法は特急電車みたいなもので、各駅停車の旅をすれば、さまざまな生き物に転生しちゃうかもしれないステージを垣間見れるのかも・・・しれませんね。 私は・・・死んだら、パッと上を向いて、グングンと光に向かって戻っていくんだ!と決めています。 途中で観音さまが現れて、「おいおい! 下を見てみいな。ちょっと降りていって、あの衆生を救済してきなはれ!」なんて言われても・・・聞こえないふりして、とっとと光の中へ戻っちゃうんだもん。 そやけどなぁ、フッと振り向いた観音さまのお顔が詩仙の君そっくりやったら・・・あきまへん、やっぱ この世に戻ってきてしまうわなぁ。。。つまりは、成仏でけへんちゅうことでんなぁ。あれれぇ。。。 親戚から「なんで坊主にしたの?」って聞かれて、いつものように「悟りましてん」と答えて・・・ 私の悟りは「和・輪・笑」 和は愛・信・許・認。 神さまにこの人生で何に気づいたの?と問われれば、この悟りを語りたいと思っています。 つまり神さまへのリーチ!なわけで。 その証に剃髪した次第です。 神さま、もしこのリーチがボツならば、この命、要りませぬ、という覚悟でした。 幸か不幸か、そのままもう何年も生かされいますので、まだツモってはいなけど、リーチは生きたままなんでしょうね。 神さまとの真剣勝負だから、いつ死を賜ってもかまわないし、日々、生かされている感謝でいっぱいです。 そやから、和尚さんからポータブルな教典を渡され、皆さんでご唱和願います、と言われても・・・まっ、いろいろ思うところでした。 この世のシステムに死というものを組み込んでいるのが宗教です。 仏教もキリスト教もイスラム教も・・・どの宗教も、政治と民政と経済というこの世で「死」をシステム的に処理するという大役を果たしています。 そやけど、どの宗教にも真理はありません。 開祖は光を見ていた、光と話していたかもしれないけど、宗教教団になってしまうと、もうどこにも光はありません。 死を敬う、死を大切にする気持ちも失せています。死と光は同じベクトルやのにねぇ。 大衆も死への恐怖を宗教で紛らわせたまま死んでしまうので、そりゃぁ、輪廻転生しちゃいますわねぇ。 ホントはね、光の世界では輪廻転生や因果応報なんてありゃしないんだけど。 本当に光と繋がった人は、輪廻転生や因果応報から解放されるけど、 光と無縁の大衆は、いつまでも輪廻転生し続けるし、因果応報な地獄から抜け出せないのです。 しびれた足に「あと5分」と叱咤激励しながら、そんなことを思っていたBAD 喪主さんでした。 妄想日記 H26年7月16日(水) 「今年の宵山は平日やもんなぁ」と寂しげな僕に、 「いいじゃない! ゆっくり夜の祭りを楽しんで、朝駆けしたら」って、悪戯っ子の目で笑う君。 「三日間、朝弁作ってあげるわ」 「えっ!三泊するの?」 「何ならずっと京都から通う? あなた、京都、大好きでしょう?」 「きつぅぅ・・・(そやけど、それもええかも。。。)」と僕。 祇園祭の宵山はワンダーランドです。 感性さえ冴えていれば、ディズニーよりもワンダー&ワンダフルです。 何年通っても、新しい発見があって、古都の奥深さを堪能できます。 もちろん、私はローライで写真撮り。 古都の祭りにはローライ君が一番お似合いでしょう。 「いいなぁ、今年のお祭りには浴衣で一緒に歩ける人がいるんだもん」 「うれしいなぁ、今年はポートレートがいっぱい撮れるんだもん」と僕。 「ねぇ、ローライ君、私に貸してよ。 そうだ! ちょっと待っててね」 君のトントントンという足音が二階へとあがっていって。 「はい、あなたはこれを使っていいわよ」と手渡されたのはライカM3+ズミクロン50/2.0 「父の形見なの。あなたに使って欲しいなって、ずっと思ってたの」 君の頬がちょっぴり染まっているのは気づかないふりをして、 ファインダーを覗きながら、 「おっ、子供の頃の君が見える見える。おっ、可憐な乙女の君も見えちゃってるよ」と僕。 「ダメ! 今の私をちゃんと見て!」とふくれる君。 「卒業式の君も、入学式の君も、結婚式の君も。ぜんぶの君をひとまとめにして、今の君が大好きなのです」 M3のブライトファインダーの中には、僕とおそろいの蟷螂柄の浴衣を着た、君だけがいて。 「お父さんに最幸の君の笑顔を届けられるね」 今宵は君も狐の嫁入りでした。 <続く> 前世物語  私は玲子さんの手が誰かの手を包み込むように動くのを見ていました。先生は少し先へ時を進めまし た。 「お葬式はどんな具合ですか?」 「静かに土葬されています。神殿と青い海を見下ろす丘の上です。おじいさんが祝福をあげてくれまし た。アレンの腕に私の金と銀の髪留めが見えます。私の形見にしてくれたのです」 「あなたのお葬式を上から見て、どう思っていますか?」 「私の人生だったなぁ、という感じです」  先生は、アンジェリカの魂を誰かが迎えに来ていないか、尋ねました。 「あなたのまわりに、あなたに何か話しかけてくる存在やあなたを迎えに来た存在がいませんか、感じ ませんか?」  彼女はちょっと嬉しそうに答えました。 「羽のはえた天使がふたり、ニコニコしながら近くに来てくれています。あっちへ行こうよ、って言っ ています」  先生はアンジェリカの魂を高みへと導きました。 「その天使と一緒に高く高く上にあがります。どんどん高く高くあがります。高く高くあがったところ からアンジェリカさんの人生を見て、何か気がつくこと、感じることはありますか?」 「別に、特にありません。幸せな人生でした。生まれてきた目的は果たしました」 「その生まれてきた目的とは何ですか?」 「彼と一緒になることです。その前世で約束した目的だったのです」  先生は彼女の魂をさらに高みへと導きました。 「もっともっと高く高くあがります。高く高くあがったところからアンジェリカさんの人生と、今、生 きているあなたの人生を見比べます。そして何か気がつくことはありますか?」  彼女は淡々と答えました。 「別にありません」  先生は彼女の魂を光の方向へと導きました。 「そこから上を見ます。すると上の方はどうなっていますか?」  玲子さんの顎も少しあがりました。瞼の下で眼球がゆっくりと左右に揺れています。彼女は静かに答 えました。 「上はただ明るいだけです」  先生は自信に満ちた声で導きます。 「その明るい方へ、どんどん上がって行きます。そしてその明るい中に吸い込まれます。その明るい中 はどんな感じですか?」 「気持ちいいです」 「その明るい中心へと進んで行きます。その中心に誰か人はいますか?」 「いるような気がします」 「どんな人ですか?」 「女の人です。マリア様みたいな感じです。ブロンドで茶色の目をしています。とても優しそうな人で す。こちらを見て微笑んでいます。マリア様だと思います」  玲子さんのエネルギーが澄み渡っていって、キラキラ輝いてきたように感じました。その美しいエネ ルギーが部屋中に満ちていき、先生を丸ごと包み込んでいきました。先生は玲子さんの代わりにマリア 様に尋ねました。 「私の今回の人生の目的は何ですか?」  マリア様が答えました。 「あなたは彼を探し出して一緒になるための人生を歩んでいるのです」 「彼はもう生まれていますか?」 「生まれて来ています。すでに日本で生きています」 「彼は私がもうすでに知っている人ですか?」 「いいえ。あなたはまだ出会っていません」  玲子さんはちょっと嬉しそうに尋ねました。 「では、これから出会う予定なのですか?」 「それはあなた次第なのです」 「私次第ということは、まだ大丈夫ですよね。私はどうしたら彼と出会えるのですか?」  マリア様が言いました。 「その答えはあなたがすでに知っていることなのですよ」  先生が玲子さんに乗り移られたかのように聞きました。 「お願いです。どうしたら出会えるのか、ヒントだけでも教えてくださいませんか?」 「信じることです」 「何を信じるのですか?」 「愛です」 「その愛とは何ですか?」 「愛とは変わらないものです。何年経っても、何があっても変わらないものです」 「私は愛をすでに持っていますか?」 「あなたも持っているはずですよ」 <続く>

2013年12月30日月曜日

おはようさん 2013.12.30.

今日は年末恒例 the ALFEE 2013ファイナル 大阪城ホールコンサートでした。 お客さんは8割以上が女性で、お見かけしたところ40代以上がほとんどでした。 でも、みなさん、若い! ちゃんと拳は上がってるし、立ちっぱなしでノリノリです。 すごいですねぇ。どんなサプリメントよりも抜群のアンチエイジング効果がありますよ。 なかにはどう見ても80代のおばあちゃんもおられて・・・ちゃんとノリノリされていました。すご〜〜い! アルフィーの面々も来年は還暦です。 真っ赤な衣装で歌い踊るなんて冗談言ってましたけど、60才還暦はひと昔前の40代の感覚ですね。 アルフィーのノリノリなお客さんたちを見ながら(もちろん私もノリノリですよ)思いました。 彼女たちって、素直さ&感性が抜群やろうなぁ。 リズムに素直にのって踊っています。 曲が聞こえてきたら、素直にのる。左脳人間にはなかなかこれが出来ないのです。 理論・理性が強い左脳人間さんは、いろんなことを考えてしまいます。 拳のタイミングをはずしたら・・・恥ずかしい。 知ってる人に見られるんじゃないか・・・恥ずかしい。 ノリノリなんて・・・恥ずかしい。 ロックなコンサート中に、だれも他人なんか見てませんよね、ホントは。 見渡してみると、拳の突き上げ方にもいろいろあります。 思いっきり突き上げている人は感性>>>理性だよね。 ちょっと肘が曲がって抑え気味な人は感性>理性かな? 拳なんて・・・ムリな人は感性<理性かも。 そしてね、ここからは邪推やけど、 ロックでノリノリになれる人は鍼灸も抜群に効くやろうなぁ。 蓮風先生が言う「良く氣が動く人」だと思います。 楽しいときには笑い、悲しいときには泣く。 腹が立ったら怒って、悪いと思ったらゴメンナサイ。 喜怒哀楽が素直に流れている人は、氣が良く動きます。 今日、ここに集まった人たちは皆さん、元気に長生きできますよ!って思ったのでした。 P.S. アンコールのアンコール曲で「また今日から始めよう。がんばろう&がんばろう!」というフレーズに涙流しながら拳を突き上げた私です。 妄想日記は明日へ(ごめんなさい 夜遊びが過ぎました。誰と? もちろん 君とですよ(^^ゞ) <前世物語の続きです> 先生は彼女にその過去生の中での大きな場面転換の練習をさせました。私はふっと先日見てきた祇園 祭の辻廻しの光景を思い出しました。彼女は簡単にその人生をスキップしました。 「二十二歳で結婚式の場面です。広い大きな庭でパーティをしています。結婚相手はアレンです」 「今、どんな気持ちですか?」 「とても幸せです。小さい頃から好きだった人と一緒になれたのですから。おじいさんが賛成してくれ たから彼と結婚出来ました。アレンも幸せそうです。たくさん人たちが来てくれています」  彼女はしばらく、その幸せの余韻を味わっていました。先生は彼女の主題に向かいました。 「アンジェリカさんの人生で、ソウルメイトが最もよくわかる場面に移ってください」 「若い時です。まだ子供です。八歳くらいです。アレンと二人で遊んでいます」  玲子さんとアンジェリカが嬉しそうに答えました。先生はソウルメイトを確認するために尋ねました。 「他には誰かそばにいませんか?」 「誰もいません」  「今、どんな気持ちですか?」 「とても楽しいです」 「アレンと二人で遊びながら、何か決心したことはありますか?」 「この人と結婚します」  彼女はきっぱりと言い切りました。 「ではアンジェリカさんの人生で、次ぎに大切な場面に移ってください」 「私は二十六歳の時に内臓の病気で死にます。おじいさんは私が生まれた時から、どうやらそれを知っ ていたようです」  彼女は淡々と答えました。先生は彼女の臨終の場面へと導きました。 「アンジェリカさんの人生で、死ぬ場面に進んでください」 「ベッドの上にいます。アレンがそばにいてくれます。子供はいなかったけれど幸せな人生でした」 「死を前にして、あなたは何を考えていますか?」 「短い人生だったけれど、ずっとあの人と一緒にいられて、とても幸せでした」 「アレンは何と言っていますか?」 「私と同じことを言っています」 「あなたを助ける手立てはないのですか?」 「これは私の定めなのです」  彼女の口調に悲しみはありませんでした。先生は彼女を死の向こう側へと導きました。 「あなたが死ぬ場面を通り越してください。そして、あなたの魂が肉体を離れて宙に浮いたら教えてく ださい」  彼女はひとつ深い深い呼吸をしました。そして答えました。 「宙に浮きました」  先生はアンジェリカの魂に語りかけました。 「あなたが死んで身体を離れた時に、何か決心したこと、決めたことはありますか?」 「次ぎに生まれて来る時も彼と一緒になろう、と思いました」 「下を見てください。アンジェリカの死体が見えますか?」 「穏やかな亡骸が見えます。アレンも私が早く死んでしまうことを知っていました。だから涙はありま せん。彼は私の亡骸の頬を優しく撫でてくれています。彼の手の温もりが感じられます。彼の心とまだ しっかりと繋がっています」

2013年12月28日土曜日

おはようさん 2213.12.29.

今年のお仕事も無事に終わりました。 今夜はホッと気持ちがゆるゆるしながら、充実感・満足感に浸っています。 出来なかったこともいっぱいあったけど、出来たことだってあるし、新しくチャレンジしたこともあるので、良き一年だったと思います。 年が明けると、新しい年のお仕事のことを具体的に考えなきゃならないので、大晦日までの三日間は、ホントにこころを休めるための休息日にしたいと思います。 みなさんも今年一年、ごくろうさまでした。 妄想日記 H26年5月24日(土) 最近、目が疲れるねって言う詩仙の君を誘って、 今日は新緑デートです。 お互いに朝外来を終えて、東福寺駅で待ち合わせ。 君が「お仕事あるから着物はムリよ」って言うから、朝からずっと翠雨ですよ。 僕もお仕事終えて、急いでお京阪で君のもとへ。 このワクワク感 いいよね。 君のことしか考えてないなんて。 少年のまんまに若返っちゃったよ。 そして今日の君も、少年だった。 ボーイッシュに決めた君を見つけた瞬間に、僕は君が100倍好きになりました。 一番大きな傘を持ってきた僕に、君は傘を預けて。 緑雨には相合傘がよく似合います。 白壁ともみじの若葉と雨。 通天橋の眼下に広がる新緑を君の目に滴らせながら 西方浄土の雲間の向こうの神さまたちに、君の幸を祈る僕でした。 「明日の演目は、蟻通と千手と善知鳥だったけど、善知鳥まで観る?」と申し訳なさそうな君。 「そろそろ平安殿の葛餅の季節だから、千手を観てからお茶にしましょう」と僕。 君が善知鳥の地獄図が苦手なのはわかっていますよ。 だって、僕もだもの。 そしてね、いつまでも僕の千手でいて欲しいから。 「今夜は今井の親子丼を食べたいなぁ」と君。 「京橋まで、のんびり鈍行の旅ですか」と僕。 君の傘が僕の傘にもたれかかっていて、 君も僕の肩でいい気持ちに揺れていて。 ふたりの旅はゴットンゴットン 各駅停車で進みます。 千手・・・ 平清盛の五男、重衡は一の谷の合戦で捕えられ、一時鎌倉の狩野介宗茂(かのうすけむねもち)に預けられています。源頼朝はこの若武者に同情し、残り少ない命の彼を慰めるようにと自分の侍女の千手の前を遣わしました。ある春の雨の夜、宗茂は重衡を慰めるため酒を勧めにやって来ます。そこへ千手も訪れ重衡が先日頼朝に願い出た出家の望みがかなわぬことを告げます。これも南都の仏寺を焼いた罪業の報いかと嘆く重衡の心中を思いやり、千手は酒の酌をし、朗詠をうたいます。更にいつしか芽ばえた重衡への恋慕の情をこめて舞を舞ううち、重衡も心を開いて琵琶を弾じます。千手も嬉しく琴を合わせ、夜更けまで束の間の小宴を楽しみますが、翌朝、重衡は勅命によって都へ帰されることになります。千手は二度と再び会えぬであろう、その後姿を涙ながらに見送るのでした。 前世物語の続きです。 「アレンが海の中に一緒に入って泳ごうよ、って私を誘っています。彼はとってもニコニコしています。 私も海に入りました。私たちは小さい頃からこうやって一緒に泳いでいるのです」 「今、どんな気持ちですか?」 「楽しくて、とても幸せです」  玲子さんが目を閉じたまま微笑みました。私にもアンジェリカが笑っているのがわかりました。先生 が先へ進めました。 「それから、どうしていますか?」 「二人で遠くまで一緒に泳いでいって、沖でのんびりと過ごしてます」  アンジェリカが穏やかに答えました。頃合いを見計らって、先生が年代と場所を尋ねました。 「今、二人が泳いでいる年代は何年ですか?」 「八百九十四年です」 「その泳いでいる場所はどこですか? 世界地図が頭に浮かんで来て、二人が泳いでいる場所が赤く光 りますよ」 「ギリシャです」  アンジェリカがはっきりと答えました。先生はさらに時を進めました。 「それから、どうしていますか?」 「そこの海岸を離れて、私だけが大きな柱が立ち並んでいるところへ戻って行きました。そこは神殿で す。アレンはどこへ行ったのか、わかりません」 「神殿に帰ってきたら、そこはどうなっていますか?」 「何人かの人が掃除をしています。私は神殿の明るい部屋で服を着替えてから、気持ちも穏やかに緑の 美しい庭を歩いています」 「その神殿は、あなたの家なのですか?」 「たぶん・・・そうです」 「それから、どうしていますか?」 「白いひげのおじいさんが神殿の奥から出て来ました。たぶん私のおじいさんです。ブルーの目をした 優しい穏やかな人です。私はおじいさんのことが大好きです。おじいさんは何でも知っていて、みんな からとても尊敬されています。この国のとても偉い人なのです」  アンジェリカが誇らしげに答えました。 「そのおじいさんは、今のあなたが知っている人ですか?」  玲子さんはちょっと考えてから答えました。 「知りません」 「それから、どうしていますか?」 「私はおじいさんが何かを書いているのを見ています。おじいさんもたくさんの孫の中で、私が一番好 きなようです。私はおじいさんと何かを話しています」  先生はさらに時間を進めました。 「その日の夕食の場面に進んでください」 「長いテーブルにたくさんの人が並んでいます。ここにいるのは親族ばかりですが、お父さんはいませ ん。お母さんもどこかにいるような気がしますが、はっきりとは見えません」 「今日の夕食のメニューは何ですか?」 「木の器に入ったスープと固いパンが見えます」 「その夕食の場面にいる人たちの中に、今のあなたが知ってる人はいますか?」 「いないようです」 「では、アンジェリカさんの人生で一番幸せな場面に移ってください」 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.28.

いよいよ明日でお仕事は千秋楽です。 萬歳楽と言えない一年でしたが、新しい何かが始まろうとしている兆しを実感できています。 だからこそ、来年も良き年でありますやうに! と神さまたちにこころから感謝&祈願できる幸せを感じています。 来年早々に辞める看護師さんの身内にご不幸があって、金・土曜の外来は看護師なしでこなしています。 久々に点滴したり採血したり。在宅往診もひとりで廻って、いろいろな手配もして・・・と大忙しでした。 でも、これも来年の予行演習を神さまたちが今年の内にやっておきなはれ!ってチャンスをくれたものだと思っています。 いろんな問題点への対策をお正月の間にゆっくりと練ることが出来ますよね。 つまり、これでいいのだぁ!(この選択でいいのよ)ってことです。 今日一日ばたばたばたこさんと走り回っていて、体力的&気力的にムリがあるかな?と心配していたのですが、何だか30代の頃を思い出しながら難なくお仕事をこなしていました。 身体も気力も30代モードに若返ってくれたみたいで、とても楽しくお仕事ができました。 やれば出来ることをいつしか忘れてしまっていたけれど、今日、やってみれば出来たことがとてもうれしかったのです。 高齢者や認知症の人たちも同じですよね。 見た目や戸籍年齢だけでムリ!とレッテルはらずに、二世代、三世代前のお仕事をやらせてあげる。 出来たらすごい自信になります。喜びになります。 高齢も認知も後ずさりしちゃいます。 やっぱり年寄りはこき使わなくちゃ・・・と北風に向かって必死に自転車をこぎながら思いました。 奥山医院は明日 12月28日(土曜)午前診察までです。 新年は1月6日(月曜)からです。 妄想日記 4月27日 上天気 君の今日の着物は杜若で染めたような淡くやさしい紫色で。 僕は君のお父さんの残した大島を着て、君が選んでくれた帯は深紫。 平安貴族なペアルックだね。 イノダコーヒで京の朝食セットをいただいて。 朝から君と飲むコーヒーは最高だね。 今日の観世会の演目は「蘆刈」「杜若」「鵺」 「蘆刈、杜若は女ごころ繋がりでいいけれど、オチが鵺とは・・・なんだろうねぇ?」と僕。 「あら? 女は一皮むけば鵺だって言いたいの?」と君。 (まぁ、そうだけよねぇ・・・とは口が裂けても言えない僕ちゃん) 「唐衣 着つつ馴れにし 妻しあれば 遥々きぬる 旅をしぞ思ふ」(とごまかす)僕。 「あしからじ よからんとてぞ 別れにし なにか難波の浦は住み憂き」と、すごむ詩仙の君。 「君なくて あしかりけりと思ふにも いとど難波の浦は住み憂き」と泣きを入れる僕ちゃん。 「キャーオゥー」 イノダ本店のオウム君に助けられました。めでたし&めでたし。 今日のおやつにジャンボシュークリームを買って、春ものどかに観世会館まで歩きました。 スィーツですっきり許してくれる君が大好きです。 蘆刈・・・ 津の国の日下の里の住人の左衛門は貧乏の末、心ならずも妻を離縁します。妻は京の都に上って、さる高貴な人の若君の乳母となり、生活も安定したので、従者を伴って難波の浦へ下り、夫の行方を尋ねます。在所の者に聞いても、以前のところにはいないということで、途方にくれますが、しばらくの間、付近に逗留して夫を捜すことにします。一方、左衛門は落ちぶれて、芦を刈りそれを売り歩く男になっています。しかし、彼はその身の不遇を嘆くでも怨むでもなく、すべてを運命と割り切って、時に興じ物に戯れ、自分の生業に満足しています。そして、ある日妻の一行とも知らず、面白く囃しながら芦を売り、問われるままに、昔、仁徳天皇の皇居があった御津の浜の由来を語り、笠尽しの舞をまって見せます。いよいよ買ってもらった芦を渡す段になって、思いがけず妻の姿を見つけ、さすがに今の身の上を恥じて、近くの小屋に身を隠します。後を追おうとする従者をとどめ、妻は自分で夫に近づき、やさしく呼びかけます。夫婦は和歌を詠み交わして、心もうちとけ、再びめでたく結ばれます。装束も改めた左衛門は従者のすすめで、さわやかに祝儀の舞をまい、夫婦うち揃って京の都へ帰ってゆきます。 杜若・・・ 諸国を巡る僧が、三河国に着き、沢辺に咲く今を盛りの杜若を愛でていると、ひとりの女が現れ、ここは杜若の名所で八橋というところだと教えます。僧が八橋は古歌に詠まれたと聞くが、と水を向けると、女は、在原業平が『かきつばた』の五文字を句の上に置き、「からころも きつつ馴れにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」と旅の心を詠んだ故事を語ります。やがて日も暮れ、女は侘び住まいながら一夜の宿を貸そう、と僧を自分の庵に案内します。 女はそこで装いを替え、美しく輝く唐衣を着て、透額の冠を戴いた雅びな姿で現れます。唐衣は先ほどの和歌に詠まれた高子の后のもの、冠は歌を詠んだ業平のものと告げ、この自分は杜若の精であると明かします。 杜若の精は、業平が歌舞の菩薩の化身として現れ、衆生済度の光を振りまく存在であり、その和歌の言葉は非情の草木をも救いに導く力を持つと語ります。そして、伊勢物語に記された業平の恋や歌を引きながら、幻想的でつややかな舞を舞います。やがて杜若の精は、草木を含めてすべてを仏に導く法を授かり、悟りの境地を得たとして、夜明けと共に姿を消すのでした。 鵺・・・ 熊野から京都をめざしていた旅の僧が、摂津国芦屋の里に着き、里人に宿泊先を求めますが断られます。僧は、里人から紹介された川沿いの御堂に泊まることにしました。夜半、そこに埋もれ木のような舟が一艘漕ぎ寄せ、姿の定まらない怪しげな舟人が現れ、僧と言葉を交わします。はじめ正体を明かさなかった舟人も、「人間ではないだろう、名は?」と問いかける僧に、自分は怪物・鵺の亡霊であると明かします。そして、近衛天皇の御代に天皇を病魔に陥らせたところ、源頼政に射抜かれ退治された、という顛末を語り、僧に回向を頼んで夜の波間に消えていきました。 しばらくして様子を見にきた里人は、改めて頼政の鵺退治の話を語り、退治されて淀川に流された鵺がしばらくこの地に滞留していたと僧に伝えます。話を聞いた僧が読経して鵺を弔っていると、鵺の亡霊がもとのかたちで姿を現します。鵺の亡霊は、頼政は鵺退治で名を上げ、帝より獅子王の名を持つ名剣を賜ったが、自分はうつほ舟に押し込められ、暗い水底に流されたと語ります。そして、山の端にかかる月のように我が身を照らし救い給えと願いながら、月とともに闇へと沈んでいくのでした。 見終わって、今日はふたり 「ちょっと新緑で一息つけようよ」と平安神宮神苑を散策しました。 南神苑の枝垂れ山桜が見事に満開で、鵺と共に沈んだ気持ちが 晴れました。 「あっ 杜若が咲いてるわ」と詩仙の君。 「白虎の杜若だね」と僕。 泰平閣に腰かけて、しばし休憩。 水ぬるんだ風が春の夕日に揺れていて、とてもきれいでした。 「あそこに鵺がいるわよ」と笑いながら指さす君。 「ほんまや」と笑い返す僕。 ポチャン 亀もびっくりしたのか、あきれたのか・・・春はなんでも幸せ色に染まります。 明後日は詩仙の君のお誕生日。 だから今夜は吉田山荘でディナーでした。 京の会席料理を堪能しながらの、初めてのハッピーバースディ。 お揃いの裏菊紋の浴衣が僕からのプレゼント。 「来年はここに泊まりたいなぁ」と君が甘えて。 「秋の僕の誕生日にお泊まりしましょう」とプレイボーイな僕ちゃん。 「それって プロポーズ?」と嬉しそうな君の目にうっとり・・・ 「・・・ ・・・・」 食前酒がまわってきて、何を言ったか・・覚えていない僕ちゃんでした。 気がつけば・・・ 「大丈夫よ」って詩仙の君の微笑みの中に・・・ <続く> 「前世物語」の続きです。 先生がオーケーの合図をくれました。私はメモを始めました。 次第に先生の目が半開眼になっていきます。 ここからはワークがうまくいっている限り、先生が私の方を見ることはありません。 まるで先生も患者さんの過去生を一緒に見ている様な感じがしてきます。 でも先生は私にさえ、患者さんの過去生が見えているのかどうか、本当のことを教えてはくれません。 「その岩をしっかりと踏みしめて。足は何か履いていますか?」 「素足に茶色の革のサンダルを履いています」  先生はゆっくりと過去生の身体に意識を集中させました。 「膝まで見て、感じてください。膝はどうですか? 膝まで服がありますか?」 「膝まで何か着ています」 「太股から腰、お尻まで見て、感じて。下半身はどんなものを着ていますか?」 「白い布を巻きつけているような感じです。軽くて清潔な服です」 「ベルトはしていますか?」 「ベルトはしていません」 「腰からお腹、胸、肩まで見て、感じて。上半身はどんなものを着ていますか?」 「ワンピースみたいな白い布です。丸首でノースリーブです。軽くてサラサラしています」 「腕から手を見ていきましょう。右手、左手に何か持っていますか?」 「何も持っていません」 「手を見てください。肌の色は何色ですか?」 「白い肌です」 「その手で頭を触ってみてください。何かかぶっていますか?」  「何もありません」 「髪の毛はどうですか?」 「長いブロンドの髪を金と銀の輪のようなもので縛っています」 「顔の輪郭はどうですか?」 「面長です」 「目の色はどうですか?」 「ブルーです」 「その人は、男ですか、女ですか?」 「女です」 「今、そこの時間帯は何ですか? 朝、昼、夕、夜で言うと、どうですか?」 「お昼です」 「今日の天気はどうですか? 晴れ、曇り、雨、雪で言うと?」 「晴れです」 「暑い、寒い、涼しいはありますか?」 「気持ちいいです」  玲子さんは過去生での気持ちのいい空気をいっぱい吸い込むような大きな呼吸をしました。 先生は彼女の深呼吸に合わせて、玲子さんを過去生の女性に同化させました。 「あなたの意識はキグルミに入るように、その女の人の中にしっかりと入ります。その女の人のブルー の目でまわりを見ると、どんな風景が見えますか?」 「青い海が見えます。反対側にはゴツゴツした岩ばかりの陸地が続いています。海で男の人が泳いでい ます。私の知っている人です」 「その男の人はどんな格好をしていますか?」 「黒い髪で目は茶色です。白い肌に何か薄い服を着て泳いでいます。とても楽しそうです」  玲子さんの声がいくぶん鼻にかかった高い声に変わったような気がしました。先生はさらに深く同化 していきます。 「彼の名前は何と言いますか?」 「名前はアレンです」 「では、あなたの名前は?」 「アンジェリカ」 「あなたの年齢はいくつですか?」 「十九歳です」 「アレンさんとあなたの関係は何ですか?」 「恋人です」  先生が彼女の意識を分割して、玲子さんに尋ねました。 「アレンさんは、今のあなたが知っている人ですか?」 「わかりません」  彼女はちょっとがっかりした玲子さんの口調で答えました。先生は海辺の二人の時間に割り込んで言 いました。 「そのまま場面を進めてください。それから二人はどうしていますか?」 <明日に続く>

2013年12月27日金曜日

おはようさん 2013.12.27.

今日は中度の認知症・肝癌・重度の心不全の実母をケアハウスに入所させてきました。 先日、突然死した実父にずっとずっと言葉の虐待を受け続けてきた母でした。 認知症も肝癌も心不全も、肝欝気滞&肝火上炎が大きなファクターだったと思います。 父が亡くなってストレスが減ったので、ちょっとは各症状が持ち直すかな?と思いながら実家まで往診していましたが、急激に認知症と心不全が憎悪して・・・入院となっていました。 思うに、よくあるケースなのですが、虐待下の環境と虐待者への依存に慣れてしまって、その悲惨な環境で生き延びるホメオスターシスが出来てしまっていたのでしょう。 年明けからはほぼ毎日、デイケアに通います。 みんなで食事を作って、食べて、後片付けをして、洗濯物をたたんで・・・という日常生活に即したデイケアなので、きっと残りの人生をおおらかに過ごすことが出来ると思います。 私も週に数回、往診して、鍼をしようと思っています。 目標は肝癌の消滅。 心不全が強いので、あまり強い鍼は出来ませんが、蓮風先生の鍼を参考にさせていただきながら、照海への金鍉針の外射法・百会への瀉法・後渓への銀の古代鍼の瀉法・腹部への夢分流打鍼法などを行っていこうと思っています。 80才過ぎたら、癌になっても抗がん剤や放射線治療などの侵襲ある治療法は受けずに、鍼灸で免疫力と生命力を無理なく補いながら、病気とケンカせずに何となく仲良く、天寿を全うできたらいいんじゃないかなって思っています。 ちょっと以前に「ホスピスをやりたい!」と天に向かって宣言しましたが、早速、神さまから最初のお試し患者さんをいただいたように感じています。 母は肝癌よりも心不全で亡くなると思いますが、その日が来るまで、認知がちょっと良くなり、新しいお友だちが増えて、毎日が楽しみになって、笑いながら過ごしてくれれば幸いだと思います。 鍼には、それだけの力、天寿の力があると感じています。 クリスマス気分で戯れに書き始めた「妄想日記」が一部コアーな読者の皆様に大変ご好評の様子で・・・今日も今日とて・・・続きです(エエンカイナ コンナンデ?) 妄想日記 H26年3月23日 今日は詩仙の君と夜桜デート。 いつもの駅で待ち合わせして、 SIZUYAでほわほわクリームパンとふんわりオムレツサンドを買って観世会館へ。 も古都の朝はもうほんわか春の氣で満ちあふれていました。 萌葱色の着物に詩仙の君の薄紅色の頬が美しく映えていて。 「今年の世界100美人顔のぶっちぎりトップやぁ。美しい。美しすぎるわぁ」 最近はカメラのファインダーをのぞいていなくても、これくらい恐ろしいことをぺらぺら喋れるように進化した僕ちゃん。 「あほ ばっかり」と照れながらポーズをとる詩仙ちゃん。 いつもの満足稲荷さんにふたり並んでお参りして。 チリンチリンチリン パンパン そして神さまの前でふたり向き合って・・・ パンパン  満足&満足 この時の君の瞳には、愛も笑も許も認も信も輪も和も まあるい虹となって輝いているんだ。 君にしか見せてないけど、これはピューリッツァー賞まちがいなし!の僕のお宝写真なんだよ。 今日の演目は「忠度」「羽衣」「鞍馬天狗」 ふたりのお目当てはやっぱり「羽衣」 では解説を・・・ 春の朝、三保の松原に住む漁師・白龍は、仲間と釣りに出た折に、松の枝に掛かった美しい衣を見つけます。家宝にするため持ち帰ろうとした白龍に、天女が現れて声をかけ、その羽衣を返して欲しいと頼みます。白龍は、はじめ聞き入れず返そうとしませんでしたが、「それがないと、天に帰れない」と悲しむ天女の姿に心を動かされ、天女の舞を見せてもらう代わりに、衣を返すことにします。 羽衣を着た天女は、月宮の様子を表す舞いなどを見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞にまぎれて消えていきました。(the能com.より) 見終わって、言葉がでない ふたりでした。 「白龍と似てるわよね」と詩仙の君。 「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返す僕。 「あなたはやっぱり天人だわ」と君。 「君も天女だよ」と僕。 ななめうしろのおばさんが思わず吹き出して くれました。 鞍馬天狗でアップテンポになったまま、いつもの平安殿でいつものお善哉をいただいて。 もちろんいつもの舌のとろけるおはぎさんもお土産に買って。 観世会館横の川縁の見事な桜を背景に、詩仙の君の初桜写真を撮りました。 ローライ君でお互いに撮りあいっこ。 二人並んでのピンホールカメラの記念写真にもチャレンジしました。 とっても 楽しかったね。 夜桜は東寺桜へ。 まだ三分咲だったので人影もまばらで。 「明日こそ咲かむっていう、この氣が好きなの」と詩仙の君。 目を閉じている君が見ている満開の東寺桜が僕にもちゃんと見えてるよ。 君は東寺桜に駆け寄って、ひらりと巨木に背を向けると・・・ 待てしばし待てしばし 夜はまだ深きぞ 白むは花の 影なり 外はまだをぐらの   山陰に残る夜桜の 花の枕の 夢は覚めにけり 夢は覚めにけり 嵐も雪も散り敷くや 花を踏んでは 同じく惜しむ少年の 春の夜は明けにけり 翁さびて跡もなし 翁さびて跡もなし それは静かな静かな天女の舞でした。 「今度はあなたの番よ」と君のウインクに応えて・・・ もうすぐ春の会でお披露目する「吉野天女」を東寺桜に向かって謡う僕。 「あなたの吉野天女、大好き! ほら、桜の精たちが喜んで、いっぱい降りてきてるわよ」とはしゃいでくれる君。 詩仙のお家の床の間の掛け軸も「桜」 一枝の桜が見事にモノトーンの美で描かれているのを見て、 「これだよ! これだ! 桜をモノクロで撮るって、去年の自分への宿題だったんだけど、できなかったんだ。これだよ!これ!」と興奮しまくりの僕ちゃん。 「へへへ、だと思った」と小悪魔な君。 今夜は僕が薄茶を点てて、おはぎをいただいて。 静かな静かな桜色の夜。 「ひと舞 謡って」と君。 ご所望の吉野天女を謡う僕。やわらかに たよやかに舞う詩仙の君。 舞終わっての静寂の中に、いくつの銀河が生まれたことでしょう。 「吉野太夫でした」と頬染める君に・・・ その夜、馴染みとなった君と僕でした。 <続く> 「前世物語」の続きです。  先生はいつも通りの挨拶抜きで、いきなり切り出しました。 先生は二時間という限られた時間内のワークでは時間を切り詰めれるところは出来るだけ切り詰めて、患者さんがたくさんの気づきと素晴らしい体験を持ち帰っていただけるように心がけておられます。 最近ではワークの内容もどんどん進歩して、とても幅広く深遠な内容になっております。 「ダイアモンドの輝きのようなワークですね」と称賛して下さった方がおられました。 その輝きこそが患者さんへの愛を支える私たちの原動力となっています。 「ソウルメイトに会いたいんです!」  玲子さんは先生をしっかりと見据えて言い切りました。 「ソウルメイトですね。あなたにとって誰か特定の人はいますか? 心当たりの人ですね。例えば、恋 人とかがいれば、その人との関係が最もよくわかる過去生へ戻りましょう、という誘導になりますが、 どうですか?」  ここだけの話、先生は「ソウルメイトとの関係」はあまりお好きではありません。 なにしろソウルメイトすなわちラブラブの関係だ、と思い込んで来られる方々がとても大勢おいでになられます。 聞いているだけで貰い泣きしてしまうような素晴らしいワークもあります。 でも、せっかく光との対話を通じてソウルメイトの真実の意味に触れることが出来ても、ワークが終わると「結局、ソウルメイトが誰だか、わかんなかったわ。私のワークは失敗だわ」と思われるケースもあるのです。 「気づいてもらえそうにないなぁ」  そんな時、私は消耗した先生の精神的なフォースが悲しみから慈悲へと変化していくのを静かに見守 ることしか出来ません。今も先生のフォースにちょっぴり揺らぎが生じています。 「いいえ、まだ出会っていない人です。この人生でソウルメイトに出会えるかどうか、ただそれだけが 知りたいのです」  玲子さんはリラックスチェアーから身を乗り出して訴えかけました。 「では、ソウルメイトが最もよくわかる過去生へ戻りましょう、という誘導になりますがいいですか?」  彼女は大きく頷いて息を吐きました。彼女の目から漸ようやく陽炎が薄らいでいきました。先生がもう一度繰り返しました。 「それでは、ソウルメイトが最も良くわかる過去生へ戻ります、という誘導になります。これを何回も 繰り返して、過去生へ降りて行きますからね」  玲子さんはすでに自ら瞑想状態に入りつつありました。 先生はいつものように過去生への催眠誘導を始めました。 彼女の呼吸がどんどん小さくなっていきます。 彼女はやがて深く良好な催眠状態へと入りました。 地球と宇宙のエネルギーに繋げ、そしてひとつになる長い誘導の後、先生は玲子さんに尋ね始めまし た。 「今、あなたはソウルメイトが最もよくわかる過去生に戻っています。地面を見て、地面を感じて。ど んな地面が見えますか、感じますか?」  玲子さんは小さな声でポツリポツリと答え始めました。 「ゴツゴツした岩の上にいます。海辺の大きな岩の上に立っています。濡れた灰色の岩の上です」 <明日に続く>

2013年12月26日木曜日

おはようさん 2013.12.26.

もうちょっとでクリスマスが終わる静かな夜に・・・ 今日の外来の患者さんたちの顔を思い浮かべると、みんな 優しいお顔やったなぁって思います。 幸せなクリスマスでした。ありがとう。 昨日の妄想日記。  深野師匠からほとんど実話やんかって大阪人もびっくりなつっこみをいただきましたので、今日も妄想日記の続きを書きますね。 クリスマス気分のまま、お楽しみくださいませ。 妄想日記 1月12日 今日は詩仙の君とのデートだった。 能楽大連吟「高砂」の夜からずっと、FBと電話で毎日、長話してるけど、やっぱり会いたいよね。 初デートはスタレビ・コンサート。 弟に渡していたチケットを急いで送り返してもらっての初デート(おかげで詩仙の君のこと、バレバレになっちゃったけど。身内だからええよね) 真新しいフェスティバルホールが、真新しいキラキラ目をしたカップルを温かく迎えてくれましたよ。 「スターダスト・レビュー。もう一度抱きしめて でしょう?」 木蓮の涙って言わないところに感激な僕ちゃん。 「今日はアカペラ&アコースティックライブなんだけど、きっとこれも神さまからのクリスマスプレゼントだよね」と僕。 君がとっても涙もろいのがうれしかったなぁ。 2回目はアルフィーの大阪城コンサート。 コンサートばっかりで嫌がられるかな?って心配だったんだけど、未知の世界にワクワクしながら飛び込んでくる君に・・・脱帽です。 「ロックも好きなのよ!」ってノリノリな君の姿にずっと見とれていました。 「リズム感、すごくええよね。仕舞を見せてもらうのが楽しみやなぁ」と相変わらずとんちんかんな話をする僕ちゃん。 「仕舞は父譲りなの。父の形見だと思って続けてます。踊るのが好きなんですよね。AKBだって踊れるわよ」と胸ハートする詩仙の君。 「じゃぁ 恋チューン 一緒に踊らなくちゃ」とダブル妄想幻覚な僕ちゃん。 そして、いくつもの会瀬を楽しみながら・・・ 今日は京都観世会館の月例会でした。 いつもの三条駅で待ち合わせして。 真っ白な叡山がとってもきれい。 今日の演目は「翁」「右近」「西行桜」「岩船」で。 詩仙の君のお目当ては「西行桜」で僕は「翁」 ふたり、もう声が出ないくらいの大満足でした。 お昼は平安殿でお善哉をいただいて。 もちろんお土産は舌のとろけるおはぎさん。 この日、初めて詩仙の君のお家に招いていただきました。 詩仙の君は裏千家。「よかった。合いの手でちぐはぐしないぜ!」と喜ぶ僕ちゃん。 とろけるおはぎ とろけるお抹茶 とろけた僕ちゃん。 詩仙の君が西行桜を舞ってくれました。 美が とろけます。 「春には西行桜を謡うから、お花見に行こうね」と僕ちゃん。 満面の笑みの君。 「深野師匠! またご無理を言いまするぅぅ」 詩仙の君のお父さんの仏壇の前で「翁」を謡う僕。 「父はお能が大好きでした。どんなに忙しくてもお正月の観世会館には通っていたのを思い出しました。今日、わかったの。あなたと同じ。翁に浸りたかったんだって」と寂しそうな君の声に、 「お父さんの前で翁を謡いましょう」と僕。 神歌の謡本を開いて、聞き覚えたまんまに謡います。 「とうとうたらり たらりら たらりあがりら らりとう」 「ちりやたらり たらりら たらりあがりら らりとう」  仏壇のろうそくの炎が、ゆっくりと舞い始めました。 翁がふたりの仲を強く取り持ってくれた夜でした。 <明日に続く> 新しい一年が始まりました。 「前世物語」を新聞連載小説ふうに毎日、掲載していこうと思います。 今日はその初日。   キャスト 先生・・・脳外科と東洋医学の専門医だが、心療内科の一環として過去生退行催眠を行なっている開業 医。頑固でわがまま、関西人の血が濃い。何を考えているのか、誰にもわからない。 美子よしこ・・・先生の高校時代の同級生+他にも秘密がありそう? 長い間、先生とは音信不通であったが、あるきっかけで半年前から先生のアシスタントをしている。精神世界はズブの素人だけに興味津々が強すぎて簡単に洗脳されてしまうタイプの見本。こうならないように気をつけなくては・・・ 美穂・・・美子の娘。母よりよっほどしっかりしている様子。京大心理学教室に通っている学生。純真 な母の良き理解者でもある。 第一章    ソウルメイト 「こんにちは。今日はホントに暑いですね」  真夏のワークに来られる患者さんは、緊張と暑さでヘトヘトになって来られます。 先生のアシスタントとしては、患者さんが待ちに待ったワークをうまく進めることが出来るように、出会いの一言に思いっきりの笑顔と愛を注いでおります。 患者さんが待合のソファーに腰掛けていただいた時から、どんどんリラックスしていただけるように心がけております。  「美子さんの前催眠は、いつ聞いても心がこもっているね」 ワークの前の瞑想を終えた先生が優しく声をかけてくれました。 汗を拭き拭きやって来た患者さんは待合のソファーに赤いギグバッグを投げ出して、左手のミネラル ウォーターで息を整えていました。 最後までリハビリをしていたおばあさんが帰って、ようやく静かになった待合に真夏の太陽のころがる音がしました。そこには陽炎かげろうが残っていました。 「一時の予約の佐藤玲子です。よろしくお願いします」 私は冷たいおしぼりを手渡しながら声をかけました。 「暑かったでしょう。歩いて来られたんですか? 少し休まれてから、受付けをしましょうね」 玲子さんは安心の大きな溜息をつきました。 昼下がりの待合に、まったりとした時間が流れます。 彼女は仙台に住む三十四歳のOLでした。 「ありがとうございます。やっと汗がひいてきました」 一時のチャイムが鳴りました。今日の曲はマイ・ウェイです。 「玲子さん、マイ・ウェイはラッキーチャイムなのよ。よかったわねぇ」 「えっ、そうなんですか。よかった。実は何だか心細かったんです」 彼女は陽炎の残った目でニッコリと微笑みました。 私は玲子さんをワークの部屋へ案内しました。 心のバックミラーに先生の「グー」のサインが見えました。 今日も良いワークが出来そうです。 こうして玲子さんのワークが始まりました。 「美子さん、準備はいいですか?」 私はわざと無表情にグーのサインを返しました。 「今日はどんな問題を解決しようと思って来ましたか? どんな過去生を見ようと思って来ましたか?」 <明日に続く>

2013年12月25日水曜日

おはようさん 2013.12.25.

みなさん、メリークリスマス! クリスマスイブののんびりお風呂で、妄想日記が降ってきました。 クリスマスイブやし、今日は妄想三昧でお楽しみくださいませ。 妄想日記 H2511月5日 今夜は京都能楽大連吟「高砂」の小稽古だった。 一年ぶりの四条烏丸 京町屋さん。深野師匠のお稽古だった。 ちょっと早めに着いて、楽しみにしていたイノダコーヒでオムライスをいただいた。 もちろんデミグラスソースをチョイス! 使い古したフライパンの香りが黒光りしていて。喫茶店のオムライスの味わいがたまらない。 京町屋さんは一年前と変わらず。その変わらなさに、ちょっと心打たれたりして。 去年は膝を痛めていて、縁側のイス席でお稽古してたっけ。 今年は堂々と師匠の前に陣取って。 小一時間の正座できるかなぁ? まぁええか。 「お隣、よろしいですか?」 振り返ると・・・超美人さんが微笑んでいるではありませんか! 「どうぞ&どうぞ」 しどろもどろな・・・僕。 そのキラキラ輝く瞳に吸い込まれながら、 「初めてですか?」と僕。 「ずっと舞は習っているんですが、謡いは初めてなんです」と君。 僕の手元にあった「高砂」の謡本に目をやりながら、 「もう長いのですか?」と君。 「去年からの二年目です」と僕。 「謡いは西洋音階に治せないんですってねぇ」と君。 おっ! むちゃくちゃ切れますやん。こういうタイプ、好きやぁ・・・ 「難しいですよね。音階らしきものも4つしかないし・・・」と師匠の強吟のレクチャーを思い出しながら何とか応じている僕ちゃん。 「確かに西洋音階には治せないですよね」・・・あかん、支離滅裂になっとる僕ちゃん。。。 そして、深野師匠が水入り 「では、お稽古を始めます」  ・・・なんか・・・ゴングに救われたような・・・やるせない・・・気持ち・・・。 お稽古終わって、しびれた足を治して、座布団のお片付けを手伝っていたら・・・もう君はいなかった。 妄想日記 H25年11月19日 今夜も大連吟「高砂」の小稽古で京町屋さんへ。 今夜は外来が長引いて、イノダで夕食できず。 う〜ん、残念。あばずれのナポリタンにしようと決めてたのに。。。 町屋さんのお座敷のいつもの場所、そう、今夜も深野師匠の真ん前へ。 「あら? こんばんわ!」 振り返ると、そこにスローモーションで微笑みながら僕のとなりに座った君がいて。 (まさか会えるとは思ってもみなかったので、ドキドキが一気にMAXハイテンションに) 「そろそろ紅葉が楽しみですね」と僕。 「友だちが詩仙堂に行ってきたけど、すごい人だったんですって」と君。 「詩仙堂はきれいですよね。僕のベストスポットのひとつなんです」と僕。 (古都の紅葉ネタなら外さないぜ!) 「私、詩仙堂に行ったこと、ないんです。地元に住んでるのにねぇ」と君。 (おっ、京都人やね) 「詩仙堂に向かって左手に曲がったところにあるお寺の庭紅葉も最高ですよ」と僕。 (圓光寺のこと。おけいはんの紅葉ポスターにもなったことのある美しさ) 以下、延々と古都の紅葉スポットのこと。 そして、写真のこと・・・中判カメラのことを熱く語ってしまってました。。。 「私、写真のこと、よくわからないんです」と詩仙の君。 あちゃぁぁぁ やってしもうたぁぁぁ シーザスクライスト!!! でも、詩仙の君の目はキラキラ やさしかった。。。 「では、お稽古を始めます」と師匠の助け船が。 お稽古の最中、右隣の声に意識を向けていると・・・詩仙の君はアルトだね。う〜ん、低音がよく響いていて、ええ声やわぁ ・・・と、みんなの謡いからはずれかけて、慌てて謡本を見る(ふりする)僕ちゃん。 はりきって、いつもより声出して謡うもんだから、急にむせかえる(アホな)僕ちゃん。 お稽古終わって、深野師匠とお話してたら・・・詩仙の君はもういなかった。。。 妄想日記 H25年12月22日 今日は能楽大連吟「高砂」の本番だ。 会場の百万遍 知恩寺は高校駅伝のコースに当たるとのことで、ワーゲン君は断念して、おけいはんで出町柳まで乗り込むことにした。 無事に帰るまで紋付き袴が着崩れしないか・・・心配だ。 出町柳に早く着いたので、出町柳商店街のふたばまで歩いていって、冬至餅と豆餅とかぶき団子を買った。去年の本番と同様に、これを昼食代わりにするつもり。 本堂内は撮影禁止とのことだったけど、やっぱりローライフレックスをお供に持ってきた。 こういう時に限って、撮りたいものがあるんだよね。 楽屋の大広間に着物姿の人たちが集まってきた。 女性陣は8割方はお着物で。 着物姿の女性美がこの歳になって、ようやくわかりかけてきた僕ちゃんです。 そう、詩仙の君も舞をやっているからには、着物だろうな。 見渡しても・・・う〜ん、わからないなぁ。 そしてリハーサル。本堂はやっぱり寒かったぁ、ぶるぶる。 私はもちろんイス席。ご本尊さまに向かって左の後方でした。 リハーサルが終わって楽屋への帰りに・・・OH MY GOD! ばったりと詩仙の君と鉢合わせに! なんとシックな洋服姿じゃないですか! う〜ん、気品高さがたまりませんよ。 「あら、こんにちは!」と弥勒菩薩のほほえみがえしの君。 「お昼ごはん、これからですか?」と僕。 「もう済みました」と詩仙の君。 「先日のカメラを持ってきたので、一枚、撮らせていただけますか?」と僕ちゃん。 「えっ! どんなカメラなんですか? 見せてくださいますか?」と詩仙ちゃん。 (楽屋で見せると、おばちゃんたちも集まってくるぞって天の声) 「ちょっと寒いけど、この中庭の石庭がとってもきれいだから、そこで撮らせてもらいましょう」 まるで藤田一咲師匠が乗り移ったかのようなナンパな僕ちゃん。 「ええ、お願いします」と詩仙の君。 まずはローライ君を触ってもらって、のぞいてもらって 「わぁ、すご〜〜い」とキラキラ声の詩仙ちゃん。 「左右 逆に見えるんですねぇ。すごいなぁ」 「これをのぞいたら、もう中判カメラの虜ですよ」と僕ちゃん。 「私、ちっちゃなデジカメでしか撮ったこと、なかったけど、ちゃんとしたカメラってすごいですねぇ」と詩仙ちゃん。 「このカメラは紅葉や風景もきれいに写るんですが、何より美人は最高に美人に写るんですよ」と一咲オーラばりばりの僕ちゃん。 「ちょっと撮らせてくださいね」とローライを構える僕ちゃん。 「なんか、いいですね。やさしい感じがしてる。なんだか撮られたいなって気持ちになっちゃいます」とニコニコ顔の詩仙ちゃん。 いろんなポーズをとってもらいながら・・・中判12枚なんてアッという間で。 「へぇ、そうやってフィルムを入れ替えるんですねぇ」と興味津々な詩仙ちゃん。 「次は縁側に腰掛けて、恋しい人を想うように微笑んでくれますか」とノリノリな僕ちゃん。 それに素直に応じてくれる詩仙ちゃん。 ブローニー2本撮り終わって・・・「ありがとう! ちょっと休憩しましょう。ええもん、あるんですよ」と僕ちゃん。 「わぁ、ふたばの豆餅!」と、はしゃいでくれる詩仙ちゃん。 冬の石庭を眺めながら、縁側に座って豆餅を食べるふたり。 今日一番のナイスショット!を心に焼き付けた僕ちゃん。 「お寺さんですか?」とうれしそうに君。 「へへへ、そう見えるでしょう、坊主頭だから。これでも元は脳外科医、今は何でも屋さんの町医者ですけど」とニコニコな僕。 「えっ!」と驚きながら僕を指さす詩仙の君。 「あなたのお仕事は?」と返す僕ちゃん。 「私の父も脳外科医だったんです。私は内科で父の後を継いで診療所をやっています」と詩仙の君。 「じぇじぇじぇ!」と僕ちゃん。 「ご結婚は?」と詩仙の君。 「バツ2なんです」と頭をかく僕ちゃん。 「私もバツ1」と無邪気に笑う詩仙の君ちゃん。 大笑いがふたりそろっての初仕事になりました。 「お友だち、いいや、最初から恋人でお付き合いしていただけませんか?」と何かが乗り移った僕ちゃん。 「ええ、私もずっと貴方のことが気になってたんです。よろしくお願いします」と詩仙の君。 「高砂や、この浦ぶねに帆をあげて・・・」 楽屋から高砂が聞こえてきました。 「順風満帆やね」 詩仙の君の手のぬくもりが春風を呼んできてくれました。 高砂や ああ高砂や 高砂や (上記、妄想日記のすべてフィクションです。登場人物はすべて架空のイメージです) <今日もコンタクトの続きです>  彼女はまだ納得できない顔つきで聞いています。ここで説得してはいけない、自分の人生は自分で選ばなくてはいけない、しかし彼女とその家族には未来の夫が命がけで作ってくれた道を選んで欲しい。そう思いながら私は話を続けました。 「ある患者さんの前世療法ワークの最中に、神さまにいろいろ尋ねることができました。大地震の時、間一髪で助かる人と死ぬ人がいます。神さまはどうやって瞬時に助かる人と死ぬ人を区別できるのですか? 神さまはこう答えました。助かる人は光っている。だから簡単に私が助けるべき人が分かるのだ。その光はとてもはっきりとしているから、私が間違えたり見落としたりすることはない。  あなたの夫の事故でも、同じ車両に乗っていて助かった人もいるわけです。そして、あなたの夫は未来の娘の命と引き換えに、そこで死ぬ運命にありました。あなたの夫の光が消えていたのは、夫の魂が未熟だったとか、汚れていたわけでは決してありません。愛する娘を助けるために自らの手で光を覆い隠して神さまの目に触れないようにしていたのでしょう。神さまはその夫の命を受け取られて、今日、ここであなたに娘の未来の命として託されたのです。あなたの夫が自らの光を消して死を受け入れたことは無償の愛に他ありません。それは今の夫の意思ではなく、未来の夫の意思なのです。だからどうしても今の夫のエネルギーを感じると、悲しくなったり、辛くなったり、寂しくなったりするかもしれません。でも、最高の愛に挑んだ未来の夫を信じてあげてください。未来の夫を信じて、彼が命がけで作った新しい人生を歩んで行ってください。アキコさんが十八の検査を受けた日からは、きっと喜びと感謝に満ちた夫のエネルギーを感じることができますよ。そして、アキコさんが元気に二十歳の誕生日を迎えたその時、あなたの夫は無償の愛を極め、神々の祝福を浴びることでしょう。  今のあなたには辛過ぎるかもしれません。でも、あなたもまた、どんな逆境に陥っても彼を信じ続けることができるか、を試されているのです。あなたはこれからの十年で人を信じる愛を極めようとしているのです。四人の子供たちを信じ、亡くなってしまった夫を信じて愛を磨き上げようとしているのです」  彼女は涙しながら、しっかりとうなずいてくれました。私は彼女が神さまから託された仕事についても触れました。 「タカシさんと一緒の事故で亡くなった方々へメッセージを伝えることは覚えていますか?」  彼女は困った顔をしたまま言いました。 「あれははっきりと覚えています。亡くなった方からのメッセージを大切な方へ伝えることがこれからの私の使命だ、と言われました。今でも不思議とその意味はよく分かります。お預かりしたメッセージは今は言えませんが、神さまがおっしゃったように、ご遺族の中の大切な方とお会いした時に、私の心のどこか奥底に眠っているメッセージが自然に浮かび上がってきて、私の口から言葉となって出てくるのです・・・こんなふうに出来るからね、って私がメッセージを伝えているヴィジョンもひとつだけ見せてもらいました、黙っていましたけど・・・でも心配なのです・・・タカシさんも神さまも大丈夫、出来るから、心配いらないよ、って言ってくれていますけど・・・やっぱり自信ないのです」  彼女は大きな溜息をつきました。 「同じ遺族ですけど、見ず知らずの方ばかりです。悲しみに打ちひしがれている方に突然、あなたが失った愛する方の死には意味があります、なんて言って良いものなのでしょうか・・・亡くなった方からのメッセージを届けに参りました、と言っても誰も信じてくれないと思います・・・そんなことをしたら、残された方々の悲しみを余計に深くしたり、ひどく怒らせたりするのではないでしょうか・・・私を神さまが見守っていてくれて、タカシさんが一緒にいてくれる、とは言ってくれましたけど、もちろん私はそれを信じていますけど、他の誰にもそれは見えないし感じられないことでしょう・・・誰だって変だと思いますよ、怪しい話だ、危ない人だと思われて終わってしまいますよ・・・どうしてもうまくいくとは思えないのです・・・」  彼女はうつむいたまま黙り込んでしまいました。私は彼女をじっと見つめたまま言いました。 「あなたは今、タカシさんや神さまとした話の内容を左脳で考えていますね。世の中の常識で考えて前へ進むのをためらっています。普段のワークでしたら、後戻りするのも人生の選択のひとつですから、それはそれで構いませんよ、あなたの選択はどれも正しいのです、と言ってあげれます。でも、あなたの場合は違います。あなたの娘さんの命がかかっています。夫と共に亡くなられた多くの方々の『今、死んだ意味』と残された方々が『進むべき未来』が託されています。神さまはここでこうやって迷い、後ずさりしようとしているあなたのことをお見通しです。それでもあなたは前へ進んでいく勇気と愛を持っていることに神さまは賭けているのです。たくさんの方々の命の重さを賭けられたあなたは大変でしょう。しかし、あなたにはそれだけの力が備わっているのです。だから不思議な縁で四人の子供たちの母親となり、突然、夫を亡くしたけれど、その悲しみを背負いながらも神さまからの遺族に宛てたメッセージを携えて、多くの方々に新しい光を届けて歩く天職を得たのです。それは気高い巡礼です。昔から選ばれた人にだけ与えられた聖なる巡礼なのです」  彼女は顔をあげて涙を拭きました。目に輝きが戻ってきました。私は彼女の目の中に見えるヴィジョンを伝えました。 「巡礼の旅に出ているあなたが見えますよ。あなたの両脇には笑顔の夫と神さまが見えます。ちゃんとあなたを守っていてくれますよ。そして・・・あなたがたの後ろに大勢の人たちが付き従っています。あの事故で亡くなった方々でしょう。でも、みなさんも明るい顔をしています。きっとあなたの巡礼の旅が終わる時、自らの死の意味が成就され、愛を完結した魂が鳥のように軽々と羽ばたいて大空高く、輝く光の中へと戻っていけることを知っているのでしょう・・・あなたと夫が何か口ずさんでいますよ・・・」  私の言葉を遮って、彼女はそっと言いました。 「それはふたりの愛の歌です。私たちの永遠の旅の歌なのです・・・」 <コンタクト おわり>

2013年12月24日火曜日

おはようさん 2013.12.24.

冬至が明けたお日さまは、やっぱり おニューな あったかい顔をしていますね。 休日の繁華街を歩いてみましたが、みなさん、ニコニコ顔に見えてきました。 お日さまの光は、あまねく氣です。 大地にも海にも雲にも、植物にも、動物にも、この世のみんなの生命エネルギーな氣です。 お日さまの光が氣となって、自然を息づかせ、生きとし生けるものたちの生命を育んでくれているのだなって思いました。 お日さまの氣があるからこそ、時が流れます。 さまざまな時空間がぶつからずに交差しながらひとつの星のように浮かんでいられるのは、お日さまの氣のおかげです。 私たちの掌:労宮で感じ取れる氣は、このお日さまの氣です。 ♪掌を太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮♪ ですね。 縄文の人たちも、きっと冬至が明けるとお日さまの誕生を祝って、お祭りをしていたことでしょう。 これから寒く厳しい冬が来て、飢えに苦しみながら、寒さに耐えながら、じっと我慢しなければならないことを知っているけれど・・・それだからこそ、冬至明けのこの頃に、仲間たちと笑い唄い、踊り明かしたのでしょう。 仲間の中には、春を迎えられないヤツもいる。これが最後の笑い声かもしれない。 さまざまな悲痛な想い、苦しみの予感と不安が襲ってきたことでしょう。 でも、春が来ることも知っています。 冬を乗り切れば、春が来ます。春が来るから、耐えられます。我慢できます。苦しみながらも人を思いやれるし、笑えます。 クリスマスは、お日さまに感謝するだけではなく、お日さまを信じるための楽しいお祭りだったのでしょうね。 感謝&信じる それは愛です。 だから、クリスマスは愛のお祭りになっていったのでしょう。 メリークリスマス! みなさん、愛し合いましょうね! <コンタクトの続きです>  彼女は今まで横たわっていた長イスから起き上がり、座り直してお茶を飲んでいます。私は部屋の明かりをつけました。彼女はまぶしさの中で目を閉じたまま、今の体験を思い起こしていました。 「先生、今のは何だったのでしょうか? 私にはよく分かりません・・・私が創ったお話だったのでしょうか? あまりに良く出来たお話だし・・・でも、とても私になんか創れないお話でした・・・本当だったのでしょうか?」  これは前世療法を受けた方が必ず思うことです。今の自分のクリアーな意識の中に、どんどんイメージやメッセージが浮かんでくるのです。それはインスピレーションや直感がとても冴えている一瞬に似ています。音楽家が一気に作曲する時、詩人が一気に歌い上げる時、画家が一気に描き上げる時、スポーツマンが新記録を樹立する時・・・大いなる力と繋がったような不思議な感覚に陥ります。それは自分の力を越えている、でも自分の中から湧き出てきた力でもあります。  スポーツマンは「イメージした通りに身体が動きました」と言います。  芸術家は「大いなる存在から、神さまからのメッセージでした」とは言いません。全部、自分の才能だよ、と涼しい顔をしています。でも、本当は神さまのメッセージだと気づいています。  前世療法を受けられた方だって、それが大いなる存在からの直接のメッセージだったということを本当はよく分かっています。ただ、その声が自分の内なる小宇宙から聞こえてきた声だったので驚いているのです。初めて垣間見た真実の自分の中に神さまがいたので、恐れおののいているのです。  内なる神さまのメッセージはどれもシンプルです。そして、当り前の言葉ばかりです。「なんだぁ、そんなこと、知っていたよ」というメッセージばかりです。 「私は神の声を聞いた!」とこの世で言えば、どうなるかは明らかです。あまりに自分が傷つきます。「あれは自分で創った言葉です。いつも思っていたことが出て来ただけです。こうなりたいと願っていた願望が浮かんで来ただけなのです」と言えば、誰も傷つかず自分も逃げ道を得られます。だから、私はいつもこのようにお答えすることにしています。そして、彼女にも同じことを言いました。 「自分で創ったと思われても構いません。ワークが終わったら、あなたがこの体験をどのように解釈しようと、どのように利用しようと構いません。全部自分で創ったものだ、と捨ててしまっても構いません。ただ、創ったかどうかにこだわるよりも、得られたメッセージをあなたの本当の心の声だと思って、とりあえず実行してみてはいかがですか? 決して実行不可能なメッセージではなかったでしょう? まずやり始めなさいと言われた事柄に明日から取りかかってみてはいかがですか? きっとこれまでと違った良い流れに乗れますよ」  彼女はうなずいていますが、まだまだ納得しきれていないことは明らかです。誰だって同じです。でも、心配要りません。早い人では半信半疑のまま家路に向かう途中で、遅い人でも半年の間に、必ず今日の体験を裏打ちする出来事が身のまわりに起こります。それは細やかな出来事ですが、心を開いて素直な気持ちでいれば、すぐに気づくことのできる徴しるしです。それは得られたメッセージの信憑性を嫌が上でも高めてくれる徴なのです。そこで自分を信じれる人だけが救われるのです。  しかし、この家族だけはそのような悠長なことは言っていられません。揺れ動く未来を選び直し、その未来が過去を書き換えたのですから、この彼女にはどうしてもがんばってもらわないといけないのです。彼女が夫の死を無駄にしてしまうと、一緒に亡くなった多くの人たちの死の意味もぼやけてきてしまいそうな気がしていました。だから、私は彼女の思考を少しだけコントロールしようと、ワークの内容をもう一度、まとめて説明し始めました。 「アキコさんの病気のことは覚えていますか?」  彼女は目を閉じて思い起こす仕草をしてから、ゆっくりとうなずきました。 「夫のタカシさんが今回の事故に遭わないで今も生き続けていたら、娘のアキコさんは二十歳になると白血病で亡くなる運命だったのです。二十歳のアキコさんが亡くなる間際にタカシさんは祈りました。 『アキコをお助けください。私の命に代えてアキコをお助けください。私の命を奪ってやってください、アキコをお助けください』  その祈りが通じました。  アキコさんを助けるためには、タカシさんは先日の事故で亡くなり、あなたは神さまからのメッセージを受け取り、それを信じてアキコさんが十八歳になったら精密検査を受けさせなければなりません。その時、きっと白血病の初期兆候が見つかるはずです。アキコさんにはちゃんと骨髄移植のドナーが見つかり、彼女は病気を克服できるのです」  彼女はうつろな目をしたまま言いました。 「なぜ夫は死ななければいけなかったのでしょうか? 夫が生き残ったまま、アキコを救うメッセージをもらえばいいだけじゃなかったのですか? 夫の死はどうしても無駄死のように思えるのです・・・」 「確かにその通りです。タカシさんの身の上には何も起こらない運命の筋書きだったのです。あなたの家族は、各々がそういう人生の筋書きを持って生まれてきたはずです。あなたの家族は二十歳のアキコさんを病気で失うことから、それぞれが大切な学びを得ようとしていたはずです」  私はひと呼吸おいて、天を仰ぎながら言いました。 「神さまは時々、こういうことをされるのですよ。生まれる前に計画してきた今生での学びの目的と生きる楽しみの実体験を全部ご破算にしてしまってまで、他の何かを学ばせ、気づかせ、楽しませようとされるのです。気ままかもしれませんが、新しい人生の方がより深く大切な何かを得られるはずです。私たちは大いなる存在に生かされている、とも世間では言いますが、確かにそのようにも思えますね」 <明日に続く>

2013年12月22日日曜日

おはようさん 2013.12.23.

12月22日 冬至でしたね。 古いお日さまの終わりの日。それは明日からの新しいお日さまのお誕生日でもあります。 一年、いろいろなことがあった人も、いろいろなことがなかった人も、 古い一年に積もり積もったドロドロ&べとべとさんたちは「ごわさんでねがいましてはぁ〜」でポイ!と捨て去って、 新しい一年が始まるぞ!なフレッシュ&ポジティブな氣に乗りましょうね。 24日の夜はクリスマスイブ。 プレゼントがもらえる人も、クリスマスなんて無関係な人も、 25日の朝、生きて目覚めたら、それは神さまからの贈り物です。 生きている人、誰もが新しい一年への希望と夢を抱く権利をいただけます。 妄想でもいいのです。 思い描いた希望と夢の妄想が叶った自分になる準備を始める第壱日目です。 ステキな伴侶と巡り会えますように・・・だったら、ダイエットしましょうとか、お仕事がんばりましょうとか、やるべきことが見えてきます。 病気が治りますように・・・だったら、早寝早起きしましょうとか、ちゃんと朝晩の散歩をしましょうとか、何かから始めることができるはずです。 お金持ちになれますように・・・だったら、がんばるばかりじゃなくって、もっと仕事内容を工夫してみるとか、やりたいことにエネルギーを集中できるように1日を整理してみるとか・・・新しい一年の始まりなんだから、新しい視点にたって、思い切ってみることもできますよね。 冬至。 古い年に感謝です。 いろいろなことがあったけど、良いことに感謝するだけじゃなくって、悪いことでも、とりあえずこうやって年を越せるのだから、新しい一年というチャンスをいただけたのだから、やっぱり感謝&感謝です。 去年という一年はボロ負けだったとしても、新しい一年というチャンスがいただけたということは、負け試合の中に何か得るものがあったはずです。若手の成長、守備陣のふんばり、攻撃陣の連携・・・何か良かったものを生かしていくことから今年を始めましょう。 悪かったところを治す・補強するよりも、まずはスタートダッシュです。 ♪さす腕には悪魔をはらい、おさむる手には寿福を抱き♪(by 高砂) 幻覚妄想な世界に逃げ込み・閉じこもってしまうのがスピリチュアルな世界の暗黒面でした。 昨今、そういう暗黒面がとても強くなっていました。 そうじゃなくて、幻覚妄想でいいんだけど(それを希望と夢とも呼びますから) その希望と夢を具現化していく現実的なアドバイス&方法を創造して、共有していくことは本物のスピリチュアルだと思っています。 冬至明けの新しい年、皆さんはどんな希望と夢を妄想しますか? それに向かって、まずできることから始めてみましょう。 三日坊主でもOKですからね。 三日坊主の向こうに、また別の三日坊主が見えてきます。 そうやって、三日坊主の頭を飛び石にしてピョンピョン跳びはねていけば・・・因幡の白ウサギのように海だって渡れちゃいますよ。 さぁ、希望と夢という彼岸に向かって、ジャンプを始めましょう! <コンタクトの続きです> 「神さまがあなたたちを祝福してくれます。何と言って祝福してくれましたか?」 「ここまで来れて、おめでとう」 「神さまがあなたたちを愛のエネルギーで包み込んでくれます。どんな感じがしますか?」 「温かい・・・神さまに愛されています・・・」 「タカシさんのエネルギーをもう一度、しっかりと感じてください・・・そして、タカシさんは神さまの所へと戻って行きます・・・タカシさんは何と言ってますか?」  彼女は急に困った口調で答えました。 「神さまのまわりに、なんだか悲しそうな人がたくさん集まっています・・・タカシさんと同じ事故で亡くなった人たちだそうです・・・みなさん、私に何かを言いたそうにしています・・・大切な人へのメッセージを聞いて欲しい、と言われました・・・でも、そんなこと・・・」 「タカシさんは何と言っていますか?」 「私なら出来る、と言ってます。あの事故で亡くなった方たちは、タカシさんと同じように残りの命を捧げた大切な理由を持っているのだそうです。残された人たちが亡くなった方の残した命を何に使えばいいのかを私に伝えて欲しい、と言っています。ひとりひとりにメッセージを伝えておくれ、と言われました・・・でも、そんなことは無理です。私には出来ません・・・」  彼女は首を振りながら言いました。 「タカシさんは何と言っていますか?」 「大丈夫だよ、私なら出来るよ、と言ってます。だから私が今日、ここへ来れたのだよ・・・どういうことかしら?」 「タカシさん、神さま、それはどういうことなのですか? 私に分かるように教えてください。神さまとタカシさんは何と言っていますか?」  彼女はしばらく黙っていました。そして、うなずきながら言いました。 「タカシさんと私が一番、神さまに通じやすいのだそうです。心が素直だ、と誉められました。だから今日ここへ来て、タカシさんと通じ合い、自分たちの運命のカラクリを直接知ることになったのだそうです。私には今日のお話をちゃんと理解できるはずだ、と言われました」  彼女が咳払いをひとつしました。そして何かを決心した口調で言いました。 「私は神さまを通じて、亡くなった方から大切な方への短いメッセージを託されます。それは私の心の中に書き留められるから、普段は忘れていて良いそうです。私が出会うべき大切な方と出会った時、心の中から自然にメッセージが浮かんで来るのだそうです。私はそれを伝えるだけで良い、と言われました。ただし、大切な人がメッセージを信じて実行しやすいように、私の今日の体験を一緒にお話ししてください、とも言われました。それは勇気の要ることだけど、あなたには出来ますよ、と励まされました。私がメッセンジャーをする時にはいつもタカシさんがすぐそばにいて、握ってくれている手の湿り気をしっかりと感じとれるようにしてあげるよ、と言われました。あなたはいつもタカシさんと一緒にいるのですよ、と言われました・・・だから私も信じて、みなさんのためにがんばります」  彼女が大きな息を吐いて・・・電気が走っているかのように身体をピクピク動かしています・・・そして大きな息を吸い込んで・・・身体がリラックスを取り戻しました。彼女は穏やかな声で言いました。 「今、たくさんの亡くなった方々からのメッセージを受け取りました。一瞬にみなさんのメッセージが入って来たのでよく分かりませんが、何人かは夫とアキちゃんの関係と同じようなケースがありました。急いで伝えないと間に合わなくなってしまいますから・・・勇気を出して急がないと・・・神さまがちゃんと出会う順番を用意してくださるそうです。先方からいろいろな形で連絡が来るそうです。私はただ心を素直にしたまま、乞われればお伝えするのが使命なのだそうです。こちらから焦って動く必要はないよ、とタカシさんも言っています・・・そうかぁ、これが今の私の使命なのかぁ・・・私も生きている価値があるんだよね、ってタカシさんに尋ねたら、当り前だよ、私は四人の子供たちの本当の母親なんだから、と言われました」  彼女がどんなメッセージを託されたかは分かりませんが、四人の子供たちに支えられながら忙しく走り回っている彼女の姿が感じとれました。そして私はワークを終わりにしました。 「最後に神さまは何と言ってくれていますか?」 「約束通り、事は起こるから心配しなくていい、と言われました。私のこの人生はとても順調だからこのまま楽しみなさい、子供たちが待っていますよ、と言われました」 「タカシさんは何と言ってくれていますか?」 「愛してるよ、いつまでも一緒だよ、大丈夫だよ、って言いながら手を振っています・・・よかった・・・大丈夫なんだぁ・・・」  そして私は彼女の催眠を覚まして、このワークを終えました。 <明日に続く>

2013年12月21日土曜日

おはようさん 2013.12.22.

明日は京都能楽大連吟「高砂」の本番です。 今年は百万遍の知恩寺で約200名が、あの有名な高砂の地謡を謡います。 私が大連吟「高砂」を知ったのは、一昨年の祇園祭宵山でした。 無料休憩という看板につられて(宵山の昼間はものすごく暑いのです)ふらっと入った町屋さんで松野先生に勧誘を受けたのがきっかけでした。 ピーンと来たのを覚えていますよ。 年末の第九合唱もいいけど、日本人なんだから謡曲を謡わなくちゃ・・・ え? 高砂が謡えるの? (頭の中にはTVの時代劇の結婚式の場面が・・・列席の中で一番渋くてカッコええ人が謡いますよね ♪たかさごやぁ〜〜♪ ) パンフレットをもらって・・・武家の男子&娘なら当たり前。町人でも教養の馬印(みたいなことが書いてありました) 高砂が謡えるようになる・・・むちゃカッケェ〜〜・・・はい、単細胞な動機で飛びつきました。 でも、なぜかその年、ネットで申し込みしたのに受付できておらずで・・・結局、参加せずに終わりました(今から思えば、良かったかも。だってこの年までの高砂は素人さん用に簡単に編曲されていたそうですので) 去年、満を持して? 大連吟「高砂」に参加しました。 いやぁ 楽しかったです。 元々 カラオケも合唱も大好きですからね。 小学校の5,6年の時には、高槻市の少年少女合唱団に参加してたのを思い出しました。あの頃はボーイズラブ じゃなくって ボーイソプラノでした。懐かしいなぁ。 すっかりはまってしまって、今年初めから深野師匠について謡いのお稽古を続けています。 今年のマイ・謡いトピックスは・・・ その壱 真冬の出雲の温泉宿。静かな温泉にひとり浸かりながら、習いたての「鶴亀」を謡ったこと。もう最高に気持ち良かったですよ。 誰か入ってきても、外から聞かれても、謡いだと全然、恥ずかしくないからね。 (これがAKBやミスチルだと・・・やっぱ恥ずかしいもん) ひなびた温泉宿でひとり謡っていると・・・もう真野響子さんにしっとりと背中流してもらうしかありませんよねぇ(御宿かわせみの世界) その弐 養老のお友達のお茶会に呼ばれて、手土産に「養老」を謡わせていただきました。 これは無理を聞いていただけた深野師匠のおかげです。 自分なりに納得できるまで練習しましたが、「謡えば、みなさんに喜んでいただける」ことが分かりました(簡単に素人さんをダマせる・・なんて思ってませんよσ(^^) 養老はよかった。いつか養老の滝の前で謡いたいですね。 その参 秋に「橋弁慶」の謡いで能舞台デビューしました。 自分なりにがんばったのですが、今度は玄人の集まりですからね・・・う〜ん、なんだか拍子抜けしちゃいました。 その四 明日の大連吟「高砂」では・・・何が起こるやら、起こらないやら・・・楽しみです。 きっとこのブログを読んでくださっている方々の中にも、ずっと年末は第九を合唱しているって音楽好きな方々もおられると思います。 どうですか? 来年は日本の謡い「高砂」にチャレンジしてみては。 何より日本語で謡えますよ。 西洋音楽からすれば全くの異文化だけど、そういう異次元の世界に触れてみると、音楽性がますます広がりますよ。自信をもってお薦めします! 来年はご一緒に「高砂」を謡いましょう! 大連吟「高砂」のHPはこちら http://dairengin.com/ <コンタクトの続きです>  父がアキコを抱きかかえてベッドまで運びました。  婦長さんがアキコの脈を診て、大丈夫だとうなずきました。 「アキちゃん、この曲に乗って大空を飛びまわってね・・・もう、どこにでも自由に行けるよ」  娘がチェロを弾き始めました。それは「鳥の歌」でした。  父は窓辺で泣き崩れています。窓から細い三日月が見えました。父は月に向かって祈りました。「アキコをお助けください。私の命に代えて、アキコをお助けください。私の命を奪ってやってください、アキコをお助けください・・・」  私が見ていたヴィジョンが眩しく光りました。そして、消え去りました。私の心の中には「鳥の歌」の調べが残っていました。タカシの祈りが通じたのだ、未来が変わったのだ、と分かりました。  タカシは今頃、事故を起こす電車に乗り込むために駅に急いでいることでしょう。駅までの道々の信号も改札の混雑も、すべて彼をあの電車のあのドアから乗り込ますように動いています。それは彼の祈りが導いた運命です。だから今日、彼はどうしてもあの電車に乗らなければならないのです。彼には悪い予感などありません。電車に乗り込んだ時、間にあって良かった、と思っていたことでしょう。そして事故が起こり、彼は死にました。  私の意識は彼女のワークに戻りました。彼女がゆっくりと言いました。 「タカシさんが抱きしめてくれています。私と四人の子供たちをずっと見守っているよ、と言ってくれました・・・頭を撫でてくれています。タカシさんとくっついて、ひとつになっているような気がします・・・足が溶け合ってひとつになっています・・・神さまも優しい顔をしています・・・もう大丈夫です・・・」 「優しい神さまがあなたへメッセージをくれます。何と言っていますか?」 「愛を信じなさい・・・」 「タカシさんはどんなメッセージをくれましたか?」 「言葉ではなくて、ずっと手を握ってくれています・・・本当はいつでも彼を感じられる、と言っています・・・心を素直にして受け入れてごらん、と言っています・・・私の夢に出るから、夢の中でお話をしよう、と言っています」  もう彼女に涙はありません。心を開いたその向こうに、いつでも彼がいることを感じとったのでしょう。私はこのワークを終了へと導きました。 <続きは明日>

2013年12月20日金曜日

おはようさん 2013.12.21.

光の前世療法を受けられた方に、ワーク終了後にお伝えしていることがあります。 「これから少なくとも1ヶ月間は、ちいさなシンクロがいっぱい起こります。 今までは気づけなかったけれど、ワークの後はしばらくの間、五感を超えた感覚アンテナがとても広がっているので、あれっ? そう! なるほど! が連続して起こります。 そのシンクロを大切にたどっていくと、行くべき道、やるべきこと、出会うべき人と出会えますよ」 さて、昨日のブログでは悶々仏々を書きましたが・・・ 早速、神さまからのシンクロが起こりました。 まず、今日の外来で・・・ 月1回の診察に来られる70代のスナックのママさん。 血圧を測っていると、ママさんから「まだまだ景気悪いねぇ。うちも赤字やけど、常連さんがいるからやってるのよ。土木のお客さんたちもダメ。景気良い人なんていやしないわ。うちも昔は女の子に入ってもらっていたけど、今はとてもじゃないけどムリよね」と話し始めました。 私には神さまが「お前の言ってることは言い訳じゃなくって、本当のことだよ」って背中を強く押されたような気がしました。 もうひとつ・・・お風呂でKindleを開けて、フッと目に付いたのが中谷彰宏さんの「ギリギリセーフ 生きのびる53の方法」で(めったにないことなのですが)そのままダウンロードして読み始めました。 不満のある人は不安がないし、不安のある人は不満がないのです。(略) 不安を持つ生き方をしたほうが自由度は増します。不安があるのは、自由に生きているからです。不安は、自由に生きている人にしか感じられません。不自由に生きている人は安定を得ているので、不満だけが残るのです。(略) 不安を持つことは、前を向いているということです。「借金を背負ったらどうしよう」という不安は、前を向いています。「給料が安い」という不満は、うしろ向きです。(略) 不満を持っている人は、何もやりません。「給料をもっとよこせ」と文句を言って終わりです。会社が倒産しそうでそれどころではないことが、まったくわかっていないのです。 主体は常に不安を持ちます。主体に不満はありません。受け身になると、不満だけが残ります。幹事や社長の苦労を何も考えないで、文句ばかり言うのです。(略) 不安を持つのはいいことです。不安だから頑張るのです。(略) 「不満」はネガティブですが、「不安」はポジティブです。不安を乗り越えるために、どうしたらいいかを考え始めます。(略) ・・・神さまが、これ読んで元気出せよな! アンタは正しいよ!って、またしてもドンと背中を押されたような気がしました。 う〜ん、たしかにこの発想はなかったよなぁ。ええ勉強させてもらいました、ありがとさん! 今朝の外来から、看護婦さんなしでの診療と在宅往診をひとりイメージの中でシュミレーションを始めてみました。その気になれば、それほど困るわけでもありません。患者さんも(まだ看護婦さんが辞めることは知りませんが)いろいろと協力してくれそうです。 何となく善き神風をつかまえることができている・・・そんな甘ちゃんな、でもちょっと自信のある手応えを感じた1日でした。 <今日もコンタクトの続きです> 「次は、カヴァレリア・ルスティカーナを弾きますね。アキちゃんのために練習してきました」  廊下に子供のお母さんと看護師さんたちが集まってきて、微笑みながら聴き入っています。いつもは清潔区域にとっても厳しい婦長さんまでニコニコして聴いています。  曲の終わりがそのまま「ハッピーバースディ トゥ ユー」に続きました。アキコの家族は立ち上がって歌います。子供たちも歌っています。廊下からも歌声が聞こえてきます。みんなのおめでとうの歌がフロアーいっぱいに拡がっています。 「もう一度、アンコール!」とシンヤが叫びました。娘も笑顔でアンコールに応え続けました。そして最後にシンヤが指揮者のようにみんなの歌声を制してから、父へ合図を送りました。父は愛するアキコをしっかりと抱きしめて言いました。 「お誕生日、おめでとう、アキコちゃん」  みんなのおめでとうの声と拍手が病院中に響きました。 「お父さん、お母さん、ヨウコ姉ちゃん、エリ姉ちゃん、シンヤ君、ありがとう・・・ルイちゃん、看護婦さん、みんな・・・ありがとう・・・」  アキコの上半身がパッと光り輝きました。彼女の心が幸せに満ち溢れているのが分かりました。 それは至福の時です。そして、彼女に残された時間がなくなった証でした。 「アキコ姉ちゃん! 僕たち兄弟はこれからもずっと一緒だからね。だからね、今日は兄弟の数だけケーキを用意したから、ひとつひとつに入刀して、ソウルメイトの契りをしようね。いつでもどこでもこの四人は一緒だからね・・・さぁ、まずヨウコ姉ちゃんからどうぞ!」  ヨウコが照れ臭そうにバースディケーキをアキコの前に差し出します。 「みんな、いつでもどこでも仲間なんだぁ・・・ありがとう、みんな・・・また会えるね・・・これからも、いつも一緒なんだぁ・・・よかったぁ・・・」  アキコは母からナイフを受けとりました。ヨウコが手を添えます。ふたりはゆっくりとケーキを切りました。 「おめでとう、アキコちゃん、ヨウコちゃん」  みんなが一斉に祝福してくれました。 「よくがんばったね、アキちゃん。大好きよ、ずっとずっと一緒だからね・・・」 「ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんの妹に生まれてよかったわ・・・お姉ちゃんのこと、大好きだから忘れないでね・・・」  続いてエリがケーキを差し出します。手作りのチョコレートプレートが飾ってあります。 「アキちゃん、おめでとう・・・私もあなたのこと、大好きよ・・・血が繋がっていなくても、こんなに仲良しになれるんだものね・・・あなたは本物の私の妹よ、だからずっと一緒だからね、私のことを忘れちゃわないでね・・・」 「エリ姉ちゃん、これまで本当にありがとう・・・いつでも優しかったわ・・・エリ姉ちゃんとは良い思い出しか残ってないもの・・・ありがとう、大好きよ・・・」  シンジはケーキにいっぱいロウソクを立てて差し出しました。 「アキ姉ちゃん、やっぱりロウソクがないと寂しいでしょう。ちゃんと二十本あるからね。今、火をつけるから・・・さぁ、一緒に消そうよ・・・一、二、三・・・」  シンジが雷神のような大きな息でロウソクを吹き消しました。それを見ながらアキコはシンジの頬にフッとキスしました。シンジはこらえてきたものがワッと吹き出してきたのでしょう。顔をグチャグチャにしながら泣き出しました。アキコが肩を抱き寄せて言いました。 「シンジは偉いわ。私をここまで支えてくれてありがとう。あなたの明るさが私に生きる力を与えてくれたのよ・・・あなたともいつも一緒だわ、これからもずっとずっと・・・あなたのことを見守っているからね・・・」 「さぁ、フロアーのみなさんにもケーキを分けてきますからね。子供たちもそこで一緒に食べましょうね・・・婦長さん、今日だけは大目に見てやってください、お願いします」  婦長さんもハンカチで涙を拭いています。そしてクリーンルームのビニールカーテンを開いてくれました。廊下にいた人たちが笑顔を作りながらゆっくりと入ってきました。 「なんだかこの部屋、愛に満ちてるよ・・・」  アキコの胸から顔を上げて、シンジが言いました。家族みんなが笑顔でうなずいています。 「私って、みんなに愛されてるんだぁ・・・こんなにたくさん愛されてるんだぁ・・・生まれてきて良かったんだぁ・・・私って、生きていたんだぁ・・・うれしいの・・・とってもうれしいの・・・みんな、ありがとう、アキは幸せでしたよ・・・」  シンジはアキコの手から二十歳の証が落ちないように、ずっと手を添えていました。そして、みんなの愛に包まれたまま、人生で一番幸せな時を握りしめたまま、ゆっくりと目を閉じました。 <明日に続く>

2013年12月19日木曜日

おはようさん 2013.12.20.

今年はいろんなことが私の身の回りにも起こります。 11月には実父が突然死して。 これで終わりじゃないような気がする・・・と思っていたら、昨日、ただひとりの看護婦さんから辞表が届きました。 う〜ん、さすがにこれにはびっくり。 秘書的な内務もかなりやっていただいていたので、働けど働けど保険収入は増えず・・・&前世療法と舌癒着症オペが今年はさっぱりで自由診療収入も激減してる・・・ことは一番良く分かっていたはずなんですが・・・やっぱ、人のこころは分かりませんねぇ。 すぐに人にこころを許して、こころを開いて、信じてしまうのは悪いクセだとは思わないけれど、この人生、これで度々大失敗をくらっているのを考えると・・・いやいや、やっぱりこのままの私の方が私自身が好きやから、ええとしましょう。 まぁ、辞表をいただいた直後のぼやきでも書かせていただきながら、「看護婦さん募集中!」のCMでございます。 目玉は、「給料は安いけど、私のスピリチュアルなつぶやき&患者さんへの生きがい療法を間近で見ながら、スピリチュアルな感性をグイグイと磨き上げられます」 こんな看護がしたかったんだぁって貴女に涙目で言ってもらえるように私も奮闘努力致しますよ。 <以下、ぼやき> お金の切れ目は縁の切れ目・・・なんだなぁ。 夏・冬とボーナスをほとんど出せなかったから、 とうとう看護婦さんから退職願を出されてしもうたぁ(>_<) アベノミクスってどこの世界の話やろう。。。 一生懸命にお仕事して、患者さんには喜んでもらってる、笑い声のある医院なんやけど、なぜか医療収入は右肩下がり(医療費削減政策が目の敵にしていじめてくるんや) そろそろ潮時かなぁ。。。 閉院するにしても借金あるから丸裸やしなぁ。。。 つらいなぁ。。。寒いなぁ。。。悲しいなぁ。。。 。。。。 そやけど、不思議と落ち込んでないんやなぁ、これが。 そやけど、大丈夫!って、どこがどないな理由もビジョンもないけど、思えてる。 楽観的 オプティミズム・・・アホなだけかなぁ。 。。。 そやけど、現実は牙を剥いて襲いかかってくるわなぁ。 新しい看護婦さんを探さなあかんけど、こんな安月給で一緒に働いてくれる看護婦さんなんて・・・おるんかいなぁ? 。。。 まぁゲームセットまで、ともかくがんばってみるしかでけへんわ。 やっぱ(日々の診療を)がんばるんばっ☆彡 ということで・・・ 奥山医院では、看護婦さんを一名 募集中です。 やりがい&働きがいはありますよ。何よりスピリチュアルな感性がむちゃくちゃ磨かれます(←これには自信があります!) お仕事内容は統合医療です:西洋医学(内科・外科・脳外科・整形外科・泌尿科などなど)&心療内科(ときどき精神科)&東洋医学(漢方&鍼灸)&スピリチュアルケア(前世療法)&在宅医療 お給料:できるだけのことはやっているんだけど、安い・・・です。 休日:日祝日と土曜午後と木曜午後 勤務時間:朝8時〜午後6時(12時〜2時は休憩か時間外査定) ご縁が繋がってピーンと来た方は、まずは履歴書を院長宛にご送付くださいませ。 〒571−0058 大阪府門真市小路町14−18 奥山医院 ℡:06−6907−7578 <今日もコンタクトの続きです>  時計の秒針が再び止まっています。目の前の深い催眠状態で横たわっている彼女に重なって、あるヴィジョンが浮かんできました。それはクリーンルームのベッドに腰掛けている二十歳のアキコでした。坊主頭を隠すための三角巾にバラの刺繍がしてあります。青白い顔色と細い身体に赤いバラが一輪、命の花のように咲いています。それはアキコの魂をこの世に繋ぎ止める最後の花でした。  白衣に白帽子とマスクをした彼女とタカシが入ってきました。誰もが病状はギリギリまで進行していることを知っていました。だから、みんな笑顔を作っています。もう泣くだけ泣いて、怒るだけ怒って、思いっきり神さまを恨み尽して、最後に残ったのがこの笑顔でした。そこは深い悲しみの末に辿り着いた家族の涅槃ねはんでした。 「お誕生日、おめでとう・・・よくがんばったね・・・今日から二十歳だよ。もう大人だね」 「ありがとう、お父さん、お母さん。アキ、本当にがんばったでしょう、偉いでしょう・・・何よ、お父さん、その顔は・・・もっとほめてよ・・・」  そう言いながら、アキコは父の胸に飛び込みました。父もアキコをしっかりと抱きとめています。二十歳のアキコの一番好きな人、それは父でした。なぜだか分からないけれど、小さな頃からとっても好きな人でした。恋心ではなく・・・振り向けばいつでも見守っていてくれる、心のよりどころのような父でした。  九ヶ月前に病気で倒れてからの毎日、アキコは父の胸で泣き続けました。泣きわめくアキコにじっと向き合ってくれた父でした。アキコの心に溜まったウップンを吐き出してしまうまで、父はいつも頭を撫でていてくれました。それはまるで神さまの手のように、優しく温かく手でした。  毎晩、父に見守られながら、手を握ったまま眠りにつけたから、ここまでがんばって来れた、とアキコは思っていました。大好きな父がいるから、私は生きているんだ、と信じていました。 「さぁ、アキちゃん。お待ちかねのお誕生日ケーキだよ」 「うわぁ、やったぁ・・・アキの人生で最高のケーキだよ」  みんなが病気を忘れている。それが許される残り少ないひとときでした。 「お母さん、そっちのテーブルでしようね。アキ、そこまで歩いて行くから・・・」  彼女の顔に一瞬、悲しい不安がよぎりましたが、すぐに笑顔で塗り込めて笑い返しました。 「お父さん、ボッーとしてないで肩を貸してよ・・・もう・・・」  アキコは父の大きな肩に支えられながら、一歩一歩、ケーキの待つテーブルに近づきました。そしてケーキを目の前にしながら、ゆっくりと腰掛けました。もう二度と自分の足で立てないかもしれない・・・父と母は思いました。 「アキちゃん、お誕生日、おめでとう!」  ドアが音を立てて開くと、姉妹たちが駆け込んできました。 「うわぁ、間に合ってよかったぁ。ヨウコ姉ちゃんもエリ姉ちゃんもいつもノロマなんだから・・・遅れるよ、遅れるよ、って僕が散々電話したから間に合ったんだよ」  末っ子のシンヤは、いつもはしゃいでくれています。三人の姉たちの気持ちをひとつに支える要になってくれています。そして今夜はとびっきり元気です。 「アキコちゃん、お誕生日、おめでとう」  そう言いいながら、チェロを抱えた娘が入ってきました。バーバリー風のおしゃれなスカートとお揃いのチロリアンハットが白衣の袖から見えています。 「きゃぁ、ルイちゃんだぁ・・・ありがとう・・・ルイちゃん、すごく元気そう・・・」 「アキちゃんも大丈夫だよ、すぐに元気になれるよ・・・あんな私だって・・・」  娘はアキコの手を握ったまま、声を詰まらせました。シンヤが二人の肩を叩きながら言いました。 「そうだよ、ルイちゃんの次はアキ姉ちゃんが助かる番なんだからね、何事も順番、順番。さぁ、アキ姉ちゃんのハッピーバースディーの始まり、始まり! ルイちゃん、準備をお願いね」  娘は部屋の隅にあったイスを持ってきて、チェロを構えました。  病室に「愛の挨拶」が流れます。アキコの頬にゆっくりと紅がさしていきます。  ヨウコが病室のドアを開けて手招きしています。病衣を着た子供たちがそぅっと入ってきて、ベッドに仲良く座りました。 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.19.

甲状腺腫瘍の患者さんが夏からずっと週数回、私の鍼を受けに通われていました。 よっしゃ! 腫瘍を消したるぜよ! と内心、意気込んで鍼をしていました。 舌診で甲状腺腫瘍とシンクロしている5ミリほどの実証があったので、それを毎回、観察しながらの鍼でした。 腫瘍を消すことはできなかったけど、夏よりちょっと小さくすることはできました。 そして先日、阪大病院で手術。 事前説明では8時間はかかる大手術の予定でしたが、4時間もかからずに終わってしまったそうです。 とても簡単に全摘できたそうで、よかった&よかった。 術前の抗がん剤も放射線も使っていなかったので、阪大の先生方はどう思われているのか知りませんが、先に言ったもん勝ちなので言わせていただきましょう。 「鍼が効いたんやでぇ」 体力的にもメンタル力でも、とてもお元気で手術に向かわれました。 そう、免疫力も治癒力もMAXハイテンションでの手術だったわけです。 この方はお仕事を続けておられたし、ご家族も重い生活習慣病だったので、いろいろストレスが溜まっていました。 秋までは肝火上炎が主体で後渓や合谷に瀉法の鍼を、11月終わり頃からは入院に備えてのお仕事の切り上げで疲れが溜まって肝血がアンバランスになってきたので、太衝に補法の鍼を加えたりしていました。 術後、まだしゃべれない状況下での筆談で最初に書いたのは 「奥山医院の先生と看護婦さんにありがとうって言って」だったそうです。 うれしいですねぇ(*^^)v 春からずっと夢分流腹診&打鍼をほぼ毎日続けている腎癌から肝臓・肺転移疑いの患者さんも、とってもお元気です。大学病院で疑い部位の生検と抗がん剤を薦められましたが、かなり難しい症例なのか、これまで数回の精査で痛い目に合われてきて、もう嫌だと・・・だったらうちで最後まで診ましょう、ということで通院されています。 転移巣のCT精査は来年になったらしますが、どうみても再発憎悪の兆しは見当たりませんから、大丈夫です。 背候診では、やっぱり同側腎兪と脾兪にちょっした熱邪があるので、癌自体はまだ消えていないでしょう。でも、癌治療で大切なのは、癌と全面戦争するのではなく、何となく癌はあるけど動かないし、悪さもしないから、やんわりと封じ込めておきましょう・・・だと思っています。 癌を怒らせるのが一番下手なやり方です。 癌にだって言いたいことがあるんだから、何となくそれを聞いてやって、(食習慣や生活習慣で)改めるべきところは改めて、まぁまぁ おとなしゅうしといてなって時々、目をかけてあげる・・でええんじゃないかな。 この患者さんも免疫力&メンタル力がずっとMAXハイテンションを保てていると思います。 最高の癌治療でしょう (^^ゞ だからといって、大学で癌手術を受けた後の栄養改善目的で点滴に通われている患者さんもおられますが、この方は一度も「私も鍼をしたい」とは言われません。両隣のベッドで鍼をしていても・・・じっと目をつぶって黙っておられます。だから私もあえて声をかけません。 嫌な人には無理強いはしません。嫌な人に鍼をしても、あまり効かないこと、わかってますから。 (ネガティブな感情&想いって強烈ですよ) 鍼と言えば、肩こり鍼や腰痛鍼だと思い込んでいる方々にも、あまり効果は期待できませんねぇ。 だって、こんなもん、効くもんか! な念力が見え見えですから。 で、いつもの結論になるわけです。 「素直が一番」 どんな治療でも(抗がん剤であろうとも)素直なほど、良く効きます。 そして、素直なほど、予後がよろしゅうございます。 鍼を続けていると、素直になれる というお話はまたいつか・・・書きますね。 <コンタクトの続きです>  彼女は涙を啜りながら言いました。 「十八歳になったら血液検査を受けなさい・・・」 「約束ですよ、って神さまにお願いします。神さまは何と言っていますか?」 「分かったって・・・神さまがヴィジョンを見せてくれています・・・あっ、これは大きくなったアキコちゃんです。とっても元気そうです。家で誕生日のお祝いをしています。十八歳の誕生日です。私と姉妹たちからプレゼントをもらっています。ヨウコちゃんも、エリちゃんも、シンヤ君も笑っています。みんなとても仲良しです・・・その夜、私はアキコちゃんに病気の話をしました・・・彼女、知ってたのかなぁ、驚きません・・・。  別の日になって、私とアキコちゃんは病院の先生の説明を聞いています。きっと病気が見つかったのです。先生が大丈夫だ、と言ってます・・・アキコちゃんが入院しています。同室の娘さんも同じ病気です。二人とも頭に三角巾を捲いています・・・部屋にチェロが置いてあります・・・アキコちゃんが骨髄移植を受けています。娘さんが枕元でチェロを弾いてくれています。アキコちゃんが微笑んでいます・・・娘さんより先にアキコちゃんにドナーが見つかったのです。みんな夫と神さまのお陰です・・・。  アキコちゃんの退院の日が見えます・・・あの娘さん、見送りに出て来ていません、大丈夫かなぁ・・・あぁ、この日、娘さんも骨髄移植を受けています・・・もう大丈夫です。またチェロが弾けます・・・よかった・・・神さま、ありがとうございます」  彼女は安堵した声で言いました。 「神さまにお願いしましょう。神さま、今の約束を守ってね・・・神さまは何と言ってますか?」 「分かった・・・あっ!」  彼女が突然、叫びました。 「上の方にいた未来のおばあちゃんになっていた私が、今、パッと粉々になって飛び散ってしまいました・・・神さまと私の上でキラキラと花火のように輝いて、そして消えていきました・・・新しい未来の私たちを祝福してくれているようでした・・・ありがとう、おばあちゃんの私・・・」  彼女はゆっくりとうなずきながら言いました。私はタカシさんに向かって話しかけました。 「タカシさん、アキコちゃんをしっかりと守ってあげてください・・・タカシさんは何と言ってますか?」 「うん、分かった・・・大丈夫だよ」  彼女が夫の言葉を伝えてくれました。 「タカシさん、あなたが生きる分をアキコちゃんにあげるわ、いいでしょう?」 「うん、いいよ・・・当然だよ、当り前だよ」  彼女は嬉しくて泣いています。私は神さまに言いました。 「神さま、早く死んでしまったタカシさんの命の残りをアキコちゃんにあげますから、ちゃんとアキコちゃんが元気でいられるように見守っていてくださいね」 「分かりました。大丈夫です」  神さまはしっかりとした口調で答えてくれました。  この時、私は気づきました。この夫の突然の死の意味が、今ここにあるのではないだろうか・・・ <明日に続く>

2013年12月17日火曜日

おはようさん 2013.12.18.

昨日の癌患者さんのお話の続きから。 ワークの前の問診で、主治医が薦めた抗がん剤治療に踏み切れない理由を話されました。 「この治療をすれば大丈夫だ、と言ってくれないから・・・」 癌患者さんの気持ちもよくわかります。主治医の気持ちも同業ですからわかります。 だから、ちょっと困ってしまいました。 30年前までは、多くの主治医さんたちは、へんこな自信を持っていたので「私の言う通りにしていれば、大丈夫だ」と言い切っていました。 明治から続いてきた「医者が絶対」だった時代でした。 患者→患者さん→患者様→患者様様になってしまった現代です。 患者さんとその家族しか知らない主治医は、例えその患者さんと家族が良い人たちで、気心も通じてきて、信頼関係もうまく構築されたとしても、やっぱり「大丈夫だ」とは言い切れないのが現状です。 うまくいけばいいけど、経験を積めば積むほど、想定外の出来事が起こることを知ってしまうし、どんなに万全に治療を進めていても、患者さんの運命としか言いようのない天のバイアスがかかって、どうしようもないことが起こることも知っています。 どこからともなく訳の分からないクレーマー親戚が登場することだってあるしねぇ。 いくら信頼関係が出来ていても、やっぱりちょっと引いて、守勢でコメントするのも仕方ないと思います。 本心では「大丈夫!」と自信があっても、やっぱり・・・言えませんよね。 治療方法のエビデンス云々は、そんな相互不信感を糧にどんどん育っていったのです。 (今はどこの病院でも、この治療法は**%の成功率で、5年生存率を**%に保つことができます・・・みたいな説明でしょう。確かに、そんな説明話のどこにも「愛」はありませんよね) 私は今でも「患者さん」と呼んでいます。対等の関係でいたいからです。 患者様と言うと、何だかこころのカーテンを閉じているような感じがして、嫌です。 患者さんとはいつもオープンマインドでいたいから、やっぱり「患者さん」ですね。 そんな患者さんに「大丈夫」というフレーズはよく使っています。 まるで口癖のように「大丈夫」と言っています。 自信がある・なしの次元ではなく、大丈夫だと思うから大丈夫だよって言ってます。 (私が診て、大丈夫って言わなかった時は・・・ちょいとヤバいかも・・ね) 患者さんが主治医に「大丈夫」と言ってもらうには・・・ まず患者さんが主治医を信じなきゃね。 信じるとは、素直に認めること、許せること、感謝できること です。 主治医さんが大丈夫だと言ってくれたのにダメだった時・・・一生懸命やってくれたのだからって、許せますか? 感謝できますか? 30年前までの患者さんたちは、これが出来ました。 ありがとう が主治医と患者さんの間を何度も行き交っていました。 今のご時世ではどうでしょうか? そんなありがとうは絶滅種かな? 30年前までは、主治医は精一杯の治療ができました。創意工夫して、天の運気にあらがうことも出来ました。患者さんが信じてくれているから、伸び伸びと思う存分の力を発揮して病気と戦うことが出来ました。 今は・・・エビデンスという安全エリアの中で、決まったことを決まったようにやるだけです。 精一杯も創意工夫も・・・出来ません。マニュアル通りです。 そのうち、ロボットと医療コンピューターに治療は取って代わられるでしょう。 ありがとう なんてコマンドは無用な医療世界。果たして・・・どうなんでしょうか? 先生、この病気は治りますか? 大丈夫、治るよ。 じゃぁ がんばります。 うん、大丈夫だから、がんばりぃな。 そして・・・ 先生、治りました! ありがとうございます! よかった、よかった。ありがとう! 先生のおかげです、ありがとうございます! よくがんばってくれたね、すごいよ、ありがとう! 先生があの時、大丈夫だと言ってくれはったおかげです、ありがとうございます! あなたのがんばりが治したんだよ、よくがんばったよね、ありがとうね! そんなホスピスを創りたいなぁと念じております。がんばるんばっ☆ <コンタクトの続きです> 「今から家族でしっかりと楽しみなさい、って言われました」  彼女はおばあちゃんに諭されたようです。でも、私はあきらめません。私は未来のアキを亡くしたおばあちゃんを手放して、彼女を神さまのところへと導きました。 「未来のおばあちゃんはスゥーと後ろへと退いていきます。おばあちゃんはそのまま後ろの方で待っていてくれます。あなたは神さまのところへと戻っていきます。あなたは神さまに近づきます。そして、神さまをしっかりと抱きしめます・・・もっとギューと抱きしめます」 「神さまが痛がっていますけど・・・」  彼女は心配して言いました。本物の神さまは怒りません。怒らすようなことを私たちはさせてもらえないのです。私たちが思いつくようなことは、神さまは元々お見通しなのです。私はそのまま彼女に指示しました。 「神さまをもっとギューと抱きしめて、お願いします。神さま、未来のこの人生を直してよ。神さま、この未来を書き直させてください」  彼女は小さな声で言いました。 「神さま・・・とても困った顔をしています・・・」 「神さまの足下を感じて・・・神さまの足を踏んづけて、言いましょう。神さま、私はこの未来を書き直すわ」  彼女はべそをかきながら言いました。 「神さまは困った顔のままです・・・いいと言ってくれません・・・」  私は自信を込めて指示しました。 「大丈夫ですよ。そこにいるタカシさんも一緒に頼んでもらいましょう。タカシさん、私と一緒に神さまに頼んでください」 「タカシさんがうなづいてくれました」 「タカシさんと一緒にお願いします。神さま、神さま、この未来を書き直させてください」  彼女がうれしそうに答えました。 「あっ、神さまがうなづいてくれてます・・・」  その瞬間、壁の掛け時計の秒針が止まっているのが見えました。神さまがこの人生の未来を書き直している間、それはわずか数秒の間だけど、まわりの時が止まることを何度も体験してきました。こちらの世界を数秒間止めなければならないほどの多くの人生を神さまは書き直すのです。これからの彼女と子供たちに関わってくるすべての人々の人生が同時に書き直されるのです。  そして、時計が動き出しました。私は神さまに尋ねました。 「神さま、どうしたら私はアキコちゃんを守ることが出来ますか?」 「神さまが目を閉じて考えています・・・」 「神さま、アキコちゃんがいくつの時に、何をしたらいいのでしょうか?」 「神さまが小声で何かを言ってますけど、分かりません・・・」 「神さま、私に分かる言葉で、私に分かるように教えてください。私はアキコちゃんに何が出来るのでしょうか? 神さまは教えてくれますよ。神さまは何と言っていますか?」  彼女は涙を啜りながら言いました。 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.17.

昨日の光の前世療法のお話です。 癌患者さんで、いろいろな治療法のどれをやったらいいか?迷われていました。 過去生へ降りるテーマは「癌の治し方がわかる過去生へ」を選ばれて・・・ 平凡な生活をしている男性に降りました。その人生では最愛の息子を急病で亡くしていました。 光との対話で・・・ Q 私の病気は治りますか? A そんなのは病気とは言わない! (私:光さん、今日はえらく強気やなぁ。そりゃぁさすがに言い過ぎちゃうの) Q (過去生の男性にも尋ねました)私の病気は治りますか? A 子供を失うことに比べたら何でもないよ。 (私:なんだか・・・納得) Q どうしたら病気は治りますか? A あなたが信じられることをやってみなさい。まず信じることが大切。やってみて、身体とこころの声を聞いてみてごらん。嫌なら止めればいいんだよ。 (私:やっぱり信じることが一番だよねぇ。どんな治療法でも、信じ切れたら効果抜群になるんだよ) Q 病気を治す色は何色ですか? A 紫 Q 病気を治す食べ物は? A パートナーがいろいろ工夫して作ってくれるものを食べなさい。 (私:素直になれ! そしてここでも 信じろ! だよね) Q 病気を治すために改めるべき習慣は? A 夜遅くまでパソコンで(癌治療の)調べ物をしていないで、早く寝なさい。 (私:おっ ええとこ突いてきてるやないの) Q 私の病気が治った未来の私の姿を見せてください。 A 息子の結婚式に笑顔で出ています。 Q 未来のあなたに尋ねましょう。どうやって病気を治したの? A 信じた治療をがんばっただけだよ。信じられるようになったよ。 (光との対話の量がものすごくあったのですが・・・忘れちゃいました) 蓮風先生も癌患者さんに「鍼を信じること」を強く求められます。 鍼は自分の身体がよくなろうとする自然の流れ(=宇宙の理)を強めます。 そう、自分を信じること=鍼を信じること でもあるのです。 自分を信じられる人は、素直です。 素直だから、自然の流れに身をゆだねることができるのです。 泳げない人、溺れる人は、水に逆らってジタバタします。 水に身をゆだねることが水泳の第一歩ですよね。身をゆだねれば、浮力が出てきます。 癌になったのは、どこかでジタバタしてきたから溺れて死にそうになったのです。 でも、まだ死んでいません。脳卒中や心筋梗塞や交通事故ではなく、癌だったのです。 どこかのジタバタに気づいて、それをやめて、自然の流れ・自分の身体とこころの声に身をゆだねれば・・・癌はなくならないまでも、まるで廃墟のように時間が止まってしまう時代に入ったような気がします。 何かが効く のではなく、何かに気づけば、癌は治る新しい時代の予感です。 そんな新しい発見のあった症例さんでした。 <コンタクトの続きです> 「なんだか、とても怖いです・・・子供たちの一人が死んでしまうのかもしれません・・・」 「未来のあなたに聞いて・・・おばあちゃん、誰が死ぬのですか?」  彼女は泣きながら言いました。 「わかっているけど怖いの・・・怖いの・・・こわい・・・」 「おばあちゃん、おばあちゃんってば・・・誰が死ぬの?」  泣き続けている彼女の向こうから、おばあちゃんの低くかすれた声が聞こえてきました。 「アキコちゃんが危ないのだよ・・・」  ワァーと大きな泣き声が彼女を包み込みました。私は神々が導かれるままに、この誘導を続けました。 「おばあちゃん、アキコちゃんの死を防ぎたいから教えてくださいね。アキコちゃんの何に気をつければいいのですか?」  彼女はパッと泣きやんで、おばあちゃんの声に耳を傾けています。私もそのまま一緒に待ちました。静かな時間が少し流れた後、彼女は言いました。 「病気だって・・・」 「何の病気ですか?」 「どうしようもないのだから、それを聞いてもダメだって言われました・・・」  彼女は暗黒の底なし沼に身を沈めながら言いました。私は彼女の手を離すまい、と誘導を進めました。 「大丈夫ですよ。おばあちゃんに尋ねます。未来のあなたの時には、アキコちゃんはいくつまで生きられましたか?」 「怖い・・・聞くのが怖い・・・」  彼女の声がどんどん小さくなっていきます。私は彼女を励ましながら続けました。 「大丈夫ですよ。がんばって・・・アキコちゃんはいくつまで生きましたか?」 「怖い・・・二十歳だと言ってます・・・若過ぎます・・・」 「大丈夫ですよ。がんばって・・・二十歳の時の何の病気ですか?」 「血液の病気です・・・白血病・・・」  白血病。血液のガンと呼ばれています。元気で普通に生活している人々を突然、襲います。当り前の幸せを奪い去っていく忌まわしい病気です。この世の愛が希薄になればなるほど、骨髄移植という無償の人類愛を育てられるか、私たちは神さまに試されているのです。  医院の入口で微笑んでいる夏目雅子の骨髄バンク登録を呼びかけるポスター・・・。  世界の中心でアキへの愛を語りかけるシーン・・・。  同級生みんなが丸坊主になってしまった話・・・。  一瞬のうちに私の脳裏を横切っていきました。私は思いました、このアキは死なせないと。 <明日に続く>

2013年12月16日月曜日

おはようさん 2013.12.16.

谷山浩子ちゃんの大阪フェニックスホールでのソロコンサートへ今年も参戦してきました。 彼女のコンサートに来る人たちって、何と表現したらいいのかしら? と開演までの時間、まわりをキョロキョロ見渡しながら考えてみました。 男性が多いのですが、NMB48のオタクさまたちとは違っています。 でも、コアーな人たちばかりだし。。。 目を閉じて、イメージを感じて見ました。 森の中・・・そうキノコや苔のイメージです。 真面目で、世の中を渡るが下手で、それでも一生懸命な人たち。 お金持ち、財産持ち、権力持ち、ステータス持ちな人は見当たりません。 みんな、日の目を見ないけど、だからといってネガティブでもなく、それなりに楽しんで、笑えている人たちかな。 花は咲かないけれど、自分たちの世界をしっかりと持っている。 谷山浩子ちゃんの曲は、普通の人たち?には意味不明だと思います。 宇宙人のような感性があれば、 超時空できる感性があれば、 ワンネスな感性があれば・・・はまります。 彼女の代表作?「まっくら森の歌」「恋するニワトリ」「しっぽのきもち」 特に「まっくら森の歌」は幼少期に受けたトラウマ曲のナンバーワンとされて、今でも大人気曲です。 私が最初に出会ったのは、大学生の頃。友人たちがはまっていて、なるほどねぇ と聞いていました。 本格的にはまったのは、やっぱりスピリチュアルな世界に入ってしまってから。 彼女の中に降ってきたイメージがそのまま感じ取ることができるようになりました。 私がよく使うフレーズ「意味なしアリス」も彼女の曲の題名です(今日も歌ってくれました)。 年に一度か二度のコンサート参戦ですが、なんだかとても懐かしい感じがして、ほのぼの癒されるので大好きなミュージシャンさんです。 <コンタクトの続きです> 「神さまの隣に、タカシさんとよねさんが一緒に上ってきています。まず、よねさんに向かってお願いしましょう。よねさん、今の私に一言、アドバイスをください。すると、よねさんは今のあなたに向かって、どんなアドバイスをくれましたか?」  彼女は過去生のよねさんの声で言いました。 「もっと素直に生きた方がいいですよ。今のあなたは何だかカッコつけてますよ」 「私は素直じゃないかしら?・・・」 「彼の子供たちと初めて出会った時から深い深い繋がりを感じていたでしょう。だから彼と一緒になったのでしょう。子供たち四人も時にはケンカもするし気まずくなることもあるけど、たった一年で本当の兄弟姉妹のような太い絆が生まれたでしょう。  彼の亡骸の前で四人の子供たちを抱きしめていたあなたは素直だったわ。あの時、この子たちはみんな私の子です、って彼に誓ったでしょう。あれが素直なあなたでしょう。彼を愛していたあなた、子供たちのために生きようと決意したあなた、あれが素直なあなたでしょう。  お葬式があって、彼とあなたの親戚からいろいろと言われて、マスコミや見ず知らずの人たちからも散々言われて、理想の母親と良き未亡人を演じさせられていますよ。あなたは悲劇のヒロインになりたかったの? そうじゃなかったことをみんな知っていますからね・・・あぁ、彼も神さまもうなずいています・・・あぁ・・・」  彼女の心の重い扉が嗚咽と共に開き始めました。私は彼女に代わって尋ねました。 「どうしたら私は素直になれますか?」  よねさんの声が答えました。 「心が迷ったら、子供たちを抱きしめてごらんなさい。みんな、あなたを助けてくれます。あなたに運命を切り開いていく勇気と力を与えてくれます。  子供たちには心を開いて、子供たちがいつでもあなたの心の中に逃げ込んで来れるように扉を開いておいてあげてください。子供たちの前だけでも素直なあなたでいて欲しいのです。  辛いこと、悲しいこと、腹の立つこと、落ち込むこと。泣いても、怒っても、無口になってもいいのですよ。ただ、明くる朝は心を精一杯開き切ったあなたの笑顔で子供たちを送り出して欲しいのです。子供たちに感謝と喜びを教えて欲しいのです。  あなたは素直ですよ。だから彼と出会い、子供たちと繋がったのです。すぐに子供たちを抱きしめるお母さん、すぐに笑顔に戻るお母さん、あなたは素直だから出来ますよ」  彼女は微笑みながら、ひとつ、うなずきました。  よねさんはおじいさんの後ろの方へと帰っていきました。私は神さまにお願いしました。 「神さま、今回の私の人生の目的を果たすことが出来た、未来の私の姿をちょっと見せてください・・・さぁ、今のあなたの人生で、この人生の目的を果たすことが出来た未来のあなたの姿がちょっと見えてきます・・・大丈夫ですよ・・・どんなあなたになっていますか?」  彼女は笑いながら言いました。 「老人ホームにいます・・・車イスに乗ったまま、ご飯を食べさせてもらっています。鼻に何か管みたいなものが着いています」 「いいですよ。老人になった未来のあなたに向かって尋ねましょう。未来の私さん、今の私に一言、メッセージやアドバイスを下さい・・・未来のあなたは今のあなたに向かって、何と言っていますか?」  彼女は入歯を外した老人のように、モグモグした口調で答えました。 「人生は楽しいよ・・・私の人生は楽しかったよ・・・この人生は捨てたもんじゃないよ」 「未来の私さん、四人の子供たちはどうなりましたか?」  突然、今の彼女が脅えた口調で言い出しました。 <続きは明日>

2013年12月15日日曜日

おはようさん 2013.12.15.

数年前にNHKで放送された「坂の上の雲」をひょんなことから見ています。 旅順攻撃編と203高地編を見ながら、無性に哀しくやるせなくなりました。 融通の利かない乃木希典第三軍司令官と取り巻きの無能な参謀たちが旅順要塞の正面攻撃を何度も繰り返していきます。 突撃を繰り返しては何千何万の人間が無駄死していく。 何が哀しくやるせなかったのか・・・それは今の福一、今の日本とそっくりに見えたからです。 確かに現場も上層部も一生懸命にやっているのでしょうが・・・汚染水を海に流し、最前線の作業員を使い捨てにして・・・まるで機銃掃射の雨の中を突撃、全滅を繰り返していた旅順と爾霊山と同じじゃないでしょうか。。。 機転の利かない司令官と無能な参謀たちが繰り広げる突撃全滅というシチュエーションは、先の大戦でも繰り返されてきました。日本人の知恵は、まったく進歩していないのかしら? 戦後、アゲアゲの時はボロが出なかったけれど、バブル崩壊後の失われた十年二十年とデフレスパイラルの大低迷期には、やはり同じことが繰り返されてきたように思います。 そして311後の今。 日露戦争の時も日本の国家としての存亡がかかっていましたが、今も日本の存亡の時ではないでしょうか? 2011年から時代がどんどん逆行を始めています。 今の世界情勢は大戦前夜にとても似ています。 この時代の逆行の意味は、歴史からちゃんと学びなさい!という神さまの追試だと思います。 日本人の悪いところを見せてくれています。それに気づかなくちゃ・・・明日はありません。 政治を見ても、藤原摂関家以来の官僚制を見ても、素直で柔軟な目で先例たちを見直せば・・・神さまの追試の答えはもうちゃんと出ています。 ここで答えを出して、具体的に舵を切ってみせなければ、世界中のさまざまなところで点滅し始めている「終わり」のシグナルが一斉に輝いて、何もかもが終わってしまうのではないだろうか・・・別に終末論者ではないけれど、2013年のお日さまが消え去ろうとしているこの時期だからこそ、そんなことに気づいたのかもしれませんね。 <コンタクトの続きです> 「神さま、アキコちゃんから今回、私は何を学んでいるのですか?」  私は彼女の次女について尋ねました。彼女は少し首を傾げながら答えました。 「一生の愛です・・・」 「神さま、私はアキコちゃんと一緒に生きた人生がこれまで何回ありますか?」 「七十六回です」 「今回アキコちゃんが私の子供に生まれたのは、私がアキコちゃんを呼んだの? アキコちゃんが私を選んだの? それとも神さまが決めたのですか?」 「アキコちゃんです」 「今回、なぜアキコちゃんは私を選んでくれたのかしら?」 「会いたかったからだって・・・」  彼女は嬉しそうに言いました。よねさんの人生では、次男が今のアキコちゃんでした。台所で突然倒れた時、この次男も駆け寄ってきて、お母さん、お母さん、と呼び続けたのでした。もう一度お母さんに会いたい、という強い気持ちが今生での再会に実を結んだのでしょう。 「神さま、私はこれからアキコちゃんをどのように育てていったらいいですか?」 「病気しがちかもしれないから気をつけなさい、と言われました・・・そんなに病気なんかしてないけれど・・・」  彼女は考え込むように答えました。答えを探そうと彼女の左脳が働き始めないように、私は夫の長女について続けて尋ねました。 「神さま、私はエリちゃんから今回、何を学んでいるのですか?」 「捨てないこと・・・です」 「エリちゃんと一緒に生きた人生は今まで何回ありましたか?」 「七回です」 「エリちゃんが今回、私のところへ来たのは、私がエリちゃんを呼んだのですか? エリちゃんが私を選んだのですか? それとも神さまが決めたのですか?」 「私が選んだみたいです」 「私は今回なぜエリちゃんを呼び寄せたのですか?」 「大事だったから、と言われました」  エリちゃんは、よねさんの人生では長男でした。よねさんが初めて抱いた我が子です。よねさんの短いけれど幸せだった後半生を象徴するかのような、とても大事な存在だったのでしょう。なぜ夫の連れ子に回ったのかはわかりませんが、よねさんと彼女の強い想いが感じとれる関係です。 「神さま、私はこれからエリちゃんをどのように育てていったらいいのでしょうか?」 「まっすぐ・・・まっすぐ・・・このまま、まっすぐ・・・と言われました」  彼女は何か悟ったような口調で答えました。私は夫の長男について尋ねました。 「神さま、シンヤ君から私は何を学んでいるのですか?」 「安らぎです」 「シンヤ君と一緒に生きた人生は何回ありますか?」 「六って書いてあります」 「今回シンヤ君が私のところへ来たのは、私がシンヤ君を呼んだのですか? シンヤ君が私を選んだのですか? それとも神さまが決めたのですか?」 「神さまみたいです」 「神さま、今回、なぜ私とシンヤ君を結びつけたのですか?」  彼女は小さな声に耳を傾けるように首を傾げました。そして、ニコッとした後に涙声で言いました。 「シンヤ君がこれから私を助けてくれます。あの人を亡くした私の心を癒してくれます。残された家族に安らぎをくれます」  私は神さまに尋ねました。 「神さま、この子供たち四人は今回、なぜここに集まったのですか?」 「ずっと昔から、四人は仲の良い友達だったのです。何か事がある時には、必ず四人が集まってきます。四人は力を合わせて、困難な試練を乗り切ろうとしている人をサポートする役目をずっと昔からしてきています。四人は古くからのソウルメイトなのです」  彼女は神さまの言葉をそのまま伝えるかのような淡々とした口調で言いました。私は次のステップへと彼女を導きました。 <明日に続く>

2013年12月14日土曜日

おはようさん 2013.12.14.

肝癌と重度心不全と認知症で寝込んで入院している患者さんを先日から往診しています。 今日、往診したら心不全がとても良くなっていました。 主治医さんは「俺の治療はどうだ!」ってドヤ顔で自慢してましたけどね、 ほとんど薬は変わってないのを知ってるんだぁ へへへ。 まぁ わからん話をしてもしゃぁ〜ないから、ここは花を持たせてあげましょう。 ホントはね、鍼が効いているんだって私は思っているわけです。 どっちにしても、結果オーライなのが一番です。 今日は左の脈が全く触れず、腹診&顔望診で肝火上炎・心火上炎・腎虚は相変わらずでしたので、左太衝に金鍉針で翳す補法をしたら・・・パッと脈が出てきて、顔の肝火上炎が軽快したのがわかりました。 鍼の反応が良いので、きっとこれからどんどん良くなっていくでしょう。楽しみです。 重い自律神経失調症の患者さんたちには、ずっと湧泉を豪針で補法しています。 湧泉:足少陰腎経 効能:急性・慢性腎炎、心悸亢進、浮腫、下肢マヒ、運動障害 蓮風先生の藤本家秘伝だそうですが、漢祥院で研修中に湧泉を補法されるのを見ていて、そのものすごい氣の放散に感じ入っていましました・・・これは使える! 脳裏に浮かんだのは、精神薬でも漢方でも治療効果の芳しくない患者さんたちの顔です。 早速、湧泉をしてみると、予想通り! なかなかの良き反応でした。 湧泉は痛い。ともかく痛い。そりゃぁ靴の中に砂粒が入っても痛くて歩けないもの。 でも、良く効きます。 しっかりと湿らせておいて、ゆっくり&ゆっくりと刺入していくと、最近では無痛の人たちも増えました。 それでも、寒冷前線が通る日は、やっぱり痛がりはります。刺入している鍼にも湿邪がまとわりついているのがわかります。 患者さんのこころの邪気が重く、大きく、強いほど、痛がりはります。やっぱり邪気がネバネバと鍼にまとわりついてきます。ひどい時には鍼を押し出してきます。 そして、とても面白いのは、痛い・痛いと言いながらも続けていくと、邪気がどんどん柔らかく、小さくなっていくのがわかります。それと平行して、患者さんもどんどん素直になっていきはります。 これってすごいことですよね。素直にする治療法なんて、この世になかったんだから。 今は古い太陽が終わりを迎え、寒さがどんどん厳しくなっていく時期ですからしょうがありませんが、来年の春、湧泉をしている患者さんたちが果たしてどれくらい良くなっているのか、とても楽しみにしています。 <コンタクトの続きです> 「神さま、私は今回の人生でタカシさんから何を学んでいるのですか?」 「親の愛だそうです」 「私はこれまでタカシさんと一緒に生きた人生が何回ありますか?」 「五十六か三十六です」 「私はこれまで何回生まれ変わりましたか?」 「四百三十六・・・四百三十六?」  彼女は驚いた声をあげて言いました。私はそれを素通りして、四人の子供たちとの関係へと質問を進めました。まずは彼女の長女からです。 「神さま、ヨウコちゃんから私は今回、何を学んでいるのですか?」 「捨てないことです」 「ヨウコちゃんと一緒に生きた人生は何回ありますか?」 「八回です」 「今回ヨウコちゃんが私の子供になったのは、私がヨウコちゃんを呼んだのですか? ヨウコちゃんが私を選んだのですか? それとも神さまが決めたのですか?」 「私が呼びました・・・」 「私が今回、なぜヨウコちゃんを呼んだのでしょうか?」  彼女のハッとした心の動きが分かりました。 「育てたかったからです・・・」  よねさんの人生では、ヨウコちゃんは女の赤ん坊でした。よねさんが死ぬとき、その赤ちゃんはまだまだ小さかったはずです。幼子を残して突然この世を去らなければならなかったよねさんの心残りだったのでしょう。だから今回の彼女の人生では真っ先に自ら呼び寄せて、長女として育てていたのです。 「神さま、私はこれから先、ヨウコちゃんをどのように育てていけばいいのでしょうか?」  神さまはきっぱりと言い切りました。 「認めなさい」  認める・・・難しいことだなぁ、と私は思いました。  母親と子供の間には、どうしても依存関係が生じます。赤ちゃんにお乳をあげた時から共依存関係になり、それは子供が巣立つまで続きます。心療内科を訪れる心の病気の患者さんの多くは、この母子共依存に根本原因があります。お互いに手放せない、自立できないケースです。子離れ、親離れできないで身体と年齢だけが大人になってしまうのです。  切り離してしまえばいい、で事は収まりません。母親は子供に生きがいを背負わせて自立することを認めません。心のエネルギーを奪い続けることで、いつまでも離れられないようにしてしまいます。子供は成長するエネルギーを奪われているので反発はしますが、恐ろしい外界に出て苦労するよりも母親の懐にいた方が安心していられるので自立しようとしません。自分を独立した大人だと自ら認めようと努力しないし、母親に認めさせようとチャレンジしなくなります。 「私はこの子を大人だと認めていますし、子離れできています」  そんな母親の言葉を心を閉ざした病気の子供さんの前で何度も聞いてきました。  自分を認めることが出来てはじめて、他人を認めることが出来ます。  自分とは子供にとって、一体どんな存在なのだろうか?  自分と子供との関係は客観的に見たら、どんな関係なのだろうか?  この問いへの自分なりの答えを導き出すことが出来なければ、本当に子供を認めることは出来ないでしょう・・・これは、とても難しい問題なのです。 <明日に続く>

2013年12月13日金曜日

おはようさん 2013.12.13.

木曜日の午後は藤本蓮風先生の漢祥院での研修&鍼治療の日です。 最近、お疲れモードなので、この日がとても待ち遠しく感じます。 神経難病の患者さんや癌の患者さんたちが今日も治療に来られていました。 いつもとても勉強になります。 頭の勉強というよりも氣を感じるお勉強ですね。 蓮風先生の金の鍉針を翳す鍼でバーンと動いた氣に、今日もビリビリ痺れちゃいました。 薬師丸ひろ子風「カイカ〜ン」なのです。 先日、在宅往診へ向かう車中での看護婦さんとの会話で・・・ ふっと、ホスピスやりたいなぁ と言うと、 私もホスピスやりたいと思ってました、と言われて、何だかとても嬉しくなりました。 ホスピスと言っても、やっぱり私流じゃないとね。 緩和ケアーは嫌だな。 だって死の方を向いているもの。 苦しまないで(除痛して)楽に(安らかに)死を迎えるお手伝い医療=緩和ケアーだと私は思っています(あえて今はホスピス学会や緩和ケアー学会から距離をおいていますので、間違えていたらごめんなさいね) 楽にしてあげようじゃなくって、良くしてあげようというコンセプトが私流です。 「一緒に奇跡を起こそうよ」がメインコンセプトの医療です。 世の中に数多ある代替医療の中から、「これはほんまもんの匂いがする」という療法を厳選して、患者さんとの相性を見ながら取り入れていきます。 療法そのものとそれを施術する人を見抜く感性が磨かれてきて、残された時間の少ない患者さんひとりひとりに最適な療法をお薦めする自信が持ててきたからこその「ホスピスやりたい」宣言なのです。 蓮風先生もやはり生の方を向いておられます。 例え大病院で治療困難とさじを投げられた癌末期の患者さんでも、氣が動けば(生の匂いがすれば)その鍼は生きるための鍼となっています。 腹水が溜まって苦しい→鍼で腹水を軽減する。楽にするためだけじゃありません。 腹水を数ヶ月小康状態に保っていれば、臓器や免疫などの身体が治ろうとする力が蘇ってくるから・・蓮風先生の鍼には、良くなる、治るという東洋医学の叡智が輝いていますし、自然と共に生き、大いなるものに生かされているのだから大丈夫だという信じる力、念じる力が美しく流れています。 そう、私がやりたかったのは「一緒に奇跡を起こして治ろうよ」なホスピスだったんだなって気づいたのです。 現実にやれば・・・ほとんどの癌患者さんたちは亡くなるでしょう。 でもね、死と向き合って(死を受容して)死んでいくのではありません。 そもそも、死の受容なんてムリですもの(言い出しっぺのキュープラー・ロス博士だって死に際は・・・でしたものね)。だって、それが人間だもの。 生を輝かせるお手伝いをして、生を見つめながら・・・ある日、後ろにそっと倒れ込むように死に抱かれる。 癌などで死を宣告されるということは、とても幸せなことです。残された時間があるから。 脳卒中や心筋梗塞や交通事故などで突然死する人たちをたくさん診てきて、つくづく思います。 実際にやっていることは緩和ケア・ホスピスとあまり変わらないかもしれないけれど、「一緒に奇跡を起こして治ろうよ」って生を向いているモチベーションは、きっと大きな何かを生み出していくと思います。 美しく生きる。善く生きる。 死に抱かれるまでの時間に、自分なりの美と善を極めていただけるお手伝いをしたいと思っています。 (今日のブログは神さまへのプレゼンテーションでした(*^^)v <コンタクトの続きです> 「前の奥さんに、子供たちを産んでくれてありがとう、って言っています・・・ケンカしていたのに・・・」  彼女はちょっと驚いた声で言いました。私はそのまま続けました。 「タカシさん、あなたは突然、死んでしまいましたけど、何か恨んだり怒ったりしていることはありますか?」 「恨みなど何もない、と言っています」  事故死や病死をした多くの人たちとのコンタクトを行ってきましたが、それがどんなに悲惨な死に際であっても、誰ひとり恨みや憎しみを持ち続けていた魂はいませんでした。  遺していった家族たちへの強い愛はいつまでも続いています。しかし、加害者や責任者への恨みや憎しみの感情とネガティブなエネルギーは死と同時に手放してしまっているのです。  どんな魂も、とても穏やかな気持ちで遺していった人たちをいつも、ずっと見守っていてくれるのです。  私は彼女の質問を続けました。 「タカシさん、どうしたら私は前向きになれますか?」 「我慢すること・・・今が我慢のしどころなんだぁ・・・」  彼女は言葉を飲み込むように答えました。 「神さま、私の今回の人生の目的は何ですか?」 「しっかり生きることだ、って言われました・・・」 「神さま、しっかり生きるためには、私はこれからどうしたらいいのでしょうか?」 「子供たちが望むままに、って言われました。子供たちが私を導いてくれるようです」  今回の人生の目的は何か?  これは誰もが一番知りたい事柄です。私のワークでは必ず尋ねますが答えは人それぞれで、いくつかの真理にまとめあげることは出来ません。  ひとりひとりの人間は独自の目標を持って生まれてきています。それら無数の人生の目的に優劣はありません。人生の目的に達することが出来ても、途中で挫折したりあきらめたりしても、人生を終えた後で誰からも責められたり批判されたりすることはありません。うまくいった、失敗だったと一喜一憂することもありません。誰からも評価ジャッジされません。ただ、自分で次の人生を計画する時の参考資料にする際に、客観的で冷静な目でこの人生を詳細に振り返るだけです。人間の立場からこの作業を見たら、とても辛く恥ずかしいように思えるでしょう。しかし魂に戻ってしまえば、そんな想いは生じません。魂に戻れば、誰もが神さまと同じ愛に満ちた目をしているからです。  このワークを続けてきて分かったことは、魂に優劣はない、善悪はない、正しい間違っているはない、ということです。魂が人間の人生を通じて得ているもの、それは「体験」です。喜怒哀楽の感情であり、百八つの煩悩を実際に味わってみているのです。  だったら、人生は変えようのないものなのでしょうか?  不幸な人生、悲しく辛い人生は味わい尽くすまで、どん底に落ちるまで続くのでしょうか?  死ねば、そんな辛苦に満ちた目的をリセット出来るのでしょうか?  例え自殺して早く死んだとしても、この人生で味わおうとしていた目的は、そのまま次へと引き継がれていくかもしれません。次でなくても、いずれかの人生でもう一度やり直すことでしょう。その時、また同じ辛苦を一から味わうかもしれません。今の人生では、あともう少しだったかもしれないのに、その後にご苦労様の幸せな後半生が準備されていたかもしれないのに。  辛苦の人生は変えられないのでしょうか?  不幸は八方ふさがりで逃げ道はないのでしょうか?  魂は「体験」を味わっています。辛苦や不幸は抵抗すればするほど、ますます牙をむいて襲いかかってきます。それは死ぬまで続きます。死・・・それはすべてを手放すことです。魂には辛苦や不幸を実体験できないから、わざわざ人間をするのです。  人間と魂の差は何でしょうか?  それはすべてを手放せるかどうか、です。私たち人間が持っているいろいろなものを死は容赦なく奪い取ってしまいます。無理矢理手放させられるのです。ここにヒントがあります。  辛苦や不幸が襲ってきたら、抵抗せずに息を潜めて通り過ぎるのを待ちましょう。もちろん、艱難辛苦は味わわなくてはならないでしょう。それが人間として生まれてきた意味なのですから。 しかし魂がその艱難辛苦を味わうことが目的ならば、ちょっだけ味わって手放すことが出来れば、辛苦と不幸は足早に通り過ぎていきます。そして再び襲いかかってくることはありません。そこからは新しい人生が待っているのです。  艱難辛苦を味わうとは、どうすればいいのでしょうか?  艱難辛苦は体験として実際に起こります。その時の対処も限られています。それらを味わうとは、艱難辛苦に前向きに向き合うということなのです。不幸が襲ってきたら、背中を丸めて後ろ向きにしゃがみ込んでしまう人が多いでしょう。不幸の目を見つめなければ不幸の本質は分かりません。なぜその不幸が襲ってきているのかの意味がつかめないのです。  襲ってきた不幸の本質を見極め、その意味へ感謝することができたとき、その不幸の存在意義は消え去ります。不幸はすぐにどこかへと去っていってしまい、後に残った人の心は大きな成長を遂げています。もう二度と同じ不幸が襲ってくることはありません。この世に意味のないことは起こらないからです。  どんな艱難辛苦にでも、それが目の前に起こっている意味が必ずあります。それを見つけるためにはどうしても前を向かなくてはならないのです。艱難辛苦に向き合うことは簡単なことではありません。勇気も、忍耐も、気力も要ります。支えてくれている人たちへの感謝と愛も必要です。どこまで人を信じられるか、が試されるのです。  逆境の中で最後まで自分を信じて目を見開いたとき、すべての真実が見えてきます。大きな人生の理ことわりが分かるのです。  しっかり生きること・・・そこには深い意味が込められているのです。 <明日に続く>

2013年12月12日木曜日

おはようさん 2013.12.12.

自分の親が亡くなったり認知症になったりすると、世の中にものすごい数の老人がいることを実感できます。 日本は世界有数の超高齢化社会だそうですが、お隣の中国も負けじと超高齢化社会となっているそうです。 アメリカもヨーロッパも同じ。世界の中で貧困と戦争の渦中にない国々はどこも超高齢化していっているようです。 超高齢化というモンスターは老人医療費をガブ飲みしていきます。 お年寄りとその家族の幸福度を食い尽くしていきます。 超高齢化モンスターが過ぎ去った跡には、涙とため息と鬱しか残りません。 希望も笑顔も愛も忘れた生きる屍のような毎日が過ぎていきます。 ゴジラより恐ろしく吸血鬼より呪われたモンスターです。 そんな恐ろしいモンスターがすでに闊歩しているというのに、対ゴジラ作戦はそっちのけで、中国や韓国とドンパチしようとしている?のは、もう滑稽であきれ果ててしまいます。 長生きする人が増えているのだから老人医療費が年々増大するのは当たり前です。で、果たして老人医療費は死に金なのでしょうか? 介護認定もこの十年でものすごく厳しくなりました。介護保険が始まった当初は、こんな病状でなんでこんなに重度の認定になるの? なケースが多かったのに、最近では、こんなに重症なのになんでこんなに低い認定なの? これじゃぁ死ねと言ってるのと同じですよ! なケースが増えました。現に十分な在宅ケアーができなくて、認知症が進んでしまったケースもあります。本人も家族も幸福度 最低ですよね。 高齢者が増える。これを内需と見れば、内需拡大 地産地消 それも無限軌道するシステムを創造する大チャンスだと思います。 最新鋭戦闘機や軍艦、戦車を買ったって、10年過ぎれば・・・減価償却できてるの? な世界です。 中国と戦争? やってみなはれな 喜ぶのは軍需産業国家だけですよねぇ。老若男女 善良なる国民の幸福度は果たしてどれくらい上がるのでしょうか? 愛国心煽って提灯行列でもしますかねぇ。。。あれれ? だれも出てこないやん? そりゃぁ若者はみんな徴兵されたし(もちろん女子も)、銃後に残るは老人ばかり・・・みんな腰膝痛くて行進なんてできましぇん。。。とほほ。 日本は超高齢化社会のトップを走ってるのなら、それをチャンスに変えましょうよ。 内需なんだから、医療費をつぎ込むことで社会全体の経済活動が上手に潤い、老若男女 誰もが笑顔になれるシステムを新しく創り出しましょうよ。 官僚や政治家にはそんなクリエイティブな知恵などありませんが、アニメやオタクを世界発信できた日本のクリエイターなら、きっとエジソンもアインシュタインもびっくりな超高齢化医療システムを創り出すことができると思います。 バブルを経験して、デフレを生き延びて、放射能にさらされながらも何とかやっている日本人だからこそ、まったく新しい視点の超高齢化社会医療システムを生み出せると信じています。 そしてね、これが世界を救う唯一の道じゃないのかな。 そんなことを思いながらの今日の在宅往診でした。 <コンタクトの続きです> 「そのまま、もっとその人に近づいて・・・近づくと、もっとはっきりと見えてきますよ」 「タカシさんです・・・」  彼女の声がパッと明るくなりました。 「タカシさんに近づいて・・・タカシさんの手を握って・・・どんな感じですか?」 「いつもの・・・ちょっと湿った感じです」 「タカシさんを引き寄せて、そしてギューと抱きしめて・・・どんな感じですか?」 「タカシさんです・・・」  彼女は涙声に変わりました。私はそのまま彼女たちを導きました。 「タカシさんに抱きしめられたまま、お願いしましょう。タカシさん、私たちを見守ってくれている神さまのところへ連れていってください・・・。するとタカシさんとあなたはスッーと上がっていきます。どんどん上っていって・・・そして、あなたたちを見守ってくれている神さまのところへと導かれます・・・さぁ、どんな神さまが見えますか?」  彼女はゆっくりと答えました。 「ひげが生えています・・・ひげの生えたおじいさんです」 「どんな表情ですか?」 「ちょっと怖いけど、笑っています」  彼女は少し緊張した声で言いました。私はこのワークの核心へと進んで行きました。 「大丈夫ですよ。そのおじいさん、あなたの神さまに尋ねましょう。神さま、神さま、私が今回タカシさんと出会った意味は何ですか? 教えてください。すると、神さまは何と言っていますか?」  彼女の声に荘厳なおじいさんの声が入り交じって聞こえてきました。 「望んだからだ・・・」 「誰が望んだのですか? 私が望んだのですか? タカシさんが望んだのですか? 神さまが望んだのですか?」 「お前たち二人で決めた・・・」 「神さま、今回、私がタカシさんとこういう形で出会ったのは予定通りなのですか?」  彼女の声だけが答えました。 「おじいさんは悲しそうな顔をして、うなずいています」 「神さまはなぜそんな悲しそうな顔をしているのですか?」 「早く死んじゃったからだと思います」  彼女の声が再び涙声に変わりました。 「神さま、なぜ夫はあんなに早く死んじゃったのですか?」 「おじいさんは悲しそうな顔をしたまま首を横に振っています。夫が死んだ理由は・・・浮かんできません」 「神さま、夫が早く死んだのは予定外だったのですか?」 「おじいさんは悲しそうな顔をしたまま、うつむいています。もういいです」  彼女はため息をつきながら言いました。私は彼女から預かっていた質問に移りました。 「神さま、私は夫の子供たちをこのまま育てていってもいいのですか?」 「自分の好きなようにしなさい、と言っています」 「あなたを抱きしめてくれているタカシさんにも尋ねましょう。あなたの子供たちも私が一緒に育てていいのですか?」  彼女はうれしそうに答えました。 「笑いながら、大きくうなずいてくれました・・・私をギューと抱いてくれています。なんだか心がぴったりとくっついている感じがします・・・あぁ、彼の想いが私の中に流れ込んできます・・・私の中に彼のすべてがいます・・・」  彼女はそのまま無言で夫と話し続けました。私の想念が逢瀬の邪魔にならないように、何も考えないまま私は彼女たちを見守りました。  しばらくしてから彼女は落ち着いた声で言いました。 「分かりました」 「では、タカシさんに尋ねましょう。タカシさん、あなたは今、苦しんでいませんか?」  私は残された人たちがいつも一番心配している質問を尋ねました。彼女は笑いながら言いました。 「おじいさんもタカシさんも苦笑いしています。苦しんでないよ、って言ってます。苦しんでないよ、って・・・」 「タカシさん、今、どうしているのですか?」 「私の近くにいる、って言っています」 「タカシさん、これからも私のことをずっと見守っていてくれますか?」 「当たり前だ、と言っています」 「タカシさん、私があなたの子供たちを一緒に育てていいのかしら? 私でいいの?」 「おまえの子供たちだ、って言っています。そうだよ、そうなんだよ・・・私の子供たちなんだよ・・・そうかぁ・・・」  彼女はうなずきながら泣いています。私は少し間をあけてから言いました。 「タカシさんにお願いしましょう。タカシさん、四人の子供たちにそれぞれメッセージを遺してください。タカシさん、ひとりひとりにメッセージをくれるからね、覚えて帰りましょう」  彼女は何度もうなずきながら、夫からのメッセージを受け取っています。 「はい、終わりました。シンヤには、そのままで・・・そのままでいい、と言ってくれました」  彼女はとてもホッとした声で言いました。彼女のまわりから緊張が溶け出しています。私は夫に尋ねました。 「タカシさん、他の人へも伝えたいことがあったら、何か伝言があったら言ってください」 <明日に続く>

2013年12月10日火曜日

おはようさん 2013.12.11.

最近所々に高齢者向け賃貸住宅なる施設が出来ています。 通院していたお年寄りたちがいろんな施設に入所して、往診にうかがってみて、その内情の落差の激しさにびっくりしています。 最近出来た施設は、まるで高級マンションのような入り口と廊下に驚かされます。 でも、そこに入所したお年寄りは、すぐにうつ状態になってしまいました。 だって・・・誰も来ないから。。。 ひと月いくらの基本料金と共益費と食費 が費用のベースになっているのはどこも同じです。 で・・・そこからが銭ゲバかどうか?の分かれ目です。 お薬を1回持ってきてもらったら、¥¥¥ 洗濯頼めば、¥¥¥  おそうじも、¥¥¥ ひどいところはコール1回で、¥¥¥ 別にね、それが悪い!とは言い切れませんけど、ちょっと逆に考えてみてください・・・ そう、呼ばないと誰も顔を出してくれないということです。 私が診ていたお年寄りも¥¥¥がかかるからって、なるべくコールしないように我慢してました。 お薬も自分で管理して飲めるって・・・ムリでしたけど。 入れ物はとても高級感いっぱいだけど、廊下はシーンと静まりかえっていて、各階にある小さな談話室に話し声を聞いたことはありませんでした。 デイケアに行っているか、部屋に閉じ籠もっているか・・・なんでしょうね。 ある高級感いっぱいの新しい施設では、食事介助してくれたのはいいけど、1週間もしないうちに誤嚥させて緊急入院・・・亡くなってしまいました。 そこは手広くやっている病院が造った施設でしたが、夜間の誤嚥&肺炎は診てくれず、隣が病院なのに救急車を呼ぶ始末でした。現実なんてそんなもん・・・ですけどね。 そんなトンデモ施設ばかりではありません。 これも私が往診している高齢者向け賃貸住宅ですが、いつもスタッフたちの笑顔と笑い声が聞こえてくるところがあります。 スタッフが笑顔だと、患者さんたちもやっぱり笑顔・・・とはいかないけれど、少なくとも自室に閉じ籠もって孤立している患者さんは皆無です。 だって、大阪流にずけずけ入り込んでは声をかけていくからね。 まるで めぞん一刻館 です。 毎日、何かドラマがある。 だから、生きている気がする。 生きてる気がするから、明日も元気になる。 善循環するから、患者さんたちの運気もあがる。 すると・・・例え誤嚥しても肺炎にならないし、転倒しても骨折しない。 入所すると元気になれる施設。 うつになっちゃう施設。 ここに入ったら半年以内に死んじゃうやろなっな施設。 高齢者向け賃貸住宅にもいろいろあります。 そんなん 素人にはわからんよ! ですか? いえいえ ちゃんとわかります。 普段から外見やブランド、¥¥¥を判断尺度にしてる人たちにはわからないでしょう。 これは何を言っても、どう説明してもわからない。だって、生き方であり、その人となりそのものだから変えようがありません。 まずその施設を見学に行ってみる。 そして匂いを感じてみる。氣を感じてみる。ただそれだけでわかります。 普通の感性があれば、3分以内にわかっちゃうでしょう。 死んじゃう施設は問題外として、これからどんどんと「うつになっちゃう」施設が増えてきます。 元気になれる施設は儲からないので、絶滅危惧種です。 イリオモテヤマネコ並に見つけるのが困難です。 でも、まだまだ探せば静かに&ほのぼのと生息しています。 あなたの近くにもそんな元気になる施設があれば、いいですね。 <コンタクトの続きです> 「いいですよ、それはそのまま覚えておきましょう。そしてね、そのまま死ぬ場面を通り越して・・・死ぬ場面を見ます・・・よねさんの魂が身体を離れます・・・死ぬ場面を見て、死ぬ場面を通り越します・・・よねさんの魂が身体を離れて宙に浮きます・・・宙に浮きましたか? 死体が下に見えますか?」  彼女はすぐに答えました。 「はい、倒れています」 「自分の死体を見て、どう思いますか?」 「あぁ・・・という感じです」 「その感じを心に感じたまま・・・今、身体を離れて宙に浮いた時に、身体のどこから抜け出しましたか?」 「背中から普通に引っ張られる感じで抜けました」  彼女は死の状況を淡々と語ってくれました。 「今、よねさんの魂は身体から離れて死にましたが、よねさんの魂が身体から離れて死んだ時に、何か決心したこと、誓ったことはありますか?」 「何もありませんが・・・ひとつだけ、これでお父さんに会えると思いました」  私はソウルメイトが迎えに来ていないかどうかを確かめました。 「そこで周りを見て・・・よねさんの周りに誰か迎えに来ていませんか? 誰かを感じませんか?」  彼女の頭がゆっくりと見渡しています。 「タカシさんが来ています・・・お父さんがいます・・・」  彼女の心がパッと明るく輝いています。 「お父さんはどんな表情ですか?」 「とても優しそう・・・」 「お父さんはよねさんに向かって、何と言っていますか?」 「よく来ましたね・・・そんな感じです」  彼女の声まで弾んで聞こえてきます。私はふたりの魂を光へと導きました。 「さぁ、お父さんと手を繋いで、お父さんと一緒に上へ昇っていきましょう。ゆっくりと上へと上ります。どんどん、どんどん上へ上へと昇っていきます。どんどん上がりながら、ちょっと下を見ると時間が流れていって、よねさんのお葬式の場面が見えてきます。よねさんのお葬式はどこでしましたか?」 「家です」 「家の中に夫はいますか?」 「います・・・泣いてくれています・・・」 「子供は三人いますか?」 「女の子の赤ちゃんは誰かに抱っこされています」  彼女はホッとした様子で言いました。 「自分のお葬式を見てきて、よねさんはどう思っていますか?」 「とても客観的に見ていますね。フウーンという感じです」  死んでから自分のお葬式がどのように見えるのか、これは永遠の謎です。誰にも正確なことは分からないことだから、みんな自分勝手に想像しています。高価で立派なお葬式もあります。質素倹約したお葬式もあります。海に遺灰を返すお葬式もあります。どんなお葬式であっても、残された人々がそれで丸く収まるのだったら、亡くなった方はウンウンとうなずいてくれそうな気がします。  私はそんなことを考えながら、誘導を進めました。よねの魂と彼女の意識をどんどんと高く導きます。そして、幾多の人生を見渡せる高見に来た時に尋ねました。 「この高いところから、よねさんの人生と今のあなたの人生を平行に並べて見比べてみましょう。ふたつの人生から何か気がつくこと、感じられることはありますか?」  彼女は瞑想するように少し呼吸を止めています。心の奥深くに居る彼女の本質が思索しているのです。  そこは彼女の内なる宇宙への入口です。時空間の束縛から自由になれれば、誰もが到達できる境地です。輪廻転生やカルマ、水子、怨念などの現世利益の果てに創られた想念から禊みそぎできる聖地です。すべての自分を許し、すべての自分を認め、ただひとりの自分を愛することができる祝福の場です。そこは神さまの前でひざまずくことのできる最後の聖地なのです。すぐ向こうには宇宙の真理があります。手を伸ばせば大いなる神に触れることができます。  その最も人生を客観的に眺めることの出来る高見から、彼女は答えました。 「最後まで子供たちをちゃんと育てなければいけません・・・最後までちゃんと長く・・・ちっちゃいうちに置いてきてしまったから・・・」  彼女の声に涙も驚きもありません。それは彼女の魂が得た人生の真実だからです。私は彼女を神さまの中へと導きました。白い雲を突き抜けて、どんどんと神さまの世界へと進んでいきます。そして、神さまの世界の中心近くに来た時に、誰かが出迎えてくれました。 「その人に意識を向けて・・・その人はどんな人ですか?」  彼女は首を傾げています。 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.10.

お風呂でゆったりしながら、フッとお湯さんとお話をしました。 水・・・海、川、雨、雲。生き物 植物も動物も水から出来ていますよね。 岩石の中にだって水がある。 今の私の身体の水はどこから来たのかな? 水を飲んで、身体となって、おしっこや汗で出ていくのをもう50年以上繰りかえしているわけで。 生まれてからずっと私の身体の中に居る水って・・・とっても少ないだろうなぁ。ほとんどが何度も入れ替わっている。 じゃぁ、今こうやって気持ち良く浸かっているお湯さんは、いつかどこかの誰かの身体の中に居たんだよね。 誰かさんの喜怒哀楽な気持ちも、必死に働いた汗も、さまざまな出来事も、きっと波動としてその水の中に残っているはずで。 するとね、このお風呂のお湯さんはいったい何人、いやいや何千何万人、いやきっともっとだよね、何億何兆人の想いを受け継いでいるのだろうなぁ。 人だけじゃないよね。さまざまな動物も植物も、そう、恐竜も三葉虫も、38億年前の原始生物も、その想いはこの水の波動のどこかに息づいているはずです。 「一番最初にこの地球に降りた意識体へ」というテーマで過去生を見たことがあって、 その時に見えたのは、もうすぐ地球に降りる(ぶつかる)隕石でした。目の前には、まだ真っ茶色な地球がちょっぴり不安げに漂っていて・・・ 次の瞬間、海が出来ていました。私の意識は荒波に打たれる大岩で。ザブッザブッと大波をかぶりながらも、なんだかうれしかったのを覚えています。水をこの地球に運んできた隕石だったのですね。 時という軸は、この地球上・・というか、私たち人間界では大切ですが、宇宙から見れば無意味とは言わないけれど、それほど執着すべきものではありません。(光が最速だ、と同じレベルの見識ですから) 時という軸を外れて水をメインモチーフにして見てみれば、 この地球上のすべてのもの、さまざまな自然も植物も動物も人間たちも、みんな「あなたはわたしで、わたしはあれで」のワンネスなのです。 だから、人は自然が好きだし、植物が好きだし、動物が好きなのです。だって、いつかの自分なんだもの。 そうなんだ、美とはいつかの自分を見てるんだね。 夕焼けを彩った水蒸気だった私。 川のせせらぎの音を生み出した私。 花びらだった私も、空を飛ぶ鳥だった私も、みんないつかの私。だから美しいんだね。 ワンネスは美。 美はワンネスな想い。・・・なるほどなぁ。 時という軸の中も面白いよ。 岩石だった私の想いの波動が水に溶け込んでいって。 原始生物だった想いの波動も水に溶け込んでいって。 植物の想いの波動がどんどん積み重なりながら水の中で凝縮していって。 動物の想いの波動がさらに積み重なり濃縮していって。 この想いの波動こそが氣なんだ。 だから、この世に氣は充ち満ちているわけです。 私の水に意識を向けて、水の波動にシンクロすれば、悠久の時に濃縮されたすべての生き物たちの波動に触れることができます。 もっと意識を向ければ、この地球自身の時を超えた波動にも触れることができます。 氣とは波動。すべての生き物たち、そしてこの地球自身の波動そのものなのですね。 そしてね、意識を拡げさえすれば、水の波動を介して、すべての過去生にも未来生にもパラレルワールドにもシンクロして通じ合うことだってできるのです。 ここに「過去の自分・未来の自分とは出会えない(出会ってはいけないパラドックス)」が超越できたのです\(^O^)/ (最後はわかる人にしかわからないお話でした・・・ごめんなさいね) <コンタクトの続きです> 「いいですよ。では、よねさんの人生で、よねさんが死ぬ直前へと進みます。よねさんが死ぬ場面を見ます。よねさんが死ぬ直前に進んで・・・よねさんは幾つになって、何処で死にかけていますか?」  彼女はぶっきらぼうな声で、すぐに答えてくれました。 「なんだか台所のようです」 「台所ですね・・・幾つになっていますか?」 「四十二と浮かんできます」 「何が原因で死にそうですか? 病気やケガですか?」 「あぁ・・・倒れているのを上から見ているだけなので、よくわかりません・・・」 「よねさんは台所で倒れているのですね。うつ伏せ? 仰向け? 横向き?」 「うつ伏せです」  よねさんをすでに上から見ているということは、死んでしまっているかもしれません。私は死ぬ直前に場面を戻しました。 「はい、まだ死なないでね。よねさんが死ぬ直前に時間を戻してみましょう・・・何が起きたのですか? ちょっと時間を戻すと、何が見えますか?」 「着物の上にいつもの割烹着を着て台所にいます」  よねさんの声が戻ってきました。私はホッとしながら尋ねました。 「そこで何が起きるのですか?」 「なんだか急に心臓が痛くなって・・・そのまま倒れました」 「その時、そばに誰かいましたか?」 「誰もいません・・・あぁ、子供たちが走って来てます・・・二人とも走って・・・」  彼女の声が涙声に変わります。 「二人の子供たちは、あなたに向かって何と言っていますか?」 「母さん? 母さん?? 母さんと叫んでいます」  彼女も子供たちも泣いています。 「よねさんは死ぬ間際に、何を考えていますか?」 「何だか痛いって・・・あれ?って・・・思っています。自分でも信じられない感じが強く残っています」 「死ぬのが信じられないのですね。その死ぬ直前に、生きてきた人生を振り返ってみて、どんな人生でしたか?」  彼女は意外と冷静な声で答えてくれました。 「はい、幸せだったような、物足りなかったような人生でした」 「何が物足りなかったのでしょうか?」 「なんだかもっと・・・なんて言ったらいいのでしょう・・・もっと遊びたかった、と思っている節があります」  彼女は少し首を傾げながら言いました。すでに彼女は、よねの人生を客観的な目で眺めていました。遊びたかったとはどういう意味なんだろう? と私の意識が横道へ反れそうになったのを打ち消して、そのまま話を進めました。 「よねさんの子供はふたりだけですか? あれから生まれませんでしたか?」  彼女はよねの記憶をたどっています。瞼の動きがなくなると答えが出て来ます。 「女の子がいたように思います」 「その女の子のことを、もう死ぬ間際だから思い出してみましょう。その女の子はかわいいですか?」 「かわいいですね」 「そのかわいい女の子の顔をじっと見て・・・その女の子は、今のあなたが知っている人ですか?」 「ヨウコですね・・・本当にかわいい・・・まだ寝ている赤ちゃんです」  ヨウコは彼女の連れ子の長女で、エリと同じ小学五年生です。彼女は愛おしそうな笑顔を浮かべて溜息をつきました。 「はい、いいですね。よねさんが死ぬ間際に、その人生を振り返って見て、何かやり残したことはありますか?」  彼女の表情が途端に険しくなって、小さな声で言いました。 「やり残したことですか・・・子育てですね・・・」 「子育てですね。よねさんはどんな子育てをしようと思っていましたか? 子育ての何が心残りなのですか?」  彼女はちょっと考え込んでから、涙声で答えました。 「大きくなるまで面倒をみられないから・・・一人前になった姿を見たかったのです」  私は彼女の悲しみを和らげるために、話を進めていきました。 <明日に続く>

2013年12月9日月曜日

おはようさん 2013.12.9.

日曜美術館の写真家 植田正治さんの特集を見ながら「写真する幸せ」という言葉にうたれました。 植田さんと言えば、Ueda調  私は、好きやなぁ。 写真する幸せ  確かに写真を撮ってる時って、幸せです。 一生懸命撮ってると、きっと撮られている方も幸せだと思います。 戦中の日本、そして今でも中国では撮ってはいけないものがたくさんありました。 港、空港、工場、駅・・・軍事上の秘密だから。 今の日本はどうかな? これが結構、撮ってはならぬ(気をつけるべき)ものがあります。 まず、子供の写真。 公園や学校の帰り道で遊んでいる子供たち・・・母親に怒鳴られます。下手すると警察を呼ばれる。 お店のショーウインドウの写真・・・肖像権や著作権? 店の人に断らないとダメだって。 お店の商品・・・ステキな陶器や織物があるとつい撮りたくなるけど、これもダメ。 う〜ん、もしかしたら北朝鮮の方が自由に撮れるかもしれません(絶対に行く気はないけど) 木村伊兵衛さんも土門拳さんも今だったら・・・撮れないでしょうねぇ。 もちろん私だって、歩いていて突然、携帯カメラでパチッと撮られるのは「勘弁してよ〜」だけど、ローライやライカを向けられたらかっこつけてポーズとっちゃうやろうなぁ(と内なるNADIAも申しております)。 というわけで、未だにポートレートなるものを撮ったことのない私です。 だからこそ、写真する幸せってこころに響きます。 美しい風景や花たち、木の神さまたち、神社や古寺の神さまたちを撮るのも幸せやけど、 きっと、いつか、笑顔のポートレートを撮らしてもらった時には、写真する幸せがビッグバンするやろうなっと思うのです。そんなお楽しみがあるから、写真を続けられるのやろうね。 そしてね、どんなことにも幸せがありますよね。 謡う幸せ  描く幸せ  創る幸せ  食べる幸せ  スポーツする幸せ そして、演じる幸せ どうせこの生は自分を自分らしく演じなきゃならないのだったら、演じる幸せを噛みしめたいものです。 どうすればいいかって? ワクワクすること。自分を好きになること。楽しめること。 とっても簡単なことやけど、難しい人にはとっても難しいらしい永遠の哲学ですね。 さて年末年始は何を撮ろうかな、ワクワク(^。^) <コンタクトの続きです> 「さぁ、よねさんの人生で最も大切な場面へ移りましょう。私が三つ数えると、よねさんの人生で最も大切な場面へ移っています。3、2、1・・・ゼロ・・・。よねさんの人生で最も大切な場面に移っています。よねさんは幾つになって、何処で何をしていますか? 何が大切だったのでしょうか?」  彼女は大きな息をひとつ吐きました。そして、ニコッとしながら答えました。 「赤ちゃんを抱いています・・・男の子です」 「男の子を抱いているのですね。どんな服を着せてますか?」 「服は・・・」  彼女の左手が何かを探すように動きました。 「ワンピースです」 「そこは家の中ですか、外ですか?」 「庭のような・・・家の前にある綺麗な庭です」 「その男の子をじっと見ましょう。男の子はかわいい?」  彼女はとてもうれしそうに答えました。 「かわいいです」 「男の子は寝てますか、起きてますか?」 「寝てます・・・かわいい・・・」 「その男の子をじっと見て・・・その男の子は、今のあなたが知っている人ですか?」 「知ってます。エリちゃんです」  彼女はちょっと驚いた声で答えました。エリは、夫タカシの連れ子です。小学五年生で彼女の連れ子のヨウコと同級生になります。よねの人生では、夫はよねの父親でした。夫の長女がよねの長男として生まれていたのです。  このように何度も一緒に転生を繰り返している魂の集まりをソウルグループと呼びます。親子、兄弟の関係を何度も入れ替わりながら転生を繰り返している魂たちの集まりです。ソウルグループはこの世で初めて出会った時から、なぜだかわからないけど気になる存在にお互い感じ合います。それは魅かれ合うこともあれば、反発し合うこともあります。愛や友情が育まれることもあれば、素晴らしいライバルや最大の敵になることもあります。人生の初めから終わりまで密接に関わってくれることもあれば、人生のほんの一コマに出会い、強いインパクトをもらい、そして別れてしまうこともあります。  もしも今、なぜか気になる人がいたら、転生を繰り返している魂の立場からその人との関係を眺めてみてください。そこには何か大きな意味があります。二人の関係から学ぶべき何かが見えてくるかもしれません。その気づきが二人の関係をもっと深く良好にしてくれたり、困り果てていた腐れ縁を一気に解消してくれたりします。ソウルグループは人生での悟りのヒントをもたらしてくれるメッセンジャーなのです。 「その一番大切な場面を見ていきましょう。その日、それから何が起こりましたか?」  私は彼女の左脳が家系図を分析しないように早足で話を進めました。 「家の前で写真を撮るんです」  はしゃいだ声で彼女は言いました。 「家の前で写真を撮るのですね。子供とあなたも一緒ですか?」 「はい・・・旦那様が写真機を立てています・・・なんだかすごく古い器械です・・・明治みたい・・・あっ、明治という文字が浮かんできました」  彼女は少し驚きながらも、とてもうれしそうです。私はそのまま続けました。 「旦那様は、あの舞踏会のカッコいい男の人ですか?」 「そうですね、ちょっと歳を取っているような気もしますが、あの人です・・・今、写真を撮りました・・・あっ、もう一人家族がいますよ。男の子がもう一人います」  彼女の喜びが倍になっています。家族勢ぞろいの写真が私の目にも見えるような気がしました。 「もう一人の男の子をじっと見つめて・・・」 「アキコです。これはアキコです」  彼女の連れ子の小学三年生アキコが、よねの子供として生まれていたのです。 「アキコちゃんだね。他には誰かいますか?」 「これだけです。また写真を撮っています」  機械式シャッターのハイカラな音が聞こえてきそうです。写真を撮り終わるのを待って、私は尋ねました。 「その日、何が一番大切だったのでしょうか?」  彼女は我に帰ったような口調で言いました。 「あぁ・・・旦那様のことで何かが起こっています・・・」 「何があったのかな? 見える範囲でいいから、それを見ていきましょう。今、何が起こっているのですか?」 「何かのために遠くへ行かなくちゃいけないのです・・・それで・・・家族みんなで写真を撮っています・・・この家を出なくちゃいけないみたいです」  彼女はなんだか寂しそうです。 「よねさんは、どんな気持ちでいますか?」 「旦那様と一緒なので安心しています。特別な不安はありません」  彼女はもうこれ以上、この場面を続けて見たくない様子です。私はワークの残り時間を考えて、よねさんの人生を見終えることにしました。 <明日に続く>

2013年12月8日日曜日

おはようさん 2013.12.8.

原発性肝がんと大動脈弁閉鎖不全症による慢性心不全と認知症の老人を先月から在宅往診で診ています。 一昨日、経口節食不良から脱水を起こして意識レベル低下したため、近くの救急病院へ転送入院しました。患者さんの希望で土曜外来を終えてから、その病院へ出向き診察しました(開放病棟型と言って、かかりつけ医が入院先でも診察して、病院の主治医と一緒に治療できるシステムです)。 主治医さんは心エコーで心不全兆候はなく、単なる脱水だろうという診断でしたが、先日の往診時に点滴スピードを少し早めただけで、意識混濁と明らかな急性心不全症状が出ていたことを告げましたが・・・聞く耳持たず。。。 驚くことに入浴させて普通食を出していました。(独言:う〜ん、あかんわぁ ここの循環器は・・・) 普通のドクターたちは検査万能主義です。 こころを診ないどころか、生身の身体さえ診ていません。 じゃぁ 何を見ているの?  データーと検査結果だけ(独言:売り上げ&ノルマもネ) それで悪化したり死んだりしても・・・確率論だけで、こころを痛めること(=反省)などなしですね。 反省がないから進歩もない。自分が進歩する必要などありません。医療機械と薬がどんどん進歩していってくれますから。自分磨きしないで、ブランディニューでキラキラしながらベンツに乗ってる人たちみたいだなぁ。そしてなぜかこの世の中、こういう人たちにお金が集まってくるのです。 この患者さんを鍼灸の体表観察で診ると、全体に虚火が著しい。顔望診で肝血瘀が著しく(=肝がん)、肝鬱化火も心火上炎も元々あるんだけど、今回は肝火犯胃で嘔吐を繰り返し、腎陰が暴れ出して一気に虚火が広がったと診ました。だから、とりあえずゆっくりと点滴すれば、以前の状態にまでは戻れるはずです。 今日は照海に金鍉針で外射補法・後渓に古代鍼で瀉法しておきました。脈に反応があったので、これを続けていけば良くなるでしょう。 西洋医学診でも、東洋医学診でも、答えは「脱水で補液すべし」と同じだったのですが、 東洋医学から西洋医学を眺めてみる。そして西洋医学的診断から東洋医学的に眺めなおしてみる。 すると、縦糸&横糸が織り合わさって、それまで糸のように直線的にしか見えなかった病態が、地平線のように無限の広がりを持った平面的に見えてきます。 病気を診る目がひとつ目からふたつ目にグレードアップするのです。 ふたつ目のメリットは立体視できることですよね。 病気を立体視できる。 二次元恋人とリアル恋人の差ですよ。すごいですよね。 西洋医学と東洋医学のふたつ目で診察していると、西洋医学的な検査&データーに支配されることはありません。(西洋医学では検査&データー&教授がNO!といえばNOだし、YES!といえばYESなのです・・・これって完全にデーター&検査の奴隷じゃん?) 東洋医学的な経験値&感性だけに頼ることもありません。 右目と左目がケンカしてると、まっすぐ歩けないし、頭痛やめまいがしてきます。 右目と左目をうまく使っていけば、あれれ? 眉間の第三の目が開眼しちゃってるよ・・・てなことにもなるわけです。 ちなみに・・・この患者さん、入院時の心エコーで心不全がなかったのは、搬送前にサッと古代鍼してあげたから・・・かもねぎっくす。。。 <コンタクトの続きです> 「それから、その人とはどうなりましたか? 他に何か起こりましたか?」 「結婚するようです。そんな感じがします」 「その夜はどうしていますか?」 「帰りの車の中で、彼と話をしています。なんだかとても嬉しい気持ちです」  彼女は目を閉じたまま、何の屈託もない笑顔を見せてくれました。私は更に尋ねました。 「よねさんが今日、一番幸せな一日を過ごした場所はどこでしょうか? 日本地図が頭に浮かんできて、そのダンスホールのある場所が赤く光ります。日本の中のどこでしょうか?」 「・・・ち・・・千葉みたいです」 「いいですよ。では、よねさんが今日、ダンスホールで踊っていた年代は何年でしょうか? また数字が浮かんできますよ」 「二十・・・明治二十年・・・」  私は過去生の真偽探求には興味がありません。それに時間と労力を取られるくらいなら、ひとりでも多くの患者さんの心の治療を行いたいからです。いくら証明しても、頭から否定される人たちを納得させることなどできません。過去生はあるのか、単なる想像の産物なのか、それはどうでもいいことなのです。仮に想像の産物だとしても、それで心を悩まし続けてきた患者さんを癒すことが出来るのであれば、それはそれで良いことだと思います。過去生があると信じたとしても、隣近所の人たちの生活を脅かすことはありません。政治や経済に影響を与えることなどありません。土着信仰のように、誰かから強制されることなどない、自分の好きなように利用していい小さなかわいい信仰なのです。前世信仰が生きる力を与えてくれる心の癒し・・・精神薬の副作用や身体と心の難行苦行と引き換えに得た心の安定・・・どちらも間違いではありません。ただ、誰もがどちらでも選べる自由を持っているのです。スピリチュアルな療法とは、こういうものなのです。 「明治二十年ですね。では、その場面をしっかりと覚えておきましょう。そして、よねさんの人生で、タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移ります。私が三つ数えると、タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移ります。3、2、1、ゼロ・・・タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移っています。さぁ、よねさんは幾つになって、何処で何をしていますか?」  彼女は子供のおどおどした声になって言いました。 「あぁ・・・わからないです・・・十歳です・・・」 「十歳で、何をしていますか?」 「あぁ・・・海で死んでしまったみたいです・・・」 「誰が死んでしまったの?」 「お父さんが・・・」  彼女はそのまま泣き出しました。私は少し間を置いてから、その場面を詳しく尋ねました。 「よねちゃん、その日ね、ちょっと時間を戻してみて・・・その日ね、最初にお父さんに会ったのはいつだった?」  彼女は泣くのをやめて答えました。 「その日の朝ご飯の時です」 「その日、その小屋で?」 「家で・・・」  響子さんの目から見れば、それは浜の小屋でしたが、よねちゃんの目で見ると彼女が育った大切な家でした。 「家で会ったんだね。その時のお父さんは元気だったのかな?」 「うん、普段通りだったよ、元気だった・・・」 「よねちゃん、お父さんが出て行くよ。その日の朝、お父さんが出て行く時に、よねちゃんは何と言ったかな?」  彼女はうれしそうな声で答えました。 「いってらっしゃい・・・そう言ったら頭を撫でてくれて・・・」 「いつも通りかな?」 「はい、いつもと同じ・・・大好きなお父さんです・・・」 「それでね、その日、何が起きたのかな?」  彼女はまた泣きながら答えました。 「海が急に嵐になって・・・何だかよく分からないけど・・・大人が騒いでいて・・・」 「お父さんはどうなったの?」 「・・・お父さん、見つからないって・・・」  彼女は大声で泣き始めました。私はしばらく時を止めて、彼女の心が落ち着くのを待ちました。 「お父さんは見つからなかったんだね。それを聞いた時、よねちゃんはどう思いましたか?」 「悲しかった・・・とっても悲しかった・・・丘の上で海に向かって泣いてます」 「丘の上で泣きながら、よねちゃんが何か心に誓ったことはありますか?」 「お父さんに会いたいの・・・」 「お父さんに会いたいよね・・・じゃあね、今度お父さんに会ったら、どうしてあげようと思ってますか?」  彼女は泣き声を押し殺して答えました。 「もっといっぱい優しくしてあげよう・・・」  目には見えませんが、よねちゃんの愛のエネルギーが私の心にもどんどん流れ込んできているのが分かりました。彼女の優しい心根の中に、彼女の魂の光が輝いているのが見えました。 「よねちゃん、その場面もしっかりと覚えておきましょうね」  彼女は素直にコクリとうなずいてくれました。私は次の場面へと誘導しました。 <明日に続く>

2013年12月7日土曜日

おはようさん 2013.12.7.

お日さまの日の出がどんどん遅くなって、朝ご飯をいただきながら生駒山脈から真っ赤なお日さまが顔を出すのを楽しめる・・・今年も終わりなんだけど、この最後のお日さまに「おはようさん!」とご挨拶するのも、大好きです。 冬至が過ぎると、不思議とお日さまの表情が新しくなります。 まだまだか弱いお日さまなんだけど、新しい年を背負っている気概はしっかりと感じらる・・そんな新年のお日さまも、大好きです。 これも感性。 感性を忘れた人には、12月のお日さまも1月のお日さまも同じに見えるでしょう。 でもね、植物さんにはこの感性がちゃんとあるんですよ。 科学的には日照時間が云々・・・ですが、いやいや、植物さんはお日さまの氣をしっかりと感じとっているのです。 12月 この時期のお日さまは、今年一年のお疲れを癒してくれる氣に充ちています。 がんばったんねって、褒めてくれている氣です。 1月のお日さまは、新しい一年をがんばりなさい!って励ましてくれる氣を放っています。 最初は弱々しいけど、月日が経つにつれて声高になっていきます。 春になるともう狂喜乱舞ですよね。 みんなにがんばれ!がんばれ!ファイト!ファイト!と応援してくれる氣です。 一年の計は元旦にあり 初日の出を浴びて、そんながんばれ!な氣に乗って今年一年の夢を創造する。 昔の人たちはよくわかっていたのですね。 だからこそ、今は癒しの時。 今年一年で出来たこと、出来なかったこと。クリアーしたこと、諦めたこと。 出会った人たち、分かれた人たち。 今年一年のさまざまな出来事のご縁:シンクロの意味を感じ取ってみるのに良き季節です。 そんなご縁:シンクロの意味に気づいたら、そこから来年の天命も、天友も、まずやるべきことも自ずと見えてきますよ。 クリスマスまでの2週間、意識をちょっと今年一年のご縁に向けてみるのもいいものです。 (反原発・反増税・反特秘法なコラムを書いた人たちは、すでに&もれなく公安にネット監視されているそうです。当然私も・・・はっはっはっ そやから今日は殊勝な内容だけにしたったぁ ざまあみんさい(*^^)v) <コンタクトの続きです>  彼女は涙を拭きながら力強く頷きました。 「あなたのお父さんは、ヒゲが生えていますか?」 「生えてません」 「あなたのお父さんは、どんな格好をしていますか?」 「着物を着ています。なんだか漁師みたいです」  彼女の涙も乾いて、ちょっとうれしそうな声で答えてくれました。 「家の中に、他に誰かいますか?」 「奥の方にお母さんがいます」 「お母さんに意識を向けて。お母さんはどんな髪形をしていますか?」 「結っていて、とてもきれいです」 「お母さんは何を着ていますか?」 「赤っぽい着物を着ています」 「お母さんはどんな表情をしていますか?」 「色白ですが、とても優しいです」 「そのお母さんの目をじっと見て・・・そのお母さんは今のあなたが知っている人ですか?」 「ちょっと待ってくださいね・・・ああ・・・はい、知っています」  彼女は嬉しそうに答えました。ここまで過去生の中に入り込めば、いろいろなことが質問できます。私はその子の素性を尋ねました。 「今日一日を見てきたあなたの歳はいくつですか? 頭にパッと数字が浮かんできますよ」 「・・・八・・・が出て来ました」 「八歳ですね、いいですよ、その調子ですよ。では、名前は何と言いますか? みんなから何と呼ばれていますか?」  彼女は意識の奥底から何かが浮かび上がってきそうな声で唸っています。 「・・・よ・・・ね・・・よね?」 「よねちゃんだね」 「はい」  彼女が亡くなった夫に会うために降り立った過去生は、八歳の「よね」という娘でした。そして、その父親が亡くなった夫だったのです。私はこの場面を彼女に覚えておくように指示してから、よねの人生の一ページをめくりました。 「よねちゃんの人生で一番幸せな場面へと移ります。私が三つ数えたら、よねちゃんの人生で一番幸せな場面へと移りますよ。3・・・2・・・1・・・ゼロ・・・今、よねさんの人生で一番幸せな場面に移っています。よねさんはいくつになって、どこで何をしていますか? 一番幸せな場面はどんな場面ですか?」  彼女の目が瞼の下でゆっくりと動いています。動きが止まると、彼女は答え始めました。 「十八で・・・なんだかとてもおしゃれをしています」 「着物姿ですか?」 「いえ・・・洋服です。ワンピースみたいな、おしゃれな洋服です」  彼女の手がスカートの裾を確認するような仕草をしています。 「今、どこにいますか?」 「ダンスホールみたいなところです」 「ダンスホールにいて、どんな髪形をしていますか?」  彼女は笑いながら答えました。 「髪形は・・・キノコみたいです」 「キノコみたいな髪形ですね。その場面をもっとしっかりと見ていきましょう。あなたはそこで何をしていますか?」 「・・・タバコを吸っています・・・」 「ダンスホールでタバコを吸っていて、それからどうしてますか?」 「そうですね・・・なんだかすごくカッコいい人がいます。私は彼を見つめています」 「カッコいい男の人?」 「はい」  彼女の声がすこし弾んでいます。私も興味津々で尋ねました。 「それから、どうなりましたか?」 「彼と一緒に踊りたい・・・一緒に・・・一緒に踊っています」  よねさんの笑顔が映し出されたように、彼女もニッコリしています。 「そのカッコいい男の人をしっかりと見てください。その人はどんな感じの人ですか? 軍人風、政治家風、商売人風・・・どんな感じですか?」 「なんだかちょっと・・・イ・・・インテリ風です。スーツを着ています・・・」 「そのカッコいい男の人の目をじっと見て・・・その人は今のあなたが知っている人ですか?」  彼女はちょっと困った顔をしたまま答えました。 「何となく分かりましたが・・・生きてます・・・」  今生の彼女の健在意識が渾沌としています。これは深く良好な催眠状態に居る証拠です。私は彼女に左脳で考える暇を与えないように質問を続けました。 「それから、その人とはどうなりましたか? 他に何か起こりましたか?」 <明日に続く>

2013年12月5日木曜日

おはようさん 2013.12.6.

私は特定秘密保護法に非常に強い危惧を抱いています。 2011年をピークにして、時代の逆行がどんどん進んできましたが、とうとうナチス時代の再来を見ている嫌悪感でいっぱいです。 今日はこの症例を再掲します。   魂のつながり  二十世紀の暗い時代のウィーンに、フリードリッヒという男がいました。彼は哲学を教えています。 町が平和な頃、彼はよくカフェで議論をしていました。  フリードリッヒの妻は地味で清楚ですが楽しい人です。マリアと言います。二人には子供が一人いま した。ルイーズという栗毛のかわいい女の子です。  ある日、ナチスが侵攻してきました。社会が混乱しています。講堂の中でも誰かが演説しています。 フリードリッヒはそれを聞きながら悲しみに沈んでいました。 「このままじゃダメだ」  群衆が騒然としています。彼は群衆にモミクチャにされながら外へと押し出されました。  フリードリッヒはドイツ人です。でもマリアはユダヤ人でした。町は騒乱状態です。彼の友人にもナ チスに狙われているユダヤ人がたくさんいました。彼は、なんとか助けたい、と思っていました。しか し実際に行動に移すと自分までもナチスに狙われてしまうので、そんな勇気は出ませんでした。  彼の目の前で妻が助けを求めています。マリアもナチスに連れていかれそうです。 「どうしたらいいんだ!」  彼は叫びました。ルイーズが、「お母さんがいない」と彼にすがりついて泣いています。彼は、「と もかくお前は逃げろ!」と娘に言いますが娘は手を放しません。  「ダメ!お母さんを探して!」  フリードリッヒは、もうどうしていいのかわからなくなりました。 「ともかく、ここを逃げ出そう!」  しかし娘は動きません。仕方なく、彼は騒乱の中へマリアを探しに行きました。  喧騒の中、フリードリッヒはナチスの司令官と言い争いをしています。軍人が彼を殴りつけます。彼 は首を絞められました。  「逃げ出さなくては・・・」  フリードリッヒは散々殴られ痛めつけられながら、娘のところへ戻りました。ルイーズは泣いていま す。マリアの行方はわかりません。娘が父を励ましています。でも父はもうクタクタでした。 「じゃぁ、私が自分でお母さんを探すわ!」  ルイーズが騒乱の中へ行こうとします。フリードリッヒは娘を呼び止めました。 「とにかく、この娘を逃がさなくては・・・」  父は娘に絶望的な約束をしました。  「お母さんは私がきっと探し出すから大丈夫だよ。お前はチェコのおじさんの所へ行きなさい」  彼はルイーズを汽車に乗せました。もう娘に会えないような気がしました。  フリードリッヒは、どうしていいのかわかりません。 「私は哲学をやってきたけれど、それが全然、役に立っていないじゃないか」・・・彼は絶望していま す。  彼は銃を手に入れました。そしてナチスの司令官の所へ交渉に行きました。  「妻を返してくれ!」  将校たちは全く取りあってくれません。フリードリッヒは銃で脅しました。  彼は逮捕されました。  「お前が反逆思想を持っていることは、前々から調べがついているぞ。反逆罪だ。お前は収容所で銃殺 だ」  妻に会えないまま、フリードリッヒは収容所に送られました。  彼は後ろ手に縛られたまま、壁の前に立たされます。 「どうしてこんな目に遭うんだ。助けてくれ!」  ナチスの司令官がガムを噛みながら三人の兵士に指示を出します。兵士たちが銃を構えます。 「決してこんなことは許されないぞ!」  彼は撃ち殺されました。その時、彼は決心しました。 「全体主義的なことには、どんなことがあっても反対だ!」  先生は彼の魂に尋ねました。 「身体を離れましたか? フリードリッヒさんはどうなりましたか?」 「下に見えます。口から血を流して、縛られたまま倒れています」 「死んだ瞬間に、何か決心したことはありますか?」 「さっきのことくらいです。家族にどうしても会いたいです」 「あなたを迎えにきてくれた存在を感じますか?」 「まだそこに残っています。妻と娘がどうなったのか、心配ですから」 「では、妻のところに行ってみましょう。行けますよ」 「凄く狭いところに押し込められています。男女ごちゃ混ぜです。あっ、貨車の中です」 「妻にあなたが死んだことを伝えましたか?」 「今、話しかけて、気がついてくれました」 「妻はどうしていますか?」 「ひざ小僧をかかえて、じっとしています。私のことは全然心配いらないから、って。ずーっと一緒だ から、って」 「それからマリアはどうなりましたか?」 「収容所の中で死ぬだけです。でも騒がずに、淡々と自分の死を受け入れようとしています。彼女は、 死んでからも魂が残る、と強く信じていたので、こうして私と話しが出来ます。マリアはまわりの人た ちを慰めています」 「それから、どうなりましたか?」 「・・・話をしています・・・。次ぎも会えるかなぁ、って私は駄々をこねています。でもマリアは、 あなたは私に頼り過ぎるからどうしようかなぁ、って笑っています。マリアはまだ生きてるんだけど・・・。私は必死で頼んでいます。・・・あんまり私が駄々をこねるものだから、仕方ないから、って頷いてくれました。でも今度会うのはすごく遅くなるから、それまで待っててね、って言っています」 「それからマリアはどうなりましたか?」 「ひとりだけで銃殺されます」 「なぜ?」 「どうやら収容所の中で他の人たちを助けようとして軍人に反抗したようです」 「どんな反抗をしましたか?」 「口汚く罵りました。いつもそんなふうだったので見せしめにされます」 「銃殺されるマリアに何と言ってあげますか?」 「偉かったね。いつもみんなを励ましていて。死を恐れていません。よく頑張ったね、って」 「マリアは何と言っていますか?」 「あなたも本当はこれだけの力があるのよ、って。・・・二人は幼なじみだったようです。二人のこと をザッーと思い返していて、自分はどうしたらいいのだろう、ってマリアに聞いています。・・・あな たを次ぎは助けてあげられるわ、どういう形かはわからないけど、って言っています」 「マリアの死の瞬間に、何を思っていますか?」 「横で見ているのは悲しいことではないですね。よく頑張ったね、っていう感じです」 「マリアは殺されましたか?」 「はい」 「彼女の魂はどうなりましたか?」 「頭の後ろから抜け出してきました」 「死んだマリアは何と言っていますか?」 「ほら、会えたでしょ、って」 「銃殺した兵士たちをどう思いますか?」 「別に何も。彼等も時代の犠牲者なのですから仕方ありません。マリアもそうです」 「では貨車の場面に戻って、娘のところに行ってみましょう。ルイーズはどこにいますか?」 「田舎にいました。泣いてます」 「そこで娘にコンタクトを取ってみて」 「話しかけたら死んだのが伝わって、わーっと泣き出しました」 「あなただとわかってますか?」 「はい」 「その後、話しましたか?」 「全然悲しむ必要はないんだよ、って」 「その後、娘はどうなりました?」 「・・・ずっと生き続けたようです」 「死んだマリアと一緒に娘の所へ行きましたか?」 「行きました」 「マリアが死んだ時、ルイーズは母の死をわかりましたか?」 「ルイーズは大丈夫でした。マリアが力強く話したので」  先生は二人の魂を高みへと導きます。 「そのまま上へ高く高くあがります。高くあがったところからフリードリッヒの人生を見てください。 そして何か気がつくことはありますか?」 「弱虫なんです。上へあがってきてもマリアのことを探しています。マリアはとても強い人です。私は 人生でのいろんな出来事を見れません」  先生は更に高みへと導きます。 「もっともっと高く高くあがります。そこでフリードリッヒの人生と、今のあなたの人生を平行に並べ ます。二つの人生を見比べます。そして何か気がつくことはありますか?」 「マリアが、しっかりと自分の人生を見なさい、って言っています。さっきよりは見えるようになりま した。・・・前の人生では、とってもマリアの力に頼っていて自立できなかったけれども、今度の人生 は出会いが遅いので、自分でしっかり歩かなくてはいけません」  先生は光へと導きます。 「光が近づいてきました」 「その光の中へ入ります。どんな感じですか?」 「すごく爽やかな感じです」 「そこに誰かいますか?」 「とても大いなる知性のような男の人がいます」 「その人に聞いてください。今回の私の人生の目的は何ですか?」 「十分に時間をかけて、ゆっくりと身につけることです」 「何を?」 「それは知恵だから、言葉で説明できるものではありません。知恵。勉強して身につけるものではあり ません」 「では、それをどうやって身につけるのですか?」 「いろんな人に出会って、いろんなものに心を開いて、あきらめないことです。すごく時間がかかるも のですが、あきらめなければ向こうからやってきます。今はまだダメです」 「ということは、私の人生はここまでダメなのですか?」 「まだまだダメですね、って」 「何がダメなの?」 「あなたは自分のことしか考えていません。しっかりと守られてるのだから、あなたのまわりの人たち をあなたの方から助けてあげることを学びなさい。あなたはこのまま落ち着いて学びなさい。きっと時 がきますから、って言っています」  この症例は過去生の部分がとても長くなったために時間切れとなり、光からのメッセージが少なくなってしまいましたが、内容はとても充実しているように思いました。(以下、略)

2013年12月4日水曜日

おはようさん 2013.12.5.

先週の藤本漢祥院での研修中に、鍼灸師さんが心不全の愛犬を連れてこられました。 蓮風先生は犬の背中の氣を感じながら、金の鍉針を翳しておられました。 犬は気持ちいいのかな? じっとしています。 最初は胸がバコバコしていて、とても苦しそうだったそうですが、数回、補法を受けて、かなり良くなってきたそうです。 犬や猫、馬などの動物はとても鍼が効くそうです。 「人間よりずっと素直やから」 そう、金魚も翳す鍼でよくなるそうですよ。 人間でも、赤ちゃんや幼児の方が鍼は良く効きます。 古代鍼で氣をサッと動かすだけで、アトピーも発達障害も喘息も・・・どんどん良くなっていきます。 治療時間は数秒〜数十秒まで。 肉体的侵襲は皆無で、もちろんお薬のような副作用もありません。 氣が見えない・感じられない人たちにはマジックのように見えますが、氣が見えてくると、ものすごいダイナミックな氣の動きが生じているのがわかります。 まるで・・・トイレ詰まりをラバーカップでバコッとしたら、気持ちいいくらいザッと流れていった・・・感じかも。 この「素直なほど鍼が良く効く」のは、大人のさまざまな患者さんに鍼をしていてつくづく・・・納得させられます。 身体の病気、こころの病気の区別はありません。 身体でもこころでも、ともかくその人となり=こころの内が素直なほど鍼は良く効きます。 逆に言えば、鍼はもうええわ・・・と言った患者さんたちはなるほど・・・なるほどです。 まるで・・・閻魔さまの踏み絵みたいですね。 天国に行くか、煉獄へ墜ちるか・・・鍼一本でわかっちゃう。それも生前に・・・あな恐ろしや? これで本物のスピリチュアルかどうか? も見分けられますね。 本物のスピリチュアルな人は素直です。 4000人に前世療法をしてきて、その中で、本物の過去生とアクセス出来て、本物の光さんと対話できる人たちは、やっぱり根が素直でした。 自称&他薦スピリチュアル・リーダーな人たちの中に、鍼が良く効く人って果たして何人いるかしら? きっと猫の手を借りるだけで十分でしょうね。 これまでの時代は、素直なほど損でした。特に最近は素直なほどバカを見ます。 でもね、近未来は素直が一番!になっていると思います。 損・得ではなく、素直がええわって誰もが当たり前に思っている世の中になることでしょう。 素直になればなるほど、病気にもなりにくくなります。 素直になればなるほど、誰とでも笑顔になれます。 素直になればなるほど、幸せになれます。 鍼は病気を治すことから、その人を笑顔にして幸せに導くワンポイントになっていくでしょう。 楽しみですね。 <昨日の続きです> 「丘から海を見てるんだ、とってもいいよ。海は穏やかですか?」 「穏やかです」 「今はね、何時頃でしょう。朝、昼、夕方、夜・・・どうでしょう?」 「昼間・・・です」 「天気はどうですか?」 「晴れてます。とってもいいお天気です」  彼女は目を閉じたまま、ニコッと微笑みました。 「周りに誰か人はいますか? それともひとりかなぁ?」 「誰もいません」 「ひとりだね、いいですよ。じゃあね、丘の上にひとりで立っている女の子はね、海を見ながら何を考えているのでしょうか? 心に触れてみると、どんな感情がありますか?」 「気持ちいいなぁ・・・風が・・・」 「風が吹いているんだね、とってもいいですよ」  彼女は視覚的にも感覚的にも、もう十分に過去生の中に入り込めました。私はその過去生での場面転換の練習をしてみました。 「さぁ、これから時間が流れ始めますよ。これから場面が進みます。その丘に立って風が気持ちいいなぁと感じている一日の続きを見ていきましょう。時間が流れ始めて、場面が動き始めると、それからどうしていますか?」  彼女はちょっと下を向いて、小さな声で言いました。 「なんだか寂しいです・・・つまらないです・・・友達がいないのです」 「いいよ、大丈夫だよ。そのまま、その日の夕食の場面へと進みましょう・・・その日の夕食はどこで食べていますか?」 「私の家です」 「どんな家ですか?」 「小屋みたいな・・・海の近くに一軒だけポツンと建っています」 「小屋ですね・・・では、そのまま小屋に入って夕食の場面を見ましょう。小屋に入ったら、小屋の中はどうなっていますか?」  彼女は突然、泣き始めました。 「囲炉裏があります・・・えっ・・・あのう・・・タカシさんが・・・タカシさんがお父さんです・・・」  彼女は大きな声を上げて泣いています。涙がいっぱいこぼれています。驚き、悲しさ、嬉しさが入り交じった涙です。私は彼女の気持ちが落ち着くまで待ちました。 「女の子のお父さんがタカシさんなのですね?」 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.4.

昨夜はこのブログを書いて、さぁ寝ましょう・・・でも、なぜか寝つけませんでした。 悶々とするでもなく、イライラもなく、ただ静かに時が流れていくのを見つめていました。 2時間くらい過ぎた頃でしょうか・・・ふっとこころの中に声が降ってきました。 「もう大丈夫ですよ。おやすみなさい」 「どういうこと?」 「死があなたを迎えに来ていたのよ」 「えぇ・・?」 「眠っていたら、そのまま死があなたを連れて行ったでしょう。だけどね、まだあなたに死なれてはいけないのよ。もうひとがんばりしてもらわなくちゃね」 「えぇ・・・このまま静かにポックリもよかったのになぁ。プラトンの「国家」もちょうど読み終えたところだったし・・・」 「あのね、不幸だとかどん底だとか苦しい、辛い、さびしい、かなしいなんて言っている間はね、死んじゃいけないのよ。死はね、幸せの中にやって来るものなの」 「えぇ・・・じゃぁなぜさっき、死が迎えに来たの?」 「今のあなたはね、天命を果たすための準備中なの。もう十分に天命を果たすことが約束されているわけ。これって最高に幸せなことでしょう。だからね、死が邪魔をしに来たの。未来のあなたを死が飲み込むよりもね、今夜のあなたを死の淵に連れ去ってしまう方が簡単だからね。神は死なないでしょう。神に近づくほど、死の影は薄くなるのよ。だから・・・死もちょっと焦っちゃったってわけ」 「じゃぁ、なぜか眠りを忘れてしまっていたのは、あなたのせいなの?」 「そう、死が近づけないように、結界をはらせてもらったわ。でも、もう大丈夫だから、結界は解きましたよ」 「なぜ今夜だったの? 新月は明日でしょう?」 「あなたたちが見ている新月と私たちの新月とはちょっとずれているの」 「見るのと感じるのとの違い?」 「そうね、あなたにはわかるでしょう」 「もうお休みなさい。明日になれば、(このことが)いろいろと確信が持てますからね」 今日は確かにいろいろなシンクロや神的な働きが起こりました。 それも小さなことですが、そのどれもが幸せ&ラッキーなことばかりでした。 突然やって来る死・・・それは天命・天職・天友を果たした証なのかもしれませんね。 <昨日の続きです>  彼女はとてもしっかりとした人です。夫が突然の事故で亡くなって心がパニックのまま、夫に会いたいという強い願いだけで、私のワークを受けに来られる方がほとんどです。ワークの主題も「夫に会って話をしたい」になります。そんな時の誘導テーマは「夫との関係がわかる過去生へ」になります。そこではまず夫と一緒に生きた過去生を見て、その過去生での死を通り抜けて光の中に入ります。光の中心にまで行ければ、亡くなった夫の意識とコンタクトできます。左脳でどうしても分析、思考してしまう方はコンタクトしても、うまく夫の意識とお話できません。そういう時は、私が間に入って患者さんの尋ねたいことを聞いていきます。  亡くなった方々の意識とのコンタクトをたくさん行ってきたので、患者さんが亡くなった方に尋ねたいことはだいたい分かっています。最も共通している質問は、「死んでから、苦しんでいませんか?」「今、元気にしていますか?」「今、どうしていますか?」です。  傍観者は論理的に考えて、「死んでから苦しむなんてナンセンスだよ。肉体がないのだから、苦しむわけないじゃないの」「あの人の魂は天国で幸せにしていますよ」「あの人の魂はいつもあなたを見守っていてくれますよ」と言い放ちます。傍観者同志の話なら、これでいいのです。  でも、愛する人を失って、まだ間がない当事者は、お葬式も終わって肉体が消え去って、あの人が死んだことが頭で分かっていても、それでも尚、感情に心が押し潰されてしまいます。あの人の死を受け入れたら、あの人が自分の心から永遠に消え去ってしまいそうな気がするのです。あの人への愛が深ければ深いほど、この漠然とした不安と喪失感が大きく、長く続きます。  だから私は亡くなった方の意識へ必ず尋ねるようにしています。 「あなたは今、苦しんでいませんか? 今、どうしていますか? 私(患者さんのこと)をちゃんと見守ってくれていますか?」  これの答えはいつも期待通りです。 「苦しくないよ。元気にしているよ。いつも見守っているよ」  この当たり前の答えが、これまでどれほど多くの残された人たちの心を癒してきたことでしょう。この一言が残された人の消えかかった心の光を蘇らせ、亡くなった人への想いを胸に抱きながら、自分の人生を再び歩み始めさせてくれるのです。 「その子供の中にあなたの意識をしっかりと入れましょう。あなたの意識がスッーと回り込んできて、その女の子の後ろに立ちます。後ろから、その女の子の中に入りますよ。着グルミに入るように、着グルミを着るように、さぁ、足から入って体を入れて着物を着ます。手を入れて、頭を入れて同じ髪形になります。その女の子に中に入ります。あなたはその女の子の目で物を見て、その子の耳で音を聞きます。その女の子の考えていること、言葉、知識がすべて分かります。その女の子の心とひとつに繋がって、心の中も分かります。あなたはその女の子の中にしっかりと入って、ひとつに繋がります。その女の子の目でぐるっと周りを見渡すと、どんな風景が見えますか?」  過去生の女の子と完全に繋がった様子です。まぶたの下の眼球が、またゆっくりと左右に動いています。彼女はちょっと甘えたような子供の声で話し始めました。 「どこだろう・・・丘から海を見ている感じです・・・」 <明日に続く>

2013年12月2日月曜日

おはようさん 2013.12.3.

紅葉もインフルエンザの予防注射も終わって、12月をしみじみと感じた月曜外来でした。 半年間、ずっと鍼を続けてくれている認知症の患者さんたちも、どこにいっても治らなかった疼痛などの難治性疾患の患者さんたちも、みなさん良くなってきているのがうれしいですね。 良くなったというのはエビデンスも科学的比較検証もありませんが、途中で鍼をやめてしまった患者さんたちがそれなりに症状や気色が悪くなっているのをみていると、やっぱり鍼が効いているんだねって思います。 特にここ数ヶ月で鍼の効果が出てきているのは、こころの病気、それもパーソナリティ障害と診断されていた「困った人」たちです。 去年までの私だったら初診の段階で、精神科専門医で診てもらいましょうね、と手出ししなかった患者さんたちです。もちろん今でも全員を診ているわけではありません(境界型はさすがに・・・ムリです)が、頻回に通院加療してくれている患者さんたちの表情や精神症状は明らかに改善しています。 こころの病気も身体の病気も、突き詰めていけば、肝火上炎か肝欝気滞に行き当たるのは現代病の特徴でしょう。そして、幼児からお年寄りまで(そして私も)腎が冷えています。 それはまるでパソコンがあふれくる情報を精一杯に処理しようと加熱して、冷却ファンがブンブンうなり声をあげながら回っているようにも思えます。 老若男女、みんなムリを重ねているのですねぇ。 ディズニーランドを思い起こしてみてください。 西洋医学とお薬は、お掃除キャストをどんどん増やしていくことで、ゴミひとつない夢の国を作ろうというモチーフです。もう至る所にキャストが待ち構えています。特に人気アトラクションの生活習慣病や風邪のまわりにはキャストの方がお客さまより多いんじゃないの?って思えるほどです。 鍼治療は、すべてのお客様のこころの中に、ゴミを出さない、捨てないで持ち帰るという気持ちを起こさせましょうというモチーフです。お掃除キャストは要りません。もしゴミが落ちていたら、お客さまがサッと拾って持ち帰ってくれます。だって、その方がみんなが気持ち良いからね。 川を流れてきた病気を川下に向かって追いかけていくのか、川上の源流に向かって上っていくのか、の違いですね。 新型インフルエンザを鍼医者さんたち、漢方医さんたちはあまり恐れていません。 西洋医学のドクターたちは戦々恐々なのにね。 なぜなら、新型だろうと旧型だろうと、患者さんを診て、やるべきことは同じだからです。 新型だろうと旧型だろうと、身体は治ろうとします。 鍼も漢方もその自然治癒力を高めてあげる、身体が治ろうとするのを助けてあげるだけです。 鍼でも漢方でも治らない人はいます。でも、治る力のある人は治ります。 西洋医学は新型と聞いただけでパニックになります。治る力のあった人も・・・おそらくダメになるでしょう。 日本には幸いにして西洋医学も漢方鍼治療もあります。 1/4の奇跡みたいに、例えものすごい未知なる病気が地球規模で流行っても、日本人は生き残れます。 多様性とは生き残りのためのすばらしいセーフティ機能なのです。 それを具現化できている日本って、ほんとにすばらしいですよね。 <昨日の続きです>  準備が出来ると、私は患者さんに尋ねました。 「そのポジションで腰は痛くありませんか? 響子さんですね? では、これからワークを始めましょう。今日は何の過去生を見ようと思って来られましたか? 何を解決しようと思って来られましたか?」 「はい、ええっと・・・私は先日の列車事故で・・・主人を亡くしました」   申し訳なさそうに、悲しそうに響子さんは答えました。それは泣き尽くして心が消えてしまいそうな声ではなく、何かこれから彼女の人生に起こる恐ろしいことに戸惑い、脅えている様子でした。私は彼女が言葉を続けるのを待ちました。 「あのぅ・・・私は一年前に再婚しました・・・お互いに子供を連れていました・・・主人の子が二人、私の子が二人いるのです」  彼女は涙声で続けました。手のハンカチをギュッと握りしめています。 「主人が亡くなってすぐに、私が育てるって決心しました。今でもそう思っています。でも、やっぱりたった一年の家族だったので・・・」  彼女は涙を拭いながら、うつむいたまま続けました。 「だから・・・自信がなくって、でも、だからといって、あの子たちを手放す気など全然ないのです・・・」  彼女はしゃくり上げながら続けました。 「なんて言ったらいいのか・・・なんて・・・どうがんばったらいいのか・・・主人がいてくれたらなぁ、と思ってしまいます」  彼女は声を上げて泣き出しました。私はそのまま心が落ち着くのを待ちました。 「ごめんなさい。いつもまとまらないのです・・・」 「すると、今日は亡くなった夫に会いたいのですか?」と、私はテーマをまとめてみました。 「ええ、会いたい、って言うよりも、なぜこんなことになってしまったのだろう・・・その訳を知りたいのです」  彼女の心がようやく泣きやんで答えてくれました。 「私、秋田で育って、ずっと住んでいました。主人とはネットで知り合って、とうとう関西まで嫁いで来たのです。たった一年の思い出しかなくって、どうやって子供たち四人をこれから育てていけばいいのか、分からなくなったのです。それと、なぜ主人に出会ったのか、こんなことになるのに・・・主人と出会った意味を知りたいのです・・・」 <明日に続く>

2013年12月1日日曜日

おはようさん 2013.12.2.

師走の最初の日曜日、亡父の四十九日法要の打ち合わせをしてから、身体が歩きたい&歩きたいと駄々をこねたので、万博公園をお散歩してきました。 蓮風先生がよく患者さんに言う「ぶらぶら歩き」で、きれいな紅葉に出会うと立ち止まってカメラを構えて・・・ 患者さんに歩きなさいと言うと、時間と距離を決めてのウォーキングをしちゃう人も多いです。 アンタはデューク更家さんか? なオチですね。 ダイエットにはそんなウォーキングがいいけれど、心身をリラックスさせるにはぶらぶら歩きじゃなくっちゃね。 ぶらぶら歩いてると、いろいろな風景に気づきます。 きれいな花、おいしそうなパン屋さん、古びた喫茶店、まだがんばってる銭湯さん・・・ リコーダーの音は近くに小学校があるということ・・・ 小さな祠に毛糸の帽子をかぶったお地蔵さん・・・ ぶらぶら歩きをしていると、疲れた感性がどんどん磨かれていきます。 感性が鈍い人は鍼の効き目も鈍ります。 鍼だけじゃなくって、感謝の気持ちも、喜びの快感も・・・鈍ります。 こころも鈍ってしまいます。 当然、魂の光も鈍るから・・・天命・天職・天友から遠ざかってしまいます。 あなたは 大丈夫かしら? ヤバイかも・・と思ったら、今度の休日はぶらぶら歩きをしてみましょうね。 昨日の万博公園では、仲の良いカップル&ご夫婦がとっても目に付きました。 12月に入ったからかなぁ? ひとりでぶらぶら歩きも楽しいけれど、 おててつないでのぶらぶら歩きは最高やろうねぇ。。。(ちょっぴり嫉妬 否!祝福&祝福) 理想のパートナーは? 女性は三平(平均的な年収・平凡な外見・平穏な性格) 男性は三等(仕事や家事の機会は平等、年収は対等、身長・年齢は同等) だそうですが、 感性が鈍っていると、それなりの相手と結ばれます。 もちろんそれなりの相手さんの感性も鈍ってますから、それなり・・・ですけど。 そういう意味でも、昨日の万博のぶらぶら歩きカップル&ご夫婦たちは「感性が合う」方々だったのでしょう。 感性が合うカップルたちだったから、万博公園でぶらぶらデートしてたのかな。 昔々に書きかけたお原稿が出てきたので、今日からしばらくそれを載せますね。 題名は「コンタクト」  ある梅雨独特の重く湿った午後、中年の女性が前世療法を受けに来院しました。 四十前後の女性です。待合で前かがみに座っていました。 その顔色は青く、落ち込んでいる心がすぐに分かりました。 しかし、問診表に記入された文字はとても丁寧で、きっちりと書かれていました。 私はこの女性の内側に、まじめな性格と何らかの決意を感じとりました。  前世療法は患者さんと医師のマンツーマンで行います。 防音された部屋の照明を薄暗く落として、患者さんにリラックスできるリクライニング・チェアーに座ってもらいます。 イスの横には記録用の録音装置が置いてあります。 過去生へ降りると患者さんの声がとても小さくなることがありますので、患者さんとの距離は一〜二メートル離しておきます。 前世療法のワークが始まると、私が患者さんに近づいたり触れたりすることはありません。 私自身の中心軸センターにブレが生じると前世療法のガイドが勤まらないで、お互いの生命エネルギーが干渉しない距離を保っているのです。  もしオーラと呼ばれている生命エネルギーが見える方が同席していたら、過去生への誘導が進むにつれて患者さんのオーラが濃密になり、過去生へ降りて過去生の自分としっかり同化した瞬間にオーラの色合いが変化するのが分かるでしょう。 そして過去生での死を通り抜けて、その魂が眩しい光の世界へ入ると、目の前に横たわっている患者さんのオーラも光り輝きながら高く上へ伸びているのが見えるでしょう。  光の中心にいる神々しい存在と対話し始めると、その光り輝くオーラにキラキラと波紋が拡がるのが見えるかもしれません。 これは対話から得られた大切な気づきに対する顕在意識の最後の抵抗のしるしです。 私はこれこそが生きている証だと思います。  波ひとつない水面は太陽の光をそのまま鏡のように反射します。 そこにある美はただひとつ、一面の眩しい光だけです。  そんな水面に小石を投げ込んでみると、波紋が拡がっていきます。 さざ波が無数の光を踊らせます。 キラキラ、キラキラ・・・そこには無限の美が凝縮されて存在しています。 無知は小石をどんどん投げ込みます。 光が揺れて無限の美が創造され続けていきます。  光は影があってこそ美しい光でいられます。 私たちはこの世で目を覆いたくなるような影を作り続けてきました。 ひとりの善良な人間を見ても、生まれてから死ぬまで数多くの影を作ってしまいます。 でも、大丈夫なのです。 影の分だけ美しい光が必ず生じます。 その光が影を作った人の目の前に必ずしも現れないから、人は自分を責め、艱難辛苦の世界に自ら沈んでいくのです。  本当はそうではないのです。 あなたが光を得た時には、誰かが影を作ってくれています。 あなたが影を作ってしまった時には、いつの世か、どこかで誰かが光を得ているのです。 因果応報とは影を作ってしまった償いをしなければならないのではなく、光を得ても影を作っても、自分自身とどこかの見知らぬ誰かに向かって感謝しましょう、ということなのです。 <明日に続く>

おはようさん 2013.12.1.

さぁ12月ですね。 今年もラストスパートです。 まだ1ヶ月も残ってるので、今年一年を振り返って・・・は早すぎますが、 私の今年は辛いこと、しんどいこと、がんばっても報われないことが多かったように思います。 だからこそ、年末は作り笑いでいいから、笑っていたいな。 人生には節目が巡り巡って来ます。 人生行路の春夏秋冬が巡って、大きな節目を迎えて人生の次のステップに移行します。 私の場合16年の周期です。そして来年がその大きな節目が訪れるだろう年になります。 春は新緑。梅や桜が咲くように、枯れ枝に花が咲きます。 大いなる流れに乗りながら新しい何かが始まります。 大切な人との出会いもこの頃ですね。 夏は盛り。すべてが順調に流れ、創造的な仕事がどんどん沸いてきます。 友が友を呼び、輪が広がっていきます。 ポジティブなオーラがあふれ出ています。 秋は成熟。仕事に落ち着きが出てくると同時に、さまざまな別れが始まります。 同じベクトルで一団となって進んできた仲間たちの輪が緩み始め、それぞれの天命やエゴに導かれながら、あるべきところへと落ち着きます。 人生の達成感を感じるのもこの頃ですね。 冬は死。死の影に沈みます。 エゴや我欲が木枯らしに剥ぎ取られていきます。 ネガティブ思考が絶望や悲嘆を増幅していきます。 もうこれで人生は終わった・・・とあきらめてしまうのがこの頃です。 会社勤めの人たちなら60才前・・・人生の終わりを意識してしまう気持ちもよく分かります。 人生の中に節目を見いだせていないと、人生70年のワンクールだけになってしまいますよ。 青春時代が春。結婚して仕事に子育てに忙しくしてたのが夏。 出世したり子供が大きくなって生き方に落ち着きが出てきたのが秋。 定年退職して子供が巣立って、パートナーとふたり・・・看取って看取られてが冬。 人生70年ならこれでよかったけれど、今は人生90、100才だからこころが病んでしまいます。 人生の中にはいくつも節目があります。 小さいのから大きいのまで。 ラッキー&幸せなものも、失敗・不幸・涙なものも。 春夏秋冬のパターンで繰り返していることを見つけると、人生の節目が見えてきます。 この人生の節目が見えてくると、例え今が厳冬でお先真っ暗でも、ここを我慢したら、乗り越えたら必ず春が来ることが分かります。 何の根拠もない未来予報だけど・・・今をがんばる力になってくれます。 冬の桜や梅の木をよく見ると、小さくて固い花芽がちゃんと着いています。 冬の間に春の準備をちゃんとしているのです。 人の人生も同じ。 不運だ・ダメだ・終わりだ・・と嘆いていても春はやって来ません。 寒さ厳しい冬の中で、小さな幸せにいっぱい感謝できれば、すばらしい春爛漫がやって来るでしょう。 人生70年の頃は巷の情報やニュースを鵜呑みにしていても良かったけど、 今は何が正しいのか? 何が本当の情報なのか? を自分自身の目と耳、そして鼻でかぎ分けていかなくてはなりません。 小さな幸せを見つけるのが上手な人は、情報への鼻もよくききます。 小さな幸せ・大きな感謝と喜びが出来る人だけが巡り巡る人生の節目の意味を感じ取り、自分の未来を切り開きながら、自分らしく生きることができるのですね。