2014年10月29日水曜日

おはようさん 2014.10.28.

この前の日曜日に、ずっと肝臓癌をわずらっていた実母が静かに永眠しました。 享年83才。 夫(実父)が仕事をリタイアしてからの15年あまりの間、暴力こそなかったけど、毎日、凄まじい言葉のいじめを受け続けたことが肝臓癌の元凶だと思います。 晩年の5年ほどは、ほとんど自宅で寝たり起きたりの日々でした。 それでも夫からの言葉の暴力は続いていました。 ちょうど1年前、その夫が突然死し、お葬式の場でも涙を流さず、淡々と見送っていたのが印象的でした。 肝臓癌の元凶が消え去って、これで元気になるのか? それとも・・・? と在宅往診をしながら見守っていました。 これまでもたくさんの同じケースを診てきました。 そして、ものすごく元気になって、自分の余生を楽しむ人たちと、 あれよあれよという間に、あれだけ嫌いだった・憎んでいた・恐れていた伴侶のあとを追いかけるように亡くなってしまう人たちとがいること・・・ その違いは、 依存関係が消えるか、残るか、だということに気づきました。 病気の元凶がなくなったのに、なぜ依存関係が残るの? それは名だたる心理学者さんたちが難しく解説してくれているのでお任せしときましょう。 ただ、私が思うところは・・・こころの中に染みついた 憎しみ・恐怖・怒り・悲しみ は、笑顔にならない限り手放せないということです。 どうしたら笑顔になれるか? うずくまって、下を向いていた、目を閉じていた、耳を塞いでいた、息を殺していた・・・もうそんな必要はないんだと、自分のこころと身体に宣言して、立ち上がり、上を向いて、目も耳も開いて、大きく深呼吸しながら、自分の道を歩み始めれば、すぐに笑顔になれます。 亡き母のこの一年を振り返ってみて・・・笑顔が戻っていれば、きっと癌も悪さをしなかっただろうなぁと悔やまれます。 明日はお通夜、明後日が告別式。 私は感謝の笑顔で母を見送ってあげようと思っています。  合掌 前世物語 「高く高く上がった所からラドーさんの人生を見て、何か気がつくことはありませんか?」 「一生懸命尽くしてきたのはいいけれど、自分のプライベートをいつも切り捨ててきたことは果たしてどうだったのだろう、という虚しさがあります」 「もっともっと高く高く上がります。高く上がった所からラドーさんの人生と、今のあなたの人生を見比べてみて、何か気がつくことはありますか?」 「立場とか、責任とか、それらを最優先して一生懸命生きてるのは今も同じです」  先生は更に上へと導きました。 「そこから上はどうなっていますか?」 「ただ光っています。光がホワッと見えます」 「その光の中に入りましょう。光の中はどんな感じですか?」 「ホッとしたと言うか、ただいま、っという感じです」 「その中に誰かいませんか?」 「白っぽい人みたいな姿が大きくひとつと、その後ろには何人かいるようです」 「その大きい白い人に聞いてください、今回の私の人生の目的は何ですか?」 「にやっと笑って、Joy, Enjoy. と言ってます」 「それはどういう意味ですか? もっとわかりやすく教えてください」 「笑ってろ、って言うか、笑い飛ばしています。深刻にならないで、もっと自分の気持ちのままにエンジョイする勇気が大切なのです。そのためにはもっと自分を愛して信頼しなさい。そうすれば自分の楽しみのために一歩踏み出すことに罪悪感を持たなくて済みますから。すぐにお前はねじり鉢巻きになるから、後になって溜め息をつくことが多いんじゃないのかな。そんなに一生懸命にならなくても大丈夫だよ、と言われました」 「私の人生はここまで順調ですか?」 「爆笑しています。後ろの人たちもくすくす笑っています。私はそこまで笑わなくてもいいのに、ってちょっとひねくれた気分です。私のすねた態度が更にウケを増している状態です。最初はムカついていましたが、今は一緒になって笑っています。何だかすごい説得力です」  彼女も一緒になって笑っています。 「ヒロ君との関係は何ですか?」 「みんな笑いながら、答えは知ってるくせに、って言われました。お前が思っている通りなのに、わざわざ何でそんなことを聞くんだ、って聞き返されました」 「一往いちおう、聞きたいんですよ」 「そう頼んだら、それがお前の悪いところだ、って言われました。これでもか、これでもか、って誰かのハンコが欲しいのか、と言っています。そんなのだから大切な喜びとか楽しいことよりも違うことを選んで、死んでから又やっちゃった、って指をくわえてるんだ。いいじゃないか、お前が思っている通りなんだから。それで十分じゃないか」  先生も耳が痛そうにしています。私はすまし顔で先生にウインクしました。 「私は今まで何回生まれ変わりましたか?」 「百十六回です」 「その中、ヒロ君とは何回一緒の人生を歩みましたか?」 「八十二回です」

2014年10月28日火曜日

おはようさん 2014.10.27.

奥山医院からのお知らせ 院長忌引きのため・・・ 10月29日(水曜)の夕診はpm4〜5時半まで(受付は5時まで) 10月30日(木曜)の午前診はam8〜11時半まで(受付は11時まで) とさせていただきます。 もう15年近くも診続けている引きこもりの青年(もう中年になっちゃったけど)がいます。 アーユルヴェーダの治療を受け、瞑想を続けたり、 漢方薬を飲み続けたり、 もちろん、向精神薬もかなり服用されています。 去年からは蓮風先生の鍼も受け続けてくれています。 それでも、良くなれば家業の農業の手伝いはできますが、3週間ほど続けて仕事をすると、1~2週間はへばって引きこもります。 この夏は調子が良かったので、このままブレークスルーするんじゃないか!って期待してましたが・・・ 秋に入って、ずっと引きこもったままです。 どこがしんどい? どんな具合にダメなのか? に全く答えられません。 よくあるんですよねぇ こういうタイプの「しんどい病」って。。。 最近は蓮風先生のところまで行く元気がないからと、いつもの診療の際に、うちで鍼をしています。 顔は赤鬼のように真っ赤、お腹は熱邪だらけ・・・肝火上炎の大爆発!ですね。 当然、刺絡・・・最初の数回はとても良く効きました。 仕事にも行けるようになったので、もう大丈夫!と思ったら・・・また重度の「しんどい病」に(>_<) でもね、今日も刺絡&鍼をしながら思いました。 私が治るって信じてあげられなくなったら、もうこの人の人生は終わってしまうもの。 蓮風先生のカリスマなところは、これは治る! 自分が治す! という確たる信念に基づいて鍼をされているところです。 だから私も、うちで治らない患者さんたちを安心して蓮風先生に託すことができます。 自分は治るって信じてあげられることって、とっても大切なことなのです。 そこで話は変わって・・・ 親は子供をだましてはいけません。(子供は親をだましてもいいけどね) 親は子供を裏切ってはいけません。 そして、親は子供を信じなきゃいけません。 さて、「子供を信じる」を誤解してるアホ親が多いですよね。 子供は事件を起こして・・・「うちの子に限ってそんなことは ・・・」というパターンです。 子供が 被害者になることも、加害者になることもあります。 これは子供が大人になっていく過程で、どうしようもないことです。 もちろん、やって良いことと悪いことを教えるのは親の責務です。 最近のアホ親は、子供の躾けまで学校の先生に押しつけるらしいけど・・・もう末世ですね。 これは「子供を信じる」よりずっと低レベルな話です。 「うちの子に限って、そんなことはしません!」は「子供を信じる」ではない! ですよね。 子供を信じるとは、加害者になってしまった子供がいつかちゃんと立ち直れる! と信じられることです。 誰かが信じてくれていて、誰かが見守ってくれていれば、必ず自立できます。 人生マラソン 途中で転ぶことも、足にまめができることも、お腹が痛むこともあります。 歩いて、立ち止まって・・・それでもまた走り出すよ!と信じて声援を送り続けることが「信じること」です。 子供を信じる。 子供が病気になってしまっても、こころが病んでしまっても、 世界中の医者たちがサジを投げても、 いつか必ず元気になる!と信じて声援を送り続けることができるのは親だけです。 これが「子供を信じる」ということです。 私は患者さんの親ではないので、親御さんの信じる力には叶いませんが、それでも「治る!」と信じる力を、治す力をもっともっと高めていきたいと思っています。 会う人 みんな 神さま 患者さんも みんな 神さま 今日は神さまから叱咤激励されたような気がします。 前世物語 「そのまま死ぬ直前に進んでください。今、どこにいますか?」 「同じ自分のテントの中です。五十四才になっています。そばに敦子さんがいます。足もとに三人控えています」 「死ぬ間際に何を思っていますか?」 「テントの上の穴を見ながら、やっと終わるんだな、と思っています。何だかホッとしています」 「あなたは結婚したの?」 「しませんでした」 「なぜ?」 「仕事を全うしたかったからです。少しストイックにやり過ぎて、厳しい役割を担うことになってしまいました。あまりに禁欲的、克己的だったのもちょっと間違っていたのかな、と思っています」 「あの後、ピー君はどうなったか、わかりますか?」 「わかりません」 「ラドーさんの能力は、あなたが死んでも持っていけますか?」 「はい、もちろんです。誰でも持っている力ですから。私は他の人よりもそれに少し長けていただけだから。肉体が変わっても、私にはこのやり方がわかっているから大丈夫なのです」 「では、そのまま持っていきましょうね」 「はい」 「そのまま死ぬ場面を通り越して、魂が宙に浮いたら教えてください」  彼女は大きな息を吐きました。 「軽くなりました」 「下を見て。死体はどんな表情ですか?」 「とても自然な表情です」 「それを見て、どう思いますか?」 「ああ、終わった。軽くなった」 「身体のどこから抜け出た気がしましたか?」 「足からかな」 「宙に浮いているあなたのまわりに何か存在を感じますか?」 「先祖が来ているような・・・」 「先祖は何と言ってますか?」 「よく頑張ったのだから、もうそんなに責めなくていいのだ。少し休もう」 「そのまま空の上まで行って、下を見て。どんなお葬式ですか?」 「ここはアメリカなのに、チベットのお葬式みたいに山にほったらかしになっています」 「そういう風習なのですか?」 「そうなのか・・・私の名前にちなんでなのかもしれません」 「それを見て、どう思っていますか?」 「とても嬉しいです」 「鳥が来て死体を突いているのを見て、どうですか? 嫌じゃない?」 「全然。とても誇らしい気持ちです」 「ピー君はどうしていますか?」 「もう死んでいます」 「そばにピー君は来なかったの?」 「死んだ時はまだいませんでした」  先生はラドーの魂を高みへと導きました。

2014年10月26日日曜日

おはようさん 2014.10.26.

今日は東洋医学会関西支部例会に参加してきました。 漢方医ばかりが集まる学会ですが、今回は鍼灸&経絡治療が大きくクローズアップされていました。 漢方医のための「初めての鍼灸」実地講習とか、経穴診断をどのように漢方処方に役立てていくのかとか、腹診の仕方だとか・・・ほらね! 時代が私を追いかけてきたよ!ってちょっと鼻高々で(;^^)ヘ.. 鍼灸を始める前までは、こういう漢方学会での症例報告を聞きながら、なるほどねぇ・・・で納得して終わってましたが、今日は「その処方をして効いたのは良いけど、全然、弁証できてへんやん! なんで効いたんやの?」とひとりツッコミしてました。 これが弁証グセの暗黒面なんだ、とメディカルユーコンさんとお話していて気づきました。 確かに弁証は大切です。 でも、弁証は左脳的な思考です。 弁証するための体表観察:望診・脈診・舌診・腹診・背候診などは手の力&目の力によります。そう、とても右脳的な感じ取りです。 この右脳的な感じ取りと左脳的な弁証のバランスがとれていないと、鍼灸の最高の力は発揮できません。 それは漢方処方でも同じです。 今日の発表を聞いていても、一流の漢方医の先生方、とても流行っている漢方クリニックでも、こんなレベルの体表観察&弁証なの?? と思ったところがいくつもありましたが、それはそれで左脳的弁証と右脳的感じ取りのバランスは取れているわけです。 だから、とりあえず治っちゃう。 左脳的弁証をどんどん積み上げていっても、右脳的感じ取りが弱ければ、結局、鍼灸も漢方もはずれて病気は治りません。 それじゃぁダメですよね。 鍼灸と漢方の統合治療・・・これは漢方医しかできない使命です。 これからの漢方医は鍼灸も刺絡も漢方も上手く使いこなさなくちゃいけないなぁ。 だって、それができるのは漢方医だけなんだから。 薬師如来さんに背中をグイッと推されているような気がします。 さぁ、明日から新たな意気込みを持って、がんばりましょう! 前世物語 先生はここで場面転換をしました。 「では、ラドーさんの人生で一番幸せな場面に移ってください」 「健康な十七才になったので名前をもらって喜んでいます。それは鷲の名前です。ここは・・・大きな村です。平和で安定した集落です」 「その場所はどこにありますか?」 「アリゾナです」 「あなたの部族の名前は?」 「平和と何とかの民と言います。ユニ何とか・・・」 「あなたのいる年代は?」 「1326年です」 「結婚していますか?」 「結婚していませんが彼女はいます」 「その平和な村の人の中に、今のあなたが知っている人はいませんか?」 「母が今の母です。じいさんが母の姉です。父はかわいい従姉妹になっています。私が好きな娘がヒロ君かな・・・」 「あなたが好きな娘はどんな娘ですか?」  ラドーは少し照れ臭そうに答えました。 「黒い髪をきれいに編んでいます。目は深い紫です。名前はアニューイと言います。彼女も私を好いてくれています。私も鷲の名前をもらって、とても自信に満ちています」  ヒロ君がその娘かどうか、まだ確証が持てません。先生はヒロ君を探しに行きました。 「ラドーさんの人生で、ヒロ君と初めて出会った場面に移ってください。あなたはいくつになって、何をしていますか?」 「二十一才です。普段の仕事以外に、風と話をしたり大地と話をする役割をしています。私は誇りを持ってやっています。さっき慰めてくれていた友人は薬の担当をしています」 「ヒロ君とはどこで出会ったの?」 「十六才の弟分がヒロ君です。同じ仕事をしています。名前はピーと言います。茶色の髪に茶色の目をしています」  先生はこのワークの主題へと進めました。 「ラドーさんの人生で、ヒロ君との関係が最もよくわかる場面に移ってください」 「三十一才です。彼は若頭になっています。非常にうまくいっていました。だけど別の種族が来て、思いがけない展開となって・・・私はそれが読めませんでした。でも彼らは村を壊すとか、殺すような目的で来たのではありませんでした。私たちのような能力を持っている者を連れ去っただけなのです」 「誰が行きましたか?」 「あいつが行くと言って、自分から行ってしまいました。私は何も出来ませんでした」 「なぜ彼が行ったのですか?」 「村を守るために、私の身替わりになったのです」 「彼は別れ際に何か言いましたか?」 「何も言わなかったけど、じっと私を見つめました。私は深いつながりを感じたまま彼を見送りました」 「その後、あなたはどんな気持ちでしたか?」 「守ってやれなかった。どうしてもやれなかった。そんな無力感で・・・。幸せになってくれ」  彼女の涙が止まりません。先生は場面を進めました。 「ラドーさんの人生で、次ぎに大切な場面に移ってください」 「五十才位になっています。肝臓が悪くて体調が良くないけれど、若い子たちに同じ様なことを教えています。とてもしんどい・・・。もう長くはないと思っています」  彼女も苦しそうにしています。先生が尋ねました。 「何が起こったの?」 「血を吐きました。変な色の血をいっぱい吐いています。でも薬は要らない、と言いました。教え子たちが枕もとにいてくれています。その中に甥も見えます。・・・となりの明子ちゃん、小学校の頃の友人も見えます」 「その子たちに何か言い残していますか?」  ラドーのどっしりと落ち着いた声が彼女の口から聞こえてきました。 「大地の声を聞け。風は歌うから、共に口ずさめば、それが知恵の調べになるだ・・・」  同時に彼女の左脳が答えました。 「自分の技術を最後まで一生懸命教えています。・・・ここには女が全然出てきません」  先生は左脳を静めながら場面を進めました。

2014年10月25日土曜日

おはようさん 2014.10.24.

昨日、蓮風先生に診て頂いた肺癌疑いの患者さんも、 ずっと診ている乳癌骨転移の患者さんも、 これまで診てきたさまざまな癌患者さんたちも、 みなさんに共通していることがあります。 それは、腹診の第一印象が「どこもかしこも、ひどい熱邪やん!」です。 そう、年齢や癌の部位、癌の進行ステージに関わらず、みなさんのお腹はまるでストーブにように熱邪が浮き出ています。 「癌は熱や!」と蓮風先生はよく仰いますが、まさに癌は熱の固まり、熱邪の中から生まれ出てきます。 車のエンジンは普通に走っている限りは、その熱で溶けたり爆発したりはしません。 風によって冷やされた水が循環してエンジンを適度に冷やしてくれているからです。 この風に当たるのが人間では「笑顔」で、水に当たるのが「愛」ですね。 かなり燃費は悪いけど、風が「美食」や「お金」や「高価な物」や「権威」や「ステータス」で水が「満足」な人もいます。 それはそれで壊れやすいとか、渋滞の元凶だとか、公害をまきちらかす・・・なんて問題があって、しばしばエンストしたり故障したり、もちろん癌になったりもしますが、今日のテーマとはちょっと違うので置いときましょう。 さて、車のスピードをどんどんあげていくと、当然、エンジンの熱の負担が急増します。 高速運転をずっと、何年、何十年も続けていると・・・エンジンは溶けて爆発してしまいます。 一種のメルトダウン これが癌です。 ちなみに、エンジンの冷却水系統が詰まったり、オーバーヒートしたりするのが脳卒中です。 どの癌患者さんも、休憩なしの働き詰めの感があります。 たしかにそれだけ働き続けたら、熱邪だらけになるよなぁ・・・の感を抱き、溜息が出ます。 そして、この働き詰めが「私がやらなければならない」「私しかできない」の「私が~ねばならない」の想いで充ち満ちていることに涙が出ます。 そう、身体もこころもオーバーヒートサインを出しているのに、それを無視して(もしくは自分でスイッチを切ってしまって)高速で走り続けた結果が、癌になったのです。 癌になっても生還する 癌が治ってしまう人もたくさんいます。 そういう生還者さんたちを診ていると、みなさん、癌を節目に生き方をガラッと変えておられます。 高速道路から降りて、地道をのんびり、景色をパートナーと楽しみながらドライブしている感じです。 「私が」も「ねばならない」もなくなっちゃっています。 代わりに「大丈夫」と「ええんちゃう」が口癖になっています。 癌になると、食べ物はこれはダメ、あれはダメ、これが良い・・・と相変わらず「ねばならない」を続けている患者さんたちも多いですが、こういう方たちの癌後生存率はあまり芳しくないと思います(←あくまでも個人の感想で、何らエビデンスはございません) これまで快適?に飛ばしてきた高速道路を降りて、地道をのんびり行くのって、最初はとても勇気のいることです。 それまでの自分の生き方、人生を自己否定してしまうような気がするからです。 確かにそれまでの人生の自己否定かもしれません。 自己否定でいいじゃないですか! だって神さまにダメ出しされたんだから。 癌というのは、人生の大節目です。 節目というのは、そのまま一本道だということではありません。 必ず別の道があります。 快調に飛ばしていたのに、神さまに赤旗ピットインを命じられた。 無視して走り続ければ・・・事故ってしまって終わりです。 ピットに戻って、タイヤを交換して、ガソリンを入れて、一息ついて再出発すれば、栄光のゴールが見えてきます。 神さまが本当に「終わり」だと言えば、間違いなくその場で死んでしまいます。 癌になったからといっても、まだ生かされているのだから、これも間違いなく人生の大節目であり、別の道があるはずです。 生かされていることに感謝する。 今を生きる。 その意味がここにあるのです。 前世物語 美子レポート    J o y , E n j o y !  このワークをお受けになられる方々の中で最も多いのは、人間関係に悩んでいる方です。複雑な人間関係に身動き取れなくなってしまった方は、その中の誰か一人にテーマを絞ることが出来ないこともあります。以前にも述べましたように、それでもテーマは出来るだけ一人にフォーカスしていただいています。太郎さんと花子さんとの関係がわかる過去生へ、と誘導することは出来ますが、太郎さんと花子さんとが同時に重要な役割を果たしていた過去生があるとは限らないからです。映画に例えると、太郎さんと花子さんと患者さんが主役、準主役になっていなければ、今の人間関係の悩みを解決するためのヒントはなかなか得にくいと思います。下手をすると太郎さんも花子さんもセリフなしの通行人で出演しただけの過去生が見える可能性もあるのです。患者さんの潜在意識が「二人と一緒に生きた」に強くフォーカスした場合にこうなってしまいます。これでは肝腎の気づきに手が届きません。ただ過去生を見ただけ、に終わってしまいます。何度もワークを受けられる余裕のある方はこういったテーマを入れてみるのも面白いでしょうが、ほとんどの方々が遠方から来られますので、出来れば安全策を取っていただくことをお薦めしております。一人の過去生を見て、一人ずつじっくりと人間関係を解きほぐしていかれる方が良いと思います。  この患者さんは、ヒロ君という彼との関係が最もよくわかる過去生へ戻りました。 「地面を見て、地面を感じて。どんな地面が見えますか、感じますか?」 「固くて赤茶色の土です。少し草が生えています」 「足には何か履いていますか?」 「革の赤いブーツが見えます」 「下半身は何を着ていますか?」 「ぼろぼろの服です。白の汚れたズボンを紐でくくっています」 「上半身は何を着ていますか?」 「下とおそろいの長袖の服です。ずいぶん汚れています」 「手に何か持っていますか?」 「短い棒を右手に持っています」 「肌の色は?」 「赤っぽい肌です」 「手をしっかりと見て。その手はどんな手ですか?」 「青年の男の手みたいです」 「頭に何かかぶっていますか?」 「何かを脱いで、誰かを見送っている感じがします」 「どんな髪ですか?」 「肩より少し長くてストレートの黒い髪です。放心状態で立っています」 「ヒゲはどうですか?」 「ザラザラしています」 「目の色は何色ですか?」 「茶色です」 「背中や腰に何か荷物を持っていませんか?」 「ありません」

2014年10月24日金曜日

おはようさん 2014.10.23.

今日は先日、見つけた肺癌の患者さんが意を決して蓮風先生の鍼を受けることになったので、朝からその手配に看護婦さん共々、バタバタばたこさんでした。 漢祥院の蓮風先生のところも、すでに初診の予約が入っていてダメだったところを、ムリを言って今日の夕方に入れていただけました。 (今日の夕診はダブル初診となって、漢祥院のスタッフのみなさん、研修生のみなさんには多大なご迷惑をおかけしました。本当に本当にありがとうございました) この患者さん、まったくの無症状で、たまたま胸水貯留が見つかって。 翌日が大学病院の呼吸器科の教授の診察日で、すぐに診てもらえて。 その翌日には、蓮風先生に施術していただけて。 こういう善き流れに乗れている患者さん は、どんなに重症・難病でも、大丈夫なのです・・・ これは脳外科医時代からのたくさんの経験値だから胸を張って言えます。 運気というのか、生かされてる力というのか、不思議なくらいまわりから愛の手が伸びてくるのです。 そしてね、藤本蓮風先生の漢祥院に行くと、この不思議な運気がドーンと高まります。 直感だからエビデンスも科学的データーもないけど、邪気が落ちたような気がはっきりと感じられます。 (逆は大学病院ですね。あそこはお見舞いに行っただけで、邪気をもらって帰ってしまいます) この運気、生かされてる力が高まる治療所が大流行する・・・とは限らないところがまたこの世の面白さです。 運気が高まり、病気が治る方へ進み出す・・・本当はすべての人たちがそう願っているはずなのですが、実際はこの世の人たちの1/3かな・・・もしかしたら20%かも。。。 あとの人たちは、なぜか病気の中に居たいのです。 だから、本当に病気が治ってしまう治療所に行くと、何となく居心地が悪くなってしまいます。 もちろん内なる自分のせいだ!とは気づきませんから、その治療所の先生やスタッフのせいにしてしまいます。 西洋医学は表の病気を取り去るか薬で抑え込みます。 内なる元凶には治療の手は及びません。 癌だったら、手術で可及的に取り去る・残れば放射線で焼く・抗ガン剤で抑え込む・・です。 東洋医学は、元凶に辿り着くまで弁証していきます。 内に入っていくために問診でその方の人生を洗いざらい聞き出します。 これをブロックしてしまう患者さんには・・・東洋医学があまり効きません。 病気の根源に触れられたくない人たちは、運気が高まり、生かされてる力がアップするところから離れようとしてしまいます。 西洋医学がどんどん進歩しても、癌がなくならない、難病が治らないのは、こういうところが原因でもあるのです。 じゃぁ どうしたらいいの? それはね、素直が一番!なのですよ。 どれくらい素直になればいいの? 3~5歳の子供たちの素直さがお手本だよね。 そう、まるでピカソが目指した絵みたいにね。 誰だって描けていた あの子供の絵みたいに、素直に戻れれば、病気は治り始めますよ。 前世物語  先生はこの症例を、堕胎、水子の話が話題になった時に使います。 「アーリーさんの時、あなたたちを生めなかったけれど恨んでいませんか?」という問いに、マリア様はこう答えています。 「恨んでなんかいませんよ」  そしてマリア様の近くには『水子たち』がニコニコして、今か今か、っという感じで生まれてくるのを待っています。赤い洋服を着て待っています。  先生は特に、水子たちが赤い洋服を着て、みんなニコニコしながら今か今かと待っているイメージがお好きなようです。 「この症例を始めとして、いわゆる水子の魂が母親を恨んでいた症例は、まだ一例も経験しておりません。過去生ワークの光や神さまとの対話の中で、この水子の魂について尋ねることがよくあります。堕胎はそれほど母親の心を深く傷つける出来事なのです。後悔、懺悔、悲しみ、祈り、怒り・・・それらが一筋の涙となってお母さんの頬を伝わり落ちます。その涙は光の中に入ると、もう止めどなく流れ続けます。そして光や神さまが現れて、優しく教えてくれます。 『大丈夫、あの子は恨んでませんよ。こちらで幸せに遊んでいますよ。あの子はそうなるだろうということを知っていて、あなたの赤ちゃんの中に入ったのですよ。だから、もう大丈夫ですよ。あの子の魂はあなたに何か気づかせようと降りていったのです。あなたはあれからたくさんのことを学びましたね。だから、すべては計画通りなのですよ。大丈夫です』  そして水子の魂の声も聞こえてきます。 『お母さん、もう悲しまないで、自分を責めないで。私はお母さんのことが大好きだよ、今までも、これからもずっと。だからもっと笑って、いつも笑顔でいてね。大好きだよ、お母さん』  この話でお母さんたちは涙ぐまれます。中には大泣きされる方もおられます。でも、その涙は心の浄化の涙なのです。真夏の夕立のように、激しく降れば降るほど、後には美しい虹が輝くのです。  この先生のお話の草稿は私が作りました。先生の過去生ワークの今までの記録を読み直し、水子に関するメッセージを集めてまとめ上げたものです。先生のお話はたくさんの症例がごちゃまぜになっていますが、ウソや意図的な創作は一切入っておりません。光や神様の言葉から抽出されたエッセンスの塊なのです。 「美子さんの草稿はいつもわかりやすいね。ありがとう、助かるよ。美子特製、光のエスプレッソだね」  先生のそんなお上手が私の生きがいを灯し続けるオイルとなって心の中に染み込んできます。 「厳しい環境の下で、大地に塗まみれながらコーヒーを育てあげている先生がいるからこそ、なんですよ」  調子に乗せるとすぐに暴走してしまう先生には、こんな褒め言葉は禁物です。今は私の心の中にしまっておきましょう。そして、もしもいつか私が先生を看取ることがあるのなら、その時にはいっぱい、いっぱい褒めてあげますからね。チベットのお坊さんのように、冷たくなった先生の耳元で来る日も来る日も、ずっとずっと褒め続けてあげますからね。もし私が先に逝ったら・・・先生が何をしてくれるかなんて、もう私は知っていますよ。それだけでいいです、美子はとても幸せです、ありがとう、先生。

2014年10月23日木曜日

おはようさん 2014.10.22.

最近、漢方処方する際に参考にさせていただいている本があります。 「山本巌の臨床漢方」  日本漢方諸流派から中医学、現代医学と、それぞれに精通することを心掛け、その上で真に病人を救う医学を創造しなければならない。山本巌先生が臨床家として貫かれた姿勢である。山本巌先生の深奥を窮めた漢方は、学としての漢方を追求し、尚且つ豊富な臨床経験とともに、中島紀一先生に学んだ中島流一貫堂医学に支えられた「術」を身につけた上での到達点の高さゆえのものであろう。 本書は、同時期に故・山本巌先生の門下生となった坂東正造氏と福冨稔明氏による共著である。山本巌流漢方を後世へ伝承していくために、その「学」と「術」の理解と実践に可能な限り役立つよう、5年の歳月をかけて編集・執筆してきたものであり、編著者自らが師より継承し実践してきた中で得た、学識と臨床経験に照らしてまとめ上げた渾身の作である。坂東氏の前作『漢方治療44の鉄則』、『病名漢方治療の実際』が山本巌流漢方のエッセンスを解説したものとすれば、本書は「臨床実践の知」に立脚した山本巌流漢方の基礎と臨床の集大成と言える。 先日の蓮風先生の臨床50周年の会で、この本の出版社 メディカルユーコンの代表さんと、この本について熱く語り合いました。 実は私はこのメディカルユーコンの代表さんとは、昔から東洋医学会でよくお会いしていて、お友だちです。 この東洋医学専門書屋さんの本は、どれもとってもユニーク&臨床で役立つものばかりなので、いつも新刊を楽しみにしています。 年に一冊出るか出ないか・・・ともかく自信のある本しか出さない本屋さんです。 蓮風先生の名前も、東洋医学会の書籍コーナーで、このメディカルユーコンの代表さんに教えていただいたのが最初でした。 たしか「上下左右前後の法則」をとても熱く語っておられたのを覚えています。 さて、この山本巌先生のことも、お名前くらいしか知りませんでした。 ただ、これも東洋医学会の書籍ブースで熱く語られて・・・高いなぁと思いながら、まぁメディカルユーコンさんの本だから・・・と買って・・・ずっと診察室の机の中に眠らせていました(;^^)ヘ.. この夏頃だったかな・・・机の中からこの本に呼ばれて、漢方外来で使ってみると、ものすごくわかりやすい&使いやすい本だと気づきました。 はい! こんな漢方本、これまでなかったです。 使い手のことをよく考えて編集してあり、臨床現場をよく知っている編集者さんの細やかな心遣いが身にしみてわかります。 漢方を机上で勉強するためには、ボリュームも が大きすぎるし、内容も臨床に振れすぎているので不向きかもしれませんが、これを診察室の机の上に置いておいて、漢方診を詳しくして、弁証ができて、さてどの漢方にするか? でちょっとでも迷ったら、とても力強い助けになってくれる本です。 東洋医学会でもエビデンスや実験結果といったデジタル医学がまるで「進撃の巨人」のように闊歩していますが、漢方はやはり経験値が一番大切です。 本に残す・・・漢方は黄帝内経の頃から漢方はそうやって経験値を本に残して、後世に伝えていく、ある意味、文化でした。 このすごいボリュームの漢方書にお世話になりながら、山本巌先生はじめ、多くの先人だちの努力と創意工夫の数々に深く感謝しています。
山本巌の臨床漢方
坂東正造
メディカルユーコン
2010-06

前世物語 「美子さんは私の女神さまなんだよ。いいじゃないか、それだけで。なにもすべての人々の神、神々の中の神にならなくたって・・・」  そんなワークが続いて、落ち込んでいた私に先生はこう言いました。神々の神・・・そうなんです、神様の言葉を解説できるのは神様しかいませんよね、神様なんですからその気になれば、とてもわかりやすい言葉で教えてくれるはずですよね。それがどっちつかずの言葉でしか返してくれない所に大切なヒントが隠されているのでしょう。私は危うく神になるところでした。 「先生こそ、私の神様じゃないですか? だって私にいろんなことを教えてくれているでしょう。私を洗脳しちゃったんじゃないの? まぁ、いいのよ、それでも・・・だって私は先生の筆頭信者ですからね」  先生はどこか寂しそうに答えました。 「スピリチュアルなプロセスは決して信仰ではないんだよ。スピリチュアルな師弟関係は宗教のように永遠ではないんだよ。この人間界の時間軸の上で単に早いか遅いかだけのことであって、師はいつか弟子に自分を乗り越えていって欲しいと思っているんだ。スピリチュアルに師弟関係があるとすれば、それは弟子を一人前のマスターに育てあげ、手放すことだと言えるだろうね。だからスピリチュアルなプロセスの上での出会いには、必ず別れがついてくるんだ。そして魂の世界から見れば、師弟関係は魂同士の切磋琢磨の一瞬でしかないんだよ。でも、美子さんと私の『今』が、二人が真剣勝負の刃やいばで火花を散らした一瞬でしかないのだったら・・・、美子さんにだけは師弟の関係を越えて、洗脳してしまいたい欲望が私にはあります。これは人間の煩悩ですね。ただね、私はそんな煩悩が愛おしくもあり、そんな煩悩で心が揺れている自分がかわいいと思っています。自分を好きになること、自分を愛することって意外とそんなところではないのかな」  先生の告白を聞いていると、この症例が再び私の中に浮かび上がってきました。この症例は、「結婚しないことが学び」の人生でした。そして結婚しないことから学ぶこととは、「家庭とか籍とかに縛られないで、自由に恋愛すること」だと言われました。そんな人生の目的は、「やり続けて達成感を味わうこと」でした。これは先生と私の今の関係にも当てはまります。先生は私にスピリチュアルな道をこのまま歩ませようとしています。もちろんそれは私も望んでいることです。ただ、先生は私が先生をいつか卒業する日がやって来ることを知っているのです。ですから、その日のために「自由に恋愛すること」に留めておくつもりでいます。そうしなければ、私のマスターとして私に卒業試験を下せないからだと言っています。私を洗脳してしまえば、先生が歩んでいくプロセスをそのまま私に転写すればいいだけですから、いつまでも私をそばに置いておくことが出来ることも知っています。そんな葛藤が先生の中のいろいろな欲を騒ざわめき立たせています。それを先生は煩悩と呼んで、一段高いところから楽しそうに眺めているのです。そんな自分をさえ、「かわいい」と言い放つ先生は確かに自分を愛して許せています。そんなふうに自分を愛せているのですから、私のすべてを無条件に許して愛することも本当に出来る人なのです。そう、今は何をやっても先生には敵わない私だということがよくわかりました。

2014年10月22日水曜日

おはようさん 2014.10.21.

月一で通院してくれてるお寺の奥さん。 年がら年中超多忙で、お盆、お彼岸が終わると御詠歌の諸々があって、そのまま年末へ突入して・・・ 月月火水木金金でお寺の裏方&主婦をがんばっておられます。 今日の診察で・・・お顔を見た瞬間に「衛気が濁ってきている!」と直感しました。 ご本人は、お彼岸も何とか終えて、これから御詠歌だけど、いつもどおり元気です!とおっしゃってます。 脈診はいつものように沈、だけど枯脈がベトッと影を被っている・・・う~ん?? 舌診は全体にオレンジ色・・・う~ん??? 腹診もいつものように全体に実熱で。その熱の奥を探るように触診していると、左>右で陽明胃経が沈滞してるぞ!  他の経絡は・・・うん、やっぱり深いところで沈滞してるやん。これってもしかして・・・ 腹診しながら、こんなに熱邪を溜めていると、そのうち癌を創ってしまいますよ! でも、この実熱がないと、毎日のお仕事が出来ないものねぇ そろそろもうちょっと楽をした方がええんやけどなぁ・・・とか言いながら・・・ 胸部写真を撮ってみると・・・左肺下葉が肺水腫像を呈していました。 ありゃりゃぁ・・・何の自覚症状もないのに・・・肺癌疑いです。 数年前に線維筋痛症で某病院で大量のステロイドが長い間、投与されていたこともあるので、癌だと断定できませんが、やっぱり怪しい。。。 大学病院での精査をお薦めすると、身内に某大学病院のお偉方が居るので、そちらに行きますとのこと でした。 う~ん・・・癌だったら、エビデンス通りの治療コースやろうなぁ。。。 手術・抗ガン剤・放射線治療のオンパレード! 手術は仕方ないとしても、抗ガン剤や放射線治療はやめて、出来るだけ早く退院して来て、蓮風先生の鍼を受けるのが一番ええよ!!とお薦めしましたが、やはりショックですからね・・・馬耳東風でした。 そういえば、線維筋痛症の時も、漢方で治るよ!とお薦めしても、聞いてくれへんかったなぁ。 とってもええ人なんやけどなぁ。残念やなぁ。悲しいなぁ。悔しいなぁ。 どうしたら「癌治療=鍼&漢方」とみんなの脳内シナプスを繋げれるのかしら? 医学の雑誌や学会でどんどん成果を発表して・・・でも、これは巨大な製薬業界や医療器械メーカー連合が黙ってるわけないですよね。 だって、売れなくなっちゃうもの。 昔、ビートルズがインドで瞑想をマハリシに習ったのがきっかけで、マハリシの瞑想がアメリカで爆発的に広まったように、世界的に超有名なタレントさんの癌や難病を鍼灸で治してしまう!というパフォーマンスがあれば・・・なんだか夜討ちで城壁をよじ登って、敵の殿様の寝首をかくような搦め手攻撃やけど、そんなことが起こらない限り、いつまでたっても鍼灸&漢方が癌治療に効く!とは思ってもらえないでしょう。 日本だったら・・・宮崎駿監督とか、白鵬とか、王貞治とか、 世界だったら・・・マドンナとか、ダライ・ラマとか、 (こういうことでも書いておくと、宇宙の歯車が動き始めるのです) さぁ どえらい人の癌を鍼灸&漢方で治しちゃうその日ために、明日からの一日一日 がんばるのです! 前世物語  この症例のように、過去生ワークの結果次第で恋愛や結婚を終わりにしようと思っている、という方がおられます。 「神社のおみくじみたいなものだから、まぁ、それはそれでいいんじゃないのかな。最終的に決めるのは自分なんだからね」 ちょっと膨れっ面の私に微笑みかけながら、先生は飄々ひょうひょうとワークを進めていきます。  このワークでハッキリと白黒がつけられる、と決め込んで来られた方は、光の中でのメッセージに失望と落胆を抱かれるようです。光眩しいメッセージであればあるほどシンプルであり、「そんなこと、わざわざ言われなくても、よくわかっている」ことだからです。それらはまるで禅問答のような答えなのです。  これは男女の間の別れる、別れない、だけの話ではありませんが、私たちは何かの決断を迷っている時に、どうしても誰かにその決断の最後の一押しをして欲しいものなのです。この際、すでに自分の心の中は決まっています。自分の心の意に添う一言が欲しいのです。そして、その一言、一押しは出来れば光や神様のような超人的な何かから頂く方が後々の都合がいいのです。つまり私たちは、もしも失敗したら光や神様を自分の責任逃れに使おうとしているのです。成功すれば自分の決断が正しかったと言いきりますが、失敗すれば・・・最後には光や神様に全責任を押しつけてしまいます。それでも神様は天罰など与えてくれません。同じ失敗を繰り返す者たちをも、ただじっと見守ってくれています。  人生の岐路、イエスかノーかの決断に迫られる時というのは、誰にでも訪れるイベントです。その結果の成否は光の世界から見れば、どうでもいいことなのです。光は結果よりもそのプロセスを見ています。決断する時の勇気の大きさはどれくらいだっただろうか、結果から何を反省して何を学んだのだろうか、その反省と学びは知恵へと育ったのだろうか、そういったプロセスが大切なのです。魂は知恵を求めています。そして光は知恵そのものなのです。私たちが反省と学びから知恵を得た時、光は祝福の微笑みを見せてくれるのです。  この症例は、そんな男女間のイエス、ノーについて珍しくはっきりと答えてくれています。しかし最後の決断はご本人がすべきことなのです。ワークを受けられた方は光や神様からの明確な答えを求めておられます。光や神様からのメッセージを私たちが解釈してお伝えすることは、とても簡単なことです。目の前でもがき苦しんでいる姿を見ていると、決断に至るまでの重い心の苦しみから、すぐにでも解放してあげたい気持ちになります。

2014年10月21日火曜日

おはようさん 2014.10.20.

昨日の藤本蓮風先生 臨床50周年記念式典の引き出物 特典映像付き記念DVDを見ました。 蓮風先生へのインタビューの中で・・・ ドクターに鍼灸をやってもらいたい!という熱いパッションを感じました。 癌や脳卒中後遺症、さまざまな難病や感染症に鍼灸はとても有効な治療法だ、ということを私も実際に臨床の場で強く感じています。 緩和ケアの臨床現場では鍼灸も「痛み止め」なニュアンスで使われてはいますが、「それじゃいかん! 鍼灸の実力はそんなもんじゃない!」と蓮風先生は心の中で叫ばれています。 痛み止めの除痛鍼灸、楽になる安楽鍼灸も長い闘病生活を続けている患者さんたちには必要です。 それはそれで良いのです。 ただ、問題はそれで止まってしまっていることです。 それ以上を鍼灸師も、医者も、患者さんも求めようとしないことです。 癌や難病や未知の感染症を、脳卒中の後遺症を治す。 それが鍼灸には可能なのに、それを誰も求めないことに苛立ちを感じておられます。 21世紀に入って、新しい薬がどんどん開発、販売されています。 最近の新薬は、確かにこれまでお薬が効かなかった患者さんたちをたくさん助けてはいますが、その反面、副作用がどんどん重篤になってきているように感じています。 マスコミも製薬会社も国も医師会もそこのところは隠蔽しています。 でも、日本よりも欧米先進国で漢方や鍼灸がものすごい勢いで医療現場に拡がっていっているのを見ていると、私の直感もあながちはずれではないように思います。 欧米はとてもアグレッシブです。 当然、鍼灸で癌や難病や未知なる感染症や脳卒中後遺症を治そうとしてくるでしょう。 別に欧米との勝ち負けなんかどうでもいいのですが、欧米で鍼灸はこんなにすばらしい!と認められた時、日本には「病気を治す」鍼灸がない・・・だと、20年、30年は欧米に遅れてしまいます。 新薬狂躁 おっと間違えた 新薬競争に負けても、パテントを買えば、すぐにその新薬を日本でも使えます。 しかし、鍼灸は教育&腕磨きをしなくてはなりません。 感性の優れた人なら数年で使いものになるでしょうが、ほとんどの普通の人はやはり左脳的教育で引っぱっていかなくてなならず、「病気を治す」鍼灸医となるには10年ではムリ・・・20年はかかるでしょう。 これからの時代、未知なる病気や感染症がもっともっと増えてきます。 西洋医学での治療法が見つかるまで、世界中がパニック&恐怖に陥ります。 もちろん、鍼灸医だって内心は 怖いですが、そんな恐怖よりも「鍼灸なら治せる」という自信の方が大きいんじゃないかな。 なぜなら、身体は常に治ろうとしていることを知っているから。 治ろうとする身体は、身体のどこかに病気を治す鍵穴を作ってくれます。 鍼灸医は体表観察でその鍵穴を見つけさえすれば、あとは鍵・・・つまり鍼をそこに刺せば良いだけです。 身体は驚くべき自浄作用を発揮させて、回復してくれます。 そんな 楽天的な! 夢物語だよ! かしら・・・ いえ、身体も宇宙も突き詰めていけば、とてもシンプルです。 信念には真理で応えてくれます。 この病気は治るはずだ! 鍼灸漢方のこの弁証で治るはずだ! という強い信念があれば、小宇宙たる身体もシンプルな鍵穴を作り出してくれます。 そんな鍵穴を見つけ出せる手や感性を育んでいくには・・・やっぱりたくさんの患者さんを日々、触らせていただくことでしょう。 「患者さんは みんな 神さま」 だって自分の代わりに病気になってくれて、その病気から学ばせてくれているのですからね。 さぁ 明日も診療 がんばりましょう! 前世物語 「四十歳で、結婚しています。子供も二人います。相手は・・・彼です。家族一緒にご飯を食べています。すごく楽しそうです。私も安心しています」 「その未来のあなたから、今、困っているあなたに何かアドバイスをください、ってお願いしてください」  すると未来のママが言いました。 「彼をどんどん引っ張っていきなさい。何でもあなたが決めちゃいなさい。最初は出来なかったけれど、そのうち出来るからね」 未来の彼に聞きました。 「あなた、引っ張っていかれちゃったの?」  彼は気恥ずかしそうにしています。未来のママに尋ねました。 「今、幸せですか?」 「とっても幸せだよ、って言ってます」 「その彼女としっかり握手してください。どんな感じがしますか?」 「そうなれるような感じがしてきます」  未来の子供たちにも聞きました。 「何かアドバイスをちょうだい」 「このまま別れないで付き合ってくれてたら、もうすぐ降りていくからね、って笑っています」 「あなたたちが私を選んだの?」  未来の子供たちに尋ねました。今の彼女が答えました。 「私がこの子たちを選んだのです」 「その子たちは、今までの人生に出て来た人ですか?」 「生まれてこなかった魂のようです。双児のような気がします」  未来の子供たちに聞きました。 「アーリーさんの時、あなたたちを生めなかったけれど、恨んでいませんか?」  マリア様が答えました。 「恨んでなんかいませんよ」 「子供たちもニコニコしています。今か今か、っていう感じでいっぱいです。赤い洋服を着て待っています」  先生は、未来の彼女と彼にも尋ねました。 「私を応援してくれますか?」 「見守ってるからね、応援してるからね、って言ってくれています」 「マリア様に、最後にもう一言アドバイスをください、ってお願いしましょう」 「あなたなら出来ますよ。もう少しがんばってくださいね」 「この人生は私と彼が決めたのですか?」 「二人で決めたのです」 「彼の人生も順調ですか?」 「順調です」 「今回はうまく出来そうですか?」 「出来ますよ」 「私をこれからも見守っていてくださいね」 「いつも見守ってますよ」  そして彼女は、今この時へと戻ってきました。赤い服を着た双子をしっかりと心に抱きしめたまま・・・。

2014年10月20日月曜日

おはようさん 2014.10.19.

今日は藤本蓮風先生の臨床50周年記念式典に参加させていただきました。 臨床50周年・・・すごいですね! 私はというと・・・34周年かな? う~ん、まだまだ若造やわぁ(;^^)ヘ.. 鍼狂人の名がぴったりの50年だと、これまでのスライド映像を見ながら感動していました。 目の前の患者さんを楽にしたい、治したい!の凄まじい一念が昔も今も何も変わらずに貫き通っている人生を歩まれています。 私も鍼灸をやっていることを聞きつけたいろいろな鍼灸師さんたちが最近、ご縁を求めて近づいてこられますが、蓮風先生の一穴鍼のことをモゴモゴ言う人も多いいます。 でもね、あんたら! 知らんだけやん! 勉強不足&お子ちゃまお手手なだけやん! 普段、光さん(大いなる存在・神さま・創造主・ハイヤーセルフなどなど、何とでもお呼び!)と間近で繋がっていると、この世のものはすべてシンプルだということを知っています。 人だってそうです。 さまざまな病気や愁訴も、突き詰めていけば、とてもシンプルなはずです。 それさえ分かれば・・・つまり、病気や愁訴の根源が分かれば、そこに鍼をするだけで良いのです。 一穴鍼で十分・・・一穴以上すると、鍼が未病を呼び込む波動を生み出してしまうかもしれません。 人を天地自然の大宇宙の真理を見事に内在反映している小宇宙だと診なければ、このシンプルな一穴鍼の素晴らしさは理解できないでしょう。 人の身体に触れるということは、大宇宙に触れる、自分の掌で大宇宙を包み込むことです。 銀河系を両掌で包み込んだら、どんな感じがするかしら? その五感を越えた不思議な、そして神々しい感覚を創造できるのが善き鍼灸師です。 蓮風先生は手指の指紋が消えてしまった、とエッセイに書かれています。 赤ちゃんの手のように柔らかく温かくなったとも。 たくさんの人に触れて、たくさんの亜次元の小宇宙に触れていると、自分の波動閾値帯が幅広くなってきて、自分という存在がちっぽけなものから、大宇宙の無限集合体である超大宇宙:神大宇宙とでも呼びましょうか に拡がる大きな存在へと変容していきます。 すると、指紋は必要なくなってきます・・・指紋で個を縛る必要がなくなるから。 それは大日如来さんの手であり、仏さまの手です。 イエスさんも手も、仏陀さんの手も、マホメットさんの手も、 きっと縄文のヒーラーたちの手も、指紋のない、赤ちゃんのような手だったと思います。 これから10年、20年、30年・・・蓮風先生がどんな超進化を遂げられるいくのか、楽しみにしていますo(^-^)oワクワク P.S. 今日の来賓の中に、あのみんぱくの親玉 小山修三先生がお越しになってました。 声をかけそびれてしもうたぁぁ。。。 縄文話をしてみたいなぁ・・・環日本海交通圏と出雲縄文文化 そして縄文前の文化についても・・・ でも、これも不思議なご縁やから、きっと善き時に善き繋がりがあるでしょう。 こちらも楽しみにしておきましょい! o(^-^)oワクワク 前世物語  マリア様が答えます。 「やり続けなさい。やり続けることに価値があるのです」 「さっきのアーリーさんと同じになりませんか?」 「なりませんよ」  「やり続けることから、私は何を学ぶのですか?」 「達成感を味わうことです」 「私の今回の人生の目的は何ですか?」 「やり続けることです」 「私は今まで何回生まれ変わりましたか?」 「三十六回です」 「そのうち彼とは何回一緒の人生を送りましたか?」 「三十六回です」 「私たちはずっとこんな関係なのですか?」 「そうです」 「なぜ、それを卒業できないのですか?」 「あなたが彼と一緒にいたいからでしょう」 「三十六回ずっと私が女で、彼が男なの?」 「そうです」  先生はマリア様に頼みました。 「その三十六回を全部、ダイジェスト版で見せてください。どんな人生でしたか?」 「だらだらと、ぬるま湯みたいな人生ばかりです。責任感もなく、ほとんど結婚していません」 「私たちの関係は、なぜこうなのですか?」 「結婚しないことが学びです」 「結婚しないことから何を学ぶのですか?」 「・・・家庭とか籍とかに縛られないで、自由に恋愛することです」 「私の今回の人生はここまで順調ですか?」 「順調です」 「私の本当にやりたい仕事は何でしょうか?」 「人を喜ばせる仕事です」  先生はマリア様に聞きました。 「爬虫類が恐いのはなぜですか?」 「昔、その毒を飲んで自分の美しさを保っていたからです」 「それは何のためですか?」 「自分のためだけでした」 「どうしたら爬虫類が恐くなくなりますか?」 「人のために役に立ちなさい」  先生はマリア様に頼みました。 「今回の人生の目的をクリアーできた、未来の私の姿をちょっとだけ見せてください」  マリア様の上に未来のヴィジョンが浮かんできました。

2014年10月19日日曜日

おはようさん 2014.10.18.

今日の夜は、毎年秋の恒例、神戸 酒心館での谷山浩子ちゃんソロコンサートでした。 谷山浩子ちゃんのコンサートのお客さんたちは、NMBシアターの集まる強烈なオタクさんたちに匹敵する!ほどのオタクさんたちばかりです。 もちろんオタクの中身というか、オーラは全然違いますけどね。 さて、いつものようにユルユルのMCをはさみながら、曲が続いていきますが・・・ 今日はいつも以上に「知ってる曲がないっ!」 最初の「カントリーガール」 中程の「キャロットスープの歌」 最後の「海の時間」はよく知ってますが、あとの大半の曲は・・・聴いたことあるかも or 全然知らない!でした。 う~ん、さすがにオタク偏重してるんじゃないの? 昨日の名古屋のコンサートで9歳の子供に「暗い曲が多くて眠くなった」と感想を書かれたそうですが、さもありなん! コアーなオタクファンは大満足かもしれませんが、谷山浩子をちょっと知ってる初めての友だちはさすがに連れてこられないなぁ・・・とちょっと哀しくなりました。 そんなことを思いながら・・・例えば、THE ALFEE:アルフィーやMr.Children:ミスチルは、昔のヒット曲も、ちょっとオタクな曲も、最新曲も、トントンな配分で織り交ぜて、コンサート全体を盛り上げてくれます。 シンガーソングライターもアーティストだから、もちろん自分の好きなように選曲しても良いのですが、そこは自己満足の恐ろしさ・・・素人なら自分の好き勝手な選曲でどうぞ ご自由に!なんだけど、プロはやっぱり来てくれた(チケットを買ってくれた)お客さんたちみんなに満足&笑顔になってもらうように最善の努力をする義務があるんじゃないのかな?って思いました。 谷山浩子ちゃんがその才能では勝るとも劣らない中島みゆきさんに大負けしてしまっているキモはそこにあるのではないかしら。 そして、こういうことは世の中、誰にでもあることなんですよね。 もちろん私にも・・・ 谷山浩子ちゃんの歌声を聞きながら、私には作曲も作詞もできないけれど・・・そうだ! 前世療法の誘導台本を書く時に、天からアイデアがどんどん降ってくる感覚が作詞作曲家さんたちの「降ってくる」感覚と似てるから、私にとっても天啓は前世療法の誘導台本をどんどん創ることなんや! そして・・・私もワークの上級者向けに創ってしまいがちになるけれど、それじゃぁいけないんだよね! 確かに上級者向けに創るのは楽しいけれど、やっぱり初めての人たちも楽しめるように、久しぶりの人も一緒に楽しめるように、上級者の人ももちろん楽しめるように・・・それでこそ、アートだと言えるんだ、と気づきました。 先日の芦屋グループワークが初めての人たちがほとんどだったにも関わらず、ほとんどの人たちが過去生を見て、光との対話も出来た!のは、上級者向けだった台本を「初心者向けに」を念頭に置いて書き直したのが良かったのでしょう。 みんなに喜んでもらう。 だってコンサートもグループワークも神さまが来るべきお客さんたちを集めてくれたんだからね。 光さんは人生の目的や天職について尋ねると、よく「奉仕しなさい」と言います。 谷山浩子ちゃんも、能楽も、「奉仕」の 意味をはき違えているのかもしれませんね。 P.S. でも「海の時間」を最後に歌ってくれたから、今回も許してあげるよ。 前世物語 先生はアーリーの魂に尋ねました。 「身体を離れた時に、何か決心したことはありますか?」 「スラノに会いたいんです。今度会ったら、彼の子供を育てたいのです」 「アーリーの死体を見て、どう思いますか?」 「かわいそう・・・」 「まわりに何か迎えに来たような存在を感じますか?」 「両親が来てくれました。よくがんばったね、って褒めてくれています」  彼女は両親の魂に尋ねました。 「彼はどうしちゃったの?」  両親の答えを彼女は教えてくれました。 「あの後は、何をやってもうまく行かない人生だったそうです。子供をおろしたことをすごく後悔していたそうです。もう死んでいました」  先生は彼女に聞きました。 「彼は迎えに来てないの?」 「来ています。・・・謝っています」  彼女はスラノの魂に尋ねました。 「どうして結婚式に来なかったの?」 「結婚することが縛られるようで、恐かったそうです」 「それを聞いて、あなたはどう思いますか?」 「私が縛ってたのかなぁ・・・」  先生はみんなの魂を高みへと導きました。そしてアーリーの人生を振り返りました。彼女の魂が答えました。 「自分の正直な気持ちをうまく伝えきれませんでした」  先生はもっと高みへと導きました。そしてアーリーの人生と、今のこの人生を見比べてもらいました。 「同じような人生です。最後までやり抜くことが大切です」  先生はさらに高みへと導きます。そこには温かい「白い光」が見えました。光の中心には、笑顔のマリア様が見えます。先生はマリア様に聞きました。 「今回の人生での彼との関係は何ですか?」

2014年10月18日土曜日

おはようさん 2014.10.17.

昨日の藤本漢祥院での鍼研修&鍼治療で、久しぶりに大八木先生とご一緒できました。 大八木先生は打鍼のあんなこと&こんなことをいろいろ教えて下さる、私の打鍼の先生でもあります。 昨日は打鍼の最新情報をたくさんご伝授下さいました。 その中で・・・風邪のノドのイガイガ感、ノドの詰まり感も打鍼で治る! 大八木先生の打鍼理論は、経絡経筋はもちろんのこと、解剖学、特に筋学に見事に合致しています。 多分、大八木先生が医学部の解剖学講義をやれば、学生達は居眠りせずに目を輝かせて聞くことでしょう。 もちろん、整形外科のドクターたちも気づいていないこと、知らないことばかりです。 さて・・・風邪のノドのイガイガ虫がとれるのかぁ・・・でもなぁ、風邪の初診の患者さんに、いきなり さぁ、ベッドに寝て! のどの筋肉を緩めますからね! と言ったら・・・ムリや! ムリ! これは使えないわぁ・・・と断念してしまった私でしたが。。。 今日の外来で・・・いつもの患者さんが「風邪ひいて、ノドがイガイガします」と! OH! MY GOD! 早速、神さまが連れてきてくれはりましたやん! もちろん、毎日、打鍼をしている患者さん(癌の多発転移・・・やったけど、今では癌はどこにあるの? に回復してしまいました)ですから、ノドへの打鍼もOKです。 昨日、大八木先生の教わった通りに触診してみると・・・あるある! なるほど舌筋群に湿痰悪血がありまんがな! それを軽~~くトントン トントンしてあげると・・・見事にノドのイガイガは消えてしまいました。 この患者さんがあまりに良くなったので、待合で知り合いの患者さんたちに「ノドのイガイガがなくなった!」と口コミしてくれて・・・それから数人の患者さんたちにもノドの打鍼を施術させていただきました。 神さまはホンマに厳しいけど、優しいですね。感謝&感謝です。 最後の仕上げは夕診で、1ヶ月前から診ている原因不明の動揺感と唾液過多の患者さんでした。 刺絡・鍼&漢方薬で少しずつ良くはなってきていますが、まだまだ日常生活に支障があります。 頸部の筋肉群を詳細に診ていくと、至る所に強い悪血がありました。 なるほど・・・下顎骨内面から頸部、鎖骨胸骨上縁に至るまで悪血&冷えが強かったのかぁ。 その小さな悪血をひとつひとつ打鍼して緩めていくと・・・次第に頸部全体が温かくなってきました。 血行改善 とくに静脈系の滞りが改善したのです。 漢方処方も上半身の駆悪血と祛湿の方剤へ変法しました。 とりえず合格かな?(;^^)ヘ.. 他にも肩が上がらない、腕が動かない、首が回らない・・・の患者さんへの打鍼の最新知見を教えていただきました。 これらはすでに当院の 打鍼でもやっていることでしたので、新しい工夫と解剖学的理論は現場の臨場感を持って受け答えすることができました。 いやぁ こういうディスカッションは楽しいですよ。 P.S. 夕診の患者さんのノドを打鍼しながら・・・舌癒着症の諸症状もこの打鍼で治るんじゃないのかしら? と思いました。 切らずに治れば、その方が良いに決まってますからね。 舌癒着症も悪血が悪さをしているんだから・・・うん、かなり期待できそうやん! これは今日がんばったことへの神さまからのプレゼントかしら?  前世物語 美子レポート     結婚  昔々、ある砂漠の国に、黒い目をした女の人がいました。夕方になると、いつも夕日のきれいなここへやって来ました。そしてラクダに乗ったまま、一人で泣いていました。アーリーと言います。思い出の涙が黒いチャドルを濡らしました。  アーリーは楽しかった頃を思い出しました。それは二十五歳の時でした。焦げ茶色の髪に茶色の目が美しい恋人と静かに夕日を見ています。スラノと言います。嬉しくて、楽しいひと時です。 「一緒に暮らそうね」  彼は言いました。 「早く一緒に暮らしたいね」  アーリーは答えました。 「一日も早く、一緒に暮らせるようにがんばろうね」  二人は約束しました。  三十四歳の結婚式の前日です。アーリーは二人が暮らす家の片づけをしています。スラノは「明日、一緒に行くからね」と言って、仕事に行きました。彼女は嬉しくてウキウキしています。  翌日、町のイスラム教会での結婚式です。アーリーは自宅で待っています。彼と待ち合わせして、一緒に教会へ行くのです。でも、スラノはなかなかやって来ません。母の黒い目が心配そうです。父は言いました。 「あいつは行動に移さないから信用出来ないヤツだ」  アーリーは、「何か事件にでも巻き込まれたのではないかなぁ・・・」と気がきではありません。結婚式に集まってくれた友人たちが二つ離れた町のスラノの家まで見に行ってくれました。でも、誰もいませんでした。  結婚式は中止になりました。アーリーは悲しみながらも思いました。 「あぁ、やっぱりだわ・・・」  彼女は心の奥では、「何だか信用出来ないなぁ・・・」と思っていたのでした。  悲しみがアーリーを包み込みます。彼女は二十八歳に戻っていました。お腹にはスラノの赤ちゃんが宿っています。 「おろしてくれ。子供は結婚してから作ろう」  彼は言いました。 「私のことを愛してないんだわ」  彼女は思いました。  アーリーは彼と一緒に遠い医者の所へ行きました。 「もう、子供はいらないわ」  彼女は決心しました。 「また、子供を作ろうね」  スラノは言いました。 「本当にそんなこと、思っているのかしら」  彼女は思いました。  時が過ぎて、アーリーは六十五歳になっていました。死を間近に感じています。彼女は自宅でイスに揺られながら人生を振り返りました。 「でもあの後、私は人を助ける仕事をバリバリやってきたもの・・・」  彼女は寂しさを慰めました。あれから結婚しませんでした。彼女は思いました。 「どうして結婚式の当日、彼は来てくれなかったかなぁ・・・。真相が知りたいなぁ」  そしてアーリーは穏やかに死にました。

2014年10月17日金曜日

おはようさん 2014.10.16.

最近、鍼の力がアップしていると感じています。 以前と同じように鍼をしてる患者さんたちの中に、「効き過ぎてしんどかった」という方が出てきたからです。 証を外している「しんどさ」ではなく、長風呂のような効き過ぎのようです。 実は、心当たりがあります・・・でも、さすがに怪しすぎるので、ここでは書けません(;^^)ヘ.. これまでは全力100%で鍼をしていればOKでしたが、これからは黒帯になったつもりで、「この手が生かしもすれば、殺しもする」ことを肝に銘じて鍼をしていきます。 どこで診てもらっても楽にならない難治性の病気や症状の患者さんたちの治療経過を俯瞰してみて気づきました。 初診では、身体の病気だろうが心の病気だろうが、すべて東洋医学的に体表観察します。 西洋医学的な診断と東洋医学的な弁証診断が浮かび上がってきます。 西洋医学的な薬が必要なら、それを処方します。 東洋医学的な治療:漢方薬や鍼灸治療 が必要なら、それらも処方します。 最近は、初診で刺絡治療する方も増えました。 どんどん良くなっていく典型的パターンは・・・ 刺絡+漢方薬 → 鍼灸+漢方薬 → 漢方薬だけ  改めて刺絡治療の効き目に驚いています。 今日も、良くなった患者さんが「知り合いがリストカットを繰り返してるけど、○○○の辺りに先生のようなドクターはいませんか?」と尋ねられました。 これはよくいただくご質問ですので、お答えします。 「いません!」 それらしいドクターたちが自薦他薦でFBの友だちになりますが、だれひとり・・・同じベクトルで診療しているドクターには巡り会っていません。 わたしとしては、同じベクトルで真摯に医に向き合っているドクターたちとお友だちになりたいし、そんなドクターたちとネットワークを組んで、紹介し合えたらとっても嬉しいと思っています。 でも・・・いないんだよなぁ(>_<) ただ、これはオフレコだけどね 最近、そうごく最近、天地自然の理さん、宇宙の理さんが満を持して動き出してきて、門真の地から、どこかよその新天地へと診療の場を移す予兆を感じています。 どこだろう・・・まだ全然わかりません。 こういうことは二転三転して、まさか! って答えが出てくるのを何度も経験してますから。 ただひとつ 言えることは・・・関西より東ではありません! 意外と大阪内かもしれません。 また、もうちょっとはっきりしてくれば、みなさんにお知らせしますね。 ♪ あなたの街へ ルンルン ♪ (*⌒▽⌒*) 前世物語  そして『今』を生きるということは、この世で肉体を持って生きている自分を知る、ということでもあります。この世限りの肉体を持っている自分を使って、脈々と続いているこの魂を表現するのです。魂が心と肉体を支配しているように思っていませんか? 哲学的な立場や魂の世界から見れば、そのようにも見えるかもしれません。この症例の夫も哲学をしていて、自分が実際に戦わなくてはならなくなった時、哲学の無力さに嘆き悲しんでいましたね。しかし大切なのは、今、この私たちは肉体を持って生きているということなのです。この世に肉体を持って生きているということは紛まぎれもない真理なのです。 その真理の意味を私は、この肉体を通して自己の魂を表現することなのだと思います。この人生で自分というものを描き尽くせるだけ描ければ、この人生は成就するのです。  ゴッホは数多くの向日葵ひまわりを書きました。向日葵はひとつです。しかし、道を歩む者には同じ向日葵の絵は書けません。向日葵があなたの魂です。一枚の向日葵の絵があなたの人生です。どの向日葵の絵もあなたの魂を表現しています。どの絵もあなたの魂そのものなのです。暗く悲しい絵も、明るく楽しい絵も、抽象的で訳のわからない絵も、みんなあなたの魂の姿なのです。あなたの魂は肉体を持つ人生の上に、今度はどんな絵を描こうと思って生まれてきたのでしょうか? だから・・・あなたはこの人生を生き抜かなくてはならないのです。  煩悩に満たされたこの肉体は卑しきものだと思っていませんか? 肉体に宿る煩悩は絵具なのです。煩悩の絵具があなたの魂に色を与え、人生というキャンパスにあなたの魂の姿を描き出してくれるのです。  私は鍋島藩の『葉隠れ』の真意を、自分の足で大地を踏みしめて今を生きろ! にあるのだと思います。死も過去や未来からも解き放たれて己を武士として美しく描き出すために、今、この時を生きろ! と言っているように思えます。これは一見ナルシシズムのようにも見えますが、今を生き抜いている自分の中に美を極め、自己の中に神や仏を見ようとしていたのではないか、と私は推察します。美と神性が武士道を通じて描き出せる魂の姿だったのです。  悲しいことに先の戦争では、葉隠れをはじめとする武士道そのものをただの尚武的な思想で覆いつくしてしまいました。死と生の上に不安と恐怖と悲哀を厚く塗り付けて、『死を怖れぬロボット』を作り出す思想に利用されました。死を越えたのではなく、誰かが死に目隠しをしただけだったのです。もちろんそんな状況下でも死の意味を悟り、今を生き抜いて死んでいった人たちもおられます。しかし洗脳されたまま死んでしまった人たちの数はどれほどだったのでしょうか、心が深く痛みます。  先程の質問はこの点から言っても、とても良い質問なのです。つまり、この過去生退行によって得られた知恵は神々の光のように無色透明でもありますから、その気になればどんな色にも染めることが出来ます。人々の心を洗脳するための格好の材料だとも言えるのです。大量虐殺の口実にも、自爆テロの教義にも使い得るのです。『今』を生きようとしている私がそのようなことを心配し、将来に不安を抱いていては笑われてしまいますね。でも、この二元性の人間界では必ずポジティブな面とネガティブな面が同時に生じてしまいます。ワークを介して得られた光や神々からのメッセージを広く伝えようとすればするほど、ネガティブが想念となり、形あるエネルギーとなって襲いかかって来るのです」 「それはまるで二十世紀の原子爆弾と原子力みたいな関係ですね」 さっきの生徒が言いました。 「そうですね。ただし原爆よりも恐ろしいのは、これは信仰や思想の形をとって急速に広まってしまうことなのです。ネガティブな想念は心の伝染病みたいに、あっという間に拡がります。この新時代は世界がグローバル化していますから、世界中が一気に洗脳されてしまうことだってありえます。それを防ぐには、自己のセンターをしっかりと『今』に持つ術を伝えなくてはなりません。これは誰にでも簡単に受け入れられる術ではありません。スピリチュアルなプロセスを前向きに歩まなくてはならないからです。例えば、自分の物欲や金銭欲を客観的に見つめることも必要になります。これだけでかなりの人々が脱落してしまいますよね。ポジティブな理念は心の目が開いている人にしか、なかなか見つめられないものなのです。前途は多難ですが、今日のこのゼミのように一歩一歩進めていかなくてはならないのです」

2014年10月16日木曜日

おはようさん 2014.10.15.

大型バイクに乗っていて思うことがあります。 原付バイクや125ccクラス(小型限定)のバイクに乗っている人たちって、怖いもの知らずです。 自動車教習所で中型バイクの講習の際に言われた「やってはいけないこと」=とっても危ないこと を全部、目の前でやってくれます。 まぁ 教習所で教えてくれない? から仕方ないのかもしれませんが。 大型バイク免許(昔は限定解除って呼んでたね)を取る際、「大型バイクは他のバイクの模範となる運転とマナーを心がけてください」と教官さんに言われました。 昔々の限定解除試験は教習所では受けられず、直接、警察の免許証センターに出向いて、実地試験を受けなければなりませんでした。 その試験がとても難しい・・・50回目に通れば上出来!なんて言われていました。 だから、大型バイク乗りさんは若いライダーの羨望の的でした。 そんな暗黒時代を知っているからでしょうね・・・今でもちょっと胸を張って乗っています。 大型バイクに乗ってる他のライダーさんたちを見ても、やっぱり胸張ってるように感じますよ。 私がバイク免許を取ったのは13年前。 最初の数年はHONDA CBR954RR Fire Bladeというスーパースポーツバイクに乗ってました。 40代半ばにして、鈴鹿や岡山のサーキットを走ったり、全日本のバイクレースを見に行ったりもしました。 サーキットを一度でも走ると、町中をブンブン言わせて暴走するのが如何にカッコ悪いか!が分かっちゃいます。 原付や小型バイクでブンブン走ってる君たち! 車の間をすり抜けていく君たちも! とってもカッコ悪いぜ! でも、私も 大型バイクの免許を取って、実際に走っているから、それがカッコ悪い!ってわかるのです。 バイクに乗っていなかったら・・・わからなかったでしょう。 もしかしたら、わからないまま、ダメだ、嫌いだ、悪いことだ!って決めてかかっていたかもしれません。 やってみたから、本当にわかることって、実はこの世の中にいっぱいありますよね。 車の運転だって同じです。 車だけしか運転していなかったら、バイクの気持ちは分かりません。 渋滞してるのに左側を空けてくれない一台の車のために、バイクも立ち往生・・・よくあります。 こういうドライバーは間違いなく「空気が読めない」「まわりが見えていない」人ですね。 土日祝日はウインカーを出さないで急に右左折する車も多いです。 これは女性ドライバーが多い! 直感力も共感力もダメな人です。 車の免許なしでバイクだけ乗ってる人も、車の気持ちがわかりません。 流れている車列の間をすり抜けていくバイク・・・アクション映画じゃないんだぜ! 左側を走らない原付バイク・・・後ろの車はイライラでムリな追い越しを招いちゃう 一方通行 を逆走する原付バイク・・・自転車感覚? 知らないことはわからないのです。 無知の恐ろしさ、愚かさをソクラテスが嘆いていますが、今も昔もその通りです。 男と女の関係も同じですね。 今生は男だから、女の気持ちはわからない。 今生は女だから、男なんてさっぱりわからない。 なんだか 車 vs バイク のいがみ合いと似ていませんか? やっぱり両方をやってみないと、男と女の間の深くて暗い川に金門橋を架けることはできません。 こればかりはアダム徳永さんだってムリでしょう・・・連絡船くらいかな。 過去生を見る、それも異性だった過去生を何度も見ていると、次第に異性の気持ちが分かってきます。 異性ってこんなもの!と諦めるのではなく、 異性ってこうなんだぁ・・・大変やなぁ かわいいなぁ と優しく、愛おしく、その気持ちを抱擁することができるようになります。 なぜ神さまはこの世に男と女を創ったのか? それはね、みんなが優しくなるためだと思うのです。 人に優しく、自分(のこころにも、身体にも)にも優しく。 優しさは愛の肥料です。 愛がすくすくと育っていきます。 美しい愛の花が咲き、美味しい愛の果実が実ります。 この星を愛の星にしたいから、 神さまは男と女を創ったのですね。 前世物語  先生は、あるゼミナールでこの症例を使って、次のようなお話をされました。 「人間は必ず死を迎えます。生と死はひとつなのです。お釈迦さまは生老病死で悩んだ末に成道しました。しかし、肉体は生滅するが魂は生き続けることを知れば、死の苦を開放することが出来ます。死の苦を手放し、苦を与え続けていた死を自ら祝福することすら出来るのです。死と生はひとつですから、死が苦から開放されれば生も苦から開放されます。人間の人生で生と死が開放されると、その間に挟まっていた老と病を苦に留め置くものはもはやありません。苦もまた開放されるのです。  肉体を持った人間とその本質である魂の関係が今、過去生退行という手法によって明らかにされつつあります。魂の世界を知ることによって、一段高いところから人間界全体を見ることが出来ます。人間界を岡目八目で見ることが出来るのです。すると、人間界で生きる意味が自ずとわかってくるものなのです。自分が人間界のどこでもがき苦しんでいるのかが見えてきますから、今回の人生の目的を自ら思い出すことが出来るのです。このようにワイドに考えてみると、過去生という概念自体が『今』の人生哲学とゲシュタルトを形成していることがわかります。そして、この過去生というゲシュタルトが多くの宗教に何らかのインパクトを与える可能性があります。宗教哲学上の新世紀のモノリスとなるのです」  生徒がお決まりの質問をしてくれました。 「でも魂が永遠に続くのだから、『この人生は失敗しちゃったから、もういいや』、『この人生は辛すぎるから、早く次に行こう』と、まるでゲームのリセットボタンを押すように簡単に自殺したり、いい加減に生きてしまうことにならないのでしょうか?」  先生は正面から受け止めて答えました。 「武士道と云うは死ぬ事と見付たり、なのですよ。死と向き合って、死の全てを受け入れ、死神さえも愛して許すのです。真剣勝負の場では死を意識した途端に斬り殺されます。相手の殺気も刃の冷たさも死を手放した者を捉えることは出来ません。死を手放せたからこそ、生きられるのです。生老病死を手放すと、『今』を生き抜くことだけしか出来ません。『今』のこの一瞬を生き尽くすようになります。このように『今』を生きている者には『今』以外はありません。未来も過去もないのです。ですから過去をはかなみ、未来を憂いて、自殺したり自堕落な生活に落ちることはないのです。『今』を生きるとはそれほど研ぎ澄まされた精神力が必要になりますが、外面的には人生を楽しむ達人に見えることでしょう。能天気なほど楽しいことが大好きな人なのです。

2014年10月15日水曜日

おはようさん 2014.10.14.

大阪直撃の台風の影響で、今日の外来は肩こり・腰痛・ふらつきの患者さんが多かったように思います。 台風が運んできた湿濁が元々あった悪血と相まって、肩こり・腰痛・ふらつきの各穴にゴルフボール大の黒くて冷たくて固い邪気が根づこうとしていました。 はい! もちろん刺絡でございます。 初診の方もお話をよく聞いてみると、かなり昔から悩まされていた&いろいろ治療してみたけどダメだった・・・とのことで、「ちょっと痛いですよ」と念押してもスンナリと受け入れて下さいました。 素直な人は必ず治る! これがマイ・モットーです。 今日の難病の方々もきっと楽になっていきますよ。 午後は在宅往診へ。 重度の老年性精神病の一人暮らしのお年寄りたちがたくさん入所されている施設へ向かいます。 2ヶ月前までは介護スタッフが悲鳴を上げる毎日でしたが、在宅往診し始めて、最近では介護がとても楽になった、と喜んでいただいています。 もちろん薬は最小限・・・これもマイ・モットーですね。 向精神薬を使う際でも、漢方鍼灸的な体表観察はとても役立っています。 重度の老年性精神病の方々は、あまりしゃべらない&しゃべれない方が多いのですが、体表観察すれば、身体とこころの証の変化がわかります。 薬がよく効いているのか、まだ足りないのか、副作用は出ていないか・・・ いろいろなことが体表観察でわかります。 どこの施設にもお抱えの内科医さんはおられますので、私は何でも科(何でも可)の便利屋ドクターとして在宅往診に廻っています。 例えば、この老年性精神病の方々の施設には精神科(心療内科)として診ています。 次の施設では整形外科だし、皮膚科のところ、内科のところ・・・たまには眼科や耳鼻科も・・・ 雨の日のブルーな往診では・・・こんなんでええのかいな? これで満足なん? 流されてるだけちゃうの? と自問自答することもあります。 そんな時には、これも千日回向や!と吹っ切ることにしています。 別に功徳や悟りを求めているわけではありませんが、今、目の前にあること、特にお仕事こそ天職であり、使命であり、「今、やるべきこと」だと知っているからです。 心療内科の患者さんたちを診ていて思うのは、これができていないこと・・・です。 目の前にあることをやらずに、ブツブツブツブツ言っている。 できない理由をどんどん創っては、それを現実化しようとしている。 なんでやらないの?  やればできるよ! とは口に出しませんが、この想いを飲み込む度にとても哀しくなります。 どんな人でも壁にぶつかった時、その壁は必ず乗り越えられる or 回り道して抜け出せる壁です。 お薬をたくさん出すと、この壁にぶつかっていく力が萎えてしまいます。 だから・・・まずは最小限のお薬で背中を押してあげる。 何度も背中を押してあげる。 それでも、壁の前でブツブツ念仏を唱え続ける人たちには・・・普通の心療内科のようにたっぷり&強いお薬で楽になっていただく・・・ これでいいのかな? あきらめていいのかな? そんな後悔懺悔をひとつひとつ拾い上げながらの千日回向の診療日々なのです。 前世物語  過去生ワークの中でひとつの人生を終えると、その人の意識は肉体を離れて宙に浮いています。下には今まで入っていた肉体が死体となって見えています。このワークを受けられる方は、この魂に戻った状況を素直に受け入れることが出来ます。死の直後、意識があっても決して驚かないで、冷静に、喜びを持って元の魂の姿に戻っていけるのです。死の直後から魂に与えられた全ての能力を使いこなす事が出来るのです。時空間を自由に行き来することなどは簡単です。そして、魂の世界には人間界を一方通行に動かしている時間軸は存在しません。ですからこの症例のように、夫は死ぬと同時に妻の許へとやって来て、妻とコンタクトしてお話が出来たのです。また同時に娘の所へも行けました。人間界の常識ではこの「同時」は不思議なことですが、魂の世界では当り前の「同時」なのです。  死の直後の世界をこのように想定しておけば、本当に死を迎えた際に魂の世界が実在していても、それほど慌てることもなく心素直に死を受け入れて、すぐに魂の能力をフル活用することが出来ます。よく世間で言われているように、唯物論で死んだら何も残らないのなら、このような想定をしていたことは確かに無駄にはなりますが、死の後に、私は無駄なことをしてきてしまった、という後悔をすることさえ出来ないのですし、これはそれほど人生の重荷になるような想定でもありませんから、死後の魂の存続を信じることはリスキーなことではないと思います。  それよりもこの症例の妻のように、死を自分が生きてきた人生の集大成の場として堂々と迎えることが出来る方が、生きる意味を知る上で重要なことなのではないでしょうか。この妻は、例え唯物論が正しくて死後の魂の世界がなかったとしても、銃弾が身体を切り裂いていく中で永遠の至福感に満たされていたことでしょう。彼女の人生はとても良い人生だったと言えるでしょう。そして、彼女が銃殺の場でなぜ威風堂々を貫けたか、と言えば、それは彼女が死後の魂の世界を信じていたから、に他ならないのです。もし彼女が死後の魂の世界を信じていなかったならば、彼女は娘と夫の身を案じて自らの命に執着し、軍人に反抗することなどせず、仲間を見殺しにしていたかもしれません。銃殺の場でも泣き叫び、恨みと憎しみをまき散らして死んだかもしれません。彼女は憎悪と悲哀の中に溺れ死んだかもしれないのです。そんな彼女の人生は良い人生だったとは言えないでしょう。  このようにこの症例を見てみると、唯物論のみなさんも死後の魂の世界を仮想して生きている方が、いざ、死を迎えた時に威風堂々と至福感に満ちた死で人生を締めくくることが出来るのではないでしょうか。また、死後の魂の世界を信じているみなさんは、自分が死んだ時に心に余裕がありますので、親しかった人たちやその人生で強く関係を持った人たちの許を訪れて、心の中に愛と許しを持って話しかけることも出来るのです。

2014年10月14日火曜日

おはようさん 2014.10.13.

今日は台風に振り回されました一日になりました。 大阪は台風が来ないからええなぁ・・・なんておばあちゃん患者さんたちが口々に言うもんだから、見事に大阪が直撃されちゃいましたね。 教訓「口は災いの元」です。 もっとも当初は、スーパー台風が室戸岬から紀伊水道を北上して、勢力が衰えないまま大阪直撃!だったので、これも教訓「不幸中の幸い」でした。 ただし、これで「だから大阪は大丈夫なんや!」って油断すると、東南海地震とかを喰らっちゃうので、ここは教訓「勝って兜の緒を締めよ」ですね。 大阪からまるで家康の伊賀越えコースを辿るように去って行った台風も、長野、甲府、そして東北に暴風雨をもたらすかもしれません。 台風が大阪を去った後、いつも思い出す詩があります。 りんごとなみだの落ちる音           三和小学校 四年 澤田龍太   黒い雲の広がった空を見上げて   お母さんは   手をあわせて おがんでいた   目には   いっぱい なみだがたまっていた   せなかをまるくして   じっと 手をあわせている   こんなお母さんを見るのは はじめてだ   ぼたぼた ぼたぼた   畑でりんごの落ちる音がする   赤い大きな「世界一」が   ふくろのかかったままの「むつ」が   風にたたかれて   枝からはなれていく   ぼたぼた ぼたぼた   りんごの落ちる音は   お母さんのなみだが 落ちる音だ   お母さんの丸いせなかを見ていたら   ぼくの目からも なみだが落ちた リンゴ農家の人たちと一緒になって落ち込むのは簡単です。 台風だから仕方ない、大自然の前では人間は無力だ、と諦めてしまうのも簡単です。 それは不幸のどん底のリンゴ農家の人たちのものです。 被害がなかった、しょせん人ごとな私たちに出来ることは、「だから今、何をしてあげられるか?」でしょう。 国や行政や赤十字などが思いつくことは、お金の支援くらいです。 でも、わたしたち、庶民にもできることはいっぱいあります。 ちょっとお金を使って、知恵を働かせて・・・GIVEではなく、Win Winの良策だってあるはずです。 何も しらねで           小和森小学校 五年 工藤尚孝   「こんなに売れるのに   もっとたくさんもってくればいいのに   青森の落下リンゴ 五個で百円   お手つだいしたい」   テレビで 東京の主婦が言う   何も しらねで   落下リンゴ拾うのも   東京まで運ぶのも   ただでないのも しらねで   東京まで持ってくればいいだって   一箱千円ちょっとで   売り出すのに 持ってくればだって   一個百円もの金かけて 育てたのに   たった二十円で 売るのだのに   何千箱も 地面にころがって   ひろう人手もなく   雨にうたれ   くさりかけているリンゴ   ジャム用のれいぞうこでも   半分はすてねば なんねんだ   ころんだ木々   さけた木 たおれた木   リンゴなるのに 六年もかかるんだぞ   助成金って   かりる金なんだぞ   たった三個より なっていない   リンゴを見ながら   くさりかけたリンゴを   思いきりふんづけた 庶民にできること・・・例えば、リンゴジャムを作る。みんながリンゴジャムを作る。 キズがあったって、落ちたリンゴだって、すぐに食べれば大丈夫(生協でよくキズ果のリンゴを買うけど、結構日持ちしますからね・・・それに果実は腐りかけた頃が一番美味しい!) マスコミだって、リンゴ農家が大変です、なんてお涙ちょうだいニュースを垂れ流すのではなく、リンゴ拾いボランティアを募るとか、みんなでリンゴ拾いに行くから高速料金を1週間、無料にしろ!と声を上げるとか、傷果や落ちたリンゴの美味しい食べ方を シェフたちに聞くとか、味はかわらないのだから100円以上で買いましょう!と良心を煽るとか・・・ほらね、ちょっと考えただけでもWin Winな手立てはあるものですよ。 最近の政治やマスコミに欠けているもの、それが人のこころに、平和に、愛に最も大切なものに気づかされた台風一過の夜でした。 前世物語  この症例は過去生の部分がとても長くなったために時間切れとなり、光からのメッセージが少なくなってしまいましたが、内容はとても充実しているように思いました。  遠くにいる肉親や愛する人の死を直感的にわかることがよくあります。非科学的ですが、「虫の知らせ」と言われるくらい世の中で受け入れられている直感です。この症例は、そんな虫の知らせの仕組を私たちに見せてくれました。この症例の家族は「死んでからも魂が残る」と強く信じていたので、夫の魂は妻と話し、夫婦の魂は娘と話が出来ました。この症例のように、「虫の知らせ」の強さと「肉体の死後も魂は残る」という考え方は相関しているように私は思っています。  この過去生ワークには、亡くなられた方の魂とのコンタクトを目的にされている方がしばしば来られます。もちろん唯物論の方はこのワークをお受けになられませんから、みなさん、程度には差があるとしても死後の魂の存続は信じておられます。ですからワークの前のインタビューではほとんどの方が、亡くなった時の虫の知らせがあった、その後も亡くなられた方の何らかの気配を感じた・・・と言われます。そしてワークの成績でも、魂の存続を強く信じている方ほど容易に亡くなられた方の魂とコンタクトできた傾向が見受けられます。  「信じるものは救われる、だよ」と先生は簡単に言いますが、幼子のように素直な気持ちになって心を開くことが出来れば、誰にだってこの症例のように親しい魂とお話が出来るのかもしれません。このワークの催眠誘導は、大人の常識、世の中の常識が作った強固な心の扉を一つずつ開いていく作業だ、と言えるのです。だからこそ、心が頑固な人は難しく、心が素直な人は容易に過去生へ戻れるのでしょう。

2014年10月12日日曜日

おはようさん 2014.10.12.

今日は芦屋での光の前世療法グループワークでした。 初めての方がほとんどの二十数名の参加者のみなさんのほぼ全員が過去生旅行を体験できました。 これってすご~~い成功率なんですよ(*^^)v 直前までキャンセルや駆け込み参加が相次いでいましたが、「来るべき人だけが呼ばれてやって来る」という大いなる力が見事に発揮されて、目を見張るような好成績になったのだと思います。 早速、今日のワークのご報告をいただきましたので、みなさんにも「わけわけ」しますね。 ◆今回のワークで体験した私の前世◆ 船の中。 茶髪で青い瞳、30代の男性、名前はアヌ。 粗末な白いワンピースを着ている。 左足首に大きな鉄の弾が繋がれている。 奴隷として売られていく船の中。 木の柵の牢屋のような中に入れられている 他にも同じ部族の女たちが牢屋の中に入れられている。 正面の牢屋に入れられている若い女はすすり泣いている。 となりの牢屋には中年の女が入れられている。 斜め向かいの牢屋には女2人が同じ牢屋に入れられている。 (二人は親子、娘のほうはまだ12歳くらい) 娘のほうは最近仲良くしているあの子だ、とわかる。 牢屋の隅には藁の山が置かれている。 それがトイレの代わり。 食事は一日に一度だけ。 かちかちに硬いパンと干からびたりんごが半分与えられる。 運がよければ、時々葡萄酒が少しもらえる。 向かいの牢屋の女たちにはシチューのようなものが 配られているけれど、自分には与えられていない。 女たちは鎖につながれていない。 囚われた男は自分だけのようだ。ふがいない。 夜になると女たちは順番に別の場所に連れて行かれる。 船員たちに性の相手をさせられているのだ、と思う。 村の女たちを守れなくて申し訳ない。 オーストラリアの先住民の村で生まれた。 幸せだった子供時代。 ウサギを射て褒められる。 村で有名な狩りの名人だって、 こんな小さいときには上手に狩りができなかったよ、 と親戚中がアヌのことを褒めていて、鼻が高い。 母親は今の現世の母と同じ人。 祖母は現世のお客さんのNさん。 姉は現世の従姉妹。 村の親戚の少年は現世の従兄弟。 大きくなったら、大きな鹿を狩るんだ!! 一番幸せだったのは 村の成人式のようなお祭り。 勇気試しのバンジージャンプみたいな儀式。 太鼓の音と独特の化粧で、村中がお祭り。 親友でもある年上の少年(現世の主人)が祝ってくれる。 これで自分も一人前。 とても嬉しい。 重要な場面は結婚の場面。 アヌは村でも評価の高い青年だったから (狩りが上手で、勇敢) 村の年頃の娘の中で好きな女の子を お嫁さんにできる。 好きな女の子(現世の友達)をお嫁さんにする。 赤ちゃんが生まれる。 女の子。現世の妹。 奴隷船が港につく。 桟橋を渡っているところで 全力を振り絞って抵抗する。 女たちを逃がさなければ! アヌは戦う。 村の女たちは逃げる。 アヌは棍棒でボコボコにされる。 殴っているのは、二人。 現世で会社勤めをしていた時の社長と 苦手だと思っているお客さん。 意識を失う。 元の奴隷船の牢屋に入れられている。 あちこちが痛い。死にかけている。 船員たちは女たちが何人か逃げたので怒っている。 女たちはどうしただろうか。 ちゃんと逃げ切れただろうか。 言葉のわからない国で生きていけるのだろうか、 と心配する。 自分の国にいたときに、女たちを逃がすように 抵抗を試みたらよかった。 でも、それは勇気がなかったのではなく 思いつかなかっただけ。 自分は勇敢だった。 (アヌの部族では男は勇敢でなければならない。) だから、まぁ、満足している。 船長(自分を殴っていた現世の社長)が様子を見に来る。 死にかけているのを確認すると、 同情の眼差しになる。 「神のご加護がある」というような意味のことを言っている。 死ぬ。 死んだあと、後悔する。 自分は一人で戦ったけれど、 自分が女たちを逃がすつもりだ、 ということを女たちに事前に話していれば もっと多くの女たちを上手に逃がすことができたかもしれない。 話をするチャンスはあったし、 なにを話しているか、見張りは言葉が理解できなかったはずだ。 一人で決めないで、そうすればよかった。 一人で決めないで、もっと周りを信頼しよう。 そんな人生でした。ちゃんちゃん。 次回の光の前世療法グループワークは、 11月9日(日曜日) 大阪 天満満天堂Live pm1~4 当日参加のみ 人数制限なし 12月7日(日曜日) 芦屋アルテさま主催(セミクローズド 若干名の募集があるかも?) どちらのテーマも年末恒例の「来年 やるべきことがわかる過去生へ」です。 前世物語 「そのまま上へ高く高くあがります。高くあがったところからフリードリッヒの人生を見てください。そして何か気がつくことはありますか?」 「弱虫なんです。上へあがってきてもマリアのことを探しています。マリアはとても強い人です。私は人生でのいろんな出来事を見れません」  先生は更に高みへと導きます。 「もっともっと高く高くあがります。そこでフリードリッヒの人生と、今のあなたの人生を平行に並べます。二つの人生を見比べます。そして何か気がつくことはありますか?」 「マリアが、しっかりと自分の人生を見なさい、って言っています。さっきよりは見えるようになりました。・・・前の人生では、とってもマリアの力に頼っていて自立できなかったけれども、今度の人生は出会いが遅いので、自分でしっかり歩かなくてはいけません」  先生は光へと導きます。 「光が近づいてきました」 「その光の中へ入ります。どんな感じですか?」 「すごく爽やかな感じです」 「そこに誰かいますか?」 「とても大いなる知性のような男の人がいます」 「その人に聞いてください。今回の私の人生の目的は何ですか?」 「十分に時間をかけて、ゆっくりと身につけることです」 「何を?」 「それは知恵だから、言葉で説明できるものではありません。知恵。勉強して身につけるものではありません」 「では、それをどうやって身につけるのですか?」 「いろんな人に出会って、いろんなものに心を開いて、あきらめないことです。すごく時間がかかるものですが、あきらめなければ向こうからやってきます。今はまだダメです」 「ということは、私の人生はここまでダメなのですか?」 「まだまだダメですね、って」 「何がダメなの?」 「あなたは自分のことしか考えていません。しっかりと守られてるのだから、あなたのまわりの人たちをあなたの方から助けてあげることを学びなさい。あなたはこのまま落ち着いて学びなさい。きっと時がきますから、って言っています」

2014年10月11日土曜日

おはようさん 2014.10.11.

明日は芦屋でのグループワークです。 初めての方が多いので、いろいろご質問が寄せられいるそうです。 「前世療法ハンドブック」からご質問へのお答えをいくつかコピペしておきますね。 過去生とはどんな感じ?  過去生は、夢のような感じで見えます。  顕在意識が起きたまま、夢を見ている感じです。  過去生が見えた途端、あなたの顕在意識が邪魔を始めます。 「自分で創っているぞ」と言い出すのです。  これは初心者が必ず当たる壁ですから、仕方ありません。  仕方ないから、そのまま言わせておきましょう。  時々、その声に惑わされて、顕在意識と一緒に、見ている過去生を評論してしまう人がいます。 「時代考証がなってない」「こんな人が出てきてはいけない」「左は待ち伏せされているから右へ行け」などと顕在意識が言い出すのです。  すると、あなたの左脳が動き出します。  左脳が働くほど、過去生は消えてしまいます。  頭の中がパニックになって、ますます考え込んで、黙り込んだまま過去生から放り出されてしまいます。  前世療法は、左脳との戦いです。  それは映画館で、映画を見ているのと同じ要領です。  淀川長治さんは、映画が終わった後で解説してくれるから楽しいのです。  あなたの顕在意識は過去生に降りている間、同時通訳のようにずっと解説してくれます。  ありがた迷惑だよ、とはっきり言いましょう。  過去生は、ただボッーと見てください。  瞑想や座禅をしている方は、とてもよく見えます。  過去生は、右脳で見るものなのです。 これは宗教か? と心配されている方もおられるようなので・・・ 光の存在ってどんな人ですか?  光の存在は、いろいろな姿をしています。  白いヒゲと長い髪、白い衣の老人。  美しさにあふれた女神さま。  この二人が最も多いですが、仏様、観音様、イエス様、マリア様もあります。  亡くなった父母やおじいさん、おばあさんのこともあります。  みんなの共通点は、穏やかに微笑んでいることです。  時には厳粛な表情で迎えられることもありますが、すぐに優しさと温かさが伝わってきます。  光の存在の前に立った瞬間に、深い安らぎに包み込まれます。  光の存在があなたを愛の光でくるまってくれるのです。  光の存在とは、今のこの世の概念では「神さま」と呼べます。  光の存在との対話は、神さまとの対話です。  神さまとの対話は、神託という形で昔から行われてきました。  巫女を介して、神さまの言葉を聞いていました。  前世療法では、あなたが巫女の役目をします。  セラピストは、事前に尋ねておいた、あなたから神さまへの質問を巫女のあなたへ伝えるだけです。  あなたの意識の中に、神さまからのメッセージが濁流のように押し寄せます。  光との対話の最中に黙り込んでしまう方もいますが、これはあまりの情報量に脳がフリーズしているだけです。  あなたはセラピストに、その膨大な情報のほんの一部だけをボソボソと喋ってくれます。  前世療法は、あなたが神さまから欲しがっている情報を、あなたの中に丸ごとインプットしてしまう方法なのです。  あなたの中にインプットされた情報は、あなたにしか正しく解読できません。  前世療法のセラピストが、あなたとの境界線を頑なに守る理由がここにあります。  あなたへの神託だから、あなたが解読することに意味があります。  それは、あなたが生まれた理由わけであり、あなたが生かされている意味なのです。  前世療法は、人生マラソンの給水所です。  神託は、神さまからあなたへのスペシャル・ドリンクなのです。  あなた宛ての神託を受け取りましょう 先生が助言してくれますか?  前世療法中の顕在意識は、あなたの内面に深く集中しています。  あなたの潜在意識が無防備になっているのです。  セラピストは、あなたとの境界線をしっかりと保ち続けるトレーニングを積んでいます。  セラピストの助言が、前世療法中のあなたには「神の声」に聞こえてしまいます。  終わった後の解説は、あなたの人生に方向づけをしてしまいます。  あなたの人生を決めるのは、あなたです。  誰かに指示された通りに生きていくのは楽チンだけど、あなたが歩むのです。  岡目八目ですから、セラピストだって苦しいです。  でも、黙っています。  恨まれたり、怒られたりするのがわかっているから、とても辛いです。  誰だって、ほめられたい、慕われたい。  でも、じっと我慢です。  簡単に洗脳できるから、洗脳してはならないのです。  セラピストは、魂に黒帯をしめているのです。  自分で歩みましょう 過去生から戻してくれますか?  前世療法では、セラピストのレベル以上の過去生は見えません。  セラピストが自ら体験したレベルまでしか誘導できないのです。  セラピストの手に負えない過去生に、はまりこんでしまうことはありません。  過去生に置き去りにされてしまうことはないのです。  これは脳外科の手術と似ています。  術者は途中でギブアップできません。  皮膚を縫いあわせて麻酔を醒まさなければ、手術は終わらないのです。  だからこそ、術者をよく知る必要があります。  インフォームド・コンセンサスが大切なのです。  相性、腕前、ポリシー、料金、近さ・・・あなたの感性で決めてください。  あなたが求めているもので、術者を使い分けてよいのです。  それが人生を楽しく生きるコツなのです。  セラピストは、ヘアーサロンの先生と同じなのです。  感性を磨きましょう 子供でも見えますか?  前世療法は催眠を使います。  催眠は、あなたが嫌だ、と思った瞬間に醒めてしまいます。  あなたの意志で催眠状態から安全に抜け出せます。  セラピストの思い通りには操れません。  だから拷問や裁判に催眠は使えないのです。 夏休みには、親に連れられてきた子供が受けることがあります。 前世療法を受けたい、という本人の強い意志がないかぎり、うまくいきません。  子供の心は、とても正直です。  催眠状態に入ったところで、必ず自分で出てきてしまいます。  親に怒られる、親がかわいそう、だから来たけれど、本当は嫌なのです。  心を開くのが怖い、だけではありません。  子供が過去生を見てしまうと、今生と過去生との区別がつかなくなってしまう危険性があるからです。  子供は直感的に、安全な方へ逃げただけなのです。  前世療法は無理強いできないのです。  大人になってから、受けましょう うまく催眠に入っていたのでしょうか?  前世療法では、催眠状態に入っていることがわかりません。  ただ目を閉じて、イメージに意識を集中しているだけの状態だからです。  動けるし、聞こえるし、いろいろ考えれます。  催眠ショーの印象が強い人は、「催眠に入っていたのかしら?」と思います。  禁煙やダイエットのための催眠では、確認動作をわざと入れます。 「手に重りが乗っています」「今度は、手に風船が結んであります」と暗示して、みなさんの手を上下させるのです。  そこまでしないと、催眠状態に入っていたことを納得してくれないのです。  前世療法では40分かけて、ゆっくりと深く良好な催眠状態へと導きます。  どなたでも確実に催眠状態に入れるような誘導になっています。  それでも途中で、「これでいいの?」と不安になることがあります。  そんな時には、こっそり呟つぶやいてください。 「入ってる、入ってる、大丈夫」  あなた自身で自己暗示をかけてしまうのです。  良好な催眠には、あなたの素直さが必要なのです。  素直な心で受けましょう 催眠はどうやってかけるのですか?  催眠は、イメージ誘導を使います。 「リンゴをイメージしてください。」  あなたは、どんな色のリンゴをイメージをしても構いません。  リンゴの木でも、マッキントッシュでも、アップルパイでもいいのです。  イメージの上手い下手は関係ありません。  あなたの好きなようにイメージしてください。 「リンゴは嫌いだなぁ。やっぱりミカンがいいよ・・・」  どうぞ、ミカンをイメージしてください。  とにかく何かイメージを続けていたら、自然に良好な催眠状態に入れるようになっています。  それでも、途中で「イメージできない」ことがあります。  あなたが悪いのではありませんから、安心してください。  あなたの意識下からの「このテーマの過去生は見たくない」というサインです。  過去生が見えないことにも、深い意味があるのです。  次はポジティブなテーマにすれば、大丈夫です。  見えない意味を探りましょう じっとしているのが苦痛なのですが?  前世療法の間、体を動かしても構いません。  泣いたり、笑ったり、叫んだりしても大丈夫です。  途中でトイレに行くことだってできます。  過去生への階段を降りて、扉に手をかけて、一歩踏み入れる・・・一連の動作を演じてくれる方もいます。  そんな方は、とてもしっかりと過去生に入れる優等生です。  過去生でのケガや病気の痛み、苦しみを再体験する方もいます。  それが原因で本当に死んでしまった、という報告はありません。  汗びっしょりになって胸をかきむしったり、呼吸が苦しそうになって激しく咳き込んだり、槍で突かれたところを痛そうに押さえ込んだり・・・。  どんな死に方をしても、それは少ししか続きません。  数分後には、深い吐息とともに温和な顔に戻ります。  死の場面は早送りなしでじっくりと味わいなさい、という意地悪なセラピストはいません。  前世療法中は、過去生の中身も、あなたの肉体も、何でもあり、なのです。 「よく咳が出るので心配です」「花粉症で鼻水がすごいんです」と心配する方もいますが大丈夫です。  咳をしようが、鼻をかもうが、催眠には影響はありません。  催眠状態では、まず肉体がとても深くリラックスします。  新陳代謝が低下して、呼吸がゆっくり、小さくなります。  深い瞑想状態、高度なヨガ状態に近づくので、自律神経系がニュートラルになります。  すると、病気の咳も鼻水もピタッと止まります。 「過去生は見えなかったけど、なんだかよく眠れるようになった」 「身体が何だか軽くなった」  過去生へ導く誘導だけでも、自律神経系のバランスを取り戻す作用があります。  星状神経節ブロックと同じ効能が期待できるのです。  前世療法中は、おもいっきりリラックスしながら、おもいっきり泣いて、叫んでください。  ローラーコースターのように楽しめれば、効果は倍増するのです。 身体でも楽しみましょう どんなふうに見えるのですか?  過去生の見え方には、2通りがあります。  見えるタイプと感じるタイプです。 「どんな服を着ていますか?」  見えるタイプの人は「赤いワンピースです」と答えます。  感覚のタイプの人は手探りしながら「重い金属の鎧です」と答えます。  この両タイプは、半々に分かれます。  画家は見えるタイプ、音楽家は感覚タイプ、という法則はありません。  やってみないとわからない、のが面白いところです。  初めての人は、頭から「見える、見える」と強く思い込んでいます。  もし、あなたが感覚タイプだったら、「見えない、どうしよう、失敗した」とあわててしまいます。  過去生を見るコツは、あわてないこと、です。 「何となく、どんな感じですか?」とゆっくりと尋ね続けます。 「そう言われてみると、何となく***のような気がするなぁ・・・」が出てきます。 「何となく、気がする」が感覚タイプの合言葉なのです。 慌てずに、粘りましょう 恐ろしい過去生はイヤです  「恐ろしい過去生を見て、気が変になってしまうことはないのですか?」と心配する方がいます。  まだ見てはいけないテーマを選ぶと、潜在意識の安全装置が作動します。  過去生へ続いている階段を、途中から降りれなくなってしまうことがあります。  過去生への光の入口は目の前にあるのに、なぜかそれ以上、前へ進めなくなることもあります。  過去生の自分とまわりの風景は何となく見えるけれど、その場面から動けないで催眠から醒めてしまうこともあります。  潜在意識は、あなたのことをあなた以上によく知っています。  あなたが見てはいけない過去生を、あなたの潜在意識は強力にブロックして見せてくれないのです。  過去生の幸せな場面や死ぬ場面はしっかりと見えたのに、選んだテーマが最もよくわかる場面だけは、どうしても見えないこともよくあります。  これも、潜在意識があなたをしっかりと守ってくれている証です。  潜在意識は、あなたの父であり、母なのです。 過去生を見て、何になるの?  前世療法では過去生での死を通り過ぎた後、高い高い光へと昇りながら、その過去生と今の人生を見比べてみます。  性別、境遇、性格などがまったく違っていても、「同じだわ」の驚きの声をよく聞きます。  ふたつの人生のエッセンスが似ているのです。  人生に課題があるとしたら、私たちは何度も同じ課題にチャレンジしています。  そして、今回も同じ壁の前で立ち止まっています。  前世療法は、過去生での失敗を思い出させてくれます。  今度は同じ失敗を繰り返さないように、別の道を選ぶことができます。 「この人生の方向転換は、今からでも間に合いますか?」と光の存在に尋ねます。 「大丈夫だよ」と必ず答えてくれます。  あなたは見守られているからこそ、前世療法に巡り合ったのです。  あなたに目の前の壁を乗り越えられる力がついたからこそ、過去生が見えたのです。  前世療法は、「過去問」の詰まった人生の「傾向と対策」です。  この人生ゲームを生ききるための攻略本なのです。  最高得点をめざしましょう あとがき  前世療法は、とてもスピリチュアルな療法です。  今までの医学では、とても説明できません。  最先端の物理学者にしか、理解してもらえない領域の話です。  でも、効果は絶大です。  この人生の目標や天職を知り、生きがいを自ら創り出すことができます。  スランプを乗り越え、才能を開花させることができます。  ソウルメイトとの深い友情で孤独を癒すことができます。  自分を許し愛することで、すべての人々に慈悲の心を持つことができるのです。  そのために難行苦行する必要はありません。  ただガイドを信じて、心に浮かんでくるヴィジョンを楽しめばいいのです。  そうすれば、誰でも過去生を旅することができます。  過去生を見た人は、死を大切にします。  この人生をしっかり生きようと決意します。  腰をすえて人生を歩むので、人もお金もチャンスも集まってきます。  一期一会を生きるので、天地自然の理が背中を押してくれます。  前世療法は魂の療法です。  魂の声に耳を傾ければ、誰でも小宇宙を旅することができます。  そこでは、すべての原因と結果と意味を知ることができます。  病を根本から癒すことができるのです。  医療としての前世療法は、これからも進化し続けていきます。  心の時代が求めている療法だからです。  過去を集約して「今」を生きるエネルギーに変える療法だからです。  そして、「私は誰?」の答えを知ることができる療法だからです。 ということで・・・明日をお楽しみにね(*⌒▽⌒*) 前世物語 「収容所の中で死ぬだけです。でも騒がずに、淡々と自分の死を受け入れようとしています。彼女は、死んでからも魂が残る、と強く信じていたので、こうして私と話しが出来ます。マリアはまわりの人たちを慰めています」 「それから、どうなりましたか?」 「・・・話をしています・・・。次ぎも会えるかなぁ、って私は駄々をこねています。でもマリアは、あなたは私に頼り過ぎるからどうしようかなぁ、って笑っています。マリアはまだ生きてるんだけど・・・。私は必死で頼んでいます。・・・あんまり私が駄々をこねるものだから、仕方ないから、って頷いてくれました。でも今度会うのはすごく遅くなるから、それまで待っててね、って言っています」 「それからマリアはどうなりましたか?」 「ひとりだけで銃殺されます」 「なぜ?」 「どうやら収容所の中で他の人たちを助けようとして軍人に反抗したようです」 「どんな反抗をしましたか?」 「口汚く罵りました。いつもそんなふうだったので見せしめにされます」 「銃殺されるマリアに何と言ってあげますか?」 「偉かったね。いつもみんなを励ましていて。死を恐れていません。よく頑張ったね、って」 「マリアは何と言っていますか?」 「あなたも本当はこれだけの力があるのよ、って。・・・二人は幼なじみだったようです。二人のことをザッーと思い返していて、自分はどうしたらいいのだろう、ってマリアに聞いています。・・・あなたを次ぎは助けてあげられるわ、どういう形かはわからないけど、って言っています」 「マリアの死の瞬間に、何を思っていますか?」 「横で見ているのは悲しいことではないですね。よく頑張ったね、っていう感じです」 「マリアは殺されましたか?」 「はい」 「彼女の魂はどうなりましたか?」 「頭の後ろから抜け出してきました」 「死んだマリアは何と言っていますか?」 「ほら、会えたでしょ、って」 「銃殺した兵士たちをどう思いますか?」 「別に何も。彼等も時代の犠牲者なのですから仕方ありません。マリアもそうです」 「では貨車の場面に戻って、娘のところに行ってみましょう。ルイーズはどこにいますか?」 「田舎にいました。泣いてます」 「そこで娘にコンタクトを取ってみて」 「話しかけたら死んだのが伝わって、わーっと泣き出しました」 「あなただとわかってますか?」 「はい」 「その後、話しましたか?」 「全然悲しむ必要はないんだよ、って」 「その後、娘はどうなりました?」 「・・・ずっと生き続けたようです」 「死んだマリアと一緒に娘の所へ行きましたか?」 「行きました」 「マリアが死んだ時、ルイーズは母の死をわかりましたか?」 「ルイーズは大丈夫でした。マリアが力強く話したので」  先生は二人の魂を高みへと導きます。

おはようさん 2014.10.10.

今日は東京オリンピックから50周年の「体育の日」でした。 東京オリンピックは・・・小学1年だったかなぁ・・・学校から帰って白黒テレビで見てた記憶があります。 まだオリンピックの意味もわからなかったから、「世界の人たちが集まった大運動会」な感覚だったような気がします。 オリンピックよりも新幹線の方が教室の話題やったなぁ。 もちろん誰もまだ乗ったことなんかなくって・・・ホンマに「夢の超特急」やった。 あの頃・・・まわりはずっっと田んぼで。 10月10日の頃には稲刈りも終わって、田んぼで野球してたなぁ・・・田んぼは凸凹で、ボールはイレギュラーだらけやったけど、楽しかったなぁ。 そう、みんなで笑って、みんなで走って(お百姓さんが見回りに来たら、急いで逃げたよ!)・・・楽しかったなぁ。 みんなで夕焼け見て、きれいやなぁって言えたよね。 塾も、ゲームも、携帯も、コンビニもなかったけれど、今のこどもたちの何万倍も夢があったなぁ。 男の子の夢 女の子の夢 高学歴つけて、一流企業に入って、高収入&資産家のパートナーと結ばれて、年功序列でトントン拍子に出世して・・・なんて夢は大人が描いていただけで、当のこどもたちは単純明快なヒーロー&ヒロインな夢を描いていました。 そして、その夢が叶うと信じていました。 この50年で大きく変わってしまったのは、こどもたちが夢を描けなくなってしまったことじゃないかな? みんなで笑うことがなくなった。 みんなで感動することもなくなった。 みんなで・・・そう、子供の頃から競争で勝つことを強いられてるから。 「みんなで」という共感性の芽を摘んでしまってるんだね。 競争で勝つには、大人の決めた価値観に出来るだけ沿わないとダメ・・・だって、大人が採点するんだから。 ピカソが羨んだ子供の感性なんか出来るだけ早く潰してしまわないと、お受験には勝てませぬ。 子供の感性とは夢見る力です。 子供は目で見ているようで、目では見ていません。感性で見ている。 そんな感性は大人社会では邪魔なだけです。 だから、勝とうと思ったら、感性を消し去らなければなりません。 感性を失ったら、もう神さまとお話することもできなくなってしまいます。 そして、感性も共感力も失ってしまうと、みんなで笑えなくなってしまいます。 「みんなで」は愛です。 和であり、輪であり、笑です。 この50年で失ったものの大きさ、尊さ、大切さを改めて感じとれた50周年の体育の日でした。 P.S. でも大丈夫だよ。まず君と僕の「みんなで」笑おうよね! 前世物語 「お母さんは私がきっと探し出すから大丈夫だよ。お前はチェコのおじさんの所へ行きなさい」  彼はルイーズを汽車に乗せました。もう娘に会えないような気がしました。  フリードリッヒは、どうしていいのかわかりません。 「私は哲学をやってきたけれど、それが全然、役に立っていないじゃないか」・・・彼は絶望しています。  彼は銃を手に入れました。そしてナチスの司令官の所へ交渉に行きました。  「妻を返してくれ!」  将校たちは全く取りあってくれません。フリードリッヒは銃で脅しました。  彼は逮捕されました。  「お前が反逆思想を持っていることは、前々から調べがついているぞ。反逆罪だ。お前は収容所で銃殺だ」  妻に会えないまま、フリードリッヒは収容所に送られました。  彼は後ろ手に縛られたまま、壁の前に立たされます。 「どうしてこんな目に遭うんだ。助けてくれ!」  ナチスの司令官がガムを噛みながら三人の兵士に指示を出します。兵士たちが銃を構えます。 「決してこんなことは許されないぞ!」  彼は撃ち殺されました。その時、彼は決心しました。 「全体主義的なことには、どんなことがあっても反対だ!」  先生は彼の魂に尋ねました。 「身体を離れましたか? フリードリッヒさんはどうなりましたか?」 「下に見えます。口から血を流して、縛られたまま倒れています」 「死んだ瞬間に、何か決心したことはありますか?」 「さっきのことくらいです。家族にどうしても会いたいです」 「あなたを迎えにきてくれた存在を感じますか?」 「まだそこに残っています。妻と娘がどうなったのか、心配ですから」 「では、妻のところに行ってみましょう。行けますよ」 「凄く狭いところに押し込められています。男女ごちゃ混ぜです。あっ、貨車の中です」 「妻にあなたが死んだことを伝えましたか?」 「今、話しかけて、気がついてくれました」 「妻はどうしていますか?」 「ひざ小僧をかかえて、じっとしています。私のことは全然心配いらないから、って。ずーっと一緒だから、って」 「それからマリアはどうなりましたか?」

2014年10月10日金曜日

おはようさん 2014.10.9.

昨夜の満月&月食が明けた今日の外来で・・・ 心配していたとおり邪気が大暴れしていました。 癌を創ってる邪気も こころの病気を創ってる邪気も 一昨日・昨日と勢力を拡大増強して、痛みを強いしたり、鬱々をひどくしたりしていました。 アーユルヴェーダの言うとおり、病気の人は月食は見ない方が良かったみたいですね。 そもそも月食とは、月が地球の影に飲み込まれる現象です。 満月の月を介して、普段は見ることの出来ない地球の影、すなわち地球の陰を見てしまうことになります。 地球の陰ですから、これはとっても強力ですよね。 元々、満月から受ける重力の影響は私たちの衛気や氣血にもそれなりに影響しています。 満月の夜にだけ産卵するお魚たちの話は有名ですものね。 人間、特に女性はとても影響を受けています。 今回はその満月+皆既月食だったので、しんどくなった人も多かったと思います。 ちなみに新月の日も調子を悪くする人が増えます。 新月は見えないけど、月の陰が天上から降り注いでくる日だと考えられます。 月の陰が何を意味するのかは諸説ありますが、陰中の陰と考えるのなら、その日は事故やケガ、風邪引きなどにちょっと気をつけておくとか、しんどくなったらムリせず休むとかの心構えがあった方がよいかもしれません。 陰が極まり転じて陽となる・・・と都合良く考えるのなら、新月のお日さまの下でのお散歩や日光浴は身体を元気にしてくれるかもしれません。 え? 正反対のこと言ってるって? 世の中の「正しいこと」なんて、どれもこんなものですよ。 要は、自分がこれが正しいと信じていれば、その通りに身体もこころも受け取ってくれて、その通りに反応してくれるってことです。 新月は陰中の陰だから、家でジッとしていよう!と思って、外に一歩も出なかった人は、その日いちにち、元気に平和に過ごせるでしょう。それで良いのです。 新月は陰極まって陽となるだから、お天気もよいし、いつもより遠くまでお散歩してきましょう、という人は、腎陰をたっぷり補充して元気に帰ってくるでしょう。それで良いのです。 どっちつかず・・・人がこう言っていたけど、ホントかなぁ?とか、みんながこうしているから、その通りしてみるけど、ホントかな?と迷いがあったり、 情報に踊らされたままの人たちは結局、はずれくじを引いてしまうでしょう。 自分が「これは正しい!」と思えるものをひとつでも持っている人は元気な人が多いと思います。 病気をしても、ケガをしても・・・どんなに重症でも、なぜか回復してくる人が多いです。 人生のどん底に落ちても・・・やっぱり何とかして這い上がってくる人は自分の信じるものを持っています。 自分が正しいと信じるもの・・・それは宗教でも構いません。 そう、人は自分が正しいと信じられるものがとても大切だと知っているし、それをこころから欲しているから、手っ取り早い宗教へと入っていくのでしょう。 (ただ・・・この世のすべての宗教には、本当に正しいものはないのにね・・・まぁ、それに気づかないままに人生を捧げてしまうのも良しですが) 自分が正しいと信じるもの・・・その中にわずかでも迷いがあったらダメです。 その迷いから陰の影がスッと射し込んできて、自分の中の陰をドカンと起爆させてしまいますからね。 そこが難しい・・・解脱・・・むつかしいなぁ 誰かと愛し合うことも「自分が正しいと信じるもの」の代表格です。 これなら・・・できそう! 天職を全うすることも「自分が正しいとしんじるもの」ですね。 これを極めれば、ノーベル賞がもらえる! 光さんがよくこの世で大切なものは「愛と奉仕」だと言いますが、こういうことを言っているのだと私は思っています。 前世物語 美子レポート     魂のつながり  二十世紀の暗い時代のウィーンに、フリードリッヒという男がいました。彼は哲学を教えています。町が平和な頃、彼はよくカフェで議論をしていました。  フリードリッヒの妻は地味で清楚ですが楽しい人です。マリアと言います。二人には子供が一人いました。ルイーズという栗毛のかわいい女の子です。  ある日、ナチスが侵攻してきました。社会が混乱しています。講堂の中でも誰かが演説しています。フリードリッヒはそれを聞きながら悲しみに沈んでいました。 「このままじゃダメだ」  群衆が騒然としています。彼は群衆にモミクチャにされながら外へと押し出されました。  フリードリッヒはドイツ人です。でもマリアはユダヤ人でした。町は騒乱状態です。彼の友人にもナチスに狙われているユダヤ人がたくさんいました。彼は、なんとか助けたい、と思っていました。しかし実際に行動に移すと自分までもナチスに狙われてしまうので、そんな勇気は出ませんでした。  彼の目の前で妻が助けを求めています。マリアもナチスに連れていかれそうです。 「どうしたらいいんだ!」  彼は叫びました。ルイーズが、「お母さんがいない」と彼にすがりついて泣いています。彼は、「ともかくお前は逃げろ!」と娘に言いますが娘は手を放しません。  「ダメ!お母さんを探して!」  フリードリッヒは、もうどうしていいのかわからなくなりました。 「ともかく、ここを逃げ出そう!」  しかし娘は動きません。仕方なく、彼は騒乱の中へマリアを探しに行きました。  喧騒の中、フリードリッヒはナチスの司令官と言い争いをしています。軍人が彼を殴りつけます。彼は首を絞められました。  「逃げ出さなくては・・・」  フリードリッヒは散々殴られ痛めつけられながら、娘のところへ戻りました。ルイーズは泣いています。マリアの行方はわかりません。娘が父を励ましています。でも父はもうクタクタでした。 「じゃぁ、私が自分でお母さんを探すわ!」  ルイーズが騒乱の中へ行こうとします。フリードリッヒは娘を呼び止めました。 「とにかく、この娘を逃がさなくては・・・」  父は娘に絶望的な約束をしました。 

2014年10月8日水曜日

おはようさん 2014.10.8.

秋の写真といえば・・・私はコスモスと秋バラさんです。 コスモス畑には風がつきものです。 ちょっとの風でコスモスさんたちはゆらゆら&ゆらゆら・・・ じっとファインダーを覗いたまま、風が止まるのを待ちます。 写真用語で「風待ち」 どんなに強い風が吹いていても、不思議なことに一瞬、風がピタッと止む瞬間があります。 それをただジッと待ちます。 ファインダーの向こうでは、コスモスさんが飛び跳ねて踊っています。 それをじっと見つめています。 一曲踊り終わったその瞬間、すべてが止まります。 詰めていた息を吐きながら、静かにシャッターをおろします。 同時に風が吹き抜けて、コスモスさんが踊り始めます。 私はこの風が止む瞬間が大好きです。 天地自然と繋がったような気がします。 大宇宙が、お花の神さまが1枚だけ、撮らせてくれたように感じて、うれしくてしかたなくなります。 感謝の1枚 だから美が詰まっています。 風待ちって釣りと似ていますね。 浮きがピクッとひくのをジッと待っているだけ。 もちろん釣り上げる時の醍醐味もステキだけど、実はボッと釣り糸を垂れたまま、何を考えるでもなく過ごしている時間もまんざらではありません。 それは時に身を任せているというよりも、時から自由になって・・・文字通り「時を忘れ」ているとっても自由なひとときなのです。 時を忘れ、時から自由になっている間は、身体の細胞たちも、自律神経たちも、ホルモン分泌神経たちもリラックスできます。 成長しなくてもいい、がんばらなくてもいい、がまんしなくてもいい・・・まさに身体 中がのんびりお休みモードになります。 釣り糸を垂れたままボッとしてるのと、公園で寝転がっているのとは同じように見えますが、釣り糸を垂れるだけで、身体ののんびりお休みモードの入り方が違ってくるのです。 写真も同じです。 コスモス畑を「きれいやなぁ」と見て歩くだけでもリラックスできますが、ちょっと真剣に写真を撮ってあげようとカメラを向けていると、釣り糸効果が発揮されます。 そして、デジカメで シャカシャカ撮るよりも、「写るんデス」でいいからフィルムカメラで撮った方が釣り糸効果は断然発揮されますよ。 (デジカメ写真は交感神経を興奮させちゃいますからね) 前世物語  女将さんは京大の哲学科を出られた方でした。若い頃は自由奔放な生活を送り、エサレンやフィンドホーンで暮らしたこともあったそうですが、お母さんが亡くなられてからは、こうやってこの実家を継がれているのだそうです。過去生退行についてもしっかりと理解が出来ている方でしたので、話題が自然とそちらの方へと向かいました。私はお善哉で血糖値が上がったためなのか、とても心地よい睡魔に襲われました。まどろみの中で、先生のこの話だけがしっかりと記憶に残っていました。 「・・・また別の分け方をすれば、過去生退行はこういうふうにも取れます。一つは、何かの原因となっているエネルギーを開放すべき過去生退行です。これは恐怖や不安などの心の症状やアトピーや痛みなどの肉体的な症状の原因となった過去生へ戻り、その事件を再体験してエネルギーを開放することによって心身の症状を癒すというものです。このタイプでは過去生での事件を今の人生に思い出させるようなトリガー的な何気ない事件が起こっていますが、今の人生そのものが過去生と似ているとは言い切れません。ある人生のある事件で溜め込んでしまったネガティブなエネルギーが、別の人生で同じキーワードが揃った時に一気に噴出してくるのです。子供の場合に多いことですが、何故だか父が嫌い、母が嫌い、水が恐い、車が恐い等々が過去生に関連している時、その事件が過去生の中でのことであって、もう終わってしまっていること、今の人生とは関係ないことを知ることで過去生から開放され、症状が癒されます。  もう一つは、今、その人にとって必要な気づきを得るために最適な過去生を潜在意識が見せてくれるものです。この人生の目的や自分の使命、愛や許し、ある人との関係といった哲学的な命題へのヒントを得ようとするものです。この場合も、もちろん過去生へ戻り様々な事件を再体験していきますが、ある一つの事件でエネルギーを開放することよりも人生全体の流れを眺めることが大切なのです。そして過去生との対比において、今の人生とよく似ていたり、全く正反対だったりすることが多いようです。 人生のある地点までは全く重なっているけれど、ある事件以後は過去生は左で、今の人生は右に曲がっている、などということもよくあります。このように、ある過去生と今の人生を比較することによって、今の人生の目的やある人との関係に気づきが得られるのです。そして自分が生きてきた複数の人生を見比べてみることによって、愛や許しといった人間界で学ぶべき大きな命題に近づくことが出来るのです。  こういったタイプの過去生は、過去生の中でのエネルギーの開放よりも、過去生を見終わってからの気づきへのプロセスが重要なのです。でもそれは茨の道でもあります。なぜなら催眠状態では潜在意識と誘導しているガイドが患者さんをしっかりとガードしていますから、ある事件を再体験してネガティブなエネルギーを開放することは比較的容易なことなのです。しかし、大きな気づきを得ようとすると催眠から自ら完全に覚醒して、独りで再びこの世を歩き始めなければならないからです。自分の足だけが頼りの巡礼になるからです。いえ、同行二人。神さまが温かく見守っていて下さいますが、決して奇跡は起こしてくれません。この世では気づきを妨げるものが後から後から押し寄せてきます。それはまるで気づきを磨き上げる砂嵐のように襲いかかってきます。苦しさと恐怖のために、せっかくの気づきの種を捨て去ってしまう人々が大勢います。催眠のまま覚醒せずに神さまの懐に潜ったままの人たちもいます。依存症の人たちですね。  私はこのワークを実践的哲学だと思っています。ですから、例えその患者さんが気づきをすぐに得られなくとも静かに見守ることにしています。何年先、何十年先に気づきが訪れるかもしれませんから。もしこの人生で難しかったとしても、次の人生で気づきを得るための貴重な礎の人生なのかもしれませんから。長い目で見れば、無駄な出来事、無意味な人生などないのです。そして何より、ワークをしている私にとっても数々の気づきがやって来るのですから。毎日のワークが神さまの哲学の授業なのです」  翌朝、私は肌を切るような澄んだ空気に目覚めました。冬の訪れが間近に感じられます。先生は隣のお布団の中で大イビキをかいています。きっと夜遅くまで話し込んでいたのでしょう。私の枕元に女将さんからのお手紙と着替えが置かれていました。 「お着替えをご用意させていただきました。地階のお風呂もお使いいただけます。朝粥のご用意を致しておりますので、先生がお目覚めになられましたら、お知らせ下さいませ。 P.S. すてきな先生です ね・・・」 私の中に爽やかな嫉妬心が湧き出てきましたが、すぐにそれは女将さんへの感謝とすべての人たちへの深い愛に変わって拡がっていきました。先生のそばにいると、どんな感情も愛に変わってしまうのでしょうか?  私は先生の寝顔に近づきました。子供のような寝顔です。  先生の左のほっぺたに女将さんの微かなルージュが残っています。  私は女将さんが残しておいてくれた唇に、そっとキスしました。  少し離れて先生の目を見つめました。優しい寝顔です。  トントンという俎板まないたの音が聞こえてきます。  私はもう一度、唇を重ねました。

おはようさん 2014.10.7.

今度の日曜日 芦屋で光の前世療法グループワークを開催します。 ご参加は初心者の方ばかりなので・・・内容はオーソドックスで簡単なものばかり・・・にしようかとも思いましたが、そこは大きな何かに導かれてこの日、このグループに集う方々ですので、かなり上級なワークも入れておきました。 初めての方でも、過去生を見て、光との対話を続けていくうちに上級者レベルに達してしまう方も結構おられます。 相手が初心者だからといって、手加減無用・・・せっかくのご縁を無にしてしまいますからね。 やはり常に全力で一期一会を楽しんでいきたいと思います。 では、そのグループワークの誘導台本の一部をご紹介いたしましょう。 「今のあなたに最も必要な過去生へ」 光との対話 ・最初のメッセージ ・今回の人生の目的は?  ・人生の目的を果たすために、まず何から始めたらよいのですか? ・これからの使命は?  ・これからの使命を果たすために、まず何から始めたらよいのですか?  ・これからの使命を果たすためのキーワードは何ですか ・これからの天職は?  ・これからの天職を果たすために、まず何から始めたらよいのですか?  ・今の私の仕事の意味は何ですか? 今の仕事から何を学んでいるのですか? ・ソウルメイトは誰ですか? どんな人ですか?  ・ソウルメイトと出会うために、まず何から始めたらよいのですか? ・どうしたら私は幸せになれますか?   ・私にとっての幸せとは何ですか?  ・幸せになるために、まず何から始めたらよいのですか ・どうしたら私は美しくなれますか?  ・私にとっても美しさとは何ですか?  ・美しくなるために、まず何から始めたらよいのですか ・どうしたら私は豊かになれますか?  ・私にとっての豊かさとは何ですか?  ・豊かになるために、まず何から始めたらよいのですか ・どうしたら私の才能はもっと大きく豊かに美しく花開きますか?  ・才能を開花させるために、まず何から始めたらよいのですか? ・どうしたら私の愛はもっと大きく豊かに美しく花開きますか?  ・私の愛を開花かせるために、まず何から始めたらよいのですか? ・どうしたら私のエネルギーはもっと大きく豊かに美しく花開きますか?  ・私のエネルギーを開花かせるために、まず何から始めたらよいのですか? ・私は何者ですか? 私は誰ですか?   ・あなたは何者ですか? あなたは誰ですか? ・光さんからの祝福の言葉 ・過去生との対話 ・これからの使命を果たすことができた未来のあなたとの対話 *光の殿堂のワーク 光さんがあなたの手を握りながら、あなたへ話しかけてくれます。 ・光の世界であなたがやりたい仕事は何ですか? どんな仕事ですか?   ひかりさんがあなたへ尋ねます。  ・その仕事はあなたにとってどんな意味があるの?
 ・その仕事は世のため人のためにどんな意味があるの?
 ・その仕事は宇宙とどのように結びついているの? ・光の世界であなたが愛し合いたい人は誰ですか? どんな人ですか?
  ひかりさんがあなたへ尋ねます。  ・その人にあなたは何を求めているの?  ・その人をあなたはどんなふうに愛したいの?  ・その人と一緒に、何をしたいの? 何を創り出したいの?  ・なぜその人が好きなの? その人のどんなところが好きなの? ・新しい光の世界であなたが住みたい家、暮らしたい町はどんなところですか?
  ひかりさんがあなたへ尋ねます。  ・そこはあなたとあなたの愛してる人にとって、どんなところなの?  ・そこであなたたちは何をしたいの? どんなふうに暮らしたいの?  ・そこであなたたちはどんなおとなりさん:隣人たちに囲まれたいの?  ・そこであなたたちは、どんな夢を紡ぎ出すの?  ・あなたたちが暮らす町に聖なる光の名前をつけてくれます。
 
 ・光の世界で、あなたの幸せは何ですか? 喜びは何ですか?
  ひかりさんがあなたへ尋ねます。  ・あなたの幸せや喜びって、ひと言で言うと何なの?   ・あなたと愛する人、ふたりの幸せや喜びって何なの?  ・その町の暮らし、みんなの幸せや喜びって何なの?  ・その世界の幸せや喜びって何なの? ・光さんがあなたが今日、創り出した光のイメージたちを光の珠にして、あなたに手渡してくれます。その光の珠には、どんな彩りを、どんな香りを、どんなエネルギーを感じ取れますか?  ・あなたが今日、創り出した光のイメージたちの光の珠を、光のクリスタルの殿堂の中庭に埋めます。すると、たちまち、あなたの光の木が芽生えてきます。どんな若木が芽生えてきましたか? ・その若木にそっと触れてみると、あなたの中に何が見えてきますか? ・たちまち、その若木は大木となり、今、一気に花を咲かせます。どんな花、何色の花が咲きましたか?  ・その花の香りをかぎましょう。どんな香りですか?  ・その香りの向こうに、何が見えてきましたか? ・そして、その大木に果実が実ります。どんな果実、何色の果実が実りましたか? ・光さんがあなたのよいところ、すばらしいところを3つほめてくれます。 ・光さん、結局、今、私にとって一番必要なことは何ですか? ・光さん、結局、まず私がやるべきことは何ですか? ・光さん、今日、ここに導かれた意味は何ですか? ・光さん、今日、ここに集ったみんなとは、どんな関係なのですか? ・光さん、もう一度、あなたと繋がった私の未来を見せて下さい。 ・光さんに抱かれたまま、光さんが帰還の呪文を唱えてくれます。 あなたは光さんに抱かれたまま、光の殿堂の中庭に育つ、あなたの光の木と繋がったまま、今この時へと戻ってきます。 今、これを詠んだだけで、これだけの光との対話にスラスラ答えられる方は、すでに「解脱」してますよ\(^^@)/ 世界で名だたる宗教家さんたち、哲学者さんたち、スピリチュアルリーダーたちでも、答えられないでしょう。 きっと禅問答のように「愛だよ」「和だね」「****」←やったら難しい四字熟語を持ち出して来る この世の誰も本当はわかっていない答えなのです。 そしてね、本当はこの世の誰もが知っている答えでもあるのです。 口に出した途端にフェイクになる答え・・・だから、これらの答えを知ってしまった知恵者は仙人になるしかなかったのです。 でもね、こうやって「光との対話」という形で、光さんを介して答えを口に出せば、それは多少の影は持ちますがフェイクとなって霧散してしまうことは避けられます。 光との対話という形で、光の答えを口に出して、そのまま自分の掌の中に受けとめて、包み込んでしまうのです。 そうすれば、光のままで輝き続けてくれます。 もし、その掌で包み込んだ光の言葉に、他人が「解説」を投げかければ・・・たちどころにその光の言葉は光を失い、哀しいフェイクに堕ちてしまいます。 私がね、光の前世療法を終えた後、その内容に「解説」を加えないのは、そういう理由があるのです。 それがわかる人たちは、ワーク後もずっと光と繋がり続けられます。 それが分からない人たちは・・・あと一八〇〇〇回だったかな? 輪廻転生をすれば、少しは分かってくるかもしれません。 この光の前世療法を受けられる方々はみなさん、人生の大節目を迎えられているのですよ、という意味の真髄は、そこにあります。 このまま古い世界に戻って、ずっとずっと輪廻転生を楽しむのか 新しい光の世界へ進むのか ・・・まぁ、どっちも正解だよ・・・光さんはけっこうサディスティックなのです。 この10月12日(日曜)の芦屋グループワークにご参加希望の方は、芦屋アルテ 0797-32-1200 http://ashiya-arte.com ヘ直接、ご相談くださいませ。 前世物語 「難しいよね、実践哲学と言ったけど、そう簡単には実践出来ないからね。まず、愛と憎悪などのネガティブな感情エネルギーは同じものだと知ることだよ。そして二つの愛のバランスを取ることだね。愛は磨き上げ、ネガティブな感情の中には勇気を持って分け入って、その奥深くに潜む愛に触れることだよ」 「そこで大切なのは、許しの愛、でしょう?」 「その通りだよ。さすがに美子さんだ、よくわかっている」 「じゃあ、続きも言うわね。そんな人間の愛の表裏を知ることが人間の使命であり、愛の表を知り裏を知ってバランスを取れるようになれば、人間界を卒業となるのでしょう」  先生は大きな拍手をしてくれました。 「それこそが、『愛とは戦うことではなく、守ることでもなく、手放すものなのです』の極意なのだね」  私はじっと先生の目を見つめました。先生も私の魂を見つめてくれています。二人の魂がひとつに還ろうとしています。すべてがひとつの無に還っています。そんな無の中で、かろうじて私という魂の微かなフィーリングだけが感じられています。私は先生の魂に寄り添っています。すべての想いがひとつの無の中にあります。私たちの魂もこのまま無に融けていきます。私たちの魂は全ての始まりである無へと続くヴァージンロードに立っているように感じられました。下には虚無の海が静かに広がっています。 「ここを渡りきったら全ての始まり、『無』が『在る』となるところ、ビッグバーンの始まりを直接見れるんだよ」  先生の魂の囁きが聞こえてきたような気がしました。私にはもはや思考も意志もありません。私という自我さえ、皆無となっています。ただ微かなフィーリングだけが漂っていました。私は無の渦の中に吸い込まれています。 「こんばんは。少しご一緒させていただいて宜しいでしょうか?」  そう言いながら女将さんが入って来ました。私たちと同じ年代の若い女将さんでした。 「せっかくの良きご縁ですから、このままお泊まりいただきたかったのですが、とても残念ですわ。今夜は寒くなりそうですから、うちのもののお夜食に私がお善哉を作りました。板さんの手ではないですからお味の方は勘弁していただいて、ご一緒にどうでしょうか?」  先生は大喜びしています。私も急に人間界に戻って来てしまいました。先生がお椀の蓋をファーと取りながら言いました。 「ほら、ビッグバーンだよ」  私は熱々のお善哉の湯気の中に、さっきまで立っていた摩訶不思議なフィーリングを感じていました。 「そういうことなのね」  先生は女将さんと笑いながらニーチェの話をしています。 「お善哉を食べながらツアラトゥストラを語る人たちっているんだわ・・・やっぱりここは京都なのね」  私は一人で感心しながら超人の仲間に加わりました。

2014年10月7日火曜日

おはようさん 2014.10.6.

台風の日はお年寄りたちが自宅待機で来院されないので、今日はゆったりとした一日になりました。 こうなることがわかっていたので、先日、みんぱくで買ってきた「イメージの力展」のとても立派なパンフ本をじっくりと読ませていただきました。 書いてあることはとっても難しくて・・・美味しいお料理を徹底的に化学分析器械に晒して全部デジタルデーター化して学会発表してる感じかな・・・美味しい・きれい・ステキでええじゃん? と思ってしまいました ゴメンナサイ。 さて・・・展示されている「お宝もの」の写真がいっぱい載っているのですが、どれも・・・死んでる・・・そう、会場で生のお宝たちと触れ合いながら、ファインダー越しに見えたお宝たちの生き生きとした姿は、パンフのどこにも見当たりませんでした。 もちろん、真っ正面から、左右の間接照明で陰影を消したパンフ用写真ですから、仕方ないのかもしれません。 でも・・・これを撮った写真家さん(きっと有名なプロだと思いますが)には、みんぱくのお宝たちの息吹が感じられなかったのだろうなぁと思います。 ただ、いつもの仕事モードで、いつものように被写体を撮っただけ・・・それはそれで良いのですが、このパンフの中にも書いてありました。 お宝たちはそれが生活の中で生まれ、使われている時が実体であり、その生活から切り離されて博物館に収納されてしまうと、それはフェイクになってしまう。これは絵画美術もしかり。イメージを描き出した時点でそれはフェイクに過ぎない。 写真はそのフェイクを写し撮るのだから、更にフェイクになるんだなぁ、と思いました。 フェイクのフェイクだから、いつまでたっても写真は絵画の後塵を拝する立場から抜け出せないのだねって。 世の中のふつうの人たちだって、写真家さんより絵描きさんの方が偉いと思ってるでしょう? でもね・・・お宝ものを目の前にして、それを描き撮るのも、写し撮るもの、同じ感性が必要なのですよ。 お宝たちの波動や氣とどこまでシンクロできるか、語り合えるかで、お宝たちの持つ本物の美の見え方が違ってきます。 写真だってピカソにもゴッホにもマチスにも棟方志功にも・・・なれるのです。 ピカソは晩年に言ったそうです。 「やっと5歳のこどもと同じ絵が描けるようになった」 5歳というのはとても微妙な年齢です。 前世を思い出して語ってくれるのも5歳頃がピークです。 目に見えないいろいろな妖精たちとお話できるのもこの頃です。 5歳のこどもの感性になると、きっとみんぱくのお宝たちは大歓迎してくれて、しゃべりまくり・歌いまくり・踊りまくってくれるでしょう。 そして5歳のこどもは、楽しければシャッターを押し、面白ければシャッターを押し、きれいだとシャッターを押し・・・構図は自分が見てるまま、そのままで何も考えずに撮るでしょう。 その時、お宝たちの生き生きとした息吹も、笑い声も、美しさもフィルム上に100%撮し込まれるのだと思います。 いまだかって、そんな 画家も写真家もこの世に現れてない・・・と思います。 古い世界ではムリですが、光の世界ではきっと、誰もがそんな画家であり、写真家なんだろうと思います。 その中で、ひとりひとりの個性がにじみ出ていて・・・まるで野に咲くさまざまな彩りの花々のように、どれもが美しく、すべてがひとつの美となっていることでしょう。 そう、それは光の世界の住人 ひとりひとりにも、光の世界そのものにも当てはまることでしたね。 そんな光の世界が来ることを、ジョンレノンのように待ちわびています。 前世物語  この日本酒を見てごらん。お米を研ぎ澄まして大吟醸となっていくんだけど、これは魂の世界での愛の学びと同じだと言えるだろう。ホラ、この澄み切ったお酒を見てごらん、目を閉じて心の目で見つめるんだよ。雪解けの水音、田植えの雨音、ゲンゴロウやオタマジャクシの遊び声、青田を吹き抜ける夏風の声、お日さまの笑い声、コンバインのエンジン音と育ててくれた人たちの喜びの声・・・田んぼの香りが染み込んでいるだろう。これが人間界で学ぶべき愛なんだよ。とても土臭い愛だね。  人間界で学ぶ愛とは、すべての中に愛がある、ということなんだ。その愛は魂の世界で燦然と輝いている光の愛と本質的には同じ愛なんだよ。人間界のすべての物質、想い、エネルギーの本質は神々の愛と同じなんだ。憎悪や悲しみのエネルギーの本質は私たちが愛と呼んでいるエネルギーの一面でもあるわけだね」  私は薩摩切子を万華鏡のように玩もてあそびながら尋ねました。 「自然界の動植物や鉱物、それらが織りなす様々な美のすべては愛で出来ている、ということはわかります。でも、憎悪や悲しみなどのネガティブなエネルギーまでもが至高の愛だと言われても、なかなか理解できないのではないでしょうか?」 「美子さん、愛の反対は何だろうね? 憎悪や悲しみかな?」  切子が私の手の中でお辞儀しました。 「この人間界は二元性の世界だよね。すると愛と憎悪、悲しみがペアーなわけだ。では、もっと昔々の一元性の世界だった頃、そう魂の世界がそのまま物質的な世界として具現化されていた時代はどうだったのだろうね。愛と憎悪、悲しみを一元化すると何になるのかな?」  もう投了です。私は切子がキラキラ輝くのを見つめながら言いました。 「神々の黄金の時代、すべては愛で満たされていたのですね。神々は憎悪も悲しみも嫉妬も自由に使いこなしていたのです。神々は知っていました、すべてが愛で出来ていることを、愛の本質を知れば世界のすべてを創造することが出来ることを、何人でも神々になれることを」  先生は頷いて続けてくれました。 「そして神々は人間を次のステップに導き入れたんだ。二元性の世界だよ。魂を肉体と心の中に押し込み、魂を磨き上げるだけではなく、愛がすべての中に見出せることに気づくように仕向けたんだ。一元性の愛を大いなる愛と呼べば、この二元性の世界では大いなる愛の光の当たる部分を愛と呼び、闇のネガティブな部分を憎悪、悲しみ、嫉妬などと呼ぶんだね。ネガティブな闇の部分は暗黒の鏡のように人間の心の闇の部分を映し出しているけど、そこに愛の光を当てる勇気さえあれば、そんな深い闇の底で愛が湯船の栓のようにはまり込んでいることに気づけるんだよ。そう、あとは・・・栓を抜くだけなんだ。貯め込んでいたネガティブなエネルギーは大いなる愛に向かって還っていくからね。すべての愛がひとつに戻る瞬間だよ。きっと神々は美しいスモークを焚いてくれるよ。天使のドラムが鳴り響く中・・・神々しいスモークの中から愛の二元性を統合しえた肉体と心をもつものが進み出て来るんだよ。神々の創造した人間が神々の手から自由になる瞬間なんだよ」 「先生、そんなお風呂掃除みたいなことはどうやったら出来るのでしょうね?」

2014年10月5日日曜日

おはようさん 2014.10.5.

人体科学会刊行の「Mind-Body Science」さんから執筆依頼をいただきました。 「健康」とか「爽快」とかの怪しい雑誌ではありませんよ。 京都大学医学研究科 高次脳形態学教室さんからのご依頼です。 締め切りまではまだ時間がたっぷりあるので、ゆっくりとネタを熟成させていこうと思っています。 さて、お題は「過去生記憶の意義(前世療法の癒やし)」 池川先生をはじめとする、名だたる諸先生方の中だと、つい大阪人のDNAが爆発してオチを付けたくなりますが、ここはジッと我慢して・・・ムズムズ(;^^)ヘ.. クライアントさんからは「小誌「Mind-Body Science」はそうした一般会員も読者対象としておりますため、ご執筆にあたりましては、一般の読者を想定して頂き、できるだけわかりやすくご執筆下さりますようお願い致します。」とのことで、簡単に分かりやすく書きたいと思っています。 さて・・・ まず最初に、前世療法の流れをご紹介しないといけませんね。 催眠誘導して → 過去生のいくつかの場面を見て → 過去生での死の場面を体験して → 魂・意識体となって昇っていきながら、その過去生を顧みながら何かに気づいて → その過去生と今生を同時に顧みながら何かに気づいて → 光さん(神さま・大いなる存在・守護神などなど)との対話へ(事前に光さんへ尋ねたいこと・知りたいこと・会いたい人などを聞き取っています) → 過去生の自分との対話 → 今生の未来の自分:未来生の自分との対話 → 人生の暗黒面トリガーとの対話 → インナーチャイルドとの対話 → 光さんからの祝福  (これだけのことを2時間でやってしまうのって、すごいでしょう!) 前世療法の意義ですが・・・ 1)死の恐怖を手放せます。 何度も死の体験を繰り返していると、死への恐怖が薄まります。すると不安神経症や強迫神経症が治ってしまうことが多々あります。 2)今、やるべきこと、進むべき道が見えてきます。 ひとつのワークの中で、光さんへの質問毎に「今、やるべきことは何ですか?」と尋ねます。 光さんの好きな答えがふたつあって、ひとつは「早寝早起きしなさい」 もうひとつは「部屋の掃除をしなさい」です。 癌を治すために、ソウルメイトと出会うために、天職に巡り会うために、早寝早起&部屋の掃除がどのように効果を発揮するのかはわかりませんが、確かに「ご利益」はあるようです。 3)今、抱えている問題から自由になれます。 どんな問題にも、原因と意味と解決方法が必ずあります。 病気なら、病気の本当の原因・病気からの学び・ 治し方を光さんは教えてくれます。 人間関係なら、その人との過去生での関係・その人間関係からの学び・その人とのこれからのつきあい方を光さんは語ってくれます。 生まれてきた意味・生きている意味・人生の目的・これからの使命・天職・ソウルメイト・・・それを知って、明日から元気に自分の人生を歩み出してくれれば、それでいいじゃないですか。 4)亡くなった人との再会ができます。 愛する人(子供、伴侶など)に先立たれた悲しみは、時を止めてしまいます。 他人は「時が癒やしてくれるよ」なんて簡単に言いますが、何年、何十年と「時が止まったまま」の方々にこの前世療法を行い、光さんに見守られながら亡くなった人と再会し、抱き合い、心を通じ合うと、再びその方の「時」が動き始めます。 幻覚、夢、妄想・・・だって良いのです。それで救われ、日常生活に笑顔が戻り、仕事や家事を昔通りできるようになれば、どんな向精神薬や精神療法よりもCOOLだと思います。 5)この前世療法を受けに来られる方は、みなさん、今生の大節目に立っておられます。 ご本人がそれに気づいていようがいまいが、どんな問題を抱えておられようが、ワークをしていくと、今が今生最大の人生の節目だということに気づかれます。 今のまま、このままの一本道を明日からも歩んでいくのか? 光さんが見せてくれた、新しい道を歩んでいくのか? どっちの道を行け!とは光さんは言いません。 ただ「こっちの道もあるよ、でもどっちの道も正解だよ、あなたの人生だからあなたが決めれば、それが正解だよ」というニュアンスで、光さんは決してその人の人生に介入はしてきません。 この中立さ(ある意味、いいかげんさ)があるからこそ、私はこの前世療法を介して、何か大きな力に導かれてやって来た人たちを光さんとの対話へとガイドしています。 おっと・・・このまま勢いでお原稿を書き上げてしまいそうなので、今日はここまで。 ******  *******  *******  ****** 前世療法の成果のご報告を募集します! 人体科学会刊行の「Mind-Body Science」からのお原稿依頼を受けました。 イントロダクション        大門正幸(中部大学) 医療現場での死を超越した現象・体験 稲葉敏郎(東京大学)        臨死体験と脳   カール・ベッカー(京都大学) 3.11後の死後存続を示唆する現象 金田諦應(通大寺住職) 中間生記憶(広義の胎内記憶)の意義 池川 明(池川クリニック医院長) 過去生記憶の意義(前世療法の癒し)  奥山輝実(奥山医院医院長) 日本における生まれ変わり思想の展開  岡本 聡(中部大学) そこで執筆の参考にしたいので、当院の前世療法をお受けになられた方々のその後の 人生観の変化・生きがいの創造感・身体&精神的変化 などをご報告いただければ幸いです。 ・原稿には症例としてイニシャル・年齢を載せるかもしれません。 ・当院での前世療法のみを対象とさせていただきます。 ・ご報告の謝礼はありません。 よろしくお願いいたしますね(*⌒▽⌒*) *******  *******  ********  ******* 前世物語 「先生、今度これで湯葉巻きを作ってあげるからね。こう見えても手料理には私、自信があるんだから」  私はとても幸せでした。このまま美味しいお酒を飲みすぎても、先生は何も咎とがめないでしょう。 「大丈夫だよ、朝粥をいただいてからバイクでかっ飛ばせば、朝の外来には間に合うよ。それにその革ジャンだと、看護婦さんたちにも二人の朝帰りはバレないからね」  そう言われることはわかっています。私の中で二つの愛が葛藤しています。  私はこの気持ちを話題にしてみました。 「この前の患者さんは一連の愛のワークが終わった後、愛するがために、愛を独占しようとしたがために、自分の心の奥底に憎悪と悲しみを募らせてしまった、と言っていました。今の私は、この目の前のお酒を一気に飲み干して先生の全てを独占してしまいたい、という熱い想いがあります。そして、今の心と魂の愛をもっと育んでいきたい、という眩しい想いもあります。ある意味で今の私は彼女と同じなのです。この愛から生まれた熱い想いは、いつ憎悪と悲しみに変わるかもしれません。先生、どうしたらいいのでしょうか?」  私は薩摩切子を手に取りました。先生はお銚子を眺めながら言いました。 「この人間界ではなかなか心が通じ合わないだろう。肉体を離れて魂に戻れば他の魂の想いがすべてわかることに比べると、ここはとても不便な世界だよね。美子さんも知っているように、私たちはわざわざ想いが通じ合わない世界を選んで生まれてきたんだ。魂の世界では愛を純粋に磨き上げていくことは出来るが、それは理論哲学的な愛であって、言わばクリスタルの愛になってしまうんだ。愛のクリスタルが純粋であればあるほど、それは巨大な愛のエネルギーを増幅することが出来るようになるんだ。つまり、より眩しく輝けるようになるんだよ。その究極は神々の光のように・・・だね。魂の愛を磨きあうだけなら肉体など持たずに魂のままでいる方が勉強になるはずだろう。想いが全て通じ合うのだからね。  と言うことは、私たちが人間界で生きていることにも重要な役割があるはずなんだ。ここは愛についての実践哲学的なセミナーなんだろうね。人間界では肉体と制限された時空間があり、心が通じ合わないが故に憎悪や悲しみなどのネガティブな感情、独占欲と嫉妬、そして制御不能な熱い想いなどが生じてくるんだ。肉体を持っている限り、あらゆる煩悩が襲いかかってくるからね、とてもじゃないけど、愛を純粋無垢に研ぎ澄ましていくことなど出来るはずがないんだよ。それは魂の世界にお任せ、なんだよ。

2014年10月4日土曜日

おはようさん 2014.10.4.

今日の午後は国立民族博物館のみんぱく友の会講演会に初めて参加してきました。 お題は、「特別展「イメージの力  国立民族学博物館コレクションにさぐる」関連 アート(美術)と人類学のあいだ―特別展「イメージの力」によせて―でした。 講師の先生のお話は、いわゆる「中の人」の企画&展示のコンセプトや苦労話の数々でした。 例えば・・・ 博物館に収納されれば「資料」となり、美術館に収納されれば「作品」になる。 英語のMuseumを日本語に訳す時に、「博物館」「美術館」の二訳が拡がって、以後、日本だけがその違いをどんどん明確化していった。 人は博物館に見に行く時と美術館に見に行く時とは、明らかにまったく異なったバイアス(呪縛)がかかっている。 博物館と美術館の垣根を越えたい。 みなさんの持っている固定観念を問い直してみて欲しい。 この「イメージの力」展は、先に東京の国立新美術館で開催されており、その時の会場写真を供覧していただけましたが、同じ展示物・展示構成でも、入れ物が異なると、受ける印象が大きく違ってくることに驚きました。 例えば、プロローグの仮面の部屋・・・世界中の仮面180余りの視線が一斉に降り注いできます。 (最下段の仮面は人の目の高さ 140cmに合わせてあるそうです) 東京では壁は白 みんぱくは黒です。 私はやっぱりみんぱくの黒壁の方が好きです。だって、妖しさ倍増だもん(;^^)ヘ.. もうひとつ・・・東京は巨大な平面会場での展示でしたが、みんぱくは階段を昇ったり降りたり・・・みんぱくは「イメージのワンダーランド」になったとのことでした。 東京での「イメージの力」展の案内は、「イメージの力」展の素晴らしさを左脳な方々にもより分かって頂けそうですし、今日の講演会の内容にとてもよく沿っていますので、コピペしておきますね。 人類の歴史は、イメージの歴史でした。イメージは文字に先行し、さらには言葉の源になったと考えられます。世界の本質や構造にかたちや色を与えて視覚化することは、人間に与えられた根源的な資質のひとつなのです。 イメージの創造とその享受のあり方に、人類共通の普遍性はあるのでしょうか。この壮大な問いをテーマに掲げた本展覧会では、世界のさまざまな地域で生み出された造形物を紹介します。展示されるのは、世界各地の資料を擁する国立民族学博物館の膨大なコレクションから選りすぐられた逸品です。同博物館と国立新美術館との共同企画である本展覧会は、イメージを地域や時代ごとに分類するのではなく、共通した造形性や効果、機能に着目して提示します。これは、造形物に対して私たちが持っている固定観念を問い直す試みでもあります。 国立新美術館の広大な展示室には、博物館でお馴染みの仮面や神像から、今活躍中の美術家の作品までが、美術館と博物館の垣根を超えて一堂に会します。儀礼に供されてきたイメージの圧倒的な生命力、文化交流から生まれたハイブリッドな造形の奥深さ、グローバル化した現代社会とともにあるイメージの活力を体感することによって、人類の文化に普遍的な「イメージの力」をご堪能ください。 みどころ 1. 美術館と博物館のコラボレーション 2007年に開館した国立新美術館は、近現代美術を中心にした展覧会の開催に努めてきました。一方、2014年に創設40周年を迎える国立民族学博物館は、世界各地の造形物や生活用具など、約34 万点を所蔵する世界最大級の民族学博物館です。まったく異なった2つの機関が共同で企画した本展覧会は、博物館の収蔵品がもっているアートとしての側面に着目し、これを美術館の展示室で展示しようという斬新な試みです。 2. イメージの根源を問う 国立新美術館は、人間が生み出した素晴らしい視覚芸術に対して、新たな見方を提示する展覧会の開催を目指しています。本展覧会は、世界のさまざまな地域とさまざまな時代を射程に入れて、人間とイメージとのダイナミックな関係に迫るものです。有史以前から人間は、色とかたちを駆使してイメージを生み出し、そこから新たな活力を得てきました。本展覧会は、そうしたイメージの力を壮大な規模で問いかけます。 3. 国立民族学博物館のコレクションを大規模に紹介 本展覧会では、大阪の国立民族学博物館のコレクションから、約600点にも及ぶ収蔵品を展示します。国立民族学博物館は、大学共同利用機関として文化人類学の研究を進める一方、世界の諸民族が生み出した造形物や生活用具を収集・公開してきました。関西で「みんぱく」として親しまれている同館のコレクションをこれほどの規模で紹介するのは、東京では今回が初めてです。本展覧会では、天井高8メートルにも及ぶ大きな展示室で、圧倒的な質と量を誇るみんぱくコレクションから選ばれた逸品の数々をご紹介します。 プロローグ――視線のありか 人間は、イメージを創造するとともに、自らが生み出したイメージから力を得て生きてきました。イメージの創造とその享受という、人間とイメージとのダイナミックな関係を問いかける本展覧会のプロローグでは、世界各地から集められた仮面で壁一面を覆いつくします。私たちは、強烈な眼力(めぢから)をもった色とりどりの仮面に四方から取り囲まれることにより、イメージに見られるという新鮮な感覚を覚えることになるでしょう。仮面の圧倒的な眼差しに晒されることで、私たちに迫り来るものとしてのイメージを体感することができます。 第1章 みえないもののイメージ 1-1: ひとをかたどる、神がみをかたどる 世界には、眼に見えないものを視覚化した造形物が数多く存在します。人間は、眼に見えないものにイメージを与え、それと関わることで、見えないものの力をコントロールしようとしてきたのです。神がみや精霊のイメージは、こうした人間の意思が込められた代表的な例でしょう。人びとは、自らの身体に似せて神がみのイメージを視覚化し、生きるための縁(よすが)としてきました。このセクションでは、人間が生み出した大いなる力のイメージに圧倒されることでしょう。 1-2: 時間をかたどる 地域や民族、宗教に固有の物語も、神がみや精霊同様に、眼に見えない領域に属しています。人びとは、生活を営む上で大きな意味を担っていた物語を、視覚的なイメージに留めようと努めてきました。それによって、物語は後世に伝えられていったのです。このセクションでは、仏陀の生涯を描いた仏伝図や曼荼羅、あるいはアボリジニの樹皮画など時間や物語をイメージに定着させる試みを世界各地に探ります。 第2章 イメージの力学 2-1: 光の力、色の力 光や色は、私たちの眼を引きつける強烈な力をもっています。たとえば鳥の羽による頭飾りや色とりどりのビーズで覆われた装身具が放つ光や色は、聖なるものとのつながりの表現として、あるいは、力や富の象徴として用いられてきました。また、邪悪なものを跳ね返すために、衣服や日用品に鏡や金属を貼り付ける行為は、世界各地で確認されています。このセクションでは、光や色が与える視覚的効果に人びとが見出そうとしてきたものを検証します。 2-2: 高みとつながる イメージには、私たちの視線をある一定の方向へ導く働きもあります。墓標などの高さを強調した造形物は、高みの世界、すなわち、他界へと繋がる回路を想起させます。死者の霊を地上から他界へと送りだしたり、神がみが地上に降り立ったりする道筋としてのイメージは、さまざまな地域と文化に普遍的に確認することができます。世界各地で集められた墓標や木彫などが林立する空間は、はるか上方の世界と、今ここに立つ私たちとのつながりを喚起することでしょう。 第3章 イメージとたわむれる 人間は、ある特定の目的のためにかたちを作り出すだけでなく、イメージを生み出し、それを享受することに歓びを感じてきました。コンゴ民主共和国の民族クバの人びとの女性用前掛け布には、多様なアップリケが施されています。この前掛け布には、穴をふさぐというアップリケの実利的な目的を超えて、作り手の創意工夫の跡がはっきりと示されています。このセクションでは、クバの女性用前掛け布からイースターエッグまで、作り手がイメージを生み出すことに歓びや楽しみを見出していることがうかがえる世界各地の作例を取り上げます。 第4章 イメージの翻訳 4-1: ハイブリッドな造形 人の移動や交流によって、かつて出会うことのなかったもの同士が交わり、新たなイメージが生みだされるということは、世界各地で確認されます。たとえば、英国国旗のイメージを「強さ」の象徴と解釈したガーナの民族ファンティの人びとは、それを自らの軍旗に取り入れています。本セクションでは、文化の交流の結果生み出されるハイブリッド(異種混合的)な造形に着眼し、外の世界のイメージを取り込むことで、新たな表現が生み出されていく様相を確認します。 4-2: 消費されるイメージ イメージは、通信や物流、生活様式の変化と深く関わっています。今日、消費の対象としてのイメージは、世界を均一に覆う勢いで拡散しています。セネガルやベトナムで観光客用のお土産として売られているブリキやアルミニウムの缶を利用した玩具は、世界中で商標が知られた飲み物の空き缶を用いて制作されています。これは、大量消費社会を背景としたポップアートを想起させます。このセクションでは、イメージが、めまぐるしく動くグローバル社会の中で消費されつつ、新たな姿と機能を獲得していくさまに迫ります。 エピローグ――見出されたイメージ 人間が作り出したイメージは、必ずしも、地域や文化を超えて、同じように受け止められ、解釈されるわけではありません。それは、誤解され転用されるだけでなく、時には、まったく新たな意味や価値を与えられ、その存在を大きく変えられることもあります。このセクションでは、あらゆるものを「作品」として機能させる美術館という場を利用して、博物館に収められた梯子やザルといった実用的な資料を、現代美術のインスタレーションの手法で展示します。それは、イメージの受容がきわめて主観的な行為であることを示すと同時に、イメージというものが常に新たな文脈に対して開かれていることに気づかせてくれるでしょう。展覧会のエピローグとしての本セクションは、美術館という場の機能と意味を問いかけ、イメージと私たちの関係をもう一度見つめなおします。 改めて読み直してみると、今日の講演会のお話そのもののレジメです。すばらしい! さて・・・今日のお話の中に「スピリチュアル系」な話題は皆無でした。 (かなり期待してたんですけどネ) 民族学、文化人類学って、てっきりスピリチュアル系だと思っていたけど・・・完全無欠な左脳学問でした(;^^)ヘ.. でもね、それこそ、そこに展示してあるものから何を感じ取り、どう解釈するのかは、自分自身なのだから・・・自分がスピリチュアル系なら、それなりの波動とシンクロして、目の前の「お宝」が輝き始めるのを楽しんだらいいのです。 仮面の部屋にジッとたたずんでいると、私は時空間を超越して、仮面たちの向こうに居る人たちと繋がることができます。 お宝たちの向こうから、祈りの声が聞こえてきます(注:幻聴じゃぁないよ!) まるで過去生に降りたかのように、お宝たちの向こうの匂いも喧噪も風も・・・人々のエネルギーを感じてしまいます。 まさに「ワンダーランド」です。 そしてお宝展示の「おしらさま」の前でフッと気づきました。 アーユルヴェーダの脈診と似ている・・・ 指先で触れているのは脈の拍動です。 そこまでが中医学や漢方の脈診です。 アーユルヴェーダの脈診では、脈の中の波動にシンクロしています。 生まれてから今までのすべての生体情報は波動となって血の中に保存されています。 だから、血にシンクロすれば、生まれてから今までの生体記録の見たいところを引き出してこれるのです。 脈の中の氣は、そんな血が放つ放射線のようなものです。 DNAと血は生きている限り、氣を放っています。 だから、氣は波動エネルギーとして用いることができ、今の生体情報は引き出せますが、詳しい生体 記録を知りたければやはり血にシンクロしなくてはなりません。 インドでは(もっと言えば、アトランティスでは)この血へのシンクロが当たり前に出来ていました。 それが中国に伝わると、氣へのアプローチが主流になってしまったわけです。 このことは、またいつか詳しく書きましょう・・・乞うご期待(*^^)v 前世物語  私は先生の背中に身体を押しつけました。背中のプロテクターが先生の心のように感じられました。 「愛とは貴くて純粋無垢です。愛には種類や形がたくさんあって、愛してばかり、愛を受け取ってばかりではつかみ取れるものではありません。愛されないという体験があるからこそ、愛を受けた時の気持ちがよくわかるのです。この前のワークでこのように言われましたが、これはそのまま受け入れることが出来る言葉だと思いました。  私は正直言って、大きな愛されない体験はなかったのですが、先生と再会して色々な愛の形を知ることが出来ました。先生は私に愛されなかった時の気持ちと愛を受け入れられた時の気持ちを鏡のように何一つ隠すことなく教えてくれたからです。私は先生とひとつの魂だったんだろうな、と思っています。スピリチュアルに二人の人生を眺めてみると、DNAのワトソン・モデルのようにしっかりと結びついています。二人で共に愛を学んでいるのです。  そして、私は先生の心の強さを尊敬しています。先生は愛されない世界にいても、心を開いて誰かを愛し続けてきました。もちろん先生は親や兄弟、友達に愛され続けてきたのですが、ワークに来られる患者さんを見ていると、そんな身近な愛に気づかない人がとても多いのに驚きました。いえ、これは愛されない人だけの課題ではありません。逆に愛されている人の方がこの課題に気づけないかもしれません。私だって夫を亡くしてはじめて、そんな身近な愛に気づいたのですから。先生は愛のない暗黒の世界でも愛を失わなかったのです。報われなくても、ただ愛し続けることが大切なのです。  人間は何のために生きているのですか? という問いに光は、『人を愛するためです』と答えました。愛されない時に愛さなければならないのです。それが生きる意味なのですね」 「そんなに持ち上げてもらったら、何だか湯豆腐だけでは申し訳ないなぁ」 「そんなこと、ないわよ。先生のラブストーリーは愛されない病、愛せない病の人たちの心を開くことが出来ると思うわ」 「そうかな? まぁ、神さまが書いたシナリオ通りに二人の人生が進んでいるからね、きっと誰かの役に立つんだろうね」  湯豆腐と精進料理が私たちの心を温かく癒してくれました。楽しく笑いあっている二人に中居さんが尋ねてくれました。 「朝粥のご用意をいたしましょうか?」  私と先生は顔を見合わせてから、ありがとうの笑顔で答えました。 「今日は私たち、一見さんですから、またの機会にさせていただきます。今度は雪見酒がいいですね」  私は心を開いて感謝の光をいっぱい込めて彼女に送りました。彼女の頬がパッと明るくなりました。 「私共も一見さんに朝粥をお薦めすることはないのですが、お客さまはとても良い気を放たれておられますので、ここの女将が、ぜひ朝粥もお召し上がりになっていただきたい、と申しております」  先生は大きく愛と書いてある医院の絵はがきを取り出して、本日はご好意を辞退させていただきたい旨を女将さん宛てに認したため、届けてもらいました。女将さんから、ごゆっくりどうぞ、という言葉と乾湯葉のお土産が届きました。

おはようさん 2014.10.3.

先日、初診された「どこで診てもらっても治らない頭痛&胸痛」の患者さんが、今日も刺絡を所望されて再来されました。 実は先日、両側不容(ST19)に刺絡した際に「実はこれからいつもの鍼灸院で鍼の予約をしてるんです」と言われて・・・「ついさっき、医院でここに刺絡をしてもらいました」とその鍼灸師さんに言ってごらん」と送り出しました。 今日、「先日、あれから鍼灸院でも鍼をしてもらったけど、明くる日、もうフラフラで動けませんでした」と言われました。 どひぇぇぇ まさか「さっき刺絡してきた患者さんに更に鍼をするなんて、なんて怖ろしいことを・・・ウソでしょう!」 蓮風先生が常々、鍼灸師のレベルの低さを嘆かれますが、ほんまに・・・その通りです。 食欲の秋 たしかにこの時期、ご飯やお芋、栗などをいただくと、身体がとっても喜んでいるのがわかります。 秋にしっかりと食べておかないと、厳しい冬を生き抜けない、そんな動物的DNAのせいかしら? そんな秋の味覚を太らない程度にちょこっといただくだけで、身体も満足&こころも満足で幸せハッピーになれます。 秋風と共に、心肝火旺・・・つまり冷えのぼせの患者さんがとても多くなってきました。 なんかイライラするとか、変な頭痛や生理痛や腰痛が酷くなってきたとか、胸がムカムカするとか・・・夢分流腹診するとすぐに心肝火旺&腎虚・脾虚なのがわかります。 分かってしまえば、あとの治療はその人に合わせてそれなりに!(*^^)v そういえば、近くの病院の総合診の大先生に「あなたは自律神経失調症や! 心療内科へ行きなさい!」と告げられて、私のところへ初診された患者さんも来られました。 診断は当たっています、西洋医学的にはネ。 そやけど、そこでSTOPしちゃいます。 あとは心療内科で向精神薬をたっぷり処方してもらいなさい・・・になっちゃいますよね。 患者さんもドクターも・・・哀れやなぁ。 ちょっと心肝火旺しちゃってるだけやのになぁ。。。 まぁ 東洋医学でもしばらくの間は、胃経を整えたと思ったら、胆経の乱れが表出してきて、次は腎経を元気にしなくちゃいけないし・・・なんて、いたちごっこしながら、気がつけば結局、全部の経絡を整えてました、なんてことになるわけやけど、それで治れば上等ですよね。 だって、脳内のドーパミンやアセチルコリンをいじくりまわす「特効薬」を飲まずに済むんやから。 ただ、そんな素晴らしい東洋医学も、こころ閉じちゃってる患者さんには効きにくいのです。 頭から疑ってかかって、攻撃的な患者さん 猜疑心の固まりの患者さん 天乃岩戸の閉じこもり・治りたくない患者さん そんな患者さんたちには東洋医学は無力で、西洋医学・向精神薬の方がよほど効果が期待できます。 そのあたりは、どんな患者さんなのかを見抜く洞察力と、どっちの治療をチョイスするのかの判断力・・・つまり直感力で臨機応変に使い分けていかなきゃいけないと常々、思っています。 P.S. 心肝火旺にはやっぱ 刺絡やでぇぇ 前世物語  先生が私の心にポツンと問いかけました。先生の声が波紋となってヘルメットの中を拡がっていきます。バイクの軽快なエンジン音と気持ち良い振動が私の思考を止めました。私は心のままに話しました。 「先日のワークで、感謝の愛が愛の基本形のひとつだ、と言われました。そこには感謝される愛と感謝する愛があります。今、私は先生に感謝しています。これは愛です。そして先生は私に感謝されて愛をいっそう深めています。これも愛です。  プレゼントだとか、行動だとか、それらはあくまでも物質にすぎません。愛を映すスクリーンなのです。愛とは純粋なエネルギーであり光です。それを放つ人の心のフィルターによって、どんな色にだって変わります。心が開けない人には暗い光しか放てません。心が閉じていても、心の奥底に憎悪を燃え上がらせている人は憎しみ色や悲しみ色にスクリーンを染め抜いてしまいます。  心が全開になって美しい愛のエネルギーを放つ人は、どんなにちっぽけなスクリーンでも真夏の太陽のように輝かすことが出来ます。ホラ、今の私たちは、あのお月さまに負けないくらい輝いていますよ。私たちの感謝の愛は心地よい波動となって、きっと銀河の果てまで届いています。目を閉じると、宇宙の愛のハーモニーが聞こえてくるような気がします」 「おっと、目を閉じたらダメだよ。おっこっちゃうからね」  私は我に返って先生をしっかりと抱きしめました。 「夫婦、親子はもちろんですけど、お友達、お客様、そして知らない人たちに何か物質的なこと、この世ではモノとサービスになりますが、そんな何かに関わる時には、それが自分の心のフィルターを通ってきていること、自分の心の奥底のエネルギーを放出していることを知っていなくてはなりません。特に夫婦、親子では、時々自分がどんなエネルギーを放出して、どんな光に見えているのかを鏡でチェックした方がいいでしょうね。毎日の生活に疲れ果てていると、自分でも気づかないうちに心のフィルターが雲ってくるし、心の底にネガティブな感情を溜め込んでしまいますから。最後にはフィルターが真っ黒になって心が閉じてしまい、心の奥で憎悪のエネルギーが核融合反応を起こして大爆発してしまいますからね。そして心のブラックホールが出来上がります。心のブラックホールはどんな光をも吸い込んでしまいます」 「そして、家族が崩壊してしまうんだよ」  先生は寂しそうに呟きました。 「今日は私が先生の心を掃除してあげるわ。大丈夫だからね。私は先生にこうやって命を預けているのだから、先生は私に心の鍵キーを頂戴ね」

2014年10月3日金曜日

おはようさん 2014.10.2.

いつもの木曜日の午後は藤本漢祥院で蓮風先生に鍼治療をしていただく「至福の時」ですが、今日は秋の謡いの発表会に向けての相方(シテ役)との合わせ稽古だったので鍼はお休みしました。 午後の空き時間は、もちろん 超マイブームな「みんぱく イメージの力展」へGOGOGO! 予想通りの平日の午後・・・目が眩むばかりのお宝たちを独り占めできました(*^^)v 前回、時間切れしてしまったところから、ゆっくり&じっくり写真を撮らせていただきました。 もちろん今日のカメラもテレローライ君!(with ローライナー) お客さんがいないので、変に気を使うこともなく、その分、より集中して撮れました。 さぁ、どんな写真が上がってくるかな? みんぱくの魅力は、時空間旅行です。 仮面 衣装 お墓に棺桶 オモチャ・・・ひとつひとつに濃厚な時空間が宿っています。 これはおもしろい! と思った瞬間・・・ 世界中のあらゆるところへ、あらゆる時相へジャンプしてしまいます。 ひとつひとつのお宝ものには、それを作った人たち、それを信じ祈った人たち、それを使っていた人たちのこころが、それも今なお生きている!こころが息づいています。 これのどこかに惹かれるんだよなぁ・・・そのお宝ものに深く繋がっていた人たちのこころと共鳴し合っている証です。 その瞬間に、自分を守るように取り巻いている氣のどこかがビリビリと反応しています。 自分の中を流れている血の波動のどこかも ビリビリしている氣と共鳴すると、だれの血の中にも残っている、時空を越えた古い古いエネルギーが蘇ってきます。 過去生を見るのと原理は同じですが、みんぱくの場合、過去生のような古い記憶よりも、その時代、その民族部族で培われた知恵(知識ではなく知恵:右脳的&直感的 そして大宇宙の理のかけら)がDNAを介して沸き立つような、踊り出したくなるような、自我そのもの(私とは? 生まれてきた意味は? 生きている意味は? などなどの究極の答え)のエネルギー体となって血の中に蘇ってくるような感じがします。 つまり・・・ みんぱくのお宝たちは、氣と血の波動を高めてくれます。 みんぱくの効能 ・直感力が冴え、拡がります。(シンクロが増えます。予知力もアップします) ・相手の気持ちがよりわかるようになれます。(共感力UP!=輪の力UP!) ・人を信じて、人を尊敬(大切に)できて、人を愛せて、人を許せるようになれます。(和の力UP!) ・氣の力 血の力がアップするので、病気が治ります。 ただし・・・仮面はこわ~い! 気持ち悪~い! 未開な人たちってかわいそうねぇ・・・そんなお子ちゃま族には、この効能は出ませんので、悪しからず。 万博には何年も前から四季折々の花を撮りに来ていたのに、なぜかみんぱくに入ったことはなかった私ですが、去年から鍼灸を始めて、氣血がとてもよくわかる手になり、日々、診療で鍼灸をするようになって・・・つまり大きな人生の節目を迎えて、いよいよ次の段階へと神さま:大いなる光さんが導いてくれたのだ、と思っています。 こうなると、天職も使命もソウルメイトも生きがいも、どうでもよくなってしまいます。 ただ、目の前の今日という一日を、しっかりと楽しみながら生きれば、それで大丈夫なのだ!ということがわかってしまうからです。 そう、みんぱくのもうひとつの効能は、意識の浄化 内なるアセンション 新たな悟り が始まることですね。 前世物語 「恋すると成長ホルモンが大量に分泌されて身体が若返っていくんだよ。更年期障害の一番の薬は、『ドキドキする恋をしなさい』なんだからね。そして心を開いて魂のレベルから愛のエネルギーを汲み上げていると、成長ホルモンが枯渇することはないんだよ。はっきりとした証拠はないけれども、恋する人、誰かを愛している人は一目見ただけでわかるだろう。愛のエネルギーがオーラとなって後光のように輝いているし、肌艶だってピチピチしているものね。歳は関係ないよ。老人ホームで恋愛関係になったお年寄りが一気に若返ることがしばしば話題になっているからね。恋して愛することが老化予防、健康維持のための最も安全で強力なアイテムなんだよ」  以前、先生はそんなことを言ってました。それにしても・・・こんなクレージーな先生と楽しくおつき合いしている私も結構、クレージーなラブリーおばさんなんですね。でもこれが、そしてこの今こそが「人生を楽しみなさい」なんです。私はブルーのヘルメットを見つめながら、心地よい気づきに満たされていました。ん!? まさか・・・ヘルメット三つ当てたら愛してるのサインだよ、なんて言わないでしょうね・・・そう言えば、先生のMDコンポのそばにドリカム、置いてあったなぁ・・・。これは危ないぞ!? 「美子さん、ヘルメットにこのイヤホン・マイクをつけるんだよ。これでライディング中のお話もオーケーだからね」  私がホッとした隙に、先生は革ジャケットを肩に掛けてくれました。 「これもいいだろう。私には小さ過ぎたんだけど、美子さんにはやっぱりピッタリだった! 良かった、良かった。ホラ、鏡を見て! 今日のジーンズとのコーディネートが抜群だなぁ。とっても格好いいよ。でもこれ、秘密にしてたんだけどなぁ、どこでバレたんだろう?」  私はイタリアン・スタイルの革ジャンに身を包んで、ブルーのヘルメットをかぶってみました。鏡の中にはブロンドで瞳がグリーンの私が颯爽さっそうと自信に満ちた面持ちで立っていました。彼女はまるで私の過去生のようでした。その瞬間、私は過去生の仕組、時空の本質にわずかですが触れたような気がしました。  秋の夜は早くやって来ます。大きなお月さまが昇ってきました。私たちのディナーは山科の湯豆腐に決まりました。先生はお月さまに向かって走り出しました。 「ねえ、美子さん、愛とは何ですか?」

2014年10月2日木曜日

おはようさん 2014.10.1.

今夜は能楽大連吟「高砂」のお稽古初日に、夕診終えてから一路京都へバイクで駆けつけました。 私は今年で大連吟3年目。 講師の先生方の個性あふれるご指導に何度もハッとしながら、思いました。 1年目は、私の中では高嶺の花・・・興味はあるけど、あまりに敷居が高すぎて手も足も出ない・・・そんな感じだった能楽の謡いに参加できたことに(それもとってもお安く!!)、もううれしくて&うれしくてたまらなかったのを覚えています。 何百回も教材の高砂CDを聴いて、ともかく耳覚えしよう!と意気込んでいたのがとても懐かしいです。 2年目の去年は、謡いを月二回で深野師匠に習い始めていたので、ちょっと余裕の感・・・怖いもの知らずでした。 教材の高砂CDを聴いて、去年とはここが違うな・・・なんて、よくゴルフで中級者が 初心者に教えたがるでしょう? あんな感じのお子ちゃまな優越感に浸っていました。あな 恥ずかしやぁぁ(^^ゞ そして3年目の今年。 実はまだ今年の教材「高砂CD」を聴いていません。 もうすぐ深野師匠社中の秋の発表会があり、私は「経正」の謡いのシテ謡いをさせていただくので、練習はもっぱらそちらへ集中しているせいもありますが、大連吟の高砂パートは「経正」が終わってからでも十分だから・・・なんて、相変わらずのお子ちゃま余裕のせいでしょうね。 今夜、全体稽古初日に参加してみて、怖いもの知らずが怖いものを見てしまい、能楽の、伝統芸能の深遠さを思い知らされました。 私は去年のお稽古から正式な謡本「高砂」で地謡パートを謡っています。 今日、久しぶりにその「高砂」本を読みながら謡ってみると・・・この一年の稽古の成果が如実に感じ取れました。 そう、去年の数倍、謡い本が読めて謡えていたのです。 音楽をやる方ならわかると思いますが、楽譜がスッと苦も無く読める・・あの爽快感です。 だからこそ、怖いものが見えてきたのでした。 高砂はお稽古レベルではかなり高度な謡いです。 とても難しい節回しがいくつも重なり合いながら出てきます。 それを師匠たちは素人でも謡えるように、簡単に&わかりやすく表現しなおしてテキストにしてくださっています。 今夜のお稽古でも、そんな難所を肝心な要所ははずさずに、初めての方々でも(もちろん謡いの知識ゼロでも)何とか謡えるようにとても上手に指導されていました。 怖いものを見た・・・それは書の達人が幼い子供たちの手習いをしてあげているようでもあり・・・そう、その道のプロだから持てる余裕と優しさを見たのです。 大連吟「高砂」 毎年、同じ地謡パートですので、あきるかな? と思っていましたが、いえいえ! 毎年秋に同じ曲を練習し直すことの素晴らしさに気づいた今夜の練習初日でした。 いちにちのお仕事で疲れていたけど、がんばって行った甲斐がありましたよ(*^^)v 前世物語 「美子さん、今日ね、これからバイク屋さんに行くんだけど、一緒に行かない?」  今朝、私が顔を洗っていると私のニンフたちがやって来て、今日はジーンズをはいていけ、と勧めたのです。昨夜買ってきた黄色のバラたちもパウダールームの中で元気な声で笑っています。私はとっておきの日のために買っておいたトラサルディをはいてみました。鏡に映った私がとても生き生きしています。私は鏡の中の彼女に思わず話しかけてしまいました。 「何か良いこと、あったの?」  先生が予備のヘルメットを貸してくれました。さすがにブカブカです。 「まぁ、すぐそこまでだから辛抱してね。さぁ、乗った、乗った」  先生のバイクに乗せてもらうのはこれが初めてでした。いえ、私が初めてのはずです。お互い緊張で身体がガチガチになるはず・・・でしたが、二人とも意外とリラックスしています。私は先生を優しく抱きかかえるように大きな腰骨につかまっていました。 「息がピッタリだわ。この感じ・・・なんだか懐かしいけどなぁ、何だっけ?」  そんなことを考えているうちに、バイク屋さんに着いてしまいました。 「はい、これ、美子さんのヘルメット。サイズは大丈夫かな? タンデム用のヘルメットだからジェットタイプにしたんだ。何と言っても夏はこっちの方が快適だからね」  先生はそう言いながらブルー・ホワイトにペインティングされたヘルメットを差し出しました。ヤマハのマークが兜の紋章のように見えます。サイドにはネームまで入っています。 「Y O S H I K O . ___ A +」 「先生、ありがとう! 素敵なヘルメットだわ。ブルーがとってもきれい。ねぇ、先生も買ったんでしょう、見せて!」  先生は当然、色違いのお揃いにしているはずだわ、だって・・・あの先生だもん・・・ホラ、やっぱりね。  先生のヘルメットは黄色でした。車体が黄色だから・・・とは言っていますが、実はタンデムしたら私のブルーが一番引き立つように、と考えているんです、そういう先生なんですよ。そう、ネームは・・・ 「T E R U M I . O K . A + 」  やっぱり、です。先生と一緒だと、「この歳になって・・・」という口癖がはるか未来へと消え去っていきます。心も身体もどんどん若返っていくような気がします。いえ、実際に身体が若返ってきています。肌も爪も光沢が戻ってきました。髪だって黒くツヤツヤしてきました。

2014年10月1日水曜日

おはようさん 2014.9.30.

今日のこのニュースに拍手喝采しました。 アイスランドの自然保護団体「ラワの仲間たち」が首都郊外のアイスランド大統領邸と首都レイキャビクを結ぶ自動車道の建設計画を封じ込めた。 同団体はアイスランド最高裁に提訴した。いわく、道路が建設されればそこに住んでいるエルフ(妖精)たちの数千年におよぶ文化が破壊される。選ばれた者にしか見えないものの、そこには彼らの建てた建物、あまつさえ教会もある。 裁判所は訴えを認めた。アイスランド大学が行った世論調査では、国民の62%がエルフの存在を信じているという。 すごいですね、アイスランド。 これこそ現代版の大岡裁きです。 アイスランドが「一番行きたい国」になっちゃいました(*⌒▽⌒*) 日本にも道祖神やお地蔵さまがいたるところに居ました。 八百万の神さまたちが水を守り、田畑を守り、道行く人たちを守ってくれていました。 国民の77%が初詣に行く日本では、身近な八百万の神さまたちの「数千年におよぶ文化が破壊され」て久しいですよね。 そして嫌な・信じられない犯罪がどんどん増加してきています。 こころが卑しく・貧しくなってしまいました。 八百万の神さまたちが見えるはずの「選ばれし者」神職の人たちの誰かひとりでも、今でも神さまと繋がっている人が残っているのでしょうか? 光さんも神さまたちも口を揃えて「いない!」と怒ってますよ。 エルフの存在を信じて自動車道を作らないアイスランドの人たち。 山の神々の繋がりを大切にしているからトンネルを作らないブータンの人たち。 人として、人間らしさ、幸せさとして、日本よりもかの国々の方がはるかに善き国のように思えます。 ちょっと昔の日本も、西洋人たちから同じように、幸せな善き国として賞賛されていたのにね。 もう 戻れないのかな? いや、日本人としてのイデア 善と美は、まだまだこころの奥に健在だと信じています。 このイデアが消え失せれば、世界は終わると言っても過言ではないでしょう。 今は思いっきり人間の暗黒面のど真ん中に向かって振り切れてしまっているこの国ですが、多分・・・世界大戦を引き起こすちょっと前に、光に向かって急激に揺れ戻ってきながら勢いを強めて、一気に光の世界へと飛び出してしまう・・・ビジョンを大いなる光さんが少しずつ見せてくれています。 これまで何千年の間、繰り返してきた世界の光と闇の、善と悪の輪廻を断ち切るチャンスがもうすぐ到来するそうです。 もちろん、予想を上回る世界規模の天災人災にも襲われるでしょう。 でも・・・人は生き残ります。 ここにこうやって繋がっている人たちには、15ヤードのアドバンテージをくれるそうですよ。 よかったですね。 その時が来れば、宇宙から見る地球の彩りがパッと変わるそうです。 人の色、肌の色は変わりませんが、衛気・オーラ つまり身体を取り巻いている氣の強さ・波動が大きく変わるので、人の色も変わったように見えるそうです。 楽しみですね。 みんなのこころが開いて、誰もが愛で充ち満ちている・・・ほら、本当はもう知ってるでしょう? 思い出してごらん、(宇宙で言うところの)昨日まで、そうだったんだから。 ・・・まるで♪イマジン♪ですね。 ほら、明日を信じて。大丈夫だからね。 前世物語  その日の夜診の患者さんはとても多くて、彼女の一連のワークについて、すぐに先生とお話することは出来ませんでした。そして翌日から月初めとなり、先生はレセプト作成と日々の診察に忙殺されて、しばらく二人でゆっくり過ごす時間は持てませんでした。でも、それはまるで神様が私に、ひとりでしばらく考えなさい、とおっしゃっているように感じられました。私は心の中で、『愛とは何か?』という問いかけをマントラのように繰り返し唱え続けていました。  一週間が過ぎました。木曜日の午後のワークが終わって、久しぶりに先生とゆっくりとお茶が飲めました。私はまだ、愛についてのはっきりとした気づきをつかめていませんでした。以前の私だったら、まるで八月末の子供たちのようにムシャクシャ、イライラしていたと思います。でも先生の近くで一日を過ごすようになってからは、そんなイライラも何処かへ飛んでいってしまったようです。 「気づきなんていうものはね、シャカリキに求めたって得られるもんではないよ。アー・ハーって言うだろう。ある日、ある時、突然にやって来るもんなんだ。それもハレー彗星のように人生に一、二度見られるかどうか、なんて頻度ではないんだよ。私たちのまわりには素晴らしい気づきがゴロゴロ転がっているんだ。ただね、私たちにそれが見えないだけなんだよ。  『今』にしっかりと着地して、『今』の中で心を開けば、『今』の中に過去も未来も見えてくるんだよ。すべての存在ものの中に八百万やおよろずの神々が居ましめすのも肌で感じ取れるようになるんだ。妖精とお話しだって出来るんだよ。ただ心を開いて、『今』に生きればいいことなんだ。  気づきは妖精たちが運んできてくれるのかもしれないね。そのためには、妖精たちにごあいさつが出来ないといけないだろう? どんな人でも心を開いて『今』に集中できれば、必ず妖精が心の中に話しかけてきてくれるからね。一度、妖精たちとお友達になれたら、後は妖精たちがどんどん気づきを運んできてくれるからね。磁石で引き寄せたように気づきが集まってくるから、覚悟しとかなきゃいけないよ」  以前、先生が教えてくれた妖精のお話です。今、確かに私もたくさんの人たちに支えられているのがわかります。ただそれだけじゃありません。もっともっと大きくて広大な力に見守られているのがわかるのです。それが愛・・・なのかもしれません。私はそんな愛を知ってから、心がますます静かになってきたように思います。