2014年10月14日火曜日

おはようさん 2014.10.13.

今日は台風に振り回されました一日になりました。 大阪は台風が来ないからええなぁ・・・なんておばあちゃん患者さんたちが口々に言うもんだから、見事に大阪が直撃されちゃいましたね。 教訓「口は災いの元」です。 もっとも当初は、スーパー台風が室戸岬から紀伊水道を北上して、勢力が衰えないまま大阪直撃!だったので、これも教訓「不幸中の幸い」でした。 ただし、これで「だから大阪は大丈夫なんや!」って油断すると、東南海地震とかを喰らっちゃうので、ここは教訓「勝って兜の緒を締めよ」ですね。 大阪からまるで家康の伊賀越えコースを辿るように去って行った台風も、長野、甲府、そして東北に暴風雨をもたらすかもしれません。 台風が大阪を去った後、いつも思い出す詩があります。 りんごとなみだの落ちる音           三和小学校 四年 澤田龍太   黒い雲の広がった空を見上げて   お母さんは   手をあわせて おがんでいた   目には   いっぱい なみだがたまっていた   せなかをまるくして   じっと 手をあわせている   こんなお母さんを見るのは はじめてだ   ぼたぼた ぼたぼた   畑でりんごの落ちる音がする   赤い大きな「世界一」が   ふくろのかかったままの「むつ」が   風にたたかれて   枝からはなれていく   ぼたぼた ぼたぼた   りんごの落ちる音は   お母さんのなみだが 落ちる音だ   お母さんの丸いせなかを見ていたら   ぼくの目からも なみだが落ちた リンゴ農家の人たちと一緒になって落ち込むのは簡単です。 台風だから仕方ない、大自然の前では人間は無力だ、と諦めてしまうのも簡単です。 それは不幸のどん底のリンゴ農家の人たちのものです。 被害がなかった、しょせん人ごとな私たちに出来ることは、「だから今、何をしてあげられるか?」でしょう。 国や行政や赤十字などが思いつくことは、お金の支援くらいです。 でも、わたしたち、庶民にもできることはいっぱいあります。 ちょっとお金を使って、知恵を働かせて・・・GIVEではなく、Win Winの良策だってあるはずです。 何も しらねで           小和森小学校 五年 工藤尚孝   「こんなに売れるのに   もっとたくさんもってくればいいのに   青森の落下リンゴ 五個で百円   お手つだいしたい」   テレビで 東京の主婦が言う   何も しらねで   落下リンゴ拾うのも   東京まで運ぶのも   ただでないのも しらねで   東京まで持ってくればいいだって   一箱千円ちょっとで   売り出すのに 持ってくればだって   一個百円もの金かけて 育てたのに   たった二十円で 売るのだのに   何千箱も 地面にころがって   ひろう人手もなく   雨にうたれ   くさりかけているリンゴ   ジャム用のれいぞうこでも   半分はすてねば なんねんだ   ころんだ木々   さけた木 たおれた木   リンゴなるのに 六年もかかるんだぞ   助成金って   かりる金なんだぞ   たった三個より なっていない   リンゴを見ながら   くさりかけたリンゴを   思いきりふんづけた 庶民にできること・・・例えば、リンゴジャムを作る。みんながリンゴジャムを作る。 キズがあったって、落ちたリンゴだって、すぐに食べれば大丈夫(生協でよくキズ果のリンゴを買うけど、結構日持ちしますからね・・・それに果実は腐りかけた頃が一番美味しい!) マスコミだって、リンゴ農家が大変です、なんてお涙ちょうだいニュースを垂れ流すのではなく、リンゴ拾いボランティアを募るとか、みんなでリンゴ拾いに行くから高速料金を1週間、無料にしろ!と声を上げるとか、傷果や落ちたリンゴの美味しい食べ方を シェフたちに聞くとか、味はかわらないのだから100円以上で買いましょう!と良心を煽るとか・・・ほらね、ちょっと考えただけでもWin Winな手立てはあるものですよ。 最近の政治やマスコミに欠けているもの、それが人のこころに、平和に、愛に最も大切なものに気づかされた台風一過の夜でした。 前世物語  この症例は過去生の部分がとても長くなったために時間切れとなり、光からのメッセージが少なくなってしまいましたが、内容はとても充実しているように思いました。  遠くにいる肉親や愛する人の死を直感的にわかることがよくあります。非科学的ですが、「虫の知らせ」と言われるくらい世の中で受け入れられている直感です。この症例は、そんな虫の知らせの仕組を私たちに見せてくれました。この症例の家族は「死んでからも魂が残る」と強く信じていたので、夫の魂は妻と話し、夫婦の魂は娘と話が出来ました。この症例のように、「虫の知らせ」の強さと「肉体の死後も魂は残る」という考え方は相関しているように私は思っています。  この過去生ワークには、亡くなられた方の魂とのコンタクトを目的にされている方がしばしば来られます。もちろん唯物論の方はこのワークをお受けになられませんから、みなさん、程度には差があるとしても死後の魂の存続は信じておられます。ですからワークの前のインタビューではほとんどの方が、亡くなった時の虫の知らせがあった、その後も亡くなられた方の何らかの気配を感じた・・・と言われます。そしてワークの成績でも、魂の存続を強く信じている方ほど容易に亡くなられた方の魂とコンタクトできた傾向が見受けられます。  「信じるものは救われる、だよ」と先生は簡単に言いますが、幼子のように素直な気持ちになって心を開くことが出来れば、誰にだってこの症例のように親しい魂とお話が出来るのかもしれません。このワークの催眠誘導は、大人の常識、世の中の常識が作った強固な心の扉を一つずつ開いていく作業だ、と言えるのです。だからこそ、心が頑固な人は難しく、心が素直な人は容易に過去生へ戻れるのでしょう。