2014年10月17日金曜日

おはようさん 2014.10.16.

最近、鍼の力がアップしていると感じています。 以前と同じように鍼をしてる患者さんたちの中に、「効き過ぎてしんどかった」という方が出てきたからです。 証を外している「しんどさ」ではなく、長風呂のような効き過ぎのようです。 実は、心当たりがあります・・・でも、さすがに怪しすぎるので、ここでは書けません(;^^)ヘ.. これまでは全力100%で鍼をしていればOKでしたが、これからは黒帯になったつもりで、「この手が生かしもすれば、殺しもする」ことを肝に銘じて鍼をしていきます。 どこで診てもらっても楽にならない難治性の病気や症状の患者さんたちの治療経過を俯瞰してみて気づきました。 初診では、身体の病気だろうが心の病気だろうが、すべて東洋医学的に体表観察します。 西洋医学的な診断と東洋医学的な弁証診断が浮かび上がってきます。 西洋医学的な薬が必要なら、それを処方します。 東洋医学的な治療:漢方薬や鍼灸治療 が必要なら、それらも処方します。 最近は、初診で刺絡治療する方も増えました。 どんどん良くなっていく典型的パターンは・・・ 刺絡+漢方薬 → 鍼灸+漢方薬 → 漢方薬だけ  改めて刺絡治療の効き目に驚いています。 今日も、良くなった患者さんが「知り合いがリストカットを繰り返してるけど、○○○の辺りに先生のようなドクターはいませんか?」と尋ねられました。 これはよくいただくご質問ですので、お答えします。 「いません!」 それらしいドクターたちが自薦他薦でFBの友だちになりますが、だれひとり・・・同じベクトルで診療しているドクターには巡り会っていません。 わたしとしては、同じベクトルで真摯に医に向き合っているドクターたちとお友だちになりたいし、そんなドクターたちとネットワークを組んで、紹介し合えたらとっても嬉しいと思っています。 でも・・・いないんだよなぁ(>_<) ただ、これはオフレコだけどね 最近、そうごく最近、天地自然の理さん、宇宙の理さんが満を持して動き出してきて、門真の地から、どこかよその新天地へと診療の場を移す予兆を感じています。 どこだろう・・・まだ全然わかりません。 こういうことは二転三転して、まさか! って答えが出てくるのを何度も経験してますから。 ただひとつ 言えることは・・・関西より東ではありません! 意外と大阪内かもしれません。 また、もうちょっとはっきりしてくれば、みなさんにお知らせしますね。 ♪ あなたの街へ ルンルン ♪ (*⌒▽⌒*) 前世物語  そして『今』を生きるということは、この世で肉体を持って生きている自分を知る、ということでもあります。この世限りの肉体を持っている自分を使って、脈々と続いているこの魂を表現するのです。魂が心と肉体を支配しているように思っていませんか? 哲学的な立場や魂の世界から見れば、そのようにも見えるかもしれません。この症例の夫も哲学をしていて、自分が実際に戦わなくてはならなくなった時、哲学の無力さに嘆き悲しんでいましたね。しかし大切なのは、今、この私たちは肉体を持って生きているということなのです。この世に肉体を持って生きているということは紛まぎれもない真理なのです。 その真理の意味を私は、この肉体を通して自己の魂を表現することなのだと思います。この人生で自分というものを描き尽くせるだけ描ければ、この人生は成就するのです。  ゴッホは数多くの向日葵ひまわりを書きました。向日葵はひとつです。しかし、道を歩む者には同じ向日葵の絵は書けません。向日葵があなたの魂です。一枚の向日葵の絵があなたの人生です。どの向日葵の絵もあなたの魂を表現しています。どの絵もあなたの魂そのものなのです。暗く悲しい絵も、明るく楽しい絵も、抽象的で訳のわからない絵も、みんなあなたの魂の姿なのです。あなたの魂は肉体を持つ人生の上に、今度はどんな絵を描こうと思って生まれてきたのでしょうか? だから・・・あなたはこの人生を生き抜かなくてはならないのです。  煩悩に満たされたこの肉体は卑しきものだと思っていませんか? 肉体に宿る煩悩は絵具なのです。煩悩の絵具があなたの魂に色を与え、人生というキャンパスにあなたの魂の姿を描き出してくれるのです。  私は鍋島藩の『葉隠れ』の真意を、自分の足で大地を踏みしめて今を生きろ! にあるのだと思います。死も過去や未来からも解き放たれて己を武士として美しく描き出すために、今、この時を生きろ! と言っているように思えます。これは一見ナルシシズムのようにも見えますが、今を生き抜いている自分の中に美を極め、自己の中に神や仏を見ようとしていたのではないか、と私は推察します。美と神性が武士道を通じて描き出せる魂の姿だったのです。  悲しいことに先の戦争では、葉隠れをはじめとする武士道そのものをただの尚武的な思想で覆いつくしてしまいました。死と生の上に不安と恐怖と悲哀を厚く塗り付けて、『死を怖れぬロボット』を作り出す思想に利用されました。死を越えたのではなく、誰かが死に目隠しをしただけだったのです。もちろんそんな状況下でも死の意味を悟り、今を生き抜いて死んでいった人たちもおられます。しかし洗脳されたまま死んでしまった人たちの数はどれほどだったのでしょうか、心が深く痛みます。  先程の質問はこの点から言っても、とても良い質問なのです。つまり、この過去生退行によって得られた知恵は神々の光のように無色透明でもありますから、その気になればどんな色にも染めることが出来ます。人々の心を洗脳するための格好の材料だとも言えるのです。大量虐殺の口実にも、自爆テロの教義にも使い得るのです。『今』を生きようとしている私がそのようなことを心配し、将来に不安を抱いていては笑われてしまいますね。でも、この二元性の人間界では必ずポジティブな面とネガティブな面が同時に生じてしまいます。ワークを介して得られた光や神々からのメッセージを広く伝えようとすればするほど、ネガティブが想念となり、形あるエネルギーとなって襲いかかって来るのです」 「それはまるで二十世紀の原子爆弾と原子力みたいな関係ですね」 さっきの生徒が言いました。 「そうですね。ただし原爆よりも恐ろしいのは、これは信仰や思想の形をとって急速に広まってしまうことなのです。ネガティブな想念は心の伝染病みたいに、あっという間に拡がります。この新時代は世界がグローバル化していますから、世界中が一気に洗脳されてしまうことだってありえます。それを防ぐには、自己のセンターをしっかりと『今』に持つ術を伝えなくてはなりません。これは誰にでも簡単に受け入れられる術ではありません。スピリチュアルなプロセスを前向きに歩まなくてはならないからです。例えば、自分の物欲や金銭欲を客観的に見つめることも必要になります。これだけでかなりの人々が脱落してしまいますよね。ポジティブな理念は心の目が開いている人にしか、なかなか見つめられないものなのです。前途は多難ですが、今日のこのゼミのように一歩一歩進めていかなくてはならないのです」