2014年10月28日火曜日
おはようさん 2014.10.27.
奥山医院からのお知らせ
院長忌引きのため・・・
10月29日(水曜)の夕診はpm4〜5時半まで(受付は5時まで)
10月30日(木曜)の午前診はam8〜11時半まで(受付は11時まで)
とさせていただきます。
もう15年近くも診続けている引きこもりの青年(もう中年になっちゃったけど)がいます。
アーユルヴェーダの治療を受け、瞑想を続けたり、
漢方薬を飲み続けたり、
もちろん、向精神薬もかなり服用されています。
去年からは蓮風先生の鍼も受け続けてくれています。
それでも、良くなれば家業の農業の手伝いはできますが、3週間ほど続けて仕事をすると、1~2週間はへばって引きこもります。
この夏は調子が良かったので、このままブレークスルーするんじゃないか!って期待してましたが・・・
秋に入って、ずっと引きこもったままです。
どこがしんどい? どんな具合にダメなのか? に全く答えられません。
よくあるんですよねぇ こういうタイプの「しんどい病」って。。。
最近は蓮風先生のところまで行く元気がないからと、いつもの診療の際に、うちで鍼をしています。
顔は赤鬼のように真っ赤、お腹は熱邪だらけ・・・肝火上炎の大爆発!ですね。
当然、刺絡・・・最初の数回はとても良く効きました。
仕事にも行けるようになったので、もう大丈夫!と思ったら・・・また重度の「しんどい病」に(>_<)
でもね、今日も刺絡&鍼をしながら思いました。
私が治るって信じてあげられなくなったら、もうこの人の人生は終わってしまうもの。
蓮風先生のカリスマなところは、これは治る! 自分が治す! という確たる信念に基づいて鍼をされているところです。
だから私も、うちで治らない患者さんたちを安心して蓮風先生に託すことができます。
自分は治るって信じてあげられることって、とっても大切なことなのです。
そこで話は変わって・・・
親は子供をだましてはいけません。(子供は親をだましてもいいけどね)
親は子供を裏切ってはいけません。
そして、親は子供を信じなきゃいけません。
さて、「子供を信じる」を誤解してるアホ親が多いですよね。
子供は事件を起こして・・・「うちの子に限ってそんなことは ・・・」というパターンです。
子供が 被害者になることも、加害者になることもあります。
これは子供が大人になっていく過程で、どうしようもないことです。
もちろん、やって良いことと悪いことを教えるのは親の責務です。
最近のアホ親は、子供の躾けまで学校の先生に押しつけるらしいけど・・・もう末世ですね。
これは「子供を信じる」よりずっと低レベルな話です。
「うちの子に限って、そんなことはしません!」は「子供を信じる」ではない! ですよね。
子供を信じるとは、加害者になってしまった子供がいつかちゃんと立ち直れる! と信じられることです。
誰かが信じてくれていて、誰かが見守ってくれていれば、必ず自立できます。
人生マラソン 途中で転ぶことも、足にまめができることも、お腹が痛むこともあります。
歩いて、立ち止まって・・・それでもまた走り出すよ!と信じて声援を送り続けることが「信じること」です。
子供を信じる。
子供が病気になってしまっても、こころが病んでしまっても、
世界中の医者たちがサジを投げても、
いつか必ず元気になる!と信じて声援を送り続けることができるのは親だけです。
これが「子供を信じる」ということです。
私は患者さんの親ではないので、親御さんの信じる力には叶いませんが、それでも「治る!」と信じる力を、治す力をもっともっと高めていきたいと思っています。
会う人 みんな 神さま
患者さんも みんな 神さま
今日は神さまから叱咤激励されたような気がします。
前世物語
「そのまま死ぬ直前に進んでください。今、どこにいますか?」
「同じ自分のテントの中です。五十四才になっています。そばに敦子さんがいます。足もとに三人控えています」
「死ぬ間際に何を思っていますか?」
「テントの上の穴を見ながら、やっと終わるんだな、と思っています。何だかホッとしています」
「あなたは結婚したの?」
「しませんでした」
「なぜ?」
「仕事を全うしたかったからです。少しストイックにやり過ぎて、厳しい役割を担うことになってしまいました。あまりに禁欲的、克己的だったのもちょっと間違っていたのかな、と思っています」
「あの後、ピー君はどうなったか、わかりますか?」
「わかりません」
「ラドーさんの能力は、あなたが死んでも持っていけますか?」
「はい、もちろんです。誰でも持っている力ですから。私は他の人よりもそれに少し長けていただけだから。肉体が変わっても、私にはこのやり方がわかっているから大丈夫なのです」
「では、そのまま持っていきましょうね」
「はい」
「そのまま死ぬ場面を通り越して、魂が宙に浮いたら教えてください」
彼女は大きな息を吐きました。
「軽くなりました」
「下を見て。死体はどんな表情ですか?」
「とても自然な表情です」
「それを見て、どう思いますか?」
「ああ、終わった。軽くなった」
「身体のどこから抜け出た気がしましたか?」
「足からかな」
「宙に浮いているあなたのまわりに何か存在を感じますか?」
「先祖が来ているような・・・」
「先祖は何と言ってますか?」
「よく頑張ったのだから、もうそんなに責めなくていいのだ。少し休もう」
「そのまま空の上まで行って、下を見て。どんなお葬式ですか?」
「ここはアメリカなのに、チベットのお葬式みたいに山にほったらかしになっています」
「そういう風習なのですか?」
「そうなのか・・・私の名前にちなんでなのかもしれません」
「それを見て、どう思っていますか?」
「とても嬉しいです」
「鳥が来て死体を突いているのを見て、どうですか? 嫌じゃない?」
「全然。とても誇らしい気持ちです」
「ピー君はどうしていますか?」
「もう死んでいます」
「そばにピー君は来なかったの?」
「死んだ時はまだいませんでした」
先生はラドーの魂を高みへと導きました。