2014年10月11日土曜日

おはようさん 2014.10.10.

今日は東京オリンピックから50周年の「体育の日」でした。 東京オリンピックは・・・小学1年だったかなぁ・・・学校から帰って白黒テレビで見てた記憶があります。 まだオリンピックの意味もわからなかったから、「世界の人たちが集まった大運動会」な感覚だったような気がします。 オリンピックよりも新幹線の方が教室の話題やったなぁ。 もちろん誰もまだ乗ったことなんかなくって・・・ホンマに「夢の超特急」やった。 あの頃・・・まわりはずっっと田んぼで。 10月10日の頃には稲刈りも終わって、田んぼで野球してたなぁ・・・田んぼは凸凹で、ボールはイレギュラーだらけやったけど、楽しかったなぁ。 そう、みんなで笑って、みんなで走って(お百姓さんが見回りに来たら、急いで逃げたよ!)・・・楽しかったなぁ。 みんなで夕焼け見て、きれいやなぁって言えたよね。 塾も、ゲームも、携帯も、コンビニもなかったけれど、今のこどもたちの何万倍も夢があったなぁ。 男の子の夢 女の子の夢 高学歴つけて、一流企業に入って、高収入&資産家のパートナーと結ばれて、年功序列でトントン拍子に出世して・・・なんて夢は大人が描いていただけで、当のこどもたちは単純明快なヒーロー&ヒロインな夢を描いていました。 そして、その夢が叶うと信じていました。 この50年で大きく変わってしまったのは、こどもたちが夢を描けなくなってしまったことじゃないかな? みんなで笑うことがなくなった。 みんなで感動することもなくなった。 みんなで・・・そう、子供の頃から競争で勝つことを強いられてるから。 「みんなで」という共感性の芽を摘んでしまってるんだね。 競争で勝つには、大人の決めた価値観に出来るだけ沿わないとダメ・・・だって、大人が採点するんだから。 ピカソが羨んだ子供の感性なんか出来るだけ早く潰してしまわないと、お受験には勝てませぬ。 子供の感性とは夢見る力です。 子供は目で見ているようで、目では見ていません。感性で見ている。 そんな感性は大人社会では邪魔なだけです。 だから、勝とうと思ったら、感性を消し去らなければなりません。 感性を失ったら、もう神さまとお話することもできなくなってしまいます。 そして、感性も共感力も失ってしまうと、みんなで笑えなくなってしまいます。 「みんなで」は愛です。 和であり、輪であり、笑です。 この50年で失ったものの大きさ、尊さ、大切さを改めて感じとれた50周年の体育の日でした。 P.S. でも大丈夫だよ。まず君と僕の「みんなで」笑おうよね! 前世物語 「お母さんは私がきっと探し出すから大丈夫だよ。お前はチェコのおじさんの所へ行きなさい」  彼はルイーズを汽車に乗せました。もう娘に会えないような気がしました。  フリードリッヒは、どうしていいのかわかりません。 「私は哲学をやってきたけれど、それが全然、役に立っていないじゃないか」・・・彼は絶望しています。  彼は銃を手に入れました。そしてナチスの司令官の所へ交渉に行きました。  「妻を返してくれ!」  将校たちは全く取りあってくれません。フリードリッヒは銃で脅しました。  彼は逮捕されました。  「お前が反逆思想を持っていることは、前々から調べがついているぞ。反逆罪だ。お前は収容所で銃殺だ」  妻に会えないまま、フリードリッヒは収容所に送られました。  彼は後ろ手に縛られたまま、壁の前に立たされます。 「どうしてこんな目に遭うんだ。助けてくれ!」  ナチスの司令官がガムを噛みながら三人の兵士に指示を出します。兵士たちが銃を構えます。 「決してこんなことは許されないぞ!」  彼は撃ち殺されました。その時、彼は決心しました。 「全体主義的なことには、どんなことがあっても反対だ!」  先生は彼の魂に尋ねました。 「身体を離れましたか? フリードリッヒさんはどうなりましたか?」 「下に見えます。口から血を流して、縛られたまま倒れています」 「死んだ瞬間に、何か決心したことはありますか?」 「さっきのことくらいです。家族にどうしても会いたいです」 「あなたを迎えにきてくれた存在を感じますか?」 「まだそこに残っています。妻と娘がどうなったのか、心配ですから」 「では、妻のところに行ってみましょう。行けますよ」 「凄く狭いところに押し込められています。男女ごちゃ混ぜです。あっ、貨車の中です」 「妻にあなたが死んだことを伝えましたか?」 「今、話しかけて、気がついてくれました」 「妻はどうしていますか?」 「ひざ小僧をかかえて、じっとしています。私のことは全然心配いらないから、って。ずーっと一緒だから、って」 「それからマリアはどうなりましたか?」