2011年12月31日土曜日

おはようさん 2011.12.31.

2011年の大晦日。
あったかい幸せな春を予感させるお日さまと、
静かにおだやかに流れていく晦日夜空に、
今年一年のこんなこと、あんなことを思い出しながら、
よかったことも、う〜んなことも、
もうちょっと・・なことも、完璧だぜ!なことも、
ありがとう、ありがとうって紡ぎながら、
新しい年へと続いていきます。

一年後の大晦日、どんな人たちと繋がっているのかな?
きっと、いっぱいの出会いと別れが待ってるだろうけど、
いっぱい笑って、思いっきり涙して、
やっぱり凹んだり、調子に乗って凸っぱたり、
迷ったり後悔することもあるかな?

小篠綾子さんのように、「忙しくて死んでるヒマなんかないわ!」な一年になるかな? なったらいいな。

新年早々に、黄泉の国とを繋ぐ出雲の神さまたちへ「天地開闢」を伝えに参ります。
伊勢の神々が治めていた古き世に、魂の黄泉の国が溶け込んで、新しき和・輪・笑の世界が始まる予感がしています。
生と死の境目が薄らぐと死の恐怖がなくなります。すると、病気も薄らぎ、やがて消えてしまうでしょう。無病息災の元年ですね。
ただ、生と死の境目が薄らぐ曙で、多くの人たちが闇の方へと逃げていくでしょう。
光が欲しい、光を見たい、とこころから望んでいても、なぜかなぜか、多くの人は光を恐れ、闇の中に安住してしまう。
でも大丈夫。神さまは必ず誰にでも最後のチャンスをくれます。
最後のチャンスの瞬間に・・・それは大地震の後の津波が押し寄せるまでの30分のように・・・
〜ねばならない、〜あるべきだ、〜してはいけない、〜の言うことを聞いていればいい・・・そんな常識やしがらみ、がんじがらめをかき分けて、
自分の直感を信じられるか? 責任と自信と勇気を持って自分の今を生きられるか? 
和・輪・笑の中の「和」が試される瞬間を生き延びましょう。
自分を愛すること、信じること、あるがまま認めること、そして自分をみんなを許すこと。
それが「和」です。

一年後の大晦日、ぽにょの世界で、よかったねぇ、幸せだねぇ、ありがたいねぇって言いたいなぁ。
たくさんの笑顔と、たくさんの幸せな人たちと一緒に。祈っています。

善き年を迎えられますように。 ありがとう。 合掌

2011年12月28日水曜日

おはようさん 2011.12.28.

今日の「天職がわかる過去生へ」の光との対話から。
どこかの誰かの背中も、いつかきっとグイッと押してくれるメッセージですよ。


@ まず、幸せになれ。あなたは幸せの中にいる。それを感じなさい。
@ 自分がやりたい道を行きなさい。遠慮するな。

Q 天職は何ですか?
@ 物作り。美しいものを作りなさい。手先を使う仕事。ひとりでも出来る仕事。チームワークは(あなたには)向いていないよ。そうすれば充実できる、何も欲しくなくなる。それだけでよい。すべてはそこにある。すべてはそこに入っている。すべて、すべて・・・。

Q 人生の目的は何ですか?
@ 学べ、学べ。人との関わりを学べ。苦手だからよけいに学べ。まずは親子関係から、父母、子供との関係から始めなさい。
Q どうしたら人との関わりを学べますか?
@ まず許すことを学びなさい。もうすぐそこまで来ているから、もう大丈夫だから。
Q どうしたら許せますか?
@ もう許している。それを認めなさい。恥ずかしがっていてはダメだ。
Q これからの使命は何ですか?
@ 生きること。途中で投げ出してはいけない。
Q 子供の障害の意味は何ですか?
@ 自分の親を許しなさい。あなたの子供はあなたを許している。そのままでいいから、認めなさい。順調に来ています。
Q 子供から私は何を学んでいますか?
@ 人を愛することを学びなさい。あなたはいつも愛しています。あなたは未熟だけど、自信を持って。自分のやりたいことをやりなさい。
Q 子供は私から何を学んでいますか?
@ 人の弱さを学んでいます。
Q 子供の障害はどうしたら治りますか?
@ そのままでよい。何も障害はない。順調だ。そばにいればよい。
@ 許しを感謝に変えればよいのです。
Q なぜ毎日苦しいのですか?
@ 望むことをしていないからです。自信がないから。まず進みなさい。もうわかってるでしょう。
Q 幸せになれますか?
@ なれます。道を誤るな。自分が望む道を行きなさい。
Q どのように人を愛したらいいのですか?
@ そばにいるだけでよい。それだけでよいのです。

2011年12月27日火曜日

おはようさん 2011.12.27.

クリスマスが終わると、怒濤のお正月準備ですね。
診療もお正月用処方(いつもより日数が多い)で、指折り数えながらテンテコマイです。
昨日のワークは登校拒否し始めた「子供の今のこころがわかる過去生へ」がテーマでした。
過去生も光との対話も上々で、思わず光さんのメッセージをメモるのを忘れてしまって。ありゃりゃ・・こりゃぁ早くお原稿書きに入りなさいっていう目に見えるメッセージだねって我を鼓舞して。やるぞ!(まずは口だけで・・ほほほっ)

夜、お風呂が沸くのを待ちながらのファンモンのPVで。
ケミカルって何してんの?って最初は思っちゃうけど、彼がいるからファンモンなんだよね。
仕事も趣味もプロジェクトも同じ。
ケミカルがいるからひとつになれる、味が艶が出る。二元性を越えた新しい世界が見え隠れしてる。
なんて、何でも哲学色眼鏡で見てしまう私でした。でも、いとうれし。
ファンモンのPVはわかりやすいストーリー仕立て。
私はそんなPVが大好き! 
ミスチルのPVは芸術で。ファンモンのは元気の出るドラマだ。どっちも大好き!!
ひとり、こころはしゃいでると元気&笑顔が湧き出てきますね。
ファンモンのLOVE系PVのモチーフは「せつなさ」「胸キュン」だよ。
昔、外人さん(前世療法のトリシア&マーク夫妻)に「せつなさ」を説明するのに苦労したことがあったけど、ファンモンのPVをいくつか見せればいいのだ!
若者の草食系とか恋愛拒否の時代と言われるけど、ファンモンで繋がる若者がこんなにいるのだから、どっこい未来のLOVEも大丈夫だよ。
だから、
今の若者たちがとても愛しく思えるの。
昨日のワークと重ね合わせながら、思いました。
ゆとりちゃんと呼ばれても、彼ら&彼女らなりに一生懸命悩んで考えて生きているんだよ。
今日のワークでも光さんは、信じて見守ってあげなさいって繰り返してたよ。
どんな時代でも若者はかっこわるく、不器用で、下手くそで、ダメやろうなんだよ。
どんな大人だって、そんな若い力をこころのどこかに持っているんだよ。
だから、本当はわかりあえるはず、愛し合えるはず、信じ合えるはず。
だから、だから、みんな愛しいの。好き、好き、大好きなの。


23日のクリスマスワークで、こんなに喜んでいただいて、こちらこそ、ありがとうございま〜す。
グループワークはみんなの神魂エネルギーがひとつになるから、自宅でするよりすご〜く強く光さんに繋がります。
そこでコツをつかむと、後は自宅ででもどこでも光さんと繋がることができますよ。
コツは・・・素直になること。
左脳思考と左脳支配に飲み込まれてしまっていた素直な感性と共感力を目覚めさせて、素直に、みんなと(神さま・光さんとも)繋がりながら、自分らしく生きていけるようになります。
自分を信じて、愛して、許して、あるがままに認めて生きるためのちょっとしたコツですね。
そう、自転車乗るようなもの。乗れないお子ちゃまな頃は、なんで乗れるの? すごいなぁ・・・と摩訶不思議だったけど、乗れちゃうと、なんで乗れないの? ほら、こんなに楽しいよってニコニコ顔の少年少女に成長しちゃいます。
クリスマス会は冬至が過ぎて、新年を迎えた日に、新しい人生へ一歩踏み出していただけるように、笑顔で、感謝で、自信を持って、愛に満ちて・・・の祈りがパンパンに詰まっています。
善き年になりますように、お祈りいたしております。
ありがとうございます。  合掌


奥山先生 

こんばんは。
12/23のクリスマス・セミナーに参加させていただきました**と申します。
いろんな瞑想誘導のCDもすべて子守唄にしてしまっている私ですが、12/23はいろんな場面が浮かんできました。

家族で食事をしている場面ではなぜか涙が出てきたり、先生が何年ですか?と質問されるとバーンと数字が出てきたり、本当に驚きでした。

若い頃を見ているときに、「私はもっと海で遊びたかったのに」という気持ちがどっと湧いてきました。私は残念ながら現在奈良に住んでいて海がありませんので、今後旅行の計画をたてる時には海を意識してみようと思っています。

丁寧な催眠誘導、本当にありがとうございました。

p.s.クリスマスプレゼントのメッセージは「自分に優しくすることも忘れないでくださいね」でした。
優しい文章嬉しかったです。プレゼント交換は小学生のとき以来です。開けるときには童心にかえってワクワクしました^_^楽しい機会をありがとうございます^_^

2011年12月21日水曜日

おはようさん 2011.12.21.

お正月用のちょっと長めのお薬処方箋を書く週になりました。
1月6日からだから、え〜と・・・ 
指折り数えてると、何だかクリスマス&お年玉が待ち遠しい子供の頃を懐かしく思い出したりして苦笑い。
今年亡くなった人たちをTVで観ていて、長門裕之さんやスーちゃんの悲報に涙したのは、もうずっとずっと昔のような気がしてたけど、今年だったのですね。
この世を楽しく、うれしく、面白くしてくれていた人たちが、たくさん向こうの世界へ旅立ってしまったけど、なぜかすぐ近くにいるようにも感じます。
遠い世界、忘れてしまう世界ではなく、私のまわりの空気の中に向こうの世界があって、息を吸う度に私の中に入ってきて、こころの奥の深いところで、私の意識体さんとお話してるように・・感じます。
光の世界になると、肉体を持っているかどうかのちっちゃな違いだけになって、「死んだ人」ともリアルに通じあえます。
生は「いらっしゃい」 死は「またね」 
生死にまとわりつく喜怒哀楽の霧が晴れわたって、「今」を楽しむように、生老病死をも楽しめるようになります。
「今」を生きると、朝から夜に向かう時間の流れが、そう、ピッチャーの投げたボールが止まって見えるように、とてもゆっくりになると共に「楽しむ」のベクトルが時間の流れをビョ〜ンと別次元に引き延ばしてくれます。風船ガムみたいかな?
「楽しむ」は、悦び、美、うれしい、ありがとう、そして、大好き!
そんな光の世界が、まるで梅の花のように、もう花開き始めています。
ちっぽけな一輪だけだけど、凛として美しく香しく花開き始めています。
だから、大丈夫。明日も来年も、大丈夫ですよ。


死の不安と恐怖。
生まれたら必ず通るところです。
いつか? はわからないけど、いつかのある日、通り抜けるところです。
不安神経症や鬱病や心身症の人たちのこころの中をどんどん分け入っていくと、病気の源流はこの死の不安と恐怖に辿り着きます。

なぜ死が心配なの? 怖いのかしら?

きっと死んだらどうなるか? がわからないからでしょう。

動物たちと同じように日々、生きるか死ぬか、だった大昔には「死」は誰かの糧となること、動かなくなること、消えてなくなることでした。動物たちよりは深く長く死を悼んだでしょうが、今日を生きなければならない身の上では、自分の「死」はまるで影のように身近なものだから、あるがまま受け入れていました。
やがて狩猟生活や農耕生活が始まると、自分の「死」の影が少し薄らいできました。とりあえず明日の糧はあるから、助けてくれる人や守ってくれる人がいるから、いつ死んでもおかしくない日々から、きっと明日も生きていられる日々へと進化しました。
すると、死への不安と恐怖が芽生え始めます。
死者が亡者となって蘇らないように、自分を死へ連れて行かないように・・・祟りや死に神となって死の不安と恐怖が具現化していきました。
そして、昔の人たちは宗教を創り上げました。
平安時代には極楽往生。戦国時代には南無阿弥陀仏。
死んだからこうなる、こんな世界へ行ける、と信じ込めていたから、死の不安と恐怖を乗り越えることができました。
明治以降、近代化&科学化は、あまりに無邪気とも言える信仰心と畏敬の念に津波のように繰り返し襲いかかり、100年後にはこころを荒野にしてしまいました。
我欲とエゴに夢中になれた時代はそれでよかったのですが、我欲とエゴの果てが垣間見れてくると、荒涼たるこころの叫び声に気づくようになりました。
「死」への不安と恐怖が、「生」への落胆と苦しみがこころを飲み込みます。
老いも若きも自殺へと走る世の中を何が救えるのでしょうか?

光の哲学で、死んだらどうなるのか? を明らかにしていきましょう。
死んだ。肉体を離れて、意識体がフワッと浮かんでいます。
下を向けば、自分の身体が見えます。
身体のどこから抜け出すか? はいろいろで、特に法則はないようです。
(癌のあった場所からとか、一番出血してた場所からとか、一番元気だった場所からとか・・・あんまり関係ないようです)
病気だった人は、意識体が身体の上に浮かんでいることに気づくと、死んだなぁ、と気づきます。
突然死や事故の人は、なんだ これは?! 何が起こってるんだ?! と、ちょっとパニックになります。
アメリカ911の後、1週間くらいは、光の前世療法をしてると、この亜空間というか時空間が非常に不安定でした。たくさんの人たちの意識体がパニックになって右往左往していたのでしょう。でも大丈夫。ちゃんとみんな還るべきところへと昇っていって、落ち着きましたから。
死ぬ時に、恨みや憎しみ、怒りをたくさん持っていた人は、意識体になっても、ドロドロした感情エネルギーを捨てきれずに、ちょっと重い感じで浮かんでいます。
でも大丈夫。そんなドロドロした感情エネルギーは次第に意識体から大地へとしたたり落ちて、母なる星 地球が浄化してくれます。
さて、死んだことに気づいた意識体は、上に光を見ます。天空に大きな眩しい光が輝いてる感じですね。
すると自然に天空の光に向かって昇っていきます。故郷へ走り出すように、慈愛に引き寄せられるように、スッ〜と昇っていきます。
死んだことに気づけない意識体には、光の方から近づいてきてくれます。どんなに鈍感?な意識体でも、凹んでいようが落ち込んでいようが自責の念に押しつぶされていようが、どんな意識体でも光に気づき、光に導かれて天空へと昇っていきます。
気づくまでの時間が・・・心配ありません。
肉体を離れて意識体で浮かんでしまうと、時空間の縛りから解放されます。
この世では数日、数週間、数ヶ月・・・でも、意識体になってしまうと、すべてが「今」です。
こっちから見れば長時間の「ずっと」だけど、あっちに行けば「さっき」です。
地獄? ありません。
ただ、死ぬ時に「地獄」を信じ切っていれば、想像通りの地獄の中に意識体は浮かんでいます。
極楽往生を信じ切っていた昔の人たちは、想像した通りの極楽の中に浮かび上がったのです。
死んだら神様、仏様、観音様が迎えに来てくれると信じ切っていれば、光はその姿となって出迎えてくれます。
さて、現代人は・・・?
信仰もあやふや。死後の世界もあやふや。
それで意識体となって浮かび上がることになります。う〜ん、困ったなぁ。。。
死は敗北だ。死は恐怖だ。すべてはなくなる。
身体から抜け出た意識体は、はてさて・・・どう思うのかしら?
今、みなさんに必要なことは、
1)身体が死んだら意識体が身体から浮かび上がること。
2)上を見ると、誰でもどんな人生を送ってきても必ず光が見えること。
3)その光に向かって昇っていけばいいだけのこと。
残してきたあの人とまた会えるか?  そう信じれば、必ず会えます。
先に逝ったあの人に会えるか? 迎えてくれるか? そう信じれば、必ず会えます。
死んだら天国へ行けるか?  そう信じれば、必ず行けます。
死んで意識体となって浮かび上がった時、信じていた光景がそのまま創り出されます。
だから、死を恐れないで、死後の世界を上手に創造しましょう。
大いなるひとつの光の中へ戻ってしまうと、意識体も光そのものに溶けてしまいます。
あなたが神様になるのではなく、神様とひとつになる感覚です。
光の中では、もはや自分という意識はなくなります。
だから、死後から光の中へ溶け込んでいくまでの間、どんな創造でも叶うひとときを思いっきり楽しみましょう。
一生に一度のご褒美なのだから。
肉体を持って生まれてこないと、味わえないパラダイスなのだから。
あなたはどんな死後の世界を創造しますか?

2011年12月20日火曜日

おはようさん 201.12.19&20.

天気晴朗なれど・・むちゃ寒〜い大阪です。
大阪市長もあの人になって・・浪高しかな?(笑)

ヒッグス粒子のお話。
ピーンと来た人も多かったかな?
あれは「祈り」 好き 好き 大好き! な湧きあがってくる、裏表のない想いです。
宇宙を、この世を織り上げてる横糸が 好き 好き 大好き!な「祈り」で。
時空間の素、時間が縦糸で。
縦糸が錦を浮かび上がらせてくれるけど、横糸がピーンとしてないと、あれれ?になってしまいますよね。
だから、今、 好き 好き 大好き!な「祈り」がとっても大事で、みんなに、この世にとってもとっても必要なんだと 直感 してます。
良いでも悪いでもなく、優れてる劣ってるでもなく、スマートだカッコわるいでもなく、好き! きれいだな! 楽しいな! うれしいな! で、
まるでラップを箱からビョ~~ンと引き出すように、
二元性の世界が無限の世界へ、新しい光の世界へと拡がっていきますよ。
もうすぐだと思うと、もうワクワクしちゃってピョンピョンしたくなっちゃいますね。


今年はこの世に刺さっていたクサビみたいな人たちが消えていきました。
ビンラディン氏・カダフィ大佐・北の将軍様。。。
クサビが抜けて古いドロドロが流れ出して、正義と富貴がアンバランスになって、経済も民主主義も明日の希望もグラグラゆらゆら。。。
このままではお先まっ暗だ、ダメだ、どうしよう・・右往左往でパニック&うずくまりしてると、来年は闇に飲み込まれてしまいます。
古い世界のドロドロを出し切って、もうすぐ新しい光の世界がやってくるよ、来年はその準備だ!
こころ弾ませて日々是好日で生きていけば、それが祈りとなってこの世を支え、明日の悦び、幸せ、笑顔が日々の暮らしを錦に彩ってくれます。
来年はマヤ歴のおわりの年だから、本当はこの世は再来年もその先もずっとずっと続いていくのだけど、ここは来年で今生の一区切りをつけてみて、
この病気の意味は何だったのだろう?
この富の意味は何だったのかしら?
この仕事の意味は何だったのだろう?
この家族、この絆にどんな意味があったのかしら?
そんなふうに人生の終わりの日に思い感じる総括をしてみましょう。
きっと新しい光の世界へと導かれる呪文が、こころの奥の宇宙から湧き出てきますよ。

2011年12月16日金曜日

おはようさん 2011.12.16.

あと1週間でクリスマスですね。
お薬も正月用に3週間分ね って言いながら、年の瀬のあわただしさを感じています。
いつもと同じ師走の日々だけど、やっぱり今年はいつもとは何かが違っているように感じています。
大震災があったこともそうだけど、マイ・ニュース2011はこれといって!!!なこともなかったけど、
この一年は、まるで冬至が忙しさの吐息に埋もれて静かに過ぎ去るように、古い世界が終わって、新しい世界が始まった境目のように感じています。
すると来年はクリスマスかな? お正月かな?
きっときっと善き年になると思います。

今朝の夢。。。
温泉旅館での学会?が終わって医者の学友たちと下駄箱へ。鍵はしっかり握っているんだけど、私の下駄箱のナンバーが見つからない。学友たちも一緒に探してくれるけど、ない。別のところを探すけど、ますますナンバーが離れていく。今度はスピ友だちも一緒に探してくれるけど、ない。きれいな日本庭園の方じゃない?ってスピ友だちと探すけど、ない。手にはしっかりと鍵をにぎってる。ひとりで玄関に戻ってきたけど、学友たちを乗せたバスは出て行ってしまって。でもタクシーが数台待ってるから大丈夫だ!。他の靴を履いて行ったら?とも思ったけど、小さい靴は歩けなくなるよ、ダメだよって、また玄関の靴箱に戻ってきて。もう一度最初のところを探してみましょうって下駄箱を見ると、ナンバーが近づいてきて、あったぁ!? で結果わからず目覚ましが鳴って。
直感的に、自分の靴を探してる=いはゆるソウルメイト捜しでしょう。(今さらソウルメイトなんて、いと恥ずかし・・笑)
学友たちやスピ友だちが現れて、一緒に探してくれて、いなくなって消えてしまった=ここまでの人生、人間関係のダイジェストだわぁ。(出てきてくれて、うれしかったのです)
手には鍵をしっかりと握っている=天命もソウルメイトとの絆もまだ握ったままだ。(よしよし、チャンスはまだあるぞ!・・・単純&単細胞)
日本庭園に現れたスピ友だち=うんうん、***先生だね。
バスは出て行った=古い世界よ、さようなら・・・かな。
他の靴を履いたら・・=天命を曲げてはいけません!ってことだよね。
もう一度、玄関に戻って下駄箱を探したら、鍵のナンバーが近づいてきて=さぁ、どこの初心に戻ったらいいのかな? 何となくこころあたりはあるから・・・滅多に夢を覚えてない私が鮮明に見たってことにも意味がありそう。
お騒がせワンコも春まで「犬の学校」に留学してくれて、静かなひとりの夜が続きます。
ここはやっぱり神さまが本を書け!って言ってるわけでしょう。
テンション上げ上げにするために、今年のお歳暮はハムばかりだし・・・ちょっとこじつけかな?

ものごとは善き方へ考えないとね。
そんなアホで脳天気なモデルケースでございます。
   to be continue・・・(^_-)-☆

2011年12月15日木曜日

おはようさん 2011.12.15.

街のクリスマス・イルミネーションがこころ楽しくしてくれて、
もうそれだけでとってもステキなプレゼントだなって、うれしくなります。
今年もいろいろあったけど、
どれも紅葉のように熟し落ちて、こころの腐葉土となって、
来年、もっと美しい花が、キラキラした新緑が咲きほこってくれることでしょう。
それが天地自然の理だから。それこそ宇宙の約束だから。
12月もあと半分。
こころに降り積もった今年の紅葉をかき集めて、
ありがとう、よくやったね、がんばったね、大丈夫だよ、君のこと大好きだよ、ってハァ〜て息を吹きかけると・・・ポッと火が灯りますよ。
ペケなことは灰になって浄化されて、マルなことは煙となって天に昇って。
冬の穏やかな日、田んぼの藁焼き雲と重なって、ふっとそんなことを思いました。


哲学で人を救えるか! 世の中を救えるか! 戦争をなくせるか!
昔、前世療法で、第二次世界大戦のヨーロッパのどこかの町の哲学に生きがいを持っていた男が妻を子供をナチスに奪われ、叫んだ言葉です。
古代ギリシャ時代は、まだ英雄とは? 美とは? 正義とは? 国家とは? ・・・哲学的論議が国家の方針に強く影響を及ぼしていました。政治を論じる時に哲学も重要な軸であり、哲学が社会の規範のひとつであった時代です。
その頃の哲学とは、智を愛すること。知識ではなく(もちろん知識も大切だけど)、智恵 それは、善とは? 愛とは? 勇気とは? ・・などを普遍的に、神的に知ることでした。
だから例え宿敵でも敬愛し、正々堂々と戦うこと、いわば武士道、騎士道の根源が尊ばれました。
あれから二千年あまり。
武士道、騎士道がどんどん衰退していくと哲学も頭上の空論になっていきました。
キリスト教やイスラム教国家。ルネッサンスと鉄砲伝来。産業革命。官僚や軍事支配国家。経済至上主義。。。まるで恐竜時代ですね。哲学は小さなネズミ君かな?
そして共産主義も資本主義も、社会主義も民主主義も崩壊した今、右往左往してる人たちで世界がメルトダウンしそうです。
こころの時代。そんな声が至るところから聞こえてきますが、その内容は? あれれ??
武士道、騎士道に活路を求めたり、信仰や神秘に救いを求めてみても、何か物足りない。いつもの繰り返しみたいで、これじゃない!もっとちがうもの!
こころの奥から湧きあがってくる声がイライラや凹みの嵐となってこころをかき乱します。
若者の自殺がものすごく多いのもうなづけます。
お日さまの光をあてないから、もやしのようにヒョロヒョロなこころですぐに萎んでしまうから・・かな?
お日さまの光は、大いなる光さんのメッセージ。
ソクラテスがプラトンが・・哲学者たちが追い求めていた智恵そのもの。
こころの時代。それは新しい哲学の時代だと感じています。
大いに語り合い、深め合って、智恵を磨き上げていく。
大いなる光さんが語る言葉は、とてもシンプルな言葉だから、どんな人のこころにもスッーと入っていきます。
そのシンプルな言葉を、今日から日々の生活に、毎日の仕事に、人間関係に、どのように具現化していけばいいのか? をシンプルにわかりやすく伝えていくのが新しい哲学だと思います。
「まず何から始めたらいいのですか?」「掃除しなさい」
この掃除の意味づけをするのが哲学者の使命です。
これまでのように色眼鏡で見たり、エゴと我欲に染めて語ったりしないで、天地自然の理と宇宙の約束を大切に感じながら語っていく人が新しい光の世界の哲学者です。
そんな人になりたいなって・・・なれるかな? うん、大丈夫・・勝手な空耳が聞こえてきます。
念ずれば花開く。
2012年のマイ・キャッチフレーズです。

2011年12月14日水曜日

おはようさん 2011.12.14.

寒いですねぇ、風邪ひかないようにねぇ。
冬らしいごあいさつが駆け抜けていきます。
誰もがみんな、大晦日のゴールに向かって忙しそうに走り回ってるから師走なのかな?
節電強力でいつもより寒い診察室でブルブルってしながら、小学校の耐寒マラソンを思い出してしまいました。

どうしたら生きがいが見つかりますか?
一生懸命に生きるって、どういうことですか?

ひとつの人生を終えると、まず肉体をこの世に残して、意識体と魂の光さんはポニョっと浮かびます。
怒りや憎しみ、恨みや嫉妬・・・のベトベト意識は大地へと落ちて、しみこんで、やがて地球さんが浄化してくれます。
喜びと感謝でニコニコしながら意識体は、プカプカと天に昇っていきます。
やがてニコニコな意識体は、すべての人生の記録を所蔵している図書館へと導かれ、生まれてから死ぬまでずっとずっと書き連ねてきた今生の書を納めます。
同時に、意識体から魂の光さんがヒュッーと抜け出して、スゥーと天上へ昇っていきます。
そして、大いなるひとつの光さんの中へと溶け込んでしまいます。

今生の書には、何が書いてあるのでしょうか?
日々のダイアリー。
 したこと、したかったこと、してしまったこと、されたこと・・・
 思ったこと、言ったこと、言われたこと。
 祈ったことも願ったことも。
そんな一日一日をパラパラ漫画していくと、何が浮き出てくるかな?
 毎朝、ベランダのお花に水をやりながら、道行く人たちに笑顔で声をかけてる姿だったり。
 土を耕し種をまいて、雑草を抜いて虫を捕って、収穫祭で顔ほころばせている姿もあって。
 子供を育てている姿も、家族のためにお料理してる姿も、働いている姿も、病気だけどがんばってる姿も。
 私のパラパラ漫画は、七転び八起きのダルマさんかな? 今はがんばってる顔だけど、最後は満面の笑顔にしたいなぁ。

毎日、お話をする患者さんたちに思い重ねてみると、
身体の病気の人たちも、こころが病気の人たちも、
仕事をがんばってる・がんばってきた人たちも、働く気のない人たちも、
みんな、一生懸命に生きてます。
ただ、「生きがい」を持って一生懸命に生きている人は・・・少ないかな。。。
自分だけのために、家族親族だけのために、お金や財産のために一生懸命生きてる人には、光のような笑顔も感謝も祈りも・・ないのかもしれないなって思います。
世界中の政治家さんたちや世界経済を動かしているCEOさんたちの影像を見ながら、「光のような」と「笑顔・感謝・祈り」がそろっている人がいないのがとても悲しくなります。
彼らは言うでしょう、「生きがいに満ちあふれてる」って。
でも、ちがうんだなぁ。どこが違うんだろうなぁ?

一生懸命に生きていても、そこに「生きがい」を感じられるかどうかは、その人次第です。
その人は生きがいを感じていないけど、まわりの人たちからは、すごく生きがいに充ちた日々を歩んでいるって思われている人もいます。
私の生きがいはこれです!と自慢してるけど、まわりの人たちからは、ふ〜ん、そうですかぁってスルーされちゃってる人もいます。

やっぱり「光の笑顔・感謝・祈り」が「生きがい」のキーワードですよね。
「光の」は、それが 自分のため & 誰かのため & みんなのため になるぞって、こころから信じていることです。
愛して、認めて、許して、信じて の「和」が光を強めてくれます。
自分のためは煩悩だからダメだ! 滅私奉公しろ! 我欲を手放せ! 指図されるな! 自由だ、あるがままだ、素直になれ!・・・だと光の中に闇が混じります。
煩悩も我欲も支配も、嫉妬も憎しみも悲しみも苦しみも、仮面もガンコも弱さも、
どれも人間らしさ、生きてるあかしです。

生きてるあかしを振り払おう、手放そうとすればするほど、生にからまれ執着してしまいます。
即身成仏や鞭で我が身を打ち続けるなんて答えにすがりついてしまいます。
善悪・優劣な二元性は、振り子のように一本線を行ったり来たりしてるけど、突き詰めて追い込んでいくと、メビウスの輪となってグルグル回ってしまいます。
善は悪になり、優は劣に変わる、やがて悪は善とされ、劣は見直されて優とされる・・・歴史そのものですね。
そして、いつまでたっても手放せていない。生と死を行ったり来たりのままです。
これが古い時代。昨日までの世界。

「笑顔・感謝・祈り」が新しい光の世界への呪文です。
二元性のメビウスの輪の上を走りながらでいいから、五感に囚われない、こころの静かな、精妙な目で自分を眺めてみましょう。
自分が光の子だということがよくわかりますよ。
そして、まわりの人たちの光も見えてきて、光の世界が見えてきて、時空間の流れを祈りが鮎のようにキラキラと遡っていくのが見えてきます。
生と死の壁が消えて、アカシックの伝記図書館が解放されて、大いなる光さんとひとつになって、日々を生きていけるようになります。

一生懸命生きる・・・?? それって何?
光の世界での日々には、もう一生懸命って言葉は忘れ去られてしまっていくでしょう。
時代の大きな節目だから、世界の大きな節目だから、一生懸命という言葉が浮かび上がり暴れだしているのかもしれませんね。

2011年12月11日日曜日

お月さま 2011.12.10.

我が家はマンションの東向き。もう月食さんは観られないけど、TwitterやUstでLiveしてくれなんて、ええ時代やなぁって、ほっとうれしいなう。
昨夜はバルスのお祭りでどっかの誰かとみんなで大笑いして、
今夜はまんまるお月さまと無限の宇宙のすばらしいショーをこころの手を繋いで楽しんで。
地震も津波も月食も台風もみんな宇宙の顔顔顔。
泣いたり笑ったり、怒ったり感謝したりしながら、ずっとずっとみんなで生きてきたんだね。
満月から新月へ、新月から満月へ。どの顔もお月さま。そして、みんなお日さまの化身だから。
いいひと、わるいひと。がんばってるひと、ダメなひと。
このままだと、ほとんどの人が古い輪廻転生因果応報の世界へ飲み込まれてしまうなぁって、どうしようもない無力感がこころ苦しめてたけど、
今夜のお月さまが「大丈夫、大丈夫だよ」って笑っていた。
時が止まった去年を生きて、時が動き出した今年を生かされてる人たちは誰もがこころの中に飛行石もブルーウォータも持っているから、きっと、かならず、みんなで時の節目から光の世界へと歩んでいってくれると信じてる。
「神さま、信じる力を私にください」by 宣教師の祈りの言葉:安南 クリストフ・バタイユ
今夜のお月さまは、私に信じる力をくれました。ありがとう。

2011年12月8日木曜日

おはようさん 2011.12.8.

今日は冷たい雨の大阪です。
紅葉も濡れ落ち葉となって、静かに土に還っていきます。
人も生まれて、育まれて、花咲いて、やがて地球とひとつになります。
大きな木も美しい花も、雑草も苔も、みんなどこかでつながって、支え合って、分け合って、ひとつになっています。
人も同じ。
障害があっても、ずっと難病でも、誰かに何かをプレゼントしている人はステキです。
生きがいをプレゼント。笑顔をプレゼント。愛をプレゼント。
そんな人たちがどんどん増えてきたように感じています。


先日、障害&難病を持って生まれてきた子供さんが亡くなられました。
そんな訃報に触れて、思ったことを書きました。

亡くなった子供に会いたいって、光の前世療法を受けに来られるご家族がたくさんおられます。
病気の子供にどんだけ尽くしていても、苦しんでないか? 恨んでないか? 泣いてないか? って、自分を責め続けてしまっているご家族も多いです。
でもね、光さん(神さま、仏さま、観音さま、天使、仙人・・・)に見守られながら、亡くなった子供さんを呼び出すとね、みんな(全員!!)笑って元気にしています。
小さな子供たちは、同じような短い人生を生ききってきた子供たちと一緒にニコニコ遊んでいます。
中学生や高校生の子供たちは、夢を叶えるために仲間たちとお勉強するのが忙しそうです。(俺はこっちで忙しいのに、何しに来たんやって・・笑いながら言われてる人たちもいたなぁ)
みんなニコニコで元気な顔で、病気やケガの時の苦しさ、つらさ、やつれ・・など、きれいさっぱり忘れ去っています。そんな姿を見て、よかったって涙を流す方も多いけど、あまりのそっけなさに拍子抜け?しちゃう方もいました。もちろん、うれしさを突き破った拍子抜けですよ。
そして、亡くなった子供たちはみんな、両親の笑顔が一番好きです。両親が悲しみから立ち直って、仲良く手をつないで笑って生きてくれるのが一番の願いです。看病してくれて、面倒みてくれて、ありがとう、ありがとう って思っています。神さまに、よくがんばってきたね、よくやったね、偉い偉いってほめてもらっています。みんなそう。どんな子供さんでも、どんな親御さんでも、例え面倒みきれなくなって病院や施設に預けちゃっても、この子さえいなければ・・なんて思っちゃったりしても、それでも、それさえもわかっていたから、大丈夫だよ、ありがとう、ありがとう って子供たちは笑っています。どの子供たちも、親御さんのことが大好きです。(例え虐待されても折檻されても・・好き好き大好き!な子供たちです)
いまだにお坊さんの中には、自殺したら・病気で親に迷惑かけたら成仏できない、光のところへ行けない、なんて言ってる人たちもいるけど、そんなことは一例もありません!
亡くなった子供たち、自殺した人たちのワークは600例以上やってきたけど、一例もありません。命かけてもいいって言いながら、これまで生かされてるから、これはほんとのほんとです。
そして、病気や障害を持って生まれてきた子供たちは、みんな、自分でそういう人生を選んで生まれてきました。
神さまからね、こういう人生だけどいいかい?って、ちゃんと生まれる前に聞かれるの。
無理矢理とか、因果応報・宿命・前世の罪滅ぼし・・・だからなんてことは絶対にない!!の。
両親や出会う人たちの気づきのために、笑顔のために、がんばってくるよって勇んで生まれてくるの。
(自分が成長するため・・な子供さんもいないなぁ。まぁ、強いて聞けば、病気や障害で何を学んだかってことを答えてくれるけど。)
本当に病気や障害を持って生まれてくる子供たちは、慈愛に満ちています。
昨日のグループワークで、祈りって 好き、大好き っていうあの感覚だと実感しました。
愛してる より、もっと素な、もっとこころの真ん中から風船のように湧きあがってくる、綿菓子のようにうれしい感覚が、祈りです。
病気や障害を持って生まれてくる子供たちは、そんな「祈り」で充たされ、「祈り」をまわりに放っているように感じます。
お日さまのように「祈り」をまわりのすべての人たちに、いつもどんな時も、プレゼントしてくれているんですね。

昨日、亡くなった子供さんも、もう天国で、仲間たちと笑って、踊って、走り回ってますよ。そしてね、お母さん、お父さんは今は泣いてるけど、大丈夫だよ、ちゃんと元気になって笑ってくれるからって信じて、祈ってくれてますよ。昨日、祈ってくれた人たちにも、ありがとう、ありがとう って。

2011年12月5日月曜日

おはようさん 2011.12.5.

昨日の天満満天堂Liveは「祈りのワーク」でした。
参加されたみなさんのこころには「愛」という言葉がどんどん湧き出てきたようです。
「祈り」は「愛」だけど、「愛」って言ってしまうよりも、「好き、大好き!」な感覚の方がぴったりかなって思います。
愛してる って言うと、愛せない、裏切られた、信じて! わたしだけ、もっと愛して、憎い・・・なんて、愛が深まれば深まるほど。陰の部分も浮かび上がってくるけど。
好き って感じは、何もないところから、ふわっと浮かび上がってくる感覚でしょう?
二元性(善悪・左右・優劣etc.)じゃない別次元の感覚、美や悦と同じ感覚だと思います。

時間は過去から未来へと流れています。(流れているように見える、感じるだけなんだけど、大局的にはそれでいいのです。宇宙が膨張してようが、銀河が泡構造だろうが、とりあえず日常生活には支障ないでしょう。それと同じ)
これまで生きてきた人生たち(過去生・未来生)は、順々に起こっているのではなく、例えば前世は江戸時代、その前は縄文時代、その前は明治時代、その前は100年後・・・なんてバラバラです(これは外国の前世療法家たちも気づいています)。もうちょっとホントは、全部、「今」一度に起こってるわけです(これも一部の怪しげな(笑)人たちが言ってます)
この10年、特にこの5年は年々加速度をつけながら、過去も未来もパラレルワールドも「今」に向かって収束していました。
去年、とうとう「今」の一点に収束してしまって、古い世界がひとつになりました。さまざまな方面からやって来た列車がターミナル駅に着いて、どっとお客さんたちがコンコースにあふれ出てるイメージです。そして、各々、次の列車に向かって進んで行きます。
どの世界も静かに繋がってるので(優劣・大小がないから、エネルギー的に平衡なの)、天地がひっくり返るようなことは起きないけど、いろんな世界のエネルギーが要り混ざってきてるから、気分的に不安定さが増しました。それを感じ取ってる人は多かったと思います。
今年、新しい光の世界と古いエゴの世界が分離し始めました。ターミナル駅から、列車が一斉に発車したイメージです。まだ平行して走ってますから、向こうの列車に乗っている人たちの顔も見えます。話だって出来ます。飛び移ろうと思えば、出来ちゃいます。でも、次第に列車は離ればなれになっていきます。トンネルをくぐる度に、乗り換え駅を過ぎる度に、列車は別世界へと進んで行きます。それが来年以降のこと。
古いエゴの世界は、二元性のまま。輪廻転生も因果応報もそのまま。きっと次のチャンスまで、百回、万回、人生を繰り返すことでしょう。まぁ、それもよし。
光の世界は、二元性に美・悦・好き・ありがとう といったベクトルが加わって、判断や思考の基準が線が面に変わります。そして、もうひとつ、光の世界では(多分)生死の境があいまいになります。死ぬことは肉体を持っていないだけで、その意識体と話をしたり、存在を感じたりできるようになります。すると、時間と空間も、もっと緩い関係になります。
過去から未来へと流れる時間というよりも、過去の今、未来の今、別の道を歩んでいるパラレルの今・・・という感じ。だからこそ、「今」の自分という軸をしっかり持っていないと、時空間のパラドックスに飲み込まれてしまいます。これは別に難しいことではなく、赤ちゃんがハイハイして、立って、歩けるようになるみたいに、光の世界では誰でもできちゃいます。
そんな「時空間」は、どこから生み出されているか? というと、「祈り」が「時空間」の根源に流れ巡り集まって、氷河のように「時空間」を押し出しているのです。
「祈り」と言っても、エゴ的なエネルギーは二元性の時間の源にドッと流れ込みます。それはそれで必要です。
「祈り」の素の部分、好き、大好き!なエネルギーは、時間をさかのぼって、時間の誕生を超えて、宇宙の誕生にまで流れていきます。つまり・・・「祈り」は逆時間の法則の源だったわけです。
(逆時間の法則:個人ワークを受けようと決心して予約の電話を入れる。するとその日から、解決したかった問題が動き始めて、ワーク当日には、もう解決してしまいました! もう大丈夫です! な人が多いです。個人ワークで光さんから問題の原因、意味・学び、解決法を教えてもらって、明くる日から、それをやってみる。すると、問題は解決していく。この未来の出来事が、過去までさかのぼって、過去で問題を解決してしまうことが起こるという、ちょっとしたパラドックスです)
だから「祈り」は未来から過去へ向かって流れている、とも言えます。
大好き!ありがとう!うれしい! な「祈り」のエネルギーが未来から過去へと流れてる。
大好き!ありがとう!うれしい! な未来が、この宇宙を創り出したんだから、この宇宙は、いつかの明日に必ず善きこととなる のです。
これが宇宙の約束のタネあかし。
大好き!ありがとう!うれしい!の「祈り」が縦糸で、
喜怒哀楽が彩る時間と空間が横糸で、
命を、「今」を織り上げてるのですね。

そんなことを想いながら、昨日のワークを行いました。


2011年12月4日 天満満天堂Live 「祈りのワーク」 お台本
「あなたの祈りのための過去生へ」
*子供の頃の幸せな場面
*最も幸せな場面
*最も大切な場面
*あなたの祈りのための場面
*次に大切な場面
*死の場面

*その人生の大きな節目の場面
 *もうひとつの道を歩んだ人生

<光との対話>
*今のあなたに最も必要なメッセージ
 *今のあなたに最も必要なビジョン
*あなたの祈りのためのメッセージ
 *あなたの祈りのためのビジョン
  *私の祈りのためのマントラ・真言は?
  *私の祈りのための色は?
  *私の祈りのための香りは?
  *私の祈りのための食べ物・飲み物は?
  *私の祈りのための音・音楽は?
  *私の祈りのための時間と場所は?
  *私の祈りのためのつながり・友だちは?
  *私の祈りのための花は?
*私の今生の祈りは何でしたか?
 *私の今生の祈りはどんな意味がありましたか?
 *私の今生の祈りは何をもたらしましたか?
*私の新しい今生の祈りは何ですか?
 *私の新しい今生の祈りは、どのように祈ればいいのですか?
 *私の新しい今生の祈りは、誰と、どんな人たちと繋がっていますか?
 *私の新しい今生の祈りは、何をもたらしますか?
 *私の新しい今生の祈りは、どこに、どんな人たちに届きますか?

*今年の私を光さんはどう思っていますか?
*今年の私は、何を学びましたか?
*今年の私は、誰のどんなお役に立てましたか?
*今年の私は、何をやり残していますか?
*今年の私は、どれくらい成長しましたか?
*今年の私のきずなには、どんな意味があるのですか?
*今年の私の別れには、どんな意味があったのですか?
*今年、私が得たものには、どんな意味があるのですか?
*今年、私が失ったもの、手放したものには、どんな意味があったのですか?
*今年の私の節目には、どんな意味があったのですか?
*今年の私の節目で、別の道を歩んでいたら、私はどうなっていましたか?
*今年の私はここまでこれで順調ですか? どれくらい順調ですか?
*私にとって、この震災はどんな意味があったのですか?
*私にとって、今年はどんな意味があったのですか?
*今、私がやっていることには、どんな意味があるのですか?
*今、私が出会っている人たちには、どんな意味があるのですか?
*今、私の目の前に起こっていることには、どんな意味があるのですか?
*今年の私を祝福してください。
*私の身体を祝福してください。何か不具合があれば、教えてください。
*私のこころを祝福してください。何か不具合があれば、教えてください。
*私が歩んでいる道を祝福してください。何か不具合があれば、教えてください。
*私に光の智恵を授けてください。
*私を光の愛で包んでください。

*祈りとは何ですか?
*祈りは何を生み出しますか? 創り出しますか?
*祈りはどこに届きますか? どこに巡りつきますか?
*祈りの誕生から、巡り流れ、旅の終わり、そして転生の一部始終を見せてください。
*祈りと宇宙との関わりを教えてください。見せてください。
*祈りと時間との関わりを教えてください。見せてください。
*祈りと人の関わりを教えてください。見せてください。
*祈りと命の関わりを教えてください。見せてください。
*祈りが宇宙に生まれた瞬間を見せてください。
*祈りが宇宙を生んだ瞬間を見せてください。
*祈りが人を生んだ瞬間を見せてください。
*祈りが命を生んだ瞬間を見せてください。
*なぜ宇宙は、すべてうまくいくようになっているのですか?
*なぜ宇宙に星があるのですか? 星がある意味は何ですか?
*なぜ宇宙に人がいるのですか? 人がいる意味は何ですか?
*なぜ宇宙に命があるのですか? 命がある意味は何ですか?
*なぜ宇宙に私がいるのですか? 私がいる意味は何ですか?

*先ほどの過去生の人があなたにメッセージをくれます。
 *祈りの智恵をあなたに託してくれます。
*光さんが、今のあなたに最も必要な、今生のあなたの未来のビジョンを見せてくれます。あなたはどんな表情で、どこで、だれと、何をしていますか?


@光の手
@あなたのこころの奥深くにある、あなたの今生の祈りを取り出して、見せてくれます。
あなたの今生の祈りが生まれ育ったビジョンが見えてきます。
 *誰がどんな人たちがどんな願い、祈り、希望で育んでくれましたか?
 *あなたの今生の祈りは、あなたのこころの中で何を感じとり、何を生み出し、どのように育ってきましたか?
 *そのあなたの今生の祈りは、今のあなたに何と言っていますか?
@あなたのこころのずっとずっと奥にある、あなたの魂の祈りを取り出して、見せてくれます。
あなたの魂の祈りが生まれたビジョンが見えてきます。
あなたの魂の祈りが育まれ育ってきたビジョンが見えてきます。
 *そのあなたの魂の祈りは、今のあなたに何と言っていますか?


@祈りの星
*光さんがあなたを、すべての祈りが巡りあいながら集う、祈りの根源、祈りの星へと導いてくれます。
 *あなたは祈りの星へと降り立ちます。何が見えますか? 何が聞こえてきますか? 何を感じますか?
 *あなたは祈りの星の中へと吸いこまれていきます。そして、祈りの星と溶け合い、ひとつになります。あなたは今、祈りの星とひとつに溶け合っています。
  *あるがままに感じて。すなおに、ただ感じて。あなたのすべてで感じて。
  *あなたの中に、祈りの星のすべてが流れ込んできます。何が見えますか? 何が聞こえますか? 何を感じますか?
  *あなたは大いなる祈りとひとつです。大いなる祈りがあなたを祝福してくれます。
  *あなたは大いなる祈りさんに抱かれたまま、帰って来ます。

@大いなる祈りさんの浄化
*大いなる祈りさんの手には、聖なる祈りの杖が握られています。杖を地面に打ち立てると、時空間の狭間を越えて、聖なる山が現れます。聖なる山の頂には聖なる洞窟が見えています。大いなる祈りさんに抱かれながら、あなたはその聖なる洞窟へと登っていきます。大いなる祈りさんは、あなたに聖なる洞窟へ入るようにうながします。大いなる祈りさんは聖なる洞窟の入口であなたを待っていてくれます。あなたは聖なる洞窟の中へ入っていきます。あなたは聖なる洞窟の中心に導かれて行きます。そして聖なる洞窟の中心であなたは静かに瞑想します。
*聖なる祈りが聞こえてきます。あなたのための聖なる祈りです。
*聖なる祈りがあなたの肉体を浄化してくれます。あなたの肉体を浄化する祈りの言葉が洞窟に鳴り響きます。
*聖なる祈りがあなたのこころを浄化してくれます。あなたのこころを浄化する祈りの言葉が洞窟に鳴り響きます。
*聖なる祈りがあなたの人生を浄化してくれます。あなたの人生を浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
  *聖なる祈りがあなたの悲しみを浄化してくれます。あなたの悲しみを浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
  *聖なる祈りがあなたの苦しみを浄化してくれます。あなたの苦しみを浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
  *聖なる祈りがあなたの怒りを浄化してくれます。あなたの怒るを浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
  *聖なる祈りがあなたの喜びを浄化してくれます。あなたの喜びを浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
*聖なる祈りがあなたの絆を浄化してくれます。あなたの絆を浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
*聖なる祈りがあなたの魂を浄化してくれます。あなたの魂を浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
*聖なる祈りがあなたの宇宙を浄化してくれます。あなたの宇宙を浄化する言葉が洞窟に鳴り響きます。
*あなたは聖なる洞窟で祈ります。何を祈っていますか? どんな祈りがわき上がってきますか?
*洞窟を出ましょう。大いなる祈りさんがあなたを抱きしめ祝福してくれます。何と言って祝福してくれていますか?
*そして、大いなる祈りさんが、あなたに「祈り」を語ってくれます。あなたがみんなに教えられるように、伝えられるように、やさしく、わかりやすく、語ってくれます。
*大いなる祈りさんは天上の大いなる光の中へ戻っていきます。

2011年12月2日金曜日

おはようさん 2011.12.2.

昨日の午後、京都北野天満宮の紅葉苑に行ってきました。
今年の紅葉は毒に当たったようにくすんでて、写真を撮ってる人たちも毒を吐きだしてる人が多くって・・・なんてブツブツ言ってたら。
急に神さまから「北野天満宮に行け!」って言われて、
「雨だよ、いやだよ」「外来終わってから行っても3時だよ」なんて抵抗してたけど。
行かないと後悔しそうで堪らない気持ちが大きくなってきたので、思い切って行きました。
すると・・・雨→曇り。外来→ヒマ。電車・バス→すぐに来る。人出→超少ない。。。
そして、先日までの紅葉がウソのように、透き通った錦の紅葉を堪能させていただきました。
2011年の紅葉は全然ダメだった。。。が、2011年の紅葉は遅かったけど、最後の最後は最高にきれいだったよ、に変わりました。
結果良ければ全て良し。
実は人生も同じです。
本当は誰の人生も、どんな人生も、結果オーライのはずなのです。
ただ・・・自分の中の抵抗勢力に負けちゃう。誘惑に負けちゃう。そう、闇に飲み込まれちゃうから、ドツボの道へ進んでしまうのです。
何度も何度も光の道へと戻る節目がやって来るんだけど、見えてないから、ガンコだから、そのまま闇の中にいます。
自分を許す。自分をあるがまま認める。自分を信じる、自分を愛する。そう「和」ですね。
許・認・信・愛 が白玉だとすれば、小豆は素直さですね。
ガンコなままだと小豆はアンコになりません。
素直になって、どんどん素直になって、トロリとした美味しいお善哉になります。
素直だから許・認・信・愛せるんだし、許・認・信・愛せるから素直なんです。
それは難しい?
まずは、自分がいかにガンコかということに気づきましょう。
自分のどこがガンコかということがわかれば、自分のガンコを仕分けできます。
ガンコをすべて捨て去る必要などありません。
生きざま、勇気、信念を輝かせるためにガンコは必要です。
ただ使い方がわからなかっただけ。使い方を間違っていただけです。
ガンコの使い方を間違ったまま人生を送ると、ガンコな人生で終わってしまいます。
結果良ければすべて良しのはずが・・・自分の葬式を上から眺めながら、あれ??って悲しくなっちゃいます。
男性生は素直になると、全てに負けちゃうような不安があります。
本当は逆なのにね。
素直になればなるほど、素直な人たちが集まってきてくれます。
小さな幸せ&悦びがいっぱい見つかります。
裏表や優劣や貧富とはサヨウナラの素直な絆が拡がります。
(男性生はこの光色の世界が・・・怖いのですね。今までのすべてを失うような気がするから)
素直になりましょう。と言っても、どうすりゃいいの?で終わってしまいます。
あなたのここがガンコだよ、って言われると、カッ〜としちゃいます。
あなたのガンコなところ、根性あるし、がんばり屋さんだし、まじめだし。でもちょっとガンコがはみ出してないかな? アンコ入れすぎのアンパンマンだよ。
ほめて、おだてて、持ち上げて、ソッとこころの中に手を入れてガンコの扉を開いちゃうのは、女性生のお役目です。
誰にだって、男性生と女性生があります。
男性生が勝ってるなって感じるところから、素直さは芽生えてきます。
男性生を押さえ込もうとすると、猛烈に抵抗されますから、ここは女性生を育てることから始めます。
美しいもの、こころが楽しいもの&うれしいもの、わけあって「ご一緒に」なもの。
自分はガンコだから、もっと素直になりたい!
そう思い始めたら、女性生のタネをまきさえすれば、すぐに芽が出て、葉っぱが出て、花が咲きます。
今はそういう新しい時代だから。せっかく今を生きてる、生かされてるのだから、「素直」にチャレンジしてみましょう!

P.S.
素直になればなるほど、感性も共感力もビビビビ〜ンになりますよ。

2011年12月1日木曜日

おはようさん 2011.12.1.

12月になりました。
師走というけど、ほんとに12月は駆け抜けていきますね。
今年を振り返ってみる余裕などないくらいセカセカ&イライラもしてきますが、今年のゴールが目の前に迫ってきてるんだから、アレコレ考えずに、転けたりつまづいたりせずに、胸をはってゴールを駆け抜けてしまいたいものです。


最近の「病気の治し方」がテーマの個人ワークでのこと。
光さんのファーストメッセージは「あなたは楽しんでいません!」
病気の根本原因は「人を愛するため」
病気の意味は「幸せになるための忍耐」
病気の治し方は「自分を信じること。許すこと。愛しなさい。まず人を信じなさい」
病気を治すための食べ物は「(あなたは)もう知ってる」。色は「ピンク」。合言葉は「愛」。運動は「歩け歩け」。音楽は「クラッシック」。場所は「神社」。日課は「早寝早起き」。そして「おだやかに笑いなさい」。
今生の目的は「愛すること」
これからの使命は「尽くすこと」
病気が治った未来の姿は・・・離別したパートナーと仲良く暮らしているビジョンが見えて(さすがに本人はびっくりしたけど、すぐに納得されていました)。
「やりなおしなさい。信じなさい。素直になりなさい。ありのまま全てを話しなさい」と光さんに諭されました。
Q:なぜ病気になったのですか?
A:あなたは愛が足りなかったから、わがままだったから。愛を取り戻すために、笑いなさい。大丈夫ですよ。
光さんが抜き取ってくれた病気の根本原因は、黒く冷たいザラザラしたものだったけど、もう一度やり直してみるって決めたら、白く変わっていきました。
光さんは最後に、あなたは明るくなった、気づきましたね、そうすれば治るよ、と祝福してくれました。

楽しむことは悦び。
感謝と悦びが「祈り」の追い風となって、人生を順風満帆、善き方へと導いてくれます。
この方もまさか光さんからこんなことを言われるとは思っていなかったようですが、最近は本当に機が熟した方ばかりが光さんに導かれるようにやって来られます。
光さんのメッセージは、うちなる宇宙から湧きあがってくるメッセージです。
宇宙の全ては善きことへと繋がっています。
和・輪・笑の善きことへと大河のように流れているのがはっきりと見えてきたのが今年でした。
河面には淀みや渦や逆流があるけど、大地を蹴って自由に飛んで俯瞰すれば、とうとうと流れる美しい大河が見えるだけです。
その大河が時間であり、「祈り」の風であり、宇宙そのものであることがわかれば、素直に、あるがままに、今を楽しめるようになれます。
生きる悦びが来年どんどんと拡がっていってほしいなって思っています。