2011年12月14日水曜日

おはようさん 2011.12.14.

寒いですねぇ、風邪ひかないようにねぇ。
冬らしいごあいさつが駆け抜けていきます。
誰もがみんな、大晦日のゴールに向かって忙しそうに走り回ってるから師走なのかな?
節電強力でいつもより寒い診察室でブルブルってしながら、小学校の耐寒マラソンを思い出してしまいました。

どうしたら生きがいが見つかりますか?
一生懸命に生きるって、どういうことですか?

ひとつの人生を終えると、まず肉体をこの世に残して、意識体と魂の光さんはポニョっと浮かびます。
怒りや憎しみ、恨みや嫉妬・・・のベトベト意識は大地へと落ちて、しみこんで、やがて地球さんが浄化してくれます。
喜びと感謝でニコニコしながら意識体は、プカプカと天に昇っていきます。
やがてニコニコな意識体は、すべての人生の記録を所蔵している図書館へと導かれ、生まれてから死ぬまでずっとずっと書き連ねてきた今生の書を納めます。
同時に、意識体から魂の光さんがヒュッーと抜け出して、スゥーと天上へ昇っていきます。
そして、大いなるひとつの光さんの中へと溶け込んでしまいます。

今生の書には、何が書いてあるのでしょうか?
日々のダイアリー。
 したこと、したかったこと、してしまったこと、されたこと・・・
 思ったこと、言ったこと、言われたこと。
 祈ったことも願ったことも。
そんな一日一日をパラパラ漫画していくと、何が浮き出てくるかな?
 毎朝、ベランダのお花に水をやりながら、道行く人たちに笑顔で声をかけてる姿だったり。
 土を耕し種をまいて、雑草を抜いて虫を捕って、収穫祭で顔ほころばせている姿もあって。
 子供を育てている姿も、家族のためにお料理してる姿も、働いている姿も、病気だけどがんばってる姿も。
 私のパラパラ漫画は、七転び八起きのダルマさんかな? 今はがんばってる顔だけど、最後は満面の笑顔にしたいなぁ。

毎日、お話をする患者さんたちに思い重ねてみると、
身体の病気の人たちも、こころが病気の人たちも、
仕事をがんばってる・がんばってきた人たちも、働く気のない人たちも、
みんな、一生懸命に生きてます。
ただ、「生きがい」を持って一生懸命に生きている人は・・・少ないかな。。。
自分だけのために、家族親族だけのために、お金や財産のために一生懸命生きてる人には、光のような笑顔も感謝も祈りも・・ないのかもしれないなって思います。
世界中の政治家さんたちや世界経済を動かしているCEOさんたちの影像を見ながら、「光のような」と「笑顔・感謝・祈り」がそろっている人がいないのがとても悲しくなります。
彼らは言うでしょう、「生きがいに満ちあふれてる」って。
でも、ちがうんだなぁ。どこが違うんだろうなぁ?

一生懸命に生きていても、そこに「生きがい」を感じられるかどうかは、その人次第です。
その人は生きがいを感じていないけど、まわりの人たちからは、すごく生きがいに充ちた日々を歩んでいるって思われている人もいます。
私の生きがいはこれです!と自慢してるけど、まわりの人たちからは、ふ〜ん、そうですかぁってスルーされちゃってる人もいます。

やっぱり「光の笑顔・感謝・祈り」が「生きがい」のキーワードですよね。
「光の」は、それが 自分のため & 誰かのため & みんなのため になるぞって、こころから信じていることです。
愛して、認めて、許して、信じて の「和」が光を強めてくれます。
自分のためは煩悩だからダメだ! 滅私奉公しろ! 我欲を手放せ! 指図されるな! 自由だ、あるがままだ、素直になれ!・・・だと光の中に闇が混じります。
煩悩も我欲も支配も、嫉妬も憎しみも悲しみも苦しみも、仮面もガンコも弱さも、
どれも人間らしさ、生きてるあかしです。

生きてるあかしを振り払おう、手放そうとすればするほど、生にからまれ執着してしまいます。
即身成仏や鞭で我が身を打ち続けるなんて答えにすがりついてしまいます。
善悪・優劣な二元性は、振り子のように一本線を行ったり来たりしてるけど、突き詰めて追い込んでいくと、メビウスの輪となってグルグル回ってしまいます。
善は悪になり、優は劣に変わる、やがて悪は善とされ、劣は見直されて優とされる・・・歴史そのものですね。
そして、いつまでたっても手放せていない。生と死を行ったり来たりのままです。
これが古い時代。昨日までの世界。

「笑顔・感謝・祈り」が新しい光の世界への呪文です。
二元性のメビウスの輪の上を走りながらでいいから、五感に囚われない、こころの静かな、精妙な目で自分を眺めてみましょう。
自分が光の子だということがよくわかりますよ。
そして、まわりの人たちの光も見えてきて、光の世界が見えてきて、時空間の流れを祈りが鮎のようにキラキラと遡っていくのが見えてきます。
生と死の壁が消えて、アカシックの伝記図書館が解放されて、大いなる光さんとひとつになって、日々を生きていけるようになります。

一生懸命生きる・・・?? それって何?
光の世界での日々には、もう一生懸命って言葉は忘れ去られてしまっていくでしょう。
時代の大きな節目だから、世界の大きな節目だから、一生懸命という言葉が浮かび上がり暴れだしているのかもしれませんね。