2014年1月30日木曜日

おはようさん 2014.1.30.

明日は旧正月。 今日で本当に2013年が終わります。 今朝の雨を眺めながら、初春の息吹を感じていました。 旧暦 太陰暦は自然の感性にぴったりですね。 日の出がだんだん早くなってくるし、 お日さまもどんどん元気になってきます。 水仙 梅 桜・・・春の花々の季節のスタートです。 まだまだ寒いけど、チューリップの芽がちょこんと顔を出していて、 春が待ち遠しいなって、気持ちが前向きになります。 一年の計は元旦にあり と言うけれど、 旧正月・節分・立春のこの頃に「一年の計」を立てる方が、ポジティブ&チャレンジャーな「計」を立てられるような気がします。 私は遠距離の在宅往診用に10年ぶりにバイクライフを復活させました。 往診や通勤は初代TMAX500(スクーター)を使いますが、10年前に思いっきり青春したスポーツバイクのCBR954RR Fireblade君を手放して、新しいバイクを買おうかと画策中です。 ファイアーブレード君、10年ずっと動かずじまいで、先日、「走りたいよ!」の叫び声が聞こえてきました。 バイクは走るのが生きがい。 「カメラは写真を撮るのが生きがい」をモットーにオールドカメラを愛用している私としては、バイク君の悲痛な叫び声にこころが痛んだ次第です。 若いご主人さまのところに行って、思いっきり走り回ってもらいたいと思っています。 ゆっくり乗れる大型バイクで、カメラをリュックに背負って、プチ旅行三昧な休日・・・ これから10年の間に、どれくらいのステキな思い出が作れるかしら。 人生を楽しむってこと&生きがいの創造を実践して、みなさんにご狂乱 ちゃう 供覧したいと思っています。 バイクは怖い、ケガする、死ぬかもしれない、ええ年こいて・・・とネガティブになれば何も出来ません。 お金を貯める、高級腕時計やブランド品に身を包む、高級旅行を楽しむ、エゴな茶会や風流を嗜む・・・それはそれでいいのだけど、私には・・・向いてませんね。 これからの10年、 好きなカメラを背負って、好きなバイクでフラッと出かけて、自由な写真を撮って、出会った人たちとおしゃべりをして、たまには温泉に寄り道して・・・そんな思い出色に染まった10年にしたいと思っています。 ちなみに今、こころ色めいているバイクは HONDA VT1300CX アメリカンなんかぜ~んぜん興味ない!と豪語していた40代に私が呆れ果てて笑い転げています。 40代の私に笑われるってことは、今の方が若い!ってことですね。 はい! これぞ 生きがいの創造 人生を楽しむ ってことでございます。 前世物語  過去生では、まず着地したところを見て回ります。過去生の中で現れた登場人物のうち、夫婦、親子、師弟などの重要な人は「今のあなたが知っている人ですか?」と確認していきます。ですから登場人物が多いとけっこう時間がかかってしまいます。  そして次に、その人の人生で最も幸せだった時へと戻ります。これは過去生の中での場面転換の練習の意味もあります。主題はだいたいネガティブな出来事が多いですから、どうしてもそんな嫌な出来事には戻りたくないものなのです。その点、最もハッピーな場面を嫌がる理由はありませんから、場面転換の練習にはもってこいなのだそうです。また、このハッピーな場面はその人の人生を見ていくうえでの「安全地帯」にもなってくれます。いざとなれば、その安全地帯にいつでも逃げ込むことが出来るのです。ちなみにこの「人生で一番幸せな時」は、子供の時に両親に見守られながら遊んでいた時と結婚式の時が大勢を占めています。  過去生での足場が固まったら、いよいよ本題です。先生は主題の場面へと進めます。これはそう簡単には見えないことが多いようです。でも、先生は患者さんを追いつめたりせずに次へと進めます。  過去生の最後は死ぬ場面です。この死の場面はほとんどの方が見えます。病気、ケガ、老衰のいずれ で死にそうか? 身体に痛いところ、苦しいところはあるか? 看取ってくれている人はいるか? 死ぬ直前に何を考えているか? 人生を振り返ってみて何を思うか? 等々を尋ねます。先生のズルいところは、「もう死ぬ間際だよね。ここまでよく生きてきたね。がんばったね。だから人生を振り返ってみて、あの時、何が起こったの? 思い出してみて」と誘導して、見えなかった主題の場面を探り出し ます。これがけっこう有効な手立てとなっています。これを先生は「思い出の術」と呼んでいます。  そして死ぬ瞬間を通り越します。これはあっけないことが多いです。もちろん苦しむ方はおられますが、それも数分程度ですぐに穏やかな呼吸に戻ります。先生は死ぬのが恐い方の事前説明に、よく例え話としてこう言います。 「私が一番苦しかった死に方は、イスラムの麗しい踊り子だった時です。幾何学模様が美しいホールで踊っている時に大地震が起こりました。高い天井が崩れ落ちてきて、私は大きな円柱の柱の下敷きになりました。肺がつぶれて息が出来なくて死にましたが、あれは苦しかったですね。背中が汗でビショビショになりましたよ。それに比べたら、首を切り落とされるとか、高い塔から身を投げるとか・・・は楽ですよ」  果たしてこれが死ぬのが恐い方のリラックスに繋がるのかどうか、はわかりませんが、先生の口からこれを聞くと何だか過去生で死ぬのも恐くなくなってきます。  ここまでで残り時間はだいたい二十分です。過去生での人生を振り返り、過去生と今の人生を見比べてから光の中へと上がっていきます。そして、後は時間の許すかぎり光との対話を楽しみます。  光との対話が順調に運び、まだ時間的な余裕があれば、「今の人生の目的を達成することができた未来」を見るように促します。二時間半のワークではこの未来のヴィジョンまで進むことが出来ますが、今でもワークの内容は発展的に進化してどんどん濃密になっていますので、どうしても時間切れになりがちです。 「二時間ワークはそろそろ限界かなぁ・・・」  患者さんに出来るだけ素晴らしい気づきの種をたくさん持ち帰っていただきたい、そう思い続けている先生にとっては、今、これが大きなジレンマなのかもしれません。 「神様、先生をお守りください。美子の心からのお願いです」

2014年1月29日水曜日

おはようさん 2014.1.29.

今日の光の前世療法は、パーソナリティ障害・神経症の方のワークでした。 選ばれたテーマは「生まれてきた意味がわかる過去生へ」 降りたのは・・・鎧兜の侍。大坂夏の陣のまっただ中でした。 家康の本陣に向かって突撃して、チラッと家康の姿が見えた時、矢が胸を貫いて首を落とされました。 時を遡って、その人生で最も大切な場面へ戻ると・・・ 林の中で敵将と会っています。寝返りを持ちかけられた場面でした。 しかし、断りました。その時の決心が「義を貫く」 過去生を通じて、光さんからこの方へ託された大きなメッセージだと感じました。 「義を貫く」ことが、今のこの方にとって、どういう意味を成すのかはわかりません。 でも、きっと今日を人生の大節目として、大きく飛躍されていくと思います。 「神経症をクリアーできた未来の姿」へと誘導すると・・・ 家族を持って、がんばってる自分が見えました。 「病気は治ってないけど、うまくやっている」とのこと。 何より家族が出来ていることが何よりの明るい希望となりますね。 またひとつの人生を救えた・・・ものすごく疲れるワークですが、こんなちっぽけな自己満足感が次のワークへの氣力の源となってくれているのです。 今日は鍼もいっぱいしました。 ムズムズ足のおばあちゃん・・・大巨に鍼をすると、ムズムズ足は治りました。 パーソナリティ障害・神経症の方たちも、湧泉ー百会の鍼でどんどん良くなってきています。 そういえば、今日は半数は湧泉組やったかなぁ。。。 患者さんたちの顔もこころも柔らかくなっていってくれるのが一番の鍼の喜びです。 インフルエンザの後、身体の怠さや咳が残って再診される大人患者さんが散見されます。 竹茹温胆湯や滋陰至宝湯、滋陰降火湯の証なのですが、さて他のお医者さんたち、特に漢方嫌いなドクターさんたちは、どんな処方をされているのかな? まさかロキソニンやポンタールなどの消炎鎮痛剤、PLなどの感冒剤を出し続けてる・・・わきゃぁないでしょうねぇ。 どないしてるんやろう??? と思った朝外来でした。 前世物語 「先生、初めに出てきた前世の娘さんの過去生って、どんな人生だったのでしょうね。ちょっと興味あるなぁ」  先生にレポートを見てもらいながら私は聞きました。 「そうだね、このワークでは、ともかく亡くなった娘さんにコンタクトをとることが最優先だったから、前世の娘さんの過去生までは見に行けなかったけど、もうちょっと時間に余裕があったら見れたかもしれないね。いつもの二時間枠だと駆け足どころか、百メートル・ダッシュものだからね。私も辛いんだよ。でもね、最近は二時間半の枠も作ったから、どうしても詳しく過去生を見たい方には予約の段階でそちらをお薦めしてくださいね。これは美子さんの大切な仕事だよ」  私はしっかりと頷きました。  先生の過去生ワークの時間割は分刻みです。  初めの挨拶は抜きで、今日の主題を決めます。「***の原因となった過去生へ戻りましょう」「***の理由がわかる過去生へ戻りましょう」「***さんとの関係がわかる過去生へ戻りましょう」の3タイプに大別されます。このうち一つを選んでもらいます。事前にはっきり決めることが出来なくても心配いりません。先生が話を聞きながらアドバイスしてくれますので、いつも五分ほどでテーマが決まります。そして先生はこう続けます。 「順調良くいくと、その過去生が一つ見えてきます。過去生ですから、その人は死んでますね。死ぬと上にあがって行きます。すると光、マスター、神さま、仏様、仙人、おじいさん等々、何かが出てくることがあります。出てくると、そこでいろいろ聞けます。まず主題についてもう一度、尋ねます。その原因と治し方ですね。そしてあなたの今回の人生の目的、これは聞くことになっています。これは生きがい療法ですからね。そしてあなたの好きなことを三つ、尋ねることが出来ます。何でも構いませんよ。ただし答えてくれるかどうか、はわかりません。例えば神様、仏様が目の前に現れたとして、何を尋ねますか? あなたの言葉で尋ねるとしたら、何と聞きますか?」 ここで質問が出そろうまで、だいたい五分です。  次に先生は説明を始めます。詳しい内容はまた別の機会に書きましょう。この説明が十五分ほどかかります。催眠が初めての方にとっては、この説明がとても役に立っています。説明の内容もですが、なによりその間にリラックス出来るのです。遅刻して来られた患者さんには、この説明がカットされます。遅刻して慌てているせいもありますが、やはりいきなり催眠誘導に入るとうまくいかないことが多いようです。 「あの説明はね、前催眠の役割を果たしているんだよ。催眠に入りやすい人は、あの説明だけで十分に催眠に入っているからね。だからあの説明も私のワークにとっては大切なパーツなんだよ。過去生を見るだけだったら割愛も出来るけどね。そうはいかないよ、だってこれは光との対話による生きがい療法だからね。そう、私の誘導の最短記録はね、テーマをまとめているうちに過去生が見えてきた人だったよ。あれには驚いたね。***の原因となった過去生へ戻りましょう、と一回言っただけだったからね」  先生はそんなこぼれ話をしてくれました。  過去生への誘導は約四十分かかります。他のセラピストに比べるとあまりに長いようですが、先生は自分の方法を押し通しています。この辺はすごい頑固オヤジです。ただ、東日本の方には意図的にゆっくりと喋ろうとしています。ワーク後のアンケートで、先生の誘導が聞きにくい、早すぎる、という方々と、丁度良い、という方々に意見が分かれたことがありました。患者さんのデーターを分析してみると、男女では男性に、住所では東日本に聞き取りにくい、早すぎる、という方が多いことがわかりました。そしてこれは講演会をする方には常識のことだともわかりました。それ以降、先生は東日本の方々にはゆっくり目に喋っています。ただし、先生の東と西の境界線はなぜだか関ヶ原です。 「先生、もしかしたら先生の過去生の中に、関ヶ原の戦で破れた西軍の侍がいるんじゃないの? だから今でも徳川側を恨んでいるんでしょう。患者さんには恨みや憎しみを持ち越してきてはいけませんよ、なんて言っときながら何ですか! ご自分は・・・さぁ、この美子が聞いて差し上げますから、すべてを打ち明けて楽になりなさい!」  先生は大笑いしながら走って逃げてしまいました。これも真相が解明し次第、このレポートに書き込みましょう。

2014年1月28日火曜日

おはようさん 2014.1.28.

冬の夜が好きです。 しずかだから。 車のヘッドライトがゆっくりと流れていき 街の灯りが北風さんにチラチラと揺らいでいて。 この灯りの下、どれくらい幸せな人がいるんだろう? 泣いている人もいれば、キスでもしてる人もいるんだな。 幸せって何なんだろう? きっと死ぬ朝にわかるんだろうね。 それまでは試行錯誤。 当たりもはずれもない 正しいも間違いもない チャレンジ&トライの繰り返し。 悲しみも恨みも憎しみも悔しさも色褪せて ただ楽しかった、うれしかった、感動した思い出がいっぱいあれば、 きっと幸せな人生だったと微笑むだろうな。 一人暮らしのお年寄りたちを見ていて・・・ 生き生きとしてる人は、そんな善な思い出があるようです。 亡くなったパートナーと一緒に 死にもの狂いで働いてきた。 いろんなところへ旅行へ行った 甲子園にも行ったし、映画も観た、美味しいものも食べた。 閉じこもって「死にたい」と言ってる人には、それがないような・・・気がします。 光さんは「人生の目的は何ですか?」と問うと、「楽しみなさい」と答えます。 貧乏暇なしで働きづめでも、 病気や不自由な身体で難儀し続けても、 お金持ちでも権力者でも有名人でも、 愛する人がいても、ボッチ飯を食べ続けていても、 この「楽しみなさい」は誰にでも簡単にできます。 でも、出来ない人には死ぬまで出来ません。 それは自転車に乗るようなもの。 コツは・・・目を開けていることです。 こころの目 五感でない感性の目 昨日の「ボッチ飯はまずくない!」を書いた後、天から降ってきたP.S.です。 愛する人と一緒にする食事は楽しいです。 意識は愛する人と話題へと向いています。 私はボッチ飯しながら、目の前の魚さん、野菜さん、卵さんたちとお話しながらいただきます。 どんな人たちが働いてくれて、どんな海や大地が育ててくれて、どんなご縁で私の胃袋にやってきたのかに思いを馳せると・・・妄想できます。 この妄想食事も楽しいです。何より感性が磨かれていきます。 そして、これはボッチ飯だからこそ、できるのです(パートナーを前にしてやったら・・・怖ろしい結果になるでしょう) これも人生の楽しみ方です。 そしてね、こんな妄想の楽しみは、例え寝たきりになっても、困窮でビスケット1枚しかなくても、どこでもどんな状況下でも出来ます。 世の中を見ていると、妄想の楽しみが出来る人たちはなぜか優しいのです。 気配りも出来ます。あんまり怒らないし、悲しみに溺れません。 深い愛を感じられる人たちです。 静かな冬の夜の街の灯りを眺めながら 今夜もボッチ飯だった人たちって・・・ものすごく多いんだろうな。 天上では陰暦のお正月に向けて、真新しいお月さまの掛け替えも終わりました。 お正月の夜、真新しい今年の新月さんが昇ってきます(見えないけどね・・・こころの目では見えるんだなぁ これが) そんな新月さんが放つ良き氣の光が、今夜、静かに眠っているボッチ飯な人たちにいっぱい幸をもたらさんことを 祈っています。 前世物語 「私の今回の人生は順調ですか?」 「順調だ、って」  先生はマスターに、今回の人生の目的をクリアーできた、未来の彼の姿を見せくれるように頼みました。 「子供たちに囲まれています。穏やかに笑っています」 「未来のあなたから今のあなたに、何かアドバイスをもらってください」 「今、あなたに起こっていることは全て必要なことです。真正面から取り組みなさい。ごまかさないことです」 「まわりの子供たちの中に、娘さんは生まれ変わっていますか?」 「います。おさげの女の子になっています」 「その子に聞いてください。あなた、生まれ変わってきたの?」 「そうだよ」 「どうしてこんな形で、お父さんの所へ来たの?」  彼はうれしそうに答えました。 「恥ずかしそうに笑ってるだけです」  彼はマスターにお願いしました。 「最後に何か一言、アドバイスをください」  マスターが答えました。 「やりかけてることをすぐに片付けなさい」 「娘さんを子供たちのもとへ返してください。そして娘さんからも、何か一言アドバイスをもらってください」 「お父さん、がんばってね」 「マスターと子供たちに、娘さんをよろしくね、ってお願いします」 「みんな一斉に、うん、って言っています」  この症例は、過去生なしでいきなり不思議なところへ降り立った症例です。前世の娘が出てきたり、マスターの召使いが出てきたりと奇想天外ですが、お父さんの強い想いがマスターのところへと導いてくれたのでしょう。  このお父さんの宿題「私はどうして死んだ娘を忘れられないのか?」「そこに意味があるから考えてね」が、「娘に感じるように自分のまわりの人に思いやりを見せなさい、使いなさい」へと展開していきます。そして、「今、あなたに起こっていることは全て必要なことです。真正面から取り組みなさい。ごまかさないことです」と結論づけられます。  子供を亡くすということはとても悲しいことです。その日以来、子供への深い愛情を泣きながら再認識する日々が続きます。心が固く閉じてしまいます。心の中が闇になります。まわりに目が届かなくなります。これは子供だけではなく、愛する肉親を失った方に共通する心の反応です。肉親を失うこと、そこに意味があるから考えなければならないのです。人生は非情なものです。過酷なものです。しかし、今、起こっていることは全て必要なことなのです。そしてその深い悲しみの中から、まわりの人々への思いやりの大切さ、に気づくのです。固く閉じた心が大きく開き始めるのです。あなたの心の光がまわりの人たちを照らします。あなたが掘った悲しみの油井が深ければ深いほど、あなたの灯火は明るく遠くまで届き、たくさんの人たちの幸せを照らし出すのです。  この症例から、肉親を失う意味を私はこう考えました。

2014年1月27日月曜日

おはようさん 2014.1.27.

先日、私の親友のFBにこのような記事が載っていました。 「そうだ、そうだ あなたのそばにいたいから わたしは 食べるのだ 生きていくのだ ひとりでは とてもまずいのだ 食事も 人生も 食べるから わたしは わたしの身体は あたたかく そして あなたの手をにぎる」 原文のまま 「ひとりでは とてもまずいのだ」に私は驚愕して涙が出ました。 後ろで神さまたちが怒の雷を振り上げてます。 神さまたちはめったに怒りません。久しぶりにみた神さまの怒りでした。 若い人たちの半分は今夜もボッチ飯を食べています。 お年寄りたちの半分くらいもボッチ飯でしょう。 出会えない人、結婚できない人、別れた人、亡くした人。 それぞれ理由はあるけど、 「ひとりの方が気楽でいいさ」なんて口では言っていてもさ、 きっとみんな、誰かを愛したい、愛されたいと祈ってると思うよ。 ほんとはボッチ飯は嫌だけど、しょうがないじゃん、どうしろって言うんだよ。 でもね、ボッチ飯をまずいなんて思ってないよね。 ひとりで生きている人は頑張ってる人。一生懸命に生きてる人。 ひとりで生きているから、優しさを失ってない人、愛を受け止めることができる人。 明日もひとりで生きていくんだから、夢と希望を創造できる人。 ボッチ飯はまずい こんな上から目線でしか世界を見ていない人たちに、本当の愛などわかりません。 生きる意味も、生まれてきた意味も死の意味も、何もわかるはずないじゃないですか。 だって、神さまたちだって私たちと同じ目線なんですからね。 神さまを見下して如何せん。 私もかれこれ10年、ボッチ飯です。 でも、まずいなんて思ったことありません。 食べられる幸せ、食べられる感謝がいつもこころにあります。 上から目線の輩たちには、かわいそうだとか哀れだとかに見えるんでしょうね。 そうか・・・あの人たち、そんなふうに思っていたのか・・・これが驚愕の涙を溢れさせました。 心療内科の患者さんたち、在宅診療のお年寄りたちの多くはボッチ飯です。 ひとりで食べてもおいしくない という方たちもいます。 そうだよねぇ と言葉を寄り添わす時、私は同じ目線、同じ心境です。 痛いほどその気持ちもよくわかるから、次の言葉が出ないこともあります。 上から目線の輩たちは、優しげな言葉を次々フェイクしながら、ゴジラみたいにこころを踏みにじっていくのですね。 それをスピリチュアルだと思ってる輩たちが多いことが、尚更 悲しいです。 どんなに愛し合って仲良しだった夫婦だって、いつか別れの時が来ます。 ひとりぼっちで生きていかなくてはならなくなった時、 そう、ボッチ飯を毎日、食べなければならなくなった時、 上から目線の輩族のこころは・・・魂ごと崩れ去るでしょう。 そして、また18000回の輪廻転生に飲み込まれてしまうのでしょう。 あな おそろしや。。。 光との対話で、 孤独からの学びは?と問うと 光さんは、優しくなれる と答えます。 ボッチ飯の意味は? と問えばきっと・・・ 優しくなれる 感謝できる 幸せになれる と答えるでしょう。 ボッチ飯はとてもまずい なんて言ってる輩とはつきあわない方がいいですね。 (神さまたちの雷のとばっちりを受けちゃいやだもん) 前世物語  グレーの目をしたマスターが大きなイスに座っています。彼を落ち着いた表情で見下ろしています。 彼はマスターに尋ねました。 「今回の人生で、娘との関係は何ですか?」  マスターが答えました。 「思いやり」  彼は召使いにお願いしました。 「もう少しわかりやすく教えてください」 「思いやりを見せなさい、使いなさい」 「もう少し具体的に教えてください」 「娘に感じるように、自分のまわりの人に思いやりを見せなさい、使いなさい」  彼はマスターに尋ねました。 「今の私には思いやりが足りませんか?」 「足りません」  彼はマスターに聞きました。 「私の今回の人生の目的は何ですか?」 「力」  彼は召使いに聞きました。 「それはどういうことですか?」  召使いが答えました。 「力を使いなさい。見せなさい」 「それはどういうことですか? 具体的に教えてください」 「経験を人に与えなさい。知ってることを人に教えなさい」  彼はマスターにお願いしました。 「娘と会えませんか? どうしていますか?」  しかし彼はがっかりして言いました。 「・・・だめみたいです」   先生はマスターに尋ねました。 「なぜ会えないのですか?」  マスターが答えました。 「お前がまだ、やるべきことをやってないからだ」 「何をやればいいのですか?」  マスターが答えました。 「体験を分かち与えなさい」  先生はマスターにお願いしました。 「ちょっとだけでもいいですから会わせてください。お願いします」  すると彼は泣きだしました。 「目の前で遊んでいます。四歳です。友だちと一緒に遊んでいます」 「呼びかけてみて」 「そばに来ました」 「何て言ってますか?」 「今、遊んでるの、って」 「お父さん、会いにきたんだよ」  娘が父に答えました。 「ずっと楽しくしてるよ、って。他の子供も顔を出してきました」  彼は娘に尋ねました。 「辛くない・・・?」 「辛いことなんかないよ」 「早く死んじゃったけれど、あれで良かったの? お父さんはずっと悲しいのだけど・・・」  すると突然、彼が楽しそうに言いました。 「私も子供になって一緒に遊んでいます」  彼は子供に戻って娘たちと一緒に遊んでいました。しばらくしてから彼は言いました。 「ここでは楽しいことが出来そうだけど、ここにはいられないような気がします」  先生は娘に聞きました。 「短い人生だったけど、あれは予定通りだったの?」 「大したことないよ」 「どうしてお父さんのもとに生まれてきたの?」 「僕と約束した、って言ってます」 「何の約束?」 「・・・いつも一緒だけど、たまには違う人にも思いやりを与えようね。でも最初だけは少し一緒にいるからね、って約束しました」  彼は娘に尋ねました。 「また、僕と一緒に生きてくれますか?」  娘は、はっきりした声で答えました。 「もちろんだよ」 「いつ会えるかなぁ?」 「そう思った時だよ」 「お父さんのことを見守ってくれてる?」  娘はしっかりうなずいています。 「お父さんを待っていてくれますか?」 「みんなで待ってるよ」 「お父さんはこれからどうやって生きていったらいいのかなぁ? どうして欲しい?」 「直感を大切にしてね。思ったことをやりきることだよ」  彼はマスターに尋ねました。

2014年1月26日日曜日

おはようさん 2014.1.26.

今日は花写真レクチャーに参加してきました。 季節毎にあって今日で4回目 一年分の花写真を見てきました。 私は花写真を撮る時、花たちとお話します。 もう100%直感の世界に入ります。 私も撮って こっちから撮って・・・といろいろ注文をつけてくる花たち。 それは姿形を撮っているのではなく、花の魂エネルギーを写し撮っているかのようです。 そこには左脳的な呪縛はありません。 構図も水平もボケも意識から遠のいて、ただ花の魂エネルギーと繋がりあってるだけになります。 女性とお話する時、目を見ますよね。あの感覚です。 左脳的な呪縛は、女性の身体をジロジロ見たり、学歴や仕事、親のことや家庭のことなどなどを重箱の隅をつつくようにダメ出ししていきます。 パッと見て、好き!と一目惚れした異性にドキがムネムネしながら話していたら・・・あとで何を話したかなんて覚えてませんよね。ただステキな思い出だけが強烈にこころに残ってる。 そう! そんな強烈な想いこそが最高の写真になると思います。 ひと目会ったその日から 好き!とときめいたのに、学歴は? 仕事は? 家族は? お住まいは? 年収は? ご趣味は?・・・左脳的な呪縛をご披露してしまって、さて結末は如何に・・・ダメとは言わないけど、それなりの人生、魂エネルギーが歓喜に震えるような人生にはなりませんよね。 でも、プロの写真家さんたちのほとんどがそのレベルの写真だけを撮っている今日この頃なのです。 スカートの丈のようにファッション化された写真界では、「かわいい」「とろとろ」「乙女写真」「女子カメラ」といった流行ワードに乗ったカメラや写真がもてはやされています。 それはそれでいいのだけど、どうも巨大なコンツェルンがAKB商法をマネして、写真&カメラの世界をゼロ&1だけしかない薄っぺらいデジタル世界に貶めているように感じられて・・・残念です。 AKBは秋元康という世阿弥に匹敵する天才プロデューサーが理念と理想を掲げながら現実化していっていますが、どうも昨今の写真&カメラの世界は「売れればいい」な浅はかな欲望しかなく、写真の魂エネルギー集合体がどんどん脆弱化していっているのが気がかりです。 ゼロと1しか認めないデジタル世界では魂は生きていけません。 ゼロと1の間にある無限の中に、美の真髄も生命の根源も人間の可能性も宿っているのです。 今日の帰り道、虹を見上げながら、そんなことを思ったのでした。 前世物語 美子レポート     娘との再会  これは十五年前に娘さんを事故で亡くされた、お父さんのお話です。  先生はいつものように、「娘との関係がわかる過去世へ」と誘導しました。  彼の意識の中にイメージが湧いてきました。 「大きな白い石がひとつあります。キューブで、小さな家のような感じです」  先生は尋ねました。 「触ると、どんな感じですか?」 「ごつごつしてるけど、手に馴染む感じです」 「では、その石の中に入ります。そこはどんな感じですか?」 「お風呂のような感じです」 「大きさはどうですか?」 「大きいです。薄紫の広がりがあって、ゼリーの中に浮いてるみたいです」 「居心地はどうですか?」 「馴染んでいます。良い所です」  先生は彼に心の中でお願いするように言いました。 「娘に会わせてください」  彼は答えました。 「まわりのゼリーが揺れるだけです。・・・ぶどうの種のようなものがひとつ、出たり入ったりしています」  彼はゼリーの空間に向かって尋ねました。 「この種は何を意味しているのですか?」  種が白く平たくなって、上へと昇って行きました。上を見上げると、白っぽい空に星がたくさん見えました。彼はその星空に向かって娘の名前を呼びました。すると、ひとつの星が迫ってきました。先生は彼にその星の中に入るように導きました。 「星の中はどんな感じですか?」 「まわりは暗くて、中央にピンク色の炎が見えます」 「その炎に向かって、娘さんを呼び出してください」 「炎の中で顔が見え隠れしています」 「娘さんはどんな顔をしていますか?」 「笑っています。二十歳くらいです。でも、娘ではないみたい・・・」 「あなたは誰ですか? と聞いてください」 「あなたの娘です、と言っているみたいです」 「あなたが私の娘なの?」 「前の娘だよ」  先生は尋ねました。 「どういうことですか?」  彼は泣きだしながら、「前の娘でもいいです・・・」と言いました。  先生は炎の顔に向かって、「お父さんの前に出て来てください」と頼みました。 「目の前にいます。私よりも背が高い女の人です。笑っています」 「その娘さんにゆっくりと近づいて、手を握ってください。どんな感じですか?」 「自分の手と溶け合っています。気持ちいいです」  彼に娘さんをしっかりと抱きしめながら、心の中でお話してもらいました。長い沈黙と涙が続きます。 やがて彼は答えました。 「何を聞いても笑っています」 「私のもとに生まれる前の娘は、あなただったのですか?」 「うなずいてます」 「今の娘はどうして早く死んでしまったのですか?」 「よくわかりませんが、自分で考えてみて欲しい、って言っています」 「今回、なぜ私をお父さんに選んだのですか?」 「好きだからです」 「どうしてお父さんは娘を忘れられないのかなぁ?」 「そこに意味があるから考えてね」 「どうして今の娘の姿で出てきてくれないの?」  そう聞くと、その女の人は上へと昇っていきました。上に明るい筒が見えます。彼もその筒の中を昇っていきました。  彼は緑色に輝くバスの中にいました。広いゆったりとしたスペースでソファーがあります。坊主頭の男の人が出てきました。ロボットのような硬い表情をしています。 「あなたは誰ですか?」  彼はマスターの召使いです。そしてバスがどこかへ着きました。

おはようさん 2014.1.25.

今夜は静かな大寒の雨にすべてが包み込まれています。 とても しずか。 厚い雨雲の夜のドームの向こうでは・・・お月さまが美顔パックしてたりして。 星々がLEDに球交換してたりね。 魔女たちがいっぱい飛び交って、猫バスも走り抜けていて・・・ もうすぐ旧正月 天上も準備におおわらわ かな。 そんな賑々しい雲の上だから、地上に向かって「おやすみ おやすみ」の魔法をかけているのかもしれないなぁ。 そんなしずかな しずかな夜です。 天地開闢 天と地が繋がり、善き氣が循環すること。 異常気象も地震も天と地のアンバランスが成せる業。 いわば宇宙の自律神経失調症でしょう。 人間も同じ。 天は百会 地は湧泉。 両者に鍼で補瀉すれば、善き氣が巡り始めることがわかったけど。 さてさて この世の天と地では如何せん? この世の天と地にとって人間とは何ぞや? 文明科学と人間という物質体が血で、人々の想いが気かな。 今は・・・ひどい瘀血で肝鬱が蔓延してるし、肝火上炎でまた戦争したがってる。 心も神も上炎して熱邪で魂までも狂ってしまいそう。 ほとんとうはね、みんな笑いたい。愛したい。信じたいし、認め合いたい。 ほんとうはもう許したいんだよね、ほんとうは。 いろんな宗教が起こって、もう何千年も経つけど、 そろそろみんながいつも微笑んでいて、 笑い声がいつもどこからか聞こえてきていて、 信じるのが当たり前で、許すのも謝るのも苦にならなくて、 誰もが愛し合っていて、 そんな世の中をこの目で見るために、まだ、こうやってこの世に生かされているんだと 思うのです。 前世物語  私がお母さんの症例をレポートにまとめていると、背伸びをしながら先生が覗きに来ました。 「今日のワークはどうだった? 死んだ人とコンタクトする症例の時はいつも緊張するなぁ。だって、いつ美子さんのご主人に首を絞められるか、わかんないもの」 「先生、そのうち来るわよ。私は助けてあげないからね。せいぜい今を楽しんでらっしゃい、ね」  先生は一本取られた、と大笑いしました。 「ところで美子さん。今日のワークで、雲の上の神さまは怒っていたね。気がついたかな?」 「ええ、あの時、先生はパスして進んでいくのかと思いました。でもあの神様、答えてくれましたね。 これも結果オーライですか?」 「そうだね、あれはあれで良かったんだろうね。サトル君との関係は? 子供です、はひどかったけど、だんだんまともになってきたからね」 「ねぇ、先生。過去生と今の人生を見比べてから上を向くでしょう。光が見える人もいれば、太陽だったり、空だったり、雲がかかっていたり、夜空だったり、それに真っ暗の人もいますよね。あれが患者さんの心の開き具合のバロメーターになっているように思えるのですが、どうでしょうか?」 「その通りだと思うよ。いきなり光が見える人は心が完全にオープンだよね。こういう人は光の中に入っても、しっかりとメッセージを受け取ってこれるんだ。いきなり太陽も同じだけど、きっと患者さんの表現の違いだろうね。雲とか青空は少し心にブロックがかかっているんだ。まぁ、もっとも心の病気の方が受診されるのだから、これも当り前だよね。このレベルの時は、ともかく上に誘導していくと雲の上に出るよ。そこで雲の上に誰かいないか、尋ねるんだ。雲の上に宮殿があったら、そこに入って玉座みたいなものを探すとうまくいくよ。雲から天上へ階段が伸びているパターンもあるなぁ。そう死んだ人の魂とコンタクトする時は、この雲の上のパターンが多いかなぁ。美子さんの時はいきなり眩しい光の中、だったけどね」  私は秘密の情景を思い出しながら頷きました。 「このパターンで神さま、仙人、おじいさん等々が出てきたら、『その方はどんな表情ですか?』と尋ねるんだ。光の化身のような場合には、笑っているか、厳粛な表情がほとんどだからね。ところが今回のように怒っているとか、無表情の場合は気をつけないといけないよ。そこは今の心のネガティブなエネルギーが潜在意識に逆流して作り上げた幻宮かもしれないからね。ここでは答えはネガティブなものばかり返ってくるから怪しいとわかるけど、そのままそこで終わってしまうと目覚めた患者さんは、すっかりネガティブな感情の奴隷となってしまうからね。これはヤバイ、と思ったら、もう一度さらに上へと誘導するんだ。もしその幻宮の外へ出れなかったら、その中に別次元への抜け穴があるはずだから探すんだ。すると光のところまで行き着くことが出来るよ。こんな時はまるでインディージョーンになった気分だよ」  先生は帽子を押さえながらムチを振る格好をしました。 「星空とか真っ暗の時は心が閉じていると考えるんだ。星空だったら、一番明るくて大きな星へ向かっ て誘導するといいよ。心のブロックの隙間から光へと上るんだ。月を探すのもいいよ。真っ暗でも上へ誘導していると星が出てくることが多いから、根気よくやってみるんだ。そして月や星の中に入ったら、その中心に誰かいないか、尋ねてみるんだ。誰か出てきたら、その人の表情を見て・・・は同じだね。でもこのレベルの場合、メッセージが患者さんにとって難しかったり、まだ受け入れられなかったりすることがあるから、ワークが終わってから『なんだかよくわかりませんでした』になることが多いなぁ。まぁ、焦らないで何年、何十年後にでも気づいてもらえれば、やった甲斐はあるからね。  真っ暗のままでどうしても上がれない時・・・たいていは患者さんの方が根負けして自ら催眠を解い て終わりになるけど、時々、その過去生のネガティブなエネルギーに捕らわれてしまって上がれないでいることがあるから注意しないといけないよ。そう、呪縛霊みたいなものかな。そんな時に、このワークの長い長い催眠誘導が生きてくるんだ。催眠誘導の中にいろいろな安全装置が組み込まれているのはわかるだろう。例えば、地球のエネルギーと宇宙のエネルギーに繋がるとか、誰にも犯されない安全な場所があるとかだね。ケースバイケースでこれらを駆使して、患者さんの魂を助け出すんだ。これはすごく自分のエネルギーも消耗するよ。フラフラして倒れそうになることもあるからね。でも、がんばら なくっちゃ。始めたら患者さんと共に帰ってこないといけないんだよ。これは鉄則だからね」  先生の目が私の魂をしっかりと見つめました。愛でもなく、欲でもなく、望でもない、眩しい光が私の魂にさし込みました。私の魂が心地よい身震いをしました。その時、フッと夫が先生の肩に手をかけているのが見えました。 「先生、危ない! あなた、やめて!」  私は心の中で叫んでいました。夫が先生を殺めると感じたのです。  でも夫はニコニコ笑っています。夫は先生と肩を組んでいただけでした。 「あなた、いいの?」  夫は満面の笑みを私にくれました。そして先生のうしろへとゆっくりと消えていきました。 「美子さん。どうしたの、涙が出てるよ。そんなに今の話、感動したの?」  私は先生の目を見つめながら、嘘のウンをしました。先生もじっと見つめてくれています。時が静かに流れていく音だけが聞こえます。空から桜色した光の小玉が降ってきました。 「あれ?」  先生が上を見上げました。 「夫から先生への祝福のプレゼントだよ」  私は心の中で呟きました。 「あなた、ありがとう」

2014年1月25日土曜日

おはようさん 2014.1.24.

昨日の湧泉の鍼の続き。 先日から鍼を始めた神経症の患者さん。 二日目は鍼をした反対側の足を引きずりながら来院・・・??? 湧泉に鍼をした反対側の鼠径部に激痛が生じていました。 かるく触れても激痛が走って。 ははぁん 瞑眩反応やね(;^^)ヘ.. よく診ると、衝門を中心に痛んでいました。 衝門:足の太陰脾経  「衝」は突進、衝撃、「門」は経気が流注する門戸を指していて。衝門穴はいくつかの経絡の経気が流注する要衝であるため、この名がつけられたそうです。衝門穴は太陰脾経と厥陰肝経、さらに陽維脈との交会穴です。 善き氣が邪気を押し上げていき、逃げ場を失った邪気が反対側の衝門でつっかかって痛みとなったわけです。 まずは夢分流打鍼でトントントンと衝門の邪気を散らして。 これだけで・・・あれれ? 痛みは消えていきました。 三日目。足の痛みはますます軽快してました。そして今度は足の痛みと同側(鍼と反対側)の腕の天井(TE10)あたりに激痛が現れました。手の少陽三焦経に邪気が逃げてきたわけです。天井は氣が深部に集まりやすいところですから、なるほどねぇです。 日に日に神経症・自律神経失調症が改善されているのを実感されたみたいで、「まるでマジックですねぇ」との言葉をいただきました。 蓮風先生が日頃「これはマジックではありません」と誇らしげに仰ってるのを見てますので、とってもうれしいひと言でした。 四日目。腕の痛みは消失。足の痛みもほとんど消失。 湧泉も柔らかくなってきました。 これからも紆余曲折するでしょうが(心身症の原因は何度も抵抗してきますからね)、この方はきっと良くなると確証しています。 今日の夕方、10代の女性が自宅でこけて両膝をひどく挫傷して来られました。 この方、小さい頃によく診ていたけど・・・7年ぶりかな? ひどい拒食症と神経症で高知の有名な精神科に入院していたそうです。 膝の挫傷をチマチマと縫合しながら(昔、形成外科と顔面骨外傷のオペをコラボしていたので、実は傷をチマチマ縫うのは得意なのです)いろいろお話を聞きました。 精神科の薬は・・・どこも同じな向精神薬ばかりで。ふ~ん。。。 で・・・明日から鍼をしに来ることになりました。 思うに、この方をうちに導いた大きな力があって。 (昨日のブログに湧泉のことを書いたからかな?) この方を治す力量がやっと私に備わったから、満を持して、膝をケガするという形でやって来たのです。 だから、治る! 何の根拠もないけれど、縁も運もそういうもんですよね。 明日からが楽しみな一例です。乞うご期待! 前世物語 「確かに調子が悪い時はあるよ。肉体を持った人間をやってるからね。バイオリズムなんか、肌で感じちゃうよ。このワークを始めてから運動不足がますますひどくなってきたんだ。ずっと座りっぱなしだろう。腰痛はセラピストの持病なんだそうだ。でも、なるべく患者さんに悪影響を与えないように気をつけてはいるよ。例えば早朝のフィットネスとか、瞑想を頻繁にするとか、ね」  先生はクロールの格好をしながら続けました。 「私のワークは過去生へのガイドだから、まだガイドの調子がワークに影響するのは少ないと思うよ。なんたって一番大切なのは患者さんの心が開いているかどうか、だからね。でもヒーラーとかチャネラーの人は大変なんだよ、自分の調子が悪いと見えないからね。自分を無にして神さまと患者さんの間の媒体に徹することが求められるけど、自分の調子が悪くて感情が乱れていると、その乱れた感情エネルギーが神さまとの交信を邪魔する可能性があるんだ。ほら、ここが『魔女の宅急便』なんだよ。私も調子が悪い時にあれを見ると、いつも涙が出ちゃうんだ」  私は知ってますよ、先生が「魔女宅」が大好きなこと。そしていつも見ながら目がウルウルしてること。でも、そうだったんですね。そんな時は先生も飛べなくなって苦しんでいたんだ。うん、もう大丈夫だよ、先生。これからは美子がしっかりと受けとめてあげるからね。 「せっかく予約を入れて遠くから来ていただいた患者さんに、今日は私の調子が悪くて過去生は見えません・・・とは言いにくいだろう。ここで悪魔の囁きがくるんだ、お前には今までに十分な経験がある、だから今日はその経験で乗り切ればいいじゃないか、ってね。つまりだね、本当に過去生が見えている、光と繋がっているのか、自分で創造しているのか、があいまいなんだ。これは経験を積めば積むほど、あいまいになってしまうのだそうだ。外国のある有名なチャネラーは、『だから僕がクライアントを癒そうなんて考えないで冷たく接している』と言ってるよ。それくらい厳しい境界線を自分に強いらないといけないそうなんだ。だからヒーラーやチャネラーは長続きしにくいんだね。彼らは悪い人じゃないんだよ。なんとかして困っている人を助けてあげたかったんだ。ただ、その『なんとかして』を悪魔につかれて堕ちちゃうんだよ。そういう意味でも私は大いなる存在に守られているなぁ。だって、過去生は見えないもの、ね」  先生の秘密の笑顔を思い出した時、お母さんは立ち上がりました。そして深々とおじぎをされて帰られました。

2014年1月23日木曜日

おはようさん 2014.1.23.

今日の午後は藤本漢祥院での研修&鍼治療でした。 お疲れモードにしていただいた鍼は照海へ。 ズドーンと効いて、すぐに心地よいイビキモードへ堕ちて・・・これがたまりましぇ~ん(;^^)ヘ.. 今年の冬は寒いので、医院に通って来てくれている患者さんたちにも、よく照海の鍼をします。 特にお年寄りたちは腎が冷え切ってることも多いので、照海で芯から温まってもらっています。 風邪予防にもなるし、足腰の痛みにも効いてくれます。 先日から通院されている重度の心身症&自律神経失調症の患者さんへの鍼治療で。 背候診も腹診も広汎にひどい熱邪ばかり。もちろんその奥には証が隠れているのはわかっているけど、今はともかくひどい熱邪で被われていて。 問診でさまざまなストレス&トラウマがあることがわかっていたので、典型的な肝鬱気滞・肝火上炎・心火上炎でした。 こういうケースは、もはや向精神薬では・・・難しい。 これまでは精神科専門医へ送っていました。 鍼を始めて、最近、こういうケースに手応えがあるマイ経穴があります。 湧泉 生命エネルギーがコンコンと湧くという意味ですね。ググると、足の疲れ・更年期障害・のぼせ・若返り・心身症 等のキーワードが出てきます。 少陰腎経「湧泉」 腎経は腎臓と関係の深い経絡で、足の内側と腰に関係しています。大事なツボは「湧泉」です。「湧泉」は第二の心臓とも呼ばれ、下半身の気の流れに関係するだけでなく、全身にとっても大切なツボです。足の裏の一番下にある「湧泉」と、頭の上にある「百会」の間に気の通りが出てくると、体の上と下で気の交流が生まれて断然体の調子がよくなっていきます。 湧泉ってすごいなぁ!と思ったのは、漢祥院の研修中に蓮風先生が湧泉へ鍼をされたのを間近で見ていた時でした。 ものすごい氣が一気に噴出してきて、震度7くらいビリビリ&クラクラしました。 これは使える! 直感的に百会と極の関係にあると思いました(本当は百会ー会陰だったのですが・・・) 昔、リフレクソロジーを学んだことがあって、足の裏に身体の反射区があることはよく知っています。 鍼灸の経絡とリフレクソロジーを照らし合わせてみて、百会にも全身の反射区のような広がりもあるし、夢分流腹診にも同じような反射区の概念があります。 それと・・・瞑想やヨガ、気功でグランディング(大地にしっかりと立つこと=地に足を着けるってヤツですね)がとても大切だという概念にも繋がっています。 そんなこんなで・・・湧泉に鍼をする時には、百会と同様に、ピンポイントな湧泉ではなく、とても広い範囲の中で、その日の最もベストなポイントに鍼をしています。 実際、百会も湧泉も指先でセンサーしながら感じていると「ここだよ、ここに刺して」と教えてくれます。 湧泉と百会に鍼をすると、邪気がすごい勢いで出てきます。 湧泉から善き氣が流れ込んで、下から上へと、まるで龍のように昇っていきます。 ほとんどの邪気は百会から宇宙へ放出されるように消えていきますが、一部の邪気は肺の宣散作用でまわりに放出されます。これにビリビリ&クラクラしちゃうわけです。 現在、10名ほどの患者さんたちに湧泉の鍼をしていますが、マイ「秘伝の鍼」と言ってもいいかな・・なくらいの効果を認めています。 どの患者さんも素直で和な性格に変わってきました。うれしいですねぇ。 自分なりの切り札経穴があると、鍼はますます面白くなってきますね。 そう・・・ちなみに湧泉はとっても痛いです。 でもね、邪気が取れてきて、心身症・神経症などの症状が緩和されてくるに従って、痛みがなくなるんですよねぇ。面白いですね。 前世物語 「それはよく聞かれる質問なのです。先生は『見えませんよ』と言ってます。真実は私にもわかりませんね」  私はいつもどおりの答えをしました。私の感では、先生は霊的なエネルギーに満たされて調子が良い時には見えている、と思います。オープン・クエスチョンを心がけていますが、ついクローズドな、つまり具体的な質問をしてしまうことがあります。例えば、その花瓶は黄色? とか、赤い服を着た人に聞いて、とか。患者さんが言う前に色や男女、服装を言い当ててしまうことがあるわけです。患者さんが先生の質問に引きずられたとも言えますが、これは絶対に見えてるな、という事例がいくつもあります。  ある日、「先生、今日はしっかりと見えてたんでしょう。ホラ、ネタは上がってるんだから白状しなさい!」と問い詰めたことがあります。 「お代官さま、お許しください。なにとぞアレだけはご勘弁を」 そう言いながら先生は笑いました。そして答えてくれました。 「今日のワークはよく見えていたんだよ。やっぱり昨日、久しぶりに熊野さんに行ってお祓いをしてもらってきた甲斐があったなぁ。エネルギー状態も良好だからね。とっても気持ち良くワークが出来たよ。これは美子さんだけの秘密だからね。過去生が見えるといっても、私まで一緒に過去生の中へ入ってしまったら、うまくガイド出来ないんだ。患者さんと一緒に驚いたり、悲しんだりしていると先へ進まないからね。それに私の感情のエネルギーが過去生の主人公と患者さん自身に流れ込んでしまう危険性があるんだ。この魂の療法は、あくまで患者さん自身に気づきを得ていただくことに主眼を置いているからね。例え時間がかかっても、患者さん自身に自らの足で一歩一歩前に進んでいってもらいたいんだよ。だから、患者さんとは初めからしっかりとした境界線を設けているんだ。お互いにそこまでは進入しない精神的なラインだね。私のような精神科がズブの素人にはこの境界線が絶対に必要なんだ。この境界線を無視してしまう、とどうなると思う?」  私は首を傾げました。 「過去生が見えて、過去生に降りている患者さんに逐一アドバイスを与えるわけだよ。その人はそう言っているけど、実はこういうことなんだよ、とかね。光との対話中に、『光さんは今、こう言ったけど、実はこれはこういう意味なんだよ』なんてやると、もうこれは洗脳の手法になってしまうんだ。実際、宗教的に洗脳する時はこの方法から入るそうだよ。洗脳までいかなくても、境界線があいまいだと精神的な依存を作ってしまいがちなんだ。気づきのヒントならいいけど、ヒントがいつしか答えになってしまったら、それは自分自身の気づきのようで本物の気づきではないからね。  過去生が見えていて、患者さんに答えを言いたくてイジイジすることだってあるよ。岡目八目だよね。でも言わない。絶対に言わないと誓ってるもの。言わないから境界線を遠く避けている。だから変に冷たいところがある。わかってるんだ。でも、大丈夫だよ。ゆっくりと境界線に近づいているから。でも答えは言わないよ。なぜならその答えは私の答えであって、患者さんの答えではないからね。  『今回の人生は誰が計画したのですか?』と聞けば、ほとんどのワークで『自分で計画しました』という答えが返ってくるよね。その気づきを得るために人生を生きているのかもしれないのに、他人に答えを言われなくないだろう。そんな答え、死んで魂に戻ったら、元から知ってるんだから。ただそれに気づく過程を人生という土俵で実践してみたかっただけなんだから。『アッ、そうか!』の一瞬のために人生があるのかもしれないなんて言うと、そんな、とてもついていけません、と言う人も多いかもしれないね。でも、その一瞬は『神のエクスタシー』だと言ったら・・・あなたも神になれる一瞬だと言ったら・・・やる気が出てこないかな? そんな神の快感を知ってしまうと、もう病みつきになってしまうよ。『気づき病』かな。もしかしたら魂がこの気づき病の禁断症状を起こしたら、人間をやりに降りてくるのかもしれないね。不謹慎かな? でも神さまやマスター、光って意外とそんな人間らしさが残っているような感じがするんだ。古代ギリシャの神々なんかそうだよね。神さまに怒られるかな?」  そう言うと先生はペロッと舌を出しました。  「先生も調子の悪い時はあるでしょう。そんな時のワークは、やはりうまくいきにくいのですか?」  こんな不躾なことを先生に直接聞けるのはこの世界中で美子だけでしょう。先生はちょっとすねたポーズで答えました。

おはようさん 2014.1.22.

今夜は謡いのお稽古日。 観世流能楽師の深野貴彦先生に習っています。 一昨年の京都能楽大連吟「高砂」のご縁で始めた謡いですが、ちょうど1年が経ちました。 謡いも能もまったくの素人、そう、観たこともなかったし、多分、みなさんと同じような先入観を持っていました。 そして今は・・・やってみると面白い! 何より健康に良い! 「丹田に力を入れる。丹田から声を出す」ことは養生でも武道でも基本中の基本ですからね。 自然と能に興味が湧いて、今年は観世会館の能楽の定期公演チケットを6枚(半年分)買いました。観に行く氣満々です。 能、狂言、謡い、仕舞・・・というマイ引出がまたひとつ出来たわけです=生きがいがひとつ増えた!ということですね。 謡いをやって何かええこと あるの? ですが、例えば外国に行って、ホームパーティなどで何かやってよ、と言われたら、あなたなら何をしますか? AKBのヘビーローテーションを踊るってのもうけるでしょうが、それは某首相のオツムと同レベルなわけで・・・哀しいなぁ。 盛り上がって賑やかなパーティだから尚更、静かに黙想してから、高砂を謡えば・・・その夜のクィーン&キングは間違いなし!ですよね。 謡いの音階・調子は五線譜では表現できません。西洋音楽にはない音階&拍子なのです。だからこそ、西洋人たちの魂を揺さぶることができます。 上手・下手なんて関係ありません。その場に能楽の専門家な西洋人が居合わす可能性は、その夜、隕石に当たってタンコブ作っちゃう可能性並ですから。 そんな能楽 謡い・仕舞ですが、今夜、お稽古の後、深野先生と、どうすればみなさんに能楽に興味を持っていただけるか? を話しました。 いろいろとアイデアは浮かんでくるのですが、古い障壁があったりして、なかなか難しい問題もあります。 さっきお風呂でふっと「みなさんに聞いてみなはれ!」と天のメッセージが降ってきました。 なるほど・・・聞いてみるのが一番ですよね。 このブログを読んでくださっている方は一日仙人 ちゃう千人ちかくおられます。 三人寄れば文殊の知恵 千人寄れば月光菩薩のように暗闇を照らす知恵が浮かんでくるでしょう。 みなさんにお知恵拝借です。 どうしたら能を観に行こうかって思いますか?  どんな能を観たいですか? 今の能に何が必要なのでしょうか?  何が欠けているのでしょうか? このブログにコメントを寄せていただいてもいいし、私のFB https://www.facebook.com/Nadia.okuok に書き込みしていただいても結構です。 何が出てくるかな? ちょっとo(^-^)oワクワクしてます。 前世物語  お母さんが目覚めた時、もう涙はありませんでした。 「生まれたての赤ちゃんを初めて抱いた時の笑顔だわ」  私は先生の耳元にそう呟きました。 「本当にありがとうございます。サトルくんが神様のところで、あんなに元気にしているなんて・・・私もホッとしました。それにまた生まれ変わって来てくれると約束してくれましたから、これから生きていく自信が出来ました。この悲しみや苦しみを乗り越えて行く目標が出来たから、もう大丈夫です。未来の私みたいに、また笑える日がやってきそうです」  先生は夜診の準備をしに出ていきました。私はお母さんに私の愛をいっぱいに込めたお茶をいれました。お母さんはそれをゆっくりと飲みました。味わうように目を閉じています。悲しみと喜びをかみしめているように私には見えました。  フッとお母さんが振り向きました。私にも何かがキラッと光ったように思えました。 「今、そこにサトルくんがいたような気がしました」  お母さんがニコッとして私に言いました。 「ええ、確かにサトルくんがいましたね。きっとお母さんをお家まで送っていってくれるのでしょう。よかったですね」 「失礼ですが、あなたは霊が見えるのですか?」  お母さんのうしろでサトルくんが笑っています。 「いいえ、普段は全然見えません。でも先生のワークに入るようになってから、お母さんのように死んだ方とのコンタクトを果たした後は、何となく感じやすくなっているようですね。私も先年、夫を亡くしました。先生にワークをしていただくまでは、まったく夫の存在を感じることは出来ませんでした。でも先生のワークを受けた日から、今のお母さんのように何でも素直に受け取ることが出来たのです。カーテンを揺らす風にも、車のミラーの反射にも、心が素直に反応して夫のメッセージを感じることが出来るようになりました。もちろんイライラしたり怒ったりしていると、その日一日、何も感じないことがあります。いえ、感じることさえ忘れてしまっているのですね。そんな時、私も先生のように瞑想します。感情の乱れを受け止めて、そして手放してあげます。私の心の奥に沈もうとしていた感情や想いが開放されていきます。焦らずに、ただ、なすがままに自分自身を受け入れます。どんな自分をも受け入れて許してあげるのです。すると心が静かになっていきます。心の静寂がやってきます。そして・・・その静寂の向こうから魂たちの喜びの歌声が聞こえてくるのです。初めは微かに、そしてさまざまな歌声となっていきます。喜びの大合唱、歓喜のハレルヤです。自分の意識、自分というもの、自我が融け出してしまいます。この時、魂たちと完全にコンタクトすることも出来ます。私も先生にガイドしていただいて何度かそこまでは行けました。先生によれば、その先はすべての音がひとつに収束するのだそうです。すべてが存在するひとつの音、それは音であり光でありエネルギーなんだそうです。そこまで自我を保っていれば、『神さまに会えるよ』と言われました。なんだか難しい話ですね。実は私もよくわかっていません。でも先生はいつも、それでいいんだよ、とニコニコしています。そういう先生も普通のおじさんのようによく機嫌の悪い時がありますから、まぁ、そんなに真剣に考えなくってもいいんですよ。『霊が見える、霊を感じる、うん、いいんじゃないの・・・』くらいしか答えてくれませんか らね」  お母さんは頷きながら、じっと聞いてくれました。そうです、私も先生のワークを受けてから、仏壇の夫に手を合わすと必ず夫の存在を身近に感じられます。私の感情がどんなに乱れていても、夫はいつも私を見守ってくれているのを感じています。私の心が静かな時には、夫のメッセージが浮かんでくることもあります。そうやって私も悲しみと苦しみから立ち直ってきたのです。だからここまで来れば、もうこのお母さんも大丈夫なのです。きっとサトルくんの魂がお母さんを助けてくれます、そして幸せに導いてくれることでしょう。 「先生は私の過去生が見えていたのですか? まるで一緒に見ているような誘導をされましたけど。いいえ、悪い意味ではありません。それはとっても嬉しかったものですから。過去生の自分だと言っても、知らない人の中に入っていくわけですから、やはり不安がありました。でも先生も私と一緒に過去生の中を歩いていてくれているような安心感がある誘導でしたので、とても助かりました。お陰さまでスティーブンさんに意識を集中できました。本当のところはどうなんでしょうね?」  お母さんは帰り支度をしながら尋ねました。

2014年1月21日火曜日

おはようさん 2014.1.21.

船井幸雄さんが亡くなりました。 18年前、脳外科勤務医から開業医となるようにとの大きな運命の波に飲み込まれて右往左往、溺れかけていた時に、ワラをもつかむ思いで読みあさった本たちの中で最もインパクトのあったのが船井幸雄さんでした。 私をスピリチュアルな世界へと最初に誘ったのが船井幸雄さんです。 彼の著書からマハリシ超越瞑想を知って、マハリシへと飛び込みました。 瞑想もヨガの呼吸法も、アーユルヴェーダ全般、特に脈診は今も健在です。 前世や生まれ変わりの基本概念も彼の著書で紹介されたさまざまな本から学びました。 医院の活動方針も、「世のため人のため」という彼の根本思想と自由な発想に大いに影響を受けました。 ダスキンの駒井茂春さんに導いてくれたのも彼の著書です。 <駒井繁春さんの言葉> 世の中には 損の道と得の道があるのですが、 得の道を行こうと思ったら 満員電車です。 損の道を行ったら、 ガラ空きなのです。 損の道とは、 自己を大いなるものに没入させながら 損得勘定にとらわれず、 他人のために努力する。 そういう生き方です。 ******************* 経営の目的は 利潤を上げることではなく、 経営を通じてどれだけ多くの人の お役に立たせていただくかにあります。 ******************* 野越え、山越え、 歩いただけが人生です。 人生ははるかな旅路と言われますが、 どこへ行ったかということより、 どんな旅行をしたかということが大切です。 ゴールよりも、野越え、山越え歩んでゆく 一日一日のプロセスこそ人生の旅です。 今日こそは、新しく生まれ変わるチャンス。 悔いのない一駒一駒を、 大切に真剣に歩んでゆきたいものです。 ******************* 人生というものは、 「出しただけしか入ってこない」 というのが私の結論です。 何を出すのでしょうか。 それは、モノを出すこともあるでしょう、 お金を出すこともあるでしょう、 知恵を出すこともあるでしょう、 汗を出すこともあるでしょう。 何でもいい、人さまのお役に立つために 一生懸命に出したら、 その出しただけのものは、 ちゃんと神さまから 入れていただけるということです。 ******************** 本気ですれば大抵のことはできる。 本気ですれば何でも面白い。 本気でしていると誰かが助けてくれる。 世のため人のために、 お役に立とうと本気で働いている人は、 幸福で立派です。 ********************* そして、一燈園 西田天香さんへと導かれました。 医療法人 愛香会 の「香」は西田天香さんから一字をいただきました。 開業当初から2年間は、朝早く医院に出て、全部の掃除をして、特にトイレ掃除は便器を素手で洗っていました。 船井幸雄さんとの繋がりの最後は飯田史彦先生でした。 まだ飯田先生と面識がなかった時から、飯田先生がフナイワールドで講演されたビデオを見ていたので、飯田先生のことはよく存じておりました。 ただその後、飯田先生と船井さんが仲違いをされて、以後、船井さんの著書から遠ざかっていました。 去年、久しぶりに船井さんの著書を読んでみましたが、昔の迫力は薄れていたのが残念だったのを覚えています。 敵も多く、退職後は自社の若者たちからも煙たがられていたようでしたが、彼なくしては日本のスピリチュアルはなかっただろうと思います。 あのワクワク&ドキドキしていた良き時代がまたちょっと遠くに過ぎ去っていく寂しさを感じた今日でした。  合掌 前世物語 「今回の人生の目的をクリアーできた、未来の私の姿をちょっと見せてください」  お母さんが楽しそうに答えました。 「今の家にいます。エプロン姿でご飯を作っています。サトルくんがいます。いつものように『ご飯まだ?』と言っています。お兄ちゃんは高校生になっています」 「その未来のあなたの表情は?」 「笑っています」 「その未来の彼女にお願いしましょう。今の私に何かアドバイスをください」 「私は乗り越えたのよ。あなたもこの辛いことを乗り越えられるから、がんばってね。大丈夫よ」 「なぜサトルくんがそこにいるの?」 「写真から出てきちゃったのよ」 「では、サトルくんにも聞いてみましょう。サトルもお母さんに何か言ってよ」 「笑っています。もう一回生まれてきたのよ、と言っています」 「サトルくん、どうやったらもう一回生まれて来てくれるの?」 「今のとおりに僕から学んで、きれいな心のお母さんになってくれれば、また一緒に暮らしたいなぁ」  お母さんは大きな声で泣き出しました。お母さんの悲しみが出尽くすまで、先生は静かに待ちました。 「未来のあなたとしっかり握手してください。どんな感じがしますか?」 「がんばって。辛いこともあるけど、がんばってね」 「未来のサトルくんとも握手をしましょう」 「また会おうね」 「ふたりとも、今の私を応援してくれますか?」 「もちろんだよ。お母さんのこと、大好きだから」  お母さんはハンカチを握りしめました。先生はふたりを未来へと返しました。 「神様のところに戻りましょう。そして聞いてください。今回の私の人生はここまで順調ですか?」 「大変だったでしょう。よくがんばりましたね。もうこれからは楽ですよ」 「神様もこのまま私を見守ってくれますか?」 「見守っていますよ。ひとりひとりをちゃんと見てますよ」 「辛い時には、またここに戻ってきてもいいですか?」 「構いませんが、私はいつも見てるし、あなたが祈れば聞いてますよ。何かあったら祈りなさい」 「そこにいるサトルくんにもお願いしましょう。お母さんを見守っていてね」 「いつも見てるよ。今までと変わらないよ。時々そばに行くからね」 「どうしたらサトルくんがそばに来ていることを感じられるかなぁ?」 「僕は光だからお母さんの目には見えないかもしれないけど、ちゃんと行ってるからね」 「最後にしっかりと抱きしめましょう」 「はい」 「連れて帰っちゃおうかな」 「サトルくんはそれでもいいみたいです」 「神様、連れて帰っていいですか?」 「それはちょっと難しいです。我慢しなさい」 「あなたはどうしますか?」 「神様のところに置いていきます」 「サトルくんはどうですか?」 「終止笑顔のままです」

2014年1月20日月曜日

おはようさん 2014.1.20.

今日は大寒。 そのせいか? インフルエンザでないほうの風邪さんがたくさん来られました。 共通点は・・・突然の発熱(39度前後)が一日続く。 ノド痛・関節痛・頭痛・ゾクゾク寒気・倦怠感・嘔気(下痢はなし)・発汗もなし。 その後、痰が喉にからんだ咳(重度)、鼻水と鼻づまり。この鼻づまりが喉に落ちてきての嘔吐も多い。 さらにその後、延々と咳、酷いときは喘息へ。蓄膿からの頭重感。 当然、インフルエンザ検査は陰性です。 治し方:この風邪には抗生剤:ジェニナックが効きます。それと桂枝湯の証の人が多いですね。 熱発は突然&短期なので、来院した時は解熱してますから、麻黄湯は難しいですね(今日、某薬剤師さんがこの風邪で麻黄湯を飲んで来て、悪い発汗でますます症状を悪化させていました。私も何人かには麻黄湯をちょいと使いましたが、それはちゃんと証を読んでの話です。お子ちゃまは麻黄湯を使ってはいけませんよ) まだ咳が出ていなくても、咳止めを飲んでおいた方が楽な様子です。発症後2~3日でひどい咳が出始めますので。 蓮風先生はこの風邪に大巨に8番鍼をされていました(私もしていただきました) 今日の患者さんの何人かに大巨に鍼をしましたが、確かに脈のピッタ(火)は落ち着きついてヴァータ(生命力・免疫力)が上がってきました。 大巨は足陽明胃経。この風邪は胃を犯すので、むかつき・嘔気も来るんですね。 ひどい下痢は来ないのでノロとは鑑別できます。 子供たちにはインフルエンザが流行っているので、今週後半は大人のインフルエンザも増えるでしょう。 うがいはもちろんのこと、ビタミンCもいいですよ。 ただし、サプリではダメです。天然のビタミンCと人工のビタミンCは化学構造上のシス関係:つまり右手と左手の関係でまったく別物です。なぜか人工では天然型のCは作れない・・・神さまのいたずらかな? 確かに、VitCのサプリを飲んだ時とキウィを1個食べた時では身体の喜び方が全然違います。 天然Cは細胞に吸い込まれていくような気がしますが、人工Cはそのままオシッコへ・・な感じです。 まぁ、きのせいでしょうけど(;^^)ヘ.. 余談ですが、ビタミンC大量点滴療法というのがあります。癌患者さんなんかをターゲットにしてる保険外治療です(プラセンタみたいなもの)。 あれも点滴してるのは人工型のCなわけで。果たしてどれくらい効くのかしらむ?と前々からずっと思ってます。VitCを使うくらいやったら、まだキレートの方が説得力があるように思うのですが・・・。 (あんまり書くと暗殺されそうなので 黙りますけど) 大寒の夜。やっぱりコタツでミカンが一番健康的ですね。 前世物語 「サトルくんをしっかり抱きしめながら神様に尋ねましょう。今回の私の人生の目的は何ですか?」 「今のままをしっかり生きなさい。前を見て、道があって、それを行きなさい」 「お兄ちゃんとの関係は何ですか? お兄ちゃんから何を学ぶのですか?」 「優しさです。けなしてはいけません。一人の人格を持った人間として育てなさい。サトルくんはもともと神様のまわりにいるような魂だったので、生まれてきても普通とは違う人格だったのです。私たちがかわいそうだから降りていってあげなさい、と神様に言われて生まれてきたのです」  お母さんは泣き続けています。 「神様のおつきのような人なのです。でも私を見て笑っています。ニコニコ笑ってくれています。もうこの笑顔だけで十分です」 「しっかり抱きしめてあげてください」 「生きていた時よりも、やせたような気がします。そしたら、お兄ちゃんと違ってスリムになってきただけだよ、と言っています。こちらで成長しているみたいです」 「神様のもとでは、なぜ背が高くなっているの?」 「元々こうなんだよ、って言っています」  先生は神様に尋ねました。 「人間は何のために生きているのですか?」 「清い心を持った人になるためです。死んだらスッーと天国に上がれるように、気持ちを真っ白にしなさい」 「これから私はどうしたらいいのでしょうか?」 「人を助けなさい。役に立つようなことをしなさい。それで自分を磨いて、清く正しい人になりなさい」 「部長との関係は何ですか? あの人からも何か学ぶことがあるのですか?」 「人を許しなさい。恨んでいてはいけません」 「私に許すことが出来ますか?」 「大丈夫、出来ますよ」 「なぜ私は何回も生まれ変わっているのですか?」 「このテーマは今回が最後だから、いっぱい勉強してきなさい」 「今まで私は何回生まれ変わりましたか?」 「八十六回」 「その中でサトルくんと一緒に生きた人生は何回ありますか?」 「半分くらいです。三十二回です」 「お兄ちゃんとは?」 「二十八回」 「夫とは?」 「四十二回」 「部長とは?」 「三十六回」 「素晴らしい人生を送るためには、どうしたらいいのでしょうか?」 「愛しなさい。まわりの人を愛しなさい。愛があれば本当に幸せですよ」 「憎たらしい人を愛するにはどうしたらいいですか?」 「自分が一歩大人になって、その人を愛で包んであげなさい」 「スティーブンさんの人生で、サトルくんの役割は何だったのでしょうか?」  神様が教えてくれました。 「貧しい環境の子どもも大切にしてください、ということを教えたのです。その子を見過ごしていくことは簡単ですが、ちょっと立ち止まって出来るかぎり愛してあげなさい、ということです」  先生は神様にお願いしました。

2014年1月19日日曜日

おはようさん 2014.1.19.

今日は一日、雪ん子がちらつく寒い日曜日でしたね。 受験生の諸君、ごくろうさまんさ(*^^)v 志望校に行けても行けなくても、 滑り止めやセーフティに行くことになっても、 これが天命! ワクワクしながら行けば「天は我に味方せり」だ!と勇んでいけば、運気、大いに盛り上がること必定なり。 きっと良き出会い(教授・朋友・恋人)が待っていますよ! 今日は北辰会のお勉強会でした。 蓮風先生も午前の部の最初からドクター班でいろいろな実践的なお話や手技を見せて下さいました。 いつも蓮風先生のこんなこと&あんなことを盗めるだけ盗んできている私です。 今日は脈診がテーマでした。 脈診は15年以上、毎日の外来で使っているアーユルヴェーダの脈診が身についているので、ちょっと困惑してます。 最近は鍼をする時の左右を決める際には北辰会方式の脈診をしていますが、「脈を読む」となると、そうしても指先の感覚はアーユルヴェーダになってしまいます。 アーユルヴェーダの脈診の一番の特徴は「時」が入っていることです。 脈には生まれてから今までの情報がすべて入っています。 中医学でも、脈から全身の情報が読み取れるとされていますので、アーユルヴェーダと似たような基本概念だとは思いますが、昨日・1週間前・1ヶ月前・1年前・10年前・・・のことを脈から読み取る発想は中医学にはないようです。 最近、思うに、還暦60年。 生まれてから60才までの情報は脈に残ります。 61才以降は? ・・・ DVD録画などの多層記憶のように、脈に多層に記憶されるのでしょう。 日常診察で脈診の便利なところは、例えば風邪なら、これからどうなるのか?もわかることです。 熱発するのか? 咳が出始めるのか? お腹に来るのか? ・・・脈を読めば、ある程度はわかります(ただし絶対じゃありません。だって、患者さんが予期せぬ&トンデモナイことをしてくれることもありますからねぇ) 中医学の脈診でも、この風邪のこれからの経過は予想できますが、それは文献に沿った知識であって、目の前の患者さんの今と明日をダイレクトに診ているわけではありません・・・ここがアーユルヴェーダ脈診との差でしょうか。 ひとつ面白いことに気づいたことがあります。 蓮風先生の「前後左右上下の法則」を読んでいて、この空間論はアーユルヴェーダ脈診に通じます。アーユルヴェーダ脈診でも身体を前後・左右・上下の3Dでスキャンしていく過程もあるからです。 アーユルヴェーダ脈診の優れているところは、こころもわかることです。 中医学での肝鬱気滞になっていた心情のプロセスを脈を診ながら辿ることができます。 どんどん遡っていって、幼少期にまで至ることもよくあります。 (だからといって患者さんのトラウマを呼び起こしたりなんかはしませんよ。ただ 診てるだけ) こころが診られるのなら、魂だって診られる? そうなんですよ。アーユルヴェーダ脈診では魂の領域、集合意識にもアクセスすることができます。 (普段の外来ではしませんよ。これはさすがにムチャクチャエネルギーを使いますので) そんなこんなで、やっぱりアーユルヴェーダ脈診は私の宝物なので、これからも鍼と共存共栄していきたいと思っています。 今日の蓮風先生のことば 鍼を好きになれ! 患者さんの魂を揺さぶる鍼をしろ! 前世物語 「その女性と一緒に高く高く上にあがります。高くあがったところからスティーブンさんの人生を見て、何か気がつくことはありますか?」 「普通の生活をしてきました。これといって山も谷もなく、真面目な正義感の強いお父さんでした」 「もっともっと高く高くあがります。その高く高くあがったところから下を見ると、スティーブンさんの人生と、今、生きているあなたの人生が見えます。二つの人生が平行に並びます。二つの人生を見比べてみて、何か気がつくことはありますか?」 「スティーブンの人生では特に何もなかったのですが、これじゃいけない、やっぱり自分はいろいろな試練を乗り越えて何かを学んでいくべきだ、と思いました。だから今の人生はすごく山あり谷ありなのです。極端なんですね。私が選択するのは・・・」  お母さんの肩の力が抜けました。先生は続けて尋ねました。 「今度は上を見てください。そこから上はどうなっていますか?」 「神様みたいな偉い人が見えます」  お母さんの声が元気になってきました。 「その神様のところまで上ってください。神様はどんな表情をしていますか?」 「雲の上でちょっと恐い顔をしてます」  恐い顔? と私は一瞬躊躇しましたが、先生はそのまま進めました。 「その神様に聞いてください。私とサトルくんとの関係は何ですか?」 「あなたの子どもでしょう」 「サトルくんは今、何をしていますか?」 「遊んでいるよ」 「会わせてください」 「どうぞ」  お母さんの声がつまりました。静寂が流れていきます。  お母さんはハンカチで涙を拭き始めました。先生は優しく尋ねました。 「どんな様子ですか?」 「神様のまわりで出たり隠れたりして遊んでいます。ニコニコしています」 「お母さん、会いにきたよ」 「私に気がついて照れています」 「しっかりサトルくんを抱きしめてあげてください。どんな感じがしますか?」 「かなり照れています」 「おかあさんに何か言ってよ。ここまで会いに来たのよ」 「しっかりしなさい、って言われました」 「サトルくんは、なぜ早く死んじゃったの?」 「僕はこっちの方が好きなんだ。神様のところは楽しいんだよ」 「なぜ、お母さんのもとへ生まれてきたの? サトルくんの人生の目的は何だったの?」  お母さんが泣きながら、ゆっくりと答えました。 「私たちの成長のためです。その役目をかって出てくれたのです」 「サトルくんは自分が早く死ぬことを知っていたの?」 「何言ってるのか、わかんないよ」 「サトルくんは、なぜ私をお母さんに選んでくれたの?」 「お母さんのことが好きだからだよ」 「またサトルくんは私たちのもとに生まれかわって来ないのですか?」 「うーん、難しいかな・・・」 「サトルくんは神様のところで幸せですか?」 「幸せだよ。だから心配しないでね」 「サトルくんが死ぬ時、痛くなかった? 苦しまなかった?」 「別に・・・車に当たった瞬間に抜け出ちゃったんだよ」 「サトルくんは誰も恨んでいない? お母さんを恨んでいない?」 「全然、誰も恨んでないよ、と笑いながら言ってくれました。生きてた時と同じ笑顔の素直なサトルくんのままです」 「サトルくん、お父さんにも何かメッセージをちょうだい」 「お父さんもお母さんとお兄ちゃんを助けて、がんばってね」 「お兄ちゃんにも何か一言、言ってよ」 「僕のおもちゃで遊んでいいよ」  先生は神様に尋ねました。

おはようさん 2014.1.18.

今日の午後は光の前世療法4時間ワークをしました。 40代の男性でテーマは「ソウルメイトに出会うための過去生へ」 過去生へ降りると、草履に着物、坊主頭の男の子でした。 笑顔のお母さんとお父さんの三人家族で、お父さんは畑仕事をしていました。 子供の頃の一番幸せな場面は、生まれてきた時。 「生まれてきてよかったぁ」と思いました。 人生の一番幸せな場面は結婚式。お嫁さんは白無垢姿、でも今生で知っている人ではありませんでした。 ソウルメイトに出会うための場面は・・・スーツ姿になっています。駅でいつも出会う女性と今日も出会いました。自分が何かを落としたら、その女性がひろってくれました。それがきっかけでお話するようになって「翌日も会いましょう」となって・・・おつきあいが始まりました。その女性は今の自分が知っている人でした。・・・元の過去生へ戻して・・・ その人生で最も大切な場面は・・・奥さんが出て行ってしまって、ひとりぼっちになった場面でした。 「なぜ奥さんは出て行ってしまったの?」 「貧乏だから」 その後、孤独に死んでしまいました。 頭から魂が抜け出て・・・光の存在はおじいさんの姿でした。 この過去生の意味を尋ねると「今度は奥さんを大切にしなきゃいけないよ」と諭されて。 「なぜ今までソウルメイトに出会えなかったのですか?」 「孤独と寂しさをじっくりと味わうことが必要だったから」 「ソウルメイトとは今まで何回一緒に生きてきましたか?」 「60回」 「ちなみに私はこれまで何回生まれ変わりましたか?」 「同じ回数」 「私の今生の目的は何ですか?」 「愛を知ること」 「どうしたらソウルメイトに出会えますか?」 「思い切って声をかけなさい」 「ソウルメイトは私のことをどう思っていますか?」 「(ムニュムニュムニュ・・・)」 過去生の自分からのメッセージは「自信を持って。大丈夫だから」 ソウルメイトと出会えた未来の自分からのメッセージも「大丈夫だから、自信を持って行きなさい」 未来のソウルメイトさんからも「待ってるわ」と。 「今、あなたのソウルメイトは何をしていますか?」 「仕事をしています。花屋さんです。お客さんに花をすすめています」 「あなたのソウルメイトはどんな花が好きですか?」 「バラの花です」 「何色が好きですか?」 「赤です」 という具合に、今日のワークは「お幸せに!」の言葉で送り出すしかないハッピーエンドなワークになりました。 光さんも「ソウルメイトに出会うための過去生」に失敗挫折した人生をチョイスするなんて、すばらしい! これを見せられてからソウルメイトに出会えば、もう一生、大切にするしかないですよね。 光さんもノリノリな粋な計らいで、私もとっても幸せな気分になりました。 ほんまに「お幸せに!」しかないワークでした。 これは絶対にソウルメイトさんと幸せになれますね! がんばるんばっ☆彡 前世物語 「スティーブンさんの人生で、サトル君との関係がもっともよくわかる場面に移ってください。いくつになって、何をしていますか?」  お母さんは少し男っぽい声でうつむいて答えました。 「崖の上に立って下の町を見下ろしています。さっきと同じ年頃です。中世の石造りの町が見えます」 「それからどうしていますか? 場面を進めてください」 「崖から飛んだ! 森の中に向かって・・・死んだのかなぁ。横たわっている身体を上から見ています。あららぁ、という感じがします」  まだ主題の答えがつかみきれません。先生は出会いの場面へと誘導しました。 「スティーブンさんの人生で、サトル君と初めて出会った場面に移ってください」 「町を歩いていたら、ぬいぐるみを抱きかかえている男の子が出て来ました。茶色の髪で目はブルーです」 「あなたはその子を見て、何と思いましたか?」 「親のいないかわいそうな子だなぁ、育ててあげたい、と思いました。親子になる話をしながら一緒に町を歩いています。私に感謝してくれています。その子は夕日を無言で見ながらずっと歩いています。手をつないで家へ帰りました。奥さんは何も言いません。納得してくれています。ジェニーは楽しそうに一緒に遊んでいます。奥からお婆さんも出てきてニヤニヤ笑っています。この人は、今の私のお母さんです」  サトル君は出てきましたが、まだ話がよくわかりません。先生はさらに二人の関係を探りました。 「スティーブンさんの人生で、サトル君との関係がわかる場面に移ってください。あなたはいくつになって、何をしていますか?」 「その子のお父さんは鉄砲を使って悪い仕事をしていました。子供をほったらかしにしていたので、私はかわいそうに思いました」  何かスッキリしません。何かが隠されているような感じのまま、先生は死ぬ直前へと導きました。 「スティーブンさんの人生で、死ぬ直前の場面に移ってください」  お母さんはお腹を手でさすりながら答えました。 「家のベッドで寝ています。お腹が痛いです。私は病気で死にそうです。もう七十五才になっています。奥さんとジェニーとさっきの子が看取ってくれています。子どもたちは悲しそうですが、奥さんは無表情です」 「死ぬ直前に何を考えていますか?」 「もう治らない病気です。でも幸せに暮らせました」  先生は死ぬ直前から、よくわからなかったところを振り返りました。 「さっきの崖のところを思い出して、あれは何だったのですか?」  彼は淡々と答えました。 「あの後、誰かに助けられました。気がついたら町にいて、そしてあの子と出会いました」 「なぜ崖から飛んだの?」 「飛んでみたくなったのです。イカロスの時代のように・・・」  急に彼の眼球が激しく動き出しました。彼は何かを見ていましたが、黙ったままでした。目の動きが治まると、彼はまた答え始めました。 「背の高い白い服を着た男の人に押されたのかもしれません。その森に住んでいる悪い主みたいな気がします」 「その悪い人は、今のあなたが知っている人ですか?」 「部長です」  お母さんは驚いた声で答えました。 「崖から飛びながら何を考えましたか?」 「あら・・・押されちゃったのね、という感じです」 「助かって気がついた時に、あなたはどう思いましたか?」 「ああ、僕は助かったのだから、やっぱり何かをやらなくちゃいけないんだ、と思いました。そして町であの子に会った時、この子を助けてあげよう、と決めたのです。それからずっとジェニーと一緒に育ててきました」  これであらすじが見えてきました。先生は死ぬ場面へと戻しました。 「では、スティーブンさんが死ぬ場面に戻ってください。死ぬ場面を通り越しましょう。そしてあなたの意識が身体を離れて宙に浮いたら教えてください」  彼は大きな息をひとつしてから言いました。 「はい、身体を離れました」 「あなたは身体を離れた時に、何か決心したことはありますか?」 「今度生まれ変わったら長生きして子どもをちゃんと育てるぞ。押されて死にかけたことを恨みません。もう許さないといけません」 「下にスティーブンさんの死体が見えますか? 下では何が起こっていますか?」 「みんなが泣いています」 「それを見てどう思いますか?」 「かわいそうだな」 「宙に浮いたあなたのまわりを見て、感じてください。あなたに声をかけてくれる存在はいますか?」  彼は嬉しそうに言いました。 「きれいな女性がやって来ました。一緒に上へ行きましょう、と言っています」

2014年1月18日土曜日

おはようさん 2014.1.17.

今日は午後の光の前世療法3時間ワークと在宅往診がブッキングした超ハードな一日でしたが、何とか乗り切れました。ホンマ、自分を褒めてあげてます よしよし。 午後のワークは20代の男性で、自分とは何か? 愛とは何か? 生きるとは何か? 死とは何か? と言った青春そのものを真面目に悩んでおられました。 過去生へのテーマは「自分がわかるための過去生へ」 ええテーマだよねぇ 私はこういうの 好きです。 光さんへの質問も50以上あったでしょうか・・・どれも哲学的質問で、光さんも真摯に答えていました。 髪を切ってジーパンを脱いで大人になってしまうと、こういう命題は考えなくなってしまいます。 それはそれで仕方ないんだけど、でもね、そんな大人たちの目に光の輝きは失せてしまっているでしょう・・・それも哀しいなぁ。 人生の中でさまざまな経験をしながら、自分なりの「生・死・愛とは?」の答えを求め続けることが本当の意味での「生きる」ことじゃないかなって思っています。 今生を終えて光の中へ戻った時、「どうだった?」と聞かれて・・・何と答えますか? こんな奉仕をしました。 こんなに愛しました・愛されました。 こんなに喜ばれました。 こんなに幸せでした。 こんなに楽しみました。 (さすがに、こんなに儲けましたとか、こんな地位を得ましたとか、こんなに殺しました・・・とは恥ずかしくて言えませんよねぇ) 「で。どうたったの?」と重ねて尋ねられたら・・・ほとんどの人はタジタジじゃないかな? 「こんなに~しました」から何を学んだのか? 気づいたのか? がまず大切で。 いくつもの「こんなに~しました」から学んだこと、気づいたことを統合したり俯瞰したりしながら、さらに高次の何かに気づけるかどうか? でやっと光さんと対バンできるわけです。 そんな想いから、今日の若者のワークはとても嬉しかったのです。 P.S. 今日のワークで恒例の「まず何から始めたらいいですか?」の問いに光さんは「走れ!」を連発してました。 いいですねぇ「走れ!」って。 何だか今年の言葉!って感じがして、とても清々しい気持ちになりました。 前世物語 「どんな地面が見えますか?」 「乾いた黄土色の土です。畑みたいな感じがします」 「足に何か履いてますか?」 「裸足です」 「足のサイズは大人ですか、子どもですか?」 「大人です」 「下半身には何を着ていますか?」 「白い布みたいなものを帯みたいなもので腰に留めています」 「上半身は何を着ていますか?」 「ノースリーブの白い布です」 「手に何か持っていますか?」 「何も持っていません」 「手のひらを見て。肌の色は何色ですか?」 「肌色です。少し日焼けしています」 「右手で左手を触ってみてください。どんな手を感じますか?」 「ゴツゴツした男の手です」 「頭に意識を向けて。頭に何かかぶっていますか?」 「何もかぶっていません」 「どんな髪をしていますか?」 「短くて茶色のパーマがかかった髪です」 「ヒゲは生えていますか?」 「顎のまわりにあります。なんだかガッチリした顔立ちです」 「目の色は何色ですか?」 「黒い目です」 「あなたの意識はその男の人の中にしっかりと入ります。しっかりとその男の人に繋がります。そして その男の人の目でまわりを見ると、どんな風景が見えますか?」 「荒野の中に所々、畑が見えます」 「今、あなたがいる時間帯はいつ頃ですか?」 「昼間です」 「あなたの年齢はいくつですか?」 「中年です」 「あなたの名前は何と言いますか?」 「スティーブンです」 「スティーブンさんのそばに誰かいますか?」 「女性が斜め前にいます」 「どんな服装をしていますか?」 「長いローズ色のスカートに、上は長袖のグレーのシャツを着ています。頭には何か巻いています。肌 は白っぽいですが少し日焼けしています、目は茶色です。かごに豆を拾って入れています」 「その人の歳はいくつくらいですか?」 「中年です。お母さん、っていう感じがします」 「どんな表情で豆を拾っていますか?」 「一生懸命に仕事をしています」 「スティーブンさんにとって、その女の人は誰ですか?」 「妻です。おとなしい人です。いつも微笑んでいます。良いお母さん、という感じがします」 「その女の人は、今のあなたが知っている人ですか?」 「知りません」  受け答えがしっかりとしてきました。先生はガイドのテンポを早めて場面を移しました。 「右手に石造りの宮殿が見えます。なぜだか十八世紀のような気がします。ここは南ヨーロッパのどこ か海沿いです。私はじっと宮殿を見上げています」 「あなたはどんな気持ちですか?」 「孤独です。ずっと城を見ています。時々溜息をついています」  お母さんの声が深く沈み込みました。 「スティーブンさん、その日の夕食の場面に移ってください。誰が一緒にいますか?」 「木の家の中にかわいい男の子がいます。おかっぱの髪にブルーの目をしています。六歳のジェニーで す」 「その子は、今のあなたが知っている人ですか?」 「お兄ちゃんの純一です」  お母さんはとてもビックリしました。でも涙顔が微笑んできました。 「他に誰かいませんか?」 「奥さんです。さっきの豆を拾っていた人です」 「今夜は何を食べていますか?」 「野菜の入ったスープです」 「スティーブンさんは今、どんな気持ちですか?」 「それなりに幸せです」  過去生を見る練習は終わりました。これからが本番です。先生は切れ目なく尋ねました。

2014年1月16日木曜日

おはようさん 2014.1.16.

今日は外来後に、先日、肺炎とイレウスで入院したお年寄りたちを病院連携システムで往診してきました。 顔を見るなり「よぅ来てくれたぁ」と涙を流されて・・・うれしかったですねぇ。 家族の一員のようになれて初めて家庭医なんだなぁ。 普段からかかりつけ医に通っているお年寄りは決して孤独死なんかにはさせません。 通えなくなれば在宅診療のシステムで定期的に診に行けます。 それなのになぜ孤独死が多いのか? ある程度、お金を持っているお年寄りは自己負担が2割になっても医院に通えます。 生活保護のお年寄りは自己負担がないので医院に通えます。 問題は国民年金だけのお年寄り・・・かな? 夜のスーパーで半額シールが貼られるのを待っているお年寄りたちの姿を見ると、ニッポンの国民総幸福度はとても低いんじゃないかなって哀しくなります。 生活保護になれないお年寄りたちが孤独死へと追い詰められているように思います。 だのに、ポン!とODA何百億円を振る舞いまくってるニュースが聞こえてくると、思わず バルス!と叫びたくなります。 在宅往診してる、あるお年寄りは行く度に「何もええことあらへん。早う死にたい 死にたい」と呟きます。そんなお年寄りに「長生きしてたら東京オリンピックが見られるよ」って言ったって喜ぶでしょうかねぇ。 それよりは「消費税10%になるけど、毎日の食品は消費税ゼロになったし、医療費もタダになったから、ちょっとは暮らしが楽になるよ」って言ってあげる方が喜ぶんじゃないかなぁ。 明日がバラ色に、とまではいかないけれど、まっ暗な夜空に今夜のような小っちゃいけれど満月さんが昇ってきたような幸せを感じてもらえるんじゃないかなぁ。 今夜は満月さん。 そんな満月さんに「みんなが幸せになるのはムリだけど、せめてもっとたくさんの人たちが幸せになれますように」と祈った帰り道でした。 妄想日記 そこに居るはずの君は・・・本殿の右壁に背中からもたれかかるように静かに坐していました。 君のまわりにはとても力強い清気が感じられました。 それは三台杉に流れていた清気です。 このわずかな時空旅行の間、あの巨木たちが君をしっかりと守っていてくれたのです。 君は再び呼吸を始めると、ゆっくりと眩しそうに目を開きました。 君の笑顔が戻って来ました。 「おかえり」 「ただいま」 君の掌にはひと握りの藻塩が。 そして君の肩にかかっていた天女のストールが摩陀羅神さんの吐息にフワッと揺れて虹色に輝きました。 この日、後戸の神々が再びこの世に放たれたのでした。 前世物語    交通事故 「先生、今日の患者さんは、一年前に息子さんを交通事故で亡くされたお母さんです。息子さんの形見も一緒に持って入っていいですか? と聞かれましたので、かまいませんよ、と言いました。とても楽しみにされています。先生もがんばってくださいね」  先生は報連相さえしっかりとしていれば、とても自由に仕事をさせてくれます。現場での私たちクルーの判断をとても大切にしてくれています。プラス思考での失敗は絶対に責めません。ただし、当院でプラス思考の失敗の王者チャンピオンはやっぱり先生です。そもそもこの過去生ワークだって失敗の積み重ねの上に成り立っているそうですから。先生の宝箱には、お蔵入りしてしまった水晶玉やハーブ類、怪しげな器械が眠っています。 「そうだね、今、生き残っているのは、過去生ワークとフラワーレメディ、アーユルヴェーダの脈診、フェルデンクライス、リフレクソロジー、エネルギー治療・・・なんだ、結構生き残ってるじゃないの」 「でも先生、日の目を見なかったものや器械はその何十倍もあるんでしょう?」 「うん、まぁ、そうだよね。でも今は眠っているけど、いつの日にか奇跡の復活が起こるものもあるかもしれないからね。過去生だって当初はいろいろなセミナーやワークショップに行ったもんだよ。今から思うとかなり怪しげなものもあったなぁ。でも、ひとつの気づきがあるんだ。どんなにつまらないセミナーにだって、自分がそのセミナーにいるということに何か学びが隠されているんだよ。それを見つけなきゃね。本当に必要のないセミナーには不思議と時間が合わないとか、急用が出来るとかで行けなかったもの。  これはうちの過去生ワークでも言えることだよ。本当に必要のない方は絶対に来れないよね。去年一年間だけでも、火事が二件、直前のケガ、骨折が数件、当日の飛行機に乗り遅れた人が数件、この中の一人なんか、空港で仮眠していて乗り損なったらしいよ。こういう方々はまだ過去生を見る時期ではなかったんだろうね。  逆に、キャンセルを運良く拾った方はいつもよりも成績がいいよね。キャンセルはタイミングが勝負だろう。キャンセルを拾おうと一生懸命電話をかけてきてくれる方々でも、ちょっとしたタイミングのずれで拾えないものね。それでいて、初めて電話をかけてくれた方が仕留めるなんてことはよくあるもの。これも一種のシンクロニシティだろうね。  それに『遅刻の法則』も有名だよね。遅刻される方はなぜだか成功率が低いんだ。遅刻と言っても五分とかの遅れで、それで気が動転して、のせいではないと思うよ。自分の心のどこかに『気が進まない』があって、それが遅刻を引き起こすのかなぁ。これは大阪近郊の方に多いね。ともかくギリギリに飛び込むのは避けた方が良さそうだね」  始まりを告げるチャイムが鳴りました。  お母さんは形見の品々が入った紫色の袋を抱いて診療室に入ってきました。私はお母さんをゆっくりとリラックスチェアーに寝かせました。紫の袋はお母さんの左側に置きました。お母さんは目を閉じました。先生に促されて、お母さんはそのままいきさつを話し始めました。 「私には二人の息子がいました。兄は純一、弟はサトルと言います。去年の夏の暑い日でした。夫の会社が倒産したり、私の母が脳卒中で倒れたり、とても苦しくて辛い日々が続いていました。夏休みなのにどこへも連れて行けなかったので、せめて半日だけでもプールに行きましょう、と言って子供たちを連れていきました。子供たちも我慢してくれていたのですね、とっても喜んではしゃいでいました。サトルはもともとお調子者で、暗く落ち込んでいた私たち夫婦をいつも元気づけてくれていました。今から思えば、サトルはその日、異常なほど陽気でした。私をいっぱい笑わせてくれました。帰り道、サトルは風船をもらいました。黄色の風船です。サトルは風船が手に吸いついたようなジェスチャーをして私たちを笑わせ続けてくれました。黄色い風船が本当にサトルの友達のように見えました。サトルの笑顔が・・・」お母さんは涙声になりました。 「電車を降りて、もうじき家が見えるね、って話していると、スッと黄色の風船が空に上り始めました。 サトルの手から風船がサヨナラするように離れたのです。あんなにしっかりと握っていたのに。サトルは走り出しました、黄色の風船を追いかけて。私たちが止める間もなく交差点に飛び出して・・・」お母さんは涙を拭きました。 「私は呆然として立ち尽くしました。車の向こうにサトルが倒れているのはわかっていましたが、でも私は黄色の風船が夕焼け空に消えていくのを見つめていました。それがサトルのような気がしていましたから」  交通事故のお話はいつ聞いても悲しくなります。 「神様、先生をしっかりとお守りくださいね。美子のお願いです」  私の心はいつしか静かにお祈りしていました。  先生が誘導を始めました。 「サトル君との関係がもっともよくわかる過去生へ戻りましょう」

2014年1月15日水曜日

おはようさん 2014.1.15.

今日の外来でとうとう初インフルエンザA型さんが来られました。 小学生で一昨日からクラスで流行始めているそうで。 まだ症状もさほど強くなく、タミフルでない方のお薬単剤でフォローしました。 かかりつけの家族さんやったら、古代鍼で刺絡も!だったんですが、初見さんだったのでそこは我慢して。 いよいよインフルエンザ到来! うがい&手洗いしてご自愛くださいね。 FB経由で「癌から生還した人のお食事」を読んで。 免疫細胞の大半は腸に居るとのこと。 今日、いつもの患者さんにいつもの腹診&打鍼をしていて、 ピーンと繋がりました。 打鍼の最初と最後は丹田へ金の鍉針で氣を集めます。 丹田は正しく腸のど真ん中! そうです! 丹田に氣を集める=免疫細胞を元気にすることなのです。 打鍼だけではありません。 気功も瞑想も座禅も丹田に氣です。 仕舞も舞踊も謡いも丹田に氣が集まります。 そもそも正座すること自体、丹田に氣が集まりそうですよね。 戦後、日本人が欧米化して様々な癌が増えたのは食生活の欧米化が原因だ、とされていますが、正座からイスへの生活様式の変化=丹田を疎かにしてきた結果が癌の増加なのかもしれません。 夢分流の腹部への打鍼は邪気を散じる力があります。 柴胡の証のラインに沿って銀の鍉針で打鍼してあげると、皆さん、心地よい眠気に包まれます。 これはこころの邪気:肝鬱気滞や肝火上炎が和らいでいったから。 過剰な交感神経の興奮も和らぎます。すると善き氣がますます患部に拡がっていきます。 氣とはモチベーションのようなもの。 癌という敵に対峙している我が免疫細胞軍のモチベーションがグ~~~ンとアップするわけです。 なるほど・・・癌患者さんへの打鍼は免疫細胞軍の装備をパワーアップし、そのモチベーションをグイグイ上げるという相乗効果があるわけです。 こりゃぁ効くわぁ。 今日の外来での貴重な気づきでした。 妄想日記 ふとまわりを見渡すと、誰もこちらを見ていません。いや、見えていない。 まるで時間を失ったかのように、お客さんたちは二次元化して止まっています。 お囃子は賑々しく奏で続けていますが、その目には光がありません。 地謡の先生方も微動だにせず、一点を見つめたままです。 天と地、正気と狂気の狭間を舞い続ける君と、ただそれを見つめるだけの僕。 否、誰かに見つめられています。誰が・・・どこから・・・ その視線を辿ります・・・摩陀羅神社のご本殿の奥へと目を向けます。 そこにはご神鏡が蝋燭に薄暗く照らされていて。 ご神鏡には天女の君の姿が映っていて 蝋燭の炎が君と舞遊ぶやうに揺れています。 胡蝶のやうに舞う君と炎の向こうに、大海を渡る古代舟が見えてきました。 君は航海の神々への祈りと感謝を舞っていたのです。 大切な人たちが早く帰って来るようにと風の神さまに祈ります。 新しい善き人々と輪が繋がりますようにと縁の神さまに宝物を託します。 鯨の神さまに豊穣の感謝を捧げることもあります。 いつしか遠き国々で、君は天女として語り継がれるようになりました。 それから今日まで、いつの時代の君も舞っていました。 いつも君は天女だったのです。 その時、ご神鏡にあの翁面が現れました。 翁面のままカッカッカッと大笑いしています。 カッカッカッ! 時間の呪縛が一気にはずれ・・・何事もなかったかのやうに黒面が外され、面箱にしまわれて、一同が退席し始めていました。 僕はしびれた足を引きづりながら、神社の中へと駆け込みました。 そこに居るはずの君は・・・ (続く) 前世物語  私の夫は大学で考古学を専攻する教授でした。三年前、調査地へ向かう飛行機が消息不明になりまし た。八百八十日間、私の心は打ちひしがれ、昼間は気丈にしていましたが、ベッドの中で泣かない夜は ありませんでした。泣いている時に優しい夫の気配を感じたこともありましたが、それは虚ろな夢のよ うで、ただ悲しみが増すだけだったのです。一生泣き続けていくように思えたある満月の夜、気がつく と私は夫の書斎にたたずんでいました。その夜の満月はとても眩しくて、私の涙を洗い流してくれるよ うな気がしました。私は夫の机に両肘をついて、窓から金色に輝くお月さまを見ていました。不意に誰 かに肩を叩かれたような気がして、私は振り向きました。そこには誰も見えません、ただ月の光が机の 上の鏡に反射して、夫の大きな本棚の一点を照らしていました。私は月の光を目で追って・・・本棚で 照らされていた本を手に取りました。それが・・・先生の本だったのです。夫が過去生の本なんか読ん でいたなんて全然知りませんでした。そんな話をした憶えもありませんでした。私はその夜、月明かり の下でそれを読み切ってしまいました。そして、朝一番に先生に連絡をとりました。  私と夫の過去生は、みなさんにお話し出来るほどはっきりとは見えませんでした。ただ、光のヴィジョンの中で赤茶けた岩山に点在した飛行機の残がいが見えました。その時、光の中で優しい夫に再会できました。  夫は暖かく見守ってくれている、喜んで応援してくれている、それを知っただけで、私も生きていく 勇気と自信を取り戻しました。自分で創っていてもかまいません。自分の欲求がヴィジョンとなってい たってかまいません。私はワークの最中に確信しました、夫に会えた、と。それでいいのです。これは 心の治療ですが、論理的である必要性は感じません。私が確信した、そして私は再び歩き始めた、ただ それだけでいいのです。これはもう信仰の世界なのかもしれません。魂の療法という言葉がありますが、これはまさしく魂を癒す療法でした。先生の「ただ患者さんを癒したい」という心が私を夫のところまで押し上げてくれたのです。夫はしっかりと私をハグしてくれました。そして別れ際、最高の微笑みで私の背中をポンと押してくれました。私は歩き始めました。白い靄の向こうに先生が・・・いるような気がしました。  その日の夜、夫の墜落した飛行機が発見された、という知らせを私は自宅で受け取りました。  私は今でも夫の存在を身近に感じます。暖かい眼差を感じとれます。私はひとりぼっちではないので す。このワークを受けられた方々からのお手紙を読んでいると、死者との対話で立ち直った方々は、み なさん、このような感じで元気に過ごされているようです。私はひとりの患者として、先生のワークは 素晴らしい魂の療法だと思います。

おはようさん 2014.1.14.

今日はお腹の風邪の患者さんが多かったようです。 吐き気と胃部不快感、寒気、関節痛、下痢も少し・・・でも咽頭痛や高い熱発はありません。 熱発がないのでインフルエンザではなし・・・。 正月の暴飲暴食のツケが回ってきた人も・・・いましたが。 腹診すると、胃土に寒邪が入ってきた様子でした。 単にブスコパンで腸管蠕動を止めてもダメ。胃苓湯(蒼朮・橘皮・厚朴・猪苓・白朮・茯苓・沢瀉・大棗各3.0;縮砂・黄連・甘草各2.0;乾生姜1.0)も効かず。 で、こりゃぁノロなどの病原菌由来ではなく、寒邪が胃土を犯したんだなと推察しました。 ならば・・・食事指導が先です。 温かいもの、消化の良いもの、お野菜中心・・・鍋物でしょうねぇ。 (逆に冷たいもの禁止! これを結構飲食してはったんですわぁ) 在宅往診してる重度肺気腫のお年寄りは、ここ数日、何も食べられないので入院したいと・・・運良く近隣の病院が入院させてくれたので良かったです。 寒さ負けで食思不振&倦怠感なお年寄りも多い一日でした。 寒邪から胃土を守るには、やっぱり適量のお酒かなぁ? この真冬の時期に温かなお酒や粕汁って先人の知恵なのですね。 みなさんもお腹の風邪にご注意願います。 寒邪や病原菌が口鼻から喉を通って気管支・肺で暴れると気管支肺炎になります。 喉から胃に侵入してくると冬の腹痛になります。 どっちも予防はうがいですね。 それと免疫力アップ。つまり温かくして早く寝ましょう!ですね。 妄想日記のつづき その時・・・摩陀羅神社の中から天女が舞ながら現れました。 詩仙の君は目を閉じたまま、鈴の音に揺られながら、たおやかに舞います。 もののけに憑かれたのではありません。 君の記憶の深い深いところにひっそりと佇んでいたあの日の君が今、蘇ったのです。 君は太古の昔から縄文出雲時代までずっと天女の家系でした。 弥生ヤマトに征服された時、天女の君は黄泉の国へと隠れました。 黄泉の国。誰のこころの奥にもそこへ通じる道はあるが、誰も生きてそこへ行くことはできないところ。 まっくら森の小川に沿って小山を3つ登ったら、見えてきた山、とんがり山。豚鼻洞窟 右 左。さぁ どっちにしようか おなぐさみ。 どっちに行っても右 左。右も左も天も地も 閉じて開いて 三つがひとつ。上や下への大騒ぎ。面白やぁ 面白やぁ。 狂言が神憑りとなって囃し立てます。 それでも君は天女のまま舞い続けています。 それはまるで夕立の向こうに架かる美しい虹のやうでした。 (明日につづく) 前世物語 第二章    死者との対話  過去生療法のパンフレットに「亡くなられた方の魂ともコンタクトできます」と書いて以来、これを 目的にワークを受けられる方がとても多くなりました。ほとんどの方は過去生退行をきちんと理解され た上で受診されますが、時にはとんでもない誤解をされたままの方が来られることもあります。 「過去生? 何ですか、それ? そんなもの、どうでもいいから死んだ***に会わせてくれ!」 「実際に目で見えるんでしょう。死んだ人が目の前に現れて元気だった時のように普通に話せる、と思っ ていました」  このような方がうまく催眠状態を維持できるはずはありません。当院では先生の前著「生きがいの催 眠療法」(PHP研究所)を読んで、しっかりと理解していることが受診の前提条件となっています。 「ちゃんとご本は読ませていただきました」というウソは先生には通じません。ワークの主題をしぼり ワークの注意事項を説明している間に、そのような方は自ら墓穴を掘ってしまわれます。それでもせっ かく楽しみにされて遠くからやって来られていますので、先生は普段通りのワークをしています。 「それはあなた、恐山とか沖縄のイタコさんのところへ行った方がいいんじゃないの?」  そんな患者さんから感情面でかなり強いストレス・パンチを浴びせられても、平然として手抜きなし のワークをしている先生に、「一体、あなたは何者なの?」と思うこともあります。でも、ご安心くだ さい。先生は普通の人です。そんな辛いワークがあった夜、先生はとても饒舌になってオヤジギャグを 私に浴びせ返してくれます。アホになった先生がかわいく思えて許せるのは、きっと私が少しだけ、お 姉さんだからでしょうね。  死者との対話は、ワークを受けられる方と亡くなられた方との関係が成功率に大きく関与しています。 一番成功するのは、お母さんが死んだ子どもに会いに行くケースです。これはとても高い確立でコンタ クト出来ています。次に成績が良いのは、子どもが死んだ親に会いに行く場合です。これもまあまあコ ンタクト出来ています。問題が多いのは夫婦間です。会いに行く方の心のどこかに、「ちょっと文句で も言ってやろう」などという思いがあると、うまくコンタクト出来ません。ある時、亡くなった妻のヘ ソクリのありかを聞き出そうとした方がおられましたが、当然何も見えませんでした。そうかと言えば、 冬山で遭難された夫の亡骸のヴィジョンが見えた方もおられました。私の感触では夫婦間での成功率は 五分五分ではないでしょうか。でも、聞いていて最も涙が誘われるのは、この夫婦間のコンタクトです。  私もこのワークを先生にしていただきました。私を先生と再会させてくれたのは亡き夫なのです。

2014年1月14日火曜日

おはようさん 2014.1.13.

今日は成人の日。 朝からゆっくりさせていただきました。 おかげさまで風邪も何とか治ってきた様子で、昨夜はトイレも行かずにぐっすりと眠れました。 朝一のオシッコがさすがにビックリドンキーな濃厚オレンジ色で・・・やばい!・・・いやいやぁ、夜に1回もトイレに起きなかったし、風邪の邪気がやっと排泄されただけやわ・・・と勝手に納得(←良い子はマネしちゃぁダメだよ) その後のオシッコは正常色だったので、大丈夫でしょう。 そういえば、よく患者さんが「血の色のオシッコが出た!」と駆け込んできます。 血尿のこともあるけど、結構、風邪の治り始めに起こることがあります。 私自身は昨日がかなり脱水気味だったのと風邪と休日で、そんなことになったのだと思います。 やっぱり風邪の時は適度の水分が必要ですね。特に寒い冬は、あまり飲んでない人が多いので、風邪の時はしっかり目に(ちゃんとオシッコが出るくらい)水分を摂りましょうね。 明日はちょっと遠いところへの在宅往診がある日です。 午後からバイク(T-MAX500)を起動して、医院まで走ってみました。 何年、バイクに乗ってなかったのだろう? と思ってカルテを出してみたら・・・ H16年12月に左鎖骨骨折をしてるので、丸9年間、乗ってなかったのですね。 最後に乗ったのは、12月の奥山医院のクリスマス会の翌日でした。 あの時のゲストは山川ご夫妻だったかなぁ。。。 大阪でも雪が積もった寒い日でした。 クリスマス会を無事に終えて、打ち上げ二次会しての翌日。 ちょうどスクーターが車検中で手元になかったので、冬には乗らない!と決めていた大型スポーツバイク(CBR954RR Fireblade)に乗って・・・家を出てすぐの交差点でスリップして転倒。多分、時速10Kmくらいしか出てなかった(後で考えると、マンホールで滑ったのかも) そう、あの日以来、乗ってません。 10年ぶりの第一印象は「重い」 やっぱり10年の老化は否めません。 45,6才の頃は楽々と操っていたのに、今日はヨッコイョ&ヨッコイショでした(^^ゞ う~ん、やっぱり体力作りしなくては。。。 10年前は早朝ジムに通ってましたからねぇ。 医院にバイク通勤&バイク往診するのは、今のところ火曜日&金曜日だけです。 事故の巻き込まれないように気をつけながらのバイクライフ復活です! 妄想日記 「とうとうたらりたらりらぁ たらりあがりららりとう」 シテの声がまるで天地八百万の神々を呼び招く呪文のように渦を巻きながら拡がっていきます。 「ちりやたらりたらりらぁ たらりあがりららりとう」 地謡が地の底から唸り出てくるかのような声で続きます。 もうそこは別世界、時空間を旅する舟の中のようです。 まわりの音々が薄らいでいき、意識だけが無限に広がっていきます。 純粋意識に至ったのでした。 やがてたくさんの光輝く人の形が幾重もの輪になって集まっている処に着きました。 まるで曼荼羅のよう。すべてが神さま、仏さまでした。 その中心へと誘われます。 そこに翁が立って、私たちを迎えてくれました。 ふっと記憶が蘇ってきます。 昔々 ずっと昔、この翁に教えてもらっていました。 今年はいつ種を蒔いたらいいか? いつ船出をしたらいいか? どんな獲物がどこで獲れるか?   今年の斐伊川は暴れないか?  今年の日照りは大丈夫か? 大風はいつごろ来るのか? シテが謡い終わり翁面をはずすと、私たちの前の翁も光の中へ消えていきました。 そして、狂言三番曳が黒面を着けて謡い始めると、今度は亡くなった懐かしい人たちが目の前に現れました。 そして、口々に皆への伝言を語ります。 愛する人から愛される人への言葉たち 託したい人から託される人への言葉たち やがて黒面の三番曳が鈴を手に取って天に翳しました。 その時・・・ (明日に続く) 前世物語  平凡ですが暖かい家族だった人生です。でも平凡だからといって、学ぶものも簡単かというと決して そんなことはありません。 「ひとつひとつの小さな喜びを感じることが出来る幸せです」  これは目覚めた人の至福感だよ、と先生は教えてくれました。この状態になると、目に入るもの、肌 で感じるもの、すべてが愛おしく純粋な幸に満たされるので、散歩をしていても涙が止まらなくなり、 なかなか前に進めなくなってしまうそうです。平凡な人生だからこそ、そんな小さな喜びを感じとるこ とができるのです。 「着飾ったり見栄をはったりしなくても、そのままで十分に幸せなのだ、ということを彼と一緒に感じ なさい」 「今ある悲しみを悲しみとしないで学ぶことです。ないものを嘆いたりしないで、他に持っているもの を喜びなさい」  まるで中国の偉人たちの言葉のようです。  平凡な人生からでも、こんなに大切な学びが得られるのです。 「全ての人生には学びがあるんだよ。無意味で無駄な人生など、本当はないんだよ」  先生は遠くの宇宙を見つめる眼差のまま続けました。 「これは国、世界、人類全体にも共通するメッセージだね、ちょっと耳が痛いけど。例えば日本。今の 大不況の悲しみを悲しみとしないで学ぶことはたくさんありますよ。閉塞した経済状況は資本主義の断 末魔のようでもあり、ある意味で世界に先駆けて経験しているのです。日本から新しい時代の経済が創 造される期待があります。ないものを嘆いたりしないで、他に持っているものを喜びなさい・・・これ がそのヒントなのかもしれませんね」  どんな八方塞がりの悲惨な状況でもフッと息を吐いて、「この状況から私は何を学ぼうとしているの か?」と考えることが出来たら、そんなドン詰まりの中でもがいている自分の姿が客観的に見えくるそ うです。「神様はどんな気持ちで私を見ているのだろうか?」と悪戯いたずらに推しはかってみるだけで、神の 目から見た自分の姿が見えてくるそうです。 「そんな神の目だなんて・・・バチが当たっちゃいそうだわ」 「そうかな? 歴史を学ぶということは、私たちの過去の経験を神の目で見てみることじゃないのかな?  歴史から学ぶということは、それほど一種冷酷な目で智を学び取ることなんだ。中途半端でつかんだ ものは智ではなく、感情であり結果に過ぎないんだよ。それに満足しているから歴史は繰り返す・・・ になってしまうんだ。  そんなにかしこまらなくたっていいんだよ。自分が自分を神の目で見るだけなんだから別にバチは当 たらないよ、他人を神の目で見ちゃうのとは全く別問題だからね」 「そうかな・・・神様の目がいつも自分を見ていると思うと、何だか絶えず監視されているようで自由 に振る舞えないんじゃないの?」 「うん、確かにそういう人もいるだろうね。では、どんな人が神の目で自分を見ると自由を奪われるの だろうね?」 「う〜ん・・・やっぱり後ろめたさ、でしょう。ホラ、先生って風俗のお姉さんたちのお友達がたくさ んいるでしょう? 最近でこそ先生の考えが解わかってきたから私も一緒になっておつき合いしてるけど、 初めはビックリしちゃったんだから。何? この変わりようは! 昔と全然違うじゃない!? ってね」 「僕も昔々、ヨーロッパで高級娼婦をしてたことがあるんだ。ひどい環境に生まれたんだけど、そこは 持ち前の向上心とアイデア、ポジティブシンキングで炭鉱町の娼館から次第に大きな町の娼館に出世し ていき、最後は大都会で自分の娼館を持つまでに至ったんだよ。あの人生は今に通じているし、なにか と思い出の多い、ある意味、輝いた人生だったんだ。まぁ、具体的にどんなことをしてきたか、を話す と、この部分だけ『袋とじ』になっちゃうから・・・。でも、さすがに美子さんだ、答えにワン・オン だ。さぁ、バーディ・チャンスだよ、パットもがんばって!」 「もう、真面目に考えているのに、そんなに茶化さないでよ。後ろめたさと先生の違いは・・・わかっ たわ、『許し』でしょう?」 「ナイス、バーディ! さすがだね。で、そのココロは?」 「自分を許している、自分を愛している人は、神様の目でどんな姿の自分を見ても、目を反らすことな くジッと自分を見つめることが出来るんでしょう。神様の目の中で自由に生きることが出来るのですよ ね。人生を楽しむことが出来るんでしょう? そしてそれが気づきであり、目覚めなのでしょう?」  先生はニッコリと笑ってくれました。先生のこの小さな微笑みが今の私の喜びなのです。私も大きな 幸せを感じることが出来るようになってきました。  新しい時代は目覚めの時代なのでしょう。愛の時代なのでしょう。私もそう思えるようになってきま した。

2014年1月13日月曜日

おはようさん 2014.1.12.

今日は初めて生の能楽「神曲 翁」を観てきました。 いやぁぁあぁぁ よかったですよ。 翁面を着けるまでは「人」ですが、翁面を着けると「神」の化身に変わりました。 これほどはっきりと「神」が具現化したことに、とても驚きました。 だからといって、シテさんが超能力を持ったり、会場が異次元ワールドになったりは・・・しませんけどね。 日本の、世界のスピリチュアルな能力を自画自賛している先生方が「翁」に気づかないなんて・・・やっぱニセモンばっかりやねぇ。 翁は後戸の神さまです。後戸の神と猿楽とは深い関係にあります。 後戸の神とは、文字通り、本殿の後ろに居ます神さまのこと。 ご神体としての山や川、巨岩や森が後戸の神さまに当たることも多いですが、出雲大社の素鷲社(そがのやしろ)の素戔嗚尊のように、後世の何らかの勢力によって出雲大社本殿から追いやられたケースもあります。 元々は出雲大社のご神体は八雲山で(素戔嗚尊でも大国主命でもなかったのです)、その鬼門方向にあたる村に摩陀羅神社がありました。 摩陀羅神社=摩陀羅神=後戸の神=翁 ということになります。 素戔嗚尊=縄文文化圏  大国主命=弥生ヤマト文化圏 です。 去年、出雲大社も式遷宮でとても賑わいましたが、伊勢神宮が好きな弥生ヤマト系の方々も出雲大社に普通にお参りするのは全然OKです。 出雲大社はある意味、縄文出雲文化圏をヤマトが支配するための重しだったのですから。 ただ、安っぽいスピリチュアル本を見て、伊勢神宮LOVE♡な方々は素鷲社とその後ろの八雲山に触れるのはやめておきましょうね。まちがいなく祟りがありますから。(縄文の祟りは単純です。単純だから怖い。いきなり「死」が来ちゃいますよ) 出雲大社をゆっくりと歩いてみると、支配された縄文文化圏の人たちのヤマトへの精神的抵抗、祈りの抵抗の跡が見つかります。 今日の神曲 翁で。翁を終えると、今度は黒色面を着けた狂言方三番曳が謡い舞います。 翁面は金色に輝いているように見えていたので、この黒色面との対比にこころ揺さぶられました。 黒色面は闇であり陰の総代でしょう。 でもここ神曲では闇も陰も悪ではありません。 闇と光、陰と陽が和しているのが縄文文化圏の特徴でもあります。 もう何千年も、特にこの100年は闇を光で追い詰めてきました。 闇を光で支配しよう。それが世界の平和であり、人類の幸せなんだと。 でも追い詰めれば追い詰めるほど、人のこころも魂も光を失ってきました。 悪が光を飲み込んでしまいます。 でも・・・ 今日の、今年の始めに翁の神さまを見れたのだから、きっと大丈夫でしょう。 光輝く翁が笑っていましたからね。 <妄想日記は明日へ順延です:上で翁を熱く語ったので> 前世物語 小さな喜び  紀元前七百年頃のエジプトに、マーラーという女の人がいました。毎日、夫と砂漠の向こうの山の湖 に水を汲みに行きました。時々、市場で買い物もしました。夫は白いマントを着て、とても優しい目を していました。ダニエルといいます。ダニエルは「今の夫」です。  夕食は村の焚き火のまわりで食べました。ダニエル夫婦と三人の子供たちとダニエルのお父さんがい る家庭でした。子供たちがふざけあっています。マーラーは嬉しくて笑い出しました。心の中が暖かく て熱があるみたいでした。彼女はみんなで食事ができる幸せを感謝しました。  七十歳の頃、マーラーは老衰で死の床にいました。子供たちが手を握ってくれています。一人は「今 の娘」です。彼女は言いました。 「ありがとう」  彼女はダニエルを思い出しました。夫は少し前に病気で亡くなっていました。彼は最後に言いました。 「ありがとう。また会おうね」  そしてダニエルは目を閉じました。マーラーは感謝の気持ちでいっぱいでした。  彼女は人生を振り返りました。毎日の水汲みが楽しい思い出でした。大きな嵐が来て、村も、お父さ んも、長男も、奪い去られたこともありました。  マーラーはダニエルと死んだ息子が迎えに来てくれたのに気づきました。夫は何も言わず、ただ笑っ て手をつないでくれました。穏やかな死に顔を残して彼女の魂は身体を離れました。彼女は家族への感 謝の気持ちに包まれて、逝きました。  先生はマーラーの魂を高みへと導きました。そしてその高みから彼女の人生をもう一度振り返っても らいました。彼女の魂が答えました。 「私にはいつも家族がいました。その家族がいつも笑っていて、みんなが今日の出来事とかを話してく れたのを一緒に笑って聞いている役目でした」  先生は更に高みへと導きます。そこには「光る星」がありました。星の中は白いクリームがかったよ うな光に包まれていました。光の中心に、白いドレスを着て、白い顔に長い金髪の女性が笑って迎えて くれました。先生はその白い女性に尋ねました。 「夫との関係は何ですか?」  光の人が答えました。 「夫婦でした」 「今回の人生で、私は夫から何を学ぶのですか?」 「ひとつひとつの小さな喜びを感じることが出来る幸せです。着飾ったり見栄をはったりしなくても、 そのままで十分に幸せなのだ、ということを彼と一緒に感じなさい」 「今回の私の人生の目的は何ですか?」 「今ある悲しみを悲しみとしないで学ぶことです。ないものを嘆いたりしないで、他に持っているもの を喜びなさい」  先生は白い女性に聞きました。 「夫の両親からは何を学ぶのですか?」 「あなたが今まで気づかなかったことを気づかせてくれる人たちだから、大切にしなさい」 「今の娘からは何を学ぶのですか?」 「毎日の小さな歓びを気づかせてくれるから大切にしなさい」 「娘はなぜ私をお母さんとして選んだのですか?」 「私が気づかないことが多いから、気づかせたくって」 「私が頼んだのですか? それとも娘が選んだのですか?」 「娘がずっと見ていて決めたのです」 「自分はこれでいいのですか?」 「何も恐がらなくていいから、前に進みなさい」 「今回の私の人生はここまで順調ですか?」  白い女性が答えました。 「これからは順調ですよ」 「今回、なぜ私は夫とペアーを組んだのですか?」 「そうなることになっていました」 「今回の人生を計画した時に、何か打ち合わせをしたのですか?」 「一緒にまた会おうね、って約束だけしました。それで今回ここで一緒になったのです」 「今回のこの人生は私が決めたのですか?」 「はい」  先生は白い光の人にお願いしました。 「今の私に何かアドバイスをください」 「何も心配してませんよ。毎日、家族に感謝していればいいのだよ。ありがとう、って言ってればいい のだよ」  先生は光の人に頼みました。 「今回の人生の問題をクリアーできた、未来の私の姿をちょっと見せてください」  白い光の中にヴィジョンが浮かんできました。 「五十歳くらいで、夫と一緒に私の実家に帰っています。今、駅にいますが二人とも笑っています。実 家でも私の両親と兄夫婦とお茶を飲みながらニコニコしています。とっても幸せです」 「その彼女にアドバイスを貰ってください」  未来の彼女が答えました。 「ちゃんと克服できているから大丈夫だよ」 「どうやったら克服できるの?」 「愛情とか、感謝の気持ちにたくさん気づいて、ありがとう、って思うことです」  未来の彼女は暖かくて力強い握手をしながら言いました。 「大丈夫、必ずこうなるから」  未来の夫も実家の家族もみんなが言いました。 「大丈夫、必ずこうなるから」  光の人も言いました。 「必ず出来るから大丈夫です」

2014年1月11日土曜日

おはようさん 2014.1.11.

今日は医院の鏡開き。 毎年、患者さんたちにお善哉をふるまいます。 30年前の関西医大脳外科外来の伝統を引き継いだ鏡開きです。 この日ばかりは生活習慣病があっても、どうぞどうぞ! 糖尿病で耳に「甘いもんダメ!」なタコができちゃってる患者さんたちも、素なニコニコ顔を見せてくれます。 スタッフが朝からお餅を包丁で4つに切ってくれて、待合特設テーブルの上で美味しそうに香る大鍋に入れて完成! 家では「喉に詰めるから」とダメ出しされていたお年寄りのたちも「今年初めてのお餅や」と大喜びしてくれます。 一人暮らしのお年寄りたちも、昔を懐かしんでホカホカ笑ってくれます。 子供の頃、青カビの生えた鏡餅を洗って、何とか力づくで割って、お善哉にしましたよね。 どのお年寄りたちの顔々も、子供の頃のワクワク感が蘇ってきているような温かいお顔になっていました。 歳時記を入れてあげると、子供の頃にタイムスリップします。 お正月が終わって、いよいよ極寒の季節です。 子供の頃は雪の中を走り回って遊んだり、凍える手で内職のお手伝いをしていたお年寄りたちの身体と自律神経系に「いよいよ極寒の季節だよ」というスイッチを入れてあげると、それなりの耐寒性、対ウイルス性がアップするんじゃないかな? みんなが楽しめればそれでいいのだけど、フッとそんな医学的効能をお善哉をいただきなかがら思いついたのでした。 妄想日記のつづき 摩陀羅神社の前には仮設の舞台が置かれています。 お客さんたちは摩陀羅神社の右手、背の丈ほどの石段の下方に置かれたイス席に座って観能していただきます。 摩陀羅神社の右手の三台杉たちが観客席と神社の結界となって、堂々と見守ってくれています。 「さすがに出雲一の紅葉の名所なんですね」 9時を過ぎると、ぞくぞくと紅葉狩りの人たちが石段を登ってきました。 ほとんどの方が今日、奉納能があることも、それが「神曲」であることもご存じありません。 それでも熱心な方々もおられるものです。 「ここ摩陀羅神社で翁が奉納される日を迎えることができて・・・」と涙を流しながら喜ばれているお年寄りたちもおられました。 お話をお聞きすると、先祖代々、島根半島の所々で暮らしておられる方々でした。 その「先祖代々」は平安時代よりももっと古い時代にまで遡るそうで・・・ 「ほら、やっぱりね」と僕。 「すごいわねぇ」と君。 10時すぎに深野師匠と能楽ユニットのみなさんが舞台の下見に登って来られました。 もうこの頃には満席になってしまうくらいの盛況で。 根本堂下の紅葉の階段は人・人・人 大渋滞で、とうとうガードマンさんたちが石段の下で入場規制をかけ始めました。 僕たちは住職さんと裏道を下りて本坊でお昼ご飯をいただいて。 もう一度、翁の前の精進潔斎を済ませて、12時前に摩陀羅神社に戻りました。 そして1時。いよいよ摩陀羅神社奉納能「神曲 翁」が始まります。 摩陀羅神社の扉がゆっくりと開いて、面箱をうやうやしく掲げた狂言を先頭に、シテ翁、ツレ千歳、狂言三番曳、囃子方、シテ後見、地謡、狂言後見が歩み降りてきました。 笛。小鼓、鼓が神社の左手、舞台奥に坐します。 地謡は舞台左手、神社に向かって坐します。 僕は地謡後列の左端っこです。 笛の甲高い一声を合図に、翁の始まりです。 <明日に続く> 前世物語  これは先生のお気に入りの症例です。 「柿の木に実をならせたのが合図だなんて、粋だよね。僕だったらギンナンかな?」  先生は私の吉野の実家の裏山に大きな銀杏の木があったことを覚えていました。それは見事な大銀杏 で、秋になると杉山の中腹に太陽のように真黄色な銀杏が輝いていました。今でも村の、そして私の大 切な守り神でもあります。昔、先生は高校の仲間たちとその銀杏の写真を撮りに来たことがありました。 「先生、私のイチョウには実はなりません。残念でした」 「そんなこと、ないよ。だってホラ、何事も強く想えば叶います、ってみちこさんも言ってるでしょう。 遺伝子操作のこの時代、美子さんの里のイチョウの性転換なんか、簡単だよ」  負けん気が強いのは今も昔も変わりません、二人とも。 「磨き合う関係です。どんなことがあっても、お互いを想い合う関係です」  先生は本当のソウルメイトとはこのような関係だ、ととらえています。厳しく切磋琢磨しながらもお 互いを深く想い合っているのが先生の理想像です。でもラブラブを否定してはいません。だって先生、 かなりミーハーなところもありますから。最近は私も慣れてきましたが、それでも、「おばさんには恥 ずかしくてついていけないわ」と思うことを時々しでかしてくれますから。ホント、なんでもあり、の 人です。きっと生まれてくる時に、天使回路をオフし忘れてきたんでしょうね。あの天真爛漫さを生か してあげるのが今の私の使命なのかもしれません。  このメッセージが似合うソウルメイト特集があれば先生と私は上位進出まちがいなし、だと思います。 「この症例では人生の悩みは学習であり、悩み抜いたら笑えるようになる、それが幸せなのだ、と言っ てたけど、確かに悩み抜いたらもう笑うしかないという状況になるよね。悲しみに泣き崩れていくとい つか泣き笑い状態になるし、怒りや恐怖を突き抜けるとヘラヘラした笑い顔になるだろう。人間の感情っ て突き詰めていくと最後は『笑い』になるのかもしれないね。人間以外の動物に笑い顔は作れない、と いうから、私たちが人間をやっている意味のひとつに『笑い』の学びがあるのかもしれないね」  わざと真面目な顔をして先生が謎かけをしました。 「楽しい時、満たされた時、嬉しい時・・・だけが『笑い』ではないのだとしたら・・・『笑い』は心 がどんな時に起こるのかを考えてみればいいのかしら? そう、笑っている時って心が開いているわ・・・ 心が閉じている時はとても笑えないもの。先生がさっき言った悲しみ、怒り、恐怖の時だって心の扉は 固く閉ざしているけれど、その感情があまりに強くなり過ぎると心を閉ざすことさえ出来なくなってし まうのかもしれないわね・・・まるで心の門番までどこかへ逃げ出しちゃったみたいに。すると心の扉 はひとりでに開いて、中から『笑い』が漏れ出してくるのかなぁ。???先生、ということは心の本質 は『笑い』だということになりますよ」  先生は私の目をじっと見ながら、とっても嬉しそうに笑ってくれました。 「そうだね、人間の心の本質は『笑い』だよ。赤ちゃんの笑顔が嫌いな人っていないだろう。赤ちゃん の笑顔が疲労困ぱいしたお母さんを癒す特効薬だしね。『笑い』はすべての人間の心に共鳴する基本調 律なんだろうね。人の心の本質は『笑い』で満たされているだよ、本当は・・・すると、自分の心がい かに閉ざされているのかが見えてくるだろう。『笑い』は心の健康のバロメーターであり、この地球は 『笑い』で満ちた星なんだよ」  そう言いながらニコニコしている先生の顔を見ていると、私までなんだかウキウキしてきました。そ うです、こうやって『笑い』は幸せを運んでくれるのです。

2014年1月10日金曜日

おはようさん 2014.1.10.

昨日、蓮風先生に鍼をしていただいた風邪さん、 今朝は快調で、やっぱり鍼は効くなぁ、と午前診はいつものようにがんばれました。 昼ご飯を急いでいただいて、休憩する間もなく、そのまま在宅往診へ。 この冬一番の冷え込みの中、自転車で3時間ほど患者さん宅をまわったら・・・ 風邪さんがぶり返しちゃいました。ありゃりゃぁ。。。 今日は下痢・嘔吐のお腹の風邪さんも続きました。 インフルエンザはまだ流行していませんが、この寒さの中で、前々から流行っていた普通の風邪さんたちがどんどん変異して、重度な症状を引き起こしているようです。 本格的風邪シーズンに入ったと思って、うがい&手洗いをいつもよりしっかりとすることをお薦めします。 かく言う私も明日の土曜外来に向けて、今夜は早くお休みさせていただきますね。 妄想日記の続きは明日へ順延です(ネタは出来てるんだけど・・・お楽しみに) 前世物語  先生は二人を高みへと導きました。そして尋ねました。 「今、旦那さんと巡めぐり会って、何か決心したことはありますか?」 「もう離れたくありません。今度も一緒になれるように生まれよう、と思いました。探そうと思いまし た。探したかった・・・」 「探すために、今回の人生をどのように仕組んだのですか?」 「彼が先に生まれるのを見届けてから生まれてきました」  先生はもっと高みへと導きました。そして、みちこの人生を振り返りました。 「何事も強く想うことです。そうすれば必ず叶います」  先生は二人をさらに高みへと導きます。そこには安らかな光がありました。二人で光の中へ入ります。 真ん中に光のポールがありました。 「そのポールに向って聞いてください。私の今回の人生の目的は何ですか?」  光が答えました。 「人を愛することです。しっかりと愛しなさい」 「それはどういう意味ですか?」 「許すことです」 「許すとは、どういう意味ですか?」 「いろんな人がいることをわかることです」 「そのためにはどうしたらいいのですか?」 「本当にいろんな人がいるのだから、広くものを見なさい」 「私に愛せますか?」 「大丈夫です」  先生は光に尋ねました。 「彼との関係は何ですか?」 「大事な存在です。磨き合う関係です。どんなことがあっても、お互いを想い合う関係です」 「私は今までに何回生まれ変わりましたか?」 「六十八回です」 「彼とは何回、一緒の人生を歩みましたか?」 「四十八回です」 「人間関係で何に気をつけたらいいですか?」 「クヨクヨしないことです。下ではなく前をまっすぐ見なさい」  先生は光に頼みました。 「このまま人生を乗り切っていくために何かアドバイスをください」 「人を信じることです」 「そのためにはどうしたらいいですか?」 「穏やかな気持ちになることです」 「私はなぜ何度も生まれ変わっているのですか?」  光が答えました。 「人間感係を磨くためです」 「私は今回の人生で、彼と結ばれる運命なのですか?」 「わかりません」 「どうしたら結ばれますか?」 「わかりません」 「結ばれなくても磨き合えるのですか?」 「出来ます。相手を思いやることが大事なのです」  先生は光にお願いしました。 「私の今回の人生の目的をクリアーできた、未来の私の姿をちょっと見せてください」  するとヴィジョンが見えてきました。 「三十五歳で子どもを抱いています。女の子が二人と男の子が一人です。子どもを見て笑っています」  先生は未来の彼女に聞きました。 「今の私に何かアドバイスがありますか?」  未来の彼女が答えました。 「悩むことだよ、でも大丈夫。笑う日が来るからね」 「悩むなんて辛いよ」 「それが課題だよ」 「あなたは解決できたの?」 「ちょっとはね。でも、これからも悩むよ」 「私の人生はそんなに悩んでばかりなの?」 「学習しているのだよ」 「あなた、それで幸せ?」 「幸せだよ」 「どうしたらあなたのようになれるの?」 「笑うことだよ」 「どうやったら笑えるの?」 「悩み抜いたら笑えるよ」 「私に出来るかなぁ?」 「もちろん出来るよ」 「ねぇ、夫は誰? 教えてくれる?」  彼女が残念そうに答えました。 「顔も姿もよくわかりません」 「子供たちにもメッセージをもらってください」  未来の子供たちが答えました。 「時間が解決するよ、だから待っててね」 「君たちが私をお母さんに選んだの?」 「そうだよ」 「なぜ私をお母さんに選んだの?」 「逞しいし、楽しそうだからだよ」 「お母さんは合格かな?」 「うん。これからかな」 「私を選んで良かった?」 「うん。がんばってね。笑ってね」  先生は光に尋ねました。 「私の人生はここまで順調ですか?」 「順調です」 「この人生は誰が決めたのですか?」 「私自身です。今回の人生はちょっと波があってもいいかな、って決めました。でも大丈夫、やってい けます」 「あなたも私を応援してくれますか?」 「いつもいるよ」 「困った時、あなたに会いに来ていいですか?」 「うん。手の上に来るみたいです。来てくれる、って言ってくれました」

おはようさん 2014.1.9.

今日の午後は、今年初めての藤本漢祥院での研修&鍼治療でした。 今朝から痰がらみの喉イガイガと背胸部のゾクゾク感があって。 先日来の風邪の患者さんたちからいただいた寒邪と免疫防御機構のせめぎ合いです。 いつもなら風邪薬を飲むんだけど、ちょうど今日は鍼をしていただく日だったので、手出しせずに漢祥院へ伺いました。 蓮風先生の置鍼は左滑肉門。 自分の見立てでは、桂枝湯の証やな(処方するとしたら桂枝麻黄半湯)・・・で、鍼なら外関かな?と思っていたので、ほぅぅ? 置鍼している間はそれほど感じなかったのですが、抜鍼後、身体の芯に入りかけていた寒邪がほわっと体表へ浮き上がってきているのがわかりました。同時に背胸部のゾクゾク感も消えました。 そして夜・・・喉のイガイガも消えて、痰がらみの咳も気になりません。治ってるかも! 滑肉門をググってみると・・・ 内経によれば、骨は腎に属し肉は脾に属する。骨肉門は骨と肉との門であつて、腎と脾とに関する。故にこの穴は腎と脾の病を治するに大切な穴である。 天の寒気が風門より膈、肝、脾、腎に入るときは骨肉門にあらわれる。風邪の内臓に入ったのを取るには最もよい治穴である。 感冒の場合などには、骨肉門のあたりの腹直筋の緊張と圧痛が現れる。 なるほど&なるほどですね。 風邪に初診の患者さんには、さすがに「鍼しましょうね」とは言えず(みなさん、薬で治して欲しいと医院に来てるので、いきなり鍼で治りますよ!は青天の霹靂ですもの。。。)、これからどうやってスムーズに風邪の患者さんにも鍼をしてあげられるかを考えていきたいと思っています。 妄想日記の続き 鰐淵寺について from Wikipedia 伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。 弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。その後、姫路の書写山圓教寺、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦したが、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。 16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主命に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。 鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、現在では、根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。弁慶との繋がりから催されるイベントと境内の紅葉が美しく色付くことから、毎秋一時賑わいを取り戻すが、それ以外の多くの時間境内は静寂に支配されている。 「浮浪の滝の蔵王堂を観てこようかしら」とお母さんと君。 「さすがにお着物ではムリだと思いますよ」と住職さん。 「途中までは何とか行けますけど、人ひとりしか通れない断崖絶壁の岩道を歩かないとダメですから、やめときましょう。明日の朝、軽装でもう一度、来てもいいですよ」と僕。 ちょっと残念そうなお母さんと君のスネ顔がかわいくて。 「これから根本堂で朝のお勤めをしますので、よろしかったらご一緒されますか?」と住職さん。 一同 元気よく「は~い!」 見事な紅葉のトンネルの中に根本堂へと続く石段があって、 朝の石段は深紅のふわふわ絨毯が敷き詰められていました。 「本当に・・・きれいやわぁ」とお母さん。 「今年は特に美しい紅葉になってくれました」と住職さん。 何も語らずローライ君で撮りまくる僕。 根本堂の扉を開いていただいて、ご本尊の千手観音さまと薬師如来さまに皆で朝の祈りを捧げます。 冷え切っていた夜の空気が和らいでいって、日の光の氣が充ちていくのがわかります。 ここは鰐淵寺の聖地。 慈覚大師お手植えの三台杉が天と地を支えています。 ここでは誰もが邪気を払い、神氣を蘇らせることができます。 「あなたがこの地での翁にこだわる理由がわかるわ」と君。 君ももう立派な覚者ですよ。 根本堂の右手に、弁慶の釣鐘があります。 住職さんが特別に鐘をつかせてくださいました。 ゴォォォ~ン 壇ノ浦の合戦の後の弁慶さんは、この鐘の音を聞きながら、何を想ったのでしょう。。。 「未来が見えていたのかもしれないわねぇ」と君。 「未来が見えていたからこそ、覚悟ができたんじゃないかな」と僕。 「運命を受け入れることで、新たな道が開けていくのね」とお母さん。 その時、南の山の上にお日さまが顔を出して、朝日が射し込んできました。 一瞬、天上に虹がかかって。 「これがあなたたちの未来ね」とお母さん。 「この子たちの明日の幸を祈って、もうひとつき、鐘をつかせていただけますか」 住職さんもニコニコしながらうなづいてくれています。 ゴォォォォ~ン 「お母さんは弁慶の生まれ変わりかもしれないね」僕たちは合掌しながらうなづきました。 (続く) 前世物語 美子レポート   柿の実  明治の中頃の信州に仲の良い夫婦がいました。旦那さんはちょんまげをした優しい人でした。妻は 「みちこ」と言いました。やがて二人に女の子が生まれました。「ゆり」と名付けました。とても幸せ な家族でした。  ある春の日、二人はいつものように楽しく畑仕事をしていました。広い畑の中を馬に乗った役人たち がやって来ました。みんなとても険しい表情です。夫は有無を言わさずに、どこかへ連れ去られてしま いました。みちこはひどい寂しさの中で混乱しました。どうやって帰ったのか、わかりません。気がつ くと、ゆりと二人、大きな家の中で泣いていました。  みちこは待ち続けました。ただひたすら夫の帰りを待ちました。 「旦那さんは誰かに騙だまされたのかなぁ。悪いことなど、するはずがないわ・・・」  夫の消息はわかりませんでした。  みちこは七十四歳になりました。娘は結婚して幸せに暮らしていました。旦那さんは帰ってきません でした。 「ひとりで死ぬのは嫌だなぁ。寂しいなぁ。誰かにずっとそばにいて欲しかったなぁ。もっといろいろ なことを分かち合いたかったなぁ」  彼女は眠っている間に死にました。それはとても安らかな死でした。 先生は、みちこの魂に尋ねました。 「死んだ時に、何か決心したことはありますか?」 「旦那さんを探します」と、みちこが答えました。「やっぱり、かなり以前に死んでいたみたいです」 「あなたが死んだ時に、そばに誰か迎えに来ましたか?」 「旦那さんがいます。会えて良かった、って言ってます。私も会いたかった、と言いました」  先生は旦那さんの魂に聞きました。 「あの後、どうなったのですか?」 「殺されました」 「誰かを恨んでいませんか?」 「恨んでません」 「死ぬ時に、何を考えていましたか?」 「何でこんなことになったのだろう・・・」  先生はみちこに代わって彼に尋ねました。 「待っててくれたの?」 「待ってたよ」 「先に死んで、何か私に合図をしてくれた?」 「したよ。家の柿の木に実をならしたよ。気づいてくれるかなぁ、って思ってたよ。みちこが気づいて くれなくって、ちょっと寂しかったなぁ」 「私を見守ってくれていたの?」 「ずっと見ていたよ」

2014年1月9日木曜日

おはようさん 2014.1.8.

クリスマス気分で2,3回完結のつもりで書いた「妄想日記」ですが、ごく一部のコアーなファンさんたちの大笑いな声にノリノリで、年が明けた今でも書いています。 去年末からKindleでお風呂読書を始めて、中谷彰宏本とわたせせいぞう本を読み耽ってるので、ついつい書いてしまいました。 ちなみに私、ナカタニアンでございます。彼の本の約半分、500冊以上は今、こうやってブログを書いている私の右壁一面の本棚に二重に積み上げられてます。 わたせせいぞうさんでは、やっぱり「菜」が一番好きですねぇ。 心療内科の患者さんの中に、妄想癖で自己嫌悪になっている方々がおられます。 妄想自体は全然構わないことなんですが、妄想から逃れられなくて仕事も家事も出来ないのは、やっぱり困ります。 こういう方々の云う妄想は、虚言癖であったり(オレはビッグになる!が口癖だけど、実際には何もしてない)、現実逃避癖なだけですので、妄想さんも困り顔だと思います。 子供は妄想できます。 何とかごっこ、おままごと(今の子はしないかな?) 純な妄想です。 学校に行き始めて、現実社会にどんどん組み入れられていきます。 思春期にはHな妄想はするけど、それも大人になると・・・妄想はなくなります。 妄想がなくなるというよりも、妄想力がなくなるのですね。 妄想力はある意味、創造力です。 デジタルよりもアナログな感性です。 そう! 妄想力は感性&本能の集合体ですよね。 社会生活、現実社会を生き抜いていくにはデジタルな大人力が必須です。 社会がどんどんデジタル化、弱肉強食化、格差社会化していって、こころが疲れ果ててしまった人たちが増えました。 そんな中で、妄想力のある人はこころが元気です。 デジタルとアナログのバランスが自分の中で取れているのですね。 妄想力はピーターパン&ティンカーベルです。 ディズニーランドで思いっきり楽しめる人のこころは元気です。 そんな人に限って、仕事もバリバリこなせています。 妄想は不要でも時代遅れでもありません。 そもそも恋愛は妄想の権化です。妄想の中は愛でいっぱいです。 結婚後は現実社会ですが、恋愛中は妄想天国です。 最近、草食系な人たちが増えてきたけど、あれは妄想力が減退してるからかもしれないですね。 妄想力のある人には愛があります。 痴漢や姦淫には妄想力はありません。自己中&我がまま&幼稚なだけです。 妄想力のある人はピーターパンです。愛と勇気と正義に満ちあふれています。 そんなことを思いながら、妄想日記を書いています。 中谷彰宏風に・・・ この妄想日記は3人のために書きました。 ・大連吟「高砂」に善き出会いを求めたい人。 ・自分の妄想に自己嫌悪している人。 ・そして・・・詩仙の君のモデルとなった名も知らぬ君へのラブレターなのです。 妄想日記 H26年11月23日 君の家で「これまで一番きれいだった紅葉はどちらですか?」とお母さんに尋ねられて、 「出雲の顎淵寺です」とお答えしてから・・・ 何だか出雲の神さまたちに誘われたかのように話がトントン拍子に決まって・・・ 今日は早朝から君とお母さんとその顎淵寺にいます。 「この渓谷の清々しさと紅葉の見事さ! ダーリンの言ったとおりだわ!」 参道の一丁ごとに祭られているお地蔵さんたちに朝のご挨拶をしながら、山道を登っていきます。 聞こえるのは清流の砕ける音と深山の地鳴りだけ。 本坊の前で住職さんが出迎えてくださいました。 「おはようございます。ようお参りくださいました」 「今日はよろしくお願い致します」 君のお母さんの交友関係にはびっくりです。 僕が顎淵寺のこと、摩陀羅神社のこと、摩多羅神と翁のこと、後戸の神のこと・・・を熱く語るのを熱心に聞いてくれて・・・ 顎淵寺の摩陀羅神社の前で神曲を謡いたい、ともらしてしまったのを・・・ 現実化してくださいました。 もちろん、僕が謡うのではなく、何と深野師匠をはじめとする能楽ワンユニットを呼んでの顎淵寺 秋の一大イベントにまで育て上げてくださったのでした。 今日の午後1時より、顎淵寺 摩陀羅神社で能楽「翁」が奉納されるのです。 「あなたの夢がひとつ 叶ったのね」とうれしそうな君。 地謡に端っこに参加させていただく僕ちんはすでに膝ガクガクで。 はたして・・・どうなることやら・・・(続く) 前世物語  自殺したらどうなるのか? の答えも決まっているようです。この症例では、自殺した人は暗い中に ひとりで座っていました。その自殺の理由を聞くと、「価値がないと思いました。寂しかったのです」 と答えてくれました。自殺の原因を突き詰めていけば、このふたつにしぼられます。 「そこから動けないのです。間違いに気づくまで、そのまま動けないのです。そのまま生きなければい けなかったのです。例え努力をしなくても、そのまま生きなければいけません。でも、あの暗い中だと 気づけないのです。納得できないのです」 「なぜ、そんなに暗いのですか?」 「自分で暗くしています。止まっているのです。先に進めず止まっている分、遅れてしまいます。その まま生きていた時よりも遅れてしまうのです」  このメッセージの言う「間違い」には、人それぞれのキーワードが入ると思います。価値のない人な どいません、あなたはひとりじゃないのですよ、という答えが浮かんできますが、正解は自問した人の 数だけあると思います。人生の真理があるとすれば、「そのまま生き続けなければならない。自殺する と先に進めず止まってしまって、魂のプロセスから遅れてしまう」ということでしょう。人生を歩みだ したら、ともかくゴールすることが求められているようです。リタイアは貪欲に智を求めてしまう魂に とっては、ある意味で地獄のような苦しみなのでしょう。先人たちはこれをわかりやすく説くために、 いろいろな地獄を創造したのかもしれません。今この時代になって、ようやく例え話にしなくてもすべ てを理解できる人々が増えてきました。開祖先人たちの努力が実を結び始めたのです。私も魂の時代の 到来を感じています。そして魂は永遠なのです。なぜなら、 「人生は続きます。終わりはありません」

おはようさん 2014.1.8.

クリスマス気分で2,3回完結のつもりで書いた「妄想日記」ですが、ごく一部のコアーなファンさんたちの大笑いな声にノリノリで、年が明けた今でも書いています。 去年末からKindleでお風呂読書を始めて、中谷彰宏本とわたせせいぞう本を読み耽ってるので、ついつい書いてしまいました。 ちなみに私、ナカタニアンでございます。彼の本の約半分、500冊以上は今、こうやってブログを書いている私の右壁一面の本棚に二重に積み上げられてます。 わたせせいぞうさんでは、やっぱり「菜」が一番好きですねぇ。 心療内科の患者さんの中に、妄想癖で自己嫌悪になっている方々がおられます。 妄想自体は全然構わないことなんですが、妄想から逃れられなくて仕事も家事も出来ないのは、やっぱり困ります。 こういう方々の云う妄想は、虚言癖であったり(オレはビッグになる!が口癖だけど、実際には何もしてない)、現実逃避癖なだけですので、妄想さんも困り顔だと思います。 子供は妄想できます。 何とかごっこ、おままごと(今の子はしないかな?) 純な妄想です。 学校に行き始めて、現実社会にどんどん組み入れられていきます。 思春期にはHな妄想はするけど、それも大人になると・・・妄想はなくなります。 妄想がなくなるというよりも、妄想力がなくなるのですね。 妄想力はある意味、創造力です。 デジタルよりもアナログな感性です。 そう! 妄想力は感性&本能の集合体ですよね。 社会生活、現実社会を生き抜いていくにはデジタルな大人力が必須です。 社会がどんどんデジタル化、弱肉強食化、格差社会化していって、こころが疲れ果ててしまった人たちが増えました。 そんな中で、妄想力のある人はこころが元気です。 デジタルとアナログのバランスが自分の中で取れているのですね。 妄想力はピーターパン&ティンカーベルです。 ディズニーランドで思いっきり楽しめる人のこころは元気です。 そんな人に限って、仕事もバリバリこなせています。 妄想は不要でも時代遅れでもありません。 そもそも恋愛は妄想の権化です。妄想の中は愛でいっぱいです。 結婚後は現実社会ですが、恋愛中は妄想天国です。 最近、草食系な人たちが増えてきたけど、あれは妄想力が減退してるからかもしれないですね。 妄想力のある人には愛があります。 痴漢や姦淫には妄想力はありません。自己中&我がまま&幼稚なだけです。 妄想力のある人はピーターパンです。愛と勇気と正義に満ちあふれています。 そんなことを思いながら、妄想日記を書いています。 中谷彰宏風に・・・ この妄想日記は3人のために書きました。 ・大連吟「高砂」に善き出会いを求めたい人。 ・自分の妄想に自己嫌悪している人。 ・そして・・・詩仙の君のモデルとなった名も知らぬ君へのラブレターなのです。 妄想日記 H26年11月23日 君の家で「これまで一番きれいだった紅葉はどちらですか?」とお母さんに尋ねられて、 「出雲の顎淵寺です」とお答えしてから・・・ 何だか出雲の神さまたちに誘われたかのように話がトントン拍子に決まって・・・ 今日は早朝から君とお母さんとその顎淵寺にいます。 「この渓谷の清々しさと紅葉の見事さ! ダーリンの言ったとおりだわ!」 参道の一丁ごとに祭られているお地蔵さんたちに朝のご挨拶をしながら、山道を登っていきます。 聞こえるのは清流の砕ける音と深山の地鳴りだけ。 本坊の前で住職さんが出迎えてくださいました。 「おはようございます。ようお参りくださいました」 「今日はよろしくお願い致します」 君のお母さんの交友関係にはびっくりです。 僕が顎淵寺のこと、摩陀羅神社のこと、摩多羅神と翁のこと、後戸の神のこと・・・を熱く語るのを熱心に聞いてくれて・・・ 顎淵寺の摩陀羅神社の前で神曲を謡いたい、ともらしてしまったのを・・・ 現実化してくださいました。 もちろん、僕が謡うのではなく、何と深野師匠をはじめとする能楽ワンユニットを呼んでの顎淵寺 秋の一大イベントにまで育て上げてくださったのでした。 今日の午後1時より、顎淵寺 摩陀羅神社で能楽「翁」が奉納されるのです。 「あなたの夢がひとつ 叶ったのね」とうれしそうな君。 地謡に端っこに参加させていただく僕ちんはすでに膝ガクガクで。 はたして・・・どうなることやら・・・(続く) 前世物語  自殺したらどうなるのか? の答えも決まっているようです。この症例では、自殺した人は暗い中に ひとりで座っていました。その自殺の理由を聞くと、「価値がないと思いました。寂しかったのです」 と答えてくれました。自殺の原因を突き詰めていけば、このふたつにしぼられます。 「そこから動けないのです。間違いに気づくまで、そのまま動けないのです。そのまま生きなければい けなかったのです。例え努力をしなくても、そのまま生きなければいけません。でも、あの暗い中だと 気づけないのです。納得できないのです」 「なぜ、そんなに暗いのですか?」 「自分で暗くしています。止まっているのです。先に進めず止まっている分、遅れてしまいます。その まま生きていた時よりも遅れてしまうのです」  このメッセージの言う「間違い」には、人それぞれのキーワードが入ると思います。価値のない人な どいません、あなたはひとりじゃないのですよ、という答えが浮かんできますが、正解は自問した人の 数だけあると思います。人生の真理があるとすれば、「そのまま生き続けなければならない。自殺する と先に進めず止まってしまって、魂のプロセスから遅れてしまう」ということでしょう。人生を歩みだ したら、ともかくゴールすることが求められているようです。リタイアは貪欲に智を求めてしまう魂に とっては、ある意味で地獄のような苦しみなのでしょう。先人たちはこれをわかりやすく説くために、 いろいろな地獄を創造したのかもしれません。今この時代になって、ようやく例え話にしなくてもすべ てを理解できる人々が増えてきました。開祖先人たちの努力が実を結び始めたのです。私も魂の時代の 到来を感じています。そして魂は永遠なのです。なぜなら、 「人生は続きます。終わりはありません」

2014年1月7日火曜日

おはようさん 2014.1.7.

お正月明けの昨日、今日と「怒濤の外来」で、みなさんにたくさんお待ちいただきました。 おひとり おひとり 一生懸命&超真面目に診療しています。 西洋医学的に、東洋医学的に、こころの面から、氣の流れから・・・と、いろいろな面から考えて、ベストな治療を行っていますので、どうしても時間がかかってしまいます。 本当にこころから申し訳ないと思っております。 お待たせして、ごめんなさい。 今日は午後から在宅往診の日でした。 午前診を終えて、20分でマイ弁当をいただいて。 今日からバイクde往診が始まるはずだったのですが、昨夜、バイクのバッテリー切れが判明して・・・今日は自転車での往診になりました。 今日から在宅往診が始まる認知症の患者さん宅は、お京阪で駅3つ先。 幸いにして、寒かったけど上天気だったので、気持ち良く自転車往診が出来ました。 そのお宅を出て、今度は駅5つ戻る患者さん宅へ。 お正月太りの解消や!とモチベーション立てれば、全然苦になりませんでした。 やっぱ 気持ちですよね。 お正月1週間ぶりの在宅患者さんたちでしたが、みなさん、とてもお元気な顔だったのがとてもうれしく、今日一番の幸せでした。 医院の周辺にも、高齢者向け賃貸住宅が何軒もオープンしました。 でも、どうなんだろう? 国民年金だけで暮らしているお年寄りには、ちょっと高嶺の花な感じがします。 入居者、そう簡単には集まらないような・・・気がしてます。岡目八目やけど。 オーナーが本当に老人福祉をしたいのか?  結局、単なる金儲けなのか? 高齢者向け賃貸住宅もこれからますます流行っているところと全然ダメなところに二分極化されてしまうでしょうね。 お正月明けで鍼をしにきた難病・難症状の患者さんたちから、 「足の裏の鍼は痛いけど、なんかよく効いてるかも。調子が良くなりました」の声々をいただいております。 足の裏=湧泉への補法の鍼のことです。 湧泉への鍼を続けてきた難病・難症状の患者さんたちを俯瞰して眺めてみると、みなさん、性格がまるくなりました。こころの和ですね。 弁証すると、肝火上炎や肝欝気滞が和んできたということです。 肝の邪気が緩んで、真氣がくまなく美しく巡り始めたということです。 そりゃぁ どんな難病・難症状でも治っていきますよ(自画自賛σ(^^) じゃぁ 早速 近くの鍼灸接骨院へ行って、湧泉に鍼してもらおっと・・・ですか? 多分、効果は期待できないでしょうね。 湧泉とか百会はとても奥が深い経穴です。 鍼を持つ手によって、大きな差が出る恐ろしい穴です。 蓮風先生の百会の鍼は、前後左右の広がりがあります。 それと同じように、湧泉にも前後左右の広がりがあります。 まず鍼を持つ手に、その精妙な差が感じ取れるかどうか? また、湧泉は特にその患者さん、その病態に特有の氣を持っています。 その氣に鍼をしっかりと同化させないと、ただ痛いだけの鍼になってしまいます。 もうひとつ、鍼を入れながら、邪気と対話できるかどうか? 湧泉も百会も、その患者さんのすべて(病気、症状、こころ、今生の歴史)の邪気と対話できます。 邪気を追い出す、邪気を弱めるのではなく、邪気と落としどころを探る対話をします。 邪気が「しゃぁないなぁ」と引いてくれると、リバウンドや再発なしに症状が軽快してくれます。 とっても、東洋医学でしょう?(←わかる人にだけわかる=治るべき人だけ治る) 症状が消えました! よりも、症状が気にならなくなりました! の方が寛解なのは、そういうことなのです。 さぁ、明日もいっぱい鍼しましょう! (今日は妄想日記はお休みです) 前世物語  この症例からは大切なメッセージがいくつも読み取れます。  過去生の人生を終えるときに「好きな人を守る」と決心すると、次には幾多の試練から愛する人を守 り通す人生が待っているように思います。しかし、この症例のように今回の人生では逆に「守って欲し い」人生を体験することもあるようです。「愛する人に守られる」人生と「守って欲しい」が強すぎる 人生は、やはりまったく違った人生になりそうです。 「愛を学ぶためには、『守る』と『守られる』の両方ともマスターしなければいけないのでしょうね。 愛する人を守る、という強い信念の裏側には、愛する人に守られたい、という想いもありますから。そ こに気づくと『守る』という概念の統合ができて、愛のジグゾーパズルの一ピースが埋まります」と先 生は言いました。この方面から愛を学んでいる方はとても多いと感じています。愛の山への大きな登山 道なのかもしれません。  「償い」も過去生ではポピュラーな題材です。因果応報ですね。これを解消する手立てはズバリ「あ なたが許すこと」なのです。しかし、これはとても難しいことだと思います。光は誰にでも簡単に「あ なたには出来ます」と言いますが、現実の生活に戻るととても許せないことばかり起こります。では 「どうしたらいいですか?」という問いに光は、「繰り返していることに気づけば出来ます」と答えて くれました。 「自分の今の人生を少し客観的に見てみることだよ。誰もがみんな自分の人生の脚本家、兼舞台監督、 兼主演女優・男優なんだからね。今回の人生劇を頭の中が真っ白になって演じているけれど、実は今ま でに何度も練習してきているんだ。ただ今はアガッてしまってセリフが出てこない俳優なんだね。どう したらいいかな? レスキューレメディ? それもいいけど、まず監督の自分も脚本家の自分も客席か らこちらをじっと見てくれているのを思い出すんだ。彼らの目で舞台を見れば、どうしたらいいか?  はすぐにわかるんだから。だって今まで辛い練習を繰り返してきたんだからね」と先生は言いました。 「幸いにも私が人生の監督で脚本家で主役なんだから」と思っただけで広い視野で今の状況を見直すこ とが出来ます。そうすれば繰り返していることに気づいて許す、ということも心の中に見えてくること でしょう。昔から宗教の開祖たちは、どうにかして皆の心をこの状態に持っていこうと工夫し努力され たそうです。それがいろいろな祈り、お経等々になって受け継がれています。ですから、どんな宗教で もかまわないのです。ただ心静かになって客観的な目で自分の人生を見れれば、許しが始まるのです。 「私が今回許せたら父との関係は終わりますか?」  「あなたが許せたら、また同じように生まれても次は違う関係になれるはずです」  因果応報は許しによって断ち切れるのです。その許しとは誰かに許してもらうのではなく、ただ自分 が許すことなのです。自分を許すきっかけは、同じことを繰り返していることに気づくことなのです・・・ 先生は因果応報について、このように語ってくれました。

おはようさん 2014.1.6.

今日はお仕事始め。 みなさんのお仕事始めはいかがでしたか? うちの患者さんたちは誰も入院したり亡くなったりしていなかったので、まずはひと安心。 お寺の奥さんが疲労の胃けいれんで来られて、年末はお葬式が立て続けにはいって、とても忙しかったとのことで。 なおさら、よかったなぁ、ありがたいなぁ、と思いました。 お正月明けの診療初日は、なんだか小学校の夏休み明けのような感じです。 久しぶりに見るクラスメートたちの顔がうれしくもあり、まぶしくもありで。 同時に水泳大会や運動会のある二学期だ、さぁがんばろう!ってワクワクした意気込みもあって。 通院しなくなっていた患者さんたちも何人か、今日から再通院されることになって。 「来るものは拒まず」 それぞれにいろいろな事情や想いがあったのだから、それを乗り越えて、今日、来てくださった気持ちがとてもうれしかったのでした。 今年の抱負(医院編) 1)今年は鍼をもっと深くお勉強していきます。 せっかく持ち合わせた氣の感性を磨き上げると共に、弁証もしっかりできるように本を読み込んでいきます。同時に、鍼と漢方薬治療、鍼と西洋医学治療の融合をもっと推し進めていきます。 2)在宅医療に主たる力を注いでいきます。 これまで前世療法や舌癒着症治療などに午後のほとんどの時間を費やしてきましたが、今年からは在宅医療を最優先に力を注いでいきます。 3)治らない病気はない! 病気に意志があるならば、きっと「治りたい&治りたい!」と叫んでいると思います。 身体も生きている限りは、治る方向に進もうとしています。 治らないのは、治ろうとしないから&治そうとしないから。(←わかる人にだけ、わかることですね) だから、癌や難病、他病院でサジを投げられた病気の患者さんたちも、今まで以上に積極的に診察して、ズバリの苦言を呈していくつもりです。 そこから神さまの神意を聞き取れる方には、きっと奇跡が訪れるでしょう。 妄想日記 H26年9月23日 朝、3時に君と起床。 おにぎりを半分いねむりしながらほおばって。 君の着付けを手伝いながら、僕も紋付き袴姿に。 清々しい静けさの中、5時に南禅寺に到着しました。 快晴! 雨でなくて、よかったね。 「だって私、晴れ女だもん」と君。 お母さんはすでに懐石の準備中で。何時からやってるのだろう・・・ 背筋がピーンとはっていて、その手際の良さにただ驚くばかりでした。 「だって、私の母だもん」と君。 お日さまが昇ってきて、僕はお庭の打ち水に。 柄杓から広がっていく朝水が虹色にキラキラと輝いて。 君が選んだ茶花は、しろほととぎす。 「だって、永遠に貴方のものなんだもん」とそっと呟いた君。 席入りしてくださったのは、養老のヒロポン先生、我が弟君(京都へ前泊してくれました)、南陽院のご住職さま(お母さんのご親戚なんですって。なるほどねぇ) 亭主はお母さん。半東は君。僕が正客。 見事な初炭にうっとり。 一汁二菜の懐石に添えられた青竹のお箸で、朝の清々しさを美味しくいただきました。 中立する頃には、残暑の中に秋の涼しさが感じられて。 お母さんの濃茶には母の愛がいっぱい充ち満ちていて、 詩仙の君の薄茶には君の愛がいっぱい泡だちながら笑っていました。 「よきお見合いでしたねぇ」とご住職さま。 「ありがとうございます」と君と僕とお母さん。 「みなさまへのお礼に、ひと節、謡ってくださいな」と頼まれて (一緒に謡える曲って、あれしかないよねぇ・・・) 君と僕との高砂が朝の天授院の南池を蜻蛉のやうに泳いでいきました。 「お母さん、今日はほんまに素晴らしいプレゼントをいただき、ありがとうございました」と僕。 水屋の後片付けをしながら、お母さんが君を呼んで。 御菓子箱の水引を君の手首に結ぶと・・・ 「私の宝物なんですから。大切に、大切にしてやってくださいね」と手渡されました。 あかん。。。泣くしか ないやん。。。 君と僕の大泣き涙にも、キラキラ虹色が輝いていました。 前世物語  先生はおじいさんに聞きました。 「私の人生はここまで順調ですか?」 「概おおむね順調ですが、間違っている所もあります」 「どこが間違っていますか?」 「自分には価値がない、と思う所です。自分を信じない所は間違いです」 「それは今から治したら、まだ間に合いますか?」 「大丈夫です」 「どうしたら治りますか?」 「気づくだけで変われます」 「価値のない人って、この世にいるのですか?」 「いません」 「どんな人にも価値があるのですか?」 「あります」 「大虐殺したような大悪人でも、ですか?」  彼の魂が答えました。 「はい」 「そんな悪い人の価値とは何ですか?」 「幼稚なだけ・・・子どもみたいな状態・・・。難しくてわかりません」  先生はおじいさんに頼みました。 「最後に何かメッセージをください」 「人生は続きます。終わりはありません」

2014年1月5日日曜日

おはようさん 2014.1.5.

今日でお正月気分もおわり。 明日からはいつものお仕事です。 さぁ、がんばりましょい! お正月から初詣と福袋を取ったら・・・寝正月しか残らんことを実感しました。 今日はベランダ菜園にチューリップを植え付けて。 毎年、春にチューリップの写真と撮ってから切り花にして医院に持って行きます。 花の写真を撮る人は多いけど、花を育てるところからやってる人は、あまりいないでしょうね。 まるで魯山人かな。 器も自分で創ってしまった料理人・・・ちょっと危ない世界かも? アメリカ人はがんばって働いて働いて、牧場を買って、そこで老後を過ごすのが夢だとか。 私も山を買って、各季節の花木を植えて、毎日、お散歩しながら写真を撮るのが夢かな。 バラ園を作って、桜の園も作って、池のまわりにはモミジと銀杏の木を植えて・・・ 夢に色香が浮かび上がってきて、こりゃぁ良き初夢でござ候 (*^^)v みなさんの夢にも色香 ありますか? 妄想日記 H26年9月22日 明日は朝茶です。 「いつもお世話になっているダーリンへの私からのお誕生日祝いですよ」 なんと南禅寺 天授庵のお茶室を借りていただいての朝茶です。 「君のお母さんって・・・何者?」 「ふふふ。まぁいいじゃない。気にしないで」と君の目の笑いが、怖いかも。 「席入りは6時だから、うちから一緒に ね」 はい、よろしゅうおたのみもうしますぅ。 「弟はん、ご一緒にどうどすぇ?」とお母さん。 「さすがに朝6時は・・・」と僕。 「ダーリンさんのお友だちでもよろしゅうおすぇ」 そうか! お母さん、茶道や能楽などの伝統文化系モードになると京都人になるんや! 「ひとり、来そうなのがいますけど・・・ええ人なんやけど、ちょっと変わってるんやけど、ええんですか?」と僕。 「どうぞ、どうぞ。おもしろおす方、大歓迎でっさかい。この娘もお友だちが増えて、うれしゅうおすっさかい。どうぞ、お誘いしてくださいな」 僕の脳裏に浮かんでいたのは・・・養老のヒロポン先生。 そして案の定、明日の朝茶にご同席くださいます。 というわけで、僕はお仕事終わって、その足で京都の君のもとへ。 「京都に着きました。明日、詩仙の君さんにお会いできるのを楽しみにしています」とヒロポン先生からのメールも来て。 よしよし。これで準備万端・・・OKですね。 「明日、6時に南禅寺 天授庵でお待ちしております。 P.S. 馬に乗って来ないでね」と僕。 「ねえねえ、馬ってどういうこと?」と笑う君に。 「馬に孔雀に子豚にドーベルマンを医院で飼ってるの。ねっ わかるでしょう? どんな方か?」と頭かきながらの僕。 「うぁ、おもしろいぃぃぃ。明日が楽しみやわぁぁぁ」 ゼウスに誓って、君とヒロポン先生はムチャクチャ気が合うわ。 ・・・大丈夫かいな、僕ちゃん。。。 <続く> 前世物語  先生はおじいさんに聞きました。 「父との関係は、私が今回許せたら終わりますか?」 「いいえ。でもあなたが許せたら、また同じように生まれても次は違う関係になれるはずです」 「私と父は今回、相談して生まれてきたのですか? それとも誰かに決められたのですか?」 「両方です」 「誰が決めているのですか?」 「あなたたちの指導者がいます」  先生はおじいさんに尋ねました。 「なぜ私は、今、生きる自信がないのですか?」 「アントニオのようになるのが恐いのです」 「どうしたらいいのですか?」 「自分を信じなさい」  先生は続けて聞きました。 「私のこれまでの失恋に何か意味はあるのでしょうか?」  おじいさんが答えました。 「違う人を選ぶからです」 「別離も私が決めていたのですか?」 「はい」 「別離から私は何を学ぶのですか?」 「寂しさをまぎらわすために相手を選んではいけません」 「今回もそれで選ぶと失敗しますか?」 「はい」 「私はどんな人を選ばなくてはいけないのですか?」 「誠実な人です。地味だけど真面目な人です」 「そんな人を見たら私にわかりますか?」 「話さないとわからないでしょう」  先生はおじいさんに尋ねました。 「時々、死にたくなるのですが、もし自殺したらどうなるのですか?」  彼の魂が答えました。 「暗い中に独りで座っています」 「その彼に聞いてください。なぜ自殺したのですか?」 「価値がないと思いました。寂しかったのです」 「今、そこで何をしているのですか?」  おじいさんが答えました。 「そこから動けないのです。間違いに気づくまで、そのまま動けないのです。そのまま生きなければい けなかったのです。例え努力をしなくても、そのまま生きなければいけません。でも、あの暗い中だと 気づけないのです。納得できないのです」 「なぜ、そんなに暗いのですか?」 「自分で暗くしています。止まっているのです。先に進めず止まっている分、遅れてしまいます。その まま生きていた時よりも遅れてしまうのです」

おはようさん 2014.1.4.

今日は一日、現像から返ってきたフィルムたちをスキャンしてました。 この秋に撮った古都の紅葉写真たちです。 今年はハッセルブラッド(という中判フィルムカメラ。もちろん中古&ローンで購入)で撮りなさいね、と天からメッセージが降ってきたので、これ一本で撮りました。 元々は広告写真などの商業写真用のカメラなので、きっちりした写真が撮れます。 まじめで優等生、生徒会会長!みたいな写真です。 そう、アームストロング船長たちが月面で撮ったカメラもハッセルです。 古都の秋 紅葉写真たちを眺めながら、 その日の情景、こころ模様を思い出していました。 なぜハッセルだったのか? はまだ・・・わかりません。 これから、わかるのかな? お楽しみです。 もうひとつ、この秋、新しくチャレンジした写真があります。 ピンホールカメラ。 そう、小学校の時に・・・「針穴写真機」で習ったような気がします。 遮光した箱の中にフィルムを入れて、対面に針穴をあけておいて、その穴をパッパと開け閉めすると・・・写真が写ってるというやつです。 針穴といっても0.3mm前後で、昼間ならパッパは数秒でOKです。 それできれいに写ってる。 最初に見たときは感動しますよ。 光ってすごい! 小さな小さな針穴から入ってくる、ほんの数秒間の光の中に、あれほどの情報が詰まっているとは。 光も水も、そこにあって当たり前のただの物質のように使っているけど、 一瞬の光、一滴の水を成しているエネルギーって、すさまじい大きさ&強さなんだなって改めて感じました。 この世、この次元は、光で出来ているんだね。 写真をスキャンした後の私のお楽しみ・・・ FaceBookの写真愛好家さんたちのグループに写真を投稿するのです。 今回は、ハッセルブラッドのグループとピンホール写真のグループへ写真をアップしました。 するとね、世界中の人たちが「いいね!」を送ってくれます。 その「いいね!」をしてくれた人たちに「友だち申請」をするのです。 半分くらいの確率で、お友だちになれます。 ハッセルの写真が好き・ピンホール写真が好き という共通点があるし、写真だから言葉はあまり要りません。 (チャットになると、別画面で翻訳しながら・・・でちょっと手間ですが。まぁ、ムリせず長話になりそうだったら寝たふりします。あくまでラテン系 お気楽です) 今夜も早速、10人の新しいお友だちが世界中にできました。 なんかFaceBookから表彰されそうやね、本来の正しき使い方してるって。 そう、これも善であり美だと思います。 写真のうまい・下手って、いったい何だろう? 世界中の写真好きな人たちが撮った写真を眺めていると、思います。 日本のウマイ写真のベクトルなんて・・・なんだか小さいねぇって思えてきます。 日本のプロで有名な写真家さんのウマイ写真を見ても、全然ピーンと来ないくせに、 無名の虎子ちゃんの写真に感激したり、ニナミカや一咲先生の昔の写真にこころ揺さぶられたり、 世界のどこかの誰かさんの写真に驚いたり・・・ なんだか芸術の世界って次元上昇中!なのかもしれないね。 昔は有名だとか評判が良いとかの情報が先にあって、写真を見た時にはすでにウマイ印のレッテルがペタペタ貼ってあったわけだけど、 今はそんな先入観なしに作品に向き合える。 そこで、本当に自分が好きがどうか、と言える時代です。 そう、感性の時代 なのですね。 妄想日記 H26年8月16日 今夜は大文字焼き(五山の送り火) 運良く土曜日なので、ちょっと早めに三条かつくらでトンカツをいただいて。 鴨川べりに腰掛けてます。 「今日はさすがに絶妙な等間隔で・・・はムリやね」と僕。 「な〜んや、鴨川デートしたかったん? そやったら、また来週末、トンカツ食べて涼みに来ましょう」とうれしそうな君。 次第に後ろには人垣ができてきました。土埃がちょっと気になったりして。 「ねぇ、家から舟形が見えるんやけど」 君も人混みが苦手なのはよくわかってます。 「うん、家から見物しよう」と君の手を引く僕。 二条の橋を上がってタクシーひろって・・・8時前に到着! ベランダに出て・・・ちょっと身を乗り出すと・・・うんうん、船山が見えるよ。 遠くから歓声が聞こえてきて・・・舟形が闇に浮かび上がってきました。 「きれいやなぁ」 「きれいやぁ」 君の髪の香りが南蛮渡来の媚薬のやうに 僕はいつしか君と炎の舟に乗っていて 舟はゆっくりと大波小波をのりこえながら、ゆれて ゆれて 天上高く昇っていくのでした。 「よかったわぁ」 「よかったねぇ」 よき夏が、おわりました。 前世物語 美子レポート   失恋の意味  昔々、風車に囲まれた町に、アントニオという青年がいました。彼には青い目の恋人がいました。金 髪の美しいアニーです。二人はとても幸せでした。  ある時、金持ちの貴族がアニーを連れ去りました。彼女を奪ったのは「今の父」です。アントニオは 一人で貴族の館へと乗り込みました。激しい口論が続きます。アントニオは思い余って、貴族を石で殴 りつけました。  アントニオは冷たい石壁の牢の中で気がつきました。悲しみと憎しみが滴したたり落ちました。彼は町外れ の教会の塔に閉じ込められたのです。見張りは永遠に無言でした。彼は孤独でした。  風車が回る夜は、アニーを呼ぶ叫び声が町へも届きました。  数年後、アントニオは死の床にいました。彼は無口な見張りに話しかけました。 「全て私が悪いことになってしまいました。私はあいつを許せません。この恨みを残していきます」 「アニーに伝えてください、君に会いたかった、と。無念だ、と」  そして彼は胸の病で死にました。  先生はアントニオの魂に尋ねました。 「死んだ時に、何か決心したことはありますか?」 「好きな人を守ることです」  先生は彼の魂を高みへと導きました。そして彼の人生を振り返ってもらいました。彼の魂が答えまし た。 「良い人だったけど、良い人過ぎました」  先生はもっと高みへと導きました。そしてアントニオの人生と、今、生きている人生を見比べてもら いました。 「さっきは『守る』って思いましたが、今の私は逆で『守って欲しい』と思っているようです」  先生はさらに高みへと導きます。そこには「あったかい白い光」がありました。そして、光の中に優 しそうなおじいさんがいました。先生はおじいさんに聞きました。 「今回の私の人生の目的は何ですか?」 「人を信じることです」 「それはどういうことですか?」  おじいさんが答えました。 「許すことです。嫌なことをされても許すのです」 「では、私の人生では嫌なことがたくさん起こるのですか?」 「違います」 「私はどうしたらいいのですか?」 「見方を変えるのです。悪くとらないのです」  先生は尋ねました。 「父との関係は何ですか?」 「償いです」 「何の償いですか?」  おじいさんが答えました。 「あなたは殴ったり傷つけたりしました」 「あの人が裏切ったからですよ。どうしていけないのですか?」 「それも以前からの繋がりで、あなたたちは繰り返しています」 「どうやったら、それを止やめられますか?」 「あなたが許すことです」 「今回の人生で、それが出来ますか?」 「あなたには出来ます」 「どうしたらいいですか?」 「繰り返していることに気づけば出来ます」

2014年1月4日土曜日

おはようさん 2014.1.3.

お正月三日目。新幹線が止まっていたり、高速道路が渋滞したりしてましたが、皆さんは如何お過ごしでしたでしょうか? 大阪は晴れのち曇りの予報がはずれて、ずっと天晴れ上天気でした。 昨日は各地方のお雑煮コーナーなどの新春企画があった万博公園ですが、今日は何のイベントもなし!でしたので、新春お散歩に行ってきました。 11時。予想通り駐車場もがら空きで。 平日なので駐車料金も一日800円、ちょっと得しちゃいました。 まずは日本庭園へ。 サザンカ、寒椿が誇らしげに咲いていましたよ。 冬はモノクロ写真が映えます。 今日はぶらぶらお散歩写真なのでローライ君にモノクロフィルムを入れました。 もう一台は・・・ケンコーという昔ながらのフィルター&レンズ会社さんがライカL仕様のピンホールフィルターを出していたので、ネットカメラ屋さんで買ったライカE型(多分1940年製)に装着したピンホールカメラです。バルナックライカの取り扱いは、私のバースディカメラ:ライカⅢg(1957製)をよく使っているので大丈夫です(古いライカのフィルム入れ替えは独特のお作法があるのですよ)。 ちなみに私はオールドカメラが好きです。 骨董品のように大事に磨いて&眺めて・・・は嫌で、ともかく使います。 カメラだって写真を撮るのが生きがいやろうから、写真を撮ってあげます。撮らせていただいてます、だよね。 自分と同じ年のカメラがちゃんと動いて、写真が撮れて・・・ものすごくうれしいですよ。 勇気と元気がもらえます。 そりゃぁ最近のデジカメの方が技術的にはすごいです。あらゆる条件下でちゃんとした写真を撮ってくれます。 同じ年のカメラ君には露出計がありません。ピントだってあやしいものです=ご主人さまだって老眼でピントずれずれですからねぇ。 暗いところ、動くものは撮れません。 連写なんてムリムリ・・・36枚撮ったらフィルム入れ替えです。 まぁ、バッテリーの心配はご無用ですけどね。 老眼で白内障も入ってきた目には、フィルム写真がとても気持ち良いのです。 デジカメ写真は、目が痛くなります。目と脳みそが嫌だ嫌だ!と泣くのです。 デジ写真はアイポンで十分なのです。だって記録だもん。 フィルム写真だってスキャンしてデジタル化するんだから同じや!・・・ではないのですねぇ。 なんだろう?  山を越えるのに、トンネルで超えるのと、峠道を登って、頂上に立って、向こうの峠道を下っていく・・・そんな差かなぁ。結果は同じやけど、五感で感じ得たもの、汗や気持ち、さまざまな気づき・・・そんな小さなものたちの有無の差ですよね。 それを無意味と切り捨てるのがデジタル。 そこに幸と楽を感じるのがアナログであり、感性なんですよ。 冬の日本庭園にも美がいっぱいあります。 お日さまのぬくもり。影も生き生きとしています。 植物たちは寝静まっていて、そこを冬風たちがスラロームしながら走り去っていきます。 冬至が過ぎたので、水の流れにも、滝の音にも新しい息吹を感じられます。 地上が静かな分だけ、大地の鼓動がよく聞き取れます。 そんな中で思ったこと・・・この世には八百万の植物・動物がいます。 それぞれが争いあったり、支配しあったり、共存したりで互いに何かとどこかで関わり合いながら、大きく俯瞰してみれば、青い地球 ひとつの生命体のように生きています。 人間も同じですね。それぞれに個性があって、勝ち負け・支配従属・損得共存・貧富貴賤などなど、まるで植物や動物たちとまったく同じレベルで相変わらず暮らしていますが、これを神の目で俯瞰してみれば、人間というひとつの生命体に見えます。 だから、いろんな人がいてもいいんだよ・・・かな? マナーを守らない人たち、ダマしてもズルしても勝てば、得すれば良い人たち、 悪い人たちに昔から罰が当たらないのは、神の目で見れば、それはライオンが子鹿を殺した、ワニが子猿を飲み込んだ・・・くらいなもので、別段、天罰を下すほどのことでもないから・・・かもしれません。 ダマされ損な人生。真面目に生きてきて損だった人生。 そういう損な人たちが多いほど、為政者・勝ち組は安泰に暮らせます。 そこで・・・宗教を創りました。 ダマされ損な人生だったから、真面目に生きた損な人生だったから、天国に行けますよ! 恨み多き人生は、真面目に生きない人生は、地獄へ墜ちるぞ! これを見ていた神さまは・・・ふ〜ん、勝手におやり・・・で我関せず。 だって人間というひとつの生命体の中のちょっとしたルールなだけですから。 たとえて言うならば、足はいつも地面を踏みしめて痛い思いをしてるけど、足の役目だからしょがない。人間なんだから足を手に、手を足にするわけにはいかんし・・・。 足に靴をはかせましょう、と人間界が決めても、神さまがそれじゃぁ足なかりがかわいそうだからといって天罰を下すなんてことはありません。 ダマされ損、真面目で損。ダマしてズルした方が得。 これが天罰も奇跡も起こらない理由です。 ところが・・・ところが・・・ 動植物界にさまざまな異変が生じてきています。人間の強欲が原因だけど・・・。 人間界にも同じ強欲が原因でさまざまな異変が生じてきています。 さずがに神さまも考え始めて・・・います。 今日の万博の日本庭園も、ものすごい数のカラスがいました。 カラスは人間の強欲の象徴です。 カラスに追われて小鳥たちの姿は見えなくなっていました。 これが今の自然界と人間界との危ない関係です。 いろんな人たちが声を上げたり行動したりしていますが・・・カラスは増え続けています。 これまでの歴史を見てみると、神さまが天罰を下す時、まず小さい天罰が下ります。 これで人間界が気づけば、OKですが・・・なかなか為政者・勝ち組は気づきません。 気づいてるけど、動けないのです。 そして、本命の天罰が下る。。。 まぁ、それがいつのことかはさっぱりわかりません。この目でそれを見るのか、見なくてもいいのか・・・どっちでもいいですけど。 今日は「なぜ悪い人たちに天罰が下らないのか? 悪い人たちが得をする世の中を神は許したもうのか?」の答えが降ってきた日でした。 妄想日記 H26年7月25日 「はい、この法被着てね」 「うわぁ、ほんまに船に乗るんやぁ、うれしおすわぁ」 「お母さん、大阪弁になっとるやんかぁ」とコソッと君に耳打ちするけど 「ええやん、ええやん、気にしぇ〜へんと」と君までわけのわからへん大阪弁に。 君のお母さんの「一生のお願い!」で、今年の天神祭は金幣船に乗ることになりました。 「ダーリンは大阪の人やさかい、よく来るの?」 お母さんは祇園祭以来、僕のことをダーリンと呼びます。まぁ、ええけど。 「いやぁ、いつもTV観戦ですわ」と僕。 「な〜んだ、私の宵山と同じやねぇ」と君。 ほんまに京都の人かいな、この親子。 船に乗ってからも、よ〜しゃべる&しゃべる。 お弁当食べながら、もうお隣さんたちと親友になっとるやんかぁ。 ??? ええっ、もう「うちの婿が・・・」な話になっとるやんかぁ。 どうみても大阪のおばちゃんやわ。今度、ヒョウ柄の浴衣、着せたろう。 じぇじぇじぇ??? 君まで「うちの人は・・・」ちゅうてるやんか。 君にはヒョウ柄のブラ&パンやわ。もうラムちゃんにしたるもん! 催太鼓船に神鉾講船。地車、花梅、花傘。文楽船に落語船。 その間をどんどこ船が行ったり来たりして、もうお祭り気分は最高潮に。 そしてお待ちかねの大花火大会。 夜空いっぱいに花咲く大花火に大歓声があがって。 夜空の花火がキラキラと落ちてきて、大川に浮かんでいます。 「きれいやぁ とってもきれいやぁ」 誰もが天を仰いでいたけれど、 大川に花咲く花火に見入っていた君と僕でした。 花火が終わって、船を下りて、駅までの帰り道に・・・ 「あんたらのラブラブなツーショット TVに映っとたでぇ」と茶化すお母さん。 「まさかぁ」 「ほら、となりのとなりにいはった酒屋のおばちゃん、小さいテレビ持ってきてはってん。それでな、ほらほら、おたくの若夫婦さん、ええ感じやないのって見せてくれはってん」 「・・・・」ことばのない君と僕。 「今日は楽しかったわぁ。ありがとさんねぇ。ええ彼氏でよかったなぁ。ほんま、良かったわぁ」 「ありがとうございます。僕も楽しかったです」 「疲れたさかい、今晩、ダーリンとこに泊めてもらおうかな」 「(やっぱ そう来たかぁぁぁ) ええですよ。そやけど、明日、彼女も僕もお仕事あるから、朝は早いですよ」 「年寄りは、朝はよ〜目が醒めるんよ。そやから気にせんといて。あんたも大丈夫やろ?」 うれしそうにうなづく君。(おいおい、大丈夫かいな?) 天神祭に来ると決まってから、こういうシチュエーションも予想して(なんせA型やさかい)1ヶ月かけて我が家を片付けた僕でした。 翌朝は君も僕も5時起床で。 お母さんは・・・何時に起きたの? もう朝ご飯、用意してくれてました。 「ちゃんとした朝ご飯なんて・・・」朝から泣けてきた僕ちゃん。 「毎日、玄米なんて、ええ心がけやわ」とほめてくれるお母さん。 「ええ母でしょう」と君。 ??? (もしかして・・・ハメられたかも・・・) 駅までルンルンで歩いてく親子を見送りながら、神のご加護を願った僕ちゃんでした。 前世物語 「ソウルメイトはわかりましたか?」  先生はお茶を飲みながら玲子さんに尋ねました。 「ソウルメイトが誰だかはわかりませんでしたが、まだ出会っていない人ですから、それが当たり前ですよね。それよりも、彼との深い因縁がわかったので、何だかとてもスッキリとしました。もう焦らないで、ジックリと彼が現れるのを待てるような気がします。そう言えば、私は今よりも過去と未来ばかりを気にしていたようです。これじゃぁ、彼が現れてもわかりませんよね。まだ頭がボーッとしているけど、何だか足がしっかりと地に着いたような気がします。もう大丈夫です。ありがとうございました」  そう言って、玲子さんは深々と一礼しました。  先生も大きく頷きました。先生のまわりには、いつものエネルギーの陽炎が立ち昇っていました。時空間を越えてきたエネルギーが木漏れ日のようにユラユラと揺れていました。マリア様の優しいまなざしが先生と私にも注がれているのがわかりました。 「美子さん、今日のソウルメイトは感動ものだったかなぁ?」  夜の診察が途切れると、先生は私の今日のレポートを覗き見しにやって来ます。私はその日のワークで気に入った症例があると、それを自分なりにまとめてノートしています。もちろん先生の承諾は得てありますし、患者さんのプライバシーはしっかりと守れるようにしています。最近ではワークの流れをつかんできたので、先生が夜診をしている間にまとめあげることが出来るようになりました。いつも私の方が先に帰るのですが、先生は夜診の後でちゃんと目を通してアドバイスを書き込んでくださいます。 以前は彼のそんな律義さが正直、堅苦しくて敬遠気味でした。今、堂々たるおばさんになった私は、そんな先生の律義さの奥にひそむ純真な愛を素直にうれしく受け取れるようになりました。  魂のプロセスを歩んでいると歳を取らない、と言われますが、確かに先生は昔のままの姿で生き残っています。 「お母さん、病院の仕事を始めてから、なんだか若返ってきたよ。お母さんのそばにいるとホッとするしね。流行の癒し系に変身だね」と娘に言われました。そう、先生と一緒にいるだけで、私までどんどん若返ってくるのを感じています。この前、お昼休みに先生とこの話題になりました。 「そりゃ、若返るよ。アインシュタインの特殊相対性理論だよ。光のスピードで移動すれば歳を取らない、って言うだろう。毎日、過去生ワークで時空間を行ったり来たりしていると、こちらの時間軸までゆがんできちゃうのかもしれないよ。  過去生ワークのガイド役は自分のセンターをしっかりと確立しておかないと、難しい症例に出会った時に自分のいる場所がどこだか、見失ってしまう危険性があるからね。普通は過去生ワークひとつに対してひとつの時空間が開放されるだけだからわかりやすいけど、時にはまったく関連のない時空間がいくつも開放されることがあるんだよ。そんな時、ガイド役のセンターがしっかりしていれば何も起こりはしないけど、ちょっとでもガイド役のセンターが揺らいだら最後、時空間はどう猛な野獣のようにガイドと患者さんに襲いかかってくるんだ。そして自分が今、生きている時空間面をボコボコにされて、心の奥深いところで破壊が起こって自己を喪失してしまったり、心の中にワァームホールが生じて分裂病のようになったりする可能性があるんだ。だから・・・過去生のガイド役は時空間を心して取り扱わないといけないんだよ」  私はちょっぴり怖くなりました。先生が、ではなく、そんな大切なお仕事をアシストしている自分の立場に、です。私の武者ぶるえでもありました。 「そういう危険性を考えて、催眠誘導の段階でたくさんの安全装置を設けているんだ。誘導の時間が長くなるけど、こればかりは仕方ないと思ってるんだよ。だって全国から患者さんが来られるということは、正しく『過去生ガイドのプロ』なんだからね。患者さんの私たちへの期待は、もちろん過去生が見れて抱えている問題解決の糸口がつかめることが第一だろうけど、それも安全第一の上での期待だと思うんだ。なんだか危ないけど問題解決はしてくれる、のを望む方は、きっと新興宗教系に行かれるだろうからね。美子さん、うちはあくまで安全第一だから、ね」  私は先生がとてもたくましく見えました。過去生へのガイドは確かに誰でも出来ます。しかし、ガイドによって安全性に差が出るのです。そういう信頼を求めておられる方々が、毎日、先生のところへ来られるのです。私もあらためてこのワークを医療機関で行なう意義を考えさせられました。

2014年1月2日木曜日

おはようさん 2014.1.2.

今年の元旦はすっかり寝正月でした。 いつも初日の出の写真を撮るので7時前には起きるのですが、今年は「全然曇ってるやん」とそのまま寝てしまいました。 まぁ、論理的・合理的な一年になるんだろうなって事にしておきましょう。 今日、お正月二日目は、医院で年末にスタッフたちが仕上げてくれていたレセプトのチェックをしてきました。2014年の初仕事ですね。 その後、枚方パークのイルミネーションを撮りにいくつもりでしたが、お仕事で使い尽くした脳みそのパワーダウン著しく、帰宅して喪中はがきの宛名書きをしました。 毎年、パソコンで宛名は印刷しちゃうのですが、今年は自筆で書きました。 私の字はとっても下手です。 小学校の頃からの超絶トラウマです。 あまりの下手さに、硬筆の教室に行かされたこともありますが・・・なんでだろう? 下手なんですねぇ。 最近になって下手な理由もわかってきました。お手本のきれいな字をイメージできていないんですね。 お手本をイメージできれば、後はそれをなぞるだけ。 人の名前と顔が覚えられないのもイメージ能力と関係あるんだけど、下手くそな字もやっぱりそんなイメージ能力の欠損からなんだろうなぁ。 まっ、人にはそれぞれ何かが欠けていて、何かが秀でているわけだから・・・と開き直ってしまえば、下手でもええやん、個性やもん!と思えてきたのです。 どうせ年賀状(喪中はがき)出すのはお友だちやし、みんな、私の字が超絶下手なのは知ってるわけですから、「これは奥山の字や。なつかしいなぁ」と感慨に耽っていただければ、それはそれで楽しいですよね。 医大生時代、私は授業全出席で、私の授業ノートが試験前にコピーされて出回っていました。 それがですねぇ・・・ そのままコピーしても字が読めないもんだから、解読専門役がいて、私のノートから原稿を起こしてコピーしていました。 昔ながらの教授が自分の古いノートを読み上げて、それを学生はひたすらノートするだけの授業ってのもありました。それをほぼ完璧にノート出来ていたのは私だけ・・・字は下手くそだけど、書くのは早かったのです。早稲田速記か? とも言われていました。 なぜ今年になって急に吹っ切れたのかはわかりませんが、 ええやん、下手くそな字も個性や! 誰にもマネでけへんオンリーワンの字やもん! この字を見たら、きっと懐かしんでくれるやろうなぁ。これでええのや! 私の下手な字を介して、みなさんと繋がっていたあの頃を思い出してみるのも、きっと何か意味があるのでしょう。 字が下手だと損をする。 そう言って子供に習字や硬筆を習わせる。 子供が楽しそうにしていれば、もちろんええんやけど、もしプレッシャー&ストレスに感じてるそぶりがあれば、無理強いしない方がいいですよ。 もちろん自我下手だと損をする世界は大きいでしょう。 でもね、医者の世界では字が下手で損をしたことはありません。 私よりもっと下手くそな字の先生も結構おられますからね。 字が下手でも損をしない世界だってあるのです。 字が下手だとダメだ!ばかりではなく、字が下手でもなんともない世界だってあるけど、やっぱり字がうまい方がいろいろと得だよ、と子供たちをソフトに導いてあげて欲しいな。 そしてね、公式の場、記帳するような時にも奥の手があるんですよ。 実は私は華道斑鳩流の師範をいただいております。つまり・・・「星風」という雅号があるのです。 記帳する時はもっぱらこの雅号を使っています。 するとね、みんな、おっ!となります。 下手くそな字が芸術的な字へと昇華されちゃいます。 能楽の謡いの場でも、「奥山星風」を名乗っています。 「西行」みたいでしょう、へへへ。 雅号は別になにかお稽古を極めなくても、勝手に名乗ることができますが、 (ただし、そのいわれは? と必ず聞かれますよ) やはり何かお稽古を続けて、雅号をいただくと良いでしょう。 下手くそな字も一転、ありがたい字に変わってしまいますよ。 超絶なトラウマも開き直ったら消えちゃうよ!ってお話でした。 妄想日記 H26年7月16日 今夜は祇園祭宵山。 一昨日の夜は、まだ人出の少ないうちに、いつものお守りを買い求めて。 鯉山さんの登竜門のお守り。 霰天神さんの火乃要慎のお守り。 郭巨山さんの金運のお守り。 占出山さんの鮎餅。 繁昌神社の金の鈴。 「京都人の私より詳し過ぎるわよ」とあきれ顔の君。 「まだまだ知らないところがいっぱいあるワンダーランドだぁ」と岡本太郎な僕。 昨夜も君と浴衣でそぞろ歩き。 「祇園祭グッズ買ったら、急に歩くのがゆっくりになったわね」 そんな君を帯の卸屋さんへご案内。 「うわぁ ありがとう! どれにしようかなぁ」 ふたりで蟷螂山の占いをして。もちろん大吉! 「かわいい!」のひとことで、木賊山のうさぎ暖簾が君んちの風呂場にかかることになって。 「ねぇ、明日は母もご一緒してもいい?」 もちろん笑顔で手を握りしめる僕ちゃん。 祭りの夜は更けていきました。 今夜は宵山。 平日なのにすごい人出です。 「お母さん、どこか参りたいところ、ありますか?」とタメ口な僕ちゃん。 「占出山さんと保昌山さんにちょっと用が・・・」と意味深なお母さん。 「私は黒主山さんの黒おたべ!」とはしゃぐ君、やけに・・・かわゆい。 占出山の子供たちの「ろうそく一本 献じましょ」に聞き惚れている君と僕に、 「おまちどうさま」とお母さんの声。 「もう、お母さんったら、なに、これぇぇ」とうれしいそうな君。 「ほら、見て!」君の手には占出山さんの御腹帯(安産のお守り付き)。 「じぇじぇじぇ! まさか・・・」喜んでる? ビックリしてる? やっぱ 喜んでるかもな僕。 「ちがうわよ! できてないもん!」と大笑いの君がいて、やっぱり ホッとした僕。 「来年、間に合わなかったダメでしょう」と大笑いのお母さん。 「なんちゅう家族やぁぁぁ」と半べそ顔の僕ちゃん。 「神功皇后やな、君は・・・」 「そや、大切にしてな、連戦連勝させたるさかい」と強気がうれしい君。 保昌山さんに参っての帰り道。 ホテル日航でお茶しながら 「これはあなたに」 渡されたのは保昌山さんの縁結びの粽でした。 「この子とのご縁が幾久しく続きますように。母の祈りがふたりを守りますよ」 あかん、こういうの・・・君と僕の目はうるうる うるうる 「ありがたいねぇ」 うなずく詩仙の君はやっぱり 美しかった。 八幡山さんの鳩笛が気に入った君。 「紅白ふたつとももらいましょう」とお母さん。 ・・・・ 考えてること、分かりすぎて・・・いとこわし? 黒主山さんはいつものおじさんの説明で沸きかえってました。 君もお母さんも笑い転げて・・・京都人ちゅうよりも大阪人やなぁ。。。 黒おたべと黒団扇。黒主山の浴衣まで三人お揃いで買って。 「来年はこれ着て、歩きましょうね」 まっ、お祭りは幸せなもん勝ち、笑ったもん勝ちやさかい、これでええわ。 きらびやかな欄干が美しい橋弁慶山の前で 「あら 翔ちゃん」と君が友だちを見つけて。 翔ちゃんは橋弁慶山の町衆。 だから特別に、牛若丸と弁慶がにらみ合ってる二階にあげてもらいました。 「あなた、お礼に橋弁慶 謡ってあげて。私が舞うから」 この突然さ・・・そんな君が 大好きなんです。 舞扇と橋弁慶の謡本を翔ちゃんがすかさず持ってきて。 (なんか・・・はめられたような・・・気もするけど) 町衆さんたちが通りを空けてくれて・・・ 君が舞い、僕が謡いました。 すは 痴者よ 物見せんと 長刀やがて取り直し。長刀やがて取り直し。いで物見せん。手練の程と。 斬って懸れば牛若は。少しも騒がずつっ立ち直って。薄衣引き除けつつ。 しづしづと太刀抜き放ってつっ支へたる長刀の。切先に太刀打ち合わせ。 詰めつ開いつ戦ひしが。何とかしたりけん。手許に牛若寄るとぞ見えしが。 畳み重ねて打つ太刀に。さしもの辨慶合わせ兼ねて。橋桁を二三間退つて。 肝をぞ消したりける。 その夜、僕は謡いながら、天魔鬼神を舞う天女を見ました。 前世物語 「今回の私の人生計画は誰が決めたのですか?」 「あなたです。あなたが自分自身で決めたのですよ」 「邪魔をする国王との関係は誰が決めたのですか?」  マリア様の口調が厳しくなりました。 「彼は一緒に生まれたら邪魔をする定めなのです。ある意味では、彼もあなたのソウルメイトなのです。 彼から学ぶことも多いのです」 「その今回の国王役の人には、私が役柄を頼んだのですか?」 「いいえ、あなたが頼んだのではありません」 「邪魔をするような役柄は誰が決めているのですか?」 「わかりません。誰も決めていません。彼には邪魔をしている気はないのです」 「では、この定めを決めてるのは誰ですか?」 「あなたです」  しばらく沈黙が続きました。先生がマリア様に尋ねました。 「私が探している彼にとっても目的は同じなのですか?」 「はい、そのとおりです」 「私は探している彼に出会ったら、その人が探し求めた彼だとわかりますか?」 「光の中から彼が現れます。あなたも気がつくはずですよ。心配いりません」  玲子さんはニッコリと微笑みました。先生はマリア様にお願いしました。 「私の今回の人生の目的の『愛を信じること』ができた、未来の私の姿をちょっと見せてください」  玲子さんが答えました。 「男の子と女の子を連れて買い物に出かけています。とても幸せそうです」 「その未来のあなたに聞いてください。探し求めていた彼を見つけましたか?」 「もちろんです。私はその人としか結婚しないのですから」  未来の自分の返答に、今の玲子さんが頷いています。 「どうやって見つけたのか、ちょっとヒントを教えてくれませんか?」 「見つけようと思って見つけれたのではありません。何か大きなエネルギーが私に力をくれたのです。 その時になったら、あなたにもわかりますよ。大丈夫だから自信を持っていてね」 「あなたは今、幸せですか?」 「あなたなら聞かなくてもわかるでしょう。子供たちも元気ですよ」 「あなたもそこから、今の私を応援してくれますか?」 「もちろんですよ。がんばってくださいね」 「未来の子供たちにも聞いてください。君たちも、今のお母さんを応援してくれるかな?」  未来の子供たちが元気に答えました。 「うん。大丈夫だよ」 「君たちはなぜ私をお母さんに選んでくれたの?」 「とっても可愛がってくれそうだったからだよ。たくさん愛情を注いでくれそうだったからだよ。とて もお父さんと仲良さそうだったからだよ」 「君たちは、いつ私たちの子供になろうと思ったのかなぁ?」 「雲の上でお母さんの結婚式を見ていて決めたんだよ。絶対、このお母さんの子供になるんだ、ってね」  玲子さんはとても嬉しそうです。先生は玲子さんの人生の『今』を、彼女の過去生と未来にアンカー して言いました。 「未来のあなたとその子供たちとしっかりと握手してください。みんなの手はどんな感じがしますか?」 「暖かいエネルギーが送られて来るのを感じます。この子たちは私の子供だ、と自然にわかります」  先生はマリア様にお願いしました。 「最後にもう一言、何かアドバイスをください」 「もうこれ以上は何もありませんよ、大丈夫です。すべては予定通りですから」 「マリア様も私を応援してくれますか?」 「はい。がんばってくださいね」  「私の今回の人生はここまで順調ですか?」 「ある意味では順調なのです。辛いことでも、それを経験するために生まれてきたのですから。だから がんばれますよ」 「辛い時はまた、ここに来てもいいですか?」 「何度でもいらっしゃい。ここはあなたの庭ですから」  先生はマリア様にお別れを言いました。そして、先生は彼女をゆっくりと催眠から覚まして、今、こ の時へと戻してきました。

2014年1月1日水曜日

おはようさん 2014.1.1.

みなさま、あけましておめでとうございます。 2014年 良き年になりますように、 みんなで善き方へ、美しき方へ、楽しき方へと意識をフォーカスしていきましょうね。 私の2013年は、さまざまな節目の出来事が起こりました。  1月:能楽の謡いを始めたこと。 意識が自分の中でとても落ち着く古典の時代に立脚して、なんだかグッと踏ん張れるような気が増しました。未知なる明日を切り開いていくには、やはり足下の踏ん張りが大切なのですね。  4月:藤本蓮風先生から鍼を習い始めたこと。 何十年も信頼&尊敬できる鍼灸の先生を捜し求めてきて、ようやく出会えた喜びに満ちた年でした。漢方診の次元が大きくジャンプしたことで、これまで治らなかった患者さんたち、診られなかった患者さんたちを治すことができるようになりました。 鍼で氣を動かす。氣は身体にも、こころにも、スピリチュアルにも働く生命エネルギーそのものです。 薬や治療法とは別次元の「治療法」をつかみかけた年でした。  11月:実父の突然死。 長い間、絶縁状態にあった父の死でしたが、やはり運命を大きく変えるであろうだけのインパクトある出来事でした。その後、認知症の母の病状が悪化したりして、この先、不安定なまま、どうなるのか?わかりませんが、善き方へと向かい始めている実感があります。  12月:医院の看護師との別れ。 2013年は年頭から、前世療法ワークも舌癒着症オペも不思議なくらい激減して、その分、給料もボーナスもひどく減りました。 金の切れ目は縁の切れ目・・・これも人の世の常なんでしょうね。 人の世とはちょっぴり異次元の善き・美しき・楽しき世を生きながら、いつの日にか、この世が追いついてくれることを願っていましたが、やはりムリ・・・でした。 (税理士さんたちには、前々から指摘されていましたから) でも、だからこそ、2014年は現実に即した医院経営が出来ます。 去る人がいれば、新しく来る人もいます。 きっと良きこと、笑える日が来るでしょう。 そして世の中にも、さまざまな節目がありましたね。 日本はこれからどうなっていくのでしょうか? ネガティブな人たち、好戦的な人たち、イライラと焦っている人たちが感染症のように急増した年でした。 (昨夜、紅白を見ながらのtwitterで、思わずあまりにネガティブなフォロワーたちをリムーブしまくった私です。こんなこと、言う人じゃぁなかったのに・・・が多かったのです。なんでやろう?) 2014年、さぁ、何が始まるのでしょうか? 何が変わるのでしょうか? この世に愛が、美が、和が芽生え花咲くのでしょうか? この世と繋がっている亜次元の多様性がどんどん収束してしまい、もうほとんど近未来の選択肢がなくなってしまった2013年でした。 今年はどうなるんだろう?  お正月の空を見上げていると、この大自然はやっぱりニュートラルです。 平和だろうが戦火だろうが、同じ自然です。 ただね、そんなニュートラルな大自然に尋ねてみるとね、 やっぱり人間を応援してくれています。 大丈夫じゃないの、がんばりぃなぁって応援してくれています。 48ダメ:52大丈夫 くらいの僅差だけど、まだ応援してくれています。 日本が変われば世界が変わるよって言ってくれています(日本が変わらないと世界も変わらないってことだよっとも言ってますけど) ひとつひとつ、善きこと・美しきこと・楽しきことにダイヤルを合わせ続けていけば、いつか鍵は開いて、扉は開きますよって言ってくれています。 これからまた365日。 善きこと、美しきこと、楽しきことをいっぱい見つけて生きましょうね。 <前世物語の続きです> 先生はマリア様に尋ねました。 「あなたはどなたですか?」 「皆さんはマスターと呼んでいます」 「私は今までに何回生まれ変わってきましたか?」 「百五回です」 「その中で、彼とは何回一緒の人生を生きてきましたか?」 「六十回です」 「私はなぜ何度も生まれ変わっているのですか?」 「すべての人たちは、いろいろなことを経験するために生まれ変わっているのです」 「今回の人生は、なぜ彼を探すためだけの人生なのですか?」  マリア様が優しく答えてくれました。 「あなたはいつもそうなのですよ。ほとんどの人生がそうなのです。もっと昔々、さっき見せた過去生 よりもずっと前に、あなた方にはある約束があったのです」  先生がマリア様に頼みました。 「その約束の場面を見せてください」  マリア様の頭上にヴィジョンが浮かんできました。彼女は落ち着いた口調で語り始めました。 「大昔の人生です。私は女でした。ヨーロッパのどこかの国の王妃でした。彼は王様の家来でした。彼 と私は恋に落ちました。鍛冶屋の神様の祭の夜、二人で城から逃げ出しました。でも、二人は王様の追 手から逃げきれずに捕まりました。彼は殺され、私は生き残る運命でした。  彼は河原で辱められたまま磔にされました。足下に薪がうず高く積まれました。王様が王妃に松明を 渡しました。王妃が火を投げ入れるのが古からの習でした。彼は生きたまま焼かれました。王様は彼の 最後を私に見せつけました。王妃は泣くことを許されません。彼は炎の中から私に向かって叫びました」 「再びこの大地に生まれ変わり、果たせなかった願いを必ず果たそうぞ!」 「その時、あなたはどう思いましたか?」 「私の人生は終わりました。私も死ぬはずだったのに、王様は『生きて償え』と命じました。しばらく 後に、私は彼の子どもを産みました。王様は彼の子どもをとても可愛がってくれました。でも私は幸せ ではありませんでした。  その子の瞳は死んだ彼とそっくりでした。その子に見つめられていると、私は彼がそばにいてくれる ような気がしました。でも私の心は満たされませんでした。  私は死ぬまで王様に償い続けました。私の人生は終わっていました」  先生は王妃に尋ねました。 「その人生で死ぬ時に、何か決心したことはありますか?」 「短くてもいいから彼と一緒に人生を過ごしたい・・・」  先生はマリア様に聞きました。 「今、見せて頂いた約束の場面から、私たちは何回一緒に生きてきましたか?」 「あなたたちが一緒に生きた人生はたくさんあります。でも二人が結ばれたのはとても少ないのです。 兄弟だったり、親子だったり・・・」 「それはなぜですか?」 「国王であったあの人が私たち二人のどの人生にでも現れて、ひどい邪魔をするのです。あの人のおか げで、私は彼とは一緒になれない運命なのです」 「あの国王は悪い人ですか?」 「悪い人ではありません。でも、あなたにとっては悪い人に見えるでしょう」 「今回の人生で、あの国王も生まれてきていますか?」 「ええ。今のあなたが知っている人のはずですよ」 「私はまた邪魔されるのですか?」 「すでに精神的な邪魔をされたはずです。そしてこれからも続くでしょう」  玲子さんの声が落ち込みました。先生はマリア様に聞きました。