2014年1月10日金曜日

おはようさん 2014.1.9.

今日の午後は、今年初めての藤本漢祥院での研修&鍼治療でした。 今朝から痰がらみの喉イガイガと背胸部のゾクゾク感があって。 先日来の風邪の患者さんたちからいただいた寒邪と免疫防御機構のせめぎ合いです。 いつもなら風邪薬を飲むんだけど、ちょうど今日は鍼をしていただく日だったので、手出しせずに漢祥院へ伺いました。 蓮風先生の置鍼は左滑肉門。 自分の見立てでは、桂枝湯の証やな(処方するとしたら桂枝麻黄半湯)・・・で、鍼なら外関かな?と思っていたので、ほぅぅ? 置鍼している間はそれほど感じなかったのですが、抜鍼後、身体の芯に入りかけていた寒邪がほわっと体表へ浮き上がってきているのがわかりました。同時に背胸部のゾクゾク感も消えました。 そして夜・・・喉のイガイガも消えて、痰がらみの咳も気になりません。治ってるかも! 滑肉門をググってみると・・・ 内経によれば、骨は腎に属し肉は脾に属する。骨肉門は骨と肉との門であつて、腎と脾とに関する。故にこの穴は腎と脾の病を治するに大切な穴である。 天の寒気が風門より膈、肝、脾、腎に入るときは骨肉門にあらわれる。風邪の内臓に入ったのを取るには最もよい治穴である。 感冒の場合などには、骨肉門のあたりの腹直筋の緊張と圧痛が現れる。 なるほど&なるほどですね。 風邪に初診の患者さんには、さすがに「鍼しましょうね」とは言えず(みなさん、薬で治して欲しいと医院に来てるので、いきなり鍼で治りますよ!は青天の霹靂ですもの。。。)、これからどうやってスムーズに風邪の患者さんにも鍼をしてあげられるかを考えていきたいと思っています。 妄想日記の続き 鰐淵寺について from Wikipedia 伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。ここで言う「鰐」はワニザメを指すと言われる。鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。浮浪の滝は鰐淵寺の入口から渓流を500メートルほどさかのぼった地点にある。水量は少なく、滝壺の奥には蔵王堂が建つ。 弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。その後、姫路の書写山圓教寺、比叡山と移り、更に源義経の家来となり義経に従い国内を転戦したが、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。 16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主命に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。 鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、現在では、根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。弁慶との繋がりから催されるイベントと境内の紅葉が美しく色付くことから、毎秋一時賑わいを取り戻すが、それ以外の多くの時間境内は静寂に支配されている。 「浮浪の滝の蔵王堂を観てこようかしら」とお母さんと君。 「さすがにお着物ではムリだと思いますよ」と住職さん。 「途中までは何とか行けますけど、人ひとりしか通れない断崖絶壁の岩道を歩かないとダメですから、やめときましょう。明日の朝、軽装でもう一度、来てもいいですよ」と僕。 ちょっと残念そうなお母さんと君のスネ顔がかわいくて。 「これから根本堂で朝のお勤めをしますので、よろしかったらご一緒されますか?」と住職さん。 一同 元気よく「は~い!」 見事な紅葉のトンネルの中に根本堂へと続く石段があって、 朝の石段は深紅のふわふわ絨毯が敷き詰められていました。 「本当に・・・きれいやわぁ」とお母さん。 「今年は特に美しい紅葉になってくれました」と住職さん。 何も語らずローライ君で撮りまくる僕。 根本堂の扉を開いていただいて、ご本尊の千手観音さまと薬師如来さまに皆で朝の祈りを捧げます。 冷え切っていた夜の空気が和らいでいって、日の光の氣が充ちていくのがわかります。 ここは鰐淵寺の聖地。 慈覚大師お手植えの三台杉が天と地を支えています。 ここでは誰もが邪気を払い、神氣を蘇らせることができます。 「あなたがこの地での翁にこだわる理由がわかるわ」と君。 君ももう立派な覚者ですよ。 根本堂の右手に、弁慶の釣鐘があります。 住職さんが特別に鐘をつかせてくださいました。 ゴォォォ~ン 壇ノ浦の合戦の後の弁慶さんは、この鐘の音を聞きながら、何を想ったのでしょう。。。 「未来が見えていたのかもしれないわねぇ」と君。 「未来が見えていたからこそ、覚悟ができたんじゃないかな」と僕。 「運命を受け入れることで、新たな道が開けていくのね」とお母さん。 その時、南の山の上にお日さまが顔を出して、朝日が射し込んできました。 一瞬、天上に虹がかかって。 「これがあなたたちの未来ね」とお母さん。 「この子たちの明日の幸を祈って、もうひとつき、鐘をつかせていただけますか」 住職さんもニコニコしながらうなづいてくれています。 ゴォォォォ~ン 「お母さんは弁慶の生まれ変わりかもしれないね」僕たちは合掌しながらうなづきました。 (続く) 前世物語 美子レポート   柿の実  明治の中頃の信州に仲の良い夫婦がいました。旦那さんはちょんまげをした優しい人でした。妻は 「みちこ」と言いました。やがて二人に女の子が生まれました。「ゆり」と名付けました。とても幸せ な家族でした。  ある春の日、二人はいつものように楽しく畑仕事をしていました。広い畑の中を馬に乗った役人たち がやって来ました。みんなとても険しい表情です。夫は有無を言わさずに、どこかへ連れ去られてしま いました。みちこはひどい寂しさの中で混乱しました。どうやって帰ったのか、わかりません。気がつ くと、ゆりと二人、大きな家の中で泣いていました。  みちこは待ち続けました。ただひたすら夫の帰りを待ちました。 「旦那さんは誰かに騙だまされたのかなぁ。悪いことなど、するはずがないわ・・・」  夫の消息はわかりませんでした。  みちこは七十四歳になりました。娘は結婚して幸せに暮らしていました。旦那さんは帰ってきません でした。 「ひとりで死ぬのは嫌だなぁ。寂しいなぁ。誰かにずっとそばにいて欲しかったなぁ。もっといろいろ なことを分かち合いたかったなぁ」  彼女は眠っている間に死にました。それはとても安らかな死でした。 先生は、みちこの魂に尋ねました。 「死んだ時に、何か決心したことはありますか?」 「旦那さんを探します」と、みちこが答えました。「やっぱり、かなり以前に死んでいたみたいです」 「あなたが死んだ時に、そばに誰か迎えに来ましたか?」 「旦那さんがいます。会えて良かった、って言ってます。私も会いたかった、と言いました」  先生は旦那さんの魂に聞きました。 「あの後、どうなったのですか?」 「殺されました」 「誰かを恨んでいませんか?」 「恨んでません」 「死ぬ時に、何を考えていましたか?」 「何でこんなことになったのだろう・・・」  先生はみちこに代わって彼に尋ねました。 「待っててくれたの?」 「待ってたよ」 「先に死んで、何か私に合図をしてくれた?」 「したよ。家の柿の木に実をならしたよ。気づいてくれるかなぁ、って思ってたよ。みちこが気づいて くれなくって、ちょっと寂しかったなぁ」 「私を見守ってくれていたの?」 「ずっと見ていたよ」