2014年1月9日木曜日

おはようさん 2014.1.8.

クリスマス気分で2,3回完結のつもりで書いた「妄想日記」ですが、ごく一部のコアーなファンさんたちの大笑いな声にノリノリで、年が明けた今でも書いています。 去年末からKindleでお風呂読書を始めて、中谷彰宏本とわたせせいぞう本を読み耽ってるので、ついつい書いてしまいました。 ちなみに私、ナカタニアンでございます。彼の本の約半分、500冊以上は今、こうやってブログを書いている私の右壁一面の本棚に二重に積み上げられてます。 わたせせいぞうさんでは、やっぱり「菜」が一番好きですねぇ。 心療内科の患者さんの中に、妄想癖で自己嫌悪になっている方々がおられます。 妄想自体は全然構わないことなんですが、妄想から逃れられなくて仕事も家事も出来ないのは、やっぱり困ります。 こういう方々の云う妄想は、虚言癖であったり(オレはビッグになる!が口癖だけど、実際には何もしてない)、現実逃避癖なだけですので、妄想さんも困り顔だと思います。 子供は妄想できます。 何とかごっこ、おままごと(今の子はしないかな?) 純な妄想です。 学校に行き始めて、現実社会にどんどん組み入れられていきます。 思春期にはHな妄想はするけど、それも大人になると・・・妄想はなくなります。 妄想がなくなるというよりも、妄想力がなくなるのですね。 妄想力はある意味、創造力です。 デジタルよりもアナログな感性です。 そう! 妄想力は感性&本能の集合体ですよね。 社会生活、現実社会を生き抜いていくにはデジタルな大人力が必須です。 社会がどんどんデジタル化、弱肉強食化、格差社会化していって、こころが疲れ果ててしまった人たちが増えました。 そんな中で、妄想力のある人はこころが元気です。 デジタルとアナログのバランスが自分の中で取れているのですね。 妄想力はピーターパン&ティンカーベルです。 ディズニーランドで思いっきり楽しめる人のこころは元気です。 そんな人に限って、仕事もバリバリこなせています。 妄想は不要でも時代遅れでもありません。 そもそも恋愛は妄想の権化です。妄想の中は愛でいっぱいです。 結婚後は現実社会ですが、恋愛中は妄想天国です。 最近、草食系な人たちが増えてきたけど、あれは妄想力が減退してるからかもしれないですね。 妄想力のある人には愛があります。 痴漢や姦淫には妄想力はありません。自己中&我がまま&幼稚なだけです。 妄想力のある人はピーターパンです。愛と勇気と正義に満ちあふれています。 そんなことを思いながら、妄想日記を書いています。 中谷彰宏風に・・・ この妄想日記は3人のために書きました。 ・大連吟「高砂」に善き出会いを求めたい人。 ・自分の妄想に自己嫌悪している人。 ・そして・・・詩仙の君のモデルとなった名も知らぬ君へのラブレターなのです。 妄想日記 H26年11月23日 君の家で「これまで一番きれいだった紅葉はどちらですか?」とお母さんに尋ねられて、 「出雲の顎淵寺です」とお答えしてから・・・ 何だか出雲の神さまたちに誘われたかのように話がトントン拍子に決まって・・・ 今日は早朝から君とお母さんとその顎淵寺にいます。 「この渓谷の清々しさと紅葉の見事さ! ダーリンの言ったとおりだわ!」 参道の一丁ごとに祭られているお地蔵さんたちに朝のご挨拶をしながら、山道を登っていきます。 聞こえるのは清流の砕ける音と深山の地鳴りだけ。 本坊の前で住職さんが出迎えてくださいました。 「おはようございます。ようお参りくださいました」 「今日はよろしくお願い致します」 君のお母さんの交友関係にはびっくりです。 僕が顎淵寺のこと、摩陀羅神社のこと、摩多羅神と翁のこと、後戸の神のこと・・・を熱く語るのを熱心に聞いてくれて・・・ 顎淵寺の摩陀羅神社の前で神曲を謡いたい、ともらしてしまったのを・・・ 現実化してくださいました。 もちろん、僕が謡うのではなく、何と深野師匠をはじめとする能楽ワンユニットを呼んでの顎淵寺 秋の一大イベントにまで育て上げてくださったのでした。 今日の午後1時より、顎淵寺 摩陀羅神社で能楽「翁」が奉納されるのです。 「あなたの夢がひとつ 叶ったのね」とうれしそうな君。 地謡に端っこに参加させていただく僕ちんはすでに膝ガクガクで。 はたして・・・どうなることやら・・・(続く) 前世物語  自殺したらどうなるのか? の答えも決まっているようです。この症例では、自殺した人は暗い中に ひとりで座っていました。その自殺の理由を聞くと、「価値がないと思いました。寂しかったのです」 と答えてくれました。自殺の原因を突き詰めていけば、このふたつにしぼられます。 「そこから動けないのです。間違いに気づくまで、そのまま動けないのです。そのまま生きなければい けなかったのです。例え努力をしなくても、そのまま生きなければいけません。でも、あの暗い中だと 気づけないのです。納得できないのです」 「なぜ、そんなに暗いのですか?」 「自分で暗くしています。止まっているのです。先に進めず止まっている分、遅れてしまいます。その まま生きていた時よりも遅れてしまうのです」  このメッセージの言う「間違い」には、人それぞれのキーワードが入ると思います。価値のない人な どいません、あなたはひとりじゃないのですよ、という答えが浮かんできますが、正解は自問した人の 数だけあると思います。人生の真理があるとすれば、「そのまま生き続けなければならない。自殺する と先に進めず止まってしまって、魂のプロセスから遅れてしまう」ということでしょう。人生を歩みだ したら、ともかくゴールすることが求められているようです。リタイアは貪欲に智を求めてしまう魂に とっては、ある意味で地獄のような苦しみなのでしょう。先人たちはこれをわかりやすく説くために、 いろいろな地獄を創造したのかもしれません。今この時代になって、ようやく例え話にしなくてもすべ てを理解できる人々が増えてきました。開祖先人たちの努力が実を結び始めたのです。私も魂の時代の 到来を感じています。そして魂は永遠なのです。なぜなら、 「人生は続きます。終わりはありません」