2014年1月23日木曜日

おはようさん 2014.1.23.

今日の午後は藤本漢祥院での研修&鍼治療でした。 お疲れモードにしていただいた鍼は照海へ。 ズドーンと効いて、すぐに心地よいイビキモードへ堕ちて・・・これがたまりましぇ~ん(;^^)ヘ.. 今年の冬は寒いので、医院に通って来てくれている患者さんたちにも、よく照海の鍼をします。 特にお年寄りたちは腎が冷え切ってることも多いので、照海で芯から温まってもらっています。 風邪予防にもなるし、足腰の痛みにも効いてくれます。 先日から通院されている重度の心身症&自律神経失調症の患者さんへの鍼治療で。 背候診も腹診も広汎にひどい熱邪ばかり。もちろんその奥には証が隠れているのはわかっているけど、今はともかくひどい熱邪で被われていて。 問診でさまざまなストレス&トラウマがあることがわかっていたので、典型的な肝鬱気滞・肝火上炎・心火上炎でした。 こういうケースは、もはや向精神薬では・・・難しい。 これまでは精神科専門医へ送っていました。 鍼を始めて、最近、こういうケースに手応えがあるマイ経穴があります。 湧泉 生命エネルギーがコンコンと湧くという意味ですね。ググると、足の疲れ・更年期障害・のぼせ・若返り・心身症 等のキーワードが出てきます。 少陰腎経「湧泉」 腎経は腎臓と関係の深い経絡で、足の内側と腰に関係しています。大事なツボは「湧泉」です。「湧泉」は第二の心臓とも呼ばれ、下半身の気の流れに関係するだけでなく、全身にとっても大切なツボです。足の裏の一番下にある「湧泉」と、頭の上にある「百会」の間に気の通りが出てくると、体の上と下で気の交流が生まれて断然体の調子がよくなっていきます。 湧泉ってすごいなぁ!と思ったのは、漢祥院の研修中に蓮風先生が湧泉へ鍼をされたのを間近で見ていた時でした。 ものすごい氣が一気に噴出してきて、震度7くらいビリビリ&クラクラしました。 これは使える! 直感的に百会と極の関係にあると思いました(本当は百会ー会陰だったのですが・・・) 昔、リフレクソロジーを学んだことがあって、足の裏に身体の反射区があることはよく知っています。 鍼灸の経絡とリフレクソロジーを照らし合わせてみて、百会にも全身の反射区のような広がりもあるし、夢分流腹診にも同じような反射区の概念があります。 それと・・・瞑想やヨガ、気功でグランディング(大地にしっかりと立つこと=地に足を着けるってヤツですね)がとても大切だという概念にも繋がっています。 そんなこんなで・・・湧泉に鍼をする時には、百会と同様に、ピンポイントな湧泉ではなく、とても広い範囲の中で、その日の最もベストなポイントに鍼をしています。 実際、百会も湧泉も指先でセンサーしながら感じていると「ここだよ、ここに刺して」と教えてくれます。 湧泉と百会に鍼をすると、邪気がすごい勢いで出てきます。 湧泉から善き氣が流れ込んで、下から上へと、まるで龍のように昇っていきます。 ほとんどの邪気は百会から宇宙へ放出されるように消えていきますが、一部の邪気は肺の宣散作用でまわりに放出されます。これにビリビリ&クラクラしちゃうわけです。 現在、10名ほどの患者さんたちに湧泉の鍼をしていますが、マイ「秘伝の鍼」と言ってもいいかな・・なくらいの効果を認めています。 どの患者さんも素直で和な性格に変わってきました。うれしいですねぇ。 自分なりの切り札経穴があると、鍼はますます面白くなってきますね。 そう・・・ちなみに湧泉はとっても痛いです。 でもね、邪気が取れてきて、心身症・神経症などの症状が緩和されてくるに従って、痛みがなくなるんですよねぇ。面白いですね。 前世物語 「それはよく聞かれる質問なのです。先生は『見えませんよ』と言ってます。真実は私にもわかりませんね」  私はいつもどおりの答えをしました。私の感では、先生は霊的なエネルギーに満たされて調子が良い時には見えている、と思います。オープン・クエスチョンを心がけていますが、ついクローズドな、つまり具体的な質問をしてしまうことがあります。例えば、その花瓶は黄色? とか、赤い服を着た人に聞いて、とか。患者さんが言う前に色や男女、服装を言い当ててしまうことがあるわけです。患者さんが先生の質問に引きずられたとも言えますが、これは絶対に見えてるな、という事例がいくつもあります。  ある日、「先生、今日はしっかりと見えてたんでしょう。ホラ、ネタは上がってるんだから白状しなさい!」と問い詰めたことがあります。 「お代官さま、お許しください。なにとぞアレだけはご勘弁を」 そう言いながら先生は笑いました。そして答えてくれました。 「今日のワークはよく見えていたんだよ。やっぱり昨日、久しぶりに熊野さんに行ってお祓いをしてもらってきた甲斐があったなぁ。エネルギー状態も良好だからね。とっても気持ち良くワークが出来たよ。これは美子さんだけの秘密だからね。過去生が見えるといっても、私まで一緒に過去生の中へ入ってしまったら、うまくガイド出来ないんだ。患者さんと一緒に驚いたり、悲しんだりしていると先へ進まないからね。それに私の感情のエネルギーが過去生の主人公と患者さん自身に流れ込んでしまう危険性があるんだ。この魂の療法は、あくまで患者さん自身に気づきを得ていただくことに主眼を置いているからね。例え時間がかかっても、患者さん自身に自らの足で一歩一歩前に進んでいってもらいたいんだよ。だから、患者さんとは初めからしっかりとした境界線を設けているんだ。お互いにそこまでは進入しない精神的なラインだね。私のような精神科がズブの素人にはこの境界線が絶対に必要なんだ。この境界線を無視してしまう、とどうなると思う?」  私は首を傾げました。 「過去生が見えて、過去生に降りている患者さんに逐一アドバイスを与えるわけだよ。その人はそう言っているけど、実はこういうことなんだよ、とかね。光との対話中に、『光さんは今、こう言ったけど、実はこれはこういう意味なんだよ』なんてやると、もうこれは洗脳の手法になってしまうんだ。実際、宗教的に洗脳する時はこの方法から入るそうだよ。洗脳までいかなくても、境界線があいまいだと精神的な依存を作ってしまいがちなんだ。気づきのヒントならいいけど、ヒントがいつしか答えになってしまったら、それは自分自身の気づきのようで本物の気づきではないからね。  過去生が見えていて、患者さんに答えを言いたくてイジイジすることだってあるよ。岡目八目だよね。でも言わない。絶対に言わないと誓ってるもの。言わないから境界線を遠く避けている。だから変に冷たいところがある。わかってるんだ。でも、大丈夫だよ。ゆっくりと境界線に近づいているから。でも答えは言わないよ。なぜならその答えは私の答えであって、患者さんの答えではないからね。  『今回の人生は誰が計画したのですか?』と聞けば、ほとんどのワークで『自分で計画しました』という答えが返ってくるよね。その気づきを得るために人生を生きているのかもしれないのに、他人に答えを言われなくないだろう。そんな答え、死んで魂に戻ったら、元から知ってるんだから。ただそれに気づく過程を人生という土俵で実践してみたかっただけなんだから。『アッ、そうか!』の一瞬のために人生があるのかもしれないなんて言うと、そんな、とてもついていけません、と言う人も多いかもしれないね。でも、その一瞬は『神のエクスタシー』だと言ったら・・・あなたも神になれる一瞬だと言ったら・・・やる気が出てこないかな? そんな神の快感を知ってしまうと、もう病みつきになってしまうよ。『気づき病』かな。もしかしたら魂がこの気づき病の禁断症状を起こしたら、人間をやりに降りてくるのかもしれないね。不謹慎かな? でも神さまやマスター、光って意外とそんな人間らしさが残っているような感じがするんだ。古代ギリシャの神々なんかそうだよね。神さまに怒られるかな?」  そう言うと先生はペロッと舌を出しました。  「先生も調子の悪い時はあるでしょう。そんな時のワークは、やはりうまくいきにくいのですか?」  こんな不躾なことを先生に直接聞けるのはこの世界中で美子だけでしょう。先生はちょっとすねたポーズで答えました。