2014年1月28日火曜日

おはようさん 2014.1.28.

冬の夜が好きです。 しずかだから。 車のヘッドライトがゆっくりと流れていき 街の灯りが北風さんにチラチラと揺らいでいて。 この灯りの下、どれくらい幸せな人がいるんだろう? 泣いている人もいれば、キスでもしてる人もいるんだな。 幸せって何なんだろう? きっと死ぬ朝にわかるんだろうね。 それまでは試行錯誤。 当たりもはずれもない 正しいも間違いもない チャレンジ&トライの繰り返し。 悲しみも恨みも憎しみも悔しさも色褪せて ただ楽しかった、うれしかった、感動した思い出がいっぱいあれば、 きっと幸せな人生だったと微笑むだろうな。 一人暮らしのお年寄りたちを見ていて・・・ 生き生きとしてる人は、そんな善な思い出があるようです。 亡くなったパートナーと一緒に 死にもの狂いで働いてきた。 いろんなところへ旅行へ行った 甲子園にも行ったし、映画も観た、美味しいものも食べた。 閉じこもって「死にたい」と言ってる人には、それがないような・・・気がします。 光さんは「人生の目的は何ですか?」と問うと、「楽しみなさい」と答えます。 貧乏暇なしで働きづめでも、 病気や不自由な身体で難儀し続けても、 お金持ちでも権力者でも有名人でも、 愛する人がいても、ボッチ飯を食べ続けていても、 この「楽しみなさい」は誰にでも簡単にできます。 でも、出来ない人には死ぬまで出来ません。 それは自転車に乗るようなもの。 コツは・・・目を開けていることです。 こころの目 五感でない感性の目 昨日の「ボッチ飯はまずくない!」を書いた後、天から降ってきたP.S.です。 愛する人と一緒にする食事は楽しいです。 意識は愛する人と話題へと向いています。 私はボッチ飯しながら、目の前の魚さん、野菜さん、卵さんたちとお話しながらいただきます。 どんな人たちが働いてくれて、どんな海や大地が育ててくれて、どんなご縁で私の胃袋にやってきたのかに思いを馳せると・・・妄想できます。 この妄想食事も楽しいです。何より感性が磨かれていきます。 そして、これはボッチ飯だからこそ、できるのです(パートナーを前にしてやったら・・・怖ろしい結果になるでしょう) これも人生の楽しみ方です。 そしてね、こんな妄想の楽しみは、例え寝たきりになっても、困窮でビスケット1枚しかなくても、どこでもどんな状況下でも出来ます。 世の中を見ていると、妄想の楽しみが出来る人たちはなぜか優しいのです。 気配りも出来ます。あんまり怒らないし、悲しみに溺れません。 深い愛を感じられる人たちです。 静かな冬の夜の街の灯りを眺めながら 今夜もボッチ飯だった人たちって・・・ものすごく多いんだろうな。 天上では陰暦のお正月に向けて、真新しいお月さまの掛け替えも終わりました。 お正月の夜、真新しい今年の新月さんが昇ってきます(見えないけどね・・・こころの目では見えるんだなぁ これが) そんな新月さんが放つ良き氣の光が、今夜、静かに眠っているボッチ飯な人たちにいっぱい幸をもたらさんことを 祈っています。 前世物語 「私の今回の人生は順調ですか?」 「順調だ、って」  先生はマスターに、今回の人生の目的をクリアーできた、未来の彼の姿を見せくれるように頼みました。 「子供たちに囲まれています。穏やかに笑っています」 「未来のあなたから今のあなたに、何かアドバイスをもらってください」 「今、あなたに起こっていることは全て必要なことです。真正面から取り組みなさい。ごまかさないことです」 「まわりの子供たちの中に、娘さんは生まれ変わっていますか?」 「います。おさげの女の子になっています」 「その子に聞いてください。あなた、生まれ変わってきたの?」 「そうだよ」 「どうしてこんな形で、お父さんの所へ来たの?」  彼はうれしそうに答えました。 「恥ずかしそうに笑ってるだけです」  彼はマスターにお願いしました。 「最後に何か一言、アドバイスをください」  マスターが答えました。 「やりかけてることをすぐに片付けなさい」 「娘さんを子供たちのもとへ返してください。そして娘さんからも、何か一言アドバイスをもらってください」 「お父さん、がんばってね」 「マスターと子供たちに、娘さんをよろしくね、ってお願いします」 「みんな一斉に、うん、って言っています」  この症例は、過去生なしでいきなり不思議なところへ降り立った症例です。前世の娘が出てきたり、マスターの召使いが出てきたりと奇想天外ですが、お父さんの強い想いがマスターのところへと導いてくれたのでしょう。  このお父さんの宿題「私はどうして死んだ娘を忘れられないのか?」「そこに意味があるから考えてね」が、「娘に感じるように自分のまわりの人に思いやりを見せなさい、使いなさい」へと展開していきます。そして、「今、あなたに起こっていることは全て必要なことです。真正面から取り組みなさい。ごまかさないことです」と結論づけられます。  子供を亡くすということはとても悲しいことです。その日以来、子供への深い愛情を泣きながら再認識する日々が続きます。心が固く閉じてしまいます。心の中が闇になります。まわりに目が届かなくなります。これは子供だけではなく、愛する肉親を失った方に共通する心の反応です。肉親を失うこと、そこに意味があるから考えなければならないのです。人生は非情なものです。過酷なものです。しかし、今、起こっていることは全て必要なことなのです。そしてその深い悲しみの中から、まわりの人々への思いやりの大切さ、に気づくのです。固く閉じた心が大きく開き始めるのです。あなたの心の光がまわりの人たちを照らします。あなたが掘った悲しみの油井が深ければ深いほど、あなたの灯火は明るく遠くまで届き、たくさんの人たちの幸せを照らし出すのです。  この症例から、肉親を失う意味を私はこう考えました。