2014年1月15日水曜日

おはようさん 2014.1.15.

今日の外来でとうとう初インフルエンザA型さんが来られました。 小学生で一昨日からクラスで流行始めているそうで。 まだ症状もさほど強くなく、タミフルでない方のお薬単剤でフォローしました。 かかりつけの家族さんやったら、古代鍼で刺絡も!だったんですが、初見さんだったのでそこは我慢して。 いよいよインフルエンザ到来! うがい&手洗いしてご自愛くださいね。 FB経由で「癌から生還した人のお食事」を読んで。 免疫細胞の大半は腸に居るとのこと。 今日、いつもの患者さんにいつもの腹診&打鍼をしていて、 ピーンと繋がりました。 打鍼の最初と最後は丹田へ金の鍉針で氣を集めます。 丹田は正しく腸のど真ん中! そうです! 丹田に氣を集める=免疫細胞を元気にすることなのです。 打鍼だけではありません。 気功も瞑想も座禅も丹田に氣です。 仕舞も舞踊も謡いも丹田に氣が集まります。 そもそも正座すること自体、丹田に氣が集まりそうですよね。 戦後、日本人が欧米化して様々な癌が増えたのは食生活の欧米化が原因だ、とされていますが、正座からイスへの生活様式の変化=丹田を疎かにしてきた結果が癌の増加なのかもしれません。 夢分流の腹部への打鍼は邪気を散じる力があります。 柴胡の証のラインに沿って銀の鍉針で打鍼してあげると、皆さん、心地よい眠気に包まれます。 これはこころの邪気:肝鬱気滞や肝火上炎が和らいでいったから。 過剰な交感神経の興奮も和らぎます。すると善き氣がますます患部に拡がっていきます。 氣とはモチベーションのようなもの。 癌という敵に対峙している我が免疫細胞軍のモチベーションがグ~~~ンとアップするわけです。 なるほど・・・癌患者さんへの打鍼は免疫細胞軍の装備をパワーアップし、そのモチベーションをグイグイ上げるという相乗効果があるわけです。 こりゃぁ効くわぁ。 今日の外来での貴重な気づきでした。 妄想日記 ふとまわりを見渡すと、誰もこちらを見ていません。いや、見えていない。 まるで時間を失ったかのように、お客さんたちは二次元化して止まっています。 お囃子は賑々しく奏で続けていますが、その目には光がありません。 地謡の先生方も微動だにせず、一点を見つめたままです。 天と地、正気と狂気の狭間を舞い続ける君と、ただそれを見つめるだけの僕。 否、誰かに見つめられています。誰が・・・どこから・・・ その視線を辿ります・・・摩陀羅神社のご本殿の奥へと目を向けます。 そこにはご神鏡が蝋燭に薄暗く照らされていて。 ご神鏡には天女の君の姿が映っていて 蝋燭の炎が君と舞遊ぶやうに揺れています。 胡蝶のやうに舞う君と炎の向こうに、大海を渡る古代舟が見えてきました。 君は航海の神々への祈りと感謝を舞っていたのです。 大切な人たちが早く帰って来るようにと風の神さまに祈ります。 新しい善き人々と輪が繋がりますようにと縁の神さまに宝物を託します。 鯨の神さまに豊穣の感謝を捧げることもあります。 いつしか遠き国々で、君は天女として語り継がれるようになりました。 それから今日まで、いつの時代の君も舞っていました。 いつも君は天女だったのです。 その時、ご神鏡にあの翁面が現れました。 翁面のままカッカッカッと大笑いしています。 カッカッカッ! 時間の呪縛が一気にはずれ・・・何事もなかったかのやうに黒面が外され、面箱にしまわれて、一同が退席し始めていました。 僕はしびれた足を引きづりながら、神社の中へと駆け込みました。 そこに居るはずの君は・・・ (続く) 前世物語  私の夫は大学で考古学を専攻する教授でした。三年前、調査地へ向かう飛行機が消息不明になりまし た。八百八十日間、私の心は打ちひしがれ、昼間は気丈にしていましたが、ベッドの中で泣かない夜は ありませんでした。泣いている時に優しい夫の気配を感じたこともありましたが、それは虚ろな夢のよ うで、ただ悲しみが増すだけだったのです。一生泣き続けていくように思えたある満月の夜、気がつく と私は夫の書斎にたたずんでいました。その夜の満月はとても眩しくて、私の涙を洗い流してくれるよ うな気がしました。私は夫の机に両肘をついて、窓から金色に輝くお月さまを見ていました。不意に誰 かに肩を叩かれたような気がして、私は振り向きました。そこには誰も見えません、ただ月の光が机の 上の鏡に反射して、夫の大きな本棚の一点を照らしていました。私は月の光を目で追って・・・本棚で 照らされていた本を手に取りました。それが・・・先生の本だったのです。夫が過去生の本なんか読ん でいたなんて全然知りませんでした。そんな話をした憶えもありませんでした。私はその夜、月明かり の下でそれを読み切ってしまいました。そして、朝一番に先生に連絡をとりました。  私と夫の過去生は、みなさんにお話し出来るほどはっきりとは見えませんでした。ただ、光のヴィジョンの中で赤茶けた岩山に点在した飛行機の残がいが見えました。その時、光の中で優しい夫に再会できました。  夫は暖かく見守ってくれている、喜んで応援してくれている、それを知っただけで、私も生きていく 勇気と自信を取り戻しました。自分で創っていてもかまいません。自分の欲求がヴィジョンとなってい たってかまいません。私はワークの最中に確信しました、夫に会えた、と。それでいいのです。これは 心の治療ですが、論理的である必要性は感じません。私が確信した、そして私は再び歩き始めた、ただ それだけでいいのです。これはもう信仰の世界なのかもしれません。魂の療法という言葉がありますが、これはまさしく魂を癒す療法でした。先生の「ただ患者さんを癒したい」という心が私を夫のところまで押し上げてくれたのです。夫はしっかりと私をハグしてくれました。そして別れ際、最高の微笑みで私の背中をポンと押してくれました。私は歩き始めました。白い靄の向こうに先生が・・・いるような気がしました。  その日の夜、夫の墜落した飛行機が発見された、という知らせを私は自宅で受け取りました。  私は今でも夫の存在を身近に感じます。暖かい眼差を感じとれます。私はひとりぼっちではないので す。このワークを受けられた方々からのお手紙を読んでいると、死者との対話で立ち直った方々は、み なさん、このような感じで元気に過ごされているようです。私はひとりの患者として、先生のワークは 素晴らしい魂の療法だと思います。