2014年1月11日土曜日

おはようさん 2014.1.11.

今日は医院の鏡開き。 毎年、患者さんたちにお善哉をふるまいます。 30年前の関西医大脳外科外来の伝統を引き継いだ鏡開きです。 この日ばかりは生活習慣病があっても、どうぞどうぞ! 糖尿病で耳に「甘いもんダメ!」なタコができちゃってる患者さんたちも、素なニコニコ顔を見せてくれます。 スタッフが朝からお餅を包丁で4つに切ってくれて、待合特設テーブルの上で美味しそうに香る大鍋に入れて完成! 家では「喉に詰めるから」とダメ出しされていたお年寄りのたちも「今年初めてのお餅や」と大喜びしてくれます。 一人暮らしのお年寄りたちも、昔を懐かしんでホカホカ笑ってくれます。 子供の頃、青カビの生えた鏡餅を洗って、何とか力づくで割って、お善哉にしましたよね。 どのお年寄りたちの顔々も、子供の頃のワクワク感が蘇ってきているような温かいお顔になっていました。 歳時記を入れてあげると、子供の頃にタイムスリップします。 お正月が終わって、いよいよ極寒の季節です。 子供の頃は雪の中を走り回って遊んだり、凍える手で内職のお手伝いをしていたお年寄りたちの身体と自律神経系に「いよいよ極寒の季節だよ」というスイッチを入れてあげると、それなりの耐寒性、対ウイルス性がアップするんじゃないかな? みんなが楽しめればそれでいいのだけど、フッとそんな医学的効能をお善哉をいただきなかがら思いついたのでした。 妄想日記のつづき 摩陀羅神社の前には仮設の舞台が置かれています。 お客さんたちは摩陀羅神社の右手、背の丈ほどの石段の下方に置かれたイス席に座って観能していただきます。 摩陀羅神社の右手の三台杉たちが観客席と神社の結界となって、堂々と見守ってくれています。 「さすがに出雲一の紅葉の名所なんですね」 9時を過ぎると、ぞくぞくと紅葉狩りの人たちが石段を登ってきました。 ほとんどの方が今日、奉納能があることも、それが「神曲」であることもご存じありません。 それでも熱心な方々もおられるものです。 「ここ摩陀羅神社で翁が奉納される日を迎えることができて・・・」と涙を流しながら喜ばれているお年寄りたちもおられました。 お話をお聞きすると、先祖代々、島根半島の所々で暮らしておられる方々でした。 その「先祖代々」は平安時代よりももっと古い時代にまで遡るそうで・・・ 「ほら、やっぱりね」と僕。 「すごいわねぇ」と君。 10時すぎに深野師匠と能楽ユニットのみなさんが舞台の下見に登って来られました。 もうこの頃には満席になってしまうくらいの盛況で。 根本堂下の紅葉の階段は人・人・人 大渋滞で、とうとうガードマンさんたちが石段の下で入場規制をかけ始めました。 僕たちは住職さんと裏道を下りて本坊でお昼ご飯をいただいて。 もう一度、翁の前の精進潔斎を済ませて、12時前に摩陀羅神社に戻りました。 そして1時。いよいよ摩陀羅神社奉納能「神曲 翁」が始まります。 摩陀羅神社の扉がゆっくりと開いて、面箱をうやうやしく掲げた狂言を先頭に、シテ翁、ツレ千歳、狂言三番曳、囃子方、シテ後見、地謡、狂言後見が歩み降りてきました。 笛。小鼓、鼓が神社の左手、舞台奥に坐します。 地謡は舞台左手、神社に向かって坐します。 僕は地謡後列の左端っこです。 笛の甲高い一声を合図に、翁の始まりです。 <明日に続く> 前世物語  これは先生のお気に入りの症例です。 「柿の木に実をならせたのが合図だなんて、粋だよね。僕だったらギンナンかな?」  先生は私の吉野の実家の裏山に大きな銀杏の木があったことを覚えていました。それは見事な大銀杏 で、秋になると杉山の中腹に太陽のように真黄色な銀杏が輝いていました。今でも村の、そして私の大 切な守り神でもあります。昔、先生は高校の仲間たちとその銀杏の写真を撮りに来たことがありました。 「先生、私のイチョウには実はなりません。残念でした」 「そんなこと、ないよ。だってホラ、何事も強く想えば叶います、ってみちこさんも言ってるでしょう。 遺伝子操作のこの時代、美子さんの里のイチョウの性転換なんか、簡単だよ」  負けん気が強いのは今も昔も変わりません、二人とも。 「磨き合う関係です。どんなことがあっても、お互いを想い合う関係です」  先生は本当のソウルメイトとはこのような関係だ、ととらえています。厳しく切磋琢磨しながらもお 互いを深く想い合っているのが先生の理想像です。でもラブラブを否定してはいません。だって先生、 かなりミーハーなところもありますから。最近は私も慣れてきましたが、それでも、「おばさんには恥 ずかしくてついていけないわ」と思うことを時々しでかしてくれますから。ホント、なんでもあり、の 人です。きっと生まれてくる時に、天使回路をオフし忘れてきたんでしょうね。あの天真爛漫さを生か してあげるのが今の私の使命なのかもしれません。  このメッセージが似合うソウルメイト特集があれば先生と私は上位進出まちがいなし、だと思います。 「この症例では人生の悩みは学習であり、悩み抜いたら笑えるようになる、それが幸せなのだ、と言っ てたけど、確かに悩み抜いたらもう笑うしかないという状況になるよね。悲しみに泣き崩れていくとい つか泣き笑い状態になるし、怒りや恐怖を突き抜けるとヘラヘラした笑い顔になるだろう。人間の感情っ て突き詰めていくと最後は『笑い』になるのかもしれないね。人間以外の動物に笑い顔は作れない、と いうから、私たちが人間をやっている意味のひとつに『笑い』の学びがあるのかもしれないね」  わざと真面目な顔をして先生が謎かけをしました。 「楽しい時、満たされた時、嬉しい時・・・だけが『笑い』ではないのだとしたら・・・『笑い』は心 がどんな時に起こるのかを考えてみればいいのかしら? そう、笑っている時って心が開いているわ・・・ 心が閉じている時はとても笑えないもの。先生がさっき言った悲しみ、怒り、恐怖の時だって心の扉は 固く閉ざしているけれど、その感情があまりに強くなり過ぎると心を閉ざすことさえ出来なくなってし まうのかもしれないわね・・・まるで心の門番までどこかへ逃げ出しちゃったみたいに。すると心の扉 はひとりでに開いて、中から『笑い』が漏れ出してくるのかなぁ。???先生、ということは心の本質 は『笑い』だということになりますよ」  先生は私の目をじっと見ながら、とっても嬉しそうに笑ってくれました。 「そうだね、人間の心の本質は『笑い』だよ。赤ちゃんの笑顔が嫌いな人っていないだろう。赤ちゃん の笑顔が疲労困ぱいしたお母さんを癒す特効薬だしね。『笑い』はすべての人間の心に共鳴する基本調 律なんだろうね。人の心の本質は『笑い』で満たされているだよ、本当は・・・すると、自分の心がい かに閉ざされているのかが見えてくるだろう。『笑い』は心の健康のバロメーターであり、この地球は 『笑い』で満ちた星なんだよ」  そう言いながらニコニコしている先生の顔を見ていると、私までなんだかウキウキしてきました。そ うです、こうやって『笑い』は幸せを運んでくれるのです。