2014年10月25日土曜日

おはようさん 2014.10.24.

昨日、蓮風先生に診て頂いた肺癌疑いの患者さんも、 ずっと診ている乳癌骨転移の患者さんも、 これまで診てきたさまざまな癌患者さんたちも、 みなさんに共通していることがあります。 それは、腹診の第一印象が「どこもかしこも、ひどい熱邪やん!」です。 そう、年齢や癌の部位、癌の進行ステージに関わらず、みなさんのお腹はまるでストーブにように熱邪が浮き出ています。 「癌は熱や!」と蓮風先生はよく仰いますが、まさに癌は熱の固まり、熱邪の中から生まれ出てきます。 車のエンジンは普通に走っている限りは、その熱で溶けたり爆発したりはしません。 風によって冷やされた水が循環してエンジンを適度に冷やしてくれているからです。 この風に当たるのが人間では「笑顔」で、水に当たるのが「愛」ですね。 かなり燃費は悪いけど、風が「美食」や「お金」や「高価な物」や「権威」や「ステータス」で水が「満足」な人もいます。 それはそれで壊れやすいとか、渋滞の元凶だとか、公害をまきちらかす・・・なんて問題があって、しばしばエンストしたり故障したり、もちろん癌になったりもしますが、今日のテーマとはちょっと違うので置いときましょう。 さて、車のスピードをどんどんあげていくと、当然、エンジンの熱の負担が急増します。 高速運転をずっと、何年、何十年も続けていると・・・エンジンは溶けて爆発してしまいます。 一種のメルトダウン これが癌です。 ちなみに、エンジンの冷却水系統が詰まったり、オーバーヒートしたりするのが脳卒中です。 どの癌患者さんも、休憩なしの働き詰めの感があります。 たしかにそれだけ働き続けたら、熱邪だらけになるよなぁ・・・の感を抱き、溜息が出ます。 そして、この働き詰めが「私がやらなければならない」「私しかできない」の「私が~ねばならない」の想いで充ち満ちていることに涙が出ます。 そう、身体もこころもオーバーヒートサインを出しているのに、それを無視して(もしくは自分でスイッチを切ってしまって)高速で走り続けた結果が、癌になったのです。 癌になっても生還する 癌が治ってしまう人もたくさんいます。 そういう生還者さんたちを診ていると、みなさん、癌を節目に生き方をガラッと変えておられます。 高速道路から降りて、地道をのんびり、景色をパートナーと楽しみながらドライブしている感じです。 「私が」も「ねばならない」もなくなっちゃっています。 代わりに「大丈夫」と「ええんちゃう」が口癖になっています。 癌になると、食べ物はこれはダメ、あれはダメ、これが良い・・・と相変わらず「ねばならない」を続けている患者さんたちも多いですが、こういう方たちの癌後生存率はあまり芳しくないと思います(←あくまでも個人の感想で、何らエビデンスはございません) これまで快適?に飛ばしてきた高速道路を降りて、地道をのんびり行くのって、最初はとても勇気のいることです。 それまでの自分の生き方、人生を自己否定してしまうような気がするからです。 確かにそれまでの人生の自己否定かもしれません。 自己否定でいいじゃないですか! だって神さまにダメ出しされたんだから。 癌というのは、人生の大節目です。 節目というのは、そのまま一本道だということではありません。 必ず別の道があります。 快調に飛ばしていたのに、神さまに赤旗ピットインを命じられた。 無視して走り続ければ・・・事故ってしまって終わりです。 ピットに戻って、タイヤを交換して、ガソリンを入れて、一息ついて再出発すれば、栄光のゴールが見えてきます。 神さまが本当に「終わり」だと言えば、間違いなくその場で死んでしまいます。 癌になったからといっても、まだ生かされているのだから、これも間違いなく人生の大節目であり、別の道があるはずです。 生かされていることに感謝する。 今を生きる。 その意味がここにあるのです。 前世物語 美子レポート    J o y , E n j o y !  このワークをお受けになられる方々の中で最も多いのは、人間関係に悩んでいる方です。複雑な人間関係に身動き取れなくなってしまった方は、その中の誰か一人にテーマを絞ることが出来ないこともあります。以前にも述べましたように、それでもテーマは出来るだけ一人にフォーカスしていただいています。太郎さんと花子さんとの関係がわかる過去生へ、と誘導することは出来ますが、太郎さんと花子さんとが同時に重要な役割を果たしていた過去生があるとは限らないからです。映画に例えると、太郎さんと花子さんと患者さんが主役、準主役になっていなければ、今の人間関係の悩みを解決するためのヒントはなかなか得にくいと思います。下手をすると太郎さんも花子さんもセリフなしの通行人で出演しただけの過去生が見える可能性もあるのです。患者さんの潜在意識が「二人と一緒に生きた」に強くフォーカスした場合にこうなってしまいます。これでは肝腎の気づきに手が届きません。ただ過去生を見ただけ、に終わってしまいます。何度もワークを受けられる余裕のある方はこういったテーマを入れてみるのも面白いでしょうが、ほとんどの方々が遠方から来られますので、出来れば安全策を取っていただくことをお薦めしております。一人の過去生を見て、一人ずつじっくりと人間関係を解きほぐしていかれる方が良いと思います。  この患者さんは、ヒロ君という彼との関係が最もよくわかる過去生へ戻りました。 「地面を見て、地面を感じて。どんな地面が見えますか、感じますか?」 「固くて赤茶色の土です。少し草が生えています」 「足には何か履いていますか?」 「革の赤いブーツが見えます」 「下半身は何を着ていますか?」 「ぼろぼろの服です。白の汚れたズボンを紐でくくっています」 「上半身は何を着ていますか?」 「下とおそろいの長袖の服です。ずいぶん汚れています」 「手に何か持っていますか?」 「短い棒を右手に持っています」 「肌の色は?」 「赤っぽい肌です」 「手をしっかりと見て。その手はどんな手ですか?」 「青年の男の手みたいです」 「頭に何かかぶっていますか?」 「何かを脱いで、誰かを見送っている感じがします」 「どんな髪ですか?」 「肩より少し長くてストレートの黒い髪です。放心状態で立っています」 「ヒゲはどうですか?」 「ザラザラしています」 「目の色は何色ですか?」 「茶色です」 「背中や腰に何か荷物を持っていませんか?」 「ありません」