2013年12月1日日曜日
おはようさん 2013.12.2.
師走の最初の日曜日、亡父の四十九日法要の打ち合わせをしてから、身体が歩きたい&歩きたいと駄々をこねたので、万博公園をお散歩してきました。
蓮風先生がよく患者さんに言う「ぶらぶら歩き」で、きれいな紅葉に出会うと立ち止まってカメラを構えて・・・
患者さんに歩きなさいと言うと、時間と距離を決めてのウォーキングをしちゃう人も多いです。
アンタはデューク更家さんか? なオチですね。
ダイエットにはそんなウォーキングがいいけれど、心身をリラックスさせるにはぶらぶら歩きじゃなくっちゃね。
ぶらぶら歩いてると、いろいろな風景に気づきます。
きれいな花、おいしそうなパン屋さん、古びた喫茶店、まだがんばってる銭湯さん・・・
リコーダーの音は近くに小学校があるということ・・・
小さな祠に毛糸の帽子をかぶったお地蔵さん・・・
ぶらぶら歩きをしていると、疲れた感性がどんどん磨かれていきます。
感性が鈍い人は鍼の効き目も鈍ります。
鍼だけじゃなくって、感謝の気持ちも、喜びの快感も・・・鈍ります。
こころも鈍ってしまいます。
当然、魂の光も鈍るから・・・天命・天職・天友から遠ざかってしまいます。
あなたは 大丈夫かしら?
ヤバイかも・・と思ったら、今度の休日はぶらぶら歩きをしてみましょうね。
昨日の万博公園では、仲の良いカップル&ご夫婦がとっても目に付きました。
12月に入ったからかなぁ?
ひとりでぶらぶら歩きも楽しいけれど、
おててつないでのぶらぶら歩きは最高やろうねぇ。。。(ちょっぴり嫉妬 否!祝福&祝福)
理想のパートナーは?
女性は三平(平均的な年収・平凡な外見・平穏な性格)
男性は三等(仕事や家事の機会は平等、年収は対等、身長・年齢は同等) だそうですが、
感性が鈍っていると、それなりの相手と結ばれます。
もちろんそれなりの相手さんの感性も鈍ってますから、それなり・・・ですけど。
そういう意味でも、昨日の万博のぶらぶら歩きカップル&ご夫婦たちは「感性が合う」方々だったのでしょう。
感性が合うカップルたちだったから、万博公園でぶらぶらデートしてたのかな。
昔々に書きかけたお原稿が出てきたので、今日からしばらくそれを載せますね。
題名は「コンタクト」
ある梅雨独特の重く湿った午後、中年の女性が前世療法を受けに来院しました。
四十前後の女性です。待合で前かがみに座っていました。
その顔色は青く、落ち込んでいる心がすぐに分かりました。
しかし、問診表に記入された文字はとても丁寧で、きっちりと書かれていました。
私はこの女性の内側に、まじめな性格と何らかの決意を感じとりました。
前世療法は患者さんと医師のマンツーマンで行います。
防音された部屋の照明を薄暗く落として、患者さんにリラックスできるリクライニング・チェアーに座ってもらいます。
イスの横には記録用の録音装置が置いてあります。
過去生へ降りると患者さんの声がとても小さくなることがありますので、患者さんとの距離は一〜二メートル離しておきます。
前世療法のワークが始まると、私が患者さんに近づいたり触れたりすることはありません。
私自身の中心軸センターにブレが生じると前世療法のガイドが勤まらないで、お互いの生命エネルギーが干渉しない距離を保っているのです。
もしオーラと呼ばれている生命エネルギーが見える方が同席していたら、過去生への誘導が進むにつれて患者さんのオーラが濃密になり、過去生へ降りて過去生の自分としっかり同化した瞬間にオーラの色合いが変化するのが分かるでしょう。
そして過去生での死を通り抜けて、その魂が眩しい光の世界へ入ると、目の前に横たわっている患者さんのオーラも光り輝きながら高く上へ伸びているのが見えるでしょう。
光の中心にいる神々しい存在と対話し始めると、その光り輝くオーラにキラキラと波紋が拡がるのが見えるかもしれません。
これは対話から得られた大切な気づきに対する顕在意識の最後の抵抗のしるしです。
私はこれこそが生きている証だと思います。
波ひとつない水面は太陽の光をそのまま鏡のように反射します。
そこにある美はただひとつ、一面の眩しい光だけです。
そんな水面に小石を投げ込んでみると、波紋が拡がっていきます。
さざ波が無数の光を踊らせます。
キラキラ、キラキラ・・・そこには無限の美が凝縮されて存在しています。
無知は小石をどんどん投げ込みます。
光が揺れて無限の美が創造され続けていきます。
光は影があってこそ美しい光でいられます。
私たちはこの世で目を覆いたくなるような影を作り続けてきました。
ひとりの善良な人間を見ても、生まれてから死ぬまで数多くの影を作ってしまいます。
でも、大丈夫なのです。
影の分だけ美しい光が必ず生じます。
その光が影を作った人の目の前に必ずしも現れないから、人は自分を責め、艱難辛苦の世界に自ら沈んでいくのです。
本当はそうではないのです。
あなたが光を得た時には、誰かが影を作ってくれています。
あなたが影を作ってしまった時には、いつの世か、どこかで誰かが光を得ているのです。
因果応報とは影を作ってしまった償いをしなければならないのではなく、光を得ても影を作っても、自分自身とどこかの見知らぬ誰かに向かって感謝しましょう、ということなのです。
<明日に続く>