2013年12月10日火曜日

おはようさん 2013.12.10.

お風呂でゆったりしながら、フッとお湯さんとお話をしました。 水・・・海、川、雨、雲。生き物 植物も動物も水から出来ていますよね。 岩石の中にだって水がある。 今の私の身体の水はどこから来たのかな? 水を飲んで、身体となって、おしっこや汗で出ていくのをもう50年以上繰りかえしているわけで。 生まれてからずっと私の身体の中に居る水って・・・とっても少ないだろうなぁ。ほとんどが何度も入れ替わっている。 じゃぁ、今こうやって気持ち良く浸かっているお湯さんは、いつかどこかの誰かの身体の中に居たんだよね。 誰かさんの喜怒哀楽な気持ちも、必死に働いた汗も、さまざまな出来事も、きっと波動としてその水の中に残っているはずで。 するとね、このお風呂のお湯さんはいったい何人、いやいや何千何万人、いやきっともっとだよね、何億何兆人の想いを受け継いでいるのだろうなぁ。 人だけじゃないよね。さまざまな動物も植物も、そう、恐竜も三葉虫も、38億年前の原始生物も、その想いはこの水の波動のどこかに息づいているはずです。 「一番最初にこの地球に降りた意識体へ」というテーマで過去生を見たことがあって、 その時に見えたのは、もうすぐ地球に降りる(ぶつかる)隕石でした。目の前には、まだ真っ茶色な地球がちょっぴり不安げに漂っていて・・・ 次の瞬間、海が出来ていました。私の意識は荒波に打たれる大岩で。ザブッザブッと大波をかぶりながらも、なんだかうれしかったのを覚えています。水をこの地球に運んできた隕石だったのですね。 時という軸は、この地球上・・というか、私たち人間界では大切ですが、宇宙から見れば無意味とは言わないけれど、それほど執着すべきものではありません。(光が最速だ、と同じレベルの見識ですから) 時という軸を外れて水をメインモチーフにして見てみれば、 この地球上のすべてのもの、さまざまな自然も植物も動物も人間たちも、みんな「あなたはわたしで、わたしはあれで」のワンネスなのです。 だから、人は自然が好きだし、植物が好きだし、動物が好きなのです。だって、いつかの自分なんだもの。 そうなんだ、美とはいつかの自分を見てるんだね。 夕焼けを彩った水蒸気だった私。 川のせせらぎの音を生み出した私。 花びらだった私も、空を飛ぶ鳥だった私も、みんないつかの私。だから美しいんだね。 ワンネスは美。 美はワンネスな想い。・・・なるほどなぁ。 時という軸の中も面白いよ。 岩石だった私の想いの波動が水に溶け込んでいって。 原始生物だった想いの波動も水に溶け込んでいって。 植物の想いの波動がどんどん積み重なりながら水の中で凝縮していって。 動物の想いの波動がさらに積み重なり濃縮していって。 この想いの波動こそが氣なんだ。 だから、この世に氣は充ち満ちているわけです。 私の水に意識を向けて、水の波動にシンクロすれば、悠久の時に濃縮されたすべての生き物たちの波動に触れることができます。 もっと意識を向ければ、この地球自身の時を超えた波動にも触れることができます。 氣とは波動。すべての生き物たち、そしてこの地球自身の波動そのものなのですね。 そしてね、意識を拡げさえすれば、水の波動を介して、すべての過去生にも未来生にもパラレルワールドにもシンクロして通じ合うことだってできるのです。 ここに「過去の自分・未来の自分とは出会えない(出会ってはいけないパラドックス)」が超越できたのです\(^O^)/ (最後はわかる人にしかわからないお話でした・・・ごめんなさいね) <コンタクトの続きです> 「いいですよ。では、よねさんの人生で、よねさんが死ぬ直前へと進みます。よねさんが死ぬ場面を見ます。よねさんが死ぬ直前に進んで・・・よねさんは幾つになって、何処で死にかけていますか?」  彼女はぶっきらぼうな声で、すぐに答えてくれました。 「なんだか台所のようです」 「台所ですね・・・幾つになっていますか?」 「四十二と浮かんできます」 「何が原因で死にそうですか? 病気やケガですか?」 「あぁ・・・倒れているのを上から見ているだけなので、よくわかりません・・・」 「よねさんは台所で倒れているのですね。うつ伏せ? 仰向け? 横向き?」 「うつ伏せです」  よねさんをすでに上から見ているということは、死んでしまっているかもしれません。私は死ぬ直前に場面を戻しました。 「はい、まだ死なないでね。よねさんが死ぬ直前に時間を戻してみましょう・・・何が起きたのですか? ちょっと時間を戻すと、何が見えますか?」 「着物の上にいつもの割烹着を着て台所にいます」  よねさんの声が戻ってきました。私はホッとしながら尋ねました。 「そこで何が起きるのですか?」 「なんだか急に心臓が痛くなって・・・そのまま倒れました」 「その時、そばに誰かいましたか?」 「誰もいません・・・あぁ、子供たちが走って来てます・・・二人とも走って・・・」  彼女の声が涙声に変わります。 「二人の子供たちは、あなたに向かって何と言っていますか?」 「母さん? 母さん?? 母さんと叫んでいます」  彼女も子供たちも泣いています。 「よねさんは死ぬ間際に、何を考えていますか?」 「何だか痛いって・・・あれ?って・・・思っています。自分でも信じられない感じが強く残っています」 「死ぬのが信じられないのですね。その死ぬ直前に、生きてきた人生を振り返ってみて、どんな人生でしたか?」  彼女は意外と冷静な声で答えてくれました。 「はい、幸せだったような、物足りなかったような人生でした」 「何が物足りなかったのでしょうか?」 「なんだかもっと・・・なんて言ったらいいのでしょう・・・もっと遊びたかった、と思っている節があります」  彼女は少し首を傾げながら言いました。すでに彼女は、よねの人生を客観的な目で眺めていました。遊びたかったとはどういう意味なんだろう? と私の意識が横道へ反れそうになったのを打ち消して、そのまま話を進めました。 「よねさんの子供はふたりだけですか? あれから生まれませんでしたか?」  彼女はよねの記憶をたどっています。瞼の動きがなくなると答えが出て来ます。 「女の子がいたように思います」 「その女の子のことを、もう死ぬ間際だから思い出してみましょう。その女の子はかわいいですか?」 「かわいいですね」 「そのかわいい女の子の顔をじっと見て・・・その女の子は、今のあなたが知っている人ですか?」 「ヨウコですね・・・本当にかわいい・・・まだ寝ている赤ちゃんです」  ヨウコは彼女の連れ子の長女で、エリと同じ小学五年生です。彼女は愛おしそうな笑顔を浮かべて溜息をつきました。 「はい、いいですね。よねさんが死ぬ間際に、その人生を振り返って見て、何かやり残したことはありますか?」  彼女の表情が途端に険しくなって、小さな声で言いました。 「やり残したことですか・・・子育てですね・・・」 「子育てですね。よねさんはどんな子育てをしようと思っていましたか? 子育ての何が心残りなのですか?」  彼女はちょっと考え込んでから、涙声で答えました。 「大きくなるまで面倒をみられないから・・・一人前になった姿を見たかったのです」  私は彼女の悲しみを和らげるために、話を進めていきました。 <明日に続く>