2013年12月8日日曜日
おはようさん 2013.12.8.
原発性肝がんと大動脈弁閉鎖不全症による慢性心不全と認知症の老人を先月から在宅往診で診ています。
一昨日、経口節食不良から脱水を起こして意識レベル低下したため、近くの救急病院へ転送入院しました。患者さんの希望で土曜外来を終えてから、その病院へ出向き診察しました(開放病棟型と言って、かかりつけ医が入院先でも診察して、病院の主治医と一緒に治療できるシステムです)。
主治医さんは心エコーで心不全兆候はなく、単なる脱水だろうという診断でしたが、先日の往診時に点滴スピードを少し早めただけで、意識混濁と明らかな急性心不全症状が出ていたことを告げましたが・・・聞く耳持たず。。。
驚くことに入浴させて普通食を出していました。(独言:う〜ん、あかんわぁ ここの循環器は・・・)
普通のドクターたちは検査万能主義です。
こころを診ないどころか、生身の身体さえ診ていません。
じゃぁ 何を見ているの? データーと検査結果だけ(独言:売り上げ&ノルマもネ)
それで悪化したり死んだりしても・・・確率論だけで、こころを痛めること(=反省)などなしですね。
反省がないから進歩もない。自分が進歩する必要などありません。医療機械と薬がどんどん進歩していってくれますから。自分磨きしないで、ブランディニューでキラキラしながらベンツに乗ってる人たちみたいだなぁ。そしてなぜかこの世の中、こういう人たちにお金が集まってくるのです。
この患者さんを鍼灸の体表観察で診ると、全体に虚火が著しい。顔望診で肝血瘀が著しく(=肝がん)、肝鬱化火も心火上炎も元々あるんだけど、今回は肝火犯胃で嘔吐を繰り返し、腎陰が暴れ出して一気に虚火が広がったと診ました。だから、とりあえずゆっくりと点滴すれば、以前の状態にまでは戻れるはずです。
今日は照海に金鍉針で外射補法・後渓に古代鍼で瀉法しておきました。脈に反応があったので、これを続けていけば良くなるでしょう。
西洋医学診でも、東洋医学診でも、答えは「脱水で補液すべし」と同じだったのですが、
東洋医学から西洋医学を眺めてみる。そして西洋医学的診断から東洋医学的に眺めなおしてみる。
すると、縦糸&横糸が織り合わさって、それまで糸のように直線的にしか見えなかった病態が、地平線のように無限の広がりを持った平面的に見えてきます。
病気を診る目がひとつ目からふたつ目にグレードアップするのです。
ふたつ目のメリットは立体視できることですよね。
病気を立体視できる。
二次元恋人とリアル恋人の差ですよ。すごいですよね。
西洋医学と東洋医学のふたつ目で診察していると、西洋医学的な検査&データーに支配されることはありません。(西洋医学では検査&データー&教授がNO!といえばNOだし、YES!といえばYESなのです・・・これって完全にデーター&検査の奴隷じゃん?)
東洋医学的な経験値&感性だけに頼ることもありません。
右目と左目がケンカしてると、まっすぐ歩けないし、頭痛やめまいがしてきます。
右目と左目をうまく使っていけば、あれれ? 眉間の第三の目が開眼しちゃってるよ・・・てなことにもなるわけです。
ちなみに・・・この患者さん、入院時の心エコーで心不全がなかったのは、搬送前にサッと古代鍼してあげたから・・・かもねぎっくす。。。
<コンタクトの続きです>
「それから、その人とはどうなりましたか? 他に何か起こりましたか?」
「結婚するようです。そんな感じがします」
「その夜はどうしていますか?」
「帰りの車の中で、彼と話をしています。なんだかとても嬉しい気持ちです」
彼女は目を閉じたまま、何の屈託もない笑顔を見せてくれました。私は更に尋ねました。
「よねさんが今日、一番幸せな一日を過ごした場所はどこでしょうか? 日本地図が頭に浮かんできて、そのダンスホールのある場所が赤く光ります。日本の中のどこでしょうか?」
「・・・ち・・・千葉みたいです」
「いいですよ。では、よねさんが今日、ダンスホールで踊っていた年代は何年でしょうか? また数字が浮かんできますよ」
「二十・・・明治二十年・・・」
私は過去生の真偽探求には興味がありません。それに時間と労力を取られるくらいなら、ひとりでも多くの患者さんの心の治療を行いたいからです。いくら証明しても、頭から否定される人たちを納得させることなどできません。過去生はあるのか、単なる想像の産物なのか、それはどうでもいいことなのです。仮に想像の産物だとしても、それで心を悩まし続けてきた患者さんを癒すことが出来るのであれば、それはそれで良いことだと思います。過去生があると信じたとしても、隣近所の人たちの生活を脅かすことはありません。政治や経済に影響を与えることなどありません。土着信仰のように、誰かから強制されることなどない、自分の好きなように利用していい小さなかわいい信仰なのです。前世信仰が生きる力を与えてくれる心の癒し・・・精神薬の副作用や身体と心の難行苦行と引き換えに得た心の安定・・・どちらも間違いではありません。ただ、誰もがどちらでも選べる自由を持っているのです。スピリチュアルな療法とは、こういうものなのです。
「明治二十年ですね。では、その場面をしっかりと覚えておきましょう。そして、よねさんの人生で、タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移ります。私が三つ数えると、タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移ります。3、2、1、ゼロ・・・タカシさんと出会った意味が最もよくわかる場面へと移っています。さぁ、よねさんは幾つになって、何処で何をしていますか?」
彼女は子供のおどおどした声になって言いました。
「あぁ・・・わからないです・・・十歳です・・・」
「十歳で、何をしていますか?」
「あぁ・・・海で死んでしまったみたいです・・・」
「誰が死んでしまったの?」
「お父さんが・・・」
彼女はそのまま泣き出しました。私は少し間を置いてから、その場面を詳しく尋ねました。
「よねちゃん、その日ね、ちょっと時間を戻してみて・・・その日ね、最初にお父さんに会ったのはいつだった?」
彼女は泣くのをやめて答えました。
「その日の朝ご飯の時です」
「その日、その小屋で?」
「家で・・・」
響子さんの目から見れば、それは浜の小屋でしたが、よねちゃんの目で見ると彼女が育った大切な家でした。
「家で会ったんだね。その時のお父さんは元気だったのかな?」
「うん、普段通りだったよ、元気だった・・・」
「よねちゃん、お父さんが出て行くよ。その日の朝、お父さんが出て行く時に、よねちゃんは何と言ったかな?」
彼女はうれしそうな声で答えました。
「いってらっしゃい・・・そう言ったら頭を撫でてくれて・・・」
「いつも通りかな?」
「はい、いつもと同じ・・・大好きなお父さんです・・・」
「それでね、その日、何が起きたのかな?」
彼女はまた泣きながら答えました。
「海が急に嵐になって・・・何だかよく分からないけど・・・大人が騒いでいて・・・」
「お父さんはどうなったの?」
「・・・お父さん、見つからないって・・・」
彼女は大声で泣き始めました。私はしばらく時を止めて、彼女の心が落ち着くのを待ちました。
「お父さんは見つからなかったんだね。それを聞いた時、よねちゃんはどう思いましたか?」
「悲しかった・・・とっても悲しかった・・・丘の上で海に向かって泣いてます」
「丘の上で泣きながら、よねちゃんが何か心に誓ったことはありますか?」
「お父さんに会いたいの・・・」
「お父さんに会いたいよね・・・じゃあね、今度お父さんに会ったら、どうしてあげようと思ってますか?」
彼女は泣き声を押し殺して答えました。
「もっといっぱい優しくしてあげよう・・・」
目には見えませんが、よねちゃんの愛のエネルギーが私の心にもどんどん流れ込んできているのが分かりました。彼女の優しい心根の中に、彼女の魂の光が輝いているのが見えました。
「よねちゃん、その場面もしっかりと覚えておきましょうね」
彼女は素直にコクリとうなずいてくれました。私は次の場面へと誘導しました。
<明日に続く>