2013年12月9日月曜日

おはようさん 2013.12.9.

日曜美術館の写真家 植田正治さんの特集を見ながら「写真する幸せ」という言葉にうたれました。 植田さんと言えば、Ueda調  私は、好きやなぁ。 写真する幸せ  確かに写真を撮ってる時って、幸せです。 一生懸命撮ってると、きっと撮られている方も幸せだと思います。 戦中の日本、そして今でも中国では撮ってはいけないものがたくさんありました。 港、空港、工場、駅・・・軍事上の秘密だから。 今の日本はどうかな? これが結構、撮ってはならぬ(気をつけるべき)ものがあります。 まず、子供の写真。 公園や学校の帰り道で遊んでいる子供たち・・・母親に怒鳴られます。下手すると警察を呼ばれる。 お店のショーウインドウの写真・・・肖像権や著作権? 店の人に断らないとダメだって。 お店の商品・・・ステキな陶器や織物があるとつい撮りたくなるけど、これもダメ。 う〜ん、もしかしたら北朝鮮の方が自由に撮れるかもしれません(絶対に行く気はないけど) 木村伊兵衛さんも土門拳さんも今だったら・・・撮れないでしょうねぇ。 もちろん私だって、歩いていて突然、携帯カメラでパチッと撮られるのは「勘弁してよ〜」だけど、ローライやライカを向けられたらかっこつけてポーズとっちゃうやろうなぁ(と内なるNADIAも申しております)。 というわけで、未だにポートレートなるものを撮ったことのない私です。 だからこそ、写真する幸せってこころに響きます。 美しい風景や花たち、木の神さまたち、神社や古寺の神さまたちを撮るのも幸せやけど、 きっと、いつか、笑顔のポートレートを撮らしてもらった時には、写真する幸せがビッグバンするやろうなっと思うのです。そんなお楽しみがあるから、写真を続けられるのやろうね。 そしてね、どんなことにも幸せがありますよね。 謡う幸せ  描く幸せ  創る幸せ  食べる幸せ  スポーツする幸せ そして、演じる幸せ どうせこの生は自分を自分らしく演じなきゃならないのだったら、演じる幸せを噛みしめたいものです。 どうすればいいかって? ワクワクすること。自分を好きになること。楽しめること。 とっても簡単なことやけど、難しい人にはとっても難しいらしい永遠の哲学ですね。 さて年末年始は何を撮ろうかな、ワクワク(^。^) <コンタクトの続きです> 「さぁ、よねさんの人生で最も大切な場面へ移りましょう。私が三つ数えると、よねさんの人生で最も大切な場面へ移っています。3、2、1・・・ゼロ・・・。よねさんの人生で最も大切な場面に移っています。よねさんは幾つになって、何処で何をしていますか? 何が大切だったのでしょうか?」  彼女は大きな息をひとつ吐きました。そして、ニコッとしながら答えました。 「赤ちゃんを抱いています・・・男の子です」 「男の子を抱いているのですね。どんな服を着せてますか?」 「服は・・・」  彼女の左手が何かを探すように動きました。 「ワンピースです」 「そこは家の中ですか、外ですか?」 「庭のような・・・家の前にある綺麗な庭です」 「その男の子をじっと見ましょう。男の子はかわいい?」  彼女はとてもうれしそうに答えました。 「かわいいです」 「男の子は寝てますか、起きてますか?」 「寝てます・・・かわいい・・・」 「その男の子をじっと見て・・・その男の子は、今のあなたが知っている人ですか?」 「知ってます。エリちゃんです」  彼女はちょっと驚いた声で答えました。エリは、夫タカシの連れ子です。小学五年生で彼女の連れ子のヨウコと同級生になります。よねの人生では、夫はよねの父親でした。夫の長女がよねの長男として生まれていたのです。  このように何度も一緒に転生を繰り返している魂の集まりをソウルグループと呼びます。親子、兄弟の関係を何度も入れ替わりながら転生を繰り返している魂たちの集まりです。ソウルグループはこの世で初めて出会った時から、なぜだかわからないけど気になる存在にお互い感じ合います。それは魅かれ合うこともあれば、反発し合うこともあります。愛や友情が育まれることもあれば、素晴らしいライバルや最大の敵になることもあります。人生の初めから終わりまで密接に関わってくれることもあれば、人生のほんの一コマに出会い、強いインパクトをもらい、そして別れてしまうこともあります。  もしも今、なぜか気になる人がいたら、転生を繰り返している魂の立場からその人との関係を眺めてみてください。そこには何か大きな意味があります。二人の関係から学ぶべき何かが見えてくるかもしれません。その気づきが二人の関係をもっと深く良好にしてくれたり、困り果てていた腐れ縁を一気に解消してくれたりします。ソウルグループは人生での悟りのヒントをもたらしてくれるメッセンジャーなのです。 「その一番大切な場面を見ていきましょう。その日、それから何が起こりましたか?」  私は彼女の左脳が家系図を分析しないように早足で話を進めました。 「家の前で写真を撮るんです」  はしゃいだ声で彼女は言いました。 「家の前で写真を撮るのですね。子供とあなたも一緒ですか?」 「はい・・・旦那様が写真機を立てています・・・なんだかすごく古い器械です・・・明治みたい・・・あっ、明治という文字が浮かんできました」  彼女は少し驚きながらも、とてもうれしそうです。私はそのまま続けました。 「旦那様は、あの舞踏会のカッコいい男の人ですか?」 「そうですね、ちょっと歳を取っているような気もしますが、あの人です・・・今、写真を撮りました・・・あっ、もう一人家族がいますよ。男の子がもう一人います」  彼女の喜びが倍になっています。家族勢ぞろいの写真が私の目にも見えるような気がしました。 「もう一人の男の子をじっと見つめて・・・」 「アキコです。これはアキコです」  彼女の連れ子の小学三年生アキコが、よねの子供として生まれていたのです。 「アキコちゃんだね。他には誰かいますか?」 「これだけです。また写真を撮っています」  機械式シャッターのハイカラな音が聞こえてきそうです。写真を撮り終わるのを待って、私は尋ねました。 「その日、何が一番大切だったのでしょうか?」  彼女は我に帰ったような口調で言いました。 「あぁ・・・旦那様のことで何かが起こっています・・・」 「何があったのかな? 見える範囲でいいから、それを見ていきましょう。今、何が起こっているのですか?」 「何かのために遠くへ行かなくちゃいけないのです・・・それで・・・家族みんなで写真を撮っています・・・この家を出なくちゃいけないみたいです」  彼女はなんだか寂しそうです。 「よねさんは、どんな気持ちでいますか?」 「旦那様と一緒なので安心しています。特別な不安はありません」  彼女はもうこれ以上、この場面を続けて見たくない様子です。私はワークの残り時間を考えて、よねさんの人生を見終えることにしました。 <明日に続く>