2011年8月20日土曜日

おはようさん 2011.8.20.

猛暑だったお盆休みが終わると、ちゃんとベランダ菜園の鈴虫さんたちが鳴き始めました。
日の長さ、風の匂いで、秋が一歩近づいたことがわかるのでしょうか?
昨年夏に10匹ほどを放した鈴虫さんたちが、菜園ポットのどこかで生命を繋いでいてくれました。
餌をもらえるわけでもなく、冬はカラカラに乾いたどこかのプランターの中で、たくましく生き続けた生命たちが奏でる鈴の音は、とても力強く、情熱的で前向きで、元気とヤル気を奮い立たせてくれます。
冬という命がけの試練を乗り越えてきた、はんぶん天然な鈴の音を楽しみながら・・・
311大震災後のことを思いました。
リーダーの不在、責任感の欠如、事なかれ主義、隠蔽体質・・・
我欲とエゴのオンパレードです。
それらが8月の原爆と終戦に見事なまでに重なって、影の中からこの世の闇のすべてがくっきりと見えてきました。
この国の体質はどこに原因があるのでしょうか?
先の戦中戦前に求めると、さらに日露戦争へと繋がり、幕末維新の争乱にまで行き着きます。
徳川幕府時代にもこの本質を打破しようと何度も改革が試みられ、挫折していきました。
戦国時代、平安時代、そう奈良時代だって、同じでした。
闇を見ながら歴史を遡って、諸行無常の溜め息を吐いた後、
夜空に輝く星のような歴史の流れの大転換機を見つめてみれば、
この世の終わりのような状況の中から必ずヒーローが飛び出してきています。
世の中が闇に飲みこまれていって、最後の光が消えかかった時に、ヒーローが現れて、この世に光を取り戻す。
映画の典型的なストーリーですが、いつの時代も、多くの人たちが共感共鳴するストーリーです。
そして、これまでは二元性の世界だったから、必ず闇の中に悪者がいました。
悪者を倒すヒーロー!にみんなが憧れるように闇が仕掛けていたわけです。
悪者がいくら倒されても、闇の本質は痛くも痒くもありません。
時間が過ぎれば、すぐにこの世は我欲とエゴで充たされますから。
ヒーローだって、長生きすれば闇に飲み込まれしまって、トホホで終わってしまいます。

でも、今この転換期はちょっと違うぞ! と叫びたくなります。
ひとりひとりの叫び声がグローバルにみんなに届きますから。
吉田松陰の松下村塾がUst Liveされていたら、どうなっていたことでしょうか?
黒船来襲での幕府のあたふたがWikileaksされていたら?
信長がTwitterしていたら?
そんなことが世界中いたるところで起こっています。
もちろん闇だって存分にグローバルを使いこなしています。
闇の発する声は半端じゃありません。
それは世界中を真っ暗な夜にしてしまっているかのように、今のこの時を厚く深く包み込んでいます。
でも、大丈夫。
こころの目を開けば、真っ暗夜空に輝く星が見えてきます。
真っ暗だからこそ、星の輝きがよくわかります。
311ですべての明かりが消えた夜空を見上げて、星の美しさに感動した人がとてもたくさんおられます。
町の明かりは、闇が我々にくれた快楽我欲の明かりでもあります。
なくてはならない、必要不可欠だ、と闇に洗脳されていたわけです。
でも、これからは違います。
今までと同じじゃいけないよ。
今までとは次元の違う、まったく新しい価値観の社会生活を創り出していかなきゃならないよ。
原発の問題も経済の行き詰まりも、新しい世界を創造させようと仕組まれているように感じます。
これでもか、これでもかって。

原発廃止。いいじゃないですか。思い切って、やってみましょうよ。
日本は背水の陣に追い込まれると、必ずヒーローを輩出します。
そして、新しい世界を創造し、一気に現実化してしまう不思議なパワーを秘めています。
ダイエットや糖尿治療のように、思い切った何かをしようと決心すると、翌日には「できない理由」「ムリの言い訳」が100個浮かんできて、頭の中を占拠してしまいます。
自分を信じる、日本のパワーと創造力を信じましょうよ。
せっかく今、このときを日本人として生きているのだから。
グダグダ責任感のない議論をしていても、何も始まりません。
首相でも党首でも誰でもいいから、日本はただちに原発廃止します!とぶち上がれば、世界中の前向きな目が日本に向かいます。
ムリだといわれていたことが、どんどん可能になっていきます。
そんなはずはない!ことが、当たり前にできるようになっていきます。
日本が新しい光の世界への入り口になれます。
でも、ムリだったら・・・首相や党首が腹を切ればいいのです。
首をすげ替えるのではなく、腹を切る。
生死を天に預けて、我欲もエゴも二の次で惑わされずに、ただ目の前に降りてきた使命に奔走する。
腹を切る覚悟ですべてを投げ打って働くべき時です。
そんなヒーローなんて、どこにもいないよ・・・確かに今日は見当たりませんでした。
でも、きっとどこかにいます。いると信じています。
なぜなら、日本はまだ滅んでいないから。
闇に完全に飲み込まれてしまってはいないから。
それはまるで「光のパートナー」のように、あてもない、信じきれない人ですが、
光のヒーローもパートナーもいるぞ!って信じられなくなった時こそ、我欲とエゴの闇の世界に引きずり込まれて終わってしまいますから。
また何千何万回の輪廻転生と因果応報を繰り返す闇の世界へ戻ってしまいますから。

もし最後の審判があるとそれば、それは今、この時に始まっているのかもしれません。
自分をみんなを認め、許し、愛して、信じる。
和・輪・笑の光の世界を創造する。
我欲とエゴの闇の世界を感じ取り、できるだけ手放していく。自分を掃除する。
そんな光の世界を素直に信じている自分を信じる。
今年になって光さんは、自分を信じようとがんばっている人たちに、さまざまな形で「信じる勇気」を与えてくれています。
「私に自分を信じる勇気をお与えください」
天に向かって祈れば、必ず何かが降ってきます。
信じることは創造することです。
何を信じるのか? どんなヴィジョンを描いているのか?
最後の審判とは、誰かに選択されるのではなく、自分が光の世界か闇の世界のどちらを選ぶかの分かれ道なのでしょう。