2011年8月30日火曜日

おはようさん 201.8.30.

お日さまもちょっぴり寝坊助になってきた晩夏の朝。
とっても涼しい風の中に、冬の息吹を感じました。
夏の花たちも小柄になって、
実をつけるものは、せかされるように小さく実らせています。
桜公園も黄色に染まりはじめてきて、
落ち葉が秋を呼んでいました。
だから大きく深呼吸して、移ろいゆく8月の終わりに、おはようさん!


植物状態と言われる患者さんに、本当は意識があるの? って聞かれることがあります。
植物状態といっても、ふたつに分かれると思います。

ひとつは、脳幹出血や酸素欠乏で意識が戻らない患者さんたち。
脳幹出血は脳死とは逆で、脳幹が強く圧迫されたり破壊されたりして、血圧や体温、胃腸の動き、免疫力などの生命維持装置がズタズタにされます。
一酸化炭素中毒や麻酔事故などで脳全体の酸素欠乏に至った場合は、脳全体が萎縮して脳機能が大幅に低下してしまいます。

もうひとつは、脳挫傷、くも膜下出血、脳内出血などで意識不明に至った患者さんたち。
これは、頭蓋内圧が致命的に亢進して脳ヘルニアを起こし、いはゆる脳死状態に近づいている人たちです。
こちらの場合、植物状態は一過性で、数日〜1週間内に亡くなってしまいます。
この脳死に近い状態の肉体には、もう意識は宿っておらず、ちょっと上から肉体を眺めている(最初は何が起こったかわからないため)というのがスピリチュアルな定説です。
だから、この急性期〜亜急性期の脳卒中や脳損傷(事故など)の場合は、意識は肉体には宿っていないと言えます。
(詳しく言えば、まれな例外やさまざまな説もありますが、ここは概論ということで)

脳幹出血や酸欠で、とりあえず急性期〜亜急性期を乗り越えてきた患者さんたちの場合、スピリチュアルケアの目で接しない限り、遷延性意識障害のまま予後不良だし、MRIや脳波を見ると、ますます予後不良だと説明されるでしょう。
だって脳幹に大穴あいてたり、大脳がシワシワに萎縮しちゃってるから・・・
金魚すくいのポイが大きく破れてしまって、さてこれで金魚がすくえますかいな?って諦め感です。
(例えが気に障ったら、ごめんなさい)
でも待って!
金魚好きの達人なら、ポイの輪っかだけでもすくいますよね。
そう! お祭りの金魚すくいで無邪気にすくってる子供も、輪っかに引っかけてすくったりしてますよ。
ポイが破れたから、もうダメだ・・・これは目からの情報と経験値&常識の判断。
そして、ムリだ、ダメだと思いながらやっても、結果はダメ。
なんだ、やっぱりダメかぁとか、ほら見てごらん、なんて自嘲感で the END の幕引きします。
特に大人になるほど、子供がポイを振り回して、一生懸命に金魚を追い回していると、もうやめなさいってポイを取り上げてしまいますよね。
子供の感性には、ポイの中に目に見えない紙がまだ残ってるかもしれないのに。

昔、私がニューフェースでスピリチュアルなんて言葉さえこの国になかった頃、私の同級生:Rさんのご主人が車の事故で遷延性意識障害になりました。
緊急手術で一命はとりとめたものの・・・植物状態でした。
慢性期に入って、先輩医師たちが誰も見向きもしなくなった時、私が主治医になりました。
気管切開、鼻注栄養で、意識は完全昏睡。
毎日の診察は、患者さんを診るというよりは、Rさんのケアーを目的にしていました。
ニューフェイスの脳外科医ですから、教科書通りに「望みなし」で診てましたから。
Rさんは、毎日、片時も離れずに夫の世話をされていました。
だから患者さんの身体、手足の指一本一本にいたるまで、やわらかいままでした。
そして月日が流れていくほどに、Rさんが強くなっていくのを感じていました。
木の幹がどんどん太くなっていくように、とても生命力に満ちて、強く生きておられました。
それなまるで、愛する夫からの生命のプレゼントのように・・・今だからわかります。
Rさんは、植物状態の夫が涙を流したとか、ちょっとほほえんだとか・・・そばにいて夫の回復を祈り続けているからこそわかる小さな発見を語ってくれていたように覚えています。
でも、私もRさんも医師国試通りたてのバリバリの左脳人間でもありました。
私はRさんの精神状態を心配していましたが、きっとRさんは、左脳知識&医者の常識と愛&希望と祈りの谷底でもがき苦しんでいたのだと思います。
今、本当にあの時、わかってあげられなくて、ごめんなさい、と悔やまれます。

最近、お散歩写真を撮るようになって、いつもの同じ道、同じ景色の中に、日々のちっちゃな幸せ&美を見つけられるようになりました。
音楽聞きながらわんこと歩いていても、そんな幸せ&美は目に入りませんでした。
写真を撮ろうっていう想いが、顔を上げ、視野を広げ、感性を目覚めさせてくれたのですね。
それはどうでもいいような写真ばかり。
誰かに見てもらってほめてもらいたい!なんて気持ちはさらさらなくって、ただ、どこかのだれかがいつかたまたま見てくれて、ホッとしてくれたら、最高です。

植物状態といわれている患者さんたちに意識はあるの?
そう、あると思います。
スピリチュアルケアから言えば、ありますよ。
ただ、必要条件もあります。
伴侶や家族の愛と祈りがあること。
信じる気持ちが患者さんの意識と肉体を繋ぎとめているのでしょう。
そして、愛して、信じて、許して、あるがままに生かされている喜びを認めれば、周囲の雑音など瞑想中のようにどこかへ消えていって、患者さんの小さな変化に気づけるようになります。
それは小さな変化でも、意識とつながっている大きな絆です。

脳科学が発展しても、脳はまだまだ大宇宙と同じくらい神秘的です。
植物状態で意識があるなんて、宇宙人を信じるようなものだよ?
いいじゃないですか、信じましょう。
それがスピリチュアルケアなんだから。
10年後、実はあの頃、宇宙人がいっぱい降りてきていたんだよ、なんて笑い話になっているかもしれないでしょう・・・光の世界では。

小さな変化を見つける目。
それは小さな幸せ&美しい生命力を見つめる感性となって、
愛する人の肉体と意識をどんどん結びつけ再構築していきます。
話しかけて
見つめて
手をとって
寄り添って
愛する人のボディラングエッジとひとつになれますよ。