2014年8月26日火曜日
おはようさん 2014.8.26.
昨日は過去生が見える・見えない のお話をしました。
今日はその続き・・・光との対話ができる・できない にちょっと触れてみましょう。
過去生を見て、その過去生の最後、死の場面を通り過ぎると、過去生での意識体:魂は身体を離れます。
そこで「素直に」上へ上へと誘導していくと、やがて光の存在が現れます。
(「素直に」しないでウロウロしていると、暗黒面に飲み込まれたり、その過去生のパラレルワールドや輪廻に引き戻されてしまいます・・・体外離脱や臨死体験のほとんどはこのレベルです)
光の存在はさまざまな姿をして「見えてきます」
神さま、仏さま、イエスさま、観音さま、仙人、女神さま・・・亡くなった父や母の姿をしていることもあります。
その光の人に近づいていってコンタクトしてエネルギーを繋げて・・・最初のメッセージをいただきます。
実はこの段階では、私はまだ、その光の人が目の前の患者さんにとっての本物の光の人なのか? 確定はしていません。
その光の人の表情やメッセージの「言霊」、光の人のエネルギーの「愛」を吟味しています。
最初に現れた光さんで、そのまま最後まで「光との対話」を続ける人は1/3くらいでしょうか。
残りの2/3の方たちがコンタクトした「最初の光さん」は、たいがいすぐにボロを出してくれるので、すぐに「さらに上に居ます光さん」に導きます。
2度、3度と上へ上へと昇っていっては「光とのコンタクト」を続けていくうちに、目の前の患者さんにとっての「今、最高の光さん」だと確信できれば、そのまま光との対話に持ち込みます。
光との対話。
大いなる光さんに近づけば近づくほど、光のメッセージはシンプルになります。
愛しなさい・許しなさい・素直になりなさい・認めなさい・信じなさい・笑いなさい・・・ひとことで言えば、和であり輪です。
もちろん長いメッセージをしゃべり続ける方もおられます。それはそれでOKでありCOOL!です。その方にとって「今、最高に」必要なメッセージなのですから。
シンプルなメッセージだから「私は大いなる光 そのものです」なんてことは・・・ありません。
シンプルなメッセージに込められた言霊のフォース:光の彩りであり心地よさであり、そこに内在する大宇宙そのものの美しさ そんな言霊のフォースを見れば、その人がどのあたりに居るのか? すぐにわかります。
ここでちょっとお断りをしておきますが、私は魂のレベルだとか魂の優劣だとか覚醒レベルだとか・・・ともかくレベルだけが大嫌いです。この星に学ぶために生まれてきた? 魂の修行だって?
それで人生が楽になる人たちはそれでいいのです。全然OK! でもね、ふふぅんです。だって、意味なしアリスだもん(大いなる光さんは決してそんなことは言いませんからね)
(ちなみに、気功だとかレイキだとか、エネルギーや氣を扱うワークで、レベル何何・・・って言ってるものはぜ~んぶ暗黒面に酷く犯されている、と感じています。この世では暗黒面のエネルギーの方が相性が良いし、使いやすいし、相手の暗黒面を介して繋がりやすいし、癒やしやすいのです・・・癒やしているのではなく、エネルギーの奪い合いをすることで氣を循環させているだけなのですが)
話を元に戻して・・・
光との対話ができる人は、私の個人ワークでだいたい8割おられます(もちろんぶっつけ本番の1回限りです)。
その8割の中で「この方は大いなる光さんのすごく近くまで行けたね」と思える方は・・・1/50でしょうか・・・
ええっ そんなに難しいの? ってがっかりすることはありませんよ。
光さんは今、あなたに一番必要なメッセージをくれます。
あなたがちゃんと理解できて、明日から実行できることのMAXを何度も何度も話してくれます。
それでいいのです。それが必要なのです。そのためにわざわざ私のところへ導かれて来たのですから。
例えば、大いなる光さんそのものの中の、その中心とコンタクトできたとしても、そのメッセージを理解することも実行することもできないでしょう。むしろ統合失調症もどきに陥ってしまったり、自殺する可能性だってあります。こころが壊れるどころじゃなく、魂もこころも、それらを受けとめ包み込んでいる掌も壊れてしまうかもしれません。
だから、見えている光さんでOKなのです。
それでいい。それがいい。それで十分なのです。
どうせ何度も死を繰り返しているうちには、大いなる光さんと同化する時だって来るでしょうからね。
私は光さんへのガイドです。
ガイドは自分が登ったところまでしか登山者を引き上げられません。
ガイドは自分が登ってきた道を登山者さんの先頭に立って、手を引きながら登っていくのです。
それが麓の丘でも、ちょっとした山でも、足元危うい高山でも、
登山者さんが笑顔で「登れた!」ってバンザイできるところまで導くのが仕事です。
そんなこと言って、じゃぁ 先生はどこまで登ったことがあるの?
それはね・・・ひみつのアッコちゃん(*⌒▽⌒*)
(過去の天満満天堂でのグループワークの内容をチェックすれば、どこまで? の見当はつくでしょう・・・でも、理解できるかな?)
前世物語
「青い地球を見てきただろう。ユングも百年前、まだ誰も宇宙飛行をしていなかった頃に、あの青い地球を眺めたんだよ。彼はセックスではなく瞑想によってだろうけどね」
先生がウインクしたように感じました。私は先生の手をしっかりと握りしめました。
「ここはスピリチュアルな気づきのプロセスが始まる入口なんだよ。ここでは意識が肉体から離れて、意識自体が覚めている状態だからね。肉体を持ちながら、魂が目覚め始めたステージなんだよ。だからとっても気持ちいいんだ。肉体的よりも精神的にね。自分の本質が目覚め始めたことに気づけば、このエクスタシーの大切さがわかるのだけど、ほとんどの場合がセックスが最高潮の時に女性に訪れる気づきだからね。いつも気づきとのファースト・コンタクトまであと一歩なんだけど、シャワーを浴びて肉体の次元に戻るとその意味を忘れてしまって、ついエクスタシーを肉体的な快感の極地だと納得してしまうんだ。無理はないけどね、こんな魂レベルの快感を生きている間に味わうことなんて、普通の人たちにはそうないのだから。それでつい見逃してしまうんだよ。
例えば世界三大珍味のキャビア、トリュフ、フォアグラがどれも心底美味しい! と思っている人ってそうそういないだろう? 値段を見て、評判を聞いていて、トレ・ビヤン! と言っているだけの裸の王様が多いのじゃないのかな。魂レベルの快感とは、そんな珍味の本物の味を知ってしまった、味覚が目覚めてしまった人と似ているんだよ。もう後戻りは出来ないんだ。ペリゴールのトリュフを堪能してレストランを出てきた時、値段の話や珍味の自慢話をしている人たちは肉体的なセックスがお好きな方だろうね。レストランを出てからずっと黙り込んで歩きながら、ただ時々ニヤついている人こそが今日の料理の素材もシェフの心も味わい尽くした人なんだよ。彼の肉体は歩いてはいるけれど、彼の魂はまださっきの料理の中にいるんだ。そして、その魂に染みついた味わいは永久に消えないものなんだよ」
魂レベルでも、やっぱり先生はちょっと外れた物語をしています。私はおかしくなって下を向いてクスクス笑ってしまいました。確かに先生の言う通りです。子供に「これは世界の三大珍味だよ」と言ったって、「美味しくない、要らない!」と言って逃げ出しちゃうでしょうね。でも、それとセックスとどう関係があるの?
先生はすぐに答えてくれました。
「人間社会で言う大人とは物事のわかった人を指すようだね。しかし大人が哲学に長けているか、知恵を愛しているか、と言うと、これは問題だよね。そんな人はまだまだ少ないよ。足下を見てごらん」
私は真下に意識の目を向けました。青い地球が見えます。パッとライトを消したように地球が真っ暗になりました。その時です。蛍が光るように、地球のあちらこちらで明るくて優しい光がいくつもいくつも灯ともり始めました。このヴィジョンは私も以前、見たことがあります。そうです、魂の本質に目覚め始めた人たちの光、愛の光なのです。