2014年8月21日木曜日

おはようさん 2014.8.20.

火曜日の午後は、ちょっと遠いところの在宅往診にバイクで通っています。 白衣の上に長袖革ジャケットを着て、ライダー手袋をはめて、もちろんヘルメットをかぶって。 昨日はものすご~~く暑かったです。 往診先に着くたびに、まずジャケットとメットとグローブを脱いで、汗を拭いて・・・ よく往診先で「先生、そんなに着込んで、暑くないの?」って聞かれます。 もちろん 超暑い!です。 走っている間はまだ風がありますが(ただし熱風やけど)、信号待ちの時にはアスファルトからの照り返しと直射日光に挟まれて、まるで魚焼き器の中のサンマです。 汗と一緒に脂が滴り落ちてくれたらいいのですが・・・ 行き交うバイクたちは、半パン&半袖は当たり前。素手のライダーも結構います。 私も本当は、せめて半袖で乗りたい・・・でも・・・ 昔々、救急当直を週に何度もしていた頃、「夏はバイク事故!」な患者さんをたくさん診ました。 脳外科医だから、当直以外でも、夏はしばしば「バイク事故で緊急オペ!」と呼び出されました。 (まだ50cc原付バイクはノーヘルメットな時代でしたから) その時、転倒して酷く焼けただれた腕や足もいっぱい処置しました。 アスファルトで転倒して足や腕や手を直接引きずられると、ものすごい火傷と挫傷になります。 足はまだジーンズを履いてる人が多かったので、火傷もましでしたが、腕や手は悲惨でした。 そして、そんなバイク転倒による火傷は、とても痛みます。 翌日からのガーゼ交換は阿鼻叫喚 生き地獄でした。 そんな地獄図を見てきてしまったので、どうしても半袖・半パンなどでバイクに乗る気にはなれません。 私自身、バイクで転倒した経験もあります。 スーパーバイク(HONDA CBR954RR)の走行会でサーキットの第一カーブ 時速100kmでツルッと転倒したことがあります。 もちろん遠心力で、バイクと共にアスファルト面を越えて、向こうの砂利でできた緩衝地帯へとズルズル ズルズルと飛ばされました。 それでも・・・まったく無傷でした(バイクは痛かったけど) なぜなら、サーキットを走るには、きちんとした革ツナギを着用するレギュレーションがあったからです。 もちろんグローブも靴もメットも必須です。 アスファルトの上を亀がひっくり返ったような姿勢で飛ばされながら(もし転けたら「龜になれ!」って事前にレクチャーされてました)・・・全然熱くないから大丈夫やわ!なんて悠長なことを思ってました。 あの余裕な気持ちが、今、どんなに暑かろうとも、長袖&長ズボン&グローブ着用が当たり前!なマイルールになっているのです。 私は上手だから転けない! なんて思ってる若者も多いでしょう。 郊外のワインディングロードを軽快に走っている時は、確かに自分の腕次第ってところもあります。 でも、事故が多いのは町中です。 それも車がらみの事故です。 昔に比べて、下手くそな運転の車がとても増えました。 ウィンカーを出さない・急に曲がる・急に飛び出す・急に止まる・無茶に車線変更する などなど バイクにも乗っている人の車の運転は、バイクにとても優しいです。 バイクが何をしようとしているのか? 何をされると困るのか? ちゃんとわかっています。 逆に言えば、車しか乗らない人の運転は、バイクにとって 悪魔! です。 これは逆も言えますね。 そんな下手くそな車が急増している今、いかにバイクが上手でも、やはり事故に巻き込まれてしまうこともあります。 その危険性は原付でも大型バイクでも同じです。 原付50ccで30kmで転倒しても、やはり大ケガします。 特に女性は「転けたらどうすんねん?」って・・・悲しくなります。 自分の身は自分で守るしかありません。 だから、せめてジーンズの長ズボンに長袖、グローブ着用で! バイクを楽しんで欲しいものです。 前世物語 「ミューズたちの悪戯はどうだったかな?」  先生がニコニコしながら言いました。 「先生、私たち、ずっと昔から無二の親友だったんですね。今のヴィジョンは後になって常識が働いてくると、さすがに作っているような気がしましたけど、だけどそんなことはどうでもいいのです。今、私にもそれがはっきりとわかりました。この世の中は夢幻ゆめまぼろしだとも言います。過去生だって未来生だって、夢幻で構わないのです。大切なものは、ただ今、この時だけなのです。今を生きるとは『今』に全ての力と神経を集中して生きることなのです。過ぎ去ったことも、起こり行くことも、『今』に集中していれば、それらは夢幻に過ぎないのです。『今』に集中して生きていれば、過去も未来も『今』に追従してくるのです。過去も未来も『今』より遅れてやって来ます。だから『今』の生き方によって、過去も未来をも決めることが出来るのです。  先生はよく「あなたは私で、私は彼で、彼は彼女で」という言い方をされますよね。その意味が今、しっかりつかめました。誰がパトロクロスだってヘクトルだっていいのです。親友の間にも、敵味方の間にも、必ず愛があったのです。善悪の統合だけが愛ではないのです。ふたつの人生が友か敵で絡み合う時、そこには愛があるのです。それを学ぶために、私たちは幾つもの人生を絡み合わせながら生きているのです。  先生、これで私もこのお仕事をみんなに説明しやすくなりましたわ。 過去生退行で何が学べるの? と聞かれたら、これからはこう答えることが出来ます。 『生きる意味が学べます』  それは何なの? 『愛の本質に触れることです』  そして私はトロイアで先生の愛の原形を知りました。それでもう私には十分なのです」  先生の目から涙が溢れています。それはアキレウスの涙であり、パトロクロスの涙なのでしょう。 「よくそこまでわかったね、美子さん。もう教えてあげることなんか、ないんじゃないかなぁ・・・。そう、ひとつだけ、補足できたよ。  『今』に集中してくると過去も未来も『今』に追従してくる、というのは素晴らしい気づきだよ。ビジネスの世界で流行っている成功理論などは、まさしくそれを言っているのだからね。『今』が過去も未来も引っ張っているのだから、『今』に集中して願望を念じれば、過去と未来がその願望を叶える形に変化してくるんだよ。過去が変化すると言うとわかりにくい人もいるだろうけど、簡単に言えば、過去の人脈や経験が願望を成就する方向に働き始めるということだね。過去の人脈や経験が突然生き返って目の前に立ち塞がっていた壁を木端微塵にしてくれた、なんてことはビジネスで成功したことがある人なら誰しも経験があると思うよ。『今』に集中して生きていれば、過去だって生き返ってくるんだね。 もちろん未来は意のまま、に出来るはずだよ。