2014年3月29日土曜日

おはようさん 2014.3.28.

今日の外来で・・・ 抜歯から難治性下顎骨壊死に陥り、化膿が続いているおばあちゃんを近くの歯科と一緒に診ています。 いろいろな経穴に鍼をしてみましたが、少し良くなるけれど、またすぐに化膿して・・・の繰り返しです。阪大病院の歯科に紹介されましたが・・・有効な手立てはなし。 先日、尿閉を起こしたので、夢分流打鍼で膀胱を弛めていた時に・・・ 胸部の至る所に異常な邪気を見つけました。 そこを打鍼すると、猛烈&尋常でない痛みがあったので、かすかに&軽微にトントンと打鍼して、すべての邪気を払いました。 今日、再診されると・・・化膿している下顎部の腫脹は取れて、炎症色も収まっていました。 胸部を打鍼してみると、前回の激しい痛みがあったところのほとんどは邪気がなくなって、無痛になっていました。 左の下顎の化膿病巣ー両側胸部の広範囲の邪気 ・・・ 経絡経穴では弁証が難しいですが、結果オーライなわけで。 残った邪気を払いながら、これはもしかしたら癌性疼痛なんかにも、このような反応が出ているのではないかしら? と思いました。 普通に胸部を触ってもわかりませんし、患者さんも胸が痛むとは言いません。 鍼灸の精妙な体表観察の手で触らないと分からない邪気の集まりです。 身体は難病や癌に冒されても、生きようとしている限り、何らかの療養ポイントを体表のどこかに現していると思います。 それを見つけてあげる、身体のHELPサインに気づいてあげられるのは、どんな最先端&高額な医療機械よりも、やっぱり人間の手だと思います。 氣も労宮診もとても精妙な感性でわかるものです。 五感を越えたものなので、計測も「科学的実証」もまだできないものです。 当然、エビデンスなんかありません。 そんなもの、まやかし? うそ? オカルト? でしょうか・・・ 4行前の「氣」を「愛」に、「労宮診」を「幸せ」に置き換えてみると・・・ ほらね、同じものでしょう。 なのに世界中の多くの人たちが「愛」も「幸せ」も感じとれています。 氣がわからない人に愛はわからないとは言いませんが、 愛のわからない人には氣はわからないでしょう。 そして、氣のわからない人はほんもんの幸せもわからない。 現代医学、特に先端医学になればなるほど、デジタル&エビデンス化されています。 氣の入り込む余地など皆無です。 うまくいく気がする  これは危ない予感がする  なんていうちょっとした氣よりも、データ・画像・エビデンスが優先されます。 そこでは、患者さんと家族の「愛」も「幸せ」も考慮されません。 患者さんの苦痛? そんなもん モルヒネで取っておけ!な世界です(極端に言えば・・・ですが) それぞれの病気は商品化・画一化されてデータ化されてしまうと、もうそこには個性、その人となり、その人の人生も愛も幸せも消え失せてしまう・・・まるで銀河鉄道999の世界観ですね。 昔は先端医学は患者さんをモルモット扱いしていましたが、今は1データでしかありません。 モルモットはまだ生き物でしたが、今はデジタル そう0と1の羅列です。 モルモットには愛も幸せもありましたが、デジタル世界には・・・愛も幸せもデジタル信号です。 フェイク! フェイク! フェイク!! 気づいて叫ぶと、消去されます。 そんなフェイクなデジタル世界から、今、対極の氣の世界に入ることができて・・・ これからはデジタルな世界から抜け出してきた人たちを光の世界、氣の世界へと導くのが天職だと改めて思った今日でした。 自分の悪い所は全部個性になるし、人生で犯してきた間違いが魅力になるの。 (アンジェリーナ・ジョリー) の続きは、明日へ順延ということで(m_m) 前世物語  先生は今回の人生の目的をクリアーできた、未来の姿をちょっと見せてくれるように頼みました。 「八十歳くらいになって、老人ホームの仕事をしています。柔にゅうがな表情で車椅子に乗って、同じようなお年寄りたちを励ましています」 「未来のあなたに何かアドバイスをもらってください」 「信じて愛することです。自分の足で生きることです」 「未来のあなたとしっかりと握手してください。どんな感じがしますか?」 「すごく幸せな感じです」 「私に出来ますか?」 「ひとりじゃなくって、みんなと協力すれば出来ますよ」 「今の私を応援してくれますか?」  未来の彼女が笑いながら言いました。 「そうなってくれなきゃ困りますよ」  光の神様に聞きました。 「今の私の人生はここまで順調ですか?」 「順調です」 「最後に何かアドバイスをいただけますか?」 「恐がらずに、自分のしたいことをやってみなさい」  この症例はアル中の父を捨てた娘の過去生でした。  未治療のアル中の患者さんを自宅で看病しておられるご家族の苦労は、普通の生活をしている私たちの想像を絶するものだ、と先生に聞きました。本人が進んで専門病院に行ってくれればいいのですが、現実逃避と自己否定の末のアル中が多いですので、なかなか受診してくれません。先生も開業してから何回か、アル中患者さんの家族から相談を受けて専門病院への紹介状を書いたことがあるそうですが、実際に受診されたケースは少ないそうです。家族と親族が見栄と欲で織りなした霞網のエジキになってしまった患者さんが酒池に溺れ沈んでいくのを助けてあげられなかったこと、それがとても辛かったそうです。 「私はもうアル中の患者さんの診療はお断りだよ」  先生の悲しそうな声に、先生が味わってきた苦渋がしのばれました。  このアル中の父を持った娘が逃げ出したことはとても責められない、と先生は言いました。 「きれい事ではないんだよ。殺すか、殺されるか、のところまで行くことだってあるのだからね。ましてやこの症例ではまだ子供だろう。いくら自分で計画したとしても、ちょっと難しすぎたんじゃないのかなぁ。『アル中の父を持った子供』というシナリオはきっと最高難易度の人生だと思うよ。人生をやっている最中に気づきを得る余裕などないだろうね。このシナリオでは父の死に際までそばにいれて、亡くなった父に許しと感謝の涙が一粒でもこぼれれば、もう合格だよ。気づきを得るための人生というよりは、それまで気づいてきた事柄を実際に生きて試してみる応用問題のような人生なんだろうね。その気づきでどこまで耐えれるか、が試されるのだよ。途中でリタイアするのが当り前で、最後まで耐えれたら奇跡だろうね。きっと神さまが祝福の角笛をとどろき渡らせてくれるよ」  先生によれば、気づきから見た人生計画の立て方は三通りあるそうです。