2014年3月23日日曜日
おはようさん 2014.3.23.
今日は京都観世会館の三月能を観てきました。
ここの裏手の白川に覆いかぶさるよう、とっても綺麗に咲き誇る桜さんがあります。わたしの内緒の桜スポットです。
ちょっとごあいさつに寄ってみましたが、まだまだ蕾かたし。冬枝のままです。
でもね、あと2週間もすれば、満開の桜さんに大変身してくれます。
白川は、まるで時のように激しく流れていて。
桜さんは、じっと何かに耐えているかのように見えてきて。
それでも、あとちょっとで一気に花咲く時が来るのです。
この世には、なぜかしら苦労ばかりを背負っちゃう人たちっています。
真面目なんだけど、要領が悪い。考え過ぎちゃう。
努力家なんだけど、詰めが甘い。独りよがりで終わっちゃう。
春の花って、なんだかそんな感じの人とだぶっちゃいませんか?
誰だって、真面目で努力家だったら、きっと花咲く時が来ます。
桜のようにパッと咲いて、ヒラヒラと散っても、その後、緑豊かに葉を茂らせて生きていけます。
そう、今はまだ冬枝のままだけど、もうすぐ、きっともうちょっとで一気に満開になる時がやってくる。
そう信じることは、自分だけの宗教です。
教義の第一は「大丈夫」です。
私も特に特定の宗教は持っていません。
家は浄土宗だけど、もう仏教界もキリスト教界も、もちろん他の宗教も、光さんとこれだけ親密に&頻回に繋がってしまうと、どの宗教もエゴと我欲の泥団子にしか見えません。
どの宗教でも、その教祖さまたちは光さんと繋がっていたんだけどねぇ。
だから、どの教祖さまたちも言ってることは同じやねんけどなぁ。
・・・見えちゃったから、私自身は無宗教です。
ただ、信仰心がないのではなく、否、ふつうの人たち、僧侶や牧師さんたちよりもずっと信仰心は強いと思っています。
それは、自分だけの宗教だから。
光さんは言います 「まず、自分を信じなさい」と。
光さんの語る 愛する・許す・認める・信じる はひとつのものです。
光をプリズムにかけると7色に見えるのと同じです。
そして光さんは「まず自分を・・・しなさい」と諭します。
これって、宗教ですよね。
教祖さまはわたし。神さまは光さん。わたしの上には誰もいないし、わたしの下にも誰もいません。
先生も生徒もなし。信徒? いるわけないですよ。
お日さまの光は地球上のどこでも同じだけ届くでしょう。
お日さまの大きさだって、地球上のどこでも同じですよね。
エベレストに登ったとしても、お日さまの量も大きさもそんなに違わない。
だから先生も生徒も信者もないわけです。
それでも、オレの方が悟ってるなんていうのは、目くそ鼻くそを笑う だよ。
この前に書いたけど、死に際の幸せ。
既存の宗教はどれも 死の恐怖をお金に換えています。
死の恐怖を煽れば煽るほど、儲かる仕組みが出来上がってます。
葬式 法事 お墓 死んでからもお金に追いかけられる・・・これじゃおちおち死んでられねぇよ。
とても死に際に幸せだなんて、思えないかも・・・です。
信仰の自由。 よかったですねぇ、この時代に生きていて。
ひとり宗教法人なんてのはムリやけど、ひとり宗教ってアリでしょう。信仰の自由なんだから。
わたしは大いなる光さんを信仰しています。わたしは自分を信じてます。ただ、それだけです。それだけで十分に幸せです。
こんなもんでいいんじゃないかしら。
桜咲く の便りが届いたら、桜さんたちにこれでいいの?って聞いてみますね。
前世物語
私は白面なはずなのに、なんだかほろ酔いかげんのいい気持ちのまま続けました。
「ね、先生。アル中の原因って、いつもお酒に逃げてばかりいるからではないのですか? ほら、この症例でも、『今回の人生でも、逃げることばかりを考えています。なかなか実行に移せないのはわかりますが、それは総ての人に共通なことで、あなただけではないのです』と言われているでしょう。アル中の人は弱いのですよ、だからいつもお酒に逃げてばかりいるのですよ。白面になるとそんな弱虫の自分が見えてくるから、またお酒を飲んで忘れようとするのじゃないですか? 自分からも逃げているのですよ。そんな人が自分を愛していますか? アル中じゃない人だって自分を愛せなくて悩んでいるのですよ? とてもアル中の人は自分を愛しているとは思えないけどなぁ」
「昨日、ビールを飲みすぎちゃったのかしら・・・でもなぜ今ごろ? 私、どうなっちゃってるの?」
もうひとりの美子が悲鳴をあげているのを横目で見ながら、私は続けました。
「だからね、先生。アル中の人はやっぱり人から愛されるなんてことはないのよ。あれは先生のヘリクツでしょう。仮にですよ、自己否定してしまっているアル中の人が誰かに愛されていても、愛を受け入れることなど出来ないでしょう、無理ですよ。人を愛せないのだから、人からの愛を不気味な攻撃だと思うかもしれませんよ。愛に包まれているのに、その愛の中で悶え苦しみ、逆上して愛してくれる人を殺すか、自殺しちゃうか、の結末になるのがオチですよ。実際、この世の中、そんなことが起こっているじゃないですか。だから無理なんです。絶対に無理だからね。無理、無理、無理!」
「もうそれ以上、やめて私! こんな姿、先生に見られたくないの」
もうひとりの美子が泣き出しました。泥酔した私はニヤニヤ笑っています。
「だいたい先生がいけないんだわ。私、もううんざりしてるのよ、何よ、知恵だとか、美だとか、愛だとか・・・どうだっていいじゃないの。私は普通の生活を平々凡々に送ってきたし、『突然の未亡人』なんて悲劇のヒロイン役が回ってきたけど結構それも楽しんでいたのよ。だのに夫と入れ違いにやって来て、魂の学びとか、人生のからくりなんかで私を惑わしたりして・・・。絶対に前の方が楽しかったんだから。神様が言う『人生を楽しみなさい』は前の方が出来ていたんだから。先生には今日まで言わなかったけど、私ね、先生のアシスタントをするようになってから、家に帰ってもそのままベッドで朝まで熟睡しちゃうことだってあるんだから。朝、シャワーから出てきた私を見て、娘が笑って言うのよ、『お母さん、まるでクラブですべてを出し尽くしちゃってる熱血女学生のようだよ。情熱の嵐! って感じだけど、今時、そんなの流行んないよ。でもさ、お母さんね、とってもいい寝顔してるから、娘からすれば安心だけどね』 こんなこと、子供に言われたくないわ・・・。
先生、もう哲学なんてやめちゃいなさい。哲学なんて現実に生きてる人も社会も幸せにすることなんか出来やしないのよ。アル中の人だって、お酒を飲んで現実逃避している方が楽でしょう。なぜわざわざ自分に立ち向かわなければならないの? そんなの自分がますます苦しむだけじゃないの。お酒を飲んで楽しく生きて、そのうち死んでいく、これのどこがいけないのよ。答えてよ、先生!・・・黙ってないで何とかおっしゃい!
先生、ずるいわよ、夫とバトンタッチするにしても、なぜ普通の男たちみたいに言い寄ってこないの?
私のこと、好きなんでしょう、抱きたいんでしょう? だったら本気で誘ってよ、抱いてよ。なんで私との間に哲学を入れるの? 愛してるんでしょう? 私だって先生のこと、愛してるわ。だったらそれだけでいいじゃない。先生、再会してからずっと私を高い高いところから見下ろしてるよ。しっかりと私の手を握って、ゆっくり引き上げてくれてるのはわかるけど、先生、どうして降りてきてくれないの? なぜそんな高いところまで登らないといけないの? 先生のいるところは高すぎて、明るくて眩しくてよく見えないよ。先生の本当の姿もよく見えないよ・・・降りてきてよ。抱きしめてよ。神様のところになんか行かなくていいじゃないの。一緒に下界で楽しく暮らそうよ。私がね、哲学なんか忘れさせてあげるから、先生、そこから降りてきてよ。もういいじゃない?」
「先生、今のことは忘れて! これは美子じゃないわ。私もお酒は好きだけど、こんなに悪酔いしたことなんて・・・」
泥酔した私がもうひとりの美子の口を両手でふさぎました。私たちの意識が遠ざかって足もとが崩れていきます。
「でもこの手の感触は・・・たしか・・・」