2013年9月23日月曜日

おはようさん 2013.9.24.

秋分の日はマイ Birthday。 天晴れニコニコ天気なので、ものすごく久しぶりに伏見稲荷大社さんへ商売大繁盛祈願に行ってきました。 この一年を振り返って、新しい出来事は能楽の謡いを始めたことと鍼灸を始めたことです。 謡いの方は一年前に予感はあったんだけど、鍼灸は全く予想外の展開です。 毎年、この予想外の展開のひとつやふたつは起こります。 良いこともあれば、悪いこともあります(近年は悪いことの方が多いかな(^_^;) 振り返ってみれば、学生時代が終わるまでは予想外の展開はほとんどなかったけれど、社会人になってからは予想外の展開がとても多かったですね。 幸せだな、順調だな、と思うと、必ず予想外の展開が襲ってくる・・・30代にはこのことに気づいていました。 だからといって、慎重になってヒラメキの実行をやめたり、何でもネガティブ思考に陥ったりはしませんでした。これが果たして良かったかどうかは・・・怪しいけれど(;^^)ヘ.. 子供時代まで遡ってみて、どうも私は直感で動いてしまいやすいと思います。 そのくせ、石橋をたたき割るような慎重さもあるんだけど(A型なもんで) 社会人になって、この直感で動いてしまうクセはコントロールできるようになってましたが、なぜか突然? 発作的に? わけもなく? (おまけに自分ではよく覚えとらん?)直感で行動してしまうことがあります。その結果が・・・幸せ&順調人生の節目でのインターセプト&ターンオーバーです(゜´Д`゜) まぁ、そうは言うものの、今の鍼灸のお勉強に繋がっているわけですから、ここは大器晩成&結果オーライを信じるよりしかたありません。 さて、なぜ今年はお稲荷さんかというと、鍼灸をやり始めて、自分のやりたかった医療が見えてきたからです。 あまカフェ再建じゃないけど、夢を現実化するにはお金が要ります。 そこでこれからの一年、お稲荷さん:つまり神さまの大蔵省に融資をお願いしに行ったわけです。 手応えは・・・まぁ、期待しときましょい☆彡 それにしても伏見稲荷大社は中国人観光客であふれかえっていました。 もう日本じゃないみたい・・・まわりから聞こえてくるのは中国語だけ・・・うひゃぁ。 午後から廻った南禅寺は日本人観光客がいるだけで、中国語は聞こえてこず・・・だから、やっぱり中国人観光客さんのお稲荷さん人気は大フィーバー中ですね。 新しいアイポンCもなぜか黄色がバカ売れ・・・買ったのは中国人・・・とニュースがあったけど、なるほど&なるほどです。 中国人観光客さんたちもだいぶマナーが良くなりましたね。ノリノリ感はさすがやけど、日本の若者も同じようなもんですから。写真マナーも日本のおばちゃまたちと同レベルまで改善してきました(日本のハイ・アマチュア層が一番ダメかもね) 写真撮ってぇな視線がバチバチ突き刺さってたけど、ひと組撮ってあげたが最後、一気に添乗員化されちゃいそうやったから、ひたすらローライのファインダーを覗いていました。無愛想な日本人のおっさんで・・・ごめんなさいね。 伏見稲荷と言えば、赤鳥居のトンネルですよね。 鳥居のトンネルをくぐりながら稲荷山を登っていきます。 今日は午後からの予定もあったので、途中で引き返しましたが、稲荷山頂上までは一度、行ってみたいですね。 引き返す道は鳥居トンネルから外れて別の道を降りました。すると、八百万の稲荷さまが道々に祀られているではありませんか。もうびっくりです。 日本中のお稲荷さんがここに祀られている・・・日本中の在所のお稲荷さんたち。 私が特に気に入ったのは「脳天稲荷さん」 首から上の病気に御利益があるそうですが、もう「脳天」の文字にラムちゃん電撃が走りました。 いなり山 恐るべし・・・ 脳天稲荷さんの隣は「大学稲荷さん」でした。五角形の絵馬には「合格祈願」と最初から書かれていましたよ。ええんかい? ええんや、これで! な感じにぞっこんです。 日本中の神さまは神無月に出雲大社へ参集しはるけど、どうもこの稲荷系の神さまたちは出雲へ行かないのではないかしらむ・・・と感じました。 伊勢 vs 出雲 に拮抗する第三勢力 それがお稲荷さん? お稲荷さんは明らかに稲作文化の神さまです。弥生以降の神さまですね。 縄文文明の出雲を消し去った弥生時代は、まだ伊勢とお稲荷さんはひとつだったのでしょう。 お金・豊穣・蓄えが神さまの主たる働きであって、権力や支配はまだ未成熟だったと思われます。 やがて、働いて豊穣になってお金が蓄えられる村的な生活単位から、大和政権や奈良時代の働かずに権力・武力で民を支配して肥える国家システムが確立され、伊勢は権力と支配の神へ、お稲荷さんは豊穣とお金の神さまへと分けられていったのでしょう。 自分たちは神の子孫だ。だから民を治める、支配する。これが伊勢の神さま。 お稲荷さんは、豊かになりてぇぇ、金持ちになりてぇぇ、飢饉が来ても死にたくねぇぇ・・・な我欲と呼ぶよりも本能的な生き様の声の化身でしょう。 もちろん、縄文の人たちにもそのような本能的な声はありました。 縄文文明にお稲荷さんはいなかったと思うけど、人のこころはお稲荷さん的な本能の声を昔々のその昔から発しているのです。 だから、伊勢 VS 出雲 の第三勢力としてお稲荷さんはいるのだけど、伊勢と出雲のどちらにも同じ本能の声があるのだから、この伊勢と出雲を対立・完全分離させてしまわないで、何となくくっつかせているのは、お稲荷さんだと思うのです。 そんな伊勢・出雲・お稲荷さんの関係を考えながら、哲学の道を歩いてきました。 (過去生の症例は・・・HDがなぜか見あたらないので、今日はお休み(m_m)