2013年5月9日木曜日
おはようさん 2013.5.9.
もうすぐ出雲大社さんの式年遷宮です。
60年に一度の大イベントで、出雲もすっかり賑わっています。
カメラ女子たちも縁結び写真を撮りに大挙して押し寄せているとか・・・。
出雲は落ち着いた静かな感じが似合いますが、まぁ、八百万の神さまたちも今年は若い賑わいを楽しまれていることでしょう。
出雲の神社たちのご神域で、こころ静かに深呼吸すると、他では味わえない遠く懐かしい薫りがしてきます。
そう、縄文のエネルギー香です。
出雲は国譲り。東北は蝦夷。
どちらにも弥生・ヤマトに征服された縄文が静かに息づいています。
縄文・・・和・輪・笑の民が自然と共に生きていた、生かされていた時代です。
和とは愛。
愛とはあるがままに認め許すこと・素直に信じること。そして、勇気の時代でもありました。
勇気とは自由です。自由に生きるためには、責任と信念と恥を磨かなくてはなりません。
死よりも大切なものを守り抜く勇気があって初めて、自由な生き方ができます。
(今は支配と従属の時代。さまざまなもので支配しようとするし、さまざまなものに従属しようとしています。命より大切なものを後生大事に抱きしめて、もっと欲しいと奪い合いの毎日です)
輪とは感性です。
五感を研ぎ澄まして、氣や生命力の流れを直感力と共感力で感じ合います。
テレパシーだとか念力だとか外気功のような我欲な感性ではありません。
和の感性のひろがりが輪です。
人も自然のさまざまなものたちも神々も、みんな笑っている世界です。
去年のお正月に、大いなる光さんに出雲へ巡礼するように命じられ、導かれるままに出雲の神社仏閣をまわりながら「天地開闢。縄文開窮」の祝詞を奏上してきました。
今年のお正月でその任も「終わりだよ」と言っていただき、今は出雲の喧噪を外から楽しく眺めている次第です。
出雲の神社たちには、もちろん伊勢社もありますが、それ以上に大切にされているのが土着の神さまたちです。
山の神や宿神さまたちです。
縄文の神々のなごりです。
そしてもうひとつ。出雲は黄泉の国への入口です。
死が隣り合わせ・・・いつも死が身近の亜空間に顔を出しています。
出雲では死が当たり前。死は怖れ忌むものではないのです・・・これも縄文と同じです。
そんな思いで出雲の神社に立つと、今の時代に生まれてきた意味も、これからの天命・天職も、生かされている意味も何となく感じられてきます。
式年遷宮でたくさんの人たちを出雲へ誘うことの意味がよく感じ取れます。
できるだけたくさんの人たちに愛を思い出して欲しい。
和・輪・笑の世界を懐かしい古代のDNA記憶から呼び覚まして欲しい。
天と地と繋がり、こころを和・輪・笑で満たして欲しい。
出雲の神さまたちは、私たちを信じてくれています。
今、自ら自由に羽ばたいでごらん。 できるよ、大丈夫だよ。
がんばってね。待ってるよ。
出雲の神さまたちのワクワクした声が地の底や天空の彼方から聞こえて・・・きてるでしょう?
大丈夫&大丈夫。