2013年5月30日木曜日
おはようさん 2013.5.31.
やっと時間が取れた木曜日の午後。
念願だった藤本蓮風先生の漢祥院へ初めて見学に行きました。
場所は奈良 学園前。
門真から車で行くと、第二阪奈道路で生駒連山の足元をくぐっての40分あまりのドライブでした。
漢祥院は学園前駅前から静かな住宅街の方へ入ったところにあります。
少し離れたコインパーキングにワーゲン君を駐めて、歩いて数分。
HPで見ておいたので、すぐにわかりました。
第一印象は、善い気・悪い気・気のないところ・・・で決まってきます。
漢祥院は入口で靴を脱いだ時に、ホッとします。
蓮風先生の善い気が天にも地にも漂っているのが感じられました。
この日の見学は3人。若手の鍼灸師さんと北辰会の重鎮の先生とご一緒でした。
内弟子さんも3人。役割分担がしっかりできていて、とてもテキパキと動かれます。
診察受付は4時半から。
患者さんも5時前から集まってこられました。
この夕診では20人あまりだったかな。夕診だからかな? 再診の方ばかりでした。
初めてだったので、診療が始まるまで、漢祥院の中をいろいろ見て回りました。
畳3畳?ほどの個室の施術室が10ほどあり、中には清潔なベッドと施術用品を置いたテーブルがあります。
施術室は横一列に並んでいて、蓮風先生は各部屋を回りながら施術されていきます。
施術室に入るのは、蓮風先生・カルテ記述の先生・見学1名の計3人です。
施術が終わった後の休息をとるための休憩室が用意されていました。
待合と受付には蓮風先生の著書とブログのコピーが置いてありました。
うちの医院では、診察室で診療して、点滴が必要な方にはリハビリ室の点滴ゾーンに行っていただいて、そこのベッドで点滴しています。リハビリ希望の方はリハビリ室で各リハビリ器械の前を移動しながら、リハビリしていただいています。
15年前は医院でのリハビリや老人たちの看護も重視されていましたが、この15年間にこの国の医療体制は激変してしまい、今では大規模な病院や専門診療所でリハビリしない限り、保険診療はほとんどタダ同然になってしまいました。医院でのリハビリの時代は終わってしまったので、うちもこれから先のことを考えなければならない時期が近づいているように思っています。
そんな気持ちで、漢祥院の施術室を眺めていると、心電図もエコーも脈波計も移動は簡単にできるので(さすがにレントゲン器械はムリですけど)、このスタイルの診療もいいなって思いました。
患者さんひとりひとりを個室の診療室に案内して、ドクターが各部屋を回る。
問診も診察もその個室で行って、検査が必要なら器械を動かしてくる。
個室だから腹診も背候診もとてもしやすくなります。
点滴が必要なら、そのままその部屋でしてしまいます。
鍼灸もそのままその部屋で出来ますし、しばらく休憩が必要なら、そのまま休んでいただけます。
これから東洋医学&鍼灸治療を日々の診療の中にどんどん取り入れていこうとすると・・・いろいろ夢は膨らんできます。
蓮風先生はいつもの白衣姿で5時前に院長室から降りてこられました。
いつものように大変気さくに声をかけていただきました。
こちらはちょっと緊張気味・・・初めてだもんね。
5時15分きっちりに診療が始まり、そこからは分刻みで蓮風先生とスタッフの先生たちが動き回ります。とても素晴らしい連係プレーに感心してる暇もなく・・・診療が進んでいきます。
再診の患者さんには、蓮風先生が脈診・舌診して、腹診・背候診・手足の経絡と募穴を診て、今日の施術する穴と鍼を決め、あっという間に施術が終わっています。そして、何分置鍼するかを蓮風先生がスタッフに告げて、次の部屋へと移動されます。
この間、3分くらいでしょうか・・・ともかく速い。
私は呆気にとられていました・・・ともかく邪魔にならないように・・・。
各部屋の施術が終わると、抜鍼までのタイムラグが出てきます。
その間、蓮風先生は私たちにいろいろ話しかけて下さいました。
「聞きたいことがあったら、何でも聞いてよ」
まだまだ、何を聞いたらいいのかさえ、わからない初心者ですが、こういう優しく温かい言葉をかけていただくと、「よし!がんばって勉強しなくちゃ!」と思えてきますよね。
施術が始まると、蓮風先生のお顔全体が気で充ち満ちてきます。
肝気が上気してきた赤みではなく、心火上炎した紅でもなく、ただ神気が溢れ出してきている感じです。
そして、後ろ姿を見て、びっくりしました。
善き気が繭となって、蓮風先生を包み込んでいました。
まさしく蓮風先生ご自身が善き気の塊となって、患者さんの邪気を散らし、生気を補しておられたのです。
蓮風先生が鍼を取り出すと、その鍼と蓮風先生の手は同じ善き気で繋がります。
鍼を打って、蓮風先生が他の部屋へと移動しても、その鍼と蓮風先生の善き気は亜空間を通じて、ダイレクトに繋がったままです。
20分、30分・・・置鍼している間も、蓮風先生が自らが生鍼となって患者さんのすぐそばに寄り添いながら、ずっとその穴を瀉したり補したりし続けているのと同じだと感じました。
同じ穴を同じ鍼で同じ時間だけ置鍼しても、施術者の気の善さ・清さ・強さ・優しさ・・・で効果は雲泥の差となることがよくわかりました。
蓮風先生の気がなぜそんなに善・清・強・優なのでしょうか?
合間に蓮風先生がとてもニコニコしながら「こうやって鍼をやっているのが楽しくてしょうがないんですよ」とおっしゃっていました。
その言葉は、純真無垢な子供のようでした。
目の前の患者さんを癒やしてあげたい、笑顔にしてあげたい。
ただそれだけで、それが天命であるから、楽しくてしようがない。そんなふうに感じました。
それは無の境地でもあります。
無の境地だからこそ、「あなたは治りますよ」と言い切れるのですね。
70万例の経験値も、詳細な経絡の弁証論治も、治りますと言い切るための下地:自信にはなっているでしょう。
でも、それだけだと、どうしても不安が残ります。
蓮風先生は鍼を信じ切れています。鍼の神さまと同化できています。
それこそ、鍼道の究極の祖、無の境地そのものです。
それは生命の輝き、そのものでもあります。
私たちはみんな、生かされています。誰に? まぁ、神さま・大いなる光さんと言っておきましょう。
(カルマだとか因果応報だから生かされている・・・と考えたい・信じたい方はご勝手にどうぞ・・・但し、そういう方には鍼は効きませんけど)
神さま・光さんから毎日・毎瞬 生命の輝きを戴いています。だから「今」生きてる。
ただ人は悲しいかな、自分で邪気を創り育み、縛られ虐げられて病気や不自由に苦しみます。
蓮風先生の鍼は、そんな邪気を散らし、生命の輝きという善き気を身体とこころが一番欲しているところへ経絡を介して流し込んでくれるのです。
だから、さまざまな難病やマヒ・癌でも、良くなってくる・治りはしなくても楽に過ごせるようになる(時には治ってしまう)。
人間はつくづく気で生きているんだなぁと思いました。
P.S.
そしてね、蓮風先生はとっても「気遣い」してくださいました。
ほんまに善き気に満ちあふれた鍼の神さまです。