2014年7月23日水曜日

おはようさん 2014.7.22.

今日の外来は連休明けで大忙しでした。 いつもの患者さんたちに夢分流打鍼をしたり、鍼をしたり、刺絡をしたり・・・ どれも時間がかかります。 あんまり混んでくると「神さまの手」の感度をちょいと下げて、「時間短縮しちゃえよ!」という悪魔の声が聞こえてきます。 次の患者さんを呼ぶ時に、待合から「まだかよ!」って視線をドッと浴びると、悪魔の声も大音響になります。 治療に差し障りのない範囲で・・・時間短縮することは簡単にできます。 でも、できません。 中学生の頃、つまらないウソをついて、タジタジとなって以来、「ウソはつかない」がマイ憲法になっています。 これで人生、いっぱい・・・ものすご~~く損をしたけど、いいのです。 憲法というよりも、武士道かな。 白扇を手に生涯を迎えた時に、ただただ悔いのなきように・・・ せっかく授かった「神さまの手」なのだから、これに悔いを残すような使い方をしてはいけません。 だから悪魔の声が聞こえてきたら、「神さまの手」の感度を上げるくらいの気持ちで診療しています。 するとね、不思議といつもの患者さんたちの今日の調子は皆さん、とても良くて・・・つまり診療にあまり時間がかからないで済んでしまうのです。 神さまが時間短縮してくれたのですね。 流行の医院になる方法は、ステロイドばんばん! 免疫抑制剤ばんばん! モルヒネ様製剤ばんばん! そして、目一杯の恐怖&不安を煽ってあげる! ・・・ってことはよく知っています。 そやけど・・・損の道と得の道があれば、損の道を行け (ダスキン創業者 鈴木清一さんの言葉)で始めた医院やから。 鍼灸をやり始めて、流行る医院とは正反対の方向へとますます進んでいっています。 この行き着く先はどんな世界やろう? ちょいと自虐的に(;^^)ヘ..・・・そんな未来の扉が開くのを心待ちにしています。 神さまは背中を押してくれているけれど、それだけ厳しい上り坂だから・・・しんどいけれど、まだまだこれからや! 明日からもがんばっていきましょい!(*^^)v 前世物語  さて話を戻して、光の体現化と言えば何だか神の部分だけを肯定しがちになるけれど、悪魔の部分を体現化する必要があれば、いつだって誰だってそれを体現化してしまうのだよ。『確固たる自分の光』を持って、歴史に名が残るような大悪党をする人だっている、と言うわけなのだよ。  では、事の善悪が生きる意味の判断基準にならないとすれば、何をもってして光の体現化が出来ているかどうかを判断するのかと言うと、それは『光の前進性』だと私は考えているんだ。  光はすべてを知っているが、その知恵はシュミレーションみたいなものであって具現化されてはいなかったのだよ、する必要もなかったしね。光がある事象を具現化して体現化しようと思った時、この世が生まれたのだよ。だから、この世を生んだ光はすべての知恵を体現化しようとしているんだ。なぜなら体現化・未体現化が存在するということは二元性であり不安定なんだ。思考や運動エネルギーが絶えず変化している世界だからね。この世界では今のところ、二元性は必ず安定した一元性に戻ろうとするんだ。一度体現化が始まると、全てを体現化し尽くすまで一元性には戻れないからね。この全てを体現化し尽くすという意図が『光の前進性』なんだよ。ともかく前に一歩進もう、という光のクセなんだよ。光がひとりの人間を具現化した時、必ず何かを体現化しようとした意図があるはずなんだ。光はすべての知恵に満たされているから、ひとりの人間を具現化した際に起こりえる可能性はすべて知っているはずなんだ。ただし、すべてを体現化できるなどとは思っていない。それが二元性の世の中では相矛盾して無理なことだってあるからね。だから何度人間を具現化してもなかなか体現化できないようなことをようやく体現化してくれた人間のポイントは高いだろうね。もし新しい知恵でももたらすような体現化を見せてくれた時には、ボーナスポイントものだろうね。これが光の前進性なんだ。そこには善悪はないんだよ。まぁ、人間は悪の方に陥りやすいから、悪の体現化はすぐにいっぱいになってしまうだろうけどね。  私はね、人間はイソギンチャクの触手のようなものだと思っているんだ。一本一本の触手が一人一人の人間だよ。無数の触手はイソギンチャクの胴体から出ているよね。あの胴体が集合意識であり、ワンネスだとも言えるんだ。イソギンチャクの触手はきっと一喜一憂しているだろうね。オレは長いとか、オレは場所が良いとか、オレは魚に食われやすい場所だとか言ってね。でもイソギンチャク自身にとては触手のおしゃべりなどどうでもいいことであって、すべての触手の使命はエサを取ることなんだ。 プランクトンでも結構、小魚は大歓迎、ゴミは要らん・・・イソギンチャクにとっての『光の前進性』とは生きることなんだ。イソギンチャクが生きるために触手はエサを求め続けているんだね。  でも、そのように大局的に考えると、人間をやっていくのは味気ない気がしてくるかな? しかし触手一本一本が生き生きとしているイソギンチャクは元気そうだし、エサもたくさん寄ってきそうだと思わないかな? 触手、つまり人間にとっても、個人個人が人生を楽しく生き生きと生きていけば、エサ、つまり気づきのチャンスや幸運が集まりやすくなってくるんだよ。人間がイソギンチャクの触手と違うところは、気づきのチャンスをうまく捕まえて魂の学びを深めることが出来れば、その魂の輝きが大きく明るくなることなんだ。触手で言えば、太く長くなるイメージだね。そんなイソギンチャクを想像してみてごらん。ホラ、それが二元性の世界なんだよ。なんだか醜いイソギンチャクだね。とても神さまの創造物だとは言えないよ。でも、神さまはそのような美の一元性を壊してまでも、私たち人間に何かを求めているんだよ。生きることが『光の前進性』だった時代から、学ぶこと、具現化して体現化することを『光の前進性』に据え直してみて、その先に何が見えてくるのか? 神さまもきっと興味津々で見守られていることだと思うんだ」