2014年6月5日木曜日

おはようさん 2014.6.5.

今日は藤本蓮風先生に筋縮(GV8)への鍼と項(瘂門(GV15)付近)への刺絡をしていただきました。 筋縮への鍼は、1週間がんばってきた身体とこころをトロトロに弛めてくれます。 うなじへの刺絡は頭へ昇ろうとしている熱邪と、蛇のように首をゆっくりと締め付けてきている心邪を祓ってくれます。 筋縮への鍼は癌化を防いでくれています。 うなじの刺絡は脳卒中を防いでくれています。 まだまだ、生きなさい ということですね。 今日の漢祥院への道すがら・・・ 齢57年間、如何に生きようと、もがいてきたか。 最近になって、如何に死のうかと、もがき始めいることに気づきました。 生きようとがんばるのも素晴らしいけれど、生きようの先にゴールは見えません。 夢や希望や未来のビジョンを語ることはできるけれど、生きようとしている限り、その夢や希望や未来は先へ先へと広がり、逃げていってしまいます。 まるで宇宙のビッグバンのように、無限に拡大していく夢と希望と未来。 でも、どうでしょう・・・気がつけば、大宇宙になっているけれど、そのほとんどのスペースは真空の暗黒です。 大宇宙はたくさんのバブル構造になっていて、銀河の集まりはそのバブルの周辺を成しているだけで、バブルの中身にあたるスペースは星も光もない暗黒宇宙が広がっているそうです。 生きようとがんばって夢見て、やっと引き寄せ現実化した夢と未来も、生きようとしている限り、やがてはバブルの中身のように暗黒宇宙のようになってしまいます。 生きようとするのをやめてしまえば、引き寄せた夢と希望と未来の中で死ぬまで過ごすことができます・・・いつの時代もほとんどの人たち、成功者たちも勝利者たちも途中で生きようとすることをやめてしまっていますね。 それはそれで良いのだけど・・・生きようとすることをやめると、生きがいも成長を止めてしまいます。 如何に死のうか・・・それは如何に生きようかと陰陽の関係です。 自分が死するに値する死に方を探すということでしょうか。 死に場所を求めて・・・まるで「葉隠れ」の世界ですね。 盛大な葬式や立派な墓石を望むようなバカではありません。 どんな死に方でもいい、布団の上で死ねなくてもいい、 ただ死の時に「よう生きたなぁ。自分らしく生きたなぁ。この死にざま、カッコええやん。よしよし、よくやったわ」と思いたいだけなのかもしれません。 そして、如何に死のうか・・・では、もう夢も希望も未来も拡大しません。 夢も希望も未来も今に向かって収縮してきます。 だから、夢も希望も未来もより具体的に見えてきます。 意識が今の自分に戻ってきます。 外へと放たれていた氣も今の自分をシールドするように包み込んでくれます。 今の自分の姿を神の目で見えるようになってきます。 そろそろ人生の折り返し地点。 これからは、如何に死ぬかを模索しながら、生きていくことになりそうです。 そして、それは「氣」と別次元の感性で関わることができるスタートの合図のように感じられます。 「意識」というもの。「生きる」ということに関しても同じです。 何か大きな節目を越えつつあるように感じた今日という日でした。 前世物語 「小さなお棺に白い花をたくさん入れました。最後に青いボブの頬に触れました」 「その時、何か決心したことはありますか?」 「私はただ泣き崩れています。ボブに、ごめんね、って言い続けています。私は自分を呪っています。 自分自身を責め続けています。もう自分を許すことはないでしょう」  ドロドロしたエネルギーが雅子さんから流れ出てきます。先生は彼女をじっと見つめたまま、左手で私にシールドを張ってくれました。私も彼女を見つめて愛のエネルギーを送りました。先生は場面転換を指示しました。 「先程の三十三歳の場面に戻ってください。あなたに何が起こったのですか?」  彼女は物憂げに答えました。 「昼間は家事をしていますが、気持ちはいつも沈んでいます。帰ってくるはずの夫が今朝もいませんでした。私はひとりぼっちです。毎日、毎日・・・。お酒を飲んでいたかもしれません。そう、お酒ですよ」 「なぜですか?」 「何かでこの寂しさ、虚しさを紛らわせたかったのです」 「それは誰に対しての寂しさですか?」 「夫がわかってくれないのです。子供を亡くしてしまったことを今でもまだ引きずっているのです。後悔みたいなもの、そう罪悪感を感じています。こんな自分を恨んでいます」 「夫は帰ってこないことが多くなったのですか?」 「ひとりぼっちの夜ばかりです。そんな日は朝からお酒を飲んでいます。こんな生活じゃいけないとは、もう自分でもあまり感じていません。お酒が美味しくて飲んでるわけじゃないんです。お酒だけがこんな私を慰めてくれるのです」  彼女は深い溜息をつきました。 「メリーさんの人生で次に大切な場面に移ってください。あなたはいくつになって何をしていますか?」 「四十歳になっています。やはり私はお昼時に家にいますが、三十三歳の時よりも少し明るくなっています。昔、飼っていたのと同じような犬がそばにいます。夫の後ろ姿も見えます。私たち、仲直りしたのかな・・・。私はホッとしています。明るい笑顔が見えます。心に以前のような暗い感情はありません。私は立ち直ったんです。もうお酒は飲んでいないでしょう」  先生は時計を横目で見ながら、メリーの人生をさらにたぐり寄せました。 「メリーさんの人生で次に大切な場面に移ってください。何が見えますか?」 「緑の丘の上に青々とした大きな木が見えます。私はその木の下で黒いドレスの喪服を着て立ちすくんでいます。四十七歳の時です。夫のお葬式の場面です。夫は胸の病気で死にました」 「その時、何を考えていますか?」 「夫が死んだことが未だに信じられません。夫のお棺を埋めようとしています。二十人位の人たちがお棺を取り囲んでいます。私は無表情で、彼が土に帰っていくのを見ています。雨が降ってきました。私の代わりに神様が泣いてくれました」 「夫が埋葬されるのを見て、どう思っていますか?」 「ただただ途方にくれているだけです。雨の滴がゆっくりと落ちていきます」 「それからどうしていますか?」 「みんなが帰ってからも、そこにずっといました。雨は降り続いていました。私は濡れていました。涙が出ないほど悲しくて、ただ悲しくて、そのまま濡れていたかったのです」 「子供が死んだことも、夫の笑顔も優しさも、いろんなことを思い出していました。たくさんの思い出を洗い流した雨が土に染み込んでいきました。たくさんのありがとうが夫に届いたでしょうか・・・。頬を伝わる雨がほんのり暖かくなりました。私はただ濡れていました」  雅子さんが息を吐きました。先生は場面を進めました。