2014年6月22日日曜日

おはようさん 2014.6.22.

今日は京都観世会館6月月例能会を観に行きました。 敦盛・半蔀・春日龍神 敦盛はご存じ、一ノ谷の合戦で愛用の笛:青葉 を本陣に取りに戻ったが為に舟に乗り遅れて、熊谷直実に討たれた平家の若きイケメン御曹司のお話です。 能面は、このようなせつなさ・哀しみ・口惜しさ・・・怒りや憎しみといった実のネガティブさよりも虚のネガティブさを感情豊かに伝え表現してくれます。 まるで過去世退行して、一ノ谷の浜に降りたって、敦盛最後の場面を見ているかのような感慨を感じました。 目で見て、耳で聞いている次元から亜空間にスリップアウトしたかのような・・・五感を超越した「感性の世界」を楽しめるのが能の素晴らしさでしょう。 半蔀は今日の私のイチオシ! 内容は・・・<あらすじ> 都、紫野・雲林院の僧が一夏の間、仏に供えた花々の供養をしていると、どこからともなく女が現れ、夕顔の花を捧げます。名を尋ねる僧に、女はただ五条辺りの者とだけ答えて、花の蔭に姿を消します。その言葉をたよりに、五条辺りに赴く僧。夕顔の花の絡む蔀戸を押し上げて現れたのは、在りし日の夕顔の君でした。夕顔の花を介して出会った光源氏との昔を懐かしく回想しつつ舞い、夜明けとともに半蔀の中に姿を消します。 <名場面> それは光源氏が六条御息所のもとに通っていた頃のことです。六条のついでに五条に住む乳母の病気見舞いに訪れた源氏の君は、五条あたりの建て込んだ家々を珍しげに眺めていると、半蔀を上げ渡した家があります。白い花を付けた名も知らぬ蔓草の絡んだ家。その花を一本折るように命じる源氏の君。花の主こそ、この曲の主人公・夕顔の君でした。 この曲で、光源氏との出会いを回想する夕顔は、その後の儚い運命を連想させる所は一片もありません。また、源氏との出会いの象徴である半蔀屋の作り物は、この曲に深い趣を添えています。 夕顔役のシテは、もちろん男性です。能面をつけて、きらびやかな女着物を着て、所作を女形にしても・・・やっぱり・・・おっちゃんです。 でも、そんな違和感もすぐに忘れてしまいます。 耳から入ってくる地謡の声は、まるでグレゴリオ聖歌のように、意識をスピリチュアルな次元へと誘ってくれます。 目で見ているシテの姿も薄らいできて・・・後頭葉視覚野とは違った、もっと高次でスピリチュアルな・・・第三の目で見ているような光景に変わります。 そこにはすでにシテの姿はなく、夕顔 その人が見えています。 この世界では、人のこころがすぐにわかります。 夕顔の気持ちも、姿はないけど光源氏の気持ちも風のように伝わってきます。 能にはシャーマニズムが息づいている・・・と気づきました。 縄文DNAを蘇らせる何かを世阿弥は能の亜空間の部分に潜ませたのでしょうか。 能には五感を越えたスピリチュアルな直感を磨いてくれるパワーを感じます。 今の脳裏に焼き付いた「本物の夕顔君」のまなざしを感じながら・・・公家も大名も、高貴なお方たちも名だたる武将たちも能を大切にした理由がそこにあったのだ、と思います。 能こそ、日本人のためのスピリチュアル向上メソッドなのだ! 前世物語  さて強い思いの魂が別の魂と一緒に、これから生きる予定のお互いの人生について話し合っているとしましょう。お互いに魂ですから相手の思いは確実に伝わって来ます。つまり魂の世界では嘘などつけないのです。そこで魂のレベルでは考えられないことですが、仮にある魂が前世の恨みを隠し持っていたとしましょう。そして今度一緒に生きた人生で、その恨みを晴らしてやろう、と思っていたとします。魂レベルですから、そう思った瞬間に相手にもマスターにもばれてしまうのですが、ここでは仮に誰にもばれなかったとしてみましょう。相手の魂と話し合います。私はこれを学びたいけど、そのためにはあなたが妻となって重病になってもらうのが一番学びやすいからお願いします、云々と言えば、話はすんなりと決まることでしょう。マスターも頑張っていらっしゃい、と言って送り出してくれることでしょう。そして人生を始めます。予定通り出会って、予定通り夫婦になります。予定通り妻が重病になります。やっと恨みを晴らす時がやって来ました。夫は妻をほったらかしにしたり、辛く当たったりすることでしょう。時が流れて二人とも死を迎えます。妻に散々恨みを晴らした夫の魂はスッキリし面持でマスターのところへ帰ってきます。マスターが尋ねます。 『ご苦労様でした。では、今の人生で何を学んできましたか?』  夫の魂が答えます。 『恨みを晴らすことを学んできました。こんなにスッキリするとは思っていませんでした』 『それは良かった。ところで恨みを晴らしてスッキリした後、何が残ったのかな? そもそも恨みとは何だろうね?』  ここで夫の魂が恨みを晴らすことの学びをしっかりと解き明かせれば、彼の魂はもう恨みという課題を卒業出来たでしょう。もし十分な答えが出来なければ・・・ 『そうか、お前はそんなに恨みを探求したいのだね。では卒業できるまで、ずっと恨みを掘り下げていなさい。答えが出たら、また私のところまで来なさい。私はいつもお前を見守っているからね』  こうなるとある意味では、恨みの地獄に落とされたようなものですね。ただし誤解しないでよ、これまで言われてきた地獄などは存在しないからね。だいたい肉体は滅んでいるのだから、肉体的な痛みや苦しみなど何の役にも立ちやしないよ。死んで間がない時、つまりまだ肉体を持っていると錯覚してしまっている時には、疑似的な苦痛を想像してしまうこともあるだろうけど、普通はすぐに自由な魂に戻るからね。