2014年4月29日火曜日

おはようさん 2014.4.29.

今日は昭和の日でした。 昭和を24年間生きてきたけれど、気がつけば、平成を生きてる方が長くなってました。 昭和の頃の良きことがどんどん消え去り、壊されて、忘れられていきます。 愛し方も、人づきあいも、こころの持ちようも、大きく形を変えてしまったけれど、 誰かを恋しく想う気持ちは、人を温かく思う気持ちは変わっていないなって思います。 昭和って、「一生懸命」だったよなぁ。 一生懸命に働いて、 一生懸命に勉強して、 一生懸命に子育てして。 何でも一生懸命、誰もが一生懸命だったよなぁ。 平成ってどうだろう? 「うまく」とか「上手に」とか・・・かなぁ。 上手に働いて、 上手に勉強して、 上手に子育てして、 上手に老後を生きて。 何でもうまくやったもん勝ち、 誰もがうまくやろうと・・・足の引っ張りあいをしてる。 そして「競争と破壊」に疲れ切った私たち。 それでも明日も生きていかねばならない私たち。 昭和って、何処にでも、誰にでも、希望がありました。 一生懸命にがんばっていたら、きっと幸せになれるって信じる力がありました。 平成の今、希望はどこにあるのかしらむ? 誰が希望をひとりじめしてるの? 平成もそろそろ終わるかもしれないけれど、 次の時代はどうなるんやろうなぁ? 願わくば、また、誰もが一生懸命に生きている時代になって欲しいなぁ。 誰もが希望を抱いていて、国家がその希望を叶える力を持っている時代になって欲しいなぁ。 みんなと愛し合い、信じ合い、幸せを分かちあえる時代に、 勝者も悪者もいないポニョの時代になって欲しいなぁ。 昭和の日の夜の妄想でした。 前世物語 「自分の過去生の中で最もその能力や才能を持っていた時代に降りて、昔の自分からその能力や才能を直接伝授していただく、というのはいい発想だと思います。元々は同じ自分なのですから、例え一子相伝の奥義であっても教えてくれそうですからね。でもこんなこと、思いついても誰も実際にはやってみないですよ、先生以外はね」  先生はうれしそうに頷きました。でも、ちょっとシドロモドロです。何がそんなに嬉しいのでしょう・・・? 「最高の能力や才能を今の自分の中に持って帰ってきたという確信が少しでも心の中に芽生えれば、後は自己暗示を繰り返すことによって、その確信が希望と自信を呼び覚ますことが出来ると思うよ。そしてこれはとても強力なイメージ療法になるんだ。スランプが劇的に治る可能性があるよ。人生の目的に気づくことに比べたら、スランプのきっかけなんか大したものではないからね」 「でも先生、果たしてイメージ療法的な効果だけなのでしょうか? 本当に過去生から能力や才能は持ち帰れないのでしょうか?」  先生はカップをもて遊んでいます。その何気ない手つきが悪女には刺激的です。 「患者さんが最高の能力や才能を伝授していただいた過去生を信じているかぎり、彼らの持つ潜在能力は無限大に発揮されると思うんだ。過去生の力を今、実現出来ていると無条件に信じれるということは、心が大きく開かれている証拠だからね。それは大いなるものと繋がるための必要条件でもあるんだよ。大いなるものと強く繋がっていれば、この世では何でも可能だろうね。だって大いなるもの、この際、神さまと言い換えると、たいていの神さまは全能だからね。人間には遠く及ばない全ての能力があるらしいから、そんな神さまと強く繋がることが出来れば、もう恐いものなしになると思うよ。もっともその神さまの能力を制御出来る知恵が備わっているかどうかがキーポイントだけどね。昔から人間は何度も神さまを怒らせてきただろう。その度に大地震や火災で痛い目にあってきたからね。もっと知恵があれば・・・と悔いてきた歴史を見ていると、神さまに触れることと知恵を深めることが相対している間はいいけれど、完全に知恵を否定し得た心開かれし者が現れた時、神々の力は具現化され、天使は歓喜のラッパを鳴り響かせるのだろうね」 「先生、それってヨハネの黙示録じゃないの? やめてよ、冗談は・・・本当に危ない預言者みたいじゃないの」  先生はまじめな顔をしてカップを見つめています。私も何だか恐くなってカップを見つめました。先生が不意に私の組んだ膝の上にカップを置きました。見事な瞬間催眠、いえこれは魔法です。私はもう身動きできなくなりました。 「そんなに心配しなくていいよ、大丈夫だよ。ルチフェル堕天使を創ったりはしないからね。もっともこんなに可愛い小悪魔は大歓迎だけど・・・」  先生は私の横に廻りました。私は思わず腹筋に力を入れました。小悪魔は意地っ張りです。サタンさまに醜悪の美などをお見せするわけにはまいりません。でも、私のふくらはぎが笑っています。 「過去生から持ち帰れる能力や才能は、その患者さんの心の開き具合に左右されるのだよ。ワークを見ているとわかるけど、心を強く閉ざしている人は過去生から光のもとへは戻れないよね。過去生で死んで魂となった後、上を見ても真っ暗な闇だけしか見えないシチュエーションに陥ってしまうだろう。でも上手に誘導していけば、なんとか真っ暗な宇宙の中にひとつくらいは星が見えるところまで行けるんだ。あれは閉じた心に開いていた針穴から漏れ出て来た光を見ているのだよ。星に入って・・・ということは、その針穴から光のもとへと抜け出して・・・ということなんだね。どうやら心が閉じた人ほど光を見つけにくくなるし、光とコンタクトしにくくなるみたいだよ。  反対に心が開かれている人にはいきなり、大きな光、眩しい光・・・が見えるんだ。こういう人は光からのメッセージを受け取りやすいし、もちろん過去生での能力や才能を持ち帰りやすいんだ。  ここで心の開き具合と知恵の深さの関係がどうなっているのか? が問題なのだけど、ほとんどの人たちは正の相関関係にあると思うよ。心が開いている人ほど知恵も深い、ということだね。知恵を深めるには心が開かれていることが必要だからね。知恵というのは気づきの集合体みたいなものだけど、気づきは心が開いていないとつかめないものだから、知恵には心の開放が必要なんだよ。  では逆はどうだろうね。心が閉じている人は知恵を深められないのだろうか? ほとんどの人の場合、答えはイエスだね。この世の中だけではなく、いつの世の中を見てもそんな人ばかりだからね。あのギリシャでさえソクラテスを殺しただろう。無知を知ることで初めて知恵の道に立てることがわかった人は極く少数だったんだ。あの時代はこの世に比べると・・・いやいや、今を生きるためにはこれは禁句だったね。