2014年4月15日火曜日

おはようさん 2014.4.14.

今日の午後、造幣局の桜の通り抜けへ行ってきました。 毎年恒例の2度目の花見です。 131品種 350本の桜さんが今年は満開でした。 とってもきれいでしたよ。 もちろん三脚は禁止ですが、写真は自由に撮れます。 ただ、すご~~~~い人出で、きれいな桜の前は大渋滞してますから、ゆったりと 焦らず怒らず お釈迦さまになった気持ちで撮りましょうね。 造幣局に入るまでの道は屋台がいっぱい出ていますが、園内は飲食禁止です。 ペットの同伴もダメ(当たり前ですよね)、日傘もダメです(それくらい混みます)。 南門から入って、北門で終わる一方通行です。逆行は大顰蹙モンですよ。 もちろん桜の花に触れるのダメですよね(そんなん 常識やん) 園内にはガードマンがいっぱいいますので、何かトラブルがあったら聞けば親切に対処してくれますよ。 あと・・・めちゃくちゃ桜に詳しいおっさんがペラペラ説明してくれていることがあります。 そうそう 大切なこと ・・・ 桜の通り抜けは無料です。  夜は9時に閉門です。朝は平日10時から(土日は9時から) 北門を出ると、帰り道は延々と続く屋台通りです。 屋台好きな人には天国ですよ。 私はダブルヘッター 午後と夜にローライフレックスを抱えて行ってきました。 通り抜けの夜桜は始めてでしたが、とってもきれいでしたよ。 夜はボンボリが桜を怪しく照らし出してくれます。 ゴザ敷いて奇声上げてる酔客たちはいませんから、夜桜をゆっくり楽しみたい方々には極楽ですね。 夜桜は・・・80%が恋人同士って感じでした。みんな♂♀が仲良く手をつないでの夜桜見物です。 いいですねぇ 桜は縁結びの神さまなのかな?(;^^)ヘ.. 今日の昼間は快晴で、よかったぁ・・・桜はやっぱり青空がバックだと映えますよね。 私は昔は雨男だったけど、ここ10年は晴れ男に大変身! きっと写真の神さまが青空をプレゼントしてくれているのでしょうね。 というわけで、今日は桜さんたちの美エネルギーをめいっぱい吸い込んできて、ホクホクの私です。 前世物語 「例えば妊婦さんを脈診すると、プラーナという生命エネルギーのところがよく触れるんだ。そこに意識を合わせると、初々しくてきれいなエネルギーが感じられるんだよ。意識を向けた途端、パッと光のイメージが出てくるんだ。その光に意識を合わせると、きっと赤ちゃんのメッセージもわかるのだろうね。もっとも、それは私はしていないけど。  過去生の人生を終えて魂が上に昇っていくだろう。あの時、なかなか昇れない人がいるけど、あれは心の扉が固く閉じている人だよ。上を見ても真っ暗な人もいるし、遠くに光があるのが見える人もいるけど、どちらも上に昇れないのが共通しているんだ。本人は昇っていると思っているけど実は止まったまま、ということもあるんだ。昇れない人に聞いてみると、何か壁のようなものが邪魔をしているらしいんだ。脈診していても同じことがあるんだよ。真っ暗で、その向こうに光がありそうなんだが壁があってそれ以上進めないんだ。アーユルヴェーダ的には心のアーマの壁と呼べるものだね。脈診では、その壁に向かって愛のエネルギー、許しのエネルギーを当てることしか出来ないんだ。でもそうやってエネルギーを当てていると、次第に真っ暗な中に光が見えてくることもあるよ。私が天と地のエネルギーを吸い上げるポンプになるんだね。その天と地のエネルギーを自分の中で融合させて生まれた光を患者さんの心に送るんだ。固いレンガの城壁に向かって光を放水している感じかな。『水は強し』だからね。続けていればいつかは城壁が崩れ去ることだってあるよ。ただ私は今、これを外来ではしないようにしてるんだ。だって、ともかく疲れちゃうからね。ウルトラマンだって週一回戦うだけだろう。怪獣を一匹倒して、お疲れさま、って帰っていく・・・わけにはいかないからね。それにこれはね、なにも私がしなくちゃだめ、なものでもないんだ。誰にだって出来ることだからね。つまり患者さんを心から愛している人が患者さんの手を握って、患者さんの胸に手を置いて祈ってあげればいいんだよ。祈る人の心が開かれていれば、祈る人の光を介して大いなる光が患者さんの手や胸から患者さんの心の中に流れ込んでいくからね。『祈り』は愛だからね。だから自宅でも入院先でも出来ることだよ。簡単だし機械も要らない。副作用もないし、今やっている治療を止めなくてもいいからね。ある意味、私が脈診でやるより、患者さんを愛している方がやる方がずっと効果的だと思うよ。美子さんなんか不死身だよ、だっていつだって私の愛の『手当て』があるんだからね、健康に関しては安心していていいからね」 「先生、祈りは昔から行われてきたものでしょう。確かに奇跡的に祈りで治った、なんてことはあるかもしれないけど、ほとんどが祈りだけでは治らないのじゃないですか? それだと単なる現実否定論者みたいだな」 「今の治療を止めて祈りだけにしなさい、なんて危ない宗教者みたいなことを言っているのではないんだよ。祈りを否定しないで、心の扉は祈りで開きましょう、ということなんだ。心の扉を開く薬、なんて言うのが出来たらいいけど、いくら唯物論の皆さんでもこれは無理だと思うんだ。そして今、現実に心を閉ざすことが原因となっている病気が増えてきているんだ。だからこそ、とりあえず祈りで心の扉が閉じないようにしましょう、ということなんだよ。昔は祈りしかなかった。祈りしかなかったから、欲の絡んだ邪よこしまな祈りが現れた。すぐに純粋な祈りは忘れ去られていったんだよ。今は医学が発達して昔の邪な祈りは駆逐されてしまったんだけど、これはいいことなんだよ。悪い祈りが消え去った今だからこそ、愛と許しに満ちた美しい祈りが出来るんだよ。その祈り方をまとめてみるね。  祈る人の心が患者さんへの無償の愛と許しに満ちていること。つまり祈る人の心が開いていることが大切です。  祈る人は、外の大いなるもの、神さまに頼りすぎないこと。つまり意識を内なる自分の心に向けて、自分の心の中にある大いなるもの、神さまからエネルギーを引き出すつもりで瞑想します。自分がエネルギーのポンプになったつもりで意識を集中します。  患者さんの病気にエネルギーを向けるのではなく、患者さんの心に向けること。患者さんの心の扉さえ開けば、あとは患者さんの心の中の光が自己治癒力を発揮してくれるから大丈夫です。病気は他人や外の大いなるものが治すのではありません。自分の中の光のエネルギーが自己治癒力となって治っていくものなのです」