2014年4月20日日曜日

おはようさん 2014.4.20.

今日は小雨予報でしたが、思い切って万博公園のチューリップさんたちを撮りに行きました。 うつ気分の人って、こんな感じなんやなぁ・・・ 万博にはバイクで出かける私にとって(駐車場代が要らないのでネ)、雨はモチベーションが下がります。 まずはベランダ菜園に水やりして・・・マイ・ベランダのチューリップさんたちも今が盛りに咲き誇ってますから・・・今日はこれでよしとしようかなぁ・・・かなり葛藤しました。 でも、まだ雨も降ってきていなかったし、思い切って、出かけた次第です。 太陽の搭を見上げると、いつも気分は天晴れになります。 もう、雨は嫌だぁの下げ下げモードはどこかへ吹っ飛んでしまって。 万博のチューリップさんたちも満開でしたよ。 写真を撮り始めてすぐに小雨が降ってきましたが、傘をさすのも苦になりません。 チューリップさんたちの「私を撮って 撮ってぇ」の声を楽しみながら、心地よい時間を過ごせました。 学校に行きたくない子供たちにとって、チューリップさんは友だちにあたるのかな。 誰かひとりでも親友がいれば、その親友に会いに行くモチベーションに集中するだけで、行きたくない病を乗り切れるんだけどな。 仕事に行きたくない僕やお嬢ちゃんにとってもチューリップは、お客さんの笑顔やろうな。 上司や先輩に褒められようとするからしんどいわけ。 お客さんはなかなか褒めてくれはれへんけど、どっこい ちゃんと見てくれてはります。 お客さん以上に、神さまがちゃんと見てくれてはりまっさかいな。 新人はお客さんが育ててくれはる・・・やったんやけど、最近はそうもいかんのやろうな。 新型うつ病? 朝から5時まではしんどいけれど、5時以降は元気になるっていうタイプが最近、うちの心療内科にも来るけど・・・5年くらい前までのうつ気分やうつ病はSSRIがよう効きました。そやけど、最近の新型うつには効きまへんのやなぁ、これが。。。 怠け病や なんて口が裂けても言えへん風潮やけど、ここ数年、社会常識 こんなん言わへんでも常識やろうってことすら分かってない(知らないわけじゃなくって、分かろうとしていない)若者がこの新型に罹って来るのです。どないせいっちゅうんやぁ。。。 漢方診すると、このタイプの若者は腎虚が多い。肝鬱や肝火上炎はまちまちやけど、ほとんどの腎が冷えてます。 そういえば、先日のニュースで、15才男子の50%が精通してないとか。。。 15才になっても母親と一緒にお風呂に入ってる。それが当然だと息子も母親も言う。 う~ん。。。ええんかいな、これで。。。 あと10年もすると、キラキラネームの息子たちが思春期を迎えるわけやけど・・・どないなるんやろうなぁ。。。 今年の万博のチューリップさんたちはハッセルブラッド503CWに250/5.6の望遠をつけて撮りました。 ガシャン! ハッセルのシャッター音は時空間を切り取る音がします。 今のこの光景、この時間を切り取った!という醍醐味に浸ってしまいます。 今日は子供連れも多くて・・・ガシャン! うしろから「カッコええカメラやぁ」という子供の声がしました。振り返ると、目がキラキラ 羨望の眼差しってやつです。 医学生時代の友だちの中にもカメラ好きがたくさんいました。 みんな、父親譲りのカメラ好きでした。 開業医の父の手伝いで、レントゲンフィルムの現像をしたり・・・自然と写真に詳しくなったのですね。 父親譲りの趣味っていいですね。 写真でも、車でも、バイクでも、釣りでも、登山でも・・・ 趣味だけじゃなくって、生き方、仕事の仕方、遊び方、異性とのつきあい方、人の愛し方・・・ こういうのは、やっぱり父親譲りしてもらってると、人生がとても豊かになります。 もちろん大人になってからの努力でも培われて、自分で人生を豊かにすることができますが、何もない荒れ地を耕して種を蒔くよりも、よく耕された土地とよく育つ種をもらう方がより豊かになれるでしょう・・・それでも本人が努力しなければダメやけど。 私は去年末に亡くなった父親から何も・・・なかったなって。 カッコええカメラやって言った子が私の子供だったら、「ほな、撮ってみぃ」ってここぞとばかりにカメラを渡していたでしょう。 そして、このハッセル君も中古です。きっと大切にしていた人が亡くなって、次の世代に受け継がれないままに売りに出させてしまったのでしょう。 もし次の世代に写真好き、カメラ好きな人がいれば、私のところへはやって来なかったハッセル君です。 ハッセル君とふたりで ふっっ と溜息をついたけど・・・たくさんのチューリップさんたちが「撮って 撮って!」の嬌声をあげて、また花の美の世界へと連れ戻してくれました。 子供に趣味の種を蒔くのは、父親の大切な役目なのですね。 前世物語 「それからどうしていますか?」 「お祈りが終わりました。私は壷を持って階段を降りていきます。もう夕方です。誰かが私を迎えに来てくれました」 「それはどんな人ですか?」 「短い栗色の髪の男の人が笑っています。もうひとり小さな子どもがいます。三人で一緒に海に向かって歩いて行きます」  先生は歩きながら尋ねました。 「年齢はいくつですか?」 「二十八才です」 「名前は何と言いますか?」 「フレアです」 「その子はあなたの子ですか?」 「はい、女の子です」 「その子は今のあなたが知っている人ですか?」 「会社で私のアシスタントをしてくれている男の人だと思います」 「迎えに来てくれた男の人はあなたの夫ですか?」 「はい。名前はドロー・・・」 「こうやっていつも迎えに来てくれるのですか?」 「はい」 「夫の仕事は何をしていますか?」 「壷を作っています」 「その夫は、今のあなたが知っている人ですか?」 「知りません」  どうやら海に着いたようです。先生が尋ねました。  「海に着いてから、どうしていますか?」 「私は夕方の海から明日のことや先のことの暗示を受け取ります」 「それはどうやったらわかるのですか?」 「太陽が沈むと海が光で一杯になります。その時、そこからメッセージをもらうのです。これは私の仕事です。私は毎日この時間にここへ来ます」 「それはいくつの頃からやっているのですか?」 「小さい頃からです」 「それはフレアさんだけが出来ることなのですか?」 「他にも出来る女の人が数人います」 「その能力は持って生まれたものなのですか?」 「はい」 「それは血でつながっている能力なのですか?」 「私の家系では、私の前にもいたような気がします。おばあさんだったかな」 「あなたはそれをずっと仕事にしているのですか?」 「はい、どうしてもみんなに頼まれるものですから」 「個人的な予言もするのですか?」 「時々はすることがあります。身体の悪い人とかに頼まれた時です」  この能力は血で伝わるものでした。先生はきっと残念がっていることでしょう。先生はこういう能力が出てくると、持ち帰りが出来ますか? と必ず尋ねます。能力の持ち帰りが出来る時は、過去生から今の患者さんにその能力を引き継いで持ち帰ってもらいます。もちろんワークが終わった途端、過去生の能力が発揮できるわけではありませんが、ワーク後の患者さんの顔に不思議な自信が輝いているのがわかります。 「その日はちなみに何という予言を賜りましたか?」 「多分、我が国ギリシャが何年か後に、他の国に滅ばされることを私は知っているのです」 「それを誰かに言いましたか?」 「誰にも言いません」 「それはどうしてですか?」