2013年4月30日火曜日

おはようさん 2013.4.30.

連休の二日間は写真三昧でした。 いつもの独りでお散歩写真ではなく、わたなべ もも先生と むらい さち先生の写真レクチャーを受けるという、年に一度?のまっとうな写真三昧でした。 もも先生も さち先生も、ふわぁもこっな写真を撮られます。 こういう写真にみんな、こころ癒やされるのかなぁ・・・ 確かに&あまりに人のこころはギスギスし過ぎていると思います。 裏町のスナップ写真なんか、もう絶滅してしまいましたもんね(肖像権ってやつ) 私はいろいろ考えるところがあって、去年秋からフィルムだけで撮っていますが、 世の中は誰もがデジタルカメラです。 それはそれで、すごく良いことだと思います。 カメラ女子のパワーはすごい! もも先生のレクチャーは私以外はみんな女性、さち先生のレクチャーも半分以上が女性でした。 趣味の世界って、どこのどの分野でも、今は女性が断然お元気です。 カメラは機械いじりの男性趣味の牙城みたいなものでしたが、今では小さなお姫さまからおばあちゃんまでがデジカメでパチパチと写真を撮っています。 デジカメの良いところは、いくらでも何枚でも、気軽にシャッターを切れるところです。 失敗は当たり前。何十枚も撮って、その中で一枚のお気に入りが撮れれば、もう最幸です。 この失敗は当たり前・・・失敗を気にしなくなる、凹まなくなることが大切です。 うまく撮れないと考え込み、しゃがみこんでいても、お気に入りの写真は撮れません。 何十枚撮ってダメでも、更に何十枚も撮る意欲が養われます。 失敗を繰り返し繰り返した先に成功が待っていることを実体験しながら、こころに刷り込まれます。 それまで飽きっぽかった、根気がなかった、長続きしなかった性格が変わります。 ネガティブな性格、マイナス思考な自分を変えられます。 そして、何百枚も何千枚も撮っていると、いくら自分で試行錯誤しながら考えてセッティングして撮ってもダメだった写真が、フッとしたことで偶然、撮れてしまうことがあります。 それは神さまからのおくりもの、たくさん&ずっとがんばってきたご褒美みたいに思えます。 写真はいくつもの偶然が絡みあった瞬間を切り取ります。 写真を撮ったことのない人たちは「よくこんなシーンが撮れたね」・・・(心の声)「やらせちゃう? インチキちゃう? ありえへんよなぁ」の話に墜ちていきます。 写真好きな人は、神さまからのプレゼント写真に深く感謝するし、人の神プレ写真には惜しみない拍手を送ります。 神さまからのプレゼント&ご褒美だと気づいていると、とても謙虚になります。 まわりへの気配りも広く深くなります。うしろにも上にも目が開きます。 くわえたばこで歩いたりしないし、 写真を撮った後の画像チェックの時も、チラッと後ろに人が待っていないか?を確かめる優しさがあります。 それが感性の拡がりです。 美と愛への直感力も強まります。 お花たちはもちろんのこと、町中をお散歩カメラしてると、いたるところで「ちょっと!撮ってよ!」って姿なき声が聞こえてきます。 今日はこんな意図で、こんな写真を撮りたいという気持ちを天に放り上げると、神さまたちがちゃんとセッティングしてくれます。 ダメなら「今日はダメ、また明日やってみなさい」と諭してくれます。 写真を撮ることは、人生を楽しく生きていくための素晴らしいシュミレーションになります。 失敗してもいいじゃない。気にしないで、さぁ、次へトライ&トライ。 良い写真がない? お気に入りな写真がない? いいじゃない、神さまがそのうちチャンスをくれるさ。必ずチャンスが回ってくるよ。 こんな写真、あんな写真、君のは? いいじゃない、それで、君らしいよ。 何を人と比べてんの? いいじゃない、アマチュアのままで。君のは君。それでいいのだ。 下手くそ? いいじゃない、何を目指してるの? 写真が楽しくて、好きなら、それでいいじゃん。 この広い世の中、どこかに君の写真が大のお気に入りの人がきっといるよ。 写真を撮ってると、生きる図太さ・・・人生を踏みしめる足のサイズがどんどん大きくなっていきますよ。 それこそが生きる自信です。 自分を信じる力であり、人を信じる力です。 今の世の中に、これだけ写真が誰でも簡単に撮れるようになった神さまの意図は、そこにあるのだと思います。