2013年4月23日火曜日
おはようさん 2013.4.23.
先日の光の前世療法 個人ワークでのお話。
50代の調理師さんで、このまま今の仕事を続けていいのか?を悩んでいる様子でした。
見えた過去生は、今生のパラレルの人生で、とても似通っていました。
過去生での死の場面では、今生でやってきたこと、仕事のことも含めて、とても満足していました。
どんな人生行路でも、
亡くなるその日に「幸せだったな。がんばったな。よかったな」と満足して死ねたら良いですよね。
死に際の満足度は、「生きがい」のバロメータのひとつだと思います。
過去生の死の後、魂・意識体となって上にあがって、生きてきた人生を振り返ります。
光の前世療法では、そこで人生の節目を見てもらいます。
人生の中にはいくつかの節目があります。
今、見てきた過去生の中の最も大きな節目を見ることは、実は今生の「今」目の前にある節目の右の道・左の道の行く末を見ることと同じ意味があります。
過去生の節目から、さっき見てきた人生とは別の人生行路が伸びているのが見えます。
その別の人生を最後の場面まで見ていきます。
さっき見てきた人生の結末とは、まったく違った結末を迎える人生もあれば、あまり変わらない人生もあります。
さっきの人生より幸せな結末もあれば、不幸な結末もあります。
それを今生の「今」にフィードバックして、目の前の節目をどちらへ進むのか? 決心する参考にしていただければ幸いです。
この節目のワークで、光さんはいつも言います。
「どちらの道へ進んでも正解だよ」
例え、幸せ・不幸せを分ける節目であっても、「どちらへ進んでも正解」なのです。
幸せな最後を迎えれば、「幸せだった」と満足して死ねます。
不幸せな最後を迎えても、「がんばったな」と満足して死ぬことができます。
例えば、財産・物欲・権威・権力・名声などを幸せだと思い込んでいると、死に際では「幸せ」だと思っていても、はてさて、死んで魂・意識体となって上から今生を振り返ってみた時に、まだ「幸せ」だと思っているかどうか・・・ちょっとどうかな?
どんなに盛大なお葬式をあげてもらっても、上から見ると、参列者のみなさんの心の中は丸見えですからね。
遺産相続・権力継承・親の七光り・・・参列者のみなさんのエゴと我欲を見ながら「幸せだぁ」と思う魂・意識体さんはいるかしらむ?
まぁ、それを含めて「正解だよ」というのは、光さんの懐の深さ&慈愛のたまものです。
例えば、無縁仏で寂しく亡くなっても、その死を聞いて、こころから涙してくれる人がいれば、「ありがとう」とこころから祈ってくれる人がいれば、上にあがった魂・意識体は身震いして喜びます。
「魂の波動が上がった」と感じる瞬間ですね。
(魂の波動云々・・・これも我欲&エゴの幻覚なのですが。まぁ、お楽しみですから良しとしときましょう)
例えば、財産・権威・権力・名声を「我がもの」とせず、天命&天職のために使い尽くして今生を終えられれば、死に際でも、死んでからも、「幸せだった」と思えるでしょう。
光さんは、財産・物欲・権威・権力・名声などを捨てろ! とは決して言いません。
もちろん、どこどこへ寄付しろなんて言いません。
たくさん寄付すれば、極楽往生できるとか、より高い天国に行ける、なんてバカバカしいことも言いません。
「今生は誰が計画しているのですか?」と光さんに問えば、
「あなたです」「あなたと私(光さん)です」と答えが返ってきます。
財産・権威・権力・名声・血筋・家柄なども、
音楽の才能・芸術の才能・運動の才能なども、
天賦のもの、すべてが自分で選んできたのもです。
何もなければ、ないなりに、いかに生きるか? 輝いた人生にできるか?
いろいろ持っていれば、それらをいかに美しく&善く使い尽くして、輝いた人生にできるか?
どちらもキーワードは「感謝」だと思います。
天賦のものに対して、人は往々にして「自分のもの」だと錯覚してしまいます。
我欲&エゴが「感謝」を飲み込んでしまいます。
天賦のものは、神さまからの預かりもの。
だから、世のため、人のため、みんなの笑顔のために使いましょう、と「感謝」を忘れない人の人生はどんどん輝きを増していきます。
世界中でお金を刷りまくっている今。
あらゆるものを著作権で占有しまくっている今。
デジタルの美にしか感動できなくなった今。
何かをつかんでいなければ安心できない今。
誰も信用しなくてかまわない電脳世界に生きる今。
そんな今があるからこそ、
その対極に、ほんものの幸せ、ほんものの愛、ほんものの和と輪、そして、ほんものの笑顔が見え始めているように思います。
だから・・・どちらの道も、どちらの世界も正解なのです。
だから・・・今を楽しみましょう(←光さんの口癖です)