2014年12月8日月曜日

おはようさん 2014.12.8.

火事で焼け出され、理不尽な大家に寒風の下に追い出された月曜日でしたが・・・やはり訪れた患者さんたちへの今後の相談には十分に対応できませんでした。 風の噂では、今日の大家はすこぶるご機嫌だったとか・・・これが世の中のありさまです。 今朝は郵便局で医院あての郵便物を私の自宅に転送していただく手続きをしてきました。 この時間にこの街を歩くのは初めてです・・・朝の準備をする人たちを眺めながら、やっぱり潮時だなって思いました。 昨日は芦屋の街を少し歩きましたが、行き交う人たちを見ながら、やっぱりここも私がいたいところではないなって感じました。 佐藤義清もこんな想いに突き動かされて出家したのかしら・・・ 惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ 昼過ぎまで、寒い寒いずぶ濡れの医院の中で、カルテの中から漢方処方・鍼治療をした症例を抜き出す作業をしました。 これは数年後の漢方専門医資格の更新に備えるためでしたが、懐かしい卒業アルバムを見ているようで、こころがウルウルしてきました。 ツムラノエキス剤オンリーの「なんちゃって漢方」の時代から、中医学に目覚めて生薬湯液を必死に考え考え処方していた時代があって、鍼灸に出会って弁証論治をきちんとして処方してきた昨日までを眺めていました。 やっぱり漢方&鍼灸で治療するのが好きなんですね。 だからといって、漢方内科オンリーでやっていきたいわけではありません。 だって西洋薬じゃなきゃ上手くコントロールできない病気だって多いんだもの・・・ そこで気づきました! 西洋薬は痛みにしても、精神症状にしても、熱発にしても、痛くないところへ・落ち着くところへ・平熱へ「コントロールする」ことが治療です。 薬や手術などを用いて、患者さんの外から介入してコントロールが西洋の治療なのですね。 外から介入するから、患者さんは「ホモサピエンス」で、こころや免疫やスピリチュアルはないがしろにされてしまいがちです。 だからこそ、エビデンスなんてものが成り立つわけです。 東洋医学 漢方も鍼灸も、乱れたセルフコントロールが元の美しい状態へ戻ろうとするのをちょっと手助けするだけ・・・コントロールではなく、アシストが東洋医学の治療です。 だから同じ病気、同じ病状でも、患者さんひとりひとりでアシストする内容が異なってきます。 そこにはエビデンスは成り立ちません。 だって、患者さんごとにやっている治療内容はバラバラ・・・同じ病気なのにAさんは温める・Bさんは冷やす、と正反対なこともありますからね。 ここのところをクリアーできない医者は、漢方嫌い 漢方なんか効かない!派で人生を終えます。 こんなに面白くて、奥の深い医学を味わわずして・・・なんてかわいそうなお医者さんたちなんでしょうね。 西洋薬と漢方&鍼灸って、お寺と神社の関係みたいかも・・・ 江戸時代までは、お寺の中に神社があって、神社の中にお寺があって・・・が普通でした。 もっともっと昔々は、お寺も神社も区別なかったでしょう 仏教伝来・・・と言っても、庶民にはそれまでの土着の神々に西方の新しい神さまが入ってきただけ。もともと八百万も神さまがいたわけだから、ひとつやふたつ 新入り神さまが入ってきたって、どうってことなかったでしょう。 仏教伝来の前からも後からも、交易を通じて中国やインドやシベリアやオセアニアの神さまたちだって、大勢入ってきていたでしょうしね。 日本人は多分、縄文以前から、そうやってなんでも「おいで おいで なかよしさん」できる素養が育まれていたのでしょう。 だから・・・現代になっても、西洋薬だけ 漢方だけ と決めてしまうと、な~んとなく日本人DNAが摩擦して泣きべそかいているような感じがするのだと思います。 いいじゃないですか、お寺でも神社でも。西洋薬&漢方でも。 要はご利益があればよい! でしょう?(;^^)ヘ.. まずは楽になる→治る→そして元気になる そんな医療が私の目指す「なんちゃって統合医療」なのです。 P.S. じゃぁ あなたのホスピスは?って そうだなぁ  まずは楽になる→癌や難病だということを忘れちゃう→元気になる→元気で笑顔のままサヨウナラを迎える って感じかな。 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ 自分の心拍モニターの音は要らないな。 川のせせらぎの音、虫の音、住職さんと参拝客さんのおしゃべりも聞こえてきて 月明かりや木漏れ日のキラキラ、雪が降ってるのもいいね 好きな人の手をずっと握っていたいな (自分の手に点滴ルートは要らないよ) 夜 寝るときも手をつないでいたいな だから病室のベッドはセミダブルにしてね 介護しにくいのは・・・きっと笑って許してくれるよ 好きな人とお風呂に入りたいな  身体を洗ってもらって、湯船に一緒に入ってプカプカ浮いて、頭も洗ってもらうんだ、シャンプーハットでね おもらししてお湯を全部入れ替えなきゃいけなくなっても・・・きっと笑って許してくれるよ 明日も好きな人と一緒にあの石段をゆっくりゆっくりのぼっていって、弁慶の鐘をひとつ突くんだ あの弁慶の鐘を突くとね、もういちにち 生きられるような気がするんだよ そして、摩陀羅神社さんにお願いするんだ 好きな人が風邪をひかないようにって 後戸の神さまだから、今日も謡曲のひとふしを謡うよ これで絶対 好きな人は風邪をひかない! なんてね 実は、いつもの笑顔が楽しみなんだ 三台杉さんたちをハグして 今日も大地と天の精気をもらうんだ 石段に座って、好きな人が今朝もくんできてくれた浮浪の滝の水でお茶を立ててもらって うん、確かに目はよく見えるようになったよ もうすぐ死にそうだけど 朝から石段をのぼって、夕方におりていく もちろん、いつか、途中で息絶えたってかまわないよ 好きな人に看取られて 緑豊かな木々に見守られて 清々しい大気を最後に吸って、ゆっくりと吐いて、終えるんだ ほら、泣かないで まるで涅槃のお釈迦さまでしょう 見えるかい? 宙から花が降ってきたよ  清らかな音楽も聞こえてきたよ これでいいのだ なんて美しい人生だったんだろう そうか・・・だから・・・ 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ  なんだね 前世物語 第九章     自分を愛すること 「美子さん、土曜の新聞部OB会は最後までつきあっていたの?」  お気に入りのハーブティをおいしそうに飲んでいた先生が不意に言いました。 「ええ、みんな盛りあがっていたでしょう。私もお酒、嫌いじゃないし、奥山君の分までしっかりと飲んできちゃったから安心してね」  そう答えた私は、やられた、と思いました。先生はひとつエクボで笑っています。 「やった! ケーキセットいただき! よ・し・こ・さん」  私が先生のワークのお手伝いをすることになった時、ふたりで決めた約束があるのです。私は先生と呼び、彼は美子さんと呼ぶ、それ以外はご法度です。もちろんハンデはあります。先生はディナー、私はケーキセット。だって「真実の愛へ」の穴堀ゲームは先生の方が猛烈な勢いで、ずっとずっと前から掘り続けていたんですもの。昨年の同窓会で、その底なし穴に足を踏み入れてしまった私はまだまだ穴堀の新参者ですからとてもかないません。そう言えば先生に罰ディナーをご馳走になったこと、まだなかったっけ・・・。 「毎年、高校のOB会は月初めのレセプト作成日に当たってしまうからね。今年も酒池肉林の会を途中退場しちゃって、ごめんね。フォローアップ、いつもありがとう」  先生の目に二人の禁句が浮かびあがりました。 「先生、いつになったらディナーをご馳走してくれるの?」  でも私は聞くのをやめました。だって答えは決まっていますから。 「今度、生まれ変わったら・・・ね」  ワークの時間を告げるオルゴールが鳴りました。私は先生に戻った奥山君に言いました。 「今日の患者さんは二日続けて予約されてます。予約された時に、うまく催眠に入れるかどうか、とても心配されていました。そして貴重な気づきをぜひ持ち帰りたいから二日続けて受けます、と強く希望された方です」  先生は軽く頷きました。もう準備オーケーのようです。気づき。そう先生のワークの特徴を一言にまとめると「気づき」です。患者さんが頭を抱えて悩んでいる問題のヒントを、過去生と今の人生との対比、光との対話、未来と今の対比等を通じて患者さんにどんどん提供していきます。しかし絶対に先生の口から「答え」は出てきません。「私は催眠に入っていたのでしょうか?」という問いにさえ、「それもあなたが自由に判断されたらいいことなんですよ」としか言われません。中には「冷たい先生だ」とお怒りになられる患者さんもおられます。一般診察との兼ね合いからワークの後の時間がまったく取れない現状ですので、本当は先生もゆっくりとお話したいんだろうなぁ、と私も思っていました。 「美子さん、それは違うよ。私は患者さんとワークの後、出来るだけワークの内容を話さないようにしてるんだ」  私が先生のアシスタントをし始めた頃、先生がそう教えてくれました。 「なぜですか、先生。怒っている患者さんもおられますよ」 「うん、知ってるよ。確かにワークの後、ただ話を聞いてあげるだけ、が出来たら患者さんも今の体験を頭の中で整理することができて、そこで気づきも起こりやすいんだ。だからね、私がワークの後に患者さんの体験談を聞いても、ただウン、ウン、言っているだけだよ。そしたら患者さんはもっと怒るだろうね、バカにすんな! とか言って」  先生は落ち着いた声で続けました。 「美子さん、患者さんは遥々大阪まで何を求めて来られると思う?」