2014年12月22日月曜日

おはようさん 2014.12.22.

今日は冬至でしたね。 それも19年に一度の朔旦冬至(さくたんとうじ)・・・冬至の日と新月が重なりあう貴重な日で、月が復活する「新月」と太陽が復活する「冬至」とが重なりあう日なので、古来よりとてもおめでたい日だとされていたようです。 旧暦の関係で次回は38年後だとか・・・じぇじぇじぇ 生きていたら90才代やん かなりの確率で今回が最後の朔旦冬至だったわけかぁ・・・と思って今日を振り返ってみると・・・ 今日は朝から溜まりに溜まっていた資源ゴミを全部出してきて、かなり気持ちがスッキリしたし、 (朝から晩まで仕事して、休日も忙しくしてたら、なかなか出せなかったのネ) 歯医者さんが奥歯の噛み合わせをしっかりと治してくれたので、ちゃんと噛めるようになったし、 芦屋のホッとできるお店で、ホッとできる人たちとお茶したり、お話したりできたから、うん、善き日でしたよ。 昨日、京都の平安殿で買ってきた豆大福の残りを持って行って、お客さんと店長さんと仲良くいただきました。 やっぱり気のよい人たちと一緒にいただくと、とっても&とっても美味しいですね。 今までは豆大福をお土産にしても何だか無反応ばかりな辛い思い出が多かったし、それだったらひとりで美味しくいただきましょうになって、それが当たり前になって、それはそれで幸せだったんだけどね。 気の合う人たちとのあたたかさ、うれしさ、おいしさを久しぶりに思い出しました。 前回の朔旦冬至は1995年(平成7年)。その前が1984年(昭和59年)。その前は1938年だったそうです。 なるほど! H7年は私が勤務医をやめて、なんだか大きな流れに乗って開業へ進み始めた年でした。 S59年は私が結婚した年でした。 朔旦冬至は私にとっては何か大きな&大きな変化をもたらす年です。 それもこれまでの生活や仕事を一変してしまうほどの大きな変化が訪れて、まったく新しい生活&仕事が始まる年なのです。 さぁ 今年の朔旦冬至はこれからどんな大きな変化をもたらしてくれるの でしょう。 すでに兆しは見えてきてますが、一生懸命に突き進んでいけば、必ず活路が見つかり、明るい未来が開けてくることは実体験済みですから、大丈夫です。 次の朔旦冬至は2052年(平成64年)、その次は2090年(平成102年)だそうです。 う~ん 95才と133才かぁ。。。 ここはポジティブに少なくとも95才まで生きるやって思っておきましょう。 今日のお茶&豆大福をみんなでいただきながら・・・とってもホッとできました。 朔旦冬至でこれまでが終わって、新しい景色が始まりますが、新しい景色は気の合う人たちとホッとしながら語り合い、気づきあう世界だなって感じてます。 これまでは前の前の朔旦冬至からずっと歯を食いしばり、がんばって&がんばって、辛抱して耐えて我慢して・・・でした。そこを通り抜けてきたからこそ、光の世界が見えるのかもしれませんね。 そう・・・昔、山川亜希子さんに「本当はこんなにドツボで不幸なんですよ」って不幸自慢をしたこともあったっけ・・・そんな亜希子さんが最近、とても応援してくれています。 今日も「何か新しい時代の幕開けを感じます!!」とコメントしてくれました。 今日の朔旦冬至から、さぁ、何が始まるのでしょうか とても楽しみでワクワク&ドキドキしてます。 P.S.明日は遠出しますので、ブログはお休みです。 前世物語 「みんな誰でも嘘をついたこと、あるよね。嘘ついた時の心の葛藤って嫌なもんだよね、だから嘘をつかなくなるんだけど。中には嘘をついた自分をいつまでも責めている人がいるよね、責めていなくてもそんな自分を忘れているか無視しているよね、きっと。そんな嘘をついてしまった自分を許して認めてあげると、嘘をついて泣いていた自分が、嘘をつくのを踏みとどまって自信に満ちている自分と仲良く手をつないで、いつも自分の心の中で笑っていられるようになるんだ。そしたらもう嘘をつこうなんて思わなくなるよ、だって見られているんだもんね、自分に。そして他人の嘘も許せるようになるよ。だって自分のことのようにわかるから、この人は嘘をついたけど、今あの状態にいるんだなぁ、って。人を許せば許すほど自分のレベルがあがっていくんだね。まぁ、神さまへの道は遥か遠く永遠に、だけどね」  私はニコッと頷きました。 「自分を愛することを始めた人は目に見えることは勿論だけど、目に見えない世界も無限に拡がっていることに気づくんだ。しかもその無限の世界が自分をしっかりとホールドしてくれていることを感じるんだ、これが何かに守られている、何かに導かれている、と言う感覚だね。ここまで行くと、もう毎日を生きているのが楽しくて仕方なくなっちゃうんだよ。全ての中に美があるし喜びがあるんだ。そして何より・・・」 先生は話を切ってお茶を飲みました。 「大いなる存在に生かされている実感。生きがい・・・ですか?」 私は先生の左耳に聞きました。 「そう、その通り。すべてのものと心がひとつに繋がった瞬間・・・すべてのものが美の輝きに包まれているのが見える瞬間だね。芸術家はこの真実の美を体験すると作風が変わってしまうことが多いようだよ。確かに、それまでは美を追い求めていたのが、今度は真実の美をどうやって表現していくのか、で悩むわけだからね。リルケもドゥイノの悲歌でここまで登高した後、オルフォイスへのソネットではもう天使の囁きのような詩になっているものね。ゴッホは自殺しちゃうし、モーツァルトは殺されちゃう? 辻先生も西行花伝の後、元気がなくなって亡くなられてしまったなぁ・・・なんだかそこまで登高すると、とりあえずご苦労様! の時代だったのかもしれないね、この前までは。でも、だてに新世紀ではないぞ! だと思うんだ。だってこれまでピッケル、アイゼンの重装備に命がけで漸くよじ登って来た山頂に、突然、ケーブルカーがついたかの如く、急にたくさんの人たちがやって来ているものね。簡単になったのはいいことなんだよ。それだけこの時代全般との摩擦が少なくなってきたという証拠だから。もう生きている時代と真実の美の狭間で死ぬほど葛藤しなくても、受け入れてくれる仲間がいるんだから・・・。そう意味では確かに、あなたは大丈夫だよ、と言えるよね、マスターも安心して」  先生はちょっと左を向いてニコッと笑いました。私もちょっと身を乗り出して尋ねました。 「それで先生は、その真実の美とやらをもう体験したのですか?」  先生はゆっくりとメガネを外して目を閉じました。 「たぶんね・・・。だからこのワークを通じて、取りあえず山頂行きケーブルカーの麓駅である光のところまで皆さんを導いているんだよ。これはとてもアグレッシブな誘導だから意見が分かれるところだけど、まぁ今のところ、神さまの罰が当たっていないから、きっとこれでオーケー、マスターの予定通り、なんだろうね」  その時、私の唇が先生の頬に触れました。 「ほらね、神さまの認め印、もらっちゃったよ」  私は先生の頬の上で聞きました。 「光が麓駅ですって? 山頂ではないのですか?」 「ほら、さっきの光と闇の統合の話を思い出してごらん。光と闇が統合されたら何になるのかな?」 「愛、ですよね」 「ね、もうそれだけで光は麓駅、だろう」 「じゃぁ、愛が山頂ですか?」  先生がニコッとする度、私の唇が頬に触れます。