2014年12月21日日曜日

おはようさん 2014.12.21.

今日は今年最後の京都観世会でした。 12月は年間チケットを使い切ろうという人たちで超満員! それを見越して、いつもより30分早い電車に乗って京都へ向かいました。 三条駅からテクテク歩いて・・・数台の高校陸上部バスとすれ違いましたよ。 今日は 高校駅伝だったのですね。 みんな がんばれ! 冷たい雨があがっての上天気だったから、よかったですね。 途中、いつもの満足稲荷さんにお参りして・・・「みんなが満足しますように」 観世会館にはなんと一番乗り! なんだか縁起がいいよね(*^^)v そしていつもの面々が来られて、待合も賑やかに・・・こういうのもええ感じです。 私は電車の中からずっと読んでいた本をこの待ち時間に一気読み! 今日は、彦根市立病院緩和ケア科部長の黒丸尊治先生 「緩和医療と心の治癒力」という本です。 昨日、ナンバの本屋さんでフッと目にとまった本です。 表紙に・・・医療者目線から見えないが、患者目線からは見えてくる安心と希望に満ちた緩和ケア 「患者さんの思いを大切にする」という視点を重視して、患者を身体的・精神的・社会的に支える、総合的な緩和医療。代替医療などを通じて希望と喜びをもたらし、心の治癒力を引き出す緩和医療の提唱と、その取り組みを紹介する。 本屋さんでパラパラと中身をのぞいたら、スピリチュアルケアについての話が面白かったので、読んでみようと思ったのです。 読んでみて・・・こりゃぁ一度は彦根まで見学に行かなきゃ!の高評価です。 なんだか日本中でエビデンス化されちゃたホスピスや緩和ケアに、私と同じような「なんかちゃうで」な違和感を持ちながら、自分の施設でその違和感が何たるかを掘り起こし、これだ!という緩和ケアを実践されている感じがしました。 ちなみに・・・日本にはホスピスや死生観に関する学会&研究会がいっぱいあるけど、どれも「なんかちゃうで」な違和感から、参加はせずにいました。 きっとこの黒丸先生はその世界では有名だとは思いますが、こういう先生がいることを知っただけで、今日の早起きの甲斐はありました。 今日の観世会の演目は、小鍛冶・葛城・一角仙人でした。 小鍛冶と一角仙人は年の瀬だからかな? とても華やかでスピーディ、ちょっとコミカルも入って面白かったです。 葛城は、しっとりとした大和舞を見せてくれました。 今日の3曲は謡本も買わず、パンフレットに書かれたあらすじだけで見ましたが、その方が舞台に集中できて楽しめたような気もします。 能の楽しみ方は人それぞれ・・・謡本をじっと見ながら謡いを聞いている人もいれば、舞を集中して見ている人もいますよね。舞台として楽しんでいる人もいるし、もちろん安らかに夢幻郷パラダイスを楽しんでいる人もいます。 どんな楽しみ方でもOK 楽しみ方に優劣も良し悪しもない 自由に楽しんでちょうだい!が能の良さであり、懐の深い高貴なゆとりだな、と思いました。 それにしても・・・能のお囃子はなぜにあれほど見事に夢幻郷へと誘ってくれるのでしょう・・・あの ふっっと意識がなくなっていく感覚がたまりませんわ。 死ぬ時もあんなふうにふっっと肉体から魂が離れるんだよね。 一生に一度だけ味わえる聖なる至福感のPVみたいなもんやね(;^^)ヘ.. 前世物語 「チーターが獲物を獲ってVサインをするとか、クジラが仲間の仕返しに船を沈めるとか、植物が突然一斉に毒を持つとか、人間以外の存在に二元性が拡がらないうちに私たちが何とか二元性を越えるステップに到達しなければならないのですね。私が今、ここにいるのもそんな必要性にかられたような気がします。そして先生のワークも、そんな新しいステップを模索していくためのひとつの道なのでしょうね。先生、いつも言ってますものね、何かに支えられている、守られている、って。だから多くの道を求める方々がたくさん来られるのですね、遥々大阪まで」 私は掌で先生の首筋を優しくマッサージしました。 「今日のワークでも新しい時代の進むべき道が垣間見られたような気がします。自分を愛すること、自己を認めること。自分の良いところも悪いところも、ただ認めて許してあげることから始まるということ。そうやって自分を愛することが出来た時、初めて人を愛することが出来るのですね。自己の善も悪も全てを許して抱きしめることが愛の始まりだとすれば、それは二元性の諸々、善悪、正邪、陰陽、男女等々を全て自己の中へ包み込んで許すこと、それらの存在を許すことが愛だ、と言うことになります。でも、それは神の愛ではないのでしょうか? そんなレベルへ人間は到達出来るのでしょうか?」  私はひとりで続けました。 「ワークでは再三、そのようなメッセージが聞かれます。愛とは、許しとは、と尋ねると必ずと言っていいほど、このメッセージが帰ってきます。メッセージを聞いた方々は、ワークが終わった時には確かに納得しておられるかもしれません。でも、一歩外へ出ると凄まじい現実が襲ってきます。光やマスターは言います、大丈夫、あなたなら出来る、あなたにはその力がある、と。でも暴れ狂う二元性を果たして乗りこなせることが出来るのかどうか、とても不安になります。未知の世界への不安だ、と言ってしまえば、そうですが・・・どうしたらこの一歩を踏み出すことが出来るのでしょうか?」  私は手を止めて呟いていました。不意に先生が答えました。 「だから、人生を楽しみなさい、だよ」  私は先生の肩に手を置いたまま尋ねました。 「どういうことかしら? 悪いことをしていても自分が楽しければいいということ?」 「それはまるで今の日本だなぁ・・・悲しいことだけど。そうじゃなくって、悪いと思われていること、例えば人を騙すことは悪いことだよね。でも大人になってしまうと騙しているという感覚さえなくなってしまって、人から巻き上げたお金で楽しく生きている人も結構いるよね。本人は全然悪いなどと思っていない。極く狭い意味では見事な一元性への回帰だよね。でも、その人が初めて他人を騙した時へ遡ってみると、心のどこかに何らかの葛藤があったはずなんだ。例え親が騙すのは善だ、と物心ついた頃から教え込んでいても、どこかで微かに葛藤が揺らめいていたはずなんだ。だって二元性の世界に生まれたのだから、ね。そんな人は自己の中で、騙すのはいけないことだよ、と囁いているもう一人の自分を押し殺し続けてきているんだね。もう絶対に自己などに見向きもしない。目に見えることでしか楽しめない人になっちゃうんだね、そんな人は」  先生は悲しそうに息を吐きました。