2014年11月8日土曜日

おはようさん 2014.11.7.

今日の午前診で・・・ 心療内科初診の患者さんが奥さんの肩につかまりながら、今にも転倒しそうな歩き方で入って来られました。 聞けば、某病院で頚椎症の手術を受けてから、こうなってしまったとのことで。 オペ前は両足のしびれ怠さはきつかったけど、ちゃんとひとりで歩けていたのに・・・唇を噛みしめながら話してくれました。 某病院は、オペのせいではない! あなたの症状は心療内科だ!と・・・相変わらず酷い某病院です(>_<) 腱反射は手足共に異常亢進・・・こりゃぁ酷いわぁ。 漢方問診では脾虚と腎陽虚+++ エゴグラムでは、ジッと我慢の常識人タイプ。 舌診でも脾虚と腎虚が目立ち、腹診では冷えのぼせ・気の上気++ 山本巌先生の本から・・・二木散料:木通・当帰・芍薬・檳榔・沢瀉各3;青皮・陳皮各2;木香・甘草・桂枝各1を処方して、左腎兪(BL23)に鍼をしました。 次に診た初診の肩こり・右腕の怠さ・痺れの患者さんも、 腱反射の異常亢進が! こ ちらはも頚椎症はありそうですが、一番は両肩井(GB21)を中心とした酷い悪血が後頸部から後頭部にまで拡がっていました。 そりゃぁ 腕も痺れ痛いはずです。 腹診で左>右の天枢(ST25)の悪血も気になるところで。 こちらも冷えのぼせ++ 処方は附子がちょいと入った葛根湯エキス剤と桂枝茯苓丸(←これも山本巌先生の本から) もちろん両肩井に刺絡&両天枢にも補法を兼ねた刺絡をしました。 さて、この二例・・・あとでゆっくりと考えると、とてもシンクロしています。 主訴も病因も症状も、西洋医学的にはかけ離れているんだけど、東洋医学的には同じなのです。 キーワードは腱反射の異常亢進。 肩こり&腕の痺れ痛みの方に施術した肩井刺絡を、頚椎症オペ失敗患者さんにも使えるんじゃないのかな? 頚椎症のオペ(後方アプローチ)のアシスタントをしたことがあるので、どんなオペなのかはよくわかっていますが、術中、後頸部の筋肉には酷い負担がかかっています。 当然、酷い悪血になるでしょう。 昔、ボツになってしまった私の博士論文の動物実験で、神経伝導電位(一種のエネルギー体)は脊髄だけではなく、その周囲の筋肉を介しても伝導していることがわかっています。 つまり・・・頚椎症のオペの際、脊髄&神経を保護するのはもちろんだけど、周囲の筋肉層のダメージも最小限にする配慮をしないと、患者さんは後遺症に苦しむことになりますよ、ということです。 これをひと言で言えば、悪血が溜まるから! 不幸にしてボロボロにされてしまった先の患者さんも、もしかしたら肩井の悪血を抜いていけば、ダメージを受けた頸随にも氣血が再び巡り始めて、症状の改善をみるかもしれません。 なるほどなぁ・・・だから神さまはこの二例を続けて診せたのかぁ・・・ ということは、まだまだ私の外来診療にも伸びしろがあるってことだよね。 深く神恩感謝した今日の外来でした。 前世物語  この症例は、失恋した相手との過去生を見たものです。光の白い人はどの質問にもただ笑っているだけで、はっきりと答えてはくれませんでした。あなたはもう答えを知っていますよ、という場合には光や神様は答えてくれない、と前に述べましたが、この症例のように、まだ恋人への想いや様々な感情が熱を帯びていて、過去生を見ることが火に油を注ぐことになりかねない場合にも、やはり答えてはくれないのです。  まずはゆっくりと失恋した自分自身を見つめてみましょう。相手に対する想い、感情を、もう一度独りだけで噛みしめてみるのです。そこに愛の味はしますか? どんな愛の味でしょうか? 失恋した後に残っている愛の味は、あなたが味わうべき愛の味だったと思いますか? これはとても辛いことです。とても時間がかかることです。でも、そうやってあなたは愛を学んでいくのです。  この症例では、失恋は時間が忘れさせてくれる、と言っています。時間は肉体と一緒に人間に与えられた神々からの恵みなのです。肉体と時間が魂を人間の姿に変えているのです。人間から肉体と時間が去り、魂に戻ることを死と言うのだよ、と先生は言っています。時間は肉体と心の傷を癒してくれます。失恋の心の傷は時間がゆっくりと癒してくれるのです。そしてその癒しの間に、心の中で失恋が凝縮して愛のエッセンスとなり、魂の中に新しい知恵として沈んでいきます。こうして魂の輝きが増すのです。  この症例で得られた愛は、『愛とは信じること』でした。人を信じれることから愛が始まります。信じることは愛の入口なのです。愛のゲートを入ってしまえば、そこには広大無限な愛の世界が拡がっています。どの愛に向かって進んでも構いません。ただこの愛の世界を進むには、『愛とは信じること』というパスポートをいつも携帯しておかなくてはならないのです。信じることが出来ない人への愛は、今の私には想像が出来ません。それは愛とは呼べないものだ、と私は思います。この症例をレポートに加えるように言った先生も、きっと同じ考えだと思います。  そしてもうひとつ、どんなに大きな失恋をしても、『もう一度人を愛することが出来る』ということをこの症例は伝えてくれました。失恋して心が深く傷つくと、いくら時間がその傷を癒してくれたとしても、心が臆病になって愛することを拒否してしまう人がいます。新しい恋のチャンスがやって来ても、目を閉じて後ろを向いてうずくまってしまうのです。これでは本人が思っている通り、二度と恋など出来やしません。こうやって想いは実現してしまうのです、特に悪い想いはすぐに実現します。目を閉じて後ろ向きにうずくまるだけでいいのですから。二度と恋が出来ないのは誰のせいでもありません。そのように魂が人生計画したわけでもないのです。ただ、一回の失敗に懲こりて人生を生きることから逃げているだけなのです。