2014年11月3日月曜日

おはようさん 2014.11.3.

今日は文化の日。 日本には「文化」のタネがいっぱいあるから、うれしいですね。 美術、音楽、古典芸能。 ・・・道とつくものも「文化」です。 読書・・・マンガも世界的カルチャーですよね。 お料理も「文化」に入れちゃいましょう。 「文化」はその道のプロにならないかぎり、お金儲けはできません。 「文化」の悦びを知らない人たちからは、なんでそんなこと やってるの? お金使って、バカみたい・・・なんて言われちゃいます。 でも、この「文化」がないと、人生が便秘しちゃいます。 毎日が硬い硬いウンコのようになってしまって、糞詰まりしちゃいます。 「文化」を楽しんでいる人は、日々のお仕事や家事がとっても忙しい人ばかりです。 暇人だから「文化」してる・・・は便秘人生の人たちのひがみです。 老後にゆったりと「文化」を楽しんでいる人たちは、人生の最盛期に何とか時間のやりくりをして、自分の「文化」を見つけ育んだ人たちなのです。 便秘人生の人たちのその後はどうなったの? ・・・・さすがにかわいそうで書けません・・・・ ひとつの「文化」をずっと続けて、その道を極めていくのも良き人生です。 何年か毎に別の「文化」を渡り歩いていくのも、良き人生です。 あきっぽい? 長続きしないから恥ずかしい? いえいえ、大丈夫ですよ。 人生の節目ごとに出会う「文化」には意味があります。 神さまが与えてくれた人生の節目をジャンプアップするチャンスなのです。 不思議なご縁で「文化」に出会ったら、まず飛び込んでみましょう。 そこには何か得るものがあります。 例え半年しか続かなくても、あの「文化」とは相性が悪かった、という経験値が得られます。 「あの文化を楽しんでいる人たちってすごいなぁ」とリスペクトできたら・・・ 神さまが、その相性が悪かった「文化」を楽しんでいる異性をあなたの聖なる伴侶として用意してくれているかもしれませんよ。 文化はお金も時間も努力も根性も、頭も身体も使います。 な~んもええことないやん? なんて言ってると、便秘人生になっちゃいますよ。 そして、神さまからのご縁が遠のいてしまうと・・・真の孤独に堕ちてしまいます。 (すべての肉親、すべての友だち、すべての知り合いを失ったとしても、神さまを信じるこころ、神さまを感じる感性があれば、孤独に堕ちません) 今日は文化の日。 さぁ、神さまはきっと目の前のどこかに、あなたにピッタリの「文化」を用意してくれてますよ。 それを見つけたら、猪突猛進で飛び込んでみましょうね。 P.S. まさか君があれの達人だなんて・・・おみそれいたしましたぁm(__)m (アカン ますますほれちゃったよ) 前世物語 「それにしてもこの症例では、答えは知ってるくせに、が多かったですね。お前が思っている通りなのに、わざわざ何でそんなことを聞くんだ、という答えが続きました」 「前にも言ったけど、光や神さまの所で質問していくと、最後には『あなたは答えを知っています』 『答えはあなたの中にあります』と言われるだろう、それと同じだよ。本当は全ての答えは自分の中に持っているんだ。私たちはそれを一つずつ思い出しているだけなんだ。それにしても手厳しかったね、『これでもか、これでもか、って誰かのハンコが欲しいのか』って言われちゃったからね。  生きているといろいろな悩みにぶつかるけれど、いつまでも後悔しているんじゃなくって、反省したら笑顔に戻らなきゃいけないんだよ。後悔、悲しみ、憎悪、嫉妬・・・そんなものからは何も生まれやしないからね。それを反省だと思っている人もいるけど、それは反省ではなくって単なる逃避なんだ。いつまでも落ち込んでいる人は、まず反省に至ったかどうか、自分の心を客観的に見た方がいいんだよ。ただし・・・反省を忘れてしまった人に向かって自分を客観的に見たら道が開けるよ、なんて言っても、更に恨みを買うだけかもしれないから注意しなくちゃね。反省とは、罪を悪にくんで人を悪まず、だよ。起 きてしまった出来事の原因や意味を考えること、信仰のある人なら神さまの啓示としてとらえることだと思うよ。人間的な感情を排して出来事を見つめていけば、そこには風や土の自然な感情が伝わってくるんだ。ある出来事が起こった時、自分の心はどのように動き反応したのか、どのような感情がどこにあったのだろうか、その結果どのような判断を下したのだろうか、そういった一連の流れが見えてくると反省に命が宿るんだ。生きている反省とは、出来事の客観的な分析とその解法、その啓示的な意味の理解と啓示への感謝が二本足となって自立しているんだ。生きている反省はもうおいそれとは倒れはしないんだよ。  そして反省が出来たら、後は済んだことは手放して前を向いて笑えばいいんだ。簡単だね。前を向けない人は笑うことから始めてもいいんだよ。無理して笑っていても、そのうち本物の笑いになるから大丈夫なんだ。もし、どうしても笑えないと思っている人は、その出来事の反省がちゃんと出来ているかどうか、もう一度考え直してみて欲しいんだよ。この肉体を持った世界をみんなの心がニコニコしている世界にしたいからね。『大切な喜びとか楽しいことよりも違うことを選んで、死んでから又やっちゃった、って指をくわえてるんだ。いいじゃないか、お前が思っている通りなんだから。それで十分じゃないか』ということは、こういうことだと私は解釈しているんだ」  先生のこういうメッセージは誰に宛てたものなのでしょうか? 確かに最近、このような深い課題につながるワークが増えてきました。患者さん自身が、自ら口にしているメッセージの意味を理解できないこともよくあります。だからこそ、先生の意識がそちらへ向いていてもおかしくはありません。私はちょっとジェラシーを込めて意地悪な質問をしました。