2014年11月25日火曜日

おはようさん 2014.11.25.

今日は最後の在宅往診でした。 どの患者さんもびっくり仰天で・・・何より来週からお薬はどうしたらいいの? できるだけのことはしてきましたが、良心的な往診ドクターが見つかりますように、と祈るしかありません。(さまざまな規則や規制で、こちらからはほとんど動けないのです) 午前診と夕診の時間に来られた患者さんたち ひとりひとりに「もう処方ができないこと」を説明しても、なかなか納得していただけずで・・・今日はとっても疲れました。 そんな大変な一日も終わろうとしていた頃・・・!!! やってきましたよ、「神の誘い」が(;^^)ヘ.. 思えば20年前・・・何もなかった病院にひとりで脳外科を立ち上げて、地域一番にまで押し上げましたが、春夏秋冬、やがて院長や事務長との軋轢が増してしまって、とうとうクビに・・・失意の中、左遷病院で凹んでいたら、この「神の誘い」がやってきたのです。 それは「先生がいなくなって、たくさんの患者さんたちが困っているから、うちの薬局のとなりで開業してくれませんか?」という誘いでした。 この時は、夢も希望もなかった・・・ただ、これからどうやって家族の生活を支えていこうかしら・・・だけでした。 もちろん脳外科医だったから一生、勤務医で過ごすつもりでした。 だから開業資金なんてないし、ノウハウも全くなしでした。 それでもこの「神の誘い」に乗ると決めてから、あれよあれよと資金面や許認可などの難題もクリアーできてしまって、「気がつけば開業していた」のでした。 そして今日も同じ「神の誘い」がやってきました。 うちに家族で通院されていた地主患者さんがやってきて「今、近所にアパートを建てているので、そのテナントにぜひ入ってください」という美味しいお話です。 ねっ そっくりでしょう! あまりにお誘いが似ているので、その同じ手にびっくり仰天して言葉も出なかったくらいです。 もし夢と希望がないまま火事にあっていたら、この「神の誘い」に乗っていたでしょう。 「ほら! また神さまに助けられた!」ってネ。 この誘いに大喜びなのはスタッフたちです。 そう、20年前は家族のため、今回はスタッフのため・・・そんなのお断りです! 20年前は神の姿にしか見えませんでした。 今は神の姿をした闇の誘いだということが見えています。 それは、やりたいこと、こころが笑顔でがんばれる夢と希望を持っているから見えているのです。 20年前の神の誘いは悪魔の誘いではありません。 ただ、光さんからちょっと距離があったから、その分、陰=闇も含んでいただけです。 だって、20年前の誘いに乗ったからこそ、光の前世療法と出会い、たくさんの仲間たちができたのですから。 そして20年後の今、光さんに近づけているので、陰=闇も少なくなっています。 光さんはどうしても私にお寺 de ホスピスをさせたがっているように思います。 これは天命 そして大いなる光の流れがしっかりと背中を押してくれています。 だから、この道を進みます。 20年前と同じ誘いに乗っても、それなりの人生を歩めるでしょう。 楽ちんかな? 幸せかも? でも覇気はないやろうなぁ。 光の前世療法で、ひとつの人生を終えて、天上からその人生を振り返りながら、その人生の大節目から伸びる別の人生を見た時に・・・あぁぁ・・・とため息を漏らす人が多いのですが、光のガイドである私は、そんなため息をつきたくはないのです。 人生の大節目では、運命に押し流されるままに・自分を抑えて我慢して生きるよりも、チャレンジする・自分の本当の気持ちを大切にして生きる方が、死を迎えた日に、より笑顔で満足して死ねるようです。 だから・・・今回は「神の誘い」には乗らず、「光の視線」を見失わないように一歩一歩進んでいきたいと思っています。 さぁ、どうなるかな? 自分でもワクワク&ドキドキです。 前世物語  私は腕組みをしながら続けました。先生はいつものようにニコニコ顔で聞いてくれています。 「自分の心の鏡に相手の姿がちゃんと映し出されているかどうか、でしょう? 鏡が曇っていると相手の姿がよく見えなくって、怖い魔物か怪物のように思っちゃうんです。だから防御反応をしてしまいます。これが心がネガティブに反応してしまうレンジなのです。  人間だから、肉体を持っているから防御反応は仕方ないのですよ。石につまずいて倒れかかったら手を出しちゃうのと同じなんです。心だって一緒。危ない時にはサッと守りに入っちゃうんです。だから心の防御反応を切るのは無理なんです。  では、どうしたらいいのか? 心の鏡を磨けばいいのでしょう。磨いて磨いて磨き上げるのですよ。曇りがなくなれば相手の本当の姿が見えてきます。相手の心の曇りまで見えてくるのですね。相手の心の曇りを磨いてあげたくなりますよね、そんな気持ちが愛なのでしょうか。もういくら恨まれても何をされても、それは相手の鏡の汚れでしかないのですから、自分がどんなに汚れようともゴシゴシ磨き上げちゃいますよね。雑巾と一緒かな、汚れる程うれしくなっちゃう・・・そんな心の底から湧いてくる喜びに満たされながら右の頬を向けるんですよ。それに・・・」  私の心の中にどんどんと言葉が湧き出してきました。 「相手がそこまで見えるようになった人は、もう心が防御反応を起こすことなんてないでしょう。つまり、どんな人でも受け入れられるようになるのです。『逃げないこと』の卒業ですね。この中には『許し』も『愛』もちゃんと含まれていますよね・・・でもね、そんなレベルってイエス様とかお釈迦様の世界じゃないのかな? とてもじゃないけど私には『逃げないこと』を卒業なんか出来ないわ。うん、何だか落ち込んできちゃうな・・・」  そう言いながら、私は先生にバトンタッチしました。 「何も最高峰を極めなくてもいいんじゃないのかな。心の鏡が曇っていることに気づいて、それを磨くことを学んだら、ほとんどの人はそれでオーケーだと思うよ。磨きのプロのようにならなくてもいいんだよ。ただ、どこを磨くか、どんなふうに磨くか、ということを覚えればきっと合格なんだ。磨きのア マチュアでいいんだよ。だから、この症例では父を見つめている今の自分の心の曇りに気づいて、それを磨くことを学べばいいんだね。心を磨いて、『憎しみを持たないこと』が大切なんだ。そしてそれは、『時間はかかるけど、いつかはきっと、大丈夫』なんだよ」  このように私たちは、人から責められる、憎まれる人生でのスピリチュアルな学びとして、逃げないで自分の心の曇りを磨きなさい、というメッセージに辿り着きました。