2014年11月19日水曜日

おはようさん 2014.11.18.

出雲 鰐淵寺ネタの続報から・・・ まず鰐淵寺から半径5Km内に病院はおろか医院さえひとつもないことがわかりました。 そこで気づきました。 大阪とちゃうんやぁ!(←当たり前のことやん) で、島根の医療状況をググってみると・・・むちゃくちゃ過疎やん! 医者 足らへんやん! これはもしかして・・・(このあたりから何だか神さまに導かれるままにググっていくと)病院だけでなく、医院の建築費もすごく補助してくれるやん!\(^o^)/ もちろん条件は付くけど、医院だけでなく、医者と看護師の住居まで補助してくれる厚遇だぁ。さすが大黒様の国 太っ腹やなぁ。 で・・・なになに? あかひげドクター登録? これに登録しておくと、島根の医療情報を届けてくれるって・・・ええじゃん! ということで、島根のあかひげドクターに登録しました。 でも、きっと県の担当者さん、???やろうなぁ(;^^)ヘ.. だって、(開業)希望地域に「鰐淵寺内に、よろず診療所&ホスピスを作ります」って書いたったもん。 えぇぇ  鰐淵寺の住職さんと雑談しただけやろう? そんなんでええの? まぁ ええのです。住職さん、以前に話した「ここでホスピスやりたい!」を覚えてくれていたし、きっと県から「こんなこと、言ってきている大阪のドクターがいますけど、ご存じですか?」と尋ねられたら、「はい」と言いながら「あの大阪の脳外科のドクター、本気になったんやなぁ まぁ なるようになるわ」と思ってくれるでしょう。そんな住職さんですから。 もちろん、現実的にはとても超えられそうにない難関がいっぱい待ち受けています。 でもね・・・ 念ずれば花開くって、ただ念じているだけではダメなんですよ。 念じて、動くべきときがきたら、まず一歩踏み出す! 念じてるからこそ、動くべき時には後先も損得も考えずに一歩踏み出せるのです。 火傷しそうなくらい熱いものに触れたとき、「アチッ」と言う前に手を引っ込めてるよね。 あれは脊椎の神経反射だけで手を引っ込めてるんだよ。 大脳は関与せず・・・大脳にお伺いを立ててたら、手は丸焼けになっちゃうもの。 念じるのも同じ。 大脳は関与せず・・・つまり、後先も損得も考えることなしに、念の反射だけで動いちゃう。 そう、恋と同じやね。 好きで好きでどうしようもなく好きになっちゃった時と同じ・・・後先も損得も恥も外聞もなく、何かに取り憑かれたように動いちゃう。 天職を念じる。 使命を念じる。 生きがいを念じる。 そんな念は、自分の人生に恋してるのかな。 生きていることに恋してるのかな。 念ずれば花開く・・・生きることに恋していれば、かならず人生は花開くってことですね。 さぁ、これからどんな展開になるんやろう o(^-^)oワクワク 前世物語 「愛し合って結ばれた夫婦が、長い年月の後にいつしか愛が消え失せてしまっていることに気づいた時・・・残っているのは義務と演技だけだった、なんていうドラマもあったね。テレビドラマになるくらいだから意外と多いのかもしれないね。妻が義務と演技だけの家庭では、子供たちも見せかけだけの演技しかしないからね、無視と憎悪と軽べつの目に夫はますます悪い父親の道へと追い込まれてしまうんだ。家庭という喜劇の中で父親役の役者がどんな演技をしても良しとはするけれど、あの役者は大嫌いだ、と言っては影で罵るようなものかな。父親とは・・・そう、ウルトラマンに出てくる怪獣は最後に大爆発しちゃうだろう、ああいうふうに悪役としては必要だけど、別に大爆発して無くなっても構わない存在、とどこかの悪魔辞典には書いてあるかもしれないね。  そんな父親が舞台裏で独り寂しくしゃがみ込んでいる姿を見て、役者ではない父をひとりの人間として見て、その存在を認めてあげて欲しいんだよ。孤独なのは自分だけではないのだからね。誰だって心のどこかでは孤独で寂しいんだよ。この人間の心の孤独感と寂しさは、隠し立ての出来ない魂の世界には無いものだからね。だからある意味では、心が通じ合わない人間を私たちがわざわざやっている理由のひとつに孤独と寂しさを味わうため、があるかもしれないね。そして、すべての人々に共通したこの孤独と寂しさを通じて、私たちは自分を許し、人を許すことを学ぶことが出来るのかもしれないんだ。  この現世ではいろいろな差別があるだろう。貧富の差、身分の差、生まれた国の差、男女の差・・・在る時代の在る国の在る家庭に何番目に男女どちらで生まれたのか・・・こういった要素は、その人の人生の目的をとても細かくプライベートに決めてしまうんだ。各論的で個人的な課題を、だね。例えばこの症例では、父を許す、ということだったよね。もちろんこういった各論的な課題をひとつひとつ具現化してクリアーしていくことだって、とても大切な人間の存在意義だと思うよ。そして、各論的になればなるほど、特定の人との人間関係がはっきりと浮き彫りになってくるんだよ。みんなが大好きなソウルメイトのシルエットがどんどん見えてくるわけだね。個人的な人間関係から学ぶことは両手ですくい取った真砂まさごの数ほどあるからね、あわてずコツコツと課題に取り組んでいけばいいんだよ。  では、この現世の人々の間で差がないこととは一体なんだろうか? そう考えてみると、それは肉体の死と肉体があるが故の孤独だと言えないだろうか。これは人間の存在意義の総論的テーマになるよね。死も孤独も根本的にはどちらも誰もが避けがたいものなのだからね。これらは総ての人間に共通しているテーマなんだよ。