2014年11月18日火曜日

おはようさん 2014.11.17.

日曜日は古代出雲歴史博物館で開催されている「修験の聖地 出雲国浮浪山 鰐淵寺」展を見てきました。 夏に鰐淵寺を訪れた際、住職さんから招待券をいただいていたし、私が骨を埋めるならここがいい!と宣言している「聖地」ですので、そこのお宝の数々をぜひ拝見したいと思っていたからワクワクしながら向かいました。 まず、鰐淵寺の歴史をググってみると・・・(ご興味のない方はスルーしてネ) 伝承では推古天皇2年(594年)、信濃の智春上人が当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、同天皇の勅願寺として建立されたという。寺号の鰐淵寺は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。 鰐淵寺の所在する島根県や隣の鳥取県は修験道・蔵王信仰の盛んな土地であり、当寺も浮浪の滝を中心とした修験行場として発展したものと思われる。 後白河法皇の『梁塵秘抄』に収録された今様に「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われており、平安時代末期頃には修験行場としても発展し日本全国に知られるようになったものと思われる。 平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、特に横川(よかわ)の無動寺と関係が深かった。伝承では円仁(慈覚大師)が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。寺に残る経筒には仁平元年から3年(1151 - 1153年)にかけて書写した法華経を「鰐淵山金剛蔵王窟」に安置したとの銘があり、この頃には法華経信仰も行われていたことがわかる。 鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。 弁慶は仁平元年(1151年)松江に生まれ、18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。その後、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後再び鰐淵寺に身を寄せ、この際多くの伝説・遺品を残した。特に、弁慶が大山寺から一夜で釣鐘を運んだとの伝説は広く世に知られ、その際に持ち帰ったとされる寿永2年の銘のある銅鐘は国の重要文化財に指定されている。 戦国時代には出雲においても尼子氏と毛利氏の間に激しい戦いが繰り広げられたが、毛利氏による出雲侵攻時には鰐淵寺の栄芸が一貫して毛利氏を支持し、毛利氏の勝利後鰐淵寺は毛利氏の保護を受けることとなった。今に残る根本堂は、この毛利氏時代に建立されたものである。 16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、また祭神が須佐之男命から大国主命に変更されたことから、神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなりその勢力は衰えを見せた。 このお寺とのご縁は、数年前の「出雲神仏霊場めぐり」でした。 お寺の入口にとても気さくな住職さんがおられて、帰りしなに「まぁお茶でもどうぞ」と誘われるままに長話したのがきっかけです。 巷のお坊さんたちのようにMONEYに走ってない・・・ほんまに純なスピリチュアルな精神をお持ちの住職さんでした。私の知っている中では、56piaのごろーさんに似ています。 このお寺は日本人よりも外人さん、それも精神世界を旅してきたような人たちにとても人気があるそうです。 ここに永住したい!という外人さんも多いとか。 なるほど・・・この寺社の結界内の素晴らしい氣エネルギーは万国共通 わかる人にはわかる善であり光であり命の氣ですからね。 このお寺は出雲大社さんと深い関係もあります。位置的には出雲大社さんの鬼門にあたります。そして何より、ここには摩陀羅神社があって、以後、私が「出雲巡礼の旅」写真を撮る続けていくきっかけとなった「超怪しい」お寺なのです。 (摩陀羅神=後戸の神・・・能楽の翁や縄文の神々へと続く) さて、この日は鰐淵寺の紅葉祭・・・ここは出雲では名だたる紅葉のメッカなのです。 普段は閑散とした静かなお寺が、この時ばかりはものすごい人出で警察さんが交通規制をしています。 鰐淵寺の紅葉は私も初めてでしたので、もうo(^-^)oワクワク (三脚の持ち込みとペット同伴は禁止です・・・こころない素人カメラマンたちが場所取りでケンカしたり、ノーリードのペットが走り回ったりしたので・・・とのことでした) 住職さん曰く 今年はこの10年で最高の紅葉です! 秋から来年のお彼岸まで咲き続ける桜さんも今年はきれいですよ! 錦の紅葉を眺めながら開山堂&摩陀羅神社まで登って、三代杉と呼ばれる三本の巨木さんたちのもご挨拶をして、善き氣をいっぱいいただいていてきました。 入口まで降りてくると、住職さんとちょうど一緒になって・・・やはりこの住職さんとは強きご縁があります。 お忙しい中をしばし・・・長話をしていただきました。 うちの両親が亡くなったことも、住職さんのお父さんが脳梗塞で倒れられたことも、 前に伺った折にお話した「ここにホスピスを作りたいねぇ」なお話も・・・ 鰐淵寺展で見た不動明王さんが右目を見開き、左目を閉じているのはなぜ? なお話も・・・ 住職さん曰く 学芸員さんたちもよくわからないことなんです。わからないということは自分なりに勝手に解釈して良いということなんです。これが一番、仏さまのお気持ちに近いんじゃないかな・・・ そんなこんななお話をしばらくしていて・・・ やっぱりここにホスピスを作って、ここに導かれた人たちに、最後に善き人生を創り出していただきたい。もう迷いはないよ。この地で後半生を輝かせたい! と思いました。 (実はどうしても迷いがあったのです・・・やはりいろいろなことを考えますからねぇ) 古い建物があった場所がきれいな更地になっていて、大きな銀杏の木から舞い落ちた落ち葉が黄金色に染めあげていました。まるで神さまがここだよ!って指し示してくれているように。 念ずれば花開く そうかぁ、今日、ここに導いてくれたのは、迷いなく念じるためだったんだぁ。 そんなとっても清々しい気持ちで鰐淵寺を後にしました。 これから天地自然&宇宙がどのように動いてくれるのか? とっても楽しみです。 前世物語  この症例は、父を許せない典型的なケースです。父が母を苦しめていた、父が母を殺したんだ、という具体的な思いがあることを、この患者さん自身もよく知っていました。ですから、「父を許す」というキーワードにまでは辿り着いていたのですが、今回の過去生ワークによって本当の「許し」の意味に気づいたのです。そしてそれはとても大切な「父からの学び」だったのです。 「許すことです。私が許すと思ってることとは違います。全てを受け入れることではなく、父の存在を認めることです。私があるがままに認めると言っているのは間違いで、私が見えていないお父さんを許さないとダメだ、と言っています。お父さんをいつも許すことです。人を許すことです。自分を許すことです」  『許し』は愛に最も近い重要なテーマです。この症例では、人を許すためにはまず自分を許しなさい、自分を許すためにはもっと自分の気持ちを解放しなさい、と言っています。自分を許せない時、私たちは人のせいにしてしまいます。自分に目を向けたくないので、他人を攻撃して自分の注意をそらしているのです。自分の心を騙だましているのです。自分の心の窓を墨で塗りつぶしているのです。  赤の他人を攻撃するのはリスクが大きいですから、私たちは身内にスケープゴートを求めてしまいます。先生によると、父親とは本当は寡黙で孤独で優しいものだそうです。ですから生贄にはもってこいなのだそうです。父を許す=自分を許す=自分を解放する、という『許し』の学びには、父親はなくてはならない存在なのかもしれません。 「自分を許さないとお父さんを許せないよ、それが見えてないのだよ」という言葉は、父を持つ全ての人たちに向けられたとても大切なメッセージだと思います。  『許し』とは何でしょうか? 「全てを受け入れることではなく、父の存在を認めること」とはどういうことなのでしょうか? 反対に、全てを受け入れてあるがままに認めはするが、その人の存在は否定しているというのはどんな状態なのでしょうか? この問いに先生は深く溜め息をつきながら答えてくれました。