2014年11月5日水曜日

おはようさん 2014.11.4.

みんぱく(国立民族博物館)には、私の好きな神さま系のお宝の他に、衣類や調理道具、日常品、おもちゃなど、ありとあらゆるものが展示されています。 神さま系のお宝に(感性で)触れていると、彼らの神さまと通じることができます。 同じように、衣類や装飾品に触れていると、女性たちのさまざまな想いも、裁縫しながらの噂話までもが伝わってきます。 調理道具からは、狩りを成功させた男達 たちの誇りも、女たちの安心も、子供たちの待ち遠しさも聞こえてきます。 子供を背負うカゴからは子守唄が、 墓標からは弔いの涙が、 家から立ち上る煙の匂いも、屋根を揺らす風の音も聞こえてきます。 人類の起源はアフリカで、そこから何万回も生まれ変わってきて、今生があります。 だからアーユルヴェーダで言えば、血の精妙な波動の中にすべての、そう何万回もの人生たちの記憶が刻まれているのです。 みんぱくでこの世のありとあらゆる人たちの生活にシンクロすると、血の中のかすかな記憶が目覚め、何とも言えない懐かしさが蘇ってきます。 みんぱくに惹かれ、何度行ってもその都度、新しい発見と気づきがあるのは、血が活性化されてくるからでしょう。 そんなことして何になるの? 何万回もの人生たちの血の記憶が蘇ってくると、血が元気になってきます。 何万回もの人生たちがどんな病気をしたか? どんな死に方をしたか? 血はそれを記憶しています。 わずかずつですが、血の免疫力がアップしてきます。 ガンしかり、未知なる感染症しかり・・・ そんなバカな? いえいえ、免疫力ってすご~い!なんですよ。 そして今の医学でもまだまだわからないことがいっぱいあります。 特に・・・最近、医学界でも話題になることの多い「祈り」の医学には深く関係しているでしょう。 みんぱくに行ったら、しんどくなる人もいるでしょうが、それは悪いものを被ったのではなく、何万回もの生まれ変わりの中での、とてもしんどく辛い病気や死に方をしたのを血が思い出して、それを免疫系に伝えたから・・・かもしれません。 そう、予防接種した日は何となく怠くなるでしょう。あの感じです。 つまり、みんぱくでしんどくなったのは、とっても免疫系にとってご利益のあること!なのですね。 みんぱくに行かれたら、きっとどこかのゾーン、何かの前で足が止まるでしょう。 その時、静かに瞑想するように、イメージが湧き出てくるのを待ってみましょう。 動悸がしたり、どこかが痛くなったり辛くなったり、急に哀しくなったり、イライラ腹立たしくなったりするかもしれません。 その時は、ゆっくりと息を吐いて、そのイメージを捨てて目を開きましょう。 大丈夫。 すでにその人生での血を介して、免疫系は賦活されていますからね。 みんぱく 最幸でしょう!(*⌒▽⌒*) P.S. 僕の血も、じっくり味わってみないかい? 前世物語 「反省のもととなった出来事には相手がいますよね。反省が成就するまで、その相手は恨み憎まれ続けていくことになりますが、その相手はどのように恨んでいる人に接していけばいいのでしょうか?」 「それもこの症例に出ていたね、忍耐だよ。光さんは何と言っていたかな?」  私はレポートをめくりながら答えました。 「ただ耐えることではなく、人との関係の中で愛しても裏切られてしまうようなことを度も味わってきた、とお前は思っていても、それでも、またあきらめずに、同じ様に人を愛する道を歩んでいくということを屈しながらも続けていくことで、お前の中の殻が割れるのだ。それが何かはお楽しみだ。お前の殻から何が出てくるかはな・・・」 「この意味はわかるだろう。忍耐を続けていけば、いつか自分の殻が割れて、中から何かが飛びだすんだよ。何が飛び出すと思う?」 「ずっと人を愛し続けて来たのだから、神様の愛かしら、ね」 「神さまの愛ってどんな愛?」 「幾多の裏切りを乗り越えて、挫折の度に愛を捨てるかどうかの決断に迷いながら、猶なおも人を愛し続けたのですから、きっとすべての人々も出来事も笑顔で受け入れて許し、その存在を認めて褒めてあげれるような愛でしょうか・・・でも、それってまるでお釈迦様の愛ですよ。と言うことは、私たちはお釈迦様の境地に至るまで忍耐しなければならないのですか? そんなこと、私には無理ですわ。私はそんな忍耐の道からは早々と降りてしまいますよ。考えただけでも辛すぎるもの・・・」  先生はニッコリしながら答えてくれました。 「ほら、美子さん、さっき言っていた罠に、もうはまっているよ。この症例の人生の目的は何だった?」 「一本取られちゃったわ。Joy,enjoy でしたね。でも、よっぽど自分を客観的に見れないと、忍耐を楽しむことなんて出来ないと思うけど・・・これがいけないのね。やってみないとわからない、でしょう?」 「そうだね。以前にも言ったけど、ランナーズハイが忍耐を救ってくれるんだよ。辛い忍耐が続く中にも、心休まる光がわずかでも射し込んでいるものだからね。辛いから目を閉じて忍耐していたのでは、いつまでたっても光は見えないよ。光が見えないから更に辛い忍耐を背負ってしまう罠にはまりやすいけれど、あきらめでもいいから一度荷物を下ろして座り込んでみるんだよ。それまで頑張ってきた自分を否定するようで怖いけど、一度へたり込んでみるんだよ。それは決して自己否定にはならないよ。それまで忍耐して頑張ってきた自分を手放す勇気が目を開いてくれるんだ。頑張ってきた自分を天に向かって手放すイメージかな。天に帰っていく頑張ってきた自分に手を振りながら、ありがとうって言う勇気が必要なんだ。勇気と感謝は自己肯定の中からしか生まれないからね。目を開いてこれから続く忍耐の道を眺めてみると、意外と大したことはないように思えるかもしれないね。だって、それまでは目を閉じたまま歩いていただろう。小石やぬかるみを避けることも出来ずに、つまずいたり、足を取られていたんだよね。目を開くとそんな小さな障害は、もう道の一部になってしまうんだ。飛び越えたり、避けたりすればいいことなんだからね。それよりも道がどこに続き、まわりはどんな風景なのか、が見えてくるんだ。雨上がりの虹の美しさや酷暑の下でオアシスを見つけた時の嬉しさが人生を楽しむことに繋がるんだ。辛い忍耐の人生だからこそ、より大きな生きる喜びを味わうことが出来るのかもしれないね」 「人生を楽しむこと、に行き着くわけですね」  私は少し深呼吸して、肩に溜まった力を抜いてから続けました。 「人間は何のために生きているのか? 人生を楽しむこと・・・そして、『それを探すために、わざわざゲームをしてる』のですね。ゲームだから楽しまなくちゃいけないのですね。でも、難しいなぁ・・・」 「ほらほら、そんなに深刻に考え込んでいるとまた、『ばかだなあ』って笑われちゃうぞ」 「確かにそうだわね。どんな悩みだって、そう人生の意味さえも、その『からくりが解けたら、しょうもないって思うだけだから』、さっさと前へ進んでしまう方がいいのよね。神様としている人生ゲームなんだから、私の番なのにじっと考え込んでいてもダメなんだわ。まずルーレットを回してみなきゃ、始まらないのね。そして出た目の数だけ進んでみてから、また考えたらいいんだわ。そう、この症例のタイトルは『手放す勇気』にしましょうか。そして、あなたは人生を楽しんでいますか? と聞かれたら、毎日大変よ、って笑いながら答えたいものです。毎日笑っていれば、どんな人生だって楽しくなってくるのでしょう。これが神様の人生ゲームの勝ちパターンなのですね」  先生も嬉しそうに頷いてくれました。