2014年2月25日火曜日

おはようさん 2014.2.25.

今日はポカポカ陽気の一日でした。 やっと春近しを実感できましたね。 春といえば・・・もうすぐ春ですねぇ 恋をしてみませんかぁ ですよね。 NHK 100分de名著「フロム 愛すること」で、 インターネット前までは実際に会わなければ知り合いになれなかったが、インターネット後の世界では、会わずに知り合いになれる。その分、関係性が希薄になってしまった、と言っていました。 確かに超情報化社会の今、愛すること、愛されることから人々が遠ざかっているように思えます。 私もFBを介しての世界中の写真友だちに誰一人、会ったことがありません。 普段、お互いの写真に いいね! し合っている仲良し友だちでさえ、よく知りません。 つまり、ネットの向こうにいる友人のフィーリングとだけ繋がっているわけです。 これじゃぁ 恋も愛も生まれませんよね。 ちょっとした友情くらいかな、あるのは。 インターネットで世界中の距離感がとても近くなりました。 ネットで繋がっていれば、相手のことがすべてわかる。相手のフィーリングも癖も好き嫌いも・・・何もかもがわかったように思えてきます。 リアルな実体が古くさく、面倒くさく、じれったく感じてきちゃうでしょう。 ネットなら相手のこころの裏側まで見通せるような錯覚に陥ってしまいます。 何でもわかっちゃう、何でもできちゃう。まるで全能の神のような気分がもうどこかに芽生えていませんか? 写真がフィルムからデジタルになってしまったように、 恋も愛も・・・デジタル化されはじめてるような気がします。 デジタル同志の恋や愛だから、デジタル社会ではどこにも違和感がないのでしょうが・・・それでいいのかしらむ? バリバリのデジタル写真大好き派だった私は、RAW現像に夢中になっていたある時、ハッとデジタル世界の恐ろしさに気づいてフィルム写真に戻りました。 あれは現実ではない。いくら綺麗でも自然の美ではない。 それに気づいた時の恐ろしさ、寒気は今でも覚えています。 今時の恋も愛も・・・同じ危惧をしています。 映画やドラマの恋愛ストーリーもどこかデジタルっぽい味がします。 デジタルな恋、デジタルな愛はコントラストも色調も効いているし、ノイズは見事に消されています。 もちろん涙も苦しみも努力も、そして笑顔もあります。でも、デジタルには何かが欠けています。 なんだろう? 学びかなぁ アナログな恋をして、アナログに愛して愛されて学べること。 人生の目的も使命もソウルメイトも、デジタルにはないと思います。 デジタル ♂ X デジタル ♀ 生まれてくるのはデジタルな子供たち。 生まれながらに笑わない赤ちゃんは、もしかしたらデジタル子の権化なのかもしれません。 デジタルやネットが悪いわけではありません。 うまく使えばいいのです。 機械やデジタルに使われるのではなく、機械やデジタルを使いこなす賢い人間にならなくちゃいけません。 原発にしてもデジタル・ネット社会にしても、人間の賢さが追いつけなくなっているように思えます。 手塚治虫先生が危惧していた近未来に私たちは足を踏み入れつつあるのでしょうか。 そんなこと言ったって、じゃぁ どうすればいいのよ?って光さんに尋ねてみれば・・・ もうすぐ春なんだから、みんな、どんどん 恋をして 愛して愛されて 今を楽しめば、今を生きればいいのよ ってお返事でした。 (日本の)神々がみんな、いなくなっていることに気づいているでしょう。 もうすぐ そう 春になったら 神々がそれぞれの(見守っている)人のところへ戻って来ますよ。 恋の 愛のパートナー(ソウルメイト? いえいえ、もっと聖なるパートナーですよって)との出会いの絆を携えて、帰ってきますよ。 世界中の人たちが新しい誰かに恋をします。 その時、目をつぶっている人、下を 後ろを向いている人、足が前へ踏み出せない人、古い世界が手放せない人・・・は聖なる恋が通り過ぎていったことすら気づかないでしょう。 夜空が一瞬 真昼のように明るくなって、次の瞬間、星の瞬く夜空に戻ってしまうような・・・そんな聖なる出来事です。 星になれたカップルだけが光の世界へ迎えられます。 すべてを手放し、すべてを受け入れる(こころの)準備をしておきなさい。 聖夜を共にしましょう。 前世物語  『子供を信じて、ただ愛しなさい』ということは、今の親と先生は子供を信じれない、純粋に愛せない、という示唆と読み取れるわ。確かに親も先生も見栄を張って、子供が本当は望んでいないものを押しつけちゃっているわね。もちろん間違っている事は諭さないとね。人の迷惑になることと人を傷つけることを身をもって教えていけば、今でも子供はちゃんと受け止めてくれるわ。世話を焼いて干渉していると、いつまでたっても自立出来ない子供になってしまうわね。大人になりきれない子供、大人になりたくない子供だわ。自立出来ないということは責任が果たせないということでもあるのよ。決断したことがない、自分から進んでしたことがない、計画が立てれない・・・こんな子供たちの親はたいてい過剰に子供に干渉するタイプだけど、光はこのことを言っているのかしら。だとすると、自分の意見があり、自分の行動に責任が持てる自立した子供に育てなくてはいけないんだわ。そんな自立した子供にするには、まず見栄は干渉の始まりだから外さないとね。そして、人として生きていくための基本的なルールに触れないかぎり、子供が望むとおりにさせるんだわ。もちろん子供のことだから失敗だらけよね。さっきの基本ルールに触れた失敗には心から愛情を持って自分の気持ちに正直な言葉で諭してあげるけど、それ以外の失敗は子供にとっては自立するための大切な学びなのだから、親と先生はニコニコ笑っていてあげないといけないのだわ。心でイライラしながら黙ってガマン、ではいけないのよ。子供は心で感じ取っちゃうからね。親も先生も、子供は失敗を積み重ねながら自立への階段を登っていると思わなくちゃね。もし子供が登り疲れて助けを求めたら、その時はすぐに手を差し伸べて引き上げてあげなくちゃいけないわ。すると子供はいつも見守ってくれているという安心感の中で、またチャレンジ出来るのよね。この安心感が自信に変わり、やがて簡単な責任が負えるようになるんだ。責任感が決断力を磨いてくれるから、子供はどんどん自立していけるんだわ。  もう一度、この子供の自立への良き流れを振り返ってみると、大人が心からニコニコ笑っていることが重要だと言えます。笑顔が潤滑油だったのです。その笑顔が見守られている安心感を子供に与えます。子供の心を開いたままにしておいてくれます。子供の開かれた心は、必要な時いつでも愛のエネルギーを受け取れます。子供の心は愛のエネルギーで育ちます。それは子供にとっては太陽の光なのです。心から愛情を持って接するとは、大人が太陽になったつもりで、誰にも分け隔てなく、いつもニコニコしながら愛を降り注ぐことなのです。太陽のようにニコニコするには、すべてを信じれなければなりません。子供も大人も、そして何より自分を信じれないと笑えません。笑いましょう。笑いが潤滑油となって、すべてのギクシャクを解決してくれます」